The Goal ザ・ゴール

エリヤフ・ゴールドラット氏の書いた本『ザ・ゴール』を知ったのは2週間前。実は、手にとって読むのをためらいました。なぜか?関係ない…そんな思いがよぎったからです。

それでも、実はいろんな人がこの本を勧めた言葉を書いていること、そして、買わずに図書館で発見したこと…。めんどくさいけど借りてみたのでした。読むには分厚い…という持ち歩きにくさが気になりましたが、すぐに読める本でした。

 

企業の究極の目的とは何か

 

この本は、アメリカ製造業の競争力を復活させた、TOC(制約条件の理論)の原典と紹介されていました。そして、日本で出版される許可が出なかった…そんな感じの本だったそうです。

 

日本語版初版は2001年ですから、その当時ですでに空前のベストセラーから15年以上の間日本で翻訳されていなかったということ。

 

本の内容は本を読んだほうが良いんじゃない?と思いますが、この本を書いた人はイスラエルの物理学者。

この本に出てくるジョナに当たる人なのかなぁ…?

 

TOC Theory of Constraints 制約条件の理論

きっと、その世界では有名なんだろうと思います。

 

この本で企業の究極の目的が「現在から将来にかけて金をもうけ続けること」と定義されて考えられています。そして、そんなことは当たり前では…?なんて思っている人が大勢いて、そしてわざわざ読まなくていい…って判断しそうな本だろうとも。

ただ、日本語版でも552ページもあるよ…という私が読むのを辞めようかなぁ…という一番の理由でしたが読んでよかった。

 

工場だけではないし、ここに書いてある手法というのか、TOCというのか、ここにある5つのステップを広めるためにどうしたらよいか?というアイデアは教育にとっても重要だろうし、今社会で求められているものだろうなぁ…と思います。

 

ちょっと日本は、過保護に与えすぎて、考える力をだめにした…と反省するのは上手だけど、では?どうしたらいいかを考えて決断していくことをためらう…ゆで蛙とか言ったりしてますが、そんなこの本で書いてある表現を借りたら「古いモデルを続けよう…新型モデルの導入を拒否する…」そんな人たちをどうしたら変えることができるか?という点に注目しているところは、世界中で課題は共通しているのでは?と考えさせられるものでした。

そして、工場だけの話としてみるのではなく、大きく見ることができる本だなぁ…と、分厚さと関係なさを気にせずに読んでよかったと思いました。

キャスターが見たベトナム by宮川俊二さん

これは、昨日のシンポジウムで伺ったお話。

キャスターが見たベトナム」というタイトルでお話がありました。

きっと、どこかで内容は披露されるのだろうって思います。

私は自分が気になったことだけ調べながら…って書きます。

1989年にベトナムに古い日本のミシンを贈ろう

という活動があったそうで…私は知りませんでしたが、母は何かで知っていたようです。

1988年12月3日  朝日新聞(夕刊)女性の連帯『ミシンを』中古品も不足のベトナムへ ~かつての愛機差し出す人続々~

1989年3月3日  朝日新聞(夕刊)愛のミシン、深まる交流 ~全国に広がったベトナム支援運動~市民レベル、実り多く

1989年5月号  タイムズ ベトナムにミシンを送ろう ~市民による平和のかけ橋~に下記のものが載っていました。

文章は、そちらのサイトで読んだ方がちゃんと読めます。

1989年3月1日 読売新聞 ベトナム・名古屋 「ミシン」持参の主婦外交 戦争未亡人や孤児のため

グエン トリ ユン(NGUYEN TRI DUNG)さんと高橋ますみさん。

 

ブンタウで、ミシンが5台あったら活動ができるというベトナムの女性たちの声を受けて、高橋ますみさんが古いミシンを集めている話を、宮川さんは名古屋で勤務していた時に知り、ご自身がされていたラジオ番組で呼びかける機会をつくったのだそうです。

そんな始まりからご縁を持って、ベトナムに届ける取材も、カメラマンと二人で行ったのだそうです。

1975年 ベトナム戦争終結。

1978年末にはじまるカンボジアへの侵攻によって国際的に孤立していたそうです。国際社会からの強力な外交圧力と経済圧力の下、ベトナム政府は一連の経済改革と外交政策の改革を行い、1989年9月にカンボジアから撤退することになったという時代背景もあるようですね。

 

ベトナム戦争と、カンボジアへの侵攻…いずれも、どんなことがそのような事態を招くに至らせたのかという本当のところを私は知りません。

ただ、その当時、日本でベトナムで取材できていたのは共産党系の1社のみだったんだそうです。そこに、市民ボランティアのことによる取材ということで、取材ができたのだそうです。

手で縫うしかできなかったところに、ミシンが使えるようになり、さまざまな製品ができるようになった。さらに得たお金で、工業用ミシンを購入したりして、電気ミシンも活用できるようになった人達は、進出してきた工場で働けるようになっていた。

ミシンがそんなに影響力があるとは…って、驚かされるお話でした。

 

足踏みミシンを修理できる人達がまだいたこと、バブル時で日本では古くなったミシンを捨てたい人達がいたことなど、日本の事情もベトナムの事情ともちょうどWINWINだったんだ…と伺いながら思いました。

 

いろんなものの見方ができるとは思いますが、一つのお話をうかがえてよかったです。

 

花嫁道具にミシンを持たせ…って時代背景。そのミシンをフル活用して子ども達の服などをつくって…バブル時代には捨てるように言われて…聞いていて母のことを思うのでした。それでも、捨てなかった母。思い入れの強いミシンを壊したのは私でした。

父方の祖母は、戦後なのかなぁ…?洋裁を教えていたとか。

母方の祖母も、母や叔父の制服なども縫っていたと聞いています。

昔の人達って何でも作っていたんだ…と感心するのですが、ベトナムの話を伺いながら日本もそうだったのかもなぁ…なんて、明治時代の話などを思ったのでした。

 

私の縫い始めは、フェルトでマスコットを縫うとかで小学1年生の頃かなぁ…縫うとか編むとかなんか身近にしているのを見ていたのです。ミシンが使えるようになって喜んでいたら、雑巾縫って学校に持って行く…というのも私の仕事になっちゃいました…とか思いだされます。

 

でも、高校の時の家庭科で、自分で課題のスカートを縫っていない人の多さとか、卒業して知りましたねぇ…。

教え初めの時に、持ち帰らせないとか、持ち帰って家族が縫う…驚いていたけど、気付いていないだけの私はもうすでに同級生達がそんな感じだったのですねぇ~。

 

今は、雑巾も買う時代だろうなぁ…。

そう思ってみると、縫えないのが当たり前?

ボタンつけもお金を払う時代ですよねぇ…。10年位前にお聞きしたお話。その方の奥様は洋裁を学ばれていたそうで、背広などちょっとした傷みも全て表面に目立たないように繕い使っていけて有難いという話をされていました。そんな話をお聞きしながら、そんなプロフェッショナルにつくろえるのはすごいなぁ~って自分ができるとは思えないので伺っていました。

だけど、4,5年前に高校生にアンケート。ボタンが外れたら…って、捨てるという声がいっぱい…そう、基準は私の感覚ですが、私にとってはいっぱい…と思えるデータでした。このデータはオープンにしていいのかなぁ…?数値くらいはいいのかなぁ…?でも、そのアンケート結果に一緒に驚いた当時の高校生達も多かった。

今、どうでしょう…?

 

有名私立のお受験では、手作りバッグが必需品なのだとか。

そうやって、手作りバッグが高値で売れているそうです。すごいですよねぇ~。でも、手作りってそうですよねぇ~。

 

そういえば、全く関係ない話かも…中国での縫製が値上がりしていく…という話、ベトナムへ…カンボジアへ…なんていう日本で市販される衣類の縫製がどこで行われているか?多様化していると思うこともこんな話と関連?

そして、お手製絨毯が値上がりしていってる…って、確かペルシャ絨毯の値段が上がっているそうですね。IT化など進んでいくと、そんな重労働は嫌がられるようになると伺いました。

 

ドンドン手作りの希少価値は上がっていく?

 

それでも手作りで作っていただける有難さを知っている人たちが、お金を払って作ってもらう…希少な世界に…というヨーロッパものブランドたちも同じでしょうね…。

 

 

 

 

72の法則

「72の法則」なんて、学校で習わなかったなぁ…。そう思うのですが、知ったときの感動…というか、知り方が数学ではないから感動するのでしょうか?

一番感動…というか、へぇ~はそのもののこと。

だけど、コレを発見したのはアインシュタイン?と、コレは違うみたいですね。

イタリアの数学者で、「会計の父」とも呼ばれるルカ・パチョーリが1494年に『スムマ』と呼ばれる数学書で述べたとされているそうですね。

資産運用において元本を2倍にするときのおおよその年数、金利が簡易に求められると言われる法則のこと。

 

金利(%)×年数(年)=72

 

と、これって必ず!というわけではなかったようですね。

まぁ、アバウトコレでいいだろうって思いますが。

72の法則では、

金利10%なら、7.2年

金利7%なら、約10年

金利5%なら、14.4年

金利2%なら、36年

金利1%なら、72年

金利0.5%なら、144年

金利0.1%なら、720年

金利0.02%なら、3600年

……………

 

 

72だろうが、69だろうが…と思うのですが、この法則の詳細が大切なのではなく、この計算の意味が大切。

 

ちょっと違うとは思うのですが、そうめん流しの話。

 

銀行の人たちがすくって…その後残って流れてきているそうめん…。

 

 

金利のこと、広告などで見ながら思うのです。

こんな状態でも、銀行に預けるか?という話と。

銀行に預けるって話。

そして、海外の銀行の金利の話が出て、そちらがいい?

 

よくわからないで情報に振り回されている人…

そして

かたくなに銀行のことを信じている人…

そして

 

本当のところ何がいいのか?

本当は、何がいいのか?より、ちゃんとどうしていくか?考えて判断して…自己責任

 

 

知っていてお金を銀行に預けている…はいいと思うのです。だけど、どうにかなるだろう…って、とりあえず考えずに預けている…。

昨日だったか、本屋さんでぱらぱら立ち読み。

どの本だったか…ベスト10に並んでいたんだけど…どれだったか…

ぱらぱら読んでいて、思ったのです。

自己責任と自分はどうして行きたいかを考えることがうまくできないで…その先にあるのはどんな未来なんだろう…?

 

私も必ずインフレは来ると思うのですが、いつなのかなんてわかりません。

ただ、どう対応していくか?

ユダヤ人の教え?

 

 

一番の投資は…?

 

こんな話とは無縁に幸せを感じる心を持つことかもしれない…となんとなく、大切なことはそんなことかもしれないなぁ…。

対処ではなく、ただ、お金と幸せはくっついていない。その事実をちゃんと自覚した上で、お金のことを考える…それが大切かなぁ…。

なんてね。

 

 

見極めよ 備えよ

服装なんてどうでもいい?

 

実は、わが県ではそう教育界では判断が下りました。

ですから、恐らく…これよりもさらに悪化…していくでしょう。

と思います。

 

 

本当に服装なんてどうでもいいの?

 

話をする前、言葉を発する前の全く何もないところでの、相手に対する礼儀の一つに服装があった…のは昔なのでしょうか?

そう思う出来事を体験して、やはり日本は沈没するなぁ…確信を持ちながら今日を過ごしています。

 

何を指導するか?服装は要らないか?

人権同和問題があるから…ねぇ…という話を受けて思うことは一つ。

私はそれでも、多分グローバル社会になって必要な最低ラインは服装だと思いますね。それは高級なブランドを着るという意味ではなく、どの場面で何を着るかというプロトコルからそれに派生しているマナーライン。それを教えることができない=理解できていないということで、行うことができないことは人に指導していてもわかっていないこと。

できないことを言っても、やっていることを学ぶ後進者たち。これが日本が衰退と言われている一要素だと思います。

 

では、服装は?

昔の日本人は、洋装でのプロトコルは詳しくなかった。だけど、今のようにファッションとして楽しむ…そんな豊かな文化もなかったから、プロトコルの範囲内でのファッションだったと思うのです。

でも、今はありとあらゆるタイプがあって、何でもありのファッション幅。そこに、このときにはどういう対応か?理解できていない対応をしている人という証明の一番最初は服装でしょ?それって、過去の評価産物?

 

ここが、社会ずれと言われているところなのかなぁ…?私のずれでしょうか?

服装はクールビズ対応だったならば、クールビズとしてやっていればOKの時代になっているらしい。それを企業の採用等の面接…昇進かかわる面接…で通用する企業があるのなら、見てみたい。でも、教育界では通用するということを学びましたね、今年。

そんな学びをした時点で思うことは、大学受験して点数取れて…でも社会で役立たない人をつくりだしているのは学校かもね…ってこと。判断基準がズルズル低下…。それが国力低下につながってますね。なめ猫文化、ちょっと外れている方がカッコいい…そんな集大成の最低最悪な結末を見ながら思うことは、ヤクザやチンピラがカッコいいと思われる社会を作っちゃったのでは?

 

どうでもいいことなのか?

 

昔は、企業に入って教育していた…って、今はそんなお金をかける余裕がない…だから、ちゃんと必要事項が身についていること…。最低ラインに服装が達しないのは、認識ずれた教員に習うからだなぁ…って思いますね。ずれている服装をしているずれている価値観で話をされている人達に、どうしたらずれているよ…って伝わるか?相手の頑張っているも認めてずれていると受け入れさせる…???ずれ過ぎていて気持ち悪すぎる…。ずらしていった「デモシカ」先生たちのつくりだした教育風土は、PISAでも評価を受けている顛末。

 

ファッショナブルと正しく着装するの違いがわからずに成長していく…ちょっと崩すのがカッコいいというけど、何をどう崩したかをわかっていない恰好を理解もなく着ているみっともなさ…。それを世界に通そうとすることができないから、海外に訪問もできないようになっている人もいますよね。知らないことによってやったこと…を受け入れて改めることをしないことを通すのも一つだけど、国際プロトコルで通用しない話としての歴史的背景からの判断による冷遇を受ける日本。それも一つだとは思いますが、そうとは知らずに真似て国内で広めていく…そのナンセンスさも…。理解して使い分けている人がまだまだいる…。そんな人達しか稼げない世の中になっているなぁ…とは思わされます。

 

もう、そんな違いを学んでいる…独力で…そうでなければ学ぶ機会を得て成長できる環境を求めた人達のみが稼げるようになっている。

 

グローバル社会に求められていること、いろんな文献等で論じられていることの以前に大前提で、述べている人たちが身につけていて当然と思っているところが崩れていることを知らずに、崩れていない前提で論じていると思いますね。

崩れている現実を知らないのは、崩れていない状況の人達との交流しかないグループに所属できているというのか、崩れていない人たちが大多数派のグループとの毎日が普通だから…という感じ。

崩れている現実が8割であっても、その8割をどうするか?という議論を持たないとき、目立たない意見。だけど、崩れている8割を含めて議論するとき、実はその8割の崩れている問題性をちゃんと把握できていないことから起こる悲劇…それを繰り返してきた政治。

根本問題を捉え損ねて、小手先でやってきた終焉が必要。

ちゃんと日本語通じているはず!の勘違いが産んでいる、言葉は同じようだけど違うものに化けていることたちを正確につかめていないことが日本の失態等の大きな原因だと思います。

 

中国のタテマエ社会をつくりだす背景に日本の影響があるかもよ…なんて思うと逆かもしれませんが、少なからず崩壊するのを待つか崩壊させるかしか選択肢がなくなっている日本の現状を一番よい変え方をするのは、積極的に壊しに行くことだと思いますね。壊れてからの対応は早いかもしれないけど、壊してからよりも痛手が大きい。

 

まだ勘違いして総理大臣に居座って…何が先にあるのか?

第三の勢力をつくりだしていき、確実なものにするにはいいかも。

 

1854年 安政の大地震

1858年 安政の大獄

 

1919年

1923年関東大震災

1927年金融恐慌

 

1991年ソビエト崩壊

1995年阪神淡路大震災

1998年ロシア危機

 

2006年イラク

2011年東北大震災

2015年…?

 

 

脈略はない引っ張り方です。

 

壊れた価値観壊された価値観…その後の対応の仕方で起こることは変わってくる。

どう対応するのか?

 

日本では地震など毎年のように…どこかで起こっているのでもっとピックアップ可能だし、もっと違う面白い引っ張り方ができるはず。

 

 

 

日本の国としてみた時は…?

今年はもう数年前から、年金がうまく運用されていないという事実がオープンになるよって言われていた年。要するにもう、こんな風にはなるだろう…って言われていたのに、対応してなくて来ちゃったよ…って感じのことがいっぱいでしょうね。私は対応しているよ~って人も多いと思いますが。

2015年も言われてますよね…。

 

 

日本の信頼信用を支えてきたもの…土台が無くなった時に、やっと見直されるのは見た目かもね。

もし、今の中国を1960年ごろの日本の状況とたとえる側面があるとしたら、生活への価値観の変化も似ている感じかなぁ…。

 

今の日本を1960年後のアメリカの状況とたとえる側面があるとしたら、建て直しはじめたことは食生活など生活基本…?

 

さて、後は、進行速度が変わっている。

スーツにダイバーズウォッチ?で笑われる…って、それが何を笑うところかわからない…という話くらいに

 

日本の食生活をみならって…

日本の学校制度をみならって…

そんな取り組みをした国と自分のやり方を捨てた日本…。

 

あらゆることが変わっていく今。

 

キーワードって

見極めよ

備えよ

 

 

既存の価値観が崩壊するときに同時に壊れるものは既存の組織。

それでも壊れないものがある。それを見極めていない人は、ここぞの服装をわからない。なぜなら、どこが違うかわからないから。ここぞを知っている人は、それに応じた鎧として服装を着るのにね。平和ボケしている体制で平和ボケしている人たちを集める組織のお粗末さ。平時にずれているのは、危機には対応無理ということになるでしょうね…。

グローバリゼーション

『日経プレミアプラス』Vol.1という新書をコンビニで見かけたので、買ってみました。

誕生!新・新書

そんな言葉が気になって、お初物って取りあえず買ってみる。そんな本の買い方をする時があります。(我が家にはアエラの創刊号があったくらい…)

 

その中に特集として書かれている「10年後困らない働き方研究」

実は、今日、この本を読んだのは一昨日…ですが、ここに書いてあることをまさに…と友達に聞いたのでした。

 

村上憲郎さん(元グーグル日本法人社長兼米本社副社長)の文章にあったのです。

 

「グローバルスタンダードな経営をしている企業しか残れない」 これが大前提なわけですが、そこで社員と会社の関係がどうなっているかを、次に考えてみましょう。

事の良し悪しは別にして、「グローバリゼーション」とは、現実的には「アメリカナイゼ―ション」と同義。米国の企業社会を見れば、今後の企業の人事政策が見えてきます。

人事政策の入り口は採用です。米国においては、採用に際して、性別・年齢・国籍・家族構成・思想信条・宗教を聞いてはいけないことになっています。年齢や性別を着てしまった上で不採用と言うことにでもすれば、たとえ不採用の理由が「女性だから」「高齢だから」ではなかったにせよ、聞いたというだけで完全にアウトです。会社側は倍鎗金として一億円ぐらいは払わされるでしょう。

 性別、年齢等々に関係なく本人が優秀であれば雇ってもらえるわけですが、その時、国籍も全く関係ない。これが、グローバル採用です。つまり、グローバル企業で働いているのは、国籍を問われない“グローバル人”だということです。そして、日本に本社を置く企業でも、日本人だから優先されることは全くないだろうということでもあります。

 

と、こんな文章を読んだ後、国際結婚…相手がアメリカ人の友達が、人事をする時にね…と聞いたらいけないから、採用とかを担当する仕事に就くための質問試験というのがあるのだと話を聞かせてくれました。こないだ読んだ…って、思いながら、そのことを聞こうとは思ってもいなかったのでした。

ただ、本当に、グローバル採用、グローバル企業…そんなグローバリゼーション。早々に対応していきたい…って思っている企業は多いだろうなぁ…って思います。

 

和気あいあい、社員は皆家族と言った人事政策で社員を引きつけ、社員の方もそれでモチベートされてきた…、そんな日本的経営を売り物にした企業はもう先はありません。

 …日本的雇用慣行を維持するのは社会的な尊厳を失いたくない経営者のタテマエ上ということもあります。ホンネではグローバルな人事政策に舵を切りたがっているかもしれません。…

正直、この人が言っていることが何年後にくるのか?はわかりません。

ただ、少なくとも、年金をイマイチうまく運用できていなかった…という事実が白昼に出た今年。

次は…?

 

毎年リストラが身近なアメリカ…って印象付けられる話を聞きながら、この本で読んだこのことを思い出していたのでした。