リチャード・バックミンスター・フラー

まず、現在やっと未読のコメントを500通切ったので(と言っても498残っています)、書こうと思いました。

たくさんのコメントをありがとうございます。読むことを優先すると書けないので、私がこのブログに使える時間との関係で考えます。

 

実は、先日お聞きしたお話に出てきた方がとても気になっていて…調べたかったのです。

リチャード・バックミンスター・フラーさんだと思います。

 

お話は、1976年でのことだそうですから、存命中。

7年後に87歳で亡くなっているので、私が伺った話とマッチします。

 

この方は、たった一人の人生が世界にどんな影響を与えることができるか…ということに生きた方だそうで…

80歳の記念に、世界中で80個のイベントを行ったそうです。

そのカリフォルニアで行われたイベントでの話を伺いました。

 

リン・トウィストさんからお聞きしたお話。

英語を日本語に…同時通訳で頭の中ごちゃごちゃ…って聞いてしまっているかもしれません。

 

があると。

http://bfi.org/about-bfi/updates/2014/04/thank-you

you or meパラダイムが、you and meパラダイムにシフトした…って。

 

バックミンスター・フラーが説く「若者が学習する場合の4つのプロセス」

 

 

どれに書いてあるのか分かりませんが…。

知りたくなったのでメモ代わりに。

 

 

キリスト教徒だった?千利休

2014年2月3日朝日新聞朝刊だと思います。お墓参りに行くために購入したお花を包んでくれた新聞。いつも家ではとっていない新聞なので、思わず持ち帰り読みました。

記録しておかないとビリビリと裂けた新聞紙なので、記録。

 

キリスト教徒だった?千利休

「侘び茶」の大成者と言われる伝説の茶聖・千利休。彼が創始した茶の湯の作法に、キリスト教の影響が色濃く投影されているとの説があるのをご存じだろうか。その可能性は?

千利休は1522年、現在の大阪府堺で魚問屋や倉庫業などを営む田中与兵衛の子として生まれた。

幼名は与四郎。武野紹鴎に茶の湯を学び、のちに戦国武将・織田信長や豊臣秀吉の茶頭として、数々の茶会を主宰。1585年には秀吉が開いた禁裏茶会で正親町天皇に献茶し、「利休」の号を勅賜された。

しかし、大徳寺山門に掲げた自らの木像が不敬とされて秀吉から追放処分を受け、70歳で切腹する。

竹製の茶杓や黒楽茶碗を好み、2畳という限られた空間の茶室をつくるなど、日本文化の粋ともいえる「侘び茶」の大成者としてその名が残っている。

だが、その利休の茶が、実は当時の最先端文化だったキリスト教の影響を受けていたとする説がある。

利休の孫・宗旦の次男だった一翁宗守を祖とする武者小路千家の14代家元である千宗守さんは約20年前から、「一つの茶碗の同じ飲み口から同じ茶を飲む『濃茶』の作法は、カトリックの聖体拝領の儀式からヒントを得たのではないか」と主張してきた。

宗守さんによると、飲み回しの作法が文献に初めて登場するのは1586年〈天正14)年。翌年には大阪城で開かれた茶会で、秀吉が「一服ヲ三人ツツニテノメヤ」と言うほどまで普及した。「それ以前には行われた記録がない。どこかからヒントを得て、利休が創案したと考えるのが自然」

当時、日本でも有数の貿易都市だった堺では、キリスト教が盛んで、のちに七哲と言われた利休の高弟の中にも、高山右近や蒲生氏郷など、多くの信者がいた。

「ミサの際、イエスの血の象徴であるワインを杯に入れて回し飲みする様子を見た利休が、場の一体感を高める目的から、日本人にはなじみが薄かった飲み回しを茶の湯に取り込んだのではないか。茶入れを拭く際の袱紗捌きや茶巾の扱い方なども、聖杯を拭くしぐさと酷似している。偶然とは考えにくい」

宗守さんは1994年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世にバチカンで謁見した際、この説を披露した。するとバチカンの関係者から「法王庁の未公開史料の中に、茶の湯とキリスト教のミサの関連を記した文書がある。いずれ公になると思うので、待ってほしい」と言われたという。

とはいえ、今のところ、国内には茶の湯とキリスト教の関係を証明する史料は存在しない。

文教大学教授の中村修也さん(日本茶道史}は「日本を訪れたイエズス会の宣教師ルイス・フロスは、千利休はキリスト教徒ではない旨、はっきりと記している。回し飲みも、心を一つにする際に行われる一味同心の時の盃の回し飲みと共通しているし、その他の作法の類似も、一般的な動作における普遍的な一致と言えるのではないか」と話す。

中村さんによれば、利休のもっとも大きな功績は、一般の人にも親しめる形で茶の湯をプロデュースしたことにあるという。

「新たに登場したいわゆる国焼の楽茶碗や竹製の茶杓は、貴族たちが使っていた中国の茶碗や象牙などの茶杓に比べれば、安価で入手しやすい。それがあって初めて茶の湯に親しむ人が増えた。もし、利休がいなければ、他の湯の現在のような隆盛はなかったと思います」

利休は「恬淡とした茶人」ではなく、茶杓の工房を運営し、良質な茶の葉を手に入れて販売するなど、茶の湯にかかわる産業を総合的に運営した「承認」でもあったと中村さんは指摘する。晩年「売僧」(商売をする僧)と悪口を言われたのは、それゆえだったのではないか。

 利休の周りにはキリスト教徒が多い

いわゆる「利休七哲」(7人の高弟)、蒲生氏郷、細川忠興(三斎)、古田織部、芝山監物、瀬田掃部、高山右近、牧村兵部のうち、蒲生、高山、牧村はキリスト教徒。細川と古田もそうだったとの説がある

 

捨てようと思ったのです。お墓にお花を生けて、お花を包んでくれていた紙をふと見ると「千利休」という文字と「キリスト教徒」という文字が見えるというビックリ。

「濃茶」ミサ儀式に酷似など、ビックリの表記に捨てるごみを包むのに使いかけていたけど、切り取って持ち帰った。

 

茶の湯にキリスト教の影響がなかったか全くなかったとは言えないかもしれないと時代を思うと考えるのもアリだと思うのです。

ただ、袱紗捌き、濃茶の作法、茶室の躙り口について図でも書かれている記事を読みながら、本当のところはどうなんだろうなぁ~って思いました。

武者小路千家と言えば、三千家の一つなので、そんな家元さんが言うことを全く否定するほど私は詳しくない。だから、そんな意見に実際どうだったのだろう?とは関心あり。

ただ、読んでいた場所がお墓で、読みながら、大徳寺にはキリスト教徒だった方のお墓がいっぱいあるのかもなぁ…なんて思いました。利休七哲のうちそんなにキリスト教徒がいたんだ…と驚きながら、黒田官兵衛もキリスト教徒と思えば、ある意味時代の流れがそんな感じであったのかなぁ…?とも思わされます。

 

『利休にたずねよ』という映画の中で、そんなこともあったのかなぁ…と、正直事実がどこにあるのかなんて知らない話がいっぱいありました。この新聞を見ても…知らないことがいっぱいだなぁ…と思わされます。

 

織田信長の家来として、寺を焼く…などしていた人たちと思えば、仏教以外を信仰していたのかもしれないと考えるのも一つかもなぁ…とも思いますね。

竹製の茶杓など、確かに多くの人がお茶を楽しみやすい状況を作っていったかも…って思ってみると、違う側面が見えてくるかもしれませんね。

 

本当のところは今となっては正しく理解するのは難しいこと。そう思えば、また違ったところから本当のところは?って情報が入るかもしれないと思える意味で、新聞の日付と新聞記事の記録を残して…本当のところどうって思いながら記録まで。

けん玉

本当みたいですねぇ…

雑誌の記事に「日本で競技性を高めたけん玉が海外にわたり、スケボーやBMXと言ったストリート系スポーツの担い手の間でKENDAMAとしてブレイクしている」と書いてありました。

早速調べてみると、確かに…流行っているという新聞記事があり。

けん玉、ストリート系男子はまる 音楽流し技披露

日本けん玉協会なるものがあるんだ…と驚きました。

 

けん玉の起源についてはいろいろな説があり、現在はまだ確認されていません。今、けん玉の古い記録で確認できるのは、16世紀のフランスで国王アンリ3世のころです。ピエール・ド・エストワールが「1585年の夏、街角で子どもたちがよく遊んでいる“ビル・ボケ”を、王様たちも遊ぶようになった」と書いています。このことはフレデリック・グランフェルドの『GAMES OF THE WORLD』にも、国王アンリ3世が好んで遊んでいたという記事を載せていることからも裏づけられます。

これを日本けん玉協会のサイトで読んでびっくり。日本の伝統的な遊びのように思っていたけれど、伝わってきた文化なんだ…。

スゴイですね。

 

日本に紹介されたのは江戸時代いわれ、1830年に喜多村信節が著した『喜遊笑覧』に「安永67年の頃拳玉と云もの出來たり」とあるのが知られており、当初は酒席の遊びであったと考えられる。ただしこの資料にはけん玉の図はなく文章で紹介されているだけだった。しかし、それよりも前の資料である1809年の『拳会角力図会』に「すくいたまけん」としてけん玉が図つきで紹介されていることが1981年に判明した。

この説明はウィキペディアから。

18世紀末頃の『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』に出てくるけん玉はフランス型の「ビルボケ」であり、イギリス型の「カップアンドbボール」は19世紀末。約100年のタイムラグがあり、これは日本における近代国家成立前後の文化摂取の歴史的展開を探っていくことが必要になってきます。また、私の関心からすると「語源的には平安時代の曲芸「品玉」」にあるという点も興味深いところです。

こんな風に書かれているサイトを発見。

 

 

 

親を安心して預けられる病院づくり

昨日、『カンブリア宮殿』を拝見していました。

 

すごいなぁ…。

 

大塚宣夫さんが、「親を安心して預けられる病院」づくりを目指して、33年前に創設し、続いている病院だそうです。
全国の病院の多くが赤字に苦しむ中、突出した理念とビジネスモデルで、超高齢化社会の介護・医療界に一石を投じ続けているとサイトを開いたら書いてありました。

 

この人の「気持ちだけの介護は、患者も家族もつらい」という言葉はいただけないなぁ…って思います。

ただ、スペシャリストのスペシャルなサービスのすばらしさはしみじみといいなぁ…って思いました。

 

テレビを拝見しながら思ったことは、患者さんの表情が柔らかく優しい。

美人が多いなぁ…と高齢者の顔を見ていました。

人生最後のステージを幸せに生きる。

4人部屋で1ヶ月60万円。医療保険と介護保険が使えるから、32万円。

 

先日は、貧困層の医療に取り組む医師を取り上げられていた番組を拝見していたので、正反対。

どちらもすごいなぁ…と思います。

実際に提供するサービスの基本が、どちらも患者サイドに立って考えるという点で共通。

 

自分の親を安心してあずけられる施設。

あえて病院といわない。ちゃんと生活していただく。

 

テレビですごいなぁ…と思って見ていたこと。

 

お顔が優しい…美人な高齢者たち。

お酒も楽しめる。

寝たきりになる可能性高い…というか、そんな状況になって当然みたいに思われる人たちも座らせる動かす

番組の中で、寝たきりの方が対応も楽。もしかしたら、本人も楽。だけど、動かす…

 

食べたいから食堂まで行く。

もっと…次を楽しみにできるから生きる。

 

他界された後にどうだったか…サービスなどを振り返るってすごいなぁ…

 

ゴージャスさを求めるのではなく、患者さんの幸せを求める。

基準より4割多い人材配置。

 

最晩年の生活をいい状態に過ごしてもらう

きっと、誰もが思うところだと思うのです。

提供方法っていろいろあるとは思うのですが、一つだけ、確かにそうかもしれないけど…素人の家族が面倒をみることがベストではないかもしれない。それは否定しない。ただ、気持ちがあれば、どうしたらいいか…と追求していけるはず…とは思いたいですね。もっとどうしたら相手にとっていい介護ができるか?これを素人だから追求できないとは思いません。サービスの一番根底として、多分気持ちあるからやっているはず…そこに確かに介護や看護のスペシャリストそして医療のスペシャリスト…ありとあらゆるスペシャリストが働いて提供するサービスと家庭でできることを一緒とは言いませんが。

 

お庭の花々を楽しむ。

散歩したいという。

おいしいから全て食べることができる。

 

ありとあらゆる幸せがあるなぁ…って思います。そのどれかが、誰かに引っかかると素敵。

高齢者の方々のお顔がきれいなのは…テレビ用かもしれないけどなんて、疑ってみたとしても、一日だけで生み出される表情ではないと思うのです。

 

もっといろんな取り組みをしている介護施設や病院もあるとは思いますが、一つの形として、高齢者が行きたくなる…家族がお願いしたくなる…それは十二分に伝わってきました。

 

青梅慶友病院

 

村上龍さんの編集後記に次のようにある。

わたしたちは、往々にして、青梅慶友病院の快適な居住スペースや、おしゃれなファッション、吟味された豪華な食事などに目を奪われる。だが、大塚先生が作り上げた医療ポリシーの最大の特徴は、人生の最終楽章にいる患者さんの、人としての尊厳を回復・維持すること、そのために可能な限り自立を促し、支援することにある。高齢者との関わりにおいて、助け合い、支え合うことはとても大事だ。だが、助け合いと依存は違う。自分の力でベッドから起き、自分で食事をして、美しい花が咲き乱れる庭を自らの足で歩く、それがどれだけ素晴らしいことか、大塚先生は熟知している。人に対し、可能な範囲で自立を促し、それを支援すること、それは医療や介護だけではなく、社会全体の規範となるべきだと思う。

そう、居住スペースのすごさ、ファッショナブルな高齢者、ご馳走…だけなら、いっぱいあるかもしれない。

いろいろ課題は抱えていらっしゃるとは思いますが、ある意味女性の競争心をあおってサービス向上につなげているなぁ…とは思わされました。

 

次のようにサイトにありました。

当院がめざすもの

私達は“豊かな最晩年”の実現をめざしています。

豊かな最晩年のための4つの柱

1. 高齢者にふさわしい医療
2. 看護、介護、医療の一体的提供
3. 尊厳が守られる毎日
4. 自分の親を安心して預けられる場所
だそうです。 

『人生の最期は自分で決める』という本も出ているみたいですね。

企業は…という言い方は悪いかもしれませんが、本当にどうしたらよりよいサービスを提供できるか?と努めた会社が成功していく…。トコトン突き詰めるって、大変だろうなぁ…って思います。だけど、それをよいと言ってくれる人たちがいるからできる。そう思わされました。

 

こんな素敵な最晩年。親にさせてあげたいなぁ…と子どもが思う…本人の希望だけで動いていく話も有るとは思います。だけど、ここで過ごさせてあげたいなぁ…と親に対して思うことだけでも、すごいと思うのです。金銭的なゆとりが少しは必要な話だったりするとは思います。でも、素敵に思える状況を自分が過ごしたいと思うのか、過ごさせてあげたいと思うのか…。子どもたちにどう思ってもらえるかを考えるというのも、大切だろうなぁ…って思いますね。

 

どんな施設でも、また、どんなサービス提供者も、ベストを尽くしているところはたくさんあるとは思います。その一つを拝見できてよかったです。

 

高齢者の方々の表情が本当に穏やかで優しい。

それが本当に幸せなサービスが存在している証拠だろうなぁ…って思いました。

 

年を重ねてきた方の美しさを感じました。

 

ありがとうございます。

絵文字ではないのね…笑

ありがとうございます~と、偶然にも書いていただくことができました。感謝。

以前、他の方にも書いていただいた…って思い出して探し出しました。

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これは2009年と日付入り。

そして、昨日

IMG_2209

 

書いていただくことは同じですが、本当に…書いていただいていろいろとイメージが違いますね。

 

以前、書いていただきながら伺った話は、文字に対して特許を取っているというお話でした。

 

今回、書き方を教えていらっしゃると…絵と文字をくっつけて…絵を楽しんでもらいたい方が強かったのかしら…と、思わされました。

 

検索しておかないと、わからなくなりますね。

以前書いていただいた方は、やまだとしおさん。下手な検索したら、政治家が出てきました。

詩書家とのこと。笑顔文字。

似顔絵を描いていただいて、名前を書いていただいたのでした。

 

今回は、扇面に書いてくださるとのことで…

なんて不思議なこと…と、こちらは笑文字。

書画家とのこと。田中太山さん。

 

ありがとうございました。