服装なんてどうでもいい?
実は、わが県ではそう教育界では判断が下りました。
ですから、恐らく…これよりもさらに悪化…していくでしょう。
と思います。
本当に服装なんてどうでもいいの?
話をする前、言葉を発する前の全く何もないところでの、相手に対する礼儀の一つに服装があった…のは昔なのでしょうか?
そう思う出来事を体験して、やはり日本は沈没するなぁ…確信を持ちながら今日を過ごしています。
何を指導するか?服装は要らないか?
人権同和問題があるから…ねぇ…という話を受けて思うことは一つ。
私はそれでも、多分グローバル社会になって必要な最低ラインは服装だと思いますね。それは高級なブランドを着るという意味ではなく、どの場面で何を着るかというプロトコルからそれに派生しているマナーライン。それを教えることができない=理解できていないということで、行うことができないことは人に指導していてもわかっていないこと。
できないことを言っても、やっていることを学ぶ後進者たち。これが日本が衰退と言われている一要素だと思います。
では、服装は?
昔の日本人は、洋装でのプロトコルは詳しくなかった。だけど、今のようにファッションとして楽しむ…そんな豊かな文化もなかったから、プロトコルの範囲内でのファッションだったと思うのです。
でも、今はありとあらゆるタイプがあって、何でもありのファッション幅。そこに、このときにはどういう対応か?理解できていない対応をしている人という証明の一番最初は服装でしょ?それって、過去の評価産物?
ここが、社会ずれと言われているところなのかなぁ…?私のずれでしょうか?
服装はクールビズ対応だったならば、クールビズとしてやっていればOKの時代になっているらしい。それを企業の採用等の面接…昇進かかわる面接…で通用する企業があるのなら、見てみたい。でも、教育界では通用するということを学びましたね、今年。
そんな学びをした時点で思うことは、大学受験して点数取れて…でも社会で役立たない人をつくりだしているのは学校かもね…ってこと。判断基準がズルズル低下…。それが国力低下につながってますね。なめ猫文化、ちょっと外れている方がカッコいい…そんな集大成の最低最悪な結末を見ながら思うことは、ヤクザやチンピラがカッコいいと思われる社会を作っちゃったのでは?
どうでもいいことなのか?
昔は、企業に入って教育していた…って、今はそんなお金をかける余裕がない…だから、ちゃんと必要事項が身についていること…。最低ラインに服装が達しないのは、認識ずれた教員に習うからだなぁ…って思いますね。ずれている服装をしているずれている価値観で話をされている人達に、どうしたらずれているよ…って伝わるか?相手の頑張っているも認めてずれていると受け入れさせる…???ずれ過ぎていて気持ち悪すぎる…。ずらしていった「デモシカ」先生たちのつくりだした教育風土は、PISAでも評価を受けている顛末。
ファッショナブルと正しく着装するの違いがわからずに成長していく…ちょっと崩すのがカッコいいというけど、何をどう崩したかをわかっていない恰好を理解もなく着ているみっともなさ…。それを世界に通そうとすることができないから、海外に訪問もできないようになっている人もいますよね。知らないことによってやったこと…を受け入れて改めることをしないことを通すのも一つだけど、国際プロトコルで通用しない話としての歴史的背景からの判断による冷遇を受ける日本。それも一つだとは思いますが、そうとは知らずに真似て国内で広めていく…そのナンセンスさも…。理解して使い分けている人がまだまだいる…。そんな人達しか稼げない世の中になっているなぁ…とは思わされます。
もう、そんな違いを学んでいる…独力で…そうでなければ学ぶ機会を得て成長できる環境を求めた人達のみが稼げるようになっている。
グローバル社会に求められていること、いろんな文献等で論じられていることの以前に大前提で、述べている人たちが身につけていて当然と思っているところが崩れていることを知らずに、崩れていない前提で論じていると思いますね。
崩れている現実を知らないのは、崩れていない状況の人達との交流しかないグループに所属できているというのか、崩れていない人たちが大多数派のグループとの毎日が普通だから…という感じ。
崩れている現実が8割であっても、その8割をどうするか?という議論を持たないとき、目立たない意見。だけど、崩れている8割を含めて議論するとき、実はその8割の崩れている問題性をちゃんと把握できていないことから起こる悲劇…それを繰り返してきた政治。
根本問題を捉え損ねて、小手先でやってきた終焉が必要。
ちゃんと日本語通じているはず!の勘違いが産んでいる、言葉は同じようだけど違うものに化けていることたちを正確につかめていないことが日本の失態等の大きな原因だと思います。
中国のタテマエ社会をつくりだす背景に日本の影響があるかもよ…なんて思うと逆かもしれませんが、少なからず崩壊するのを待つか崩壊させるかしか選択肢がなくなっている日本の現状を一番よい変え方をするのは、積極的に壊しに行くことだと思いますね。壊れてからの対応は早いかもしれないけど、壊してからよりも痛手が大きい。
まだ勘違いして総理大臣に居座って…何が先にあるのか?
第三の勢力をつくりだしていき、確実なものにするにはいいかも。
1854年 安政の大地震
1858年 安政の大獄
1919年
1923年関東大震災
1927年金融恐慌
1991年ソビエト崩壊
1995年阪神淡路大震災
1998年ロシア危機
2006年イラク
2011年東北大震災
2015年…?
脈略はない引っ張り方です。
壊れた価値観壊された価値観…その後の対応の仕方で起こることは変わってくる。
どう対応するのか?
日本では地震など毎年のように…どこかで起こっているのでもっとピックアップ可能だし、もっと違う面白い引っ張り方ができるはず。
日本の国としてみた時は…?
今年はもう数年前から、年金がうまく運用されていないという事実がオープンになるよって言われていた年。要するにもう、こんな風にはなるだろう…って言われていたのに、対応してなくて来ちゃったよ…って感じのことがいっぱいでしょうね。私は対応しているよ~って人も多いと思いますが。
2015年も言われてますよね…。
日本の信頼信用を支えてきたもの…土台が無くなった時に、やっと見直されるのは見た目かもね。
もし、今の中国を1960年ごろの日本の状況とたとえる側面があるとしたら、生活への価値観の変化も似ている感じかなぁ…。
今の日本を1960年後のアメリカの状況とたとえる側面があるとしたら、建て直しはじめたことは食生活など生活基本…?
さて、後は、進行速度が変わっている。
スーツにダイバーズウォッチ?で笑われる…って、それが何を笑うところかわからない…という話くらいに
日本の食生活をみならって…
日本の学校制度をみならって…
そんな取り組みをした国と自分のやり方を捨てた日本…。
あらゆることが変わっていく今。
キーワードって
見極めよ
と
備えよ
既存の価値観が崩壊するときに同時に壊れるものは既存の組織。
それでも壊れないものがある。それを見極めていない人は、ここぞの服装をわからない。なぜなら、どこが違うかわからないから。ここぞを知っている人は、それに応じた鎧として服装を着るのにね。平和ボケしている体制で平和ボケしている人たちを集める組織のお粗末さ。平時にずれているのは、危機には対応無理ということになるでしょうね…。