出雲めぐり

コメントをたくさんありがとうございます。いまだ読めていないもの300通。読ませていただきオープンにしております。

 

先日、島根県に行きました。

出雲大社へ。

といいながら、いろんなところへ。

読まれた方はラッキー?になりますように…ということで、私の回ったところを紹介します。

まず、出雲でタクシーに乗りました。

このタクシーが素敵でした。

【人気No1】出雲の“定番パワースポット”めぐり

このプランに参加しました。

というのも、行ってみたいなぁ…ってところが2箇所入っていたのです。

自分で車を借りて運転しようかなぁ…って思っていたのですが、山を登っていく自信はないなぁ…と辞めて正解でした。

説明をしてくださって、その上でうかがうことができてよかったです。

 

と、私確か…7箇所行った気がする…とプランが違ったのを気づきました。

参加したのはこちらのプランでした。

神々が集う出雲 「神在祭」ゆかりの神社探訪B

あいのりということで、4名だったので本当にお得な気がします。

自分が運転するとしたら…こんなに道もわかりませんので、難しいと思います。

万九千神社

こちらは、神様が最後に集まってお別れしてそれぞれのところに帰るのだそうです。

とっても素朴なお社でした。

向かい合わせにもう一つ。

朝早かったためか、参拝者もいらっしゃらなかったので、ゆっくりお参りさせていただきました。

 

朝山神社

全国の神々は出雲大社の神在祭の前、旧暦10月1日から10月10日までこの神社に立寄ってから出雲大社へ向かわれるとのことでした。

こちらでは、蛇が出ました。

神様をお迎えに来るのが蛇というお話を伺っていて、帰り道に蛇が…

つづら道を上がっていき、道もわかりにくいところでした。

 

 

須佐神社

こちらは、たくさんの方がいらしていました。

ちょうど、お昼頃だったので太陽も真上に

大杉

須佐神社にて

お社の裏にある大杉の写真です。

この社の木がスゴイ!とおっしゃった…スピリチュアルの…名前が思い出せません。ごめんなさい。

その方がおっしゃってから、たくさんの方がいらっしゃっているとか。

木に触れる人が増えて、木が枯れそうになったとのことで、廻りに囲いがありました。

正直、この社の裏手に回って木を拝見したとたん、とても強い気を感じました。圧倒されるくらいに…。

スゴイなぁ…と思ったのですが、触れるといいと木の根っこだけは触ることができるようになっていると触れたのですが、冷たく感じました。

温かく感じる方もいるそうですが、私は冷たいと思いました。

そのあたりに近づいたときの方がすごい…って思ったのですが、触れて思ったことは冷たい…木の根っこが生きていない感じがしてしましました。屋久島の屋久杉も多くの方が集まって木が枯れそうになって…とのことでしたが、たくさんの気を太陽から得て、いろんな方のマイナスな気をいっぱい受けているのでしょうね…。

その社の前に、もう一つのお社があります。

天照社です。こちらの方が穏やかな感じでしたが、神様はいるなぁ…と思わされました。

長浜神社

こちらでは、ちょうど神楽の準備で大変なときに伺いました。

綱引きの祖=スポーツ上達・不動産守護の神としてのご神徳が…ということで、翌日に駅伝?マラソン?が出雲であるとのことで、車がたくさんなのかと思ったら、神事のある日だったそうです。


あいのりタクシーの方が作った動画だそうです。

 

日御碕神社

日御碕神社

 

こちら「日沈宮」は「伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん」(伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守る」) との神勅により祀ったのが始まりと言われているのだそうです。

伊勢神宮と繋がるようなお話を伺い驚きました。

伊勢参りをした後に出雲へ伺ったので本当に不思議。

「神の宮」は今は参ることができません。

日御碕神社

 

 

稲佐の浜

 上の宮

この2箇所は車中にて

 

出雲大社

こちらで解散でした。

出雲蕎麦もどこなら入りやすいなど教えていただいたり感謝です。

 

京都へ行くことになっていると私に行っていたのを日にち勘違いして覚えていた母、この3連休時間あるなら行ってみないか?と言われて、行きました。

20年に一度の伊勢へ参り、60年に一度の出雲へも…という思いがあったのでしょう。

私も、大宰府天満宮の宮司さんが、「出雲の遷宮のとき、ちょうど社に移られるときだけ晴れた」とお話聞かせていただいていたので、行ってみたいなぁ…って思っていたのでした。タクシーの運転手さんも同じことをおっしゃってましたが、ちょうど遷宮の日は大変な雨だったそうですね。

すごいですね。

 

出雲大社には、大黒様をお祀りするための社だったとか、たくさんの大黒様の像を展示されていて、高村光雲など著名な方々の作品もあり不思議な感じがしました。大黒様と恵比寿様が親子だったとは…と、いろんなお話を伺ったのですが、確認してみようと思ってはいます。

 

もうひとつ、ちゃんと調べてみようと思ったのは青い光。

何のことだろう…?と思わされました。

 

須佐神社にて

写真に撮っていいのか…と考えましたが、写してみました。神様が写っていると思います(笑)
写真に撮っていいのか…と考えましたが、写してみました。神様が写っていると思います(笑)

 

 

 

こちらの社は上から写真を撮らせていただきました。

徳川家光が建立したとか。日光東照宮に通じるような彫刻がたくさんありました。

日御碕神社

日御碕神社の彫刻

 

こちらの写真は

出雲大社です。神々しい太陽と共に。

DSCF5259

伊勢神宮は写真を撮ってはいけないといわれます。

ですから、いいのかなぁ…と少し思いながらも、写させていただきました。

青い光が入ると、須佐神社でタクシーの運転手さんがおっしゃっていましたが、この出雲大社の写真の方が青い光が入りまくっている気もします。

 

青い光って何かしら?

夜寝る前とかに、手をかざして見ていると手の廻りから青い光が手の形で見えたりってしませんか?

普通じゃないのかなぁ…子どものころよく眠る前に手を見ていると手の輪郭に青くなっていて、夜っておもしろいなぁ…って思って見てましたね。

 

本当に人の多い一日でした。

帰りは自分たちで…との、出雲大社から帰るとき、電車に乗るために並ぶ…なんと駅から飛び出て並んでいるのに続いたのです。こんなに人が乗れるの???1時間に1本の電車で、ぎゅうぎゅう詰めになりながら帰りました。乗るために30分並びました。出雲大社前発の切符というのがレトロに記念切符みたいに選べるようにもなっていました。

北海道だったか、幸福駅だったかなぁ…昔うかがって、ここの切符が…なんて、聞いたことを思い出しました。

何か持っているものを貼るといいなんて、定期券を貼った気がします。懐かしい…。

 

親を安心して預けられる病院づくり

昨日、『カンブリア宮殿』を拝見していました。

 

すごいなぁ…。

 

大塚宣夫さんが、「親を安心して預けられる病院」づくりを目指して、33年前に創設し、続いている病院だそうです。
全国の病院の多くが赤字に苦しむ中、突出した理念とビジネスモデルで、超高齢化社会の介護・医療界に一石を投じ続けているとサイトを開いたら書いてありました。

 

この人の「気持ちだけの介護は、患者も家族もつらい」という言葉はいただけないなぁ…って思います。

ただ、スペシャリストのスペシャルなサービスのすばらしさはしみじみといいなぁ…って思いました。

 

テレビを拝見しながら思ったことは、患者さんの表情が柔らかく優しい。

美人が多いなぁ…と高齢者の顔を見ていました。

人生最後のステージを幸せに生きる。

4人部屋で1ヶ月60万円。医療保険と介護保険が使えるから、32万円。

 

先日は、貧困層の医療に取り組む医師を取り上げられていた番組を拝見していたので、正反対。

どちらもすごいなぁ…と思います。

実際に提供するサービスの基本が、どちらも患者サイドに立って考えるという点で共通。

 

自分の親を安心してあずけられる施設。

あえて病院といわない。ちゃんと生活していただく。

 

テレビですごいなぁ…と思って見ていたこと。

 

お顔が優しい…美人な高齢者たち。

お酒も楽しめる。

寝たきりになる可能性高い…というか、そんな状況になって当然みたいに思われる人たちも座らせる動かす

番組の中で、寝たきりの方が対応も楽。もしかしたら、本人も楽。だけど、動かす…

 

食べたいから食堂まで行く。

もっと…次を楽しみにできるから生きる。

 

他界された後にどうだったか…サービスなどを振り返るってすごいなぁ…

 

ゴージャスさを求めるのではなく、患者さんの幸せを求める。

基準より4割多い人材配置。

 

最晩年の生活をいい状態に過ごしてもらう

きっと、誰もが思うところだと思うのです。

提供方法っていろいろあるとは思うのですが、一つだけ、確かにそうかもしれないけど…素人の家族が面倒をみることがベストではないかもしれない。それは否定しない。ただ、気持ちがあれば、どうしたらいいか…と追求していけるはず…とは思いたいですね。もっとどうしたら相手にとっていい介護ができるか?これを素人だから追求できないとは思いません。サービスの一番根底として、多分気持ちあるからやっているはず…そこに確かに介護や看護のスペシャリストそして医療のスペシャリスト…ありとあらゆるスペシャリストが働いて提供するサービスと家庭でできることを一緒とは言いませんが。

 

お庭の花々を楽しむ。

散歩したいという。

おいしいから全て食べることができる。

 

ありとあらゆる幸せがあるなぁ…って思います。そのどれかが、誰かに引っかかると素敵。

高齢者の方々のお顔がきれいなのは…テレビ用かもしれないけどなんて、疑ってみたとしても、一日だけで生み出される表情ではないと思うのです。

 

もっといろんな取り組みをしている介護施設や病院もあるとは思いますが、一つの形として、高齢者が行きたくなる…家族がお願いしたくなる…それは十二分に伝わってきました。

 

青梅慶友病院

 

村上龍さんの編集後記に次のようにある。

わたしたちは、往々にして、青梅慶友病院の快適な居住スペースや、おしゃれなファッション、吟味された豪華な食事などに目を奪われる。だが、大塚先生が作り上げた医療ポリシーの最大の特徴は、人生の最終楽章にいる患者さんの、人としての尊厳を回復・維持すること、そのために可能な限り自立を促し、支援することにある。高齢者との関わりにおいて、助け合い、支え合うことはとても大事だ。だが、助け合いと依存は違う。自分の力でベッドから起き、自分で食事をして、美しい花が咲き乱れる庭を自らの足で歩く、それがどれだけ素晴らしいことか、大塚先生は熟知している。人に対し、可能な範囲で自立を促し、それを支援すること、それは医療や介護だけではなく、社会全体の規範となるべきだと思う。

そう、居住スペースのすごさ、ファッショナブルな高齢者、ご馳走…だけなら、いっぱいあるかもしれない。

いろいろ課題は抱えていらっしゃるとは思いますが、ある意味女性の競争心をあおってサービス向上につなげているなぁ…とは思わされました。

 

次のようにサイトにありました。

当院がめざすもの

私達は“豊かな最晩年”の実現をめざしています。

豊かな最晩年のための4つの柱

1. 高齢者にふさわしい医療
2. 看護、介護、医療の一体的提供
3. 尊厳が守られる毎日
4. 自分の親を安心して預けられる場所
だそうです。 

『人生の最期は自分で決める』という本も出ているみたいですね。

企業は…という言い方は悪いかもしれませんが、本当にどうしたらよりよいサービスを提供できるか?と努めた会社が成功していく…。トコトン突き詰めるって、大変だろうなぁ…って思います。だけど、それをよいと言ってくれる人たちがいるからできる。そう思わされました。

 

こんな素敵な最晩年。親にさせてあげたいなぁ…と子どもが思う…本人の希望だけで動いていく話も有るとは思います。だけど、ここで過ごさせてあげたいなぁ…と親に対して思うことだけでも、すごいと思うのです。金銭的なゆとりが少しは必要な話だったりするとは思います。でも、素敵に思える状況を自分が過ごしたいと思うのか、過ごさせてあげたいと思うのか…。子どもたちにどう思ってもらえるかを考えるというのも、大切だろうなぁ…って思いますね。

 

どんな施設でも、また、どんなサービス提供者も、ベストを尽くしているところはたくさんあるとは思います。その一つを拝見できてよかったです。

 

高齢者の方々の表情が本当に穏やかで優しい。

それが本当に幸せなサービスが存在している証拠だろうなぁ…って思いました。

 

年を重ねてきた方の美しさを感じました。

 

ありがとうございます。

キャスターが見たベトナム by宮川俊二さん

これは、昨日のシンポジウムで伺ったお話。

キャスターが見たベトナム」というタイトルでお話がありました。

きっと、どこかで内容は披露されるのだろうって思います。

私は自分が気になったことだけ調べながら…って書きます。

1989年にベトナムに古い日本のミシンを贈ろう

という活動があったそうで…私は知りませんでしたが、母は何かで知っていたようです。

1988年12月3日  朝日新聞(夕刊)女性の連帯『ミシンを』中古品も不足のベトナムへ ~かつての愛機差し出す人続々~

1989年3月3日  朝日新聞(夕刊)愛のミシン、深まる交流 ~全国に広がったベトナム支援運動~市民レベル、実り多く

1989年5月号  タイムズ ベトナムにミシンを送ろう ~市民による平和のかけ橋~に下記のものが載っていました。

文章は、そちらのサイトで読んだ方がちゃんと読めます。

1989年3月1日 読売新聞 ベトナム・名古屋 「ミシン」持参の主婦外交 戦争未亡人や孤児のため

グエン トリ ユン(NGUYEN TRI DUNG)さんと高橋ますみさん。

 

ブンタウで、ミシンが5台あったら活動ができるというベトナムの女性たちの声を受けて、高橋ますみさんが古いミシンを集めている話を、宮川さんは名古屋で勤務していた時に知り、ご自身がされていたラジオ番組で呼びかける機会をつくったのだそうです。

そんな始まりからご縁を持って、ベトナムに届ける取材も、カメラマンと二人で行ったのだそうです。

1975年 ベトナム戦争終結。

1978年末にはじまるカンボジアへの侵攻によって国際的に孤立していたそうです。国際社会からの強力な外交圧力と経済圧力の下、ベトナム政府は一連の経済改革と外交政策の改革を行い、1989年9月にカンボジアから撤退することになったという時代背景もあるようですね。

 

ベトナム戦争と、カンボジアへの侵攻…いずれも、どんなことがそのような事態を招くに至らせたのかという本当のところを私は知りません。

ただ、その当時、日本でベトナムで取材できていたのは共産党系の1社のみだったんだそうです。そこに、市民ボランティアのことによる取材ということで、取材ができたのだそうです。

手で縫うしかできなかったところに、ミシンが使えるようになり、さまざまな製品ができるようになった。さらに得たお金で、工業用ミシンを購入したりして、電気ミシンも活用できるようになった人達は、進出してきた工場で働けるようになっていた。

ミシンがそんなに影響力があるとは…って、驚かされるお話でした。

 

足踏みミシンを修理できる人達がまだいたこと、バブル時で日本では古くなったミシンを捨てたい人達がいたことなど、日本の事情もベトナムの事情ともちょうどWINWINだったんだ…と伺いながら思いました。

 

いろんなものの見方ができるとは思いますが、一つのお話をうかがえてよかったです。

 

花嫁道具にミシンを持たせ…って時代背景。そのミシンをフル活用して子ども達の服などをつくって…バブル時代には捨てるように言われて…聞いていて母のことを思うのでした。それでも、捨てなかった母。思い入れの強いミシンを壊したのは私でした。

父方の祖母は、戦後なのかなぁ…?洋裁を教えていたとか。

母方の祖母も、母や叔父の制服なども縫っていたと聞いています。

昔の人達って何でも作っていたんだ…と感心するのですが、ベトナムの話を伺いながら日本もそうだったのかもなぁ…なんて、明治時代の話などを思ったのでした。

 

私の縫い始めは、フェルトでマスコットを縫うとかで小学1年生の頃かなぁ…縫うとか編むとかなんか身近にしているのを見ていたのです。ミシンが使えるようになって喜んでいたら、雑巾縫って学校に持って行く…というのも私の仕事になっちゃいました…とか思いだされます。

 

でも、高校の時の家庭科で、自分で課題のスカートを縫っていない人の多さとか、卒業して知りましたねぇ…。

教え初めの時に、持ち帰らせないとか、持ち帰って家族が縫う…驚いていたけど、気付いていないだけの私はもうすでに同級生達がそんな感じだったのですねぇ~。

 

今は、雑巾も買う時代だろうなぁ…。

そう思ってみると、縫えないのが当たり前?

ボタンつけもお金を払う時代ですよねぇ…。10年位前にお聞きしたお話。その方の奥様は洋裁を学ばれていたそうで、背広などちょっとした傷みも全て表面に目立たないように繕い使っていけて有難いという話をされていました。そんな話をお聞きしながら、そんなプロフェッショナルにつくろえるのはすごいなぁ~って自分ができるとは思えないので伺っていました。

だけど、4,5年前に高校生にアンケート。ボタンが外れたら…って、捨てるという声がいっぱい…そう、基準は私の感覚ですが、私にとってはいっぱい…と思えるデータでした。このデータはオープンにしていいのかなぁ…?数値くらいはいいのかなぁ…?でも、そのアンケート結果に一緒に驚いた当時の高校生達も多かった。

今、どうでしょう…?

 

有名私立のお受験では、手作りバッグが必需品なのだとか。

そうやって、手作りバッグが高値で売れているそうです。すごいですよねぇ~。でも、手作りってそうですよねぇ~。

 

そういえば、全く関係ない話かも…中国での縫製が値上がりしていく…という話、ベトナムへ…カンボジアへ…なんていう日本で市販される衣類の縫製がどこで行われているか?多様化していると思うこともこんな話と関連?

そして、お手製絨毯が値上がりしていってる…って、確かペルシャ絨毯の値段が上がっているそうですね。IT化など進んでいくと、そんな重労働は嫌がられるようになると伺いました。

 

ドンドン手作りの希少価値は上がっていく?

 

それでも手作りで作っていただける有難さを知っている人たちが、お金を払って作ってもらう…希少な世界に…というヨーロッパものブランドたちも同じでしょうね…。

 

 

 

 

中島潔

見に行きました。「生命の無常さと輝き」展。

 

実は、京都清水寺成就院で見ることができる…?って思っていたのですが、夏なかった

 

ただ、感謝。なかったお陰で、成就院のお庭「月の庭」を堪能。そして、襖絵たちを今回堪能。別々に拝見できた上で、一緒に拝見…できたらきっと違う感動を覚えるだろうなぁ…って思います。

 

そして、正直、中島潔さんの絵、なんか暗い…というか、表情は明るくないのはいろいろあると思うのですが、なんか暗いなぁ…と思っていたのですが、近年作品は変わっていた…。

明るいというか、表情が大きく変わった…?わからないから、戻って見直ししました。大きく表情が変わっている感じを受ける…?それはないかもしれませんが、出している雰囲気が違う。

見ていて、昔の?絵には「うめきち」とアルファベットで描いてあるものがいっぱい。だけど、2010年以降のものは、「からつ」と書いてある…。あと、「KEEP UP」と書いてあったりする。

他の言葉も書いてあるものあったけど、書かれた文字が違うなぁ…って思わされました。

 

パリ帰国記念展が2002年にあった。そのときにも、『大漁』というタイトルあったのです。それを彷彿させる感じ。

と、『大漁』は金子みすずの詩に関するところ。

 

大漁 金子みすず

朝焼小焼だ

大漁だ

大羽鰮の

大漁だ。

 

濱は祭りの

やうだけど

海のなかでは

何萬の

鰮のとむらひ

するだらう。

京都・清水寺成就院奉納襖絵/第四室「大漁(金子みすゞ)」(部分)

月明かりで目がひかる…そんな想定なのだとか。

 

月の庭にかぐや姫…。

 

お寺とこの襖絵どうマッチしているのだろう…?なんて思わされたのでした。

だけど、この完成そして肺がん闘病後の絵はなんかいいなぁ…って思いました。

 

いろんなこの人の絵を知っているわけではありません。だけど、唐津くんちの絵は、ある意味驚きでした。

あと、恐らく、東北大震災に対して描かれている絵?と思わされるものがありました。「岩手」など地名が描かれていました。

前向きでなんとなく力強さを感じるような…そんな感じを近年の絵に感じさせられました。

 

 

 

 

 

 

河津桜

ノートにメモをしたことを見ながら思うのです。

ノートにあっても、私が忘れていると、結局、検索…と頭に残っているキーワードたちと一緒に探さないといけないんですよね。そういう意味では、私が覚えているキーワードとそのものがつながっている情報がインターネット上にある。それは、私にとって、覚えているキーワードとそのものの名前がつながるツールになるということ。せっせとネット上にアップする価値ありのことです。

 

静岡県賀茂郡河津町で毎年3月上旬に満開になるピンク色の桜。

本州一の早咲き桜。

河津桜の原木は、河津町田中の飯田勝美さん(故人)が1955年ごろの2月のある日河津川沿いの冬枯れ雑草の中で芽咲いているさくらの苗を見つけて、現在地に植えたものだそうです。

1966年から開花が見られ、1月下旬ごろから淡紅色の花が約1ヶ月にわたって咲き続けて、近隣の注目を集めたんだとか。

1974年にカワヅザクラと命名されて、1975年に河津町の木に指定されたのだそうです。

これは、たまたまの卒業式に使われていた桜。3月上旬に満開ってすぎなぁ…と思っていたら教えていただいた名称。

松の盆栽という卒業式を体験することが多かったのですが、壇上に花が活けてある学校でのこと。こんな時期に満開になる桜って何だろう…?と思っていたところに教えていただき、調べてノートにメモしていたものからでした。

 

カワヅザクラの原木は、伊豆急河津駅から天城山へ向かって1.2kmの地点、河津町田中の飯田氏宅の庭にあるんだそうです。

1999年(平成11年)現在の樹齢約50年、樹高約10m、樹巾約10m、幹周約115cmとのこと。

河津桜まつり公式サイトから。

河津桜の特徴
 河津桜は、寒緋桜と早咲き大島桜の自然交配種と言われており、樹形は広卵状で樹皮は紫褐色で光沢がある。花形は平開形で一重のやや下向きであり、花弁は5枚の円形で無毛である。

色は蕾の時は濃紅色だが、満開時は淡紅色になる。

こちらの文章は、河津町の観光情報から。