パフォーマンス評価

昨年夏に受講した研修会記録。

2016年12月21日に出た答申「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について」より。

「資質・能力のバランスの取れた学習評価を行っていくためには、指導と評価の一体化を図る中で、論述やレポートの作成、発表、グループでの話し合い、作品の制作等と言った多様な活動に取組ませるパフォーマンス評価などを取入れ、ペーパーテストの結果にとどまらない、多面的・多角的な評価を行っていくことが必要である」

新しい学習指導要領の考え方-中央教育審議会における議論から改訂そして実施へ-

各教科等において習得する知識や技能であるが、個別の事実的な知識のみを指すものではなく、それらが相互に関連付けられ、さらに社会の中で生きて働く知識となるものを含むものである。

基礎的・基本的な知識を着実に習得しながら、既存の知識と関連付けたり組み合わせたりしていくことにより、学習内容(特に主要な概念に関するもの)の深い理解と、個別の知識の定着を図るとともに、社会における様々な場面で活用できる知識として身に付けていくことが重要となる 。

キーワード

「逆向き設計」論

パフォーマンス評価

主体的な学び、対話的な学び、深い学び

 

 

できるだけシンプルに

シンプルのレベルが難しい話だった。

 

画像貼り付けがやっぱりうまくいかないなぁ…と思わされるので、やっぱりちゃんと見てもらわなきゃいけないなぁ…

 

心肺蘇生法

こないだテレビで『相棒』をふっと見てました。男の子が誘拐?行方不明になって、その子と老婦人を探す…。

話の展開を見ていて、途中で不思議な感覚になったので、つい最後まで見ました。

 

ストーリーの組み立て方が犯人死んで始まっている。いくつかの話の流れがまとまっていく感じ…。

 

本筋の方で気になったのは、2つ。

ひとつは、やっぱり簡単に子どもがいなくなっているようで…と早々に捜索隊を要請しても事件性が認められない状況だと捜索隊は出ないんだ…ということ。

もうひとつは、早々に死ぬかもしれないと予告されて子どもを育てること。病院もだけど、占いなどでも、余命宣告などをどう受け止めるか…ってあるよなぁ…なんて、本人だけでなく家族の思いを考えさせられました。

 

 

犯人の死亡と交通事故と…って、犯人も子どもの死ぬかもしれない…という点では、交通事故を起こし犯人を殺した人の罪の方が大きい…?など考えながら、ひとつの事故が単純に問題を作り出すのではなく、いろんなことが重なり合って最悪な事態が起きる。

そうおもわされたりもしました。

 

 

さて、私が気になったのは『心肺蘇生』の話。

 

心肺蘇生の手順というのは、習って記憶に入っている。というか、毎年のように聞くとできそうな気がする。

実際に、高齢者の方が倒れている…という場面に遭遇して、息はあるとか、救急車がくるまでに気道確保と体が冷えないように…

心肺蘇生を人形以外にしたことはありません。

 

人形にする…といろんなタイプの人形があって、少しでもずれたら反応しないだけでなく、圧がかかっていないと判断されるとセンサーが色で表示…など、どれくらい力が必要なのかという体験をして、大変なことだと胸骨圧迫をすることへのイメージはありました。

 

ドラマのことですから、まぁ…生き返るよねぇ…きっと…なんて思って見ていたのですが、生き返ってその後に「うごかないで、おそらく肋骨は折れているでしょうから」

えぇ…肋骨折れているの…?

 

正直、肋骨が折れることもあるとは研修で聞いていたなぁ…って思います。だけど、子どもだからかなぁ…と見ていました。

 

翌日、なんと心肺蘇生の講習会。そこで、8割くらい肋骨が折れるという話を聞かされました。そうなの~?ドッキリです。

そして、初めて、それまでも救急車が到着するまで…と、6分とか時間を聞いていましたが、手でする方法ではなく、足で胸骨圧迫してもいいからやり続ける。救助者の体力にも限界があったりするから、両手でやり続けることが無理ならば足のかかとで…というお話をうかがいました。

同じ時間で何を話し伝えるかは人それぞれだとは思いますが、テレビで肋骨が折れることもある…子どもなら仕方ないのかなぁ…と思ったら、折れない方が珍しいんだ…と記憶。

 

ビックリして覚えたので、冗談のように…その後、倒れても私は救助できませんよ…なんていいながら、そういえば…と、胸骨圧迫って肋骨が折れるのですねぇ~って話をしていたら、折れないと助からないよ…くらいに言われてビックリ。心臓に圧をかけるって中途半端ではないのですねぇ…。心臓を取り出してもむと良いのではなんて笑い話…のように伺いながら、嘘…って衝撃を受けていたのに、折れないと助からない…なんて…それくらいの圧を必要だと思えば足で続ける…ホント大事だなぁって思わされました。衝撃的でした。

 

AEDの使い方…と、テーブルの上に人形を置いて、電気ショック…って、人形が浮いているのを見ると、ホントこんなに電流を流すんだ…とか、人命を助けるという所作を本当に実際にしている人たちが教えてくださっているとは思いますが、衝撃的な話ってオブラートに包まれる…たとえば「肋骨が折れることもあります」と言われると、折れないのが前提に意識してしまうなど、現実認識が正確でなければ、人形相手に実際にやってみた…と言ってもできないなぁ…と思いました。

 

骨が折れることもあるとしか認識していなかったら、力あまり入れないと思います。

だけど、

「折れて当然、肋骨を折ってでも大人の胸が5cm以上沈むように押す。1分間100回、6分間。」

といわれたら、

躊躇が消えると思います。ちょっとこれだけはメモっておこう…と書いたのでした。

 

判断つかないときはやってみる。やらずに死ぬ…よりやってみて生きている方がいい。

 

子どもだから肋骨折れることもあるよなぁ…ってドラマを見ていた私の認識程度では、人命助からないって思い知ったのでした。

ドラマの中では、助かった子のお姉さんは同じ病気で命を落としていた…と最初に出てきた女の子は幽霊…?とそっちで現実性乏しさを出した後に助かって…とドラマだから助かるよねぇ…って思いながら見てはいたのですが、ドラマだから幽霊が出たりして…助かる???

 

本当に実際にそんな場面に遭遇したとき、ドラマの二人のように心臓マッサージと電気ショックを施すことができるのか?

たて続けに学ぶ機会をいただいてしまいました。

 

 

 

実は、昨年習ったのに…昨年も「気道確保!から始まって…」話を伺いました。

 

だけど、より簡易に…となっているのはいつから?

 

少なくとも100回みたいですね…聞き間違えて記録したのかなぁ…

医師向けかもしれないけど、わかりやすかったです。

平成24年度 生涯学習受講

ずっと始まって毎年受けているのですが、受講している内容等増えていくと、いつ受講したのか…って忘れてしまったり、どなたが講義してくださったのかもわからなくなったり…。

とりあえず貼り付けておけば、探せるかなぁ…。

 

今日も、チラッとむっとしました。たかが家庭科教員!栄養士の免許は持っているらしいけど、卒業後全く研修も何も受けていないし、管理栄養士の国家試験も受けたことがない。ただ、家庭科の教員をしていて教えているだけ…。あんたが習ったときから翌年から内容大幅に栄養学変わっていってるよ~と教えてあげたい…フードデザイン担当者。かつら剥きもできない。ねじ梅もできない。献立作成能力も…低い…ホント…それありえないでしょ…と組み合わせ聞きながら、それでは技術検定受からないよ…と思うけど、私のやっていることではない。とにかく、少しはできるようになってよ…って思うくらいですが、検定指導もしたことがないから…今回3級担当。3人だけだし…で、2級指導して…とりあえず検定委員として外部見てきたら~?って、ホント…できないけど生徒にはいい顔して言う…。やって見せることもできないのにねぇ…残念な人。

 

栄養学も残念…ってくらいに、2005年に変わったでしょ?2010年にも…って多分、根底の基礎栄養学も変わって行っていて代謝についての考え方も変わって行ってるけど、知らないみたいだし…。

「食物」から「フードデザイン」に変わったことで教える中身のポイントも代わっていることすら知らない人。

ホント…残念な…と、それでも栄養士持っているんだよねぇ…。そうやって50過ぎているおばちゃんも…嘘八百教えている…って私が栄養を教えていた後を教えた先生の教えている内容を聞いた瞬間にそれ嘘じゃん…と思ったけど、その学校に自分はいなくなったんだし…否定しても仕方ないのは、それ以上に勉強していないから時代が変わっても20年前の栄養学…を目の前で私より若いはず…でも教えているのを耳にして絶句。

 

そうそう…こうなりたくないから、管理栄養士の研修会にずっと参加しているし、ずっと栄養士会にも所属し続けている。学ぶ機会は、マスコミからではなく、ちゃんと専門性を保てるように…。

そして、調理も…主婦として頑張っている以上の努力していなくて、専門知識を身につけ続ける努力していない…でも、高校生には威張って話すことができる…。そうやって嘘を教えられた人が親になって、くってかかられたから教員に転職したんだよねぇ…私。

酷いなぁ…ってね。でも、教育大学で学んできた人の栄養知識はもっと酷い。栄養教諭の必要性…ホントは学び続けているのならいいんじゃない…って思うけど、学んでいる中身がまず持ってずれている話が教育大学出ている人たちは通そうとする…って絶句…だけど、栄養士持っているなら勉強しておけ!と絶句…とはいえないなぁ…。きっと変わって行ってるのを知らないなら、教育大学出てわけわからない栄養学を正しいと押し通す人と一緒…。

 

そうなりたくないなぁ…って学ぶのも、時間かかって大変。ただ、最先端を学ぶ機会を持ち続ける…卒業して翌年にはいろいろ変わった利した体験を持っている。また、栄養を教えているときに、根底から基準などの考え方も変わったりして…、それなのにそういうのも昔の知識ままで話している…のを目にするとイタイ。

家庭科の技術検定の問題集とか自体が、栄養学の変わっていっているのについていけてない…確かにそんな中身だったりするからなぁ…。

 

 

淡々と…受講して学んでいるんだけど、この研修会の方が専門性高いはずなのに、家庭科の先生たち対象で中途半端なかんじだけど研修会を私立の大学がやって説明した研修会を県は勉強していると評価するの。まぁ…生涯学習研修会は一般の人参加できないしねぇ…。

 

そんな知っていたら言ってはいけないでしょ…ってことが平然とまだまだ家庭科の世界では言われて、「おかしい」という話が通用しない。昔取った杵柄でそこから勉強していなくても、栄養関係の雑誌かじって読んだくらいでもシッタカブッタできるから…。

とにかく学ぶ機会…と受講していて思うことは、栄養の話が食から遠ざかっている…ようにも思えるほど、医療行為の一環だなぁ…という話がいっぱい。

そして、ドンドン変わっていっているなぁ…と毎年のように変わっている…って思う話と、大学のときに基礎的に学んだ…といえども当時では最先端的話のようなことだったものが今や当然のこと…というかんじ。本当に変化に富んでいるなぁ…と思わされますね。

 

シッタカブッタでお話されている基礎の栄養講義をチラッと耳にして、いつの時代から勉強をストップされていたのか、また大学でどの程度勉強していたのかはすぐわかる…くらいに、大学でも勉強していたけど、教えないといけなかったから『栄養』とつく教科書片っ端から買いあさって読んだ甲斐があるくらいに話している人がどのくらいにしか学んでいなくて話しているかはよくわかる。大学での講義で学んだだけで、それ以上に学ぶ努力していなかったら一緒だったなぁ…と、教えるために栄養学徹底的に勉強する機会を持てたことに感謝。

いろいろ受講したものを今思い出したなぁ…。

昔よりいただいた資料等に対して出してはいけない!など、規制ちゃんと言われるようになったりしているのでした。

でも、ホントは、ちゃんと探しやすいように…という意味ではそちらの資料を貼り付けたいくらい。

ただ、インターネット上では誰が読んでいるかわからない。医学や栄養学について知識が乏しい人が勘違いして読んだりしてしまうと、真面目にやっている人にとっては邪魔することになったりするんだよねぇ…。

理解していなくても、一緒に働いているシッタカブッタさんと同じようなことしてくれる人はいっぱいですから…。知る努力はしない。自分が知っている範疇で教えようとする…そうやって、それ違うやろ…と突っ込みたくなる話を耳にして…でも、言っても勉強していないから、その人には通じないんだよね…おかしいってことが。そうならないように…って勉強していても、多岐にわたる栄養学。

 

今日もチラッと耳にして、ん……………と思っても、昔そうだったよねぇ…という点では正しいけど、どんだけ勉強していないんだ…

 

わたしも受講したことをちゃんと覚えるために…って以前は書いていた。ただ、書くのは簡単だけど、読む人が適切に解釈してくれないとき、私が栄養士のときに体験したように…わけわからない「家庭科の先生が教えたというのに違うというのですか」という言いがかりを産む原因になるかもしれない…。今日は、それを思い出させられました。

 

 

キャスターが見たベトナム by宮川俊二さん

これは、昨日のシンポジウムで伺ったお話。

キャスターが見たベトナム」というタイトルでお話がありました。

きっと、どこかで内容は披露されるのだろうって思います。

私は自分が気になったことだけ調べながら…って書きます。

1989年にベトナムに古い日本のミシンを贈ろう

という活動があったそうで…私は知りませんでしたが、母は何かで知っていたようです。

1988年12月3日  朝日新聞(夕刊)女性の連帯『ミシンを』中古品も不足のベトナムへ ~かつての愛機差し出す人続々~

1989年3月3日  朝日新聞(夕刊)愛のミシン、深まる交流 ~全国に広がったベトナム支援運動~市民レベル、実り多く

1989年5月号  タイムズ ベトナムにミシンを送ろう ~市民による平和のかけ橋~に下記のものが載っていました。

文章は、そちらのサイトで読んだ方がちゃんと読めます。

1989年3月1日 読売新聞 ベトナム・名古屋 「ミシン」持参の主婦外交 戦争未亡人や孤児のため

グエン トリ ユン(NGUYEN TRI DUNG)さんと高橋ますみさん。

 

ブンタウで、ミシンが5台あったら活動ができるというベトナムの女性たちの声を受けて、高橋ますみさんが古いミシンを集めている話を、宮川さんは名古屋で勤務していた時に知り、ご自身がされていたラジオ番組で呼びかける機会をつくったのだそうです。

そんな始まりからご縁を持って、ベトナムに届ける取材も、カメラマンと二人で行ったのだそうです。

1975年 ベトナム戦争終結。

1978年末にはじまるカンボジアへの侵攻によって国際的に孤立していたそうです。国際社会からの強力な外交圧力と経済圧力の下、ベトナム政府は一連の経済改革と外交政策の改革を行い、1989年9月にカンボジアから撤退することになったという時代背景もあるようですね。

 

ベトナム戦争と、カンボジアへの侵攻…いずれも、どんなことがそのような事態を招くに至らせたのかという本当のところを私は知りません。

ただ、その当時、日本でベトナムで取材できていたのは共産党系の1社のみだったんだそうです。そこに、市民ボランティアのことによる取材ということで、取材ができたのだそうです。

手で縫うしかできなかったところに、ミシンが使えるようになり、さまざまな製品ができるようになった。さらに得たお金で、工業用ミシンを購入したりして、電気ミシンも活用できるようになった人達は、進出してきた工場で働けるようになっていた。

ミシンがそんなに影響力があるとは…って、驚かされるお話でした。

 

足踏みミシンを修理できる人達がまだいたこと、バブル時で日本では古くなったミシンを捨てたい人達がいたことなど、日本の事情もベトナムの事情ともちょうどWINWINだったんだ…と伺いながら思いました。

 

いろんなものの見方ができるとは思いますが、一つのお話をうかがえてよかったです。

 

花嫁道具にミシンを持たせ…って時代背景。そのミシンをフル活用して子ども達の服などをつくって…バブル時代には捨てるように言われて…聞いていて母のことを思うのでした。それでも、捨てなかった母。思い入れの強いミシンを壊したのは私でした。

父方の祖母は、戦後なのかなぁ…?洋裁を教えていたとか。

母方の祖母も、母や叔父の制服なども縫っていたと聞いています。

昔の人達って何でも作っていたんだ…と感心するのですが、ベトナムの話を伺いながら日本もそうだったのかもなぁ…なんて、明治時代の話などを思ったのでした。

 

私の縫い始めは、フェルトでマスコットを縫うとかで小学1年生の頃かなぁ…縫うとか編むとかなんか身近にしているのを見ていたのです。ミシンが使えるようになって喜んでいたら、雑巾縫って学校に持って行く…というのも私の仕事になっちゃいました…とか思いだされます。

 

でも、高校の時の家庭科で、自分で課題のスカートを縫っていない人の多さとか、卒業して知りましたねぇ…。

教え初めの時に、持ち帰らせないとか、持ち帰って家族が縫う…驚いていたけど、気付いていないだけの私はもうすでに同級生達がそんな感じだったのですねぇ~。

 

今は、雑巾も買う時代だろうなぁ…。

そう思ってみると、縫えないのが当たり前?

ボタンつけもお金を払う時代ですよねぇ…。10年位前にお聞きしたお話。その方の奥様は洋裁を学ばれていたそうで、背広などちょっとした傷みも全て表面に目立たないように繕い使っていけて有難いという話をされていました。そんな話をお聞きしながら、そんなプロフェッショナルにつくろえるのはすごいなぁ~って自分ができるとは思えないので伺っていました。

だけど、4,5年前に高校生にアンケート。ボタンが外れたら…って、捨てるという声がいっぱい…そう、基準は私の感覚ですが、私にとってはいっぱい…と思えるデータでした。このデータはオープンにしていいのかなぁ…?数値くらいはいいのかなぁ…?でも、そのアンケート結果に一緒に驚いた当時の高校生達も多かった。

今、どうでしょう…?

 

有名私立のお受験では、手作りバッグが必需品なのだとか。

そうやって、手作りバッグが高値で売れているそうです。すごいですよねぇ~。でも、手作りってそうですよねぇ~。

 

そういえば、全く関係ない話かも…中国での縫製が値上がりしていく…という話、ベトナムへ…カンボジアへ…なんていう日本で市販される衣類の縫製がどこで行われているか?多様化していると思うこともこんな話と関連?

そして、お手製絨毯が値上がりしていってる…って、確かペルシャ絨毯の値段が上がっているそうですね。IT化など進んでいくと、そんな重労働は嫌がられるようになると伺いました。

 

ドンドン手作りの希少価値は上がっていく?

 

それでも手作りで作っていただける有難さを知っている人たちが、お金を払って作ってもらう…希少な世界に…というヨーロッパものブランドたちも同じでしょうね…。

 

 

 

 

あじわい尽すベトナム国際シンポジウム

友達からいただきました。

正直、自分でこんなに可愛らしくデコレーションされたバッグを購入するか?

実は、自分では買わないと思います。

いろんなものを購入して使ってみますが、かわいいからバッグを選ぶ…より、実用重視のものが多いです。

そういう意味では、私のところにはこんなに可愛らしいけど…といっても、手に入れないだろうバッグをいただいた初おろし。

シンポジウムに参加しました。

なぜ、このシンポジウムに参加しようと思ったかというと、やはりこのバッグが引き金。

友達がくれたバッグはベトナムの作家さんのもの。

友達はベトナムの通訳などしていて…本も出している。

そんな友達を通して、お話させていただいたベトナムの人と知ったベトナムのこと、そして、その時にいただいたベトナム料理、正直それ以上には…詳しいことをあまり知らない。詳しく尋ねよう…というにも、何をどう聞いていいのか?それすらわからないくらいに関心がありませんでした。詳しい人は身近にいても、知りたいと思わないと尋ねることはないですね。

ただ、ベトナム雑貨について読んだ本がお陰様で面白かった。だから、少し興味を持っていたこともありまして、バッグをいただいたこと、そして、たまたま見かけたチラシ。全てが重なって、至った結論…それはちょっと聞いてみよう~でした。


途中からしか参加できなかったので、ちゃんと聞けていません…、ヴー・フィ・ムン氏の講演とその後は面白かったです。

 

1973年に正式に日本とベトナムが国交樹立。そして、それから来年で40周年と知りました。

 

 

宮川俊二さんの「キャスターが見たベトナム」という話は、バッグを機に拝聴しに行った私にとってとても有意義なものでした。

もう少し詳しく調べてみたいこともできましたが、ベトナムの私が手にしたバッグも、もしかしたら、この宮川さんがお話されたミシンについてのことが関係しているのかも…。そんな延長線上のもののように思えて、すごいなぁ…。

 

ベトナム料理もきっとこんな時に食べた方が日本人向けにアレンジされていないはず…そういう意味では、近くにベトナムのことを詳しい人がいなくてもこんな味なんだ…と知るにはいい機会でした。

自分たちが食べやすいようにアレンジしているまた、日本人受けがするようにアレンジされているものが多いのは商売として必要だろうけど、実際は?なんて知りたいときは現地へ行かなくもココに行けば…なんてお店があるのってある意味必要だろうなぁ…と思うのです。日本料理も、中華風?韓国風?日本料理を海外で食べたりしたとき思いました。まぁ日本で通じると言っても日本料理もさまざまだから、ベトナム料理もさまざまだろうとは思いますけど。

日記代わりに感謝をこめて…は、遅れていったのに参加させていただいたことに感謝。

そして、きっかけをくれたバッグに感謝。

チラシをアジア美術館で発見したラッキーに感謝。

素敵なお話たちに感謝。

素敵な料理に感謝。

そして、抽選会がありました。

なんと、あたりました。感謝。

サイズは、入る人が使ってくださいとのことでした。

ん…

その場で履いた時はシンデレラのお姉さんの気分に。

でも、家に帰って、履いてみたら何とビックリ。ちゃんとジャストサイズ。

感謝。