打ち水、逆効果も?

新聞で熱中症予防ということで書いてある。日経新聞2012年8月12日。

「熱中症予防へ体感温度に注意」ということで書いてあるなかに、「打ち水、逆効果も」という小見出し。そうなの…?

 

 産業技術総合研究所が猛暑日の投稿をモデルにシミュレーションした研究では、午前10時や午後1時に大量の打ち水をすると、体感温度はいったん下がった後に急上昇し、一時的に高くなった。水の蒸発による温度上昇の影響が大きいためだ。

 午後5時に打つ水をした場合は継続的に下がった。暑さをやわらげる為の打ち水は夕方がよさそうだ。この研究では体感温度を気温。湿度、風(気流)、周囲から伝わる熱、服装などから計算している。

とのこと。

 また体感温度は一般に女性より男性の方が高いと言われる。人が快適と感じる環境の温度も性別、生活習慣、出身地域、個人などによって違い、季節による変動もある。

 横浜国立大学の田中英登教授が20歳前後の男子大学生を対象に調べたところ、快適環境温度は春から夏に向けて上昇する傾向があった。体が暑さにだんだん慣れていくため。ただ、運動の習慣がある人の場合で、習慣がない人では上昇しなかった。

 

 

夏季における計画停電の影響と空調節電対策の効果を評価

- 業務・家庭2部門のエアコンを始めとする最大電力需要を同時に評価 -

社会とLCA研究グループ  研究員 井原 智彦
素材エネルギー研究グループ  研究グループ長 玄地 裕

 

計画停電と空調節電対策(速報)(8): 水の利用(打ち水など)

朝夕の打ち水は局所的に暑さを緩和させる効果があるものの、昼間(13時ごろ)に大規模に打ち水しても節電効果は小さいことが分かりました。昼間の大規模な打ち水は大きな蒸発を招く一方、水蒸気が拡散できないために、湿度の上昇の方が気温の下降よりも数値が高くなってしまい、最大電力需要はわずかに増大してしまう結果となりました。

読んでいて、ん…。打ち水ってそれだけが目的だっけ…?と思ったのでした。

 

 京都の打ち水

 1970年代頃まで、京都の町中(まちなか、ここでは、市内の住宅と商家が密集している地区で、かつ伝統的なコミュニティーが残存しているところを指す)では、打ち水はかどはき(自家の前を掃ききよめること)とともに、毎朝の大切な仕事であった。京都では一般的に水まきと呼ばれた。一家の主人や主婦、隠居、子供、奉公人などその家の担当する者が早朝に家や店の前を清掃し、その仕上げとして水をまく。その結果、町内の道路が清められ、しっとりと水を含むという状態になった。道路が凍るおそれのある真冬は行わなかったが、夏場は涼を取る目的で夕方も水まきが行われた。

 いわゆる「かどはき」と「水まき」を行うのは自分の家の前だけで、隣家の領域にまで及んでは失礼であるという暗黙の了解があった。家によって朝の清掃の時間は異なるので、自家が早く掃除を済ませたからといって隣家の分まで行うのは、結果的に隣家に心理的な負担を与えてしまうという気遣いからである。

 1960年代中頃まではバケツに水をくみ、ひしゃくで水をまくことが普通であったが、1970年代頃になると、水道からホースをひいてまく家も増えた。しかしその後、伝統的なコミュニティーが失われていくにつれ、次第に町内の道路すべてが水をふくんでしっとりとぬれているという状態はなくなっていった。現在(2005年)ではごく少数の伝統をまもる家、老舗などが朝夕の打ち水を行っている。

これはウィキペディアの「打ち水」の文章です。

 

打ち水の科学 著者:近藤純正

ここまでちゃんと計算式出してやっているページを見ると、本当に日常のことをいかに科学的に見ることができるか?ということを思わされますね。近藤純正

 

打ち水の要件定義書「居住スペースの両側に庭がある」

京町家模型で確かめる打ち水の科学::(2011.08.18)

居室空間の両側に庭があることが、打ち水には大切な要件なんだそうです。水を撒くのは、家の前の路地ではなく、居住空間を挟む「(高い壁に囲まれた)細長い庭」というのが京町でのことのようですね。

 

打ち水に関する電力不足緩和について

こちらは(財)電力中央研究所社会経済研究所ディスカッションペーパーだそうです。打ち水による電力不足緩和について

 

昼間に水道代使って…意味がないなぁ…というのは正しいみたいですね。

砂ぼこりをおさえる。また、地表の温度を一瞬?下げる意味はあると思いますので、はだしで土の上を歩く…などする時はいいかもね。

アスファルトの上に夏、膝をついて火傷したことが昔ありましたね。そんなことは防げるのでは?

 

目的によるでしょう…。

 

打ち水のイメージって、朝夕。

経験的に効果的な方法もちゃんと昔はわかっていたのでしょうね。

 

 

来たときよりも美しく

新聞で読んでも、早々に対応しておかないと、忘れて…どこかに行ってしまいます。

その前に…

日本経済新聞2012年8月9日付けの春秋に次のようなことが書いてありました。

 「来たときよりも美しく」。簡潔で力強いメッセージが、ストレートに伝わってくる。そのためであろうか、今でもときおり、観光地の看板などでお目にかかる。この「ゴミを拾おう。持ち帰ろう」の精神は、ロンドン五輪で活躍が続く日本のサッカーとも関係が深い。

そんな始まり方だったのです。ロンドン五輪でも「ゴミを拾おう。持ち帰ろう」って書いてあるのかしら?なんて疑問を持ちながら。

 初めてワールドカップに出場した1998年フランス大会でのこと。熱心な応援の跡で、チームのシャツと同じ青色のポリ袋にスタンドのごみを集める日本人サポーターの姿が、驚きと称賛をもって海外メディアに取り上げられた。当時の報道に、「これこそフェアプレー」「入場前より試合後の方がきれい」などとある。

正直、このことを知りませんでした。

それで調べて見つけたのはこの質問。

サッカーの親善試合の日本代表戦で試合終了後にクリーンサポーターを集めてゴミ拾いしますが実際…

そこにあった回答を見て、それから…としりました。

フランスワールドカップの時は、試合自体は3戦全敗でしたが、サポーターのマナーは世界一と地元メディアに絶賛されました。ですが、去年の南アフリカワールドカップでは、ベスト16入りし世界を驚かすことに成功した反面、パラグアイ戦の試合終了後の日本人サポーター席ではゴミが散らかったままだったそうで、せっかくの日本代表の活躍に水を差す結果となってしまいました。

そうだったんですねぇ…。

1998年→2010年の違い?

海外では日本人サポーターはどのように評価してますか?2002年FIFAW杯日韓共催の時に日…

こちらで、それ以外のお話も知りえました。

8仏W杯のクロアチア戦、日本の予選敗退が決まった時、勝利に喜ぶクロアチアのサポーターに対して日本のサポーターから「決勝リーグ進出おめでとう。同じリーグを戦った戦友として、日本はクロアチアの今後の健闘を祈ります」
と英語の横断幕が張られた。
そして、日本側から 「クロアチア・ちゃちゃちゃ クロアチア・ちゃちゃちゃ(拍手)」というエールが送られた。
期せずして、クロアチア側からも 「ニッポン・ちゃちゃちゃ ニッポン・ちゃちゃちゃ(会場全体が大拍手)」という状況になった。

はぁ…

当時、今もかもしれませんが、そんなことを知りませんでした。

新聞の春秋欄で知った次第です。

 「ゴミ拾いは日本のお家芸です」。NPO法人「もう一つのプロジェクト」代表、市川真也さんはこう話す。企業や自治体が音頭をとり、市民がイベントとして気軽にゴミ拾いに参加する国はほかにないという。市川さんも各地の大学生が参加してゴミを拾いながらたすきをつなぐ、もう1つの箱根駅伝を毎年開いてきた。

そんなことを取り組んでいらっしゃる方がいたのですね…。

市川さんはいまロンドンにいる。五輪閉幕の翌日から、日本の仲間たちとゴミ拾い駅伝で五輪会場をめぐる予定だ。「日本生まれの駅伝とゴミ拾いを組み合わせたスポーツカルチャーとして、世界に広めていきたい」。五輪種目にはならないだろうが、若い人たちのユニークなアイデアと行動力に金メダルを差し上げたい。

と、この文章を読んでいなかったら、私は全く知りませんでした。

ゴミ拾い駅伝

花火大会…って翌日ゴミ拾い…

本当に何かイベントの跡に残るゴミたち。本当はそうやってゴミを残していく個々人が問題なんだとは思います。だけど、イベントとして取り組んでロンドンまで…すごいなぁ…。

 

ゴミ拾いするよ!って、道路の間の植え込みをゴミ拾いしたり

街中をゴミ拾いしたり

川の土手などをゴミ拾いしたり…

いろんな学校で、私にとっては仕事だし…とでも、渋りたい思いの生徒たちとそれでも精を出してゴミ拾いをした時、すがすがしく思う…のは、やっつけ仕事にしないからかな。やるからには…トコトン拾ってみると、爽快というか、きれいになった…というキレイが今までと違っていく体験をしましたね。そういう意味では、進んでゴミ拾いをイベントとして取り組んでいる人達がいる。凄いなぁ…。

今回のオリンピックのサッカースタンドはどうだったんだろう?

 

人が多くて、ゴミ箱に捨てたいと思ってあふれていることがあったりもしますね。

 

「来たときよりも美しく」とよく耳にしますが、海外へ行ってもそうしている…すごいなぁ…って思わされました。

 

 

これって誰が言い始めた言葉なんだろう…?

調べてみたら英語に訳したいという質問を発見。

leave everything cleaner behind you!

keep everything cleaner than it was!

どちらがいいのかなぁ~?

私は前者がいいなぁ…と思わされました。ニュアンス的にあってそう…。

” Leave No Trace Principles “

というのかしら?こちらが正しいのでしょうね。

Leave No Trace Principles
1 Plan Ahead and Prepare 
2 Travel and Camp on Durable Surfaces 
3 Dispose of Waste Properly 
4 Leave What You Find 
5 Minimize Campfire Impacts 
6 Respect Wildlife 
7 Be Considerate of Other Visitors 

なんだそうです。

「来た時よりも美しく」を最初に言ったのは誰?

嫌な性分…とそんな最初に言い始められたのはいつごろから何だろう…って思ってしまいました。

The Leave No Trace Seven Principles

ボーイスカウトから日本へ伝わったのでしょうか?

日本には、1908 年(明治41 年)にこのボーイスカウト運動が伝わったそうです。

もし、この「来たときよりも美しく」の考え方が、イギリス発祥のボーイスカウトの“Leave No Trace Principles”が先ならば、きっと今回のオリンピック後は凄いんじゃない?

ボーイスカウトの父と呼ばれる ロバート・スティーブンソン・スミス・ベーデン=パウエル

自分が最初に見た時よりも,世界を良い場所にすべく努力しよう

という言葉から来ています

ということをボーイスカウト・ルールということで紹介している本『プログラマが知るべき97のこと』があるそうです。このサイトから知りました。

 

 

備えよ常に

このステッカーは家にずっと貼ってあったりしたので覚えていますが、いろんな教訓があったのですねぇ…

 

いずれにしても、このようなことが大会と浮かれている裏で行われていることを知り、本当に脱帽…というのか。

このことを取り上げてくれなかったら知らなかった自分。

本当に感謝です。

見えていない部分がたくさんあるものですね。

平成24年度全国学力・学習状況調査 理科

平成24年度全国学力・学習状況調査の結果が昨日新聞に出ていました。

見ていて、疑問。

調べてみました。

平成24年度全国学力・学習状況調査の解説資料 http://www.nier.go.jp/12chousa/12kaisetu.htm

平成24年度全国学力・学習状況調査の調査問題 http://www.nier.go.jp/12chousa/12mondai.htm

平成24年度全国学力・学習状況調査の正答例 http://www.nier.go.jp/12chousa/12seitourei.htm

平成24年度 全国学力・学習状況調査 調査結果 http://www.nier.go.jp/12chousakekkahoukoku/index.htm

H24全国学力・学習状況調査の結果をまず読みました。そして、気になったところは…。

新聞にも載っていたのですが、理科。

私の気になったところに→を入れました。

7.8%って何?

2(2)の問題は

1つの回路で,2つの実験と同じ結果を得るための測定方法を説明する

という問題でした。

抵抗の直列つなぎ,並列つなぎなどに関する知識を活用して,他者の実験方法を検討し改善して,正しい実験方法を説明することができる

そんな力を見るらしいのですが、ホントに7.8%正答率。

だけど、私はそれよりもこちらに注目してしまいました。

道がそれる…という注目かもしれませんが、無回答率39.7%、正答率11.5%

これって、前までの流れの問題がわかっていなくても解けるのでは?なんて思うのです。

どちらの問題かというと、(6)です。無回答率39.7%、正答率11.5%というような問題???

単に時間が足りなかっただけ?単位を変えることができなかった?後は…習っていない?

 

ちなみに、7.8%正答率の2(2)の問題は無回答率18.5%。

 

家庭科として、気になったのは、この回答率と正答率。

それは、上記問題の(5)。

どの白熱電球を変えると一番節約できるか?なんて訳してしまいます…。

これは、白熱電球と蛍光灯の話でも言われていて当然のことでしょう…と思います。そして、あからさまに使用時間の違いが出ている。

入浴回数とトイレへ行く回数、階段昇降回数を思い浮かべたら、それだけで解けるでしょう…。と、意地悪に思うのは、これがトイレに行く回数と時間が示してあって使用時間がわかっているなど、夜通しつけているモノとの比較ではなく、そう使用時間数は同じでも、ON・OFFの回数の違い…なんかだったら、家庭科?

生活の中での電気をつけている時間を考えることができれば、単独で正解できるのでは…?と正答率100%でしょう…と思いきや、60%。無回答率は、3.2%と低い方ですが、4割間違えていることに驚き。まぁ…6割のうち、実生活のこととして思い浮かべて解けたかは別問題ですけどね。

 

それで思うのでした。

どこで、白熱電球などを習っただろう…?

直列・並列等の話は確かに習っているから、その時?

 

今、白熱電球の代わりに蛍光灯がついている家庭も多い時代だしなぁ…と思えば、身近な生活の話ではないのかなぁ…?

 

白熱電球と蛍光灯の違いで、白熱電球を使用するといいのは…という話

○ スイッチを入れてから点灯まで時間がややかかる(白熱電球は即時)
○ 頻繁に電源ON・OFFが行われる場面では寿命が短くなる(白熱電球の場合無関係)

という蛍光灯の短所を知っている…って言うのは学校で習うもの…?

中学校で習うのかなぁ…? と、これは中国地方総合研究センターのサイトからです。

http://www.crrc.or.jp/eee/PDF/chu_5.pdf#search=’%E7%99%BD%E7%86%B1%E7%81%AF %E8%9B%8D%E5%85%89%E7%81%AF %E7%BF%92%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%AF %E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1′

 

まぁ、白熱電灯ではなく、蛍光灯で全てが話されていたら…問題複雑だったかも…と思えばいいですかしら…。

 

あと、無回答率38.4%と高い問題があります。正答率38.6%も低いかなぁ…でも、一ケタ正答率があるから、高い方?わかりません。

これは浮力の問題だねぇ…と見て、何でこれが解けないの?とふと思って、私の答え違うかなぁ…と見てみる。

でも、正解してた…って、これはもう、見ただけでパスしたとしか思えませんね。

習っていない中学校があるというのかなぁ?学ぶ時期が違うのかなぁ…?

 

卵が食塩水に浮くという話は、卵の鮮度を知る一つの方法で、家庭科だけど小学校の教科書か中学校の教科書で見たよ…確か…って思います。

 

あと、計算できるかどうかは別問題としてありますが。

 

ふ~ん…

そう思ったのは、国立中学校だけが、正答率が低い問題も高かったりしている?

母数が違うので、一概にこのデータだけでは言えないけど、そう思わされました。

2(6)、4(3)の問題に対して、無回答は公立4割。これを意識してみないといけないのでしょうね。

 

よく他のデータを見ていないけど、この4割は、恐らく理科は将来役に立たないと思っているのでは?って思います。

他の問題は、学校で問題集などでやったりしたモノの続き…って思って見ることができるのでしょう。そして、2(6)、4(3)は、その前の問題が簡単?だけど身近なことで…と、その次に出た問題は恐らく学校で学んだことでは解けないなんて、始めっから解くのを辞めている?なんて思わされました。

 

国語や数学の問題を私はちゃんと見ていませんが、理科が一番正答率が低いのか…?わかりません。

 

過去、この調査ではありませんが、自分がいた学校でこのような調査を受けた時に、その学校の特別に進学のために編成したクラスに受けさせてました。正直、それって意味があるの~?と冷ややかに見ていましたが、この調査がどのように行われているのかをよく知りません。

ただ、さらっと問題を見ていて思ったことは、何でこれを無回答なのか…という疑問が残りました。

 

 

 

 

 

コンピテンシー

コンピテンシーとは…と調べていた2007年に見つけてコピーしていた資料たち。

感激!と、まだネット上に上がっていました。「仕事で成果を出せる人・出せない人

粕谷茂 コンピテンシー

 

「本日入社されたみなさんおめでとうございます。みなさんの中で,この会社が自分に合っていないと思った方は,すぐ辞めていただきたい。それがみなさんと会社の両者にとって幸せだと考えるからです。試庸期間の意味はそういう意味です」 20 数年前の 4 月 1 日のソニー本社講堂での盛田昭夫元会長の祝辞である。

 

なんて始まり方の入社社員への言葉でしょう…と思いながら、読み始めたのを思い出します。

 

この中にあった、「学校名不問採用制度」の採用。

なぜそんなことをするようになったのかということが書いてあって、

当時、新入社員は学校推薦で入社する人が多く、自分で何がやりたいのか明確な人が減少傾向にあったんだそうです。

へぇ~と読んでました。

ソニー内には以前から盛田昭夫元会長の「学歴無用論」や大賀典雄前会長の「小学校低学年成績本質論」があったんだと書いてある…。こんなところにも関心を持ちました。

だけど、一番はぁ~…そんなんで大学行くから、お金の無駄な人が多い…なんて思わされた文章。

 

先日,あるテレビのインタビューで就職活動中の学生さんたちが,「ソニーのような学校名不問採用制度を怨んでいる」と発言していた。学生さん曰く,「有名企業に入社するために,有名中学,有名高校,有名大学と人生を犠牲にして勉強してきた。入社基準が変わるとは夢にも思わなかった。僕らの人生は何だったのか。」目的が一流大学,一流会社に入ることであった。この制度の提案者を明かすと怨みの矛先が私に向くかも知れないが,敢えて記述した。

いまだに耳にする…「いい大学」「いい会社」

まだ変わらないか…って思いながら、だから…5年前の文章を捨てないでいたら、まだ古くないかもしれない…と思われた。

 

私がコピーした理由は、コンピテンシーについて企業の立場で書いてあるということ。歴史も載っていた。

1970年代 米国の心理学者のマクレランドによって初めて提唱された考え方

発端は国務省の外交官採用試験でテストの成績と業績との間に相関が見られないことで困っていたことによる。

マクレランドは次のようなアプローチを考えた。
(1) 明らかに高業績の人をサンプルとする。
(2) 成功・不成功の分かれ目となった出来事について,高業績者がどのようなことを感じ,考え,行動したかの事実を明らかにする。
(3) 高い業績に結びつく要因を探し出しスコア化の可能な尺度を作成する。
1990 年代になり米国企業の競争力強化が叫ばれ,日本企業への学びやリストラクチャリング,IT の活用等競争力強化のためコンピテンシーに注目するようになった。一方,日本企業でも 1996 年ごろより富士ゼロックス,アサヒビール,武田薬品等で導入検討が始められ 99 年より本格的に導入され始めた。

 

「”創造性”は、すでに存在する情報の処理や分析から出てくるものではない。それは人間の思考、絶え間のない洞察力、そして多くの勇気が必要である。」

創造性=思考力×洞察力×勇気

 

こんな文章などを拾い集めていたのでした。家庭科で教える…情報で教える…問題解決力の必要性と生徒に説くために。

 

(1) 何をやりたいのか常に好奇心をもつ。
(2) 高い目標にチャレンジし最後までやり遂げる(ただし,上司は失敗に寛容であれ)。
(3) 文献は 100%信用しない(ブレークスルー条件)。
(4) 自分の時間を創造する(トヨタ生産方式のムダドリを常に意識せよ)。
(5) 既成概念にとらわれない頭脳の若いメンバーをチームあるいは協力者に加える。

上記5つはNHKで放送された「プロジェクトX」に出てきた偉業の条件にほぼ一致していたと紹介されていたこと。

 

同じくコピーを持っているけど、もうデータをネット上では探せないかなぁ…

NTTデータ経営研究所のコンピテンシー評価制度というもの。2007年1月に発見してコピーしたようなものはもう古いよねぇ…

自分のために本当に読み返して大切だなぁ…と思わされてます。見つからない代わりに、下記のものを発見!

 

 

“Old Age”から“New Age”への胎動

“Old Age”から“New Age”への胎動|経営研レポート 2012|NTTデータ経営研究所

この中にある図表1に社会経済リスクとして、現在、顕在化すると影響が大きい様々な想定されている社会リスクが紹介されてました。

(主な事象)                 (影響)

○ 先進国ソブリンリスクの高まり ⇒ 財政出勤による景気回復が困難になる

○ 新興国のバブル崩壊リスクの高まり ⇒ 先進国は新興国需要による景気回復が困難となる

○ エネルギー・食糧の国際商品価格高騰リスクの高まり ⇒ スタグフレーションの状況へ

○ 異常気象、地震、火山噴火など世界的に大規模な天変地異の発生リスク ⇒ 地域社会の混乱、先行き不安

○ 市民による長期独裁政権打倒や財閥批判の高まり ⇒ 地域社会の混乱

とりあえず、写してみるしかできてませんが、どれも起こりそう…というのか、いつ起こるかだけだなぁ…って思わされました。

 

国民総幸福量(GNH: Gross National Happiness)の向上を目指すという考え方

国民総生産(Gross National Product, GNP)で示されるような、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えが今後主流になっていくのかなぁ…?

「足るを知る者は富む」(老子)
「寛容、慈愛」
「仕事に生きがいを感じる」
「家族との生活に幸せを感じる」

ブータンの国民総幸福量の高さ、日本では報道されて、ブータン国王が来日されたりと注目を浴びましたねぇ…。

そんなことが、経済の話に載ってきている…そんな凄さも感じます。今まで、こんな感じのレポートで見たことがなかった。

 

 

“New Society”のビジョンって何でしょうね?

清廉潔白で、つつましく、分かち合うような社会・政治・経済を目指すべきか…そんなことが書いてありましたが

“Old Society”に対して、分かち合い、利他主義で、フェアな社会を追求し、国民総幸福量の向上を求めるようなものが21世紀的な新たな社会経済の価値観であり、このような“New Society”を今後具体的に構想していくことが求められている。

そんな風にまとめてあるのを目にすると、ギラギラ脂ぎっている…のではなく、今回のオリンピック選手団みたいな感じなのかなぁ…って思わされます。

 

“Old Society”

国内総生産向上追求の20世紀的な価値観

弱肉強食、利己主義的、アンフェアな社会構造のもと、もっぱら経済発展、企業利益追求で、物質的豊かさ・金銭的豊かさを追求

Facebookの創業者マーク・ザッカーバーグ氏は、「より透明性のある世界」「より公正な世界」を実現するためにFacebookのサービスを展開していると語っている。単に起業し、株式公開をしてお金もうけをするということではなく、なかなか高邁な志である。インターネットの進展が“Old Society”から“New Society”へのパラダイムシフトを加速化させているのであろう。

なんだそうです。

 

確かに、自分の考えを伝えたいと思っていても、昔は活版印刷して本を出す…タダではできないことでしたね。今も、インターネットの進展で、自分の考えを伝える…安くなっているなぁ…。

こんな文章を読みながら、私のブログを広めようとしてくださった方のおかげさまで広まっている。以前、一日600とかメールが来て、携帯していたアイフォンがメール受信だけで電池切れに…。メールだけは残っているけど。ビックリしました。

 

貨幣価値として物事を見たときには、出している人と求めている人の関係で決まる…そんなところで、赤字になってでも印刷し続けて自分の考えを広める努力をしなくても、できる時代ですね。

また、私は自分のためにやっていることが、同じ情報を求めていた人に役立っている…ってラッキーと思いますが、その情報提供をサービスとしてお金をもらう人もいて当然かもしれませんね。

 

この書いてあるパラダイムシフトが完全に起こっていくのなら、身につけておくべきことも変わりそうです…。

 

本当は、後1種類コピーしてとめていたプリントたちがあります。

そちらは、コンピテンシーの活用ということで書いてあります。

コンピテンシー成果主義

現在までの組織運営は終身雇用制時代の「年功序列」から「能力主義」へ、そして「能力主義」から「成果主義」へと写り、近年は「コンピテンシー成果主義」へと移行されてきています。

なんて書いてあるのですが、この印刷した紙には全くどこの誰の出した文章ってメモをしていません…というより、印刷したサイトがわからない…。

坂口正子(大阪クラブ)と書いてあります。この方は作者不明の全体の作者なのかも…。

キーワード検索凄い!感謝です。

見つけました。ワードのデータがいきなりダウンロードかかるサイトでした。

www.eurus.dti.ne.jp/~s-masako/competency1.doc

見つかるものですねぇ…凄い。

このサイトは全て、ダウンロードにしかならない…ビックリです。

http://www.eurus.dti.ne.jp/~s-masako/education.htm

 

ずっと目に付いていたプリントの束が、まだ全部データがネット上にありました…。

 

この次の話は…?というところですね。

 

2012 コンピテンシーというキーワードで最初に見つけたサイトはこれ。

2012年に人事として成長するための6つのコンピテンシー

Exclusive: The six competencies to inspire HR professionals for 2012

このサイトを抜粋して訳してあるのですねぇ…と、思いながら、気になったこと。

ホント、どんな人が求められているのか…?という視点で、どんな生徒に成長できればいいのか…と見ていたからこんなデータを集めていたことを思い出しました。だから人事の話ばかり…。

 

グローバル人材とは何か

コンピテンシーとコンテクスト

 

気になって見ました。

グローバル人材育成委員会

Global Human Resource Development Committee of the Industry-Academia Partnership  for Human Resource Development

おっと、経済産業省のサイトに飛んじゃった。感謝です。つながっていきました。

途中切断かかっていても、見つかることに感謝です。

 産学人材育成パートナーシップ グローバル人材育成委員会 報告書の概要

面白い書き出しでした。

背景① 世界市場で存在感を失いつつある日本企業

いきなり背景①がコレ…

背景② 「内向き」な日本の若者

そうですねぇ~と読むしかありません。

背景③ 更なるグローバル化が必要な日本の大学

宮崎かに海外の講師陣率の高い大学があると新聞で読んだ気がします

背景④ 海外展開の最大の課題は「人材」

わかりやすい。

国が求めている話は、与党が変わってもさほど変わらない気がする。だけど、前の人たちの言ったことを否定からはじめないといけないってするから、無駄な時間が過ぎて後手後手になっているところがあるのでは?と思わされますね…。

その前の求められる能力と大差がない気もする。

 

多分、このあたりを意識して、自分の子どもを教育するとかしていくのなら、時代についていけてるかもしれないけど。

いい高校に行けば…とか、いい大学にいけば…とか、場当たり的に対応していても、意味がない。

 

特に、この中の能力として上げられている力が不足している…昨日のニュースでも出ていた。

理科の先生らしき人が言っていたのを聞いて、塾と一緒じゃん…と思ったのは、実験結果を教えておいて実験する。

ん…変化への関心というより、そうなって当たり前でしかないんだ。

私が塾のアルバイトで、実験助手をしてゲンナリした光景を学校でやっているということをしりましたね。

また、理科が将来に役立つと考えている人が少ないという…それも面白い。

教える人間自体が科学と生活との乖離があるからでしょう。

家庭科の先生の科学との乖離もあるけど、それよりも理科の先生の生活との乖離。どちらの方が確率高いかなぁ…。

物理理解できない家庭科の先生も多いだろうなぁ…とか、思いましたね。

物理化学を高校で学んで、管理栄養士養成課程ってだけでも、確かに珍しい人だったもんなぁ…。

教育学部の家庭科教員養成コースなんて文系の人ばっかりでしょうね…

 

人間形成と食育・食教育 

人間形成と食育・食教育―食のいとなみがからだをつくる・心を育てる

2002年1月1日発行の本。ですから、10年前の話。

 

1996年、長野県の小中高校の人達が共同で教育調査を行ったんだそうです。

その結果が書いてあったのですが、

「生まれてこなければよかった」と思っている子どもが、小学校高学年と中学生で20%から25%いたのだそうです。

また、同じ調査で

「あなたはもう学校に来なくていい、自由にしていいと言われたら何をしますか?」

→ 「朝から晩まで寝ている」と答えた子がほとんど

「後輩に言い残したいことは」

→ 「学力や偏差値が上がったさがったということは一切意味がないから、こういうことは考えない方がいい」

 

読んだ時、それはそうですねぇ…なんて思って読み進めたのでした。

でも、今はどうだろう?10年たった今。

こんな質問をして…まとめているデータがどこかにあるのかなぁ…。

 

食べ物に対する無関心がありますから、実際のモノと知識や言葉が一致しません。言葉だけが浮遊して、今の言葉でいえばバーチャルリアリティーの状態が子どもに現れたと言われるようになったのは、70年代くらいからなんだそうです。

稲と麦の区別がつかない子どもがいます。

鶏の脚を4本描く子ども達もいます。家で鶏を飼っている農家の子どもですら、脚を4本描く…

こんな事実に対して、この本では結論として書いている言葉

ですから、子どもたちは意識して見つめてはいないのです。親の生活や地域の人々の暮らしに全然、関心がないのです。ですから、目を開いていても何も見ていないという生活状態になっているのです。

本の文章のまま。「ですから」が気にはなりますが、とても面白い指摘だと線を引いていました。

 

ルソーやフレーベルなども出てくる。

この本によると、

ルソーは、食教育=健康教育=主権者教育つまり政治教育、としっかりつながって枠組みをしているとのことです。

ルソーの『エミール』を読んだことはありません…。でも、その『エミール』は、革命が起きて新しい世の中になるだろうと予感したところに書いた本なんだそうです。

そして、その『エミール』の中で、新しい時代の人間を育てるにはどう言う教育をしていけばいいのかということを、家庭教師とエミールという男の子との関係で描いているのだそうです。

と、私はホント、『エミール』を読んでいないので、ただただ、へぇ~って思うのですが、こう書いてあります。

食事をするということは、自己保存つまり自分の命や体を守ることです。それが食の基本です。自分の体なのだから自分でちゃんとできなくてはいけません。これはそのまま健康教育と言えるわけですが、それができないで、どうして来るべき民主的な共和国の主人公に慣れるでしょうか。自分のこともコントロールできない、自己保存や自己教育もできなくて、どうして国家・社会の主権者になれるでしょうか。これがルソーの主張です。つまりルソーの食教育とは、民主的な主権者を育てるための基礎的な教育の過程であると位置づけられるわけです。

 ルソーが自己保存の教育として大事だと言っている食教育のひとつは、自分の身体感覚に敏感にならなくてはいけないということです。おなかが減ったときには「腹減ったー」です。おいしいものを食べて満たされた時は充足感を満喫します。そんな身体感覚を作らなければいけないというのです。だから、働いておなかが減る、運動しておなかが減るという生活をしなければいけません。ルソーは、そうした体、感覚、完成の教育を重視しました。

 また、味覚を育てるために、ゴテゴテしたものを食べさせてはいけないしています。食材そのものの味がわかるような子どもに育てなさいと言っています。自分にとってどんな食べ物がいいのか、どんな料理がいいのアkということを自分で判断して選択できるような子どもにしなければいけないのです。

 最後に、自分の食卓に並べられている食べ物は、どれくらいの人々のどのような手をとお手、この食卓に並んでいるかということをちゃんと理解できる子どもにしなければ、新しい民主的な社会の主人公・主権者にはなれませんよと言っています。

だそうです。

そして、ペスタロッチ―という人が、このルソーの食教育論に共感し、「パンがどこから来るかも知らないことこそ、現代教育の欠陥の中心点である」「これを知らないで、人間の知識とは一体何であろうか」と述べているんだそうです。

『エミール』という本が書かれたのは1762年。

 

“Qu’ils mangent de la brioche”

マリー・アントワネットは、フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、発言したというこの言葉は何年の言葉でしょう…?と思わされました。本当は、ルイ16世の叔母であるビクトワール王女の発言だとか。でも、この言葉をマリー・アントワネットが言ったとうわさを広めることの効果を思わされますね。

 

いろんな食にまつわる事例はたくさん載っているのですが、ルソーまで話が及んでいる凄さ…。

ルソーって聞いたことがあるけど、政治か経済の世界の話…としか思っていなかったのに、ビックリです。

 

そんな風に調べたら… ジョン・ロックって、この人も世界史で習った名前…って、食にまつわることをおっしゃっていたのですねぇ…

イギリスの哲学者ジョン・ロックは,その「教育に関する考察」(1693年)の中で,子供の食事に関して,肉類はできるだけ控えるべきであり,牛乳,ポタージュ,かゆ等の食品が子供には適している,といったことを述べている

そして

子供に適した食べ物とは,子供にとって自然な,すなわち自然の好みにしたがった食べ物であり,裏を返せば,自然人の食べ物ということになる。また,私たちの文脈に即して言えば,人間が本来(自然状態において)食べるべき物なのである。

この文章はルソーの文なのだそうです。

人の性格や気質が食べ物の好みにも反映する。もしくは食べ物が人間の性格にも影響を及ぼし得るという考え方は,18世紀において,かなり広く信じられていたようである。

なんてことも述べられていました。

ルソーにおける菜食の思想と自然意識 』 田中恒寿

http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/137803/1/fbk000_024_061.pdf