シナジスト

昨日、昨日までの申し込みというセミナーの案内サイトを開いた。それは、本を検索していてのことだった。知らなかった…亡くなられていたのですね…と。

フランクリン・コヴィー氏のご冥福をお祈り申し上げます。

 

さて、私はこの人の名前は知っていました。

だけど、この人の主張していること、セミナーは全く知りませんでした。

 

ですが、先日、「あら、このこと私知ってる…」

緊急ではないけれど重要度の高いことや

大きな石から入れていくことなど…

 

そして、あら

これも知っている…

第3の案の話も…

聞いたことがあるわ…

 

ビックリしながらも、

そうやって知り得る機会をいただけてきたことに感謝。

 

ずっと言われていたのは、そう、この『第三の案』の話なんだ…と理解したのです。

そして、繰り返し学んだなぁ…。

 

感謝です。

 

それは、昨日締め切りのセミナーの案内動画をせっせと見ながら、行かなくてもいいと決めました。

行ってもいいんだけど、じっと動画を見て、それよりもすべきことがあるってね。

 

さて、そんな感じで学ばせていただいたことを活かして活動できているか?

そこが大切ですね。

 

The 3rd Alternative

教育における第3の案は、子どもたちをりリーダーに育てるための教育

 

これは本当にそうですねぇ~と思っています。

 

自分の人生を自分で導いていく能力、

友人たちや家族のなかでリーダーとなる能力

である。

自分の世界を能動的に、

創造的に動かす力になれること、

それが私の言うリーダーシップである。

 

簡単に大切なところだけを抜粋しました。

そうすると、本当は間違える人が出てきます。

社長になる人がリーダーか?などね。

リーダーとは…という定義に対して共感する部分だけを抜粋したのです。

 

真のリーダーは、

成功を自分の言葉で定義。

他人に定義してもらわない。

人格と能力を高め、

原則に従って行動し、

確かな成功をなし遂げる。

自分には独自の才能があるとわかっているから、

競う相手は自分以外はいない。

 

成功は内から外へ生まれ出て

その逆ではない。

 

外からくる成功

たとえば学校時代の成績

社会に出てからの高い報酬や立派な肩書き

といった褒美は二次的な成功。

さて、本文そのままではありません。ただ、このことを学んだ…学ぶ機会をもらった。

そして、

本当によく分かるなぁ…と昨日、動画を見ながら思ったら

すべきことは

セミナー参加ではない!と思いました

 

第3の案に至る道はシナジー

何人かがお互いを尊重して力を合わせ、先入観を捨てれば、どんなに困難な問題にも立ち向かえる。

 

「Win-Win」の案を生み出す

 

年齢を重ねるごとに小さくなっていく人生ではなく、創造的で、革新的で、刺激的な第3の案の体験を求める人生

 

1. まず「お互いに考えたことのない解決策を探してみないか?」

あくまでも、さまざまなアイデアを出すだけ。

2. つぎに、「より良い結果はどのようなものだと思う?」と質問。

なにをすべきかを明確に思い描き、

お互いがこだわっている要求を超えて

双方が満足する結果の基準を決める。

3. 基準が決まったら、

それを満たす解決策として考えられるものを試す。

プロトタイプを作ったり、新しい枠組みをブレーンストーミングしたり、あるいはまったく逆の視点から考えてみたり…。

アイデアの良し悪しの判断は控えることも大事。

極端な可能性にチャレンジしてみなければ、

シナジーは生まれない。

4. その場に興奮の渦ができたら、

シナジーに到達!

その証拠。

躊躇や対立は消えます。

ダイナミックな創造力が湧き上がったとき、

成功間違いない第3の案が生まれた瞬間。

それが第3の案であるかどうか…すぐにわかるのです。

 

 

さて、シナジーって何?

シナジー効果

相乗効果

 

 

体験的にこのことを知っている人たちは、

ピンとくる話。

 

 

仲間内だけで…

また

意見のあわないものは外して…

そんな取り組み方しか

したことがない人達には

理解しがたいかもしれません。

多数決でもない。

 

ただ、言葉を知らなかったけど

これがあたり前で育ったのでした。

なぜだろう…。

よく考えたら、

意見の対立がいっぱい…そんな中で、

どうするか?

取りあえず、解決することを大切なこととし、

やり方は自分の方法にこだわらない。

そう構えていないと

難しいのかもしれません。

そして、

相反する意見に対して

受け入れるか拒否するか

そんな方法しか思いつかないって

それで進めてきていた組織などが

行き詰っている

それは理解できます。

 

そう

「妥協案」と「第3の案」は違う

 

これをわかっていなくて、妥協ばかり…していても無駄なんですよね。

 

第3の案

シナジスト

 

とってもわかりやすいけれど、

日本では受け入れられにくい…

そう思わされることは何か?

役に立たない「沽券」「体面」「体裁」

そう、そんなもの…と言ってはいけない。「風格」「格調」は大事だと思うのです。

私の中でかもしれませんが、

ニュアンスが違う。

前者は、本人が言って存在するモノ。後者は、周りが存在を認めるモノ。

そんな気がします。

 

そう、周りがこの人には品があるとか、風格があると認めているのならば、沽券にこだわっているのはナンセンスかもしれません。

だけど、まわりに認められていない人は、沽券にこだわる…。

 

第3の案の一番の弊害は、妥協との違いがうまく伝わらずに広まることと、おっちゃん達の沽券かも。

 

包丁とぎ

しのぎがあるほうが“陽”、平らな面の方が“陰”

陰陽の日本料理での話。しっかりいろいろと書かれているサイトがいっぱいあるものです。

探すのが面倒で自分で絵を描いて、本をもとにブログを書いたのでした。書いた後に、探すといっぱい…いろいろと書いてあるブログを見つけることができます。

 

私は、リンゴの皮をむくなど…皮をむく作業は右手で包丁を持って作業します。

だけど、切るときは…左手で包丁を持ちます。

こんな私は、左利き用の和包丁を持っています。

だけど、かつらむき…これを左利き用の包丁でやってみると…できないのです。やっぱり右手で皮をむくには、右利き用がいいんですね。この片刃であることの違いをしみじみと感じさせられました。

それでも、右利き用の包丁を持っても…切ることはできない…。

そうやって困って考えていたところ、両刃の菜切り包丁に出会えました。

もう、早速購入して…としたのが早いことでもう5年以上たつのかなぁ…。

 

そんな私のようなメンドクサイ包丁の使い方をしている人間はそんなにいないのかなぁ…?

 

なぜ両刃の菜切り包丁を作られているのかはよく尋ねなかったのですが、本当に感謝です。

 

包丁研いでいないなぁ…と思いださせられます。ホント…よくないことです…。



 

いろんな研ぎ方を見ることができるのですね。すごい。

 

かつらむきをするためには…庖丁を研ぐところから…って、練習して…という最初は包丁研ぎから。研ぎ慣れていない時、手の方が負けちゃうんですよねぇ…って、今やったらまた手の方が負けそう…。

 

 

団扇 扇子

団扇は紀元前1000年ごろには中国で使われていたことがわかっているんだそうです。

 

それが、日本に伝わったのは奈良時代だそうで…。

 

それをヒントに、「折り畳める団扇」を考案した人が、平安時代にいらっしゃるとのこと。

なんと、扇子って日本の発明品なのですね。

それも、薄い檜の板を重ねた檜扇とよばれるものが元祖だとか。

 

正直、この檜扇とは違いますが、中国のお土産でいただいたりするので、すっかり中国のものかと思っていました。

いろいろ中国の文化が日本に入ってきて、定着していますから…。

 

だけど、団扇は中国から伝来。それをもとに日本で扇子ができたとは。

あまり気にしていない身近なもののルーツって本当に不思議です。

 

扇子は持ち運びができて、顔を隠す道具としても使えることから宮中で必需品となったんだそうです。

 

そして、そんな扇子が北宋の時代に中国へ輸出されて…世界中に広まったんだそうです。

16世紀にはヨーロッパにも広がったって、ビックリです。

 

実は、先日、「輝ける皇妃 エリザベート展」という展示を見た時に、へぇ~と感心したことに扇子の使い方がありました。

昔のヨーロッパでは、扇子の使い方一つで、意思を伝えていた…なんともそんな扇子の仰ぎ方などで…って平安時代の宮中みたい…って優雅というのか、「動」の世界ではなく「静」の世界を感じていたのでした。

そんな扇子。ヨーロッパのものって、羽がついていたりと日本のものより大判な感じがして、ルーツがどこかにあって広がっていて変化していく過程で違う感じになったんだねと思っていたら、日本から伝わっていったものとのこと。

面白いなぁ…と改めて思った次第です。

 

「扇」という漢字は、本来風に動く軽い扉のことを意味し、そこから転じてうちわのことをさしているのだそうです。

 

さらに歴史を見ていくと、扇子の誕生は、仰ぐことが第一目的だったのか?という疑問も。その誕生には、数枚の木簡(文書の記述・保存に用いた薄い木の板)を持ち歩くために片端を綴じて使用したのがその始まりと書いてあるサイトが結構あります。本当かはわかりませんが、確かに、紙にメモをするより、木にメモをする時代だっただろうって思います。

当時は主に男性が公の場で使っていたのだそうです。要するに、メモ紙を暑い…と仰ぐ道具にしていった?その場にあった何かで涼をとる努力と思えば、想像つくお話ですね。そして、メモ用紙を持ち歩く代わりだったと思えば、確かに携帯していそうな話。

もっとビックリはメモするためのものだから、字が書いてあるっていうこと。そんなメモ板だったはずの檜扇。絵が描かれるようになり、装飾品として女性が好んで使うようになっていくのだそうです。

扇子の歴史をいろいろと紹介されているサイト扇子の歴史│オリジナル扇子の解説がありました。

信長と扇子のこと

那須の与一のこと

なども、詳しく知っていくと面白いですね。

 


全く違うことですが、見つけてへぇ~

以前、家庭クラブの生徒の活動拠点に…と家庭クラブの活動の部屋ってつくったら、せっせと生徒が来ていて、何をしているのだ~?と思ったら、うちわづくりでした。本来の活動は~?と思うところもありましたが、それもちゃんとよくやってくれていたかな。彼女たちのお陰で、「カンジャニ」「あらし」「∞」なんか、知らない世界…って、デビューしたてか、まだしていないころの話。

これも日本文化…?

其の当時にキットなんてなかっただろうし…。でも、こんな感じに飾り立てるのは上手だったので、文化祭の展示も凝って作ってくれましたね。

ホント、すごいなぁ…と思っていたら、100円ショップでも売っている…とそれにも驚きました。ただ、キットなんだよね。

手作りでないといけないのかなぁ?なんて疑問を持ちました。

 

「座礼」の時にも、相手に礼を尽くすのに欠かせないアイテム。
座った時に、自分の膝の前に扇子を置き、改めて礼をします。
相手と一線を置き、自分をへりくだる意味で使用するって、一般的?

こんなことしているのはお茶をしている世界だけのことと思っていましたが、違うみたいですね。

マナーうんちく話293≪扇子のロマンと優雅なマナー≫

 

要を人差し指と薬指で挟み、軽く握り、
手首をやわらかく曲げ、
ゆらゆらとあおぐ。

中村福助さんがおしえていた?女形の扇子の仰ぎ方なのだそうです。

 

女性と男性で異なる扇子のあおぎ方を実演してくださった芝雀さんと、こちらも歌舞伎役者さん。

 

さて、昨年の新聞記事ですが、扇子の開き方と仰ぎ方。

まず「満つれば欠ける」という言葉のように、昔の日本では、全開させて使うということはされなかったのだそうです。

次に、仰ぎ方は扇子やうちわは静かに下の方で仰ぎ、仰いだ風が隣や向こうに届かないようにする。礼儀作法全集(昭和13年出版)にそのように書かれているんだそうです。

 

儀式用扇子

将棋指しならばプロ・アマ問わず使う扇子

 

さて、扇子のことを調べていて、すごい!写真入り!と読ませていただきました。

扇子と月謝

「扇は通常開く方が上座、かなめの方が下座」とわかっていても、口にしない先生のすごさを感じました。

美の壺 File78 和紙  http://www.nhk.or.jp/tsubo/archives.html

 

日本では茶道に限らず、芸事において礼儀として扇子を持つのです。

と、表千家茶道教授をされている方のブログから。

 

表千家です。茶扇子の大きさは6.5寸以外はダメなのでしょうか?

これは、本当に私も気になっていました。というのは、私に教えてくださったお茶の先生は長い扇子を使うように…と言われました。でも、母の道具でお茶を始めた私は、最初短い扇子しか持っていませんでした。そして、今、ん…学校には短い扇子しかないけど…。

どちらが本当なのか?というより、どうなっているのかなぁ~?って、素朴に疑問をYAHOOの質問サイトに出された方に感謝です。

茶扇子の大きさは 講習会で、講師の宗匠から正式には6.5寸であることを伝えられてからは自然と6.5寸になりました。

 

エリザベート展で展示されていた扇子の使い方でメッセージ…どこかほかで知る方法ないのかなぁ…