黒文字 爪楊枝

黒文字について知りたいなぁ…と調べてわかったこと。

黒文字は、爪楊枝の一つに扱うんだ…。

そして、爪楊枝のイメージが少し変わったのでした。

 

黒文字というのは、木の名前に由来する…って、写真を持っているはず…と探し出せたらこの文章と一緒にくっつけておきたいなぁ…と思うのです。クスノキ科の落葉低木。

若枝は毛があるのだそうですが次第になくなり、緑色のすべすべした肌になって、黒い斑点が出てくることが多いんだそうです。そして、古くなると次第にざらついた灰色の樹皮に覆われるんだとか。年間を通して見たことは私はなく、たまたま、これが黒文字よ…って、教えてもらって見たくらいしか知りません。

黒文字の名は、若枝の表面に出る斑紋を文字に見立てて着いたと言われているそうです。古くから、この木を削って楊枝を作っていて、特に根元に皮を残すことが上品とされていたんだとか。和菓子で使われている黒文字って、市販されていますが切りたてが最上とのこと。先日、宗匠さんが講習会で黒文字をどのように削るかと少し話題それてお話されていることを聞きました。

切りたてが最上…と言ってもできないけど、使う前に水に浸して、色と香りを引き立てることも大切。水でぬらすことは、お菓子などが黒文字にひっつかないようにするためでもありますが、濡らすことで香りも色もよくなる…。

さて、黒文字の歴史は…?なんて思って調べていたのですが、まだよく分かりません。古田織部が用いたのが始まりと書いているサイトもありました。ちゃんともっと調べてみないといけないなぁ…と思いながらここに記録代わりに書きます。

 

黒文字もいろんな長さがあり、どう使うのかなぁ…というのはバランスの問題みたいですね。

4寸がお菓子切れもいいと書いてある物を見かけました。多分これは茶菓子を食べるときに添えるのによくつかわれているものの長さかなぁ…?

ただ、銘々皿や縁高に添えるときは、5寸、6寸がいいみたい?要するにお皿やお菓子とのバランスなのでしょう。

また、食籠・盛込鉢の菓子器に添える黒文字としては8寸…なんて書いてあった。

目安に記録しておけばいいかな…?

 

【爪楊枝の歴史】多分、私がみたのはこのサイトではないと思います。だけど、写真がついているのでリンク。

私が知り得たお話を記録まで…あっているのか?わかりません。取りあえずのメモ。

爪楊枝の誕生は、およそ10万年前だとか。ネアンデルタール人が、楊枝を初めて使ったそうです。ネアンデルタール人の歯の化石に、縦の筋が見られて、堅い楊枝で歯をこすった跡だろうと推測されているんだそうです。

ちなみに、チンパンジーの中にも、木の枝で歯を磨くものがいるとか。並べて記載すると変かなぁ…?

 

爪楊枝って実は伝来モノで…という確かに何でも起源はあるでしょうけど、ネアンデルタール人まで遡られると絶句です。

ただ、日本にどうやって伝わってきたか?それは、奈良時代(西暦630年頃と書いてあるサイトもありました)に仏教と共に伝来したとか言われているそうです。

紀元前500年ごろに、お釈迦さまが木の枝で歯を磨くことを弟子たちに教えたんだそうです。それで、仏教では、僧侶たちが常に身につけておくべき第一に楊枝が出てくるんだとか。

一応…ホントか?わかりません。

面白い記事だなぁ…と歯科に関する新聞記事みたいなものをサイトで発見したのでした。

東洋医学における薬木の歯ブラシ「楊枝」

歯磨きに使用する木を、サンスクリット語でダンタカーシュタ(歯の木)といい、中国では、歯木・楊枝と訳するそうです。

ということで、日本に仏教と共に伝来も理解できる話になりました。

 

ちなみに、「ダンタ」は英語の「デンタル」の語源だそうです。現在、インド数字でダンタは「32」、歯の本数!

全く関係ない話かもしれないけど、雑学はくっつけて記録しておいた方が役立ちそう。

 

ようやく発見…、恐らくこの(株)広栄社の爪楊枝資料室のサイトを私は見たのだと思います。メモの状態になっていると、大元がわからなくなってしまいますね…。

 

僧侶→誰?

仏教とともに伝わってきたのなら、日本でどのように広まったのだろう…?

僧侶から貴族へと広まったみたいです。右大臣 藤原師輔(908~960)が、『九条殿遺誡』という書物の中で、作法として子孫に伝えているんだそうです。

「九条殿遺誡(くじょうどのゆいかい)」
先ず起きて属星(ぞくしょう)の名字を称すること七偏(まず起きたら、陰陽道の属星の名前を七回唱えなさい)

<微音(ちいさな声で)、その七星は、貪狼(どんろう・とんろう)は子の年、巨門(きょもん)は丑亥の年、禄存(ろくぞん・ろくそん)は寅戌の年、文曲(ぶんきょく・もんこく)は卯酉の年、廉貞(れんてい・れんじょう)は辰申の年、武曲(ぶきょく・むこく)は巳未の年、破軍(はぐん)は午の年なり>

次に鏡を取りて面(おもて)を見、暦を見て日の吉凶を知る。(鏡を取って顔の様子を確認して、暦を見て、その日の吉凶などを確認する)
次に楊枝を取りて西に向かひ手を洗へ。(次ぎに楊枝で歯を磨いて、西側を向いて手を洗え)
次に仏名を誦して尋常に尊重するするところの神社を念ずべし。
次に昨日のことを記せ<事多きときは日々の中に記すべし>。

ちなみに、『九条殿遺誡』は 国立歴史民俗博物館蔵だそうです。藤原の師輔は藤原道長の祖父と覚えた方が、記憶に残しやすいかなぁ…。

 

仏教伝来はもっと昔の話だから、記録として残っているモノがない…としても、もっと以前から楊枝は生活に入っていたのでしょうね。

 

楊枝が庶民に伝わったのは平安末期?

室町時代の田植え唄に「けふの田主はかねのようじをくわえた」や「楊枝木には南天竺のびわの木」などの言葉が出てくるそうです。

ある意味凄い…。こんな生活の些細なことも知りえることができるって、文字のお陰ですね。

 

日本では楊枝とは丸いものだ~と思っているのですが、世界では丸い楊枝よりも平楊枝が主流?世界中では平楊枝を使わないのは日本だけと書いてあるサイトを見つけました。

 

『小笠原流躾方百箇條』という中に、楊枝のことが取り上げられているのだそうです。

また、『都風俗化粧伝』の身嗜の部分にも記されているそうです。

『三礼口訣』の食礼の項に、房楊枝と楊枝の使い方が示されているとか。

『婚礼道具諸器形寸法書』にも楊枝についての記述があるそうです。

 

黒文字楊枝広める

『楊枝から世界が見える』(全4回シリ-ズ)の一部を紹介しますと株式会社・広栄社 社長 稲葉  修 氏の講演が紹介されていました。

 

語源由来辞典の爪楊枝のページサイトには、次のように書かれていました。

「楊枝」は、元は歯の垢を取り除き、清潔にするために用いられた仏家の具で、「総楊枝・房楊枝」と呼ばれた。

「楊枝」の名は主に「楊柳」が素材として用いられたためで、総楊枝は先を叩いて「ふさ」のようにしたためである。

爪楊枝の「爪」は「爪先の代わりに使うもの」の意味。

「爪先」、着物の「褄」、動詞「つまむ」などと同源で「物の先端」が原義である。

爪楊枝を「黒文字」と呼ぶのは、黒文字の木で作られた楊枝を指して言ったことから。

日本には、奈良時代に仏教が伝わった際に楊枝も伝来したと言われるほど、仏教と楊枝との関係は深く、お釈迦さまも木の枝で歯を磨くことを弟子たちに教えたという。鎮痛解熱薬として用いられる「アスピリン」という物質がヤナギ科の植物に含まれていることから、噛むことは虫歯の痛み止めに聞くと言われるが、現在は樺の木が使用されているため、その効果はないと思われる。

また、爪楊枝の先端の反対側にある溝は、製造過程で焦げて黒くなってしまうことから、こけしに似せてごまかすために入れられたものである。

と、書かれていました。

昔、千利休が庭のクロモジ(黒文字)をおもむろに小刀で切り削り、茶室にてお茶菓子のための楊枝に用いた!って本当?詳しい方教えてくださいませ。というツイッタ―でのつぶやきを発見。私も教えてほしい…。

少なくとも、黒文字を削ってお出しするという話は今でもされていることを先日お聞きしたのでした。

 

実は黒文字には、殺菌効果があるのだそうです。

最初に黒文字をそのような用途に使ったのは千利休だと言われているのですが、

千利休は、殺菌効果があることを知っていたのでしょうか。

そのようなことが、近頃話題になったそうです。

先生は、千利休は黒文字に殺菌効果があることを知っていたと思うとおっしゃられました。

これは、ブログで書かれていた文章です。

和菓子の「機能美」に注目する。黒文字を入れたときの固さ、口に運んだときのやわらかさ…。一方で、四季感漂う優美な容姿も、京菓子には欠かせない。「千利休は渡り六分に景気四分、古田織部は渡り四分に景気六分」。庭の飛び石について、機能と見栄えのどちらを重要視するか、バランスの大切さを説く言葉だが、和菓子も同じではないかという。

これは建築家の方の文書です。機能美と容姿、絶妙のバランス建築家・中村義明さんが書かれているサイトにあった文章。

 

黒文字は豊臣秀吉の時代に茶人である千利休が御茶事の菓子用にこの材料を用いたのが始まりとされる。木の皮を残したようじであり、香りのよさ、緑色の木の皮と削り口の白さの美しいコントラスト、また手作りによる歯あたりの良さで人気のものとなった。

このように書いてあるブログもありました。

 

今年の、夏号に載っていた記事です。「KUROMOJI」(黒文字)って知ってますか??これ、日本原産の木です。とても、しなやかで折れにくいことから、江戸時代から楊枝として、愛用されていたそうです。

千利休も、この黒文字の楊枝をお茶会で好んで使ったそう。今でも、和菓子屋さんでは使っているところもあるようですが、この楊枝職人がだいぶ少なくなっているみたいです。

これは、アロハセラピーというブログの2009年10月の記事です。こんな風に書いてあった。

 

検索している中で見つけた資料。これはもしかしたらここには関係ないけど、見つけたついでに…。

食文化ツーリズム論

 

外務省が茶の湯について紹介している文章を見つけました。日本語だけど、英語バージョンもあるはずでしょう…。

外務省茶の湯

 

黒文字のことで千利休がどうのこうの…って文献をさがす…ってインターネット上では難しそうですね。探せば見つかるだろうなぁ…とは思いますが、取りあえず知りたい情報は発信しておくとどこからともなく知る機会を得ることができるとか。

 

貴人のお茶という普通の人のお茶ではないお茶の話があるのですが、その貴人のお茶では茶碗も確か新しい初おろしの茶碗を出す。ということで、どんなに名物の茶碗をそのお茶席で使用したとしても、貴人に対しては初おろしの茶碗だったと(過去形でなく今でもそうだろうとは思いますが…)。その人だけのために用意する…一期一会の心で言うのなら、黒文字もその日その人のために用意する一つの道具としては、削って用意しその日だけ使用は想像の範囲ですが当然なのかも…。

そんなことを何かに記されているかなぁ…って探そうと思うと、苦労するのでした。

 

あるサイトに書いてありました。その日に使われた黒文字を持って帰り、黒文字に日付を記録して保管していたと。その人のしていたことか、昔されていたことか…イマイチよく読まずに閉じちゃった…ともう一度と探し見つけることができていません。だけど、一期一会のおもてなし…っていう意味では、そうなのかもねぇ…。

 

どこかできちんと書いてある文章をさがそう…としたら、書物で探すしかないのでしょうね…それも書物にあるのかなぁ…?

 

黒文字が日本原木の木ということを書いてあるサイトを見て、そりゃ…中国から伝わるわけないか…と思わされましたね。また、黒文字の香りの話などを思うに、千利休が用いたという話も想像の域でも納得…って感じです。

 

そのうち、ちゃんとどこかで書いてあるものを見つけて続きを書こうって記録でした。

 

 

 

 

体の洗い方のコツ

日本経済新聞2012年9月29日の記事にありました。

体の洗い方には様々なコツや注意点のほかに、見落としがちな盲点があるということで、ポイントを知っておけば肌をより清潔に保ち、たまった疲れも解消できるって。

これを読みながら、自分のこともだけど、介護をする際など、気をつけて対応してあげたら介護を受ける人にとっても心地よく、嫌な体臭もおさえることができるってことかなぁ…?なんて思いました。

特に汚れのたまりやすい部分として、顔や体のTゾーンが書かれていました。

顔のTゾーンとは、額や頭と鼻筋の周辺。

皮脂腺や汗腺が多く、皮脂や汗などにほこりや汚れが付きやすい。

毛孔などが汚れで詰まればニキビができるなど肌トラブルになるおそれアあり。

体のTゾーンとは、体前面だと首、わき、胸、腹、下腹部。背面だと、首、わき、背骨の周辺などつないだ部分。

 

花王香料開発研究所の矢吹雅之主任研究員が

「汚れたままで放置しておけば細菌が繁殖し、嫌な体臭の原因になる」と指摘しているそうで、背中は自分で洗えないから盲点だと。

 

人間の肌は約4週間、28日周期で生まれ変わる。

角質層からはがれた角片がアカ(頭の地肌ではフケ)

これらを皮脂や汗、ほこりなどと一緒に入浴時に洗い流すことが、肌の健康には欠かせない。

 

花王パーソナルヘルスケア研究所の工藤道誠室長によると、入浴効果は3つだそうです。温熱、水圧、浮力。

温熱…お湯で体が温まり血行が良くなると、血液中の酸素が筋肉中の疲労物質である乳酸をグリコーゲンに変える力を高める。

水圧…入浴時に体全体に1トン強の水圧がかかり、血液循環が促進され、呼吸機能が活性化。

浮力…お湯の中では体重が約9分の1になる。関節などに負荷をかけずに体を動かせるので運動しやすい。

 

セ氏36~40℃くらいのお湯にゆっくりつかると、脳内の副交感神経が適度な刺激を受け、体の緊張がうまくほぐれるそうで、入浴時間は10分~20分が目安だと。

 

お風呂に入って活動モードに切り替えたいときは、41℃以上の集めのお湯につかる高温浴が効果的なんだそうです。効果神経が適度に刺激を受け、心臓の鼓動が高まり、交感神経が適度に刺激をうけ、心臓の鼓動が高まり、血行が良くなることで体がエネルギッシュな状態になる。時間は5分以内の入浴が適当だって。

 

書いてあることを理解できないわけではないけど、長くお風呂に入る習慣がある人もいる。水につかっているだけで体力消耗するはず…という意味では、長風呂はどういう影響を与えるのかなぁ…?ということと、海外ではお風呂につかる習慣ってないのでは?また、日本みたいに水をドンドン使って…というわけにはいかない状況の時はどうするのだろう?疑問に思いました。

震災等でお風呂に入ることができない状況に出会った時も、体の洗い方のポイントを知っておくと少ない水でも体臭を抑えるように体を洗うことができるって考え方もありかな?

頭にある皮脂腺の数の多さを思うと、髪を洗うときなど頭皮も洗って…とちゃんとしていないと、毛孔が皮脂で詰まるっていう話も理解できるなぁ…と思いました。

 

「体の洗い方」というキーワードでいろいろと出てくるものですねぇ~。

その中に、ごしごしとこするのはよくないという話がいくつか出ていました。どこを洗えばいいという話と共に、どうやって洗えばいいということも必要なのかも…。

身体の洗い方 石鹸百科には、次のように書いてありました。

 泡を肌にのせると、泡の網目の中に汚れが吸い取られてゆきます。ナイロンタオルに石鹸をなすりつけ、泡出せないままゴシゴシするより、泡をふんわりと肌にのせるだけの方が、ずっと洗浄力があるのです。ホコリや雑菌、余分な皮脂や汗など、肌から洗い流したい汚れは泡だけで十分に落ちます。

そして、こちらは九州大学医学部の皮膚科?アトピー性皮膚炎に対する治療の一環として紹介されているのかな?

入浴と保湿のスキンケア体を洗う時のポイントだそうです。

 

洗いすぎは臭いをつくります…重曹石鹸とミョウバン石鹸を使った体の洗い方

と、こちらのサイトはわきが多汗症相談室と書いてあります。神経質になり、ごしごし…と洗いすぎる弊害…気にしている人ほどますますひどくなりそうですね。

国立成育医療研究センター 生体防御系内科部の監修で作られている楽しく洗って皮膚を清潔にというサイトは、トップ画面でNGな洗い方が動画で紹介されています。

 

エステの無料体験というのに行ったことがあります。何でも体験してみるとわかることがありますが、その時に学んだ一つは石鹸(洗剤)の使い方。こすらないんだぁ…と洗い方による顔に与える影響をしみじみ体感。やってもらうとわかることもありますね。

骨董品 アンティーク

新聞で「アンティーク」という言葉と「ビンテージ」という言葉の違いについて書いてあって、ふと、「骨董」は?なんて思ったのでした。

 

骨董品というと、なんかちょっと東洋っぽいイメージがあるけど、それだけなのかなぁ…?

 

調べてみると、Wikipediaでは、日本国語大辞典によれば、「希少価値や美術的な価値などのある古美術品や古道具類」という現在一般的に使われる意味の一方、「古いだけで価値がなく役にたたなくなったもの」とも説明されており、正反対の意味をそれぞれ含有している。志賀直哉の『邦子』には、「貴女達の眼から見れば、ああいふのは骨董品かしら。さうなると主人公も同様骨董の部だろうが」という一文がある。と書いてある。

 

アンティークは、国際的認識としては GATT(関税と貿易に関する一般協定)に「現在から100年以上さかのぼるもの」と分類されていて、明確な定義があります。
一方、ビンテージとは、Vin=フランス語でワイン、Age=年齢,年の意味でワインの生産年を表す言葉ですが、これの中に、「時を経て成熟した芳醇な味わいのあるもの」の意味を含んでいて、これが古いけど良いものという意味で扱われているのだと思います。

と説明しているものも発見。質問サイトでそうこたえていたものがありました。新聞には、アメリカ合衆国の関税法と書いてあるけど、GATTというのはそのことかなぁ?

 

日本アンティーク時計協会が示している、「アンティーク」の定義

一般的には製造後100年以上と紹介しながらも、そう考えるとデジタル時計は当てはまらないから、50年一区切りで考えてもいいのでは?と本来の意味にはそぐわないかもしれないけど…って提案されていました。

そっか…出始めの頃のデジタル時計なんて、古めかしそうなイメージあるなぁ…。

 

珠玉のマイノリティアートというサイトでは、アンティークの定義について

アメリカが定めた通商関税法(1934年)の考えによるものに過ぎません。その後、世界貿易機関(WTO)がこの基準を採用したため、すべての加盟国が従うことになったわけです。つまり、「アンティークとは100年を経過したもの」といわれる背景には、実際にはそれと何の関係もない「関税法」があったわけです。

という風に書いてありました。

アンティーク(antique)

ジャンク(junk)

ラビッシュ(rubbish)

ヴィンテージ(vintage)

などという概念があるということも知ることができました。

この分類は関税を課すか、課さないかの税法上の都合で決められたものです。最近では定義もあいまいになって、「アールデコの終わりの1940年までのものまでをアンティーク、1940年~60年頃の物をモダンアンティーク」と呼んでいるようです。

と、書いてあるブログ?を発見。アンティークBlah Blah Blahは、アンティークショップの店主さんのサイトだそうです。

 

なるほどねぇ…。と、実は、なんでアメリカはアンティークの定義をしたのだろう?と疑問を持ったのでした。

1930年当時のアンティークと言うと、この適宜では1830年代より昔のもの。

コレクタブル(Collectable)という言葉もあると知りました。

 

1934年互恵通商協定法

と呼ばれているモノのことなのかなぁ…?

1930年通商関税法と書いてある文章が多くて、どちらが正しいのだろう?と調べて見つけたのは1934年の法律もあるんだよねぇ…。

 

互恵通商協定法とは、貿易自由化政策の推進を目的として、1934年アメリカで制定された互恵主義による通商協定の法律。

他国がアメリカに関税上有利な待遇を与えた場合に、その国からの輸入品に対する関税を50%の範囲で引下げる権限を大統領に与えることを定めたもの。

 

ということは、やはり1930年に出ている通商関税法の大元に書いてある所にアンティークの定義があるのかなぁ…?

ニューディール期アメリカ互恵通商政策構想(三瓶)

 

米国関税法の始まりは、1789 年に制定された関税法(Tariff Act of 1789)である。現行の関税法は、米国法典第 19 編(Customs Duties)に整理されており、1930 年関税法(Tariff Act of 1930)を基本として、累次の通商法等による修正が行われている。

この表記は日本の平成 18 年 6 月に出された関税法研究会とりまとめから。

経済通産省の白書から

米国

 

これらを見ても、アンティークの話なんて触れられてませんね。

 

このサイトを見て、なるほどねぇ…と思ったこと。

アンティークか中古品か?

アメリカで、なんでこの100年前という言葉が出たのだろう?と疑問に、ある意味納得というのか、そういう見方もあるんだなぁ…と思った表記。

それは、

100年以上前のものは、手工業の作品。それ以降は、イギリス産業革命後、大量生産できるようになっているからという見方。なるほどねぇ…。イギリスの産業革命前後で判断するということならば、100年前と言っていたものが110年前、120年前…と増えていくかもね。

イギリス産業革命(1840年~)以前に製作された美術品や手工芸品のことをアンティークと呼ぶ。 また、それ以後に作られたものはジャンク(がらくた)と呼ぶ。
合衆国通商関税法(1930年に制定)による。※産業革命以後の量産が可能なものと区別している。

ただ、産業革命以後量産されたものか否かで、関税率を変えて対応したという話の中での定義なのかなぁ…?

1930年の米・通商関税法では「100年以上の古い美術品、工芸品、手工芸品をいう」と書いてあっても、不思議ではないなぁ…というのは、ジャンク(ガラクタ)には関税をかけないってことでしょ?

要するに、古い貴重なものをアメリカに輸出(輸入)する際は、税金をとろう!という話に、基準をどこに置くかと決めたってことかなぁ…と思ったのでした。

 

アメリカで は1930年の通商関税法に基づき、100年以上前のものをいう
イギリスではビクトリア時代が終わる1901年までをさす
フランスではアールヌー ボーが翳りを見せ始める頃まで
日本では50年 経ったものを一般にさす

と、書いてあるサイトも発見。デコール・ゴミプチというサイト。

 

なんとなく…感覚的な言葉にすぎないって思わされましたね。

 

骨董品の輸入手続き

ということを紹介しているジェトロのサイトを拝読しながら、思ったのは、やはり購入する人の意識についての言葉定義と言うよりは手続き上の問題みたい。世界基準も100年と決めたのは、お互いに輸出入をする時に、古いからガラクタを輸入している…と言って、高く販売して…ということに対して税金をかける意味では、税金の基準になる年数を決めたものなんだ…。この定義が、逆に短いと、税金かかりまくり…となる品物も出るのでは?

まだ、法的にアンティークとは判定されないけどいいもの…だと、ガラクタ的扱いで輸入もできるという感じに読み受けました。

 

 

 

博多独楽

たくさんコメントをありがとうございます。リンクかかっているものは全てすみません。私は詳しくないので、どんな他の人に迷惑がかかるのかわからないのでスパムメールと判断されたままを受けています。ほんとうはどうか?分かりません。だけど、いろんな悪さをすることがあるなら、読んでくださっている方に悪いなぁ…と思ってます。まだ読んでいない…130超えてました…すみません。

 

とにかく、忘れる前に…と、メモをしておかないと新聞記事でも捨ててしまったり、何を気になって切り取っているのか…というのを忘れることもあります。

メモをしておかないと…ってしていなかったら、新聞の山に入っちゃった?見つからないよ…。

 

日本経済新聞の近日のもの。

博多独楽のことが書いてありました。

 

私が興味関心持ったのは、独楽作りされているのに出会ってから。

知らなかったのです。

普通に「独楽」と思っていたものが、博多独自とは…。そして、その柄も地域によって違っていたなんて…。

 

襲名公演があるって、こうやって書いたおかげで発見できましたわ。

 

博多独楽 3代目筑紫珠楽襲名へ 寿楽さん 2代目と妙技披露

地方紙に載ったのは知ってました。

 

でも、先日この記事全国区?と気になりながら、読んでいたのです。

けがをしても取り組んだお話や絶えていた芸を復興させて継いだ話など…。地元のことであっても知らないなぁ…は、まず独楽自体が独自ということを知りませんでした。

 

この三代目さんと偶然お会いして、お話聞かせていただけたことが博多独楽を知るきっかけ。

本当にたまたまだそうですが、他に誰も行くことができないから…とはかた町屋「ふるさと館」で実演されてました。

私は仕事で行っていて、ボーっと櫛田神社で観察係してました。解散となった後、せっかくだから…と入って2階へ上がったら、蝋人形のはずが…動いていると驚いてしまったのでした。

 

実は、福岡の曲芸と言うことも知らず、見たことだけはありました。そして、その話をしたら、見たことがあること自体が珍しい…とか。しょっちゅう見れるものではないということも知りました。だからかなぁ…小さい頃は何度か見たことがあります。だけど、大人になってはないなぁ…。

独楽を刀の上を走らせたり…って、テレビで昔やっていた芸能人のかくし芸大会でもあったよね…と思ってお話したら、それも指導したりしたのだそうです。へぇ…。

刀の上で独楽を回しているのも記憶に残っていたのですが、水があちこちから噴き出す芸も見たことがある…とこれも、その一つとのことで、全国区ではなかったんだ…とビックリでした。

 

また、独楽の形も独自。

ちょっと新聞探さなきゃ…。と、読んだのになぁ…。

取りあえずメモ。新聞に載ってたってね。

 

 

小学生のころ、回すことできていたけど、今はできないかもなぁ…。

男子がやっていた遊び…と、けんかゴマ。相手の独楽を割ったりするんですよねぇ…と、こんな風に伝統…って見るともったいない?

回せるためには、心棒も自分でささないといけないから、それが曲がってもいけない。結構大変だった…って思っているのは私だけなのかもしれませんが、そんなことも今はやっていないのかもしれませんね…。

 

出雲大社 in 京都国立博物館

部分的に撮影可能でした。

神々の国しまね

高さ48メートルあったといわれる古代出雲大社本殿を再現

という、このイベント?だから写真撮影可能みたいでした。

 

日本神話においてスサノオが詠んだ

八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣作るその 八重垣を」

という和歌。日本最初の和歌らしい。

そんな古文の知識?日本史の知識?も全くなく、行きました。

 

私は知らなくても、小泉八雲は知っていて、凄いなぁ…。

パトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn) さん。

この方、出雲にいたことがあったらしい。そして、その出雲で神事を最初に見た外国人だとか。

さて、このスサノオの詠んだ和歌から、小泉八雲という名前をつけたんだそうです。

 

神々の国の首都「出雲」 神在月神事【神迎祭と神等去出祭】

ネット上でたくさんの写真と共に紹介して下さってました。

 

私にとっては、小泉八雲 といえば… 耳なし法一。

小学校にあがるまえに、読み聞かされたお話。そう思えば、こんな話を聞かせることもすごいなぁ…。

耳なし法一と紀伊国屋のブックカバーと小泉八雲はセットの思い出です。

「神社と神さま」がよくわかる本: 境内の見どころ・参拝マナーからご利益までを完全ガイド

この本を部分的にみることができるようになっている…ってこの本も、こうやって博物館で拝見した後なら、書いてあることも理解…。

 

相撲が神事なのは昔からなんだ…って、埴輪として相撲取りが…ウソでしょ?っておもったけど、確かに力士姿。

 

神事もよく知りませんでしたが、海から蛇がやってきて…という話だったり、博物館でお聞きしながら、へぇ…って不思議に、そんな神事が根付いている様子を拝見させていただいて、小泉八雲の感じた出雲体験は、確かに海外ではなくても、日本国内でもその地域以外から行くと神聖な感じなのかも…って思わされました。

 

『古事記』『日本書紀』なんて、名称だけは日本史で聞いて覚えているかなぁ…くらいのものでしたが、本居宣長と『古事記』との関係も習ったのかもしれないけど…ちっとも記憶になかったです。

ただ、この本居宣長が『古事記』に注目して調べる…ってことをするまでは、長らく無視されていた書物?みたいですね。

それを機に、再注目されて…それまでは、『日本書紀』優位の神話が一変して、『古事記』優位の神話が主体となり、現在にいたっているのだとか。

「古事記伝(こじきでん)」 これは国会図書館のサイトをリンクしています。

京都博物館で、直筆というものを拝見しました。きれいな字。読みやすい字でした。付箋は当時なかったものですが、紙を貼って、それにいろいろと書きこんで…という作業は、簡便化されて今はポストイットなどいろいろありますが、なくてもやっていたんだなぁ…と違う学びも。

 

生きている間には全て発刊されていないことなども知りました。

 

古事記は、その序によると、712年(和銅5年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)によって献上された、現在、確認できる日本最古の歴史書なんだそうです。歴史書という認識ではなく、神話などが載っているモノと思ってましたね。

上・中・下の全3巻に分かれており、原本は存在していない。

後世の写本として残っている古事記の序文に書かれた和同年及び月日などによって年代が確認されているのだそうです。

 

あまてらすおおみかみ

おおくにぬしのかみ

などなど…

 

神社で見かけるお名前がずらっと出てきます。

本居宣長が『古事記』を注目させたから、それ以降に、そんな『古事記』に出てきているお話の絵が描かれたり…してきて今に至っているそうです。ですから、あるときから…江戸時代の本居宣長が『古事記伝』を発刊するまで、その中に出てくる物語の絵などは描かれていないとか。

 

古事記 上 太安万侶 著 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772088/1

こんな書き方すると、今時の本みたいですが、近代デジタルライブラリーで見ることができるんですよね。

まぁ…江戸時代の出版物。

本当に昔書かれていたのかなぁ…?という疑問の声もあるのも確か。

 

出雲大社だったかの柱図が展示されていましたが、それも遺跡が出るまではまがい者扱いされていたそうです。でも、実際にそのように柱をつくっていた…って遺跡が出てから、信憑性が出て…と、昔のことはホントわからないですよね。

 

力士姿の埴輪が出てきてから、古墳に一緒に人を埋めるのではなく、埴輪を埋めませんか?と言ったというそんな記述に出てきている人の名前なども、神話じゃなくて事実かも?とか、注目されたのだそうです。

 

いろんな神様が…って、日本だけでなく世界中の神様に通じるものがある神様たちの話。

遠く離れていそうな…そんな感じでも、ギリシャ神話とかにも共通するような感じ…って、小さいころにギリシャ神話の分厚い本を読まされてから思ったのも、あながち間違いではなさそう?

 

京都国立博物館に初めて行ったのですが、建物自体古い?

外で雷がゴロゴロと鳴っている…って室内でも聞こえる。雨も感じる。

東京の国立博物館も古い…でも、そちらの方が手が加えられていて、近代的になっている感じも。

 

日本の政治の流れ…って、奈良時代平安時代…と、見えないものにも存在を認め意識していた時代の話があるのも、それよりも前にそんな話が当然のようにあったから?と思わされる日本の歴史でした。

 

屋久島で教えてもらったんだよね。

出雲なのか、伊勢なのか、私はよく覚えていないけど、建て替えるって伊勢かな?その時には、屋根材に屋久杉が使われていたんだそうです。そうやって切りだしていた跡などが、屋久島では見ることができる。
%0