持続可能な開発のための教育

「持続可能な開発のための教育」(Education for Sustainable Development:ESD)http://www.mext.go.jp/unesco/004/1339957.htm

http://www.esd-j.org/

 

2005年~ 持続可能な開発のための教育の10年。

ESDの10年、今年が最後?

 

平成18年3月「ESDの10年計画」を決定。

ESDは…

21世紀のニーズに応える教育を実現

教育の革新を促進

公平性と多様性の尊重

気候変動対策への貢献

環境に優しい社会の構築

http://www.unesco.org/new/jp/unesco-world-conference-on-esd-2014/

 

国連持続可能な開発のための教育の10年 外務省

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/edu_10/10years_gai.html

 

 

 

ESD(持続可能な開発のための教育)動画コンテンツ

https://www.eeel.go.jp/env/esdmov.php

 

藤右エ門

金銀富士02金銀富士03

藤右エ門表

藤右エ門裏

本日、ひさしぶりに…藤右エ門さんの器を購入しました。

感謝。

本当は、絵がきれい。

だけど、これは富士の金銀。

おめでたい~ということで、全く他とは違う作風かも。

 

小笠原藤右衛門さんという違う日ともいるのですね。

 

私の存じ上げている方は、昭和9年生まれだとか…1925+9=1934年生まれ。そっか…今年80歳になったということだったんだ~。

 

三右衛門と言われる柿右衛門,今右衛門などは別として…ともう一人は誰?

日本で初の赤絵付けの技法「柿右衛門様式」を開発し、一世風靡したことで有名な酒井田柿右衛門
今もなお、色鍋島の品格を守り続けている今泉今右衛門
そして、絵付けの柄をインテリアやアクセサリーなどにまでも展開させた源右衛門
この三つの窯元が「有田の三右衛門」です。

ただし「佐賀の三右衛門」といえば、有田の柿右衛門と今右衛門、そして唐津の中里太郎右衛門のことをいいます。

これは、このサイトから。

有田の三右衛門

 

 

有田陶磁器産業クラスター── 伝統技術の継承と革新の視点から ──

 

 

金銀富士01

自分の名前で作家として販売できるって…すごいことかもしれませんね。3代続くってこともすごいことかもなぁ…。

全く他と違う作風ですが、昨年拝見したときに、気になっていたもの。

 

藤の色がきれいな、絵を描かれる方でした…なんて、過去形にしてはいけないかな

あやめの絵を描いたお茶碗をお願いして作ってもらった…過去。本当に紫が綺麗~なんて、お元気で健在だったのでよかったです。

 

 

 

第一印象がいいってどういうこと?

切り抜きも切れ切れ。

とりあえず…捨てる前に記録。

『日経interesse2009,4』

「第一印象がいい」ってどういうこと?

立正大学心理学部長 心理学部教授 斉藤 勇さん

第一印象がいい人とは、『自分を受け入れてくれる人』のこと。

心配性の日本人は、初対面の人と会う際、「相手は自分を受け入れるかどうか」を最も気にしている。そのため、「自分を受け入れてくれる人」と感じた際に「この人はいい人だ=第一印象がいい」と思うのだ。

「自分を受け入れてくれる人」とは、具体的には「共感してくれる」「話しやすい」「あの人は安心できる」という感じを抱かせること。つまり、一緒にいてリラックスできる人ということ。

 

アメリカの心理学者まーラビ案が導き出した法則によると、第一印象を決めるのは見た目。

法則によれば、相手の「表情」6割、「話し方」3割によって、第一印象が決まる。

もっとも重要そうな「話す内容」はわずか1割。人間は考える以上に外見から影響を受けている。

 

特に拘束力がない関係の場合、いったん悪い第一印象を抱かせてしまうと「その後に修復するのは不可能と思って」拘束されない関係では、悪い印象を抱かせると「もう会うのは止めよう」になってしまう。

 

「図と地」という心理学の言葉がある。同じ絵でも、どこを図(形)とみるか、どこを地(背景)と見るかによって、全く違うものや形が見えてきたりすることを指す。

これを人と会って話をするときに当てはめてくる。最初の瞬間は服装が「図」として視線に飛び込んでくるが、会話が始まれば相手のクルクルとよく動く目や顔の表情が「図」に変わり、服装は「地」の一部となって視界から消える。これは人間は動くものを注目する習性をもつから。

 

よく比喩として、瞳が輝いている人は素敵などと言われたりもする。だが、実際には比喩ではなく、ヘスの実験が物語るように、何かに興味を持って真剣に取り組んでいるときや好意を抱く相手を見つめるとき、人間の瞳孔は大きく開かれる。その開かれた瞳孔に光が反射して、目は本当に輝く。

さらに輝いた瞳を見た人は「相手は自分に興味を抱いてくれている」と感じる。そして、相手に対して好ましい印象を抱き、第一印象アップにつながる。

初めての人と会うときは「どんな人だろう」と不安に思う気持ちが強いかもしれない。しかし、そう思いながら相手に会えば、自然と目に表れる。

いい第一印象を与えたいのなら、不安に思うのではなく「楽しみだ」という気持ちを持ちながら会うようにしたら、その気持ちがめから伝わる。

人間の目は、白目があるため、目がどこを見ているかよくわかるもの。これは、対人コミュニケーションを尾t里安いように進化したとも言われている。これから人間関係を作り上げていこうという意志を伝達するために、お互いの目と目を合わせるアイコンタクトも重要。恥ずかしくて、視線を避けることもあるが、アイコンタクトを避けると、相手に不安や恐怖などのイメージを与える。第一印象をけってう付ける大切な要素が目。

初対面の人をじろじろ見るのはマナー違反。だけど、実際には人は始めて人に会った際、ほんのわずかな瞬間で相手の服装や顔、ヘアスタイル、体系などをチェックしていると言われている。

中でも、自分にとって信頼できる人かどうか話しかけても大丈夫かどうかの判断材料となるのが、服装。この最初の関門で「近づいてもOK」となれば、初対面の人同士が近づき、第一印象を形成する過程に入っていく。

自分と同じタイプの服装をしている人間同士が近づいていく。

特に、女性の場合にその傾向は強く、初対面の人が大勢いる場では、自分と似ている服装の人に近づき話しかける例が多いという。初めて会う際に、相手のどこを見るかについて調査したところ、女性は相手が同性でも異性でも、服装にまず目が行くと答えている。まさに「類は友を呼ぶ」の言葉通り。

女性同士のグループに溶け込み、うまく付き合いたいのなら、最初はみんなが着ていそうな服装に合わせて参加するのが無難。特に、日本人は目立つことを好まない。派手な服装だと近寄りがたい印象になる。

逆に、その集団の一員となることを望まず、独自の仲間を作りたいのなら、自分の好みに応じた服装で参加すること。同じ思いを抱いている人が近づいて話しかけてくる。

人間にも動物にも、自分の縄張りを侵されると怒りを感じるという本能がある。相手に不快を感じさせないパーソナル・スペースのとり方が上手であることは第一印象のよさにもつながるはず。

異性であろうと、女性が近づいて一緒にいる場合は、相手が警戒することは少ないという。だが、男性が女性に近づく、男性同士が近づいている場合には注意が必要。パーソナル・スペースを思いだす。どんなときでも大事なのが笑顔。ある心理学の実験でも、人は笑っていない顔より、笑顔を好むことが明らかになっている。

この際に気をつけたには、言葉では「あえてうれしい」と言っているのに、目が笑っていないなど、言葉と表情が違うとき。このように相反するメッセージを心理学では二重拘束メッセージと呼ぶ。二重拘束メッセージを受け取ると人は混乱し、相手のことが信じられなくなるとも言われている。「会うのが楽しみだ」と思いながら、目も表情全体も自然な笑顔になるよう心がけたい。

また、人間には他の人の表情を無意識に真似る習性がある。よく笑顔の人を見ると、自分のかも知らないうちに笑顔になっていることがあるが、まさにそれ。このことで共感が生まれ、コミュニケーションが円滑になる。

第一印象を決める際、「見た目」に続く位置づけが「話し方・しぐさ」。印象のいい「話し方」は、「声のトーンはなるべく柔らかく、低めで大きく、スピードはゆっくり」と斉藤さんは言う。こうした話し方が相手に安心感を与える。逆に緊張して早口になったり、甲高い声を出すと、相手を不安にさせる。第一印象アップのためには、落ち着いた話方をするよう心がけよう。

一方の「しぐさ」。お互いの安心感や信頼関係は、言葉そして非言語情報とともに「共通するもの」を見つけることで作り出されるという。恋人や友達など、仲のいい二人を見ると同じように笑ったり、うなずいたり、手を動かしたり、二人の間で一致する動作をしている。心理学で「相互の同調行動」と呼ぶもの。これを「よい印象作り」に生かすことができる。視線、表情、姿勢、しぐさ、花しかとぉ相手に合わせ、自然な形で真似る。こうすることで相手は安心し、好意を感じるようになる。

話を聞く立場になったときに心がけたいのは、慶弔のスタイル。マタラゾらの実験に見られるように、人はうなずく人を快く受け入れる習性がある。人は誰でも、肯定されたいという自尊欲求を持っているから。うなずきや微笑、相槌をうつなど、話し手が自信を持って離し続けるkと尾を促す聞き方を心がけよう。腕組みや脚組みをするのはNG。批判的な態度ととられるので控えたほうがいい。

最後に、第一印象の1割だけを占める話す内容だが、重要でないからと言っておざなりにはできない。というのも、服装や表情、話し方、しぐさでいい印象を与えていても、話す内容が合わないと人は違和感を抱くようになるから。特に日本人は意見を戦わせながら仲良くなることに慣れていない。最初はできるだけ、相手の意見に合わせることが必要。もし、かみ合わないと感じたら、すぐに話題を変えて、共通のテーマが見つかるまで探してみよう。住んでいる場所や出身地、趣味、ペットのことなど、共通のテーマは必ずあるはず。一つでも見つかれば「あっ、この人とは話が合う」という心理状態になると斉藤さんは指摘する。共通の話題探しも、やはり大切なこと。

 

ポイント?

最初の関門は服装。仲間になれるかどうか近づく第一歩を決める

その人のセンスや個性は服装にも表れる。この服装、実は第一印象の第一歩を決める要因の一つ。

第一印象を決める最大のポイントはいきいきと魅力的な「目」

服装を目安にして近づいた後、人はどこを見て相手を判断するのか-それは目。

相手との距離と安心させる笑顔が見た目の仕上げ

第一に服装、第二に目。そして最後に笑顔で見た目の印象が決まる。

印象の3割を占める話し方としぐさ。ゆっくりと相手に合わせる

お互い感覚が似ている、と感じれば人は相手に好印象を抱くもの。

 

【アンケート依頼の実験】

初対面の人に与える印象で大きな要素をしめるのが服装。ある心理学者が個別に家庭を訪ね「アンケートに協力してください」とネクタイをしている人が依頼した場合と、ネクタイをしていない人が依頼した場合の実験を行った。日ごろネクタイをすることが多いホワイトカラー層では、ネクタイをしている調査員に9割以上の人が応諾。それに対してネクタイをしていない調査員に応諾した人は3割にもならなかった。一方、普段ネクタイをしていない人達ではネクタイをしてない調査員にはそれよりも多い65%が応諾するという結果。路上で行った同じ実験では、ネクタイをしている調査員には7割、していない調査員には4割の通行人が応諾した。

人が始めて会う人を見る際、きちんとした服装をしているかどうかだけでなく、服装が自分と同じ傾向かどうかも関係していることがわかった。

【ヘスの実験】

心理学者ヘスは、男子と女性に数種類の写真を見せ、彼らが瞳孔がどう変化したのか調べた。その結果、男性の瞳孔は女性の裸体の写真を見ると拡大し、女性は赤ちゃんの写真を見たとき一番大きくなった。通常、人の瞳孔は目に入る光を調節するため無意識に縮小・拡大する。ところが、この実験により瞳孔は心理的にも反応し、興味がある事柄、好ましい事象を見たときに大きくなることがわかった。さらに女性の顔写真を2枚、男性に見せた。その女性の顔写真は、同一人物のもので1枚が瞳孔を大きく、もう1枚が瞳孔を小さく加工したもの。その結果、瞳孔が小さい写真より、瞳孔を核だしさせた写真の方に男性は興味を示した。この結果に関してヘスは、瞳孔が大きいほうが「自分に好意を寄せている」と感じさせると分析した。

【ホールの観察】

人間にはコミュニケーションをとる相手が自分に近づくことを許せる空間(心理的縄張り)というものがある。心理学でパーソナル・スペースと呼ばれるもの。文化人類学者のエドワード・ホールが、パーソナル・スペースについての観察と面接を行い、4つのゾーンを見出している。①親密ゾーン(約50cmの範囲内):親や恋人、家族などきわめて親しい間柄の人だけが入ることができる。②友人ゾーン(約50cm~1mの範囲内):友人や親しい同僚など心の許せる人との会話や活動が行われる。③社会ゾーン(約1m~2m):手を伸ばしても届かないが、相手の表情は見え、話もよく聞こえる。④公衆ゾーン(約2m~7m):表情は見えにくいが、姿は見え、声も届くので、講演などで用いられる。これらの4つのゾーンは、他人との心密度を測る目安でもある。

【マタラゾの実験】

心理学者のマタラゾらが、うなずきの効果について実験をした。アメリカ・ポートランド市の警官と消防士の採用試験の面接で、志願者を被験者として行った。最初の場面では被験者の質問に面接官が自然に応対し、次の場面では被験者が話し始めるたびに面接官がうなずくようにした。そして、最後の場面ではまた自然な応答に戻した。質問内容は家族や教育のことなど異なるが、面接官の発言量や表情は同じ前提。その結果、うなずきによって被験者の発言量は1.7倍に増えた。うなずきは「発言者の言葉を否定せず、あなたに注目しているよ」というサイン。発言者はそのサインを自分への承認と受け取り、承認に応えるためにさらに発言が増えたと考えられる。誰しも、「自分のことを認めて欲しい」という自尊欲求があるが、うなずきによって、その欲求が満たされる。

 

 

正直、プライベートで出会うのと、仕事で出会うのは違うと思う。

だから、初対面に対しても反応は別。元々の習慣で、仕事上相手を大切にする格好そうでない自分を大切にする格好というわけ方が染み付いていると、自分を出す服装をしている人と仕事上で同じ職業として接するのは嫌いだ。だけど、その人の価値観の中で、もしかしたらそれが精一杯なのかもしれないと思えるようになった。ちゃんとしろって言っても通じない。だから、企業などが採用するときには、ちゃんとするって言うことを知っていて、共通認識がとれる人を雇うのだろうと思う。その辺がルーズな人が採用面接をすると、共通認識が取れない人が入ってくる。辞めさせることもできない…とマイナスになるから、企業はチェック機能万全に行うと思う。育つ中で学ぶ機会がないのも残念だが、昔の日本では学ぶ機会を学校で…と、教師の服装に対しても厳しく言われていた。それがルーズになっているので、社会での信用も低下していると思う。アンケートではないが、服装で判断する能力はみんな持っている。というより、持つように家庭で育てられる人達もいる。持たないとうまく生きていくことが難しいから。

文章は、原文よりも省略したり、言葉を補っている。全ての記事を写していたわけではないので、大本と違うかも。

 

「ぞうさん」の贈り物

1998年6月1日の朝日新聞社説。衣替えについて

きょうから6月。衣替えである。

この変わりめに、こころの衣替えを考えてみたい。

まど・みちおさんに会った。

童謡「ぞうさん」の作詞家で知られる。

ぞうさん

ぞうさん

おはなが ながいのね

そうよ

かあさんも ながいのよ

大人も子どもも知らない人はいないだろう。作曲は團伊玖磨だ。

ぞうのこどもと母親の仲よしこよしの歌と思っていた。

「そうではないのです。ぞうの子が鼻が長いとけなされている歌なのです」

それでもぞうの子はしょげたりしない。むしろほめられたかのように、一番大好きな母さんも長いと、いばって答える。

「それはぞうが、ぞうに生まれたことはすらばしい思っているからです」

ぞうに限らない。ウサギもイワシもスズメも草や木も、地球に住む生き物たちすべてが自分であることを喜んでいる。人間だって、そのなかの一員である。これが、まどさんの「ぞうさん」哲学なのだ。

アイデンティティーとか「自分探し」といって、自分の存在証明に躍起になることもない。「あるがまま」でいいのだ、といっているように思われる。

人間も他の生き物も、それぞれにちがいがあるからこそ意味がある。違うもの立ちがその違いを生かして助け合うことが最善のみち。みんながみんな心ゆくまでに存在していい、共生の考え方だ。

まどさんは相手の傷や痛みを自分で引き受けてしまう。そんな詩を読むと、何か途方もなく大切なことをなおざりにしたままでいることを気づかせてくれる。

88歳。戦前、台湾にいた19歳から童謡や詩を書く。その数は千を越える。いまも書き続ける。

まどさんは繰り返し蚊の詩を書く。

刺しにくる蚊。おもわずたたいてしまうのだが、刺される側のまどさんは、血を吸わなければ生きていけない蚊の身の上にまで心を痛める。

きえいりそうに よってくる

きんいろの こえを

大げさに たたいたあとになって

ふと おもうことだってある

むかしむかしの

りょうかんさんだったらばなあ…と

たたいてしまった自分に傷つき、蚊のことが気にかかってしまうのだ。

こどもがしゃべった言葉を詩にした作品展で、まどさんの印象に残ったのは、教室でトイレに行きたいが紙がなく地団太を踏んでいる。それを見たほかのこどもが一緒足を踏み鳴らしたというものだった。

童謡「サッちゃん」の作詞家でまどさんの評伝を書いた坂田寛夫さんは「私たちがふだん見過ごしてる小さな、それゆえ大事なことを教えてくれます。いまでも新しい発見に向けて、散歩しています」。

ほかのだれでもない自分が、ほかのどこでもない「ここに」いる。そのことこそが、すばらしいのだと「ぼくが ここに」という詩でまどさんはうたう。

衣替えには「季節を着る」意味があった。袷から単になることで、こころまで軽くなる。

あなたも「お仕着せ」を縫いで、衣替えしてみませんか。

 

 

ちょっと強引な感じも何度読んでもしますが、「ぞうさん」ってそんな意味だったの…。驚きをもって読ませていただき、切り抜いていたのでした。

1948年に書かれたもので、1953年に團伊玖磨が曲をつけてNHKラジオ放送された。その歌詞は自らのもつ差異を肯定し、誇りとするものとされている[。周南市徳山動物園には「ぞうさん」の歌碑がある。

みちおは「ぞうさん」について次のように語っている。

「『鼻が長い』と言われれば からかわれたと思うのが普通ですが、子ゾウは『お母さんだってそうよ』『お母さん大好き』と言える。素晴らしい」

この文章はウィキペディアに載っている説明から。

本年、2014年2月28日、104歳で、老衰のため病院で亡くなられた。こうみると、88歳のときとあるので、それから16年。

〈ぞうさん〉とまど・みちおの思い

法政大学のレポートのようです。

ぞうさんの解釈などを丹念に調べられている。そして、どこの国の方だろう?韓国かな?日本人の思考という視点での考察など面白いなぁ…と思いました。

このレポートで知りえたことで気になったことを2つ。

1)「ぞうさん」の作られた背景を勝手に創作した朝日新聞記事があったということ。

1968 年4 月21 日の朝日新聞「東京のうた」欄に載った記事。

2)「ぞうさん」の。おはながながいのね」は、原文は「おはながながいね」だったということ。

「佐藤通雅『詩人まど・みちお』北冬舎、1998 年10 月、227 頁

「 佐藤義美さんのこと―まど・みちおさんに聞く―」『季刊どうよう』、チャイルド本社、平成2 年7 月、27 頁。

 

 

驚くべき事実。知らなかったわ…。

「の」がないと、確かに非難めいて聞こえる率が高くなる気がします。

 

朝日新聞の社説として、この「ぞうさん」のことを取り上げるってどういう意味があったんだろう?なんて気になりますね。

 

今までのスクラップなどを整理して捨てていく中で、記録したから捨てようかなぁ…と思っていたのですが、違う意味で気になりました。

 

 

キリスト教徒だった?千利休

2014年2月3日朝日新聞朝刊だと思います。お墓参りに行くために購入したお花を包んでくれた新聞。いつも家ではとっていない新聞なので、思わず持ち帰り読みました。

記録しておかないとビリビリと裂けた新聞紙なので、記録。

 

キリスト教徒だった?千利休

「侘び茶」の大成者と言われる伝説の茶聖・千利休。彼が創始した茶の湯の作法に、キリスト教の影響が色濃く投影されているとの説があるのをご存じだろうか。その可能性は?

千利休は1522年、現在の大阪府堺で魚問屋や倉庫業などを営む田中与兵衛の子として生まれた。

幼名は与四郎。武野紹鴎に茶の湯を学び、のちに戦国武将・織田信長や豊臣秀吉の茶頭として、数々の茶会を主宰。1585年には秀吉が開いた禁裏茶会で正親町天皇に献茶し、「利休」の号を勅賜された。

しかし、大徳寺山門に掲げた自らの木像が不敬とされて秀吉から追放処分を受け、70歳で切腹する。

竹製の茶杓や黒楽茶碗を好み、2畳という限られた空間の茶室をつくるなど、日本文化の粋ともいえる「侘び茶」の大成者としてその名が残っている。

だが、その利休の茶が、実は当時の最先端文化だったキリスト教の影響を受けていたとする説がある。

利休の孫・宗旦の次男だった一翁宗守を祖とする武者小路千家の14代家元である千宗守さんは約20年前から、「一つの茶碗の同じ飲み口から同じ茶を飲む『濃茶』の作法は、カトリックの聖体拝領の儀式からヒントを得たのではないか」と主張してきた。

宗守さんによると、飲み回しの作法が文献に初めて登場するのは1586年〈天正14)年。翌年には大阪城で開かれた茶会で、秀吉が「一服ヲ三人ツツニテノメヤ」と言うほどまで普及した。「それ以前には行われた記録がない。どこかからヒントを得て、利休が創案したと考えるのが自然」

当時、日本でも有数の貿易都市だった堺では、キリスト教が盛んで、のちに七哲と言われた利休の高弟の中にも、高山右近や蒲生氏郷など、多くの信者がいた。

「ミサの際、イエスの血の象徴であるワインを杯に入れて回し飲みする様子を見た利休が、場の一体感を高める目的から、日本人にはなじみが薄かった飲み回しを茶の湯に取り込んだのではないか。茶入れを拭く際の袱紗捌きや茶巾の扱い方なども、聖杯を拭くしぐさと酷似している。偶然とは考えにくい」

宗守さんは1994年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世にバチカンで謁見した際、この説を披露した。するとバチカンの関係者から「法王庁の未公開史料の中に、茶の湯とキリスト教のミサの関連を記した文書がある。いずれ公になると思うので、待ってほしい」と言われたという。

とはいえ、今のところ、国内には茶の湯とキリスト教の関係を証明する史料は存在しない。

文教大学教授の中村修也さん(日本茶道史}は「日本を訪れたイエズス会の宣教師ルイス・フロスは、千利休はキリスト教徒ではない旨、はっきりと記している。回し飲みも、心を一つにする際に行われる一味同心の時の盃の回し飲みと共通しているし、その他の作法の類似も、一般的な動作における普遍的な一致と言えるのではないか」と話す。

中村さんによれば、利休のもっとも大きな功績は、一般の人にも親しめる形で茶の湯をプロデュースしたことにあるという。

「新たに登場したいわゆる国焼の楽茶碗や竹製の茶杓は、貴族たちが使っていた中国の茶碗や象牙などの茶杓に比べれば、安価で入手しやすい。それがあって初めて茶の湯に親しむ人が増えた。もし、利休がいなければ、他の湯の現在のような隆盛はなかったと思います」

利休は「恬淡とした茶人」ではなく、茶杓の工房を運営し、良質な茶の葉を手に入れて販売するなど、茶の湯にかかわる産業を総合的に運営した「承認」でもあったと中村さんは指摘する。晩年「売僧」(商売をする僧)と悪口を言われたのは、それゆえだったのではないか。

 利休の周りにはキリスト教徒が多い

いわゆる「利休七哲」(7人の高弟)、蒲生氏郷、細川忠興(三斎)、古田織部、芝山監物、瀬田掃部、高山右近、牧村兵部のうち、蒲生、高山、牧村はキリスト教徒。細川と古田もそうだったとの説がある

 

捨てようと思ったのです。お墓にお花を生けて、お花を包んでくれていた紙をふと見ると「千利休」という文字と「キリスト教徒」という文字が見えるというビックリ。

「濃茶」ミサ儀式に酷似など、ビックリの表記に捨てるごみを包むのに使いかけていたけど、切り取って持ち帰った。

 

茶の湯にキリスト教の影響がなかったか全くなかったとは言えないかもしれないと時代を思うと考えるのもアリだと思うのです。

ただ、袱紗捌き、濃茶の作法、茶室の躙り口について図でも書かれている記事を読みながら、本当のところはどうなんだろうなぁ~って思いました。

武者小路千家と言えば、三千家の一つなので、そんな家元さんが言うことを全く否定するほど私は詳しくない。だから、そんな意見に実際どうだったのだろう?とは関心あり。

ただ、読んでいた場所がお墓で、読みながら、大徳寺にはキリスト教徒だった方のお墓がいっぱいあるのかもなぁ…なんて思いました。利休七哲のうちそんなにキリスト教徒がいたんだ…と驚きながら、黒田官兵衛もキリスト教徒と思えば、ある意味時代の流れがそんな感じであったのかなぁ…?とも思わされます。

 

『利休にたずねよ』という映画の中で、そんなこともあったのかなぁ…と、正直事実がどこにあるのかなんて知らない話がいっぱいありました。この新聞を見ても…知らないことがいっぱいだなぁ…と思わされます。

 

織田信長の家来として、寺を焼く…などしていた人たちと思えば、仏教以外を信仰していたのかもしれないと考えるのも一つかもなぁ…とも思いますね。

竹製の茶杓など、確かに多くの人がお茶を楽しみやすい状況を作っていったかも…って思ってみると、違う側面が見えてくるかもしれませんね。

 

本当のところは今となっては正しく理解するのは難しいこと。そう思えば、また違ったところから本当のところは?って情報が入るかもしれないと思える意味で、新聞の日付と新聞記事の記録を残して…本当のところどうって思いながら記録まで。