おとき

今、おにぎりのことを調べていました。おむすび…。

そして、いろんな動画を拝見しました。

 


「おむすびを作るときは、お米の一粒一粒が息ができるようにと思って握ります」
佐藤 初女さんの言葉だそうです。

 

心がこもる…そんなことをおむすびおにぎりと調べていました。

 

ふと、父の葬儀にあたり最期の食事…と、いただいたおにぎり?ご飯を思い出しました。

「おとき」と言ってましたが、調べてみていると、私の知っている「おとき」とは違う話もあったので、素朴に「おとき」ってなんだ?

 

基本的に食べもののことをこちらに書いていないけど…さすがに葬儀にまつわる話を食べものの話だから…って書くのも気が引けたし、調べてみたかったのでこちらにノート代わり。

 

おときとは、仏事の後に頂く食事のことだと書いてあるサイトを発見しました。そちらには、いろいろと詳しく書かれていました。ただ、そういえば法事の後にお食事を一緒に…ってお坊さんと食べるなぁ…って思い出しても、「おとき」と言った覚えがありませんでした。

日本が貧しかった時代、仏事の御斎(おとき)は御馳走でした。

そう書いてあったのを読んでなるほど…とは思うこといっぱいでした。

亡き人を偲び、杯を献じ、亡き人と共に頂く食事であり宴会でない

そう書いてある文章もありました。

 

私は、葬儀が始まる前に親しい方々と「おとき」をいただく…という、故人と共にいただく最期の食事のことを「おとき」というと思ってましたが、全て仏事法事に関わる食事のことをさす言葉なのですね。

○ 決められた時間内に食べる斎食(さいじき)が由来

○ 食事をする時刻「時」(とき)に語源を発している

なんて書いてあるものもありました。どちらが正しいとかわからないなぁ…。

 

斎食儀(食事作法)

このサイトは天台宗の食事作法について書いてありました。

 

今、ウィキペディアで「を発見。そこで、へぇ~

この漢字の読み方が変わる話が載ってました。

  • 斎(いつき) -神道で、ものいみ(潔斎)をして神に仕えること。また、その人 
  • 斎(とき) -仏教寺院における食事。また、仏事の際に寺院で出される料理、斎食
  • 斎(ものいみ) -正教会における断食と食物品目の制限。食事のみならず行動も律し、祈りを増やす事が求められる

 

設斎供養という言葉も初めて知りました。

年回の供養において、法要の読経などがつとまった後に、一同に会して食事をいただく席を設けます。これを設斎といい、また当佛のみならず導師はじめ参列者に対する供養と称し、その一連の行いを法事とも呼び習わしています。

と書いてありました。こちらは曹洞宗のお寺のサイト。

 

『日本書紀』に、推古天皇時代(606年)に「この年より初めて寺ごとに4月8日、7月15日に設斎(おがみ)す」という言葉が出てきているそうです。

四月・七月斎会の史的意義

神戸大学の文献みたいです。お盆の話で載ってます。

 

設斎は、法会に食を供すること、「中を過ぎて食せず」、午後の断食であり、午前中の食事の意味と注される。ここでは”をがみす”と訓じており、香華灯塗(こうげとうず、お香をたき、香を塗り、お花を供え、お灯明をつけ)、供物をそえてお祀りすることではないのか。四月八日は、花御堂(美しい花で飾った小さなお堂:ルンビニー園)に、甘茶(竜が降らした甘露の雨)の入った水盤を置き、誕生仏の頭に甘茶をそそいでお祀りする潅仏会(かんぶつえ)。七月十五日は、餓鬼道に落ちて苦しんでいるお母さんを、釈迦の教えにより、修行を終えた多くの僧侶に供養をして救ったという故事、あるいは長い間子孫により供養されず逆さ吊りにされている死者の霊に飲食を与えて救うといふインド古来の祖先崇拝による盂蘭盆(うらぼんえ:ウッランバナ「さかさづり」を意味する言葉)とされた。

これは、日本書紀について解説しているサイトにあった文章です。

 

お葬式・豆知識vol.2【お斎(とき)について】

という記事があるブログを発見。

【斎(とき)とは・・・ 小乗仏教の僧侶は正午以前に食事をとり、それ以後は摂らないが

食事をしない時間を非時(ひじ)といい、食すべき時の食事を時食、斎食という。

そのことから、僧侶の食事や法事での食事を斎という。】

こう書いてあった。この人は誰だろう?なんて調べようと探してもわからなかった。まぁ調べるきっかけにはなるかなぁ…って言葉たち。

 

お斎というのは、本来、不殺生という戒律を守った寺院での食事のこと

書いているサイトには、ビルマのことなども触れて書いてあります。

 

お斎(とき)とは、今では広く仏事の際にいただく食事をさしています。しかし、斎という言葉には「つつしむ」という字義があり、本来は身を慎んで清浄な生活をおくることを意味します。また「斎戒」(さいかい)ともいいます。

これはQ&Aと天台宗のサイト?に書いてあります。もっと詳しく書いてありました。

もともとインドの仏教では、出家者は正午を過ぎてから食事をしないという戒律があり、食事をつつしむのが斎の由来

なるほど…とインド由来の話なのですね。

 

ただ、私の覚えている「おとき」って、父が亡くなって葬儀の前にドタバタとそこにいたみんなで食べたお別れの食事だった…って調べてみたら地方によるもの?

別れの杯なるものが出てきました。

出立ちの膳(ワカレメシ、タチメシ、ナキワカレとも)」って言葉を発見。

飲食は人間の交わりを象徴するものですから、死者と食事を共にすることによって、死者と最後の交わりをし、別れを行ったものと考えられます。したがって、こうした飲食の席では、しばしば死者用にもお膳が用意されます。神と食事をすることで神の力をわが身に取り込む神人共食の観念が影響しているとの考えもあります。 

なるほど…

出立ちの膳 出棺の際に,参会者に供する一膳飯。でたちめし。

この言葉はあるのですね。

 

三重県では、涙汁というものがあるって書いてありました。

 福岡では、出棺の前に遺族や親近者が集まって故人との最後の別れの食事として、簡単な精進料理を食べます。これは「出立ちの膳」と呼ばれています。柳川市では、この出立ちの膳に、冷酒を出すこともあるそうです。

葬儀屋さんがいっぱいあるなぁ…と思わされる検索ですが、とりあえず紹介されているものをメモしておかないと忘れる…。

佐賀県では、「出立ちの膳(でたちのぜん)」と呼ばれる通夜振舞いを、身内だけで食べます。

鹿児島県の一部地域では、出棺前に「別れ飯」を食べ、北部の一部地域では、参列者にもこの「別れ飯」を振舞うことがあります。最近では火葬場で食事を取るため、別れ飯を省略する傾向が強いそうですが、古い家などではいまだに行われています。

ほんとうにいろいろあるのだなぁ…って思わされます。

 

日本の伝統的食慣習のタブーの両横綱は、肉食と一膳飯でした。ご飯を一杯しか食べないのが好ましくないとされたのは、肉食同様に仏教との関わり合いです。 死んだ人の「枕飯(まくらめし)」が一杯盛り切り、出棺の前に近親者が食べる「出立飯(でだちのめし)」も一杯限りですから、普段は一膳飯は禁忌でした。 さらに波及して、お嫁入りで実家をたつときも一膳飯だったのです。

こんなことが書いてあったサイトは、「握り寿司はなぜ2個で出されるのか? なぜ1貫、2貫と数えるのか?」ということで、書いてありました。

一膳飯を調べていて、よそい方のことに触れている文章を発見。2杯食するという話が書いてある中、一度にご飯をよそわない…って書いてあることを読んで、そういえば…一度でよそうなって言われた気がする…と遠い記憶。

ご飯を一回でよそう
ご飯に箸を刺す。
何を以てマナー違反何ですか?教えてください。

質問サイトの質問で読んで、はっとさせられました。それは回答の方。

当たり前にしていることに疑問を持つことってほんとうに大事。そして、伝えるときにも、意味を知らずに伝えていくことにより偏見やタブーなど根拠不明な「ねばならない」がたくさんできることになる…ってね。

 

それはしてはいけないといわれて育つと、違和感がある質問。でも、確かに…仏教での死者を弔う対応の話。箸をご飯に立てるのを止めましょうと同じなんだよねぇ…。素朴な疑問は理由を知ると、極力しない方がいいことと、別にやってもいいことに別れていく…

 

「おとき」について知りたかったのですが、広がりを持って知ることができてよかった。

 

後は…サイトで検索しても出てきにくい…と、おときの形態。宗派によって違うのかなぁ…?なんて思いながら、一膳飯ではなく丸くなったおむすびというのか、それを食べたんだよね…。

 

作ってくれたおばちゃんが言ってたなぁ…遠く離れて子どもが住んでいると、いろんな人が亡くなったときにそんなもろもろの対応の仕方を覚える機会がないと。祖父母の死の際に見て学ばず、父母の代…一方が亡くなる際にもいなければ、実際に自分が喪主でするようになったとき、全くわからないだろうなぁ…って。確かに…。いろんな流儀があるとは思いますが、その家の慣わしって途絶え、一般化されていくのですよね。

 

先日といっても、もう2週間以上経ったのかなぁ…お通夜におまいりに行きました。そのとき、お坊さんがえらくホント、説教された。まぁ…お通夜の枕教の後に説教されるって体験することは多いけど、よく言う「説教」と普段耳にしている言葉通りのモードでの説教だったので、面食らった。声を荒げて…と、お焼香の仕方について言われていた。そんな喪主が若いから、最初に覚えるためにだろうなぁ…なんて思ったりもしながら、斎場の方の説明とは違うお話。斎場の方の言うとおりに真に受けてはいけないと学んだのではありますが、そんな所作についての説教を遺族をはじめ多くの方のいるところで…なんてそんなに細かいものかな…と思わされた。帰宅して、母に尋ねたら、さもありなん…なんて、母方の実家の宗派と同じだから聞いたらそう言われた。どう焼香するかなど、所作大切とのことだった。祖父祖母をはじめ葬儀や法事に行って、確かにお経を読むように…って冊子を回される体験などするけど、焼香の仕方を言われたことがなかったなぁ…。同じ禅宗のはずでは…なんて思うと違いを意識させられることは多いよなぁ…確かに。

 

焼香の仕方ひとつ…って、そういえばちゃんと教えてもらって…なんてしたことがない気もした。

 

あんまり仏教だ…なんて意識して育っていない気もする。父が亡くなってからいろいろと覚えたり…。母の実家にはお坊さんがよく遊びに来ている…ってお盆に行ったりするからか出会っていた。弟たちが木魚叩いてお経を読んでいても私自身は興味なかったから?お墓参りに行くとかは行ってもちゃんといろんな習慣ってわかっていないのかもしれないなぁ…。

お仏壇にご飯をよそうのも、まるくしないといけないと言われるけど…なぜだろう?とか、疑問を持ち始めるときりがないなぁ…。

 

疑問を持たずにやっていることも、実は違う立場から見るとふつうではないはず…という意味では、おむすびを調べていて、おときが気になって調べてみたけど、お寺で教えてもらうしかわかる方法はないのかも…?おんなじ宗派でも、総本山の流れが違うだけでもなんか微妙に違ったりする…ということを体験したりもして思うのです。ちゃんと細かく伝えられて…って普通しているものなのかなぁ…?なんてね。

きっと、弟たちは私より知らないはず…なんて思うし私も知らないなぁ…。

 

 

 

福久清一 輪島塗 

ん…

 

不景気って、本当にどこもかしこも…と大変なんだろうって思います。

ただ、もしかしたら、今度…って写真を持って歩くことはしないだろうから、偶然にも見てこんな風に使わせていただいていますよ~とお礼代わりに。

屠蘇器と重箱の絵を描かれている方が廃業すると伺いました。

ん…。

私にとっては、驚きというよりも、本当にどこも大変だよねぇ…という意味では生活をしていくことが優先…仕方ないと思います。ただ、数年前から金が高騰しているから…と金彩ってドンドン材料費があがっているとおっしゃっていたり、漆器を使う人自体も減っていたり、本当にたいへんでしょうね…と生き残るための努力…どの世界の日本の工芸を作っている方も大変だろうって思います。

正直、写真にある磁器を作っている方々も、もしかしたら本当に大変なのかもしれません。

 

今、景気の悪さ…などなど、いろんな理由から安さを求められて…。

見た目にはわからない…かもしれないけど、漆器だって漆の割合が変わっていっていたり、下地が樹脂になっていったり…、中国など他国で作られていたり…いろいろ。

 

陶器だって、品質のよい原料を求めると高く…海外から集めたり…など、どの世界の人も同じだろうけど、どうしたら生き残ることができるか?苦心されていますね。

 

私は、そんな作品作り…ってある意味ではバカなことかもしれないけど、妥協せず愚直に?作られているものたちを…そんな高くとは購入できないけど、日本の伝統技術がなくなってほしくないなぁ…という思いで、作っている人売っている人達のお陰さまで手に入れて使っています。

少しでも多くの人が使うといいのに…と言いたいけど、重箱も使われるような食文化自体が衰退しているし…など考えると、何軒も漆器・陶器・ガラス細工・着物…などなど廃業されていく話を聞くこと本当に多い。

だから、それでもがんばり続けている…そんな方々のものが売れていくといいなぁ…って思いますが、100円ショップでも重箱あったり…など、価格の方が先行して同じものでなくても、手に入れることができる価格帯のもの…という選択。そして、きっと手に入れることができる人達の生活からは不必要なものになっていってるのかもなぁ…って思うところのものたち。

 

私にとって、初めて輪島塗のもの…多分、骨董品って自分の家のものを販売されていた専門学校でご一緒した方のお吸いもの碗を購入した時だろうって思います。輪島塗だとか、何塗りだとか、何が違うのかもイマイチわかっていないような…でも、そんな感じだけど、何が違うのか知りたくて…って感じで手にしました。

それを機に、陶器フェアみたいなところで塗り物を売っている…と何が違うのか?など、いろいろ教えていただいたりしていたのでした。

 

他のブログに書いていた文章です。

漆器の技法そのものは、縄文時代にまでさかのぼるんだとか…凄い。

輪島塗の最も古いものは、河井町にある「重蔵権現本殿の朱塗扉」だそうです。室町時代の大永4(1524)年の作といわれているのだそうで…約600年前のものですね。

輪島塗って…はてなマークなんて、よく聞くし、見たことがあるのに…そして作り方も聞いたりしたけど改めて何だろう?と調べてみました。

石川県輪島市で作られる漆器を輪島塗という?

輪島塗の発祥は諸説あるそうです。
天平年間に真言宗の行基により鳳至郡門前町に総持寺が創建された際に畿内より伝来したとか
た室町時代中期頃、紀州の根来寺の寺僧が輪島・重蓮寺に来て同寺の什器類を製造し伝来したとか
福蔵という者が根来に行き技術を伝習したとか…

輪島塗の特徴は、木地に生漆を塗付した後、縁など破損しやすいところに「着せもの漆」を塗った麻布や寒冷紗(綿布)などの布を張って補強する「布着せ」をし、生漆に米のり及び「地の粉」を混ぜ合わせたものを塗付しては研ぎをすることを繰り返し、上塗りは精製漆を用いて「花塗」または「ろいろ塗」、加飾は沈金または蒔絵によることにあるとこちらには書いてありました。

調べていて、へぇ~…
女の子が自分の髪の毛で刷毛を作り、お父さんがそれで仕事をする…?
そんなことで輪島塗を調べてみようと夏休みの課題研究みたいに調べてまとめたものがアップされていました。

近年の考古学的調査によって漆の歴史も約6800年前にさかのぼることが、明らかとなったんだそうです。その最古の漆塗り製品は、能登半島・田鶴浜町三引遺跡から出土した竪櫛なんだって。
凄いですよね~くさっていないって…

輪島塗について、輪島漆器商工業協同組合がサイトを出している…って読んでいて、輪島塗だけでなく漆器そのものについて知ることができる感じでよかったです。

この表は、作る工程がわかりやすい~って思いました。

$食べる喜び 食べる楽しさを 健康とともに!(change!change!change!を改めました)

輪島塗工房ということで、自分で選んで行きながら工程を学べるように作っているサイトがありました。

子ども向けに輪島塗のサイトも…凄いですね。

石川県って、こんなにいろんな伝統工芸などがあるんだ…って思わされるサイト。上手ですね~わかりやすい。どの県もこんな風に紹介されているのかしら?

漆器は英語でjaponというのは有名ですよね~。

インターネットオークションを以前見ていて、「柿右衛門」「九谷焼」「輪島塗」とにかくたくさん出てきますね。
輪島塗って書いてあって本物なのか…?とか、見分ける技術があるのなら塗りなおしてお手入れしてもらえると教えてもらいました。木地がいいとなおよいらしい。

私が初めて輪島塗って購入したのはお椀。これは古物。自分の家に伝わっていたものを…とお店を出された知人から何か一つ…と思って購入しました。それは、塗りなおしてもらいました音譜

ご縁ってつながるもんだなぁ~と思うのです。
手に入れて、少し色が日焼けしているなぁ~と思っていたのです。どうしたらいいかなぁ~と思っていたら、輪島塗の塗師の方とお会いでき、見てもらうことができました。デパートを通すとメチャクチャ高い…ってね。また、ギャラリーの方にも塗り直しを頼んであげますよ~とは言ってもらうなど、気になるとご縁ができていきますね。
直接に塗師の方にお願いしてキレイにしてもらったときに、塗る価値があるかないか…なんて判断もしてもらったり…。

 

そう、私が最初に手に入れたお吸いもの椀も見ていただいてホンモノ…と、疑っている申し訳ないのですが、伝来由緒正しくても確認って大事よねぇ~って、色が褪せていたのを塗っていただいたりしました。違いを見分ける…のも素人だと難しかったり…ってしますよね。

いろんな漆器の産地があって、どこのものを買おうか?とかも…?

でも、実際使用される頻度が減っているものでもあるから家にないというところも増えているでしょうね…。

 

そんな中でも、使わないとわからない…くらいに何でも試してみるって、それまで家にあったお重箱はもちろんあるのですが…使うことに意義ありのおせち作りでもあるし、無地でもいいから安いものないかなぁ…くらいに無理言いながら、作られているものを売っていただいたり…としているもの。

 

ホント、素敵なものたち…なのに、なんせ高い…のは仕方ない部分もあるよねぇ…とは思いますが売れないと仕方ないんですよね…。

 

今、ボストン美術館の日本美術の至宝展があっています。

東京まで見に行きたかったんだけど…って、地元まで回ってくるのを待って見に行きました。

東京 → 名古屋 → 福岡 → 大阪

 

もう一度行きたいなぁ…と思うくらいに素敵な作品たち。

 

漆器の展示を見に行く…って、『パリに咲いた古伊万里の華
また、マリーアントワネットを魅了した漆器、蒔絵って展示も見ました。

ホント、素敵な作品…と海外にいっぱい行っているねぇ…と思わされるのは、今回も一緒。

なぜ、こんなに素晴らしい作品たちが海外にあるのか?

 

 

今回のボストン美術館の件に至っては、江戸時代から明治時代に変わる中で、お金に困ったそれまで幕府の下に安泰に暮らしてきた人達が二束三文のように売ったものを、当時日本のものに価値を見いだされていなかったから国内で買い手がつかず、国外へ…。ボストン美術館に集められたお陰さまでたくさん残っている価値高い作品たち。本当に見に行って、こんなに素敵な作品たちを堪能できる機会に感謝と思うばかり…って、ゆったり展示を拝見できたのも幸いでしたが…。

 

同じだなぁ…って思いました。

 

水源地近くの土地を相続税を支払うために売りに出しても国内で売れないから、海外へ流出しているという話を聞いたこともやはり同じだなぁ…。

 

 

全部一緒。

 

 

何を大事だと思うか?

それって、個人の事情として現金が必要な…相続税を払うために日本の水源地帯の土地が無くなっていく以外にない。

 

日本の工芸品たちも…生活するために海外へ…。

 

いろんな日本の伝統文化たち…廃れていくばかり?

 

 

正直、ダンス必修化より、日本の文化を学べる機会を必修化したら?なんて思いますよね。

 

着物着ることのできない

お茶飲めない

お花無理…

いろんな分野があるけど、修得するまでしなくても、学ぶことができたらいいのに…。

 

ライオンキングもいいと思うけど、芸術鑑賞するなら日本の伝統芸能にしたら?とかね。

 

無くなっていくものは要らないもの?

 

 

海外へ出た日本文化が日本以外で根強く手許危うい~…って、他の国はそんなことはないのかなぁ?

 

元々輪島塗は、日用品。お手入れのために…と船にのって各地を回って塗り直しなどをしていた…と、各地を回って売ること塗り直し…ってされてました。作って売って…ホント大変だなぁ…って。

使い続けることができるように…って、古い物も使えるように対応して下さったり…って本当に使う人の立場に立って考えてくださっていた方でした。

 

プライドがない方かもしれない…っておっしゃってましたが、そんなことないと思います。二代目…って初代のものを大切にされていて、二代目ってご自身の作品も、細部までこだわり作られて…って凄いなぁ…と思ってみていました。というのも、高いからね。

 

同じような図案で、他の人の作品を百貨店で拝見することもありますが、松なども綿毛なども愛らしい感じで好きでしたのに…。まぁ、技術あること、始めることもできるだろう…って信じたいですよね。

 

サイトを作られていたんだ…って、ちょっと違う…と生活のためにいろいろ…とおっしゃっていた分みたいですねぇ…。また修繕の様子も紹介されていたのですね。オークションとかに出てるじゃん…海外向けを発見してしまいました。というか、ビックリ塗り物海外へたくさん出ていってる?

 

母に話したら、生活していくために仕方ないことだろうしね…と、自営業の浮き沈みをよくよく知っているところのこと。私も…少しだけわかるので、やむえないというのもわかるけど、技術ある…って本当に素敵な絵を描かれていることとこだわりを感じていたところ。続けていけるとか、技術を後世に伝える機会を持てるといいのになぁ…って思いますね。

 

人の面倒見がいい…

 

他人がやらないこだわりなど持って取り組まれていたのにね…。

この方が作られたもので、ほうずきの香合を持ってます。小さいほうずきの香合。だから…本当は大きい方が高い?なんてくらいの特価!と出されていたところをいただきました。

でも、小さい方が作るのは難しいんだとか。もう作らない~と手ばなすところにたまたま巡りあわせました。枝まで残っているところがいいんだとか、本物のほうずきに漆をかけていく話を教えていただきました。

 

他の作家さんの紹介したり…自分の商売の紹介をおしすすめる…という代わりに、先代からのお客様でもう整理していかないといけない…という方の古物を売ってみたり…ホント他人のことばっかりでしたねぇ…。

 

絵の細かくてきれいなことも好きでしたが、使う人の身に立って案じてくれたり、古物に対してもそれを作った人のことを考えてそのまま使った方がいいのか直した方がいいのか…って、そのまま使った方がいいとか結論出すとお金にならないでしょ…ってね。

作家さんとしてどうなんだろう~?って調べていたら、この方のことを書いている方が他にもいらっしゃいました。

 

調べてもお父様しか出てこない…というのは、美術展などに出していないと出てこない?

 

 

古典を題材にして作品を作る方はいっぱい。

そんな方々との違いって、ここをこだわっている…とか、いろいろ面白いお話聞かせていただいたりしていたのですが…。

購入された方が、自分が買ったものがどれくらいの価値があるかとかわかるために美術展等に出展してみている…とおっしゃっていた方もいらっしゃいますが、本当は見る人の目がよく気にいればそれでいい話…だと思うのですが、金額が金額だからやはりそういうものが必要となる世界なのでしょうね…。

 

金欄豪華じゃなくていいし、日常使いできるかもしれないけど長く使えるものが欲しい…とお重を探していました。そんなお重を重ね損ねて絵がずれるのも嫌だ…とかシンプルな方が好き…なんて金彩細工する方に無地がいいと言ったりして素敵なお重を手に入れさせてもらったのに…。いろんな人の作っているものを見る機会はあるけど、作品が出している気が優しいので好きでした。値段は他のところも考えてくれたりするけど、入っている心持が違う感じ…ってね。

 

ものは残る…確かにね。

 

技術を伝える…っていろんな方に対しても親切にされている…といえども、人の大変さをかぶって自分が辞める話になるのはなんとも聞いても仕方ないかなぁ…というのと母も私もそんな人の家族の気持ちは少しはわかるところあるかも…という感じと…。正直、父が覚悟決めて引き受ける…ってしていったりした気持ちを理解できる機会いただいた気分でした。

 

ネット上で履歴等見つけ出すことができなくて、ホントいろんな人の作品を拝見する機会持って見ることはします。うまい下手…よりものが発している温かさが好き。そんな基準で選ぶ私からすると、ホント残念…。どの工芸をされている方もご自身の生活をどうにかするのでやっと…という状況だと思うのです。特に、輪島は地震2度あったりして…本当に大変だろうなぁ…ってね。

材料にも妥協せず…という姿勢のところは、ホント大変ですね。だからこそ、その方々がうまくやっていけるといいなぁ…って思いますが、商売としてはちょっとずつでも妥協して一般に流通しやすい価格に…としているところのものの方が売れますね。

ご本人の絵より確かにお父様初代のものの方がきれいなのかもしれないけど、ご本人の絵もキレイだし絵から受ける感じが優しく温かい感じが好きなのになぁ…。

 

いずれにしても、まずは生きていくことが大事なのは確かでしょうし…。

もっと多くの方に見ていただく機会があるといいのにねぇ…とは思いますね。

どの分野も本当に作っている方々の作り続ける環境維持が大変でしょうね。

 

自分が大変でも、周りの業者さんのことなど心配して…ホント…いろいろときっとお客様には力ある方々いらっしゃるだろうに…って思いますが、それも頼りに行かず…プライドない?十分あるじゃんというか…お客さんに迷惑かけるのも…とかいろいろあるのでしょうね。

 

言えることって、ホントまた作り始められるように…って願うくらい。

 

あと、今度お見せしようって写真撮っていた器を使ったって写真。見ていただける機会あるかなぁ~?

 

いろんな漆器の技法を説明いただいたりして、本当に多芸…っていうのもですが、各地を回って…って作る暇あるのかなぁ~?なんて思ってました。

 

感謝。

 

徳田八十吉さん 

九谷の磁器は、黄緑紺紫赤の5色を使った絢爛豪華な絵が特徴。

今は亡き三代目徳田八十吉さんのことを紹介したVTRを手に入れていました。見る機会を持てずにいたのでした。すでに亡くなられて拝見して、九谷焼きの伝統ってアグリッシブな感じがあるのかなぁ…?

 

五十吉さんの亡くなったときにも、どんな感じだったのだろう…?九谷について知りたく思っていました。だけど、亡くなられて…八十吉さんも亡くなられて…遅くなりましたが、このVTRを拝見して最初に目を引いた九谷が私にとっては八十吉さんの花瓶やお皿だったので、感慨深く思います。

 

 

三代八十吉さんは受け継いだ色を独自のものへされていった話。

成形した器の表面をやすりでこすり平らにきれいにして、塗っては焼き…を繰り返している。

 

思った通りの色、文様が出るように何度も計算して窯で焼く…って、描かれている様子で見える色はこんな色で?という色重ねされたものから違う色が出ますね。

 

三代目の色は電気窯でしか出ない色なんだそうです。薪では出ない色って今だからこその作品なんですね。現代だからこそ…新しい色なんだそうです。

 

昔使われていた色絵の窯。

今は使われていないんだって。

 

秘伝を息子ではなく孫に伝えていった初代だったそうです。

昭和31年に初代は亡くなって、当時22歳のお孫さんだった三代目。色の秘伝を12通り、伝えたんだって。半年ではそれだけだった…と三代目は途方にくれたんだそうです。

そんな中、お経を見て、初代の手帖にある文字が、そのお経の文字で1~10を暗号化していたことを発見。100以上あった色を教えてもらった12の色から解読して初代の色の調合を習得されたのだそうです。

三代八十吉さんは自分の色も無数に…。

色の調合は他にもらさないというのは、どこの窯もそれが一番その窯らしさにつながるということなのでしょうね。

 

創生?この字でいいのかな…その作品が気にいっている作品だそうです。

2回焼いて終わろうってしていたら、失敗していたそうです。そこで高温にして3回目を行ったら筋ができて新しい顔が出てきた…って。

本当に新しいものが出るということは偶然…なんだと思わされました。

 

線の集合体が面。数学の世界のような話をおっしゃっていたのですね。

 

二度目に失敗して三度目に…って計算されたものに三度目。

失敗したと思うものに手を加える面白さ。同じものをもう一度となると、偶然ではなくなる。

 

 

「恒河」

この花瓶にテッセン一輪さして、お花の展覧会に出品された方がいるんだそうですねぇ…すごい。

同じ作品かな?お店で飾ってあるのを拝見したことがあります。

 

「心円」

「石畳」

代表作を前に語る姿がVTRの中でありました。

 

同じものを作り続けることが伝承。

伝統とは形骸を伝えるのものではなく、精神を伝えるものである。

 

精神を受け継いで、作者らしさをその中で生み出す。

いろんな伝統を持つ中で生きている人たちの言葉を伺い学ぶ機会を持ちます。本当に、伝統とは?考えさせられるものです。

 

焼き物の表面に入る貫入は、生地と釉薬の収縮率の違いで現れるのだそうです。

「共生」

貫入は、窯から出てすぐ入ることもあるし、何年たっても入らないこともあるのだそうです。

 

徳田順子さん、現在の八十吉さん(4代目)ですね。

若い姿。

四代目襲名されて、今はどんな感じなのでしょう…?

三代目に似た作品を亡くなられた後拝見する機会が多いなぁ…って思いますね。

 

加賀料理の老舗での八十吉(三代)の器に料理がのっている映像は、やはり器は料理のためにあるものだなぁ…って思わされますね。すごい。

作っている人間には使ってもらえてどうか?

 

表面の装飾が中心の九谷。

 

自然体、率直、自分の仕事に意欲を失われていない。

 

作る人間はどういう風に使われるか?

美しい物良いものを作ろうが先立ち、どう使われるかを忘れがち。

 

 

自分の心にあう線は一本しかない。

 

 

『無限の彩を求めて』徳田八十吉

やきもの探訪

『三代徳田八十吉 陶の譜』

というVTRを見ながらのメモでした。

 

 

何度も窯で焼いて行くうちに光に近づいていく。

「旋律」

九谷の色を受け継ぎながら現代的な鮮烈さがあふれている

「恒河」

幻想的な色合い

「彩釉壺」

瞬間瞬間、全く別の表情を見せる海

24時間、365日の海

明」

日の出がモチーフ

50以上の色が塗り重ねあって、朝の陽光を表す

画像が欲しい…と思うとこういう形が一番載せやすいのでした。

 

本当に素敵だなぁ…。

ボーっと眺めていたのは何年前なのでしょう。

九谷焼って、一言で言うと「けばい」ってイメージしか持っていなかったのです。でも、当時の私には毒々しく色がいっぱいというイメージだったものを変えていってくれました。

いろいろと教えてくださった…九谷焼を販売されている社長さんに感謝。

 

昨年は同様にVTR今右衛門を拝見したんです。

あと…数本VTRまだ見ていないので、見よう!って思います。

メンデレーエフ

実は、「ザ・ゴール」という本で、へぇ~と思って記録記録…って思ったこと。

 

物理学者の書いた本ということで、結論から言うとそんなことを書いてあるのかな?

経済の本という観点からするとビックリな話題。

 

だけど、へぇ~って気になったのでした。

 

メンデレーエフが周期律表を発表したときのことなどが書いてありました。

ロシアの科学者。元素の周期律表を作成し、それまでに発見されていた元素を並べ周期的に性質を同じくした元素が現れることを確認し、発見されていなかった数々の元素の存在を予言したことで知られている。

その周期律表を策定するためにどんなことをしたか?などを、経済課題を解くために行う方法と同じだ…みたいに引き合いに出されている。

1869年の2月17日、元素の原子量とその化学的特性との関係について考えていたメンデレーエフは、そのまま眠りに落ちてしまった。居眠りの最中、彼は夢の中で、すべての元素が原子量の順に並んだ表を見た。目を覚ました彼は即座にその表を紙に書いた。

ウィキペディアに載っていたこの文章も興味深いなぁ…。

 

この本を読んで思ったことは、数学や物理や…科学を学ぶことをしていないと、こんな発想が生まれるのだろうか?と経済の話の本のはず…なんて思う話の本ですが、数学の証明や科学の実験などと同じみたいに思わされる。

 

 

キャスターが見たベトナム by宮川俊二さん

これは、昨日のシンポジウムで伺ったお話。

キャスターが見たベトナム」というタイトルでお話がありました。

きっと、どこかで内容は披露されるのだろうって思います。

私は自分が気になったことだけ調べながら…って書きます。

1989年にベトナムに古い日本のミシンを贈ろう

という活動があったそうで…私は知りませんでしたが、母は何かで知っていたようです。

1988年12月3日  朝日新聞(夕刊)女性の連帯『ミシンを』中古品も不足のベトナムへ ~かつての愛機差し出す人続々~

1989年3月3日  朝日新聞(夕刊)愛のミシン、深まる交流 ~全国に広がったベトナム支援運動~市民レベル、実り多く

1989年5月号  タイムズ ベトナムにミシンを送ろう ~市民による平和のかけ橋~に下記のものが載っていました。

文章は、そちらのサイトで読んだ方がちゃんと読めます。

1989年3月1日 読売新聞 ベトナム・名古屋 「ミシン」持参の主婦外交 戦争未亡人や孤児のため

グエン トリ ユン(NGUYEN TRI DUNG)さんと高橋ますみさん。

 

ブンタウで、ミシンが5台あったら活動ができるというベトナムの女性たちの声を受けて、高橋ますみさんが古いミシンを集めている話を、宮川さんは名古屋で勤務していた時に知り、ご自身がされていたラジオ番組で呼びかける機会をつくったのだそうです。

そんな始まりからご縁を持って、ベトナムに届ける取材も、カメラマンと二人で行ったのだそうです。

1975年 ベトナム戦争終結。

1978年末にはじまるカンボジアへの侵攻によって国際的に孤立していたそうです。国際社会からの強力な外交圧力と経済圧力の下、ベトナム政府は一連の経済改革と外交政策の改革を行い、1989年9月にカンボジアから撤退することになったという時代背景もあるようですね。

 

ベトナム戦争と、カンボジアへの侵攻…いずれも、どんなことがそのような事態を招くに至らせたのかという本当のところを私は知りません。

ただ、その当時、日本でベトナムで取材できていたのは共産党系の1社のみだったんだそうです。そこに、市民ボランティアのことによる取材ということで、取材ができたのだそうです。

手で縫うしかできなかったところに、ミシンが使えるようになり、さまざまな製品ができるようになった。さらに得たお金で、工業用ミシンを購入したりして、電気ミシンも活用できるようになった人達は、進出してきた工場で働けるようになっていた。

ミシンがそんなに影響力があるとは…って、驚かされるお話でした。

 

足踏みミシンを修理できる人達がまだいたこと、バブル時で日本では古くなったミシンを捨てたい人達がいたことなど、日本の事情もベトナムの事情ともちょうどWINWINだったんだ…と伺いながら思いました。

 

いろんなものの見方ができるとは思いますが、一つのお話をうかがえてよかったです。

 

花嫁道具にミシンを持たせ…って時代背景。そのミシンをフル活用して子ども達の服などをつくって…バブル時代には捨てるように言われて…聞いていて母のことを思うのでした。それでも、捨てなかった母。思い入れの強いミシンを壊したのは私でした。

父方の祖母は、戦後なのかなぁ…?洋裁を教えていたとか。

母方の祖母も、母や叔父の制服なども縫っていたと聞いています。

昔の人達って何でも作っていたんだ…と感心するのですが、ベトナムの話を伺いながら日本もそうだったのかもなぁ…なんて、明治時代の話などを思ったのでした。

 

私の縫い始めは、フェルトでマスコットを縫うとかで小学1年生の頃かなぁ…縫うとか編むとかなんか身近にしているのを見ていたのです。ミシンが使えるようになって喜んでいたら、雑巾縫って学校に持って行く…というのも私の仕事になっちゃいました…とか思いだされます。

 

でも、高校の時の家庭科で、自分で課題のスカートを縫っていない人の多さとか、卒業して知りましたねぇ…。

教え初めの時に、持ち帰らせないとか、持ち帰って家族が縫う…驚いていたけど、気付いていないだけの私はもうすでに同級生達がそんな感じだったのですねぇ~。

 

今は、雑巾も買う時代だろうなぁ…。

そう思ってみると、縫えないのが当たり前?

ボタンつけもお金を払う時代ですよねぇ…。10年位前にお聞きしたお話。その方の奥様は洋裁を学ばれていたそうで、背広などちょっとした傷みも全て表面に目立たないように繕い使っていけて有難いという話をされていました。そんな話をお聞きしながら、そんなプロフェッショナルにつくろえるのはすごいなぁ~って自分ができるとは思えないので伺っていました。

だけど、4,5年前に高校生にアンケート。ボタンが外れたら…って、捨てるという声がいっぱい…そう、基準は私の感覚ですが、私にとってはいっぱい…と思えるデータでした。このデータはオープンにしていいのかなぁ…?数値くらいはいいのかなぁ…?でも、そのアンケート結果に一緒に驚いた当時の高校生達も多かった。

今、どうでしょう…?

 

有名私立のお受験では、手作りバッグが必需品なのだとか。

そうやって、手作りバッグが高値で売れているそうです。すごいですよねぇ~。でも、手作りってそうですよねぇ~。

 

そういえば、全く関係ない話かも…中国での縫製が値上がりしていく…という話、ベトナムへ…カンボジアへ…なんていう日本で市販される衣類の縫製がどこで行われているか?多様化していると思うこともこんな話と関連?

そして、お手製絨毯が値上がりしていってる…って、確かペルシャ絨毯の値段が上がっているそうですね。IT化など進んでいくと、そんな重労働は嫌がられるようになると伺いました。

 

ドンドン手作りの希少価値は上がっていく?

 

それでも手作りで作っていただける有難さを知っている人たちが、お金を払って作ってもらう…希少な世界に…というヨーロッパものブランドたちも同じでしょうね…。