プチ制服化現象

これは以前入力した気がするけど…消える前だったのかもしれない。

 

今から何年前の新聞の記事なのかも記録をとっていないけど、今や普通?

 

古館伊知郎のTV的職業病

プチ制服化現象

個性的?実はみんな同じ

目からウロコが落ちるとはこのこと。消費不況直撃の最中、大手デパートで今、売れに売れているものがあるという。それは女子高生の制服だ。

いや、厳密にいうと制服ではない。従来の制服は、それぞれの学校指定の文字通りの制服だったが、今売れているのは限りなく制服っぽいデザインの私服。紺のブレザーにチェックのスカート、襟元にはリボンという名門私立校風のデザインで、伊勢丹では「自由服」と呼んでいるらしい。

制服と私服の間に自由が存在するのか?私の硬直化した脳はこの現象を理化するのにちょっと時間がかかる。私の高校時代など制服こそが不自由の権化。したがって怒られるのを覚悟で学生服の下にわざわざ赤いセーターを着ていって、金ボタンを二つぐらい外して画一化に反抗したつもりになっていた。しかし、それはあくまで学校という組織の中でのアピール。「自由服」を選ぶ現代の女子高生は完全に外へ向けたアピールだ。

世間では女子高生ブランドを押し出したほうが注目されて得をする、という戦略。彼女たちは重大にして、すでに市場原理というものを学んでいる?我々の世代が埋め込まれた「自由」だの「個性」だのといったたちの悪い幻想に惑わされていない。どうせ個性なんて大したことない。だったら女子高生というグループへの帰属を前面に出した方が「ヨクナクナイ?」というわけだ。

このプチ制服化現象は、勝手気ままな私服全盛とみられがちなTVの現場にも実は蔓延している。一見それぞれが自由で個性的なふりをしつつ、よく見るとスタッフからタレントまでみんながみんなTシャツを着ている。まるで襟付きのワイシャツ、ポロシャツの類は厳禁というルールでもあるかのようだ。もし襟付きのシャツをはおっていたとしても絶対にその下にはTシャツを着ていて、しかもシャツのボタンは一つもかけず、Tシャツを丸見せにしている。もし本当の自由人だというなら、「少年の心のままに」詰襟の学生服でスタジオを仕切るディレクターが一人はいてもいいはずだ。

かつてサラリーマンの事実上の制服といえば「どぶネズミ」の背広一色であった。しかし、今は昔よりオシャレ。中間管理職系には相変わらずどぶネズミ系が多いが、CEOなんて言葉が流行りだしてからだろうか、役員クラスはオシャレな黒系のダークスーツが主流になり、一方若いサラリーマンはダーク系3つボタンにダークカラーのワイシャツ、同じくダークなネクタイというスタイリッシュないで立ちが台頭している。

しかしこの現象は一つだった制服が立場によって三つに分かれただけの話。これはまさに、光り物とくくってしまえば一つだが、アジとサバとイワシにそれぞれの立場が分かれるのと同じだ。そして同じ種類の魚が群れで行動してくれるからこそ一網打尽で網に引っかかる。そのあたりの原則は海の魚も陸のヒトもあまり変わらないという大自然の法則を私は完全に理解できた気がした。

 

 

とりあえず…いつの新聞から切り抜いたのかわからないけど、5年以上は経っている気もする。

 

多分、8年~10年前の記事では?って思います。

 

制服の概念はいろいろとあるのでしょうけど、制服みたいな私服を着て、高校生という枠組みに入る…それを崩して着る…女子高生が幼稚化しているなぁ…と、読んだ記憶あり。それなのに、そこからいきなり就職…大学へ行ったとしても…4年で就職…

「かわいい」ものが売れるのも、納得…と、世界中での傾向なのでしょうか?

 

制服っぽい私服を着るという気がしれないなぁ…って思っていたけど、たとえ私服だとしても、確かに20代の人が着ていたら…本人もきついなぁ…って感じているでしょうねぇ…とAKB48などを見てしまいます。

そんな制服っぽい格好をしないと、20代も10代も違いないような…そんな化粧をして同じような服を着て…ある意味、早く大人になりたい…というのか、大人として化粧する?一方で、短いスカートの制服もどきを着るとチグハグで…気持ち悪さを感じたりもするのですが、改めてこの記事を読んでいたら、親も服装低年齢化しているかもなぁ…。

好きな服装を着ているだけ…か。とも思いました。

 

きれいに着ることからうまくできないなら、立ち振る舞いも着方に合うよねぇ…というのは、イマイチ感いっぱいに感じます。

遠めで昔ではよく見かけたフォーマルスタンダードなスーツ姿の若い女性を見ると、どんな人だろう?と興味を持つくらいにズレテイルなぁ…がいっぱいで、きれいに歩いていたら本当に感動してしまうのでした。

今は東京どうなっているのかなぁ~?

三纈 さんけち

さんけちだったかしら…

説明されても、覚えてない。

染め方に3種類あるというお話でした。

 

「しょうざん」って何?と知らないものに関心を示さない…という意味では、ある意味もったいないご縁をもったのでした。

しょうざん染色工芸館

 

浸染の基本 三纈

 

この字で、「さんけち」と読みます。

古くから日本で行われてきた染色技法だそうです。

蝋纈 ろうけち

夾纈 きょうけち

纐纈 こうけち

この中で、夾纈は珍しいとか。拝見させていただいたんだけど、「けち」という言葉は頭に残っていたけど、名称は覚えることできていませんでした。

きおくあるうちに書き留めないと、すっかり忘れそう…と広告がまだネット上にあるうちに検索しました。

 

染色方法の源をたどると、すべて、天平の三纈(さんけち)と呼ばれる「纐纈(こうけち)、夾纈(きょうけち)、蝋纈(ろうけち)」にいきつく。

この文章を発見して、3つは基本なんだ…と改めて思わされたのでした。

そのうちの「きょうけち」は珍しいらしい。

珍しいものばかりを見る機会があるなぁ…ってお話したら、普通のものはいっぱい売っているところで見るといい…とのこと。確かに…珍しいものを拝見させていただけることは学べる機会としては本当に感謝です。

正倉院にこの「さんけち」のルーツとなるものがあり?

 

正倉院伝来の染織品は、正倉院裂と称され、現存するものは件数にして約5千件、点数としては、用途不明の断片なども含めると十数万点に及ぶ。技法的には錦、綾、羅などの織物、上代三纈(さんけち)と呼ばれる臈纈(ろうけち)、纐纈(こうけち)、夾纈(きょうけち)などの染物など、当時の日本で行われていた染織技法を網羅している。日本製のものと中国からの将来品が混在しているが、おおむね8世紀の製品である。

纐纈

絞り染の一種で、糸で括り防染することで文様を白抜きに表す。そのもっとも単純なものは目結文と呼ばれるもので、布面を小さくつまんで糸で括り、染液に浸すと、括られた部分が防染され、鹿の子状の文様が現れる。正倉院宝物には纐纈で縞状の文様を表した袍がある。正倉院裂の纐纈には複雑な文様を表したものはなく、裏地などの目立たない部分に用いられた例が多い。上代の三纈のうちでは、平安時代以降も引き続き行われた唯一のものである。

臈纈

現代の「ろうけつ染」と同じ原理の蝋防染の染物である。各種の文様を表した版型に蝋を塗り、これを布面に押捺してから染液に浸すと、蝋の付着した部分のみが防染されて文様となる。型には木型のほか金属の型も用いられたとみられ、大きな文様の場合は筆で蝋を置くこともあった。正倉院の「象木臈纈屏風」「羊木臈纈屏風」などが典型的作例である。唐からの蜜蝋の輸入が止まったこともあって、平安時代にはこの技法は衰退し、やがて全く行われなくなった。近世の友禅染や型染では防染のために使われたのは蝋ではなく米糊であり、蝋による防染が再び行われるようになるのは明治以降である。

 

夾纈

「夾」は「挟む」という意味で、文様を彫った2枚の板の間に布を挟み込んで染液に漬ける、板締め染である。正倉院宝物の夾纈には、「紺地花樹双鳥文様夾纈絁」( – きょうけちあしぎぬ)のように、多色の複雑な文様を表したものがある。近世の友禅染のような引き染とは異なり、この時代の染色は、浸け染であった。したがって、複数の色を染めるためには、布を何度も染液に浸す必要があり、多色の複雑な文様をずれや滲みもなく染める技法は長年謎とされていたが、1970年代になって、インドのアーメダバードで板締め染に使用する板の実物が発見されたことで、夾纈の製法がほぼ解明された。アーメダバードの文様板では、異なった色に染める部分がそれぞれ輪郭線で区画されて、隣の区画と色が混じらないようになっている。各区画には染料が流れ込むための穴があいており、防染する場合にはこの穴を栓でふさいで、その区画には染料が流れ込まないようにした。正倉院の夾纈もこのような板を用いて染められたと推定されている。夾纈には左右対称形の文様を表すものが多く、布を2つ折にして板に挟み、染めたことが明らかである。

こちらは、ウィキペディアの「日本の染織工芸」という欄から。

東京国立博物館で展示されていたようです…正倉院の織物たち。

 

染色の文化

コレは、染色のことを科学的に書いてあり。
知らなかった言葉ですが、作品は本当にスゴイ。綺麗でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥襷

覚えた名前は記録しないと…忘れてばかりです。

 

これは、模様の名称。

初めて拝見したとき、ナスカの地上絵を思い出し、不思議な感じがしました。

おもしろい~。

 

名称を覚えるのに時間がかかりましたが、よく使われているモチーフということも知りました。

 

検索してみると、有職文様ということで、紹介されているサイトを発見。
有職文様の一つ。四羽の鳥を背中合わせに、円形に配したものを単位として、輪違い文のように連続させた模様。

と、これは三省堂の国語辞典の説明らしい。

綾織物などの模様の一。尾長鳥が二羽ずつ向かいあって輪違(わちがい)形に連結しているさまに織り出したもの。 多く指貫などに用いる。

と、これは広辞苑らしい。

七宝形の輪違いの部分に、二羽の尾長鳥を正逆に組み合わせておさめた文様で、中央には、変形の花菱を配置しています。屏風の裏表装などに用いられる文様で、すでに鎌倉時代の『石山寺縁起絵巻』にみられます。

天平鳥襷文(てんぴょうとりだすきもん)と書いてあるサイトは、図柄がなかった…龍村織物のサイト?

 

有職文様とは

平安時代以来、公家の服装や調度品などの装飾に用いられた、独自の優美な様式をもつ文様の総称。織り文様に由来するおのが多く、図案化されているので年間を通じて使える。

これは、着物着付け用語集から

有職とは元来有識であって、これは宮廷公家の人々が教養として心得ているべき宮廷の儀式・行事・服飾・調度などに関する知識を言います。

と、いろいろと詳しくかいてあるサイト

 

鳥襷文様は紫や二藍(ふたあい)の地色に、白色で浮織物に表して織られることが多く、若い高位の公達が用いる指貫にみられる。奈良時代に完成した唐花飛鳥文様の、鳥部分を強調して襷様に繋つないだ文様である。

と、風俗博物館のサイトに書いてありました。

ん…大胆不敵なことをしでかしたかなぁ…?

 

有職資料館というサイトを見つけました。

尾長鳥を唐花のまわりに配して、輪違(わちがえ)とした総文様の名。織文様や染文様があり、公卿の若年者の指貫などに用い、近世は屏風の裏貼りの紙の文様に多く用いられた。

このサイトはちょっと日本の古来ある文化を学ぶにはいいかもしれないけど…京都公家文化ってかんじが出ています。

今でも、こんな歴史の世界で出てくるような…なんて書くと語弊があるかもしれませんが、そんなものが販売されていることを知りました。

きものと文様

というサイトを見つけました。

 

 

知りえる機会に覚えていかないと、覚え切れないし…知ったら調べておかないと忘れるのは簡単ですね。

 

【尾長鳥文】
特定の種類の鳥を指すものではなく、尾の長い、姿の美しい鳥の意味としてこの名前がある。同名のオナガや尾長鶏ではない。鳳凰に代わるものとして、鳥一般を理想化、抽象化して できた文様。華やかなその装飾性で吉祥を意図している。

 

有職文様は「ゆうしき」文様ともとばれ、中国から伝来し日本に定着した模様とされています。有職とは、平安時代の宮中の儀式や行事に関する研究者や学者を有識者とよび、その有識者たちが着用していた衣服の模様が有職模様であったことから、こうよばれます。有職文様には、鳳凰(ほうおう)紋、雲鶴(うんかく)紋、立湧(たてわく)紋、菱(ひし)紋などがあり、格調高い文様として着物や帯などに用いられています。

こんな風に書かれていると、言葉がいろいろとつながりますね。

 

有職 有識

 

中国から伝来した模様なんだ…

 

 

 

夢黄櫨染 ゆめこうろぞめ

夢黄櫨染とは、七色に輝く染物。

正直、本当?ちゃんと見るまでは疑ってました。

もちろん、見本で少しばかし本当みたい…とは思っていましたけど。

実際に色が変わるのを拝見させていただいてビックリ。

こんな染があるのですね…。

 

太陽の光によって染色が変化する日本最高位の染「黄櫨染の御袍」にあります。平安時代初期、「黄櫨染」は、嵯峨天皇の詔により「天皇のみが第一礼装として着用する御袍」と定められ、それ以降、約1200年の長きにわたり、天皇側近の少数の人々以外の目に触れる機会がなく、正確な染色法も一般には知られていないことから、染の世界では「幻の染」と呼ばれていました。

とのことで、有名ではない染め?目に触れることがあまりない染だったのだそうです。

いろいろと映させていただいたのですが、これが一番色の変化がわかりやすい~。

嵯峨天皇の時代に入り、日本だけが『黄櫨染』を最高位の色(染)と定めることになったのだそうです。
日本紀略によれば、

弘仁11年(820年)2月、嵯峨天皇の詔により黄櫨染は、天皇だけが即位の大礼や大嘗祭など、重要な儀式の際にのみ着用できる第一礼装となり、

以来、歴代天皇陛下だけに許される最も厳格な絶対禁色と定められました。 

説明は、染めている公房さんのHPから

 

百聞は一見にしかず

 

まさに…その通り…

拝見できてよかったです。