戦死したロシア兵の祈り

渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』という本があります。

その中で、彼女が手許に持っているという詩を紹介されています。

 

私は、他の人が書いている、このような事態のことを読んだ記憶があります。ただ、どの本に書いてあったのか…を思いだせません。ですから、これもどこに書いているかを忘れる前にここに記しておきたいと思います。

 

この話はキリスト教の話です。でも、仏教での話も見たことがある気がするのです。

だから、宗教を問わず、ある話なのかもしれないと思いながら、このロシア兵の詩にチランにあるという特攻隊たちの最期の手紙達の話を重ねて読んでいました。

 

そして、神の存在を否定したような…武士の世で広まった狂言と神の存在など見えないものを受け入れた能とを思うのです。

 

「聞いてください、神さま。僕は今まで、あなたの存在について全く知りませんでした。子どもの頃から、あなたなんかいないと聞かされ、そう信じてきました」という言葉で、詩は始まっています。その彼が、生きて戻る可能性のない出撃の夜、頭上にきらめく星を眺めていて、それまで全く無関心だった神の存在と、人間の残酷さに気付いたのでした。

 出撃の合図のラッパを聞きながら、兵士は続けます。「もういうことはありません。あなたを知ることができて嬉しいのです。あなたがご存知のように、戦いは激しく、今夜、僕は、あなたのドアを叩きに行くかもしれません。そんな僕が行ったら、入れてくださいますか」

 さらに続けます。「僕の目は開かれたのです。さようなら神さま。もう行かなくてはなりません。多分生きては帰れないでしょう。おかしいのでしょうか。僕は、もう、死を恐れてはいないのです」

多分、このサイトに書いてあるものが前文なのかなぁ…?と思います。

http://blogs.dion.ne.jp/mrgoodnews/archives/1240956.html

今まで一度もあなたのみ業について考えたことがありませんでした。
でも、今夜、頭上にきらめく星を眺めていて、人の残酷さに気がつきました。
神さま、あなたの手をぼくの上においてくださるでしょうか。
とにかくぼくはあなたに語りかける、あなたは分かってくださる。
光がぼくに出会うのは別に不思議ではありません。
ぼくはこの呪わしい夜にあなたに対面しています。
もういうべきことはありません。
とにかく、あなたを知ることができてうれしいのです。

読んだ本にはこの部分など書いてありませんでした。

ただ、何となくですが、やはり読んだことがある気がします。

だから、似たような話はいっぱいあるのかもしれません。

 

 

 

9月12日の日経新聞の「春秋」に書いてある言葉。

物理学者のアインシュタインは言ったそうだ。「ナショナリズムは子どもの病気だ。人類にとってのハシカのようなものだ」。作家・池澤夏樹さんの「叡智の断片」から引いた。池澤さんは続けて書いている。「たしかにハシカに似ている。熱が高くなるし、伝染する。」

領土の話は人の胸にくすぶる愛国心という火種に油を投げつけてくる。威勢よく燃えればその威勢を為政者は人気取りに使う。バーンズという英国の作家が最高の愛国心を説いている。

 「あなたの国が不名誉で、悪辣で、バカみたいなことをしている時に、それを言ってやることだ」。燃え上がるばかりが愛国心ではない。

実は、ここのところ、この新聞の春秋には、ナショナリズムについていろんなことが書いてある。

ナチスの話も載っていた。

9月5日

「われわれはパンの値下げも値上げも要求していない。ナチズムによるパンの価格を要求する」。かつてナチスはこんな演説で聴衆を寝供させたと、ピーター・ドラッカーの「経済人の終わり」にある。なにも橋本さんが同じだとは言わないが、強い言葉の裏には危うさが潜んでいよう。世間には、そう案ずる感覚もある。

 

 

日本だけではないと思いますが、愛国心の表現の仕方を間違えて、愚かな話をつくりだした歴史をあと何度体験したいのか?と尋ねられて、1回以上の希望を出す人達の方が少ないことと思っています。

だからこそ、思わされることは、

 

 

ミッシェル・ガントナー

ミッシェル・ガントナーって誰?というくらい知らなかったのです。

でも、有名らしい。だから、検索。

そうしたら、広告写真家って書いてあったぞ…って、私が知ってたのは版画のはず。

写真だったのかなぁ?

わからなくても、インターネットで検索したら出てきました。ご本人のサイトらしい。

http://www.michelgantner.com/

面白いものですね。

 

フラワーアートギャラリーというものを知りませんでした。踊っているみたい。

 

もっと調べる方法があるのでしょうけど、わかんなかった。

ウィキペディアもなかった。

来たときよりも美しく

新聞で読んでも、早々に対応しておかないと、忘れて…どこかに行ってしまいます。

その前に…

日本経済新聞2012年8月9日付けの春秋に次のようなことが書いてありました。

 「来たときよりも美しく」。簡潔で力強いメッセージが、ストレートに伝わってくる。そのためであろうか、今でもときおり、観光地の看板などでお目にかかる。この「ゴミを拾おう。持ち帰ろう」の精神は、ロンドン五輪で活躍が続く日本のサッカーとも関係が深い。

そんな始まり方だったのです。ロンドン五輪でも「ゴミを拾おう。持ち帰ろう」って書いてあるのかしら?なんて疑問を持ちながら。

 初めてワールドカップに出場した1998年フランス大会でのこと。熱心な応援の跡で、チームのシャツと同じ青色のポリ袋にスタンドのごみを集める日本人サポーターの姿が、驚きと称賛をもって海外メディアに取り上げられた。当時の報道に、「これこそフェアプレー」「入場前より試合後の方がきれい」などとある。

正直、このことを知りませんでした。

それで調べて見つけたのはこの質問。

サッカーの親善試合の日本代表戦で試合終了後にクリーンサポーターを集めてゴミ拾いしますが実際…

そこにあった回答を見て、それから…としりました。

フランスワールドカップの時は、試合自体は3戦全敗でしたが、サポーターのマナーは世界一と地元メディアに絶賛されました。ですが、去年の南アフリカワールドカップでは、ベスト16入りし世界を驚かすことに成功した反面、パラグアイ戦の試合終了後の日本人サポーター席ではゴミが散らかったままだったそうで、せっかくの日本代表の活躍に水を差す結果となってしまいました。

そうだったんですねぇ…。

1998年→2010年の違い?

海外では日本人サポーターはどのように評価してますか?2002年FIFAW杯日韓共催の時に日…

こちらで、それ以外のお話も知りえました。

8仏W杯のクロアチア戦、日本の予選敗退が決まった時、勝利に喜ぶクロアチアのサポーターに対して日本のサポーターから「決勝リーグ進出おめでとう。同じリーグを戦った戦友として、日本はクロアチアの今後の健闘を祈ります」
と英語の横断幕が張られた。
そして、日本側から 「クロアチア・ちゃちゃちゃ クロアチア・ちゃちゃちゃ(拍手)」というエールが送られた。
期せずして、クロアチア側からも 「ニッポン・ちゃちゃちゃ ニッポン・ちゃちゃちゃ(会場全体が大拍手)」という状況になった。

はぁ…

当時、今もかもしれませんが、そんなことを知りませんでした。

新聞の春秋欄で知った次第です。

 「ゴミ拾いは日本のお家芸です」。NPO法人「もう一つのプロジェクト」代表、市川真也さんはこう話す。企業や自治体が音頭をとり、市民がイベントとして気軽にゴミ拾いに参加する国はほかにないという。市川さんも各地の大学生が参加してゴミを拾いながらたすきをつなぐ、もう1つの箱根駅伝を毎年開いてきた。

そんなことを取り組んでいらっしゃる方がいたのですね…。

市川さんはいまロンドンにいる。五輪閉幕の翌日から、日本の仲間たちとゴミ拾い駅伝で五輪会場をめぐる予定だ。「日本生まれの駅伝とゴミ拾いを組み合わせたスポーツカルチャーとして、世界に広めていきたい」。五輪種目にはならないだろうが、若い人たちのユニークなアイデアと行動力に金メダルを差し上げたい。

と、この文章を読んでいなかったら、私は全く知りませんでした。

ゴミ拾い駅伝

花火大会…って翌日ゴミ拾い…

本当に何かイベントの跡に残るゴミたち。本当はそうやってゴミを残していく個々人が問題なんだとは思います。だけど、イベントとして取り組んでロンドンまで…すごいなぁ…。

 

ゴミ拾いするよ!って、道路の間の植え込みをゴミ拾いしたり

街中をゴミ拾いしたり

川の土手などをゴミ拾いしたり…

いろんな学校で、私にとっては仕事だし…とでも、渋りたい思いの生徒たちとそれでも精を出してゴミ拾いをした時、すがすがしく思う…のは、やっつけ仕事にしないからかな。やるからには…トコトン拾ってみると、爽快というか、きれいになった…というキレイが今までと違っていく体験をしましたね。そういう意味では、進んでゴミ拾いをイベントとして取り組んでいる人達がいる。凄いなぁ…。

今回のオリンピックのサッカースタンドはどうだったんだろう?

 

人が多くて、ゴミ箱に捨てたいと思ってあふれていることがあったりもしますね。

 

「来たときよりも美しく」とよく耳にしますが、海外へ行ってもそうしている…すごいなぁ…って思わされました。

 

 

これって誰が言い始めた言葉なんだろう…?

調べてみたら英語に訳したいという質問を発見。

leave everything cleaner behind you!

keep everything cleaner than it was!

どちらがいいのかなぁ~?

私は前者がいいなぁ…と思わされました。ニュアンス的にあってそう…。

” Leave No Trace Principles “

というのかしら?こちらが正しいのでしょうね。

Leave No Trace Principles
1 Plan Ahead and Prepare 
2 Travel and Camp on Durable Surfaces 
3 Dispose of Waste Properly 
4 Leave What You Find 
5 Minimize Campfire Impacts 
6 Respect Wildlife 
7 Be Considerate of Other Visitors 

なんだそうです。

「来た時よりも美しく」を最初に言ったのは誰?

嫌な性分…とそんな最初に言い始められたのはいつごろから何だろう…って思ってしまいました。

The Leave No Trace Seven Principles

ボーイスカウトから日本へ伝わったのでしょうか?

日本には、1908 年(明治41 年)にこのボーイスカウト運動が伝わったそうです。

もし、この「来たときよりも美しく」の考え方が、イギリス発祥のボーイスカウトの“Leave No Trace Principles”が先ならば、きっと今回のオリンピック後は凄いんじゃない?

ボーイスカウトの父と呼ばれる ロバート・スティーブンソン・スミス・ベーデン=パウエル

自分が最初に見た時よりも,世界を良い場所にすべく努力しよう

という言葉から来ています

ということをボーイスカウト・ルールということで紹介している本『プログラマが知るべき97のこと』があるそうです。このサイトから知りました。

 

 

備えよ常に

このステッカーは家にずっと貼ってあったりしたので覚えていますが、いろんな教訓があったのですねぇ…

 

いずれにしても、このようなことが大会と浮かれている裏で行われていることを知り、本当に脱帽…というのか。

このことを取り上げてくれなかったら知らなかった自分。

本当に感謝です。

見えていない部分がたくさんあるものですね。

無限の洞察力と問題解決力を引き出してくれる

時代を先取りするための分野別バイブルと本が紹介されています。

 

その中の、内田和成氏(早稲田大学大学院商学研究科教授)の文章が面白いなぁ…と思いました。

 

最近、私が教えているビジネススクールの応募者が増えている。また、各種セミナーや企業の幹部向けエグゼクティブプログラムも盛況だと聞く。世間では、「経営学を学びたい」という機運が高まっている。

しかし、自らのキャリアアップを目指したかつての「MBAブーム」とは質が違うように思える。今なぜ、経営学に関心が集まっているのか。「このままでは日本企業はダメになる」と考え始めた人が多いからではないだろうか。

という、始まり。そうなんだ…って、経営学を学びたい人の意識って昔と違うんだ…と思う時、今は危機感?

 一昔前だったら、上司の背中を見て学び、それを踏襲していれば順調に昇給・昇格した。経営者も同じで、経営環境はさほど大きな変化に見舞われることはなかった。他者と同じような手を打つだけで、社長の椅子は安泰だった。

ということが書いてあって、それでは難しくなっているんだ…と思ったのでした。

まぁ、そうならないとおかしいよねぇ…ってね。

 

時代は変わっていってるのだから、本当は上司の100%踏襲を何年も…繰り返したら10年で古い時代遅れのはず。

ちょこちょこ…90%踏襲で、ズレを補正…などをやってきているところは、対応していってるのでは?なんて思うのです。それなのに、100%踏襲っていちばんおろかな話をしている人達を評価して…時代についていけていたのか?そこで問題が上がって…ジエンド。

100%転換みたいなはなしとなったのでした。

状況は一変し、激変、激動の時代に突入した。

ビジネスパーソンも経営者も、今までと同じやり方を続けることが大きなリスクとなっている。

いつ、何に対して、どんな手を打つべきか。自分の頭で考え、臨機応変に実行しないと、会社も個人も生き抜けない時代になった。

ホント、多くの方がこう思っていたら、変わっていくのかも…。

 

こうした状態に対処するには、そう、学ぶしかない。

学ぶには「歴史に学ぶ」「別の業界に学ぶ」「海外事例に学ぶ」などの手法があるが、それらを全て包摂するのが「本を読んで学ぶ」やり方なのだ。

これは本当に…本を読んで学ぶの本は手段でしかないですよねぇ…。

 

そこで私が普段から行っている経営書を読む際の3つのポイントを伝授しよう。

そんな言葉で3つ書かれています。

 1つ目 正解をさがすな

正解はあなたが自分自身で導き出すべきであり、本はそのためのヒントや発想法を得るために読むべき。

2つ目 インサイトを得るために読め

情報はすぐ陳腐化するが、洞察は他の減少を考察する場合にも利用できる。その洞察パターンをいくつ知っているかで、問題解決力は大きく変わる。

3つ目 自分の文脈で読め

自分は何を知りたいのか、何に悩んでいるのか。常に問題意識をもちながら、読むべき本を紐解いている。

こんな感じに書いてあるかなぁ…と適当に抜粋。

 

この文章達が面白くて、この人の紹介している本に興味を持ってみました。

 

ネクスト・マーケット[増補改訂版]――「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略 (ウォートン経営戦略シリーズ)

  

違う本なのかしら?

決断力 (角川oneテーマ21)

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)

エンデュアランス号漂流 (新潮文庫)

戦略不全の論理―慢性的な低収益の病からどう抜け出すか

 

すぐれた意思決定―判断と選択の心理学 (中公文庫)

 

この6冊のうちにいくつかは中古しかなさそう…。

天下布武の印 3種

天下布武の印。

実は疑問がいろいろありました。

 

その1 なぜ?丸くないのかなぁ…。

なんと、「天下布武」の印は3種類あるそうです。そっか…とみたものが違うと、違う形は偽物?って思ってしまいましたが、そうではないのですね。

 

その2 ドラマ『江』の中では、死後受け継いだって言っても、割れているものをもらったのは江でした。実際は?

調べたら出てくるのかなぁ…?

 

その3 天下布武ってどんな意味…と初歩的ですね。

「天下布武」とは、「天下に武を布(し)く」と読むのはわかります。

「武力で日本全国を制覇する」という意味に思いがちですが、「武」は「武力」ではなくて、「七徳の武」のことです。

と、書いてありました。へぇ~。

 「武」という漢字の意味は、現代では「戦力、武力、武芸、軍事」として使われていますが、もとは「戈(ほこ)を止(と)める」という意味です。武器を持って戦うことをやめるということです。また「戈」はまたぐ、「止」は進むことで、一歩ふみ出すことであるともいわれます

とも書いてありました。

 

さらに調べてみると…

天下布武の語源、「堂下布武」

天道に叶うように節度を保って歩く」という意味だと書いてあるサイトがありました。

天下布武の誤解

http://heiseidanlin.blogspot.jp/2011/08/blog-post_23.html

 

私は歴史学者でもないので、どれが正解?なんてことに関心はないのですが、

「武」という文字のもつ意味がいく通りも、今と違ってあることを知りました。

 

宝箱をひっくり返してみよう » 天下布武