シャネル

私の中でシャネルイメージって、実はとっても悪かったのです。

多分、バブルはじける前、シャネラーを見て、シャネルを知ったのかも…くらいに、あんまり興味ない世界でした。

そして、働きはじめて、見たシャネル。カッコイーも見たりしたけど、私にインパクト与えたシャネルは、学校の卒業式で白のシャネル、それもミニスカート…ウエストのベルトにシャネルマーク…それは国語の先生の姿でした…。はぁ~?バッカジャナイ…が第一印象。と、そんな私にはシャネル=馬鹿…言葉悪いけど、そんなイメージが植えつけられたのでした。

でもね、そんなんでシャネルを判断してはいけないだろう…って、デパートのシャネルのコーナーをチラ見。そのときに、これ素敵…というか、私の中では白シャネルミニスカートスーツが頭にあって、ピンクシャネルとかテレビで見たりしていたので、ちっともシャネルを知らない私が気にしたのは黒のスーツでした。これならいいなぁ~と値札を見てビックリしたのでした。めっちゃ高い…?今はちゃんと覚えていないから、ただ当時の私にはビックリ高かったイメージだけ残ってました。

今なら、ブラックスーツってシャネルでは結構王道かも?ってわかるのですが、ホント、百貨店でビックリしたときの私はシャネルって本当に何も知らない…。ただ、テレビでシャネルのマークがついたバッグやスーツや…って着ているシャネラーって言われる人たちを目にしたことがあるくらいでした。

シャネルの映画『ココ・シャネル』だったかなぁ…それを見て、改めてシャネルってどんな人?

本を読んだり…って、し始めたのはシャネルのどこがいいんだろう…?

 

いろんなブランドのことを知らないで判断するのもよくない…って、知る努力。そんなことをし始めたのは、ネクタイ・ワイシャツをはじめ…販売経験をさせていただいたことから。とにかく知らないブランドいっぱい…だけど、説明するために知る努力した。それから…。つくっている人を知ると、ブランドに対する見方も変わる…ってね。

 

どこがいいんだろう…?って読んだ本は、シャネルの言葉を集めて書かれた本が最初。でも、その本に出ている言葉たちはかなりインパクト大でした。


さらに…って、読んでビックリ。

 

 

シャネル 最強ブランドの秘密 (朝日新書)
ビックリの本でした。

 

この本のタイトル。

興味を持つようになったのも、他のブランドのこともいろいろと知るようになってきたからかなぁ…。

でも、この本を読んでよかった…。とっても面白かったです。

 

この本のはじめは、「シャネルの服を着たことは一度もない。…」そんな始まり。

だけど、この人シャネルの研究…って、この人の研究の内容はとっても面白くて、わかりやすかったです。

 

「モードは芸術ではない。商売だ」

あ…なるほどね…って、スタンスを思わされたのです。

そして、いっぱい発見をありがとう!って本でした。

 

本当にシャネルに詳しくない私が読んで、感動…というか、シャネルを理解するのに、偏っていないのか?という疑問は持ちながらも、この本から学んだシャネル像…それは商売人!

 

そう、シャネルは商売人として凄い人だったと学んだのでした。そう思って見ると、理解できることがいっぱい。そして、納得したのです。

 

私の疑問たちをいろいろと解決してくれた本。

 

その1 なんで、あんなブランドって言うだけで、合皮のバックなどが高くなるのか?

その2 なんで、シャネルが売れているのか?

…って、本当はいっぱいあるのです。でも、いろんな疑問を解決してくれた…

 

ブランドシャネルは、今となっては、ルイヴィトンなどと同じ…?そんな面もあると思いますが、何が違うかなども知りえて本当に面白かった。

 

20世紀、シャネルが作り出した?はじめて広めたことの影響力の大きさを知りました。

 

そして、私が思ったこと。

21世紀は…?

シャネルが壊したモノ達のそして、生み出したモノ達の浮世草的な印象を受けた感じを理解できた気がします。

きっと、シャネル本人がまだ生きていたら…?保守的になっていた?恐らく先導を切ってアグリッシブだったかもしれませんが、私は今の時代に生き返ったとしたら…って考えたら、恐らく、やっぱり黒シャネルだろうなぁ…って思います。

他の本で、なんであれだけミニスカートを毛嫌いしていたシャネルのブランドなのに…私の中でのイメージはミニスカートだったのはなぜ?って、創立者の意向と違って、ブランドとしての生き残りのために…という発想で動いている部分?商売だからね…。

 

シャネルって、やっぱり、自分が作り出した者たちが壊していくのは…シャネルが好きだったものかもって思うのでした。そして、シャネルが好きだったものを、いまだにある状態にさせているのは伝統でありある意味貴族など言われている人たち…。

読んで私の中で作り変えられたシャネル像。それは、シャネルの土台の文化はクラッシック…ということ。

この気づきは大きい。本を読んだ後すぐの感想は残しておいたほうがいい…って思わされるのでした。

 

この本に共感!は、ここ。

時代のマインドは「成熟」と「本物」をめざして思考を深めているようにもみえる。

というとこ。

 

高度成長期に青春を送り、ハングリーから「過剰富裕化」まで、ひととおりを経験してきた世代は、もはやハングリーな消費欲望に目を奪われてない。

 

時をさかのぼることおよそ100年、19世紀が終焉をむかえ、20世紀の幕があがろうとする境で、やはり贅沢の意味が問われた。

問いを放ったのはほかでもない、ココ・シャネルである。

このシャネルの問い。そして、その答え。面白い~

 

理解したことは、これ。

その贅沢は、金がかかっていることを人に見せるためのものだ。むろnその金を出すのは男、つまり夫か愛人であって、女の衣装は男たちが富をひけらかす「口実」にほかならない。ここでシャネルが指弾の的にしているのは、ヴェブレンの『有閑階級の理論』のいう、あの「顕示的消費」、見せびらかしのための消費そのものである。

 

あ~納得ってね。

そして、そのさらに先。

シャネルのモード革命を「皆殺しの天使の」という冠付き。

 

シャネルの嫌悪感、凄いなぁ…と思うのです。でも、そんなシャネルを「皆殺しの天使」笑えるくらいに…

ジャージー素材のスーツをシャネルが高価に販売したことも知らなかった~

また

ニットは女性のものとして存在していなかったということも凄い…。

 

正直、そんなシャネルも今はいない。そういう意味では、今のシャネルは…?なんて思いも抱きながら、痛快なシャネルの言葉たち…。

大げさなのは個性を殺すのよ。表面的なものはみな値打ちを下げてしまう。アメリカ人はこういって私をほめたけれと、とても嬉しかったわ。

これほどの金を使いながら、それをみせないようにするなんて!

この言葉納得の私がみた黒スーツ…って思い出されたのでした。

 

 わたしにとっての贅沢は、よく仕立てられた服で、一つのコスチュームが五年ぐらいはちゃんともって、着られるものだ。古くて、使い古したものというのが、私の夢だ。アメリカでは何でも捨てる。だからしっかりしたものは何もない。洗いもしないし、洗いに出しもしない。一度ドレスを洗いに出したことがあるけれど、ボタンが一つしか残っていなかった。これがアメリカだ。贅沢の反対、チープだ。なんと嫌なのだろう。

 ここで語っているシャネルは典型的なヨーロッパ人である。歴史を重んじるヨーロッパは古いものを愛し、とかく新品を軽蔑する。大量消費は大量廃棄、すぐに捨てられるようなものに価値などありはしない。ヨーロッパ人から見れば、まさにそれこそ「贅沢の反対」であり、チープに他ならない。

このシャネルの言葉は、マルセル・ヘードリッヒさんが聞き書き留めた…って、シャネル晩年の話。

 

 成金たちの新品にもノン、貴族たちの華美豪奢にもノン-シャネルのこの美意識を、「アンチ・ゴージャス」と名づけてもいいかもしれない。どちらの二つも「見るからにゴージャス」だからだ。シャネルにとっては贅沢はまさにその反対だった。別のところでシャネルは作家ポール・モーランにむかって「贅沢」をこう語っている。

わたしにとっての贅沢といえば、昔から代わらず続いているものだ。「歳月に磨かれた」オーヴェルニュ地方の立派な家具、どっしりと重くて地味な田舎の木、紫がかった桜の木、艶出しで磨かれて黒光りしている梨の木(…)わたしは貧しい子ども時代をおくったと思い込んでいたのに、実はそれこそ贅沢なのだと気づいたのだ。オーヴェルニュでは、すべてが本物で、大きかった。

 

実はこの本。とっても軽快に現代のいろんなものを蹴散らかしているなぁ~と思わされるところはあり。

そんな感じだから、こんな風にシャネルを見るのかも…とは思いますね。

 

色彩のゴージャスへの拒絶…黒

表面的な色の贅沢は嫌悪すべき贅沢趣味だった…って

 

ダンディズムの詩人ボードレールの言葉

「エレガンスは絶対的なシンプリシティにある」

 

「金持ちのための宝石」を身につけるのは、「首のまわりに小切手をぶらさげるのも同じだ」ってシャネルの言い放った言葉点凄い…とかね。

 

 

シャネルの名前をしてイミテーションを高く売る。そのことで、既存の贅沢を愚弄…。

恐らく、いろんなブランドがこの20世紀にやってきたことかも…そして、21世紀が始まるって頃、本物を買い占め始めた…ルイヴィトンとかね。

 

さて、これからをどう見るのか…が大事って思うのですが、この本読んで私が得た感想。

 

読んで感じることは自由。

 

そう思って、読んで感じたこと。

 

 

ブランドマークでイミテーションの値段をつりあげてきた…そして、今、本物であることを求めようとしているブランドもあり。

その上で、シャネルは…?とか見たとき、ココ・シャネルのシャネルと同じなのかなぁ…?わかりません。

だけど、その名前を冠にすることで稼ぐことのできる…それがブランドかなぁ…と思わされる。品質の維持も大事だけど、そのブランドの力…影響力…きっと必要なんだろうなぁ…。

 

日本は戦後って、もう60年はたっているんだけど、その間、アメリカをお手本に…と取り組んできたことが多かったよねぇ…と思います。だけど、根底には日本はアメリカより長い歴史を有していたんだよねぇ…と思わされたのでした。どういう意味か、日本もヨーロッパの歴史あるものへの評価って顔を持っているよねぇ…。

 

ファーストファッションという言葉が登場して、とにかくデザインさえ…今の最先端を…

上質なんてどうでもいい…

 

その反対に位置しているもの。

オールドファッションだろうね、昔からの価値観としてどの国にもある一つのものを大切に着ていく…その価値観。

本を読みながら、その価値を大事に思いながら、商売のために壊しに行ったのがシャネルの一つの凄さだったのかも。

モードだけでなく、価値観を壊してしまった…。不本意かもしれませんが、自分が大切に思っていたものまで壊しちゃった面もあるのでは?と思います。そして、やっぱり…クラッシックに脈々と…一つのものを大切に…と生きている人たち。どの国にもいて、その人たちが選ぶものは…上質?使い続けることができることが価値基準として当然にある。

その感覚を失った人たちを増やしたことは、ファッションを女性にお金とは無縁に開放した光と影のことではないでしょうか?

マスを魅了し、ブランドネームで物の値段を引き上げていくこと、その一方で上質を作り続けている…そんなブランドたちの生き残るために必要なことは、ちょっと巨大化しちゃったから、お得意様…と極々一部の大金持ちにだけ販売していてもその人たちは1つ買ったら何年間も買ってくれるわけではないから…とか、きっと小さく商売をやっていくには向いていない体制になっていること。新規開拓、また昔から自分のブランドが大切にしているコアなものの維持…。ブランド企業からいうとそんな感じ?

 

女性にファッションを開放し、男性のお金をいっぱい持っているんだぞ~という誇示に使われない表現力としてある面は、とっても豊かな表現を生み出していると思います。だけど、シャネル自身は嫌悪感を表したミニスカートたちも生み出したり…した発端も、シャネル。そして、今、シャネルというブランドで売っているものも、マスを魅了するためにミニスカート。

 

捨てられていってる…廃棄処分対象の昔つくられたものたちを拾い集めて…価値を見出している世界観。安いから…ではなく、今となってはもうそのレベルの職人がいない…という世界もある。

お金を出して新しいものを有名ブランドが売っているものを…と求めていく価値だけを肯定していると、きっとプアなお金がないからそうしているのでしょう…って思う人もいるかもしれません。だけど、もともとの持ち主にとってはもういらないものかもしれない…って、そんな古臭い…って見るものも、シャネルが言う言葉の「贅沢」というところでは?

笑えるくらいな話、久留米絣なんかも、古いもので取引されているものは価格が信じられないくらいのものも…。それは、今の時代でその柄を出す技術がない…など、今に生きていって得られないものありってね。

着物だけでなく、漆器も、陶器も…今ではそのための材料が手に入ることも難しい…って家具も…。

シャネルと白洲次郎・白洲正子…なんか、通じるものがあるなぁ…。

 

ただ、シャネルが好きなものを好きと言える人たちを減らしたことはシャネルのやったことだろうし、シャネルの好きなものたちを作れる人たちを減らすのに貢献もしたと思う。それは気づかずに…かもしれないけど。

 

日本の経済成長はシャネルと一緒な感じもする。

だから、100年たって、今度はシャネルが大事と言っていたものを大事という人が増えてきている。壊し続けた世代たちがふと気づいた贅沢。そして、ドンドン大量消費していって気づいたロハス…などね。

 

ただ、そんなものに価値を見出せない人たちも増やしたから、どうするか?

伝統あるもの…大事にしましょうね…って教育でも言うようになっている…という感じ。そんなことを言っても、大事にするものをわからなくなってしまっている親世代。もしかしたら、祖父母世代もわからなくなっている世代かもよ…と今の日本はそんな感じかもしれないなぁ…とも思います。

 

100円ショップで安くものが買えて、100円でいいじゃない?と生きるのも一つだけど、それで失ったことは、ものを大切に扱っていこうという価値?もしかしたら、もともとなかったのかも?100円だろうが、10000円だろうが、大切に扱うことを知っていれば、どちらも長く使い続けることができるもの。

長く使い続けることができるものだと判断することに価値を見出していなければ、違いを見ようとしないと思うのです。モノを見る目が衰えている?

素敵なものたちをつくる人の後継者なく消えていく…そのゆえんは、自分では見極める力のない生活者たちがマスコミで紹介されて知る以外に自分では判断できないところにあるのかもしれない…って思います。消えないためには…商売である以上、知らせていくことが大切…それも一つ…。つくるだけではダメで、それを惚れてくれる人たちを増やさないと残れないこと。そして、閉鎖的に限られた人たちだけの世界のものに留まっていると、継いでいく人も見つからないし、生き残れない…。

 

私はシャネルなんてよく知らない。だけど、シャネルは自分の持っている価値観である「伝統」「贅沢」に本人が気づかないところだったかもしれないけど、それをマスに売ったことが生き残れた理由かもね…。宣伝力が強いものだけが残っていく…。ある意味質のよしあしではない面もあるのでしょうけど、何事も同じみたいだなぁ…と思わされた本でした。

 

大げさなのは個性を殺すのよ。表面的なものはみな値打ちを下げてしまう。アメリカ人はこういって私をほめたけれと、とても嬉しかったわ。

これほどの金を使いながら、それをみせないようにするなんて!

このシャネルへの賛辞を発しているアメリカ人は、恐らくアメリカで成功して富をもっている人たち…でも、ヨーロッパの伝統から切り離された地。ネイティブアメリカのもつよさもシャネルに通じているのでは?とは思わされましたね。

ふんだんにお金を使いながら、それを見せないおしゃれ。わかる人にしかわからないというおしゃれが確かに、ヨーロッパのブランドのイメージでした。過去形。だけど、ルイヴィトンもシャネルも…なんかそれとは違うなぁ…と思っていたら、バーバーリーもダックスも…って、それらもこれ見よがしのものになっていって…。ちゃんとそのブランドだとわからないといけないと言わんばかりのマーキングがされているのは日本だから?ヨーロッパでのそれぞれを見ていないからわからないけど、マークがついているから高いのよ!って感じ。

あまり詳しくないから、世界中でのことなのか、日本用にライセンスを取ってつくっているものだからなのか、わかりません。

 

ただ、日本のもの…伝統的?着物などもみんなが着ている柄がいい~大量生産の面もないと、広まらないとさらに…と好きになる人も出てこない?一緒なのかなぁ…と思わされました。

 

この本の著者世代、すでに着物を着ることができない人たちもいっぱいでは?

だけど、この世代の人たちは、まだ、花嫁道具の一つに着物が入っていた世代だと思います。だから、着ることができなくても、恐らく持つのが当然の話だった世代。

今は…?

レンタルで着てくれたら…くらいにもっている人たちがいなくなっている。

着物も贅を尽くした…そんなものでないと採算が合わないと言わんばかりに、手ごろなものは機械化。ますます魅力が欠けていってる面もあるのかも?つくり続けていく人たちが生活できないと残らない…。つくる人たちも必死に工夫しているのでしょうけど、裾野を広げていく努力をシャネルは当たり前にしていた…という学びでした。

 

偽モノしかもてなかった人が小さくても本物を持つ…次は数を増やす…そして、そんな本物の中でもその人だけのものをつくる…

消費意欲を掻き立てていき、本物のブランド物に権威をつけていく…と見れば、贋物がいっぱい登場するイコールニンキモノ。ただ、贋物を作り、贋物をもって幸せ気分…は同じ価格の本物を否定していることにもつながるのでは?って思わされます。

粗悪な贋作より、誰かがマイオリジナルで作った無名かもしれない世界観をもつモノ。

そう思って使っている人たちが、新たなブランドに無名かもしれない素敵なものを広める…。その際に、うまく大きくなることに対応できずつぶれていくモノたち…もあり。

流行曲線の始まりに位置するのは嫌な日本人が多いから、日本の素敵は世界に広まっていかないのかもしれないなぁ…とも思わされたりして…。

 

たまたまに図書館で手に取った本でしたが、なかなか面白く読みました。感謝。

 

圧倒的に世界に影響を与えたんだなぁ…と知った点もありがたかったです。

 

ハンドバッグ

女性のスーツ

手の入るポケット

短くなったスカート丈

ニット

ジャージ

今では当たり前にあるものたちを生み出した凄さに感動しました。

 

 

 

 

身だしなみの三原則

清潔感 調和 機能性

これは書いている途中でテレビでやっていたもの。チラッと見てメモ代わり。

 

 

 

 

 

 

セレンディピティ

こんな科学者の文章の中で、「セレンディピティ」という言葉に遭遇するなんて…思ってもみませんでした。だけど、この言葉、何度か出会ったぞ…と調べて見ることに。

日本経済新聞の「私の履歴書」というところに、根岸英一さんが寄稿されているのですが、その中の「発見とは何か」という21回目の内容にあったのです。

 

発見の大前提には「何が欲しいか」という①願望と「何を必要とするか」という②ニーズがある。そしてそれを目指す③作戦あるいは計画を立てなければいけない。

 発見に向けて最も大切な項目は、ブラウン教授に学んだ④系統だった探索だ。ただしこれを進めるためには、知性的な側面から3つの項目が欠かせない。⑤豊富な知識と⑥豊富なアイデア、そして⑦正確な判断だ。

 アイデアは計画の実現のために特に重要だと考えている。大学の研究で学生や博士研究員がアイデアを持ってきた時、私は必ず「ほかにどういうアイデアを考えているのか」と聞いている。少なくとも5~10個、望ましくは20~30個のアイデアを持ち、裁量と思われるものを検討すれば、よい結果に結びつく確立は高くなるはずだ。

 知性面以外にも必要な条件が2つある。探索に向けた⑧意志力あるいは意欲と、探索をあきらめない⑨不屈の行動力だ。私自身「エターナル・オプチミズム」という姿勢を貫いてきた。日本語に訳すと「永遠の楽観主義」になっていしまうが、ここには絶対にへこたれないという意味合いが含まれている。

  実際に実験を始めると、うまくいくことはほとんどない。では何回、失敗を続けられるのか。私は思ったような結果が1ヶ月出なければ、いったん棚上げする方針を決めている。別のテーマに取り組んでいるうちに、失敗した実験がだんだん客観的に捉えられるようになる。違う視点から別のアイデアが浮かび、再挑戦する。それを繰り返してきた。

 発見の条件の10番目の項目は「セレンディピティ」だ。スリランカの3人の王子が思いがけない発見をする昔話に基づくこの才能は、最近とても重要視されている。しかし私は最後に置いた。多くの場合にセレンディピティがなくとも発見は可能と考えている。中心はあくまで、系統だった探索だと確信する。

と、このセレンディピティを含めて10項目を図で説明してあったりしたのです。

まぁ…私と見解が違うのは、セレンディピティってなくても本当にいいのか?という点で、私は多分気づけるって関係すると思うのでした。

で、この話を他のどこで読んだのだろう…?思い出せない。まぁそのうちおもいだせるかもなぁ…と調べてみたいと思ったのは、スリランカの王子の話。

 

でも、最初にセレンディピティと調べて、ウィキペディアに。ウィキペディアでは次のように説明されてました

セレンディピティ(英:serendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけにひらめきを得、幸運を掴み取る能力のことである。

 

そして、根岸さんがいう「serendipity」に関する昔話というのは『セレンディップの3人の王子(The Three Princes of Serendip)』という5世紀のペルシャの伝承らしい。(セレンディップとは現在のスリランカのことなんだって)。この話を子どものころに読んだホレス・ウォールポールさんが1754年に作り出した造語が「serendipity」だそうです。

 

The Meanings of “Serendip”

無謀な…日本語で探したいけど、セレンディップの三人の王子の話から飛んでいったのはこのサイトでした。

日本語で探して…と見つけたのはこれ

セレンディッポの三人の王子の旅

タイトルが違うから見つけることができなかった?でも、不思議、香川大学経済学部のサイトみたいです…。

さて、さらに探していて見つけたのです。同じく日本経済新聞のかつての「私の履歴書」で早石修さんが紹介されていた…とセレンディピティのことを触れているサイトを見つけました。

翻訳はバベル 「セレンディップの3人の王子」 セレンディピティという言葉を聴いたらこの本を読もう

有機化学者の根岸英一さんのことです。きっと、この生化学者の早石修さんの記事をご存知だったのかなぁ…?また、白川秀樹さんの功績をたたえる言葉への否定でしょうか?

そんなことはわかりませんが、かなり有名なお話なのですね。

 

「真によいアイデアは、ひらめきと汗と技法の組み合わせから生まれる」とフィリップ・コトラー(マーケティング研究の第一人者)の言葉が、このセレンディップと一緒に紹介されているサイトを見つけました。なるほど…。

 

セレンディピティについて 平成13年3月~8月ネット上にて公表

こちらの話は、ちょっと違う。きっと、いろんな
伝承のお話があるのでしょう。

こちらのサイトで知りました。日野さんが書いた本のタイトルにあるのですねぇ…


さて、広辞苑によると、セレンディピティとは、(お伽話「セレンディップ(セイロン)の三王子」の主人公が持っていたところから)思わぬものを偶然に発見するr能力。幸運を招きよせる力とあるのです。へぇ~。

はて、同じことに通じるのでしょうか?「セレンディピティ効果」という言葉もあるみたいですね。

 

さて、セレンディピティの反対語もあるって当たり前でしょうか…?

Japanity というのだそうです。「誰もがやっていることを追いかけて、必然のところで発見する能力」

綴りを見て、ん?

Japanと入っているではありませんか…ってね。

海外の人が日本人研究者を揶揄した言葉らしいと書いてありました。

 「日本人の独創性の乏しさと、ブームのテーマに飛びつく性向を指していると述べられているから、これは大いに反論したいところである。」
と書いていますが、Japanese insanityの意味で使われているのであればやはり良い意味では使われていないということになりますかね。

と、質問サイトへの返答に書いてある文章を読みながら、日本人だけではないけど、この意味に使われるjapanという綴り…あまりいい気分にはならないですね。

japanity… “serendipity”の反対語勝間和代さんの公式ブログに2005年書かれたものにも書いてあった…。

 

小惑星探査機「はやぶさ」の偉業達成は ジャパニティの賜物であり、これから「Japanity」の国際的価値は大いに上昇するに違いない。

こんなことが書いてある…とこれはこれで面白い発想だなぁ…って思いました。

 

「serendipity」の土台には「japanity」があるのではないでしょうか。

「偶然を必然に変える努力を積み重ねながら、千載一遇の偶然を待つ」

こんな風に書いてあるブログもありました。なるほどねぇ~。

 

セレンディピティで見つけた動画で、こんなのがあるんだ…ってビックリ。

こんな使い方もありなのですね。

 

でも、Japanityで見つけた動画はイマイチ…ん…ある意味こういう風に日本のものが伝わっていってるんだ…どの国もいろいろな伝えられ方があると思いますが、途中で「ん…」と思ってみるのを辞めちゃいました。

 

「セレンディピティ」(serendipity)という言葉の起原について 茂木健一郎「脳のなかの文學」第9回 (文芸春秋「文學界」 2004年12月号掲載)より抜粋

 

いろんな人の見解があるみたいですね。

 

ウィキペディアに関連項目として、シンクロニシティがあがっていた。これはこれで、へぇ~って驚きでした。

 

お~って、読み返し。

ん…

 

ある意味凄すぎる…。

セレンディピティと科学なんか違いそう…って思ったのが無知でした…。

ホント、山中教授のiPS細胞のお話も、セレンディピティと思える節ありですよね。

 

愚直に頑張ってみている…その結果と思えば、japanityの結果、serendipityがあるのかも。何となくだけど、『セレンディップの3人の王子』の話を読んで、最初英語バージョンを読んで、日本語に訳されたものを読んで思ったのは、微妙に話が違う気がする…でした。なんか違う…と思ったけど、いずれにしても、ラクダの話バージョンの部分で思わされたのはなぜラクダを見ていないのにラクダを言い表せるか?はそれまでに培ったもののお陰様ですよね…。英語バージョンの方だったか、王様が自分の息子たちの教育をさせて…うんぬんという話があったのですが、幸運にも…という言い方に努力してきていると抵抗感があるかもしれませんが、根岸さんもセレンディピティじゃない?なんて改めて思わされました。

何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉、「セレンディピティ」はわかる気がするなぁ…とも思いました。ねかして置いたり、ちょっと休ませて…他のことをしてみたり…探しているのは変わらないんだけど執着せずにいる状態の時にふと思いつく…。焦って結果を出してまとめる…ってことも即効性という意味では必要な時もありますが、7割方作ってみて、期限ギリギリまで放置…することがあります。これでいいかなぁ…とまとめる方向性は考えていても、偶発的にですがなんかこれがいいかも…って閃くことってあるのです。1回や2回ではないので、何事も大方作っておいて寝かします。ふっと降ってくるように神さまありがとう~と言うしかない感じで、うまく道筋が違うこと思いついて…一からやり直ししてもそちらの方がなんかいい…。思いつけないときはギリギリあたふたと…ってまとめて、でも、あたふたしている時に思いつくこともありますね。授業とかも、こうして進めようって思っていてその場に行って、急に全く違う方法で進める…思いついたままにやることがあります。用意していることをもちろん教えるためにどうするか?ではありますが、この進め方よりこっちの方がいいかも…思いついてやってみてうまくいった体験を結構持っていますね。ありきたりの進め方…以外に何かないかなぁ…「楽しくなければ!」って発想を最初に植え込まれているからかも…最初の学校のキャッチフレーズが「楽しくなければ学校ではない」だったっけ…無謀?なんか違う気もするけど、とにかく楽しい授業楽しい学校は創意工夫と生徒のやる気からなる…そんな感じで、教える側の努力で楽しさを生み出すこととやる気を生み出すことをどうしたらできるか…無理矢理させるところから生み出されるやる気ももちろん含まれるけど、その先の達成感や充実感あるもの…など、めっちゃくちゃな発想かもしれないけど何でも楽しむレベルまで持って行くためには…発想。結論は、自分が楽しくないといけない。自分で楽しめるものにまずはする!って感じで、取り組むの当たり前…ってなってたなぁ…。

 

結構、企業経営とか自己啓発の本をはじめ、ビジネスマン用の本の中に面白いことあったりするので、読んではそれを授業にどう利用しよう…って普通にしてましたね。ビジネスマンだって真面目に文章を読むのが好きな人ばかりではないはず…って感じで、いろいろな工夫があってそれを学校に持ち込んで話す…ネタはビジネス書にありって感じのこといっぱいですね。

 

「情報」の授業をやっている時に、テーマを覚えていないけど、意識にないことは見えないという話をするために…たまたま読んだ本が役立つとかあった。その役立った本のタイトルを今覚えていないけど、「セブンイレブンのマークを書きなさい」とか、「家庭基礎」でも使ったなぁ…。表紙が茶色かった…って感じにしか覚えていない。でも、その本の中だったと思うけど、その人は言いたいことのためにみそ汁の作り方の話を例に出していたような気がする。(違う本だったかも)

 

思いついた関連のありそうなことも…メモっていると役立つかも…くらいの蛇足でした。

 

 

 

虫の知らせ

シンクロニシティーを読み解くスキル

シンクロニシティ…ありですね

加治武

書きながら調べてみよう…と書きはじめてみます。

 

実は、ずっと気になっていたもの。

 

来年のお正月には飾ろうかなぁ…と双鶴の漆塗りの絵。

お正月を待たずに部屋にかけてみました。

やっぱり何とも愛らしい顔がいいなぁ…。

だけど、作者をよく分からない…そんな感じで、裏面にいろいろ書いてあってビックリ。

 

せっかくのご縁です。これを機に調べてみよう…って思いました。

 

どこかに書いておけば、ネット検索で引っ掛かっていくのがホント感謝です。

 

お名前は加治武さんと言うんだ…。作者も知らずに手にしました。

 

ちょっとビックリです。この人の作品で紹介されているモノは私が気にいったのと違う感じです…

愛嬌がある感じが気に行ったのに対し、サイトで見ることができるものはスマート。

日展作家 加治 武

と書いてありました…

だから?

 

日展作家って何?

 

日展に出展している人ってこと?

入選している人ってこと?

 

古坂保に師事し漆芸を学び、過去日展や日本現代工芸展入選など数々の受賞歴を持つ作家と書いてあるサイトがありました。

輪島の沈金

 

ネット上で探しても出てこない…。

 

輪島沈金の始まり

 享保年間(1716~1735)に大工五郎兵衛は能登国門前の曹洞宗本山総持寺で見た袈裟箱の鎗金にヒントを得、大工のみの刃先で塗り物に彫刻する方を案出。これが輪島沈金の始まりとされている。

 明和年間(1764~1771)城順助が七代目笠屋佐次右衛門の世話にて京都に上り絵画を習い沈金技術を習得して帰国。今日の輪島沈金の基盤を作った。-輪島市史より-

これは、作品の裏に貼ってあった物から写した文章。

 

昭和27年前大峰氏無形文化財漆芸(沈金)技術保持者に指定される。昭和52年没。

これも書いてあるけど、どう言う意味なのかなぁ…。

 

加治武の略歴として書いてあるのは…

昭和14年 輪島市生

昭和30年 輪島市立中学校卒業古坂保氏に師事沈金技術修得

昭和44年 改組第一回日展「残暑の候」初入選

昭和45年 日展「群生」入選

日本現代工芸美術十周年記念展「蒼い渚」初入選

昭和48年 日展「礁」入選

昭和50年 日本現代工芸展「海の詩」入選

昭和51年 日本現代工芸展「澄む」入選

昭和52年 日展「汐だまり」入選

昭和53年 日本現代工芸展“幻影”「捧ぐ」入選

沈金新作展という展覧会?では数々受賞されていますね。

伝統工芸輪島塗 沈金 加治武 輪島市河井町

 

さて、なぜ調べたいかというと、沈金のパネル?を手に入れたんですよ…って知っている輪島塗している人にお話したら、いろんな人がやっていて価値あるかどうかはわからないって言われたのです。作家の人の名前も知らずにお話していたから、調べてみてもわからない…って誰が有名なのかも知らないから価値があるかとかわかりません。ただ、構図が気に入り表情が楽しくて…って感じでした。

 

ネット上に作品紹介されているかなぁ…?


伝統工芸 輪島塗漆芸額 加治武作品【しだれ桜】八六パネル額縁入

もっと素敵な感じのと言ったらダメかなぁ…きれいな桜も見たことあるなぁ…って思います。

 

 

輪島沈金で誰が有名なのか?なんて知らないなぁ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

博多独楽

たくさんコメントをありがとうございます。リンクかかっているものは全てすみません。私は詳しくないので、どんな他の人に迷惑がかかるのかわからないのでスパムメールと判断されたままを受けています。ほんとうはどうか?分かりません。だけど、いろんな悪さをすることがあるなら、読んでくださっている方に悪いなぁ…と思ってます。まだ読んでいない…130超えてました…すみません。

 

とにかく、忘れる前に…と、メモをしておかないと新聞記事でも捨ててしまったり、何を気になって切り取っているのか…というのを忘れることもあります。

メモをしておかないと…ってしていなかったら、新聞の山に入っちゃった?見つからないよ…。

 

日本経済新聞の近日のもの。

博多独楽のことが書いてありました。

 

私が興味関心持ったのは、独楽作りされているのに出会ってから。

知らなかったのです。

普通に「独楽」と思っていたものが、博多独自とは…。そして、その柄も地域によって違っていたなんて…。

 

襲名公演があるって、こうやって書いたおかげで発見できましたわ。

 

博多独楽 3代目筑紫珠楽襲名へ 寿楽さん 2代目と妙技披露

地方紙に載ったのは知ってました。

 

でも、先日この記事全国区?と気になりながら、読んでいたのです。

けがをしても取り組んだお話や絶えていた芸を復興させて継いだ話など…。地元のことであっても知らないなぁ…は、まず独楽自体が独自ということを知りませんでした。

 

この三代目さんと偶然お会いして、お話聞かせていただけたことが博多独楽を知るきっかけ。

本当にたまたまだそうですが、他に誰も行くことができないから…とはかた町屋「ふるさと館」で実演されてました。

私は仕事で行っていて、ボーっと櫛田神社で観察係してました。解散となった後、せっかくだから…と入って2階へ上がったら、蝋人形のはずが…動いていると驚いてしまったのでした。

 

実は、福岡の曲芸と言うことも知らず、見たことだけはありました。そして、その話をしたら、見たことがあること自体が珍しい…とか。しょっちゅう見れるものではないということも知りました。だからかなぁ…小さい頃は何度か見たことがあります。だけど、大人になってはないなぁ…。

独楽を刀の上を走らせたり…って、テレビで昔やっていた芸能人のかくし芸大会でもあったよね…と思ってお話したら、それも指導したりしたのだそうです。へぇ…。

刀の上で独楽を回しているのも記憶に残っていたのですが、水があちこちから噴き出す芸も見たことがある…とこれも、その一つとのことで、全国区ではなかったんだ…とビックリでした。

 

また、独楽の形も独自。

ちょっと新聞探さなきゃ…。と、読んだのになぁ…。

取りあえずメモ。新聞に載ってたってね。

 

 

小学生のころ、回すことできていたけど、今はできないかもなぁ…。

男子がやっていた遊び…と、けんかゴマ。相手の独楽を割ったりするんですよねぇ…と、こんな風に伝統…って見るともったいない?

回せるためには、心棒も自分でささないといけないから、それが曲がってもいけない。結構大変だった…って思っているのは私だけなのかもしれませんが、そんなことも今はやっていないのかもしれませんね…。

 

凄い歌声

今日知りました。リン・ユーチュンさん。

それで、忘れないために貼りつけておきます。


そして、へぇ~ってもっとアクセスがある歌声もある?と見たのでした。

スーザン・ボイルさんも凄かった