出雲大社 in 京都国立博物館

部分的に撮影可能でした。

神々の国しまね

高さ48メートルあったといわれる古代出雲大社本殿を再現

という、このイベント?だから写真撮影可能みたいでした。

 

日本神話においてスサノオが詠んだ

八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣作るその 八重垣を」

という和歌。日本最初の和歌らしい。

そんな古文の知識?日本史の知識?も全くなく、行きました。

 

私は知らなくても、小泉八雲は知っていて、凄いなぁ…。

パトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn) さん。

この方、出雲にいたことがあったらしい。そして、その出雲で神事を最初に見た外国人だとか。

さて、このスサノオの詠んだ和歌から、小泉八雲という名前をつけたんだそうです。

 

神々の国の首都「出雲」 神在月神事【神迎祭と神等去出祭】

ネット上でたくさんの写真と共に紹介して下さってました。

 

私にとっては、小泉八雲 といえば… 耳なし法一。

小学校にあがるまえに、読み聞かされたお話。そう思えば、こんな話を聞かせることもすごいなぁ…。

耳なし法一と紀伊国屋のブックカバーと小泉八雲はセットの思い出です。

「神社と神さま」がよくわかる本: 境内の見どころ・参拝マナーからご利益までを完全ガイド

この本を部分的にみることができるようになっている…ってこの本も、こうやって博物館で拝見した後なら、書いてあることも理解…。

 

相撲が神事なのは昔からなんだ…って、埴輪として相撲取りが…ウソでしょ?っておもったけど、確かに力士姿。

 

神事もよく知りませんでしたが、海から蛇がやってきて…という話だったり、博物館でお聞きしながら、へぇ…って不思議に、そんな神事が根付いている様子を拝見させていただいて、小泉八雲の感じた出雲体験は、確かに海外ではなくても、日本国内でもその地域以外から行くと神聖な感じなのかも…って思わされました。

 

『古事記』『日本書紀』なんて、名称だけは日本史で聞いて覚えているかなぁ…くらいのものでしたが、本居宣長と『古事記』との関係も習ったのかもしれないけど…ちっとも記憶になかったです。

ただ、この本居宣長が『古事記』に注目して調べる…ってことをするまでは、長らく無視されていた書物?みたいですね。

それを機に、再注目されて…それまでは、『日本書紀』優位の神話が一変して、『古事記』優位の神話が主体となり、現在にいたっているのだとか。

「古事記伝(こじきでん)」 これは国会図書館のサイトをリンクしています。

京都博物館で、直筆というものを拝見しました。きれいな字。読みやすい字でした。付箋は当時なかったものですが、紙を貼って、それにいろいろと書きこんで…という作業は、簡便化されて今はポストイットなどいろいろありますが、なくてもやっていたんだなぁ…と違う学びも。

 

生きている間には全て発刊されていないことなども知りました。

 

古事記は、その序によると、712年(和銅5年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)によって献上された、現在、確認できる日本最古の歴史書なんだそうです。歴史書という認識ではなく、神話などが載っているモノと思ってましたね。

上・中・下の全3巻に分かれており、原本は存在していない。

後世の写本として残っている古事記の序文に書かれた和同年及び月日などによって年代が確認されているのだそうです。

 

あまてらすおおみかみ

おおくにぬしのかみ

などなど…

 

神社で見かけるお名前がずらっと出てきます。

本居宣長が『古事記』を注目させたから、それ以降に、そんな『古事記』に出てきているお話の絵が描かれたり…してきて今に至っているそうです。ですから、あるときから…江戸時代の本居宣長が『古事記伝』を発刊するまで、その中に出てくる物語の絵などは描かれていないとか。

 

古事記 上 太安万侶 著 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772088/1

こんな書き方すると、今時の本みたいですが、近代デジタルライブラリーで見ることができるんですよね。

まぁ…江戸時代の出版物。

本当に昔書かれていたのかなぁ…?という疑問の声もあるのも確か。

 

出雲大社だったかの柱図が展示されていましたが、それも遺跡が出るまではまがい者扱いされていたそうです。でも、実際にそのように柱をつくっていた…って遺跡が出てから、信憑性が出て…と、昔のことはホントわからないですよね。

 

力士姿の埴輪が出てきてから、古墳に一緒に人を埋めるのではなく、埴輪を埋めませんか?と言ったというそんな記述に出てきている人の名前なども、神話じゃなくて事実かも?とか、注目されたのだそうです。

 

いろんな神様が…って、日本だけでなく世界中の神様に通じるものがある神様たちの話。

遠く離れていそうな…そんな感じでも、ギリシャ神話とかにも共通するような感じ…って、小さいころにギリシャ神話の分厚い本を読まされてから思ったのも、あながち間違いではなさそう?

 

京都国立博物館に初めて行ったのですが、建物自体古い?

外で雷がゴロゴロと鳴っている…って室内でも聞こえる。雨も感じる。

東京の国立博物館も古い…でも、そちらの方が手が加えられていて、近代的になっている感じも。

 

日本の政治の流れ…って、奈良時代平安時代…と、見えないものにも存在を認め意識していた時代の話があるのも、それよりも前にそんな話が当然のようにあったから?と思わされる日本の歴史でした。

 

屋久島で教えてもらったんだよね。

出雲なのか、伊勢なのか、私はよく覚えていないけど、建て替えるって伊勢かな?その時には、屋根材に屋久杉が使われていたんだそうです。そうやって切りだしていた跡などが、屋久島では見ることができる。
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オルセー美術館 ドビュッシー展

今日の新聞にも載ってる…と、先日せっせと切りぬいたんだけど…とおもったのでした。でも、今日はどちらかというと、オルセー美術館館長にスポットが当たった文章。

 

いつ私は新聞で見たんだ…と以前記事を書いた日はいつ?と見てみました。

8月1日。その時に、ドビュッシー展のサイトを確認していたのですが、コレなかったよ…。

そう、8月10日付けでドビュッシーの相関図がサイト上にありました。まだ未完成?今まだお待ちください…ってページがあります。

 

ギ・コジュヴァル館長は2008年からオルセー美術館の館長をされているんだそうです。

 

パリのオランジュリー美術館を会場に2~6月に開いた「ドビュッシー、音楽と美術」展は、コジュヴァル氏と若手学芸員が手掛けて企画なのだそうです。それが、東京にきているんだそうです。

 

9月にはファッションから印象派を考える「印象派とモード」展、来年には作曲家バルトークに関する企画展を予定しているんだそうです。

それはオルセーでかな?

 

絵画や彫刻をただ並べるのではなく、「芸術家たちが共有していた時代の雰囲気を感じさせる多義的な展示」を心掛けている。

というのは、今回東京で行われているものもかなぁ…

 

なんかよく覚えていないけど、印象派の絵画を展示している美術館がリニューアルして、違う感じに…とテレビで拝見したことがある…というのは、オルセー美術館のことかなぁ…?なんて新聞記事を見ながら思わされました。

 

 

葉祥明

昨日、知りました。

2012年8月4日フェア2012年<福岡三越>。

でも、作品というのか、絵はどこかで見たことがある…気はします。

だから、どんな人なんだろう?

 

美術館を持っている?とか、そんな作家さんとしらずにいました。

 

その人のブログでは

shomei Yoh 

とかいてあります。ということは、海外でも知られている人?そのくらいのノリ…熊本市生まれとかそんな感じでしか書いているのを読んで理解できていませんでした。

 

1972年に「ぼくのべんちにしろいとり」(至光社)を出版され、イギリス、フランス、スウェーデンでも発刊されているそうです。

読んだことがないなぁ…って思います。

これは日本語版の絵本ではない?

アマゾンで検索して、このイラストみたことがある…。

この絵本は読んだことがないけれど、私は知っている表紙だ…と思いました。


 

空を描くのが好きだと、展示会場には書いてありましたが、イルカの泳いでいる絵がとっても素敵だなぁ…って思わされました。

1991年から北鎌倉に葉祥明美術館があるそうです。そちらに行って、今回の展示の初日に…と来た人がいたとか。すごい…。

 

なんとなく、心癒される絵です。
絵本の絵って、本当に優しいかんじのものが多いですね。

 

調べてみて、あ~この本にはシリーズがあるのか…と知ったと同時に、この本『地雷ではなく花をください』を目にしていたから、イラストを私は見たことがある気がしたんだ…と理解しました。


 祖父の代に日本へ渡来した中国人の家系に出自を持つ。自身は30代で日本国籍となった。実兄の葉祥栄は建築家。

ウィキペディアに書いてありました。

2005年に映画『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』に葉祥明さん自作の詩《母親というものは》が引用されたんだそうです。

この映画を見ていないなぁ…と。


また、2007年に「MOTTAINAI~もったいない~」(NHK みんなのうた)の衣装として、JAKE がプリントされたTシャツが着用されているんだそうです…。これも知らないなぁ…。


この歌は聞いたことがありますね。

 

今日、本人がいらっしゃってサイン会とか言われても、へぇ~…明日は違うことをする予定…くらいに聞いていました。

人間、興味がなかったら反応の仕方が違いますねぇ…。すみません。

 

昨日は「こびとづかん」のなばたとしたか氏がいらしていたみたいで、これまたサイン会…ってやっていました。この方も存じ上げないので、へぇ~…。好きな人にとっては反応の仕方も違うのでしょうけれど、知らないということはすごいことだなぁ…と改めて思わされたのでした。

 

海の色、空の色…きれいでした。

緑も優しい。

 

福岡を描かれた原画。福岡の公的な施設で飾られているとか、福岡だから…というような施設(例えば図書館など)にあるといいのになぁ…って思わされた絵なのですが、原画は売れていました。まぁ…公的なところは予算がなくても、銀行とか、街の商業施設とか、あるといいのにねぇ…多くの人の目に触れるところにあるといいんじゃないかなぁ…と優しい感じに思いました。

 

 

団扇 扇子

団扇は紀元前1000年ごろには中国で使われていたことがわかっているんだそうです。

 

それが、日本に伝わったのは奈良時代だそうで…。

 

それをヒントに、「折り畳める団扇」を考案した人が、平安時代にいらっしゃるとのこと。

なんと、扇子って日本の発明品なのですね。

それも、薄い檜の板を重ねた檜扇とよばれるものが元祖だとか。

 

正直、この檜扇とは違いますが、中国のお土産でいただいたりするので、すっかり中国のものかと思っていました。

いろいろ中国の文化が日本に入ってきて、定着していますから…。

 

だけど、団扇は中国から伝来。それをもとに日本で扇子ができたとは。

あまり気にしていない身近なもののルーツって本当に不思議です。

 

扇子は持ち運びができて、顔を隠す道具としても使えることから宮中で必需品となったんだそうです。

 

そして、そんな扇子が北宋の時代に中国へ輸出されて…世界中に広まったんだそうです。

16世紀にはヨーロッパにも広がったって、ビックリです。

 

実は、先日、「輝ける皇妃 エリザベート展」という展示を見た時に、へぇ~と感心したことに扇子の使い方がありました。

昔のヨーロッパでは、扇子の使い方一つで、意思を伝えていた…なんともそんな扇子の仰ぎ方などで…って平安時代の宮中みたい…って優雅というのか、「動」の世界ではなく「静」の世界を感じていたのでした。

そんな扇子。ヨーロッパのものって、羽がついていたりと日本のものより大判な感じがして、ルーツがどこかにあって広がっていて変化していく過程で違う感じになったんだねと思っていたら、日本から伝わっていったものとのこと。

面白いなぁ…と改めて思った次第です。

 

「扇」という漢字は、本来風に動く軽い扉のことを意味し、そこから転じてうちわのことをさしているのだそうです。

 

さらに歴史を見ていくと、扇子の誕生は、仰ぐことが第一目的だったのか?という疑問も。その誕生には、数枚の木簡(文書の記述・保存に用いた薄い木の板)を持ち歩くために片端を綴じて使用したのがその始まりと書いてあるサイトが結構あります。本当かはわかりませんが、確かに、紙にメモをするより、木にメモをする時代だっただろうって思います。

当時は主に男性が公の場で使っていたのだそうです。要するに、メモ紙を暑い…と仰ぐ道具にしていった?その場にあった何かで涼をとる努力と思えば、想像つくお話ですね。そして、メモ用紙を持ち歩く代わりだったと思えば、確かに携帯していそうな話。

もっとビックリはメモするためのものだから、字が書いてあるっていうこと。そんなメモ板だったはずの檜扇。絵が描かれるようになり、装飾品として女性が好んで使うようになっていくのだそうです。

扇子の歴史をいろいろと紹介されているサイト扇子の歴史│オリジナル扇子の解説がありました。

信長と扇子のこと

那須の与一のこと

なども、詳しく知っていくと面白いですね。

 


全く違うことですが、見つけてへぇ~

以前、家庭クラブの生徒の活動拠点に…と家庭クラブの活動の部屋ってつくったら、せっせと生徒が来ていて、何をしているのだ~?と思ったら、うちわづくりでした。本来の活動は~?と思うところもありましたが、それもちゃんとよくやってくれていたかな。彼女たちのお陰で、「カンジャニ」「あらし」「∞」なんか、知らない世界…って、デビューしたてか、まだしていないころの話。

これも日本文化…?

其の当時にキットなんてなかっただろうし…。でも、こんな感じに飾り立てるのは上手だったので、文化祭の展示も凝って作ってくれましたね。

ホント、すごいなぁ…と思っていたら、100円ショップでも売っている…とそれにも驚きました。ただ、キットなんだよね。

手作りでないといけないのかなぁ?なんて疑問を持ちました。

 

「座礼」の時にも、相手に礼を尽くすのに欠かせないアイテム。
座った時に、自分の膝の前に扇子を置き、改めて礼をします。
相手と一線を置き、自分をへりくだる意味で使用するって、一般的?

こんなことしているのはお茶をしている世界だけのことと思っていましたが、違うみたいですね。

マナーうんちく話293≪扇子のロマンと優雅なマナー≫

 

要を人差し指と薬指で挟み、軽く握り、
手首をやわらかく曲げ、
ゆらゆらとあおぐ。

中村福助さんがおしえていた?女形の扇子の仰ぎ方なのだそうです。

 

女性と男性で異なる扇子のあおぎ方を実演してくださった芝雀さんと、こちらも歌舞伎役者さん。

 

さて、昨年の新聞記事ですが、扇子の開き方と仰ぎ方。

まず「満つれば欠ける」という言葉のように、昔の日本では、全開させて使うということはされなかったのだそうです。

次に、仰ぎ方は扇子やうちわは静かに下の方で仰ぎ、仰いだ風が隣や向こうに届かないようにする。礼儀作法全集(昭和13年出版)にそのように書かれているんだそうです。

 

儀式用扇子

将棋指しならばプロ・アマ問わず使う扇子

 

さて、扇子のことを調べていて、すごい!写真入り!と読ませていただきました。

扇子と月謝

「扇は通常開く方が上座、かなめの方が下座」とわかっていても、口にしない先生のすごさを感じました。

美の壺 File78 和紙  http://www.nhk.or.jp/tsubo/archives.html

 

日本では茶道に限らず、芸事において礼儀として扇子を持つのです。

と、表千家茶道教授をされている方のブログから。

 

表千家です。茶扇子の大きさは6.5寸以外はダメなのでしょうか?

これは、本当に私も気になっていました。というのは、私に教えてくださったお茶の先生は長い扇子を使うように…と言われました。でも、母の道具でお茶を始めた私は、最初短い扇子しか持っていませんでした。そして、今、ん…学校には短い扇子しかないけど…。

どちらが本当なのか?というより、どうなっているのかなぁ~?って、素朴に疑問をYAHOOの質問サイトに出された方に感謝です。

茶扇子の大きさは 講習会で、講師の宗匠から正式には6.5寸であることを伝えられてからは自然と6.5寸になりました。

 

エリザベート展で展示されていた扇子の使い方でメッセージ…どこかほかで知る方法ないのかなぁ…

 

 

 

 

 

 

ドビュッシー 音楽と美術展

これも新聞で紹介されていたもの。

 

音楽家ドビュッシーの生誕150年を記念した「ドビュッシー、音楽と美術」展が東京京橋のブリヂストン美術館で開催中とか。

 

国内外から約150点が出品されていて、10月14日まで。

 

印象派とは、ヨーロッパの絵画界を中心とした大きな芸術運動である。19世紀末から20世紀初頭にかけて発生した。写実主義から抽象主義への変化の、初期段階であると考えられている。その後の芸術全般に大きな影響を与えている。

ウィキペディアの文章。

 

見に行きたいなぁ…って思わされたんですよね。
ドビュッシー自身は「印象主義」という範疇化を嫌悪しており、出版社のデュランに宛てた書簡(1908年3月)の中で否定的見解を示し、印象主義作曲家を自称したことは無いんだって。

このことは面白いなぁ…って思います。

 

私にとっては分類なんてどうでもいいけど、音楽を聞きながら楽しめるのなら素敵だなぁ…って思うくらい。

あとは、印象派の絵画が集まるんだ…ってところに関心を持っただけ。

 

印象派の絵画って、浮世絵との関係なども言われたりしているよねぇ…。