人間は習慣の動物

常に本気。

本気で行動する。

 

大人になる前に運動をして、成果を求めた人がまず覚えることの一つ。

それは、練習大事…もですが、

我流のスタイルを身につけると、体に負荷が大きくかかるって。

 

コンピュータなどのキーボードを打つことも…

なんて

 

我流のスタイルで極めていくことが難しいのではなく、負荷が増えるってことかな。

もちろん、きわめている人がいる。

 

と、スポーツしていて我流…体のあちこちに負荷。故障…なんて、体験している人。また、結果を出した人も、我流を修正して…って苦労した人。

 

できる限り…最初からできれば…いい感じに身につけたいなぁ…研究熱心

 

 

その逆で、どうせダメ…ってあきらめる口実に?

口実探し…

自分でまずは担保作り。ダメだったときのキープ。

口実探しは、自らの可能性を閉ざしてしまうだけ。

ハナからあきらめの気持ちが強く、あきらめることを自己肯定するために口実を探しただけ?

 

人間は習慣の動物。

いったんあきらめてしまうと、次からもあきらめることが平気になる…

 

この状況に子どもを追いやる社会が今の日本かもしれないなぁ…

 

というより、もしかしたら、昔からそうなのかもね…蓄積?

 

どんな場合でもあきらめない決めてやってきた自分を思い出せる人はまだいい。

その自分に戻る。

難しいくらい…あきらめることが平気になっている?そうなることが大人と教えているあきらめている人。

 

人生はどんな場合でも、可能性がある。

打開の道はそこから開かれる。

拓くためには、「あきらめない」を習慣にする。

 

降水確率80%と聞いて、どう考えますか?

どう対応しますか?

 

私が教わったことは、20%晴れるということ。

もっとすごい?その地域のどこかに少しでも降ったら当たり!だよ。

 

つけたいところに言い訳と絆創膏はつく。

 

エジソンのあきらめない心を見習おう

アインシュタインに学ぼう

なんて、あきらめない人だけが出せる結果。

後天的な性質としたら、あきらめないで頑張り続けることができる素質を身につけることができる環境って…?

 

あきらめないことと執着とは違うと言われたりもしますね…。

 

 

どのような習慣を身につけるか?

 

 

あきらめるとラクかもしれませんね。

 

「夢は見るもので、叶えるものではない」

と働きはじめて、教員の口からよく聞きましたね。

そんなスタンスでは、生徒の夢が叶うわけがないと思うのですが…って、いろいろ勉強してやっぱりそうだよねぇ~って思います。

そんなことを教えるから、引きこもりが増えているだろうなぁ…。

 

 

10mでも高く飛べるのみでも、人間の心を持つと高く飛べなくなる…と聞いたこともあり。

 

 

いろんな実習課題等を考えるとき、「これは生徒はできない」と言う先生は、

「これは生徒に私はさせることができない」と言っているだけなんだけど…

本当は、「生徒ができるわけがない」と信じている。

だから、生徒ができるようにならない。

 

信じる力って、実は大きい?

最後まで…あきらめなかったら、土壇場まで…ダメかもしれない?不安はよぎっていても予想をはるかに上回るすごい結果を出してくれることがあると信じられる。もし、ダメだったら?

 

そうやって信じてもダメだったら…次に出るかな?

それでも信じられるか?何度まで???

 

結果出るまで。

 

自分を信じることができるか?

信じてもらえて成長できたか?信じてもらい続けられているか?

周りの大人の度量かもなぁ…と思わされます。

自然と信じることのできる自分が存在するイコール信じてもらえて育ったということ。

ありがたさを感じますね。

 

延長→事前の準備不足

教えるときの基本は欲張らない。

欲張ると裏目に出る。

多くの情報をつめすぎて、時間からあふれ出る…

教える側の延長は、熱意の表れと考えている人もいるが、教えられる側の感じ方は…過度の延長は教える側の力不足と感じる。

 

与えられた時間の質を高めること。

準備の段階で、バッサリ教える内容を絞り込む…

その分野に精通すれば、ポイントも見えてくる…。

 

インテリアデザイナーの講座を受けたとき、なかなかどこをピックアップして教えると理解しやすいかを探るのは難しい…という話をしていたら、講師の先生も…ただ、講師の先生と、自分の専門分野だと抑えるべきポイントはわかる!という点で共感。

 

バッサリ捨てるって

結構思い切り難い…と結局全て持っていると、たくさん話をして、結局伝わりにくいことになってしまう…。

 

相手のやる気を高める7つの方法

成功へ導くこと…100%といかなくても。

 

人間のモチベーション源3つを常に刺激してあげる。

 

1)楽しい

2)自分の将来の目標を達成したい

3)大好きな人に認められたい

 

方法1 「楽しく学べる」環境を作る

方法2 「これを勉強することで、こんないいことがある」と、学びの有用性を自分の経験も交えつつ語る。

方法3 まず期待する

方法4 相手の成功を前提に会話する

方法5 短期目標を繰り返し言ってあげる

方法6 長期目標を意識させる

方法7 どんな小さな成果であれ、発見→思いっきりほめる

 

まさに…コーチング?

 

大切なのは、親が黙って見守ること

暮しの手帳67月号 64 2013

母子の手帳

第21回

大切なのは、親が黙って見守ること

―親は教育者ではなく、保護者に―

佐々木正美(児童精神科医)

 横浜で二十年くらい前のことでした。青少年の健全育成を目指す活動をしている人たちの依頼で、援助交際という売春をしている少女たちの相談にのったことがありました。

 そのとき私の心をよぎったのは、精神科医として東京やバンクーバーで、研修や訓練を受けていた時代に先生や先輩たちから、よく言われていたことでした。「相手の話をよく聞くこと、上手に聞くこと、そうすれば必ず道は開ける」。

 少女たちの話を、一人ひとりよく聞きました。

 はじめは私をとても警戒しています。彼女たちは親やまわりの大人をまったく信じていませんし、親を好きだと思っている子もだぶんいない。言葉の端々から、否定と軽蔑の気持ちが伝わってきます。私に対しても、こんな人と会っても何も代わらない、という猜疑心が表情ににじみ出ています。そんな少女たちと向き合って30~40分、話を聞くのです。

 話題は相手の好みに合わせることに徹しました。音楽にしろファッションにしろ、とにかく彼女たちが喜んで話してくれることに気遣い、心を配りました。実際、こちらが知らないことですから「それはどんなこと?」などと教えてもらいながら聞いていくと、みんなイキイキと語ってくれます。

 同時に、私も彼女たちの話を、心から楽しみながら聞くように努力をしました。若者の感情や文化を勉強しました。ちょうど同世代の息子が三人いましたので、彼らに教えを請いながら、彼女たちの話をよく聞きました。

 興味、関心、感動、共感といった感情を抱くよう心がけながら聞いていれば、どんなに口の重い人たちも、そのうち話にのってくるんだと実感しながら、何ヶ月、ときには年余にわたって話を聞き続けました。

 そうして話に本気で耳を傾けている限り、必ず少女たちのほうから、「売春」という行為について、私の意見を聞きたいという意味の問いかけをしてきました。

「私がしていること、先生、知っていますか」

 彼女たちは、自分の行為について、決して褒められたものではないことを承知していながら、簡単には非難されたくないと思っているのです。しかし、この人からは、思いきり叱られてもいいと思えたときには、しっかり叱責されたいという気持ちになるのでしょう。悪いことは悪いのだと、批判され叱責されることを、むしろ求めてくるものなのです。

「先生、どう思う?」

「あなたのやっていることはわるいことだと、僕は思う。親だったら耐え難く悲しいし、親でなくたって、僕は悲しい」そう、本気で答えたものでした。

 忘れられない経験でした。こちらから意見がましいことは言わず、ただ相手の話を聞くことに徹する意味を教えられたと同時に、彼女たちはそういう人に出会えることを待っていたように、私には思えました。

 

 思春期の若者たちは、自分の話すことをしっかり聞いてくれる、そして心をこめて見守ってくれている親や大人たちを、ひたすら求めながら、日々迷い、苦悩しながら生きているのだということを、よく知らなければならないと思います。

 大切なことは、彼らがほんとうに求めてくるまで、こちらの意見、とくに批判や叱責をするようなことは、できるだけ控えること。そうでなけrば、たいていの場合、怒りの感情を持って反発してくるからです。

 最近の親子関係でもっともかけているのが、その子が何をしたがっているかを聞いてあげよう、わかってあげようという、親の姿勢です。子どもが自ら話し出すまでじっと見守り、話をしだしたら、気が済むまで本気でじっくり聞いてあげること。そうすることで、子供は「自分のことを大切に思ってくれているんだ」と安心します。話を聞くことが、子どもの依存欲求を満たすことになるのです。

 ちょうど今、今で原稿を書いている私のわきで、テレビの番組が流れているのですが、居場所を失って深夜の繁華街をさまよう少女の話です。つづいて、母親を足蹴りにして骨折させてしまった少年の話です。

 ここの背景や内容はわかりません。

 子どもの幸せを望まない親はいません。しかし、そのとき「子供は何を望んでいるのか」という問いを忘れないようにしたいと思います。

 そして、幼少期から、子どもの話しをよく聞く、意見を言うよりも見守る、受け入れる。親は教育者になるよりも保護者に徹する、ということの意味と重要性を、私たちはもっとかみ締めることが大切なのです。

 

親が教育者であることも必要なことはあると思うけど…、保護者に徹するという意味が伝わりにくいだろうなぁ…とは思わされました。

今、親が学校の先生、塾の先生とおんなじ目線で、同じように対応している…それが問題だってことだろうと思ったのでした。