貧食の時代 東洋経済

 

新聞の下に掲載されていた広告。

気になったので、チラッと立ち見をしようかなぁ~と本屋さんへ行きました。

チラッと立ち見…と最初の本屋にはなかった。

だから、2件目に行ってあったのです。

チラッと見るだけのつもりでしたが、ビックリ。購入してしまいました。

今週の第1位は『週刊東洋経済』 … 貧食の時代という「貧食の時代 東洋」で検索した結果見つけたもの。ちょっと開いてみたら、書籍に対する批評?

-Fujisan 読み物

「生鮮が消えた国」と題し て米国の低所得地域にはろくな生鮮食品が手に入らない「貧食」も取りあげられている。高くて買えない店から消えるという悪循循環も起 こっているらしい。「過去40年、米国で最も値上がりしたのは野菜と果物」で、 (砂糖や油、牛肉など)不健康な食べ物の価格が補助金によって抑えられてきた歪んだ仕組みが遠因のようだ。これを日本の明日とはしたくな い。

と書かれていました。

そう、気になったのはいろんな食の話。本当かなぁ~って調べたくて購入してしまいました。

実体験者たちがいっぱいいるでしょうねぇ~

 『週刊東洋経済』貧食の時代

 

 

[Part3] あなたの子どもをどう守る?

変な給食から給食なしまで、「学校給食」の摩訶不思議

レシピ本がヒットした足立区の給食

今や乳児の10人に1人! 急増する食物アレルギー

ニーズあるのに対策進まぬ、子どもの夕食「塾弁」事情

と、タイトルだけの抽出。それも一部。

 

ただ、私が調べてみたくなったことは、給食実施状況。

大阪府と神奈川県は完全給食実施率が1割台!

公立中学校の完全給食実施率ワースト10

 

正直、ワーストという言い方されないといけないわけ~?

昔、確か、子どもの食事を給食に任せるなんて…なんて運動もあって、お弁当が母親の愛情を子どもに伝える手段と戦うように給食反対していた保護者がいっぱい…。そんなことを思えば、ワーストなのかぁ~?と思わされたのでした。

ただ、完全給食実施率と言われている「完全給食」とは?こんなに高い率で行われていたっけ…

平成20年 中学校10,850校 実施率 85.8%( 9,304校) 完全給食 75.6%補食給食 0.6%ミルク給食 9.5%

平成22年 中学校10,749校 実施率 85.4%( 9,182校) 完全給食 76.9%補食給食 0.6%ミルク給食 8.0%

 学校給食実施状況等調査  > 平成22年度  > 学校給食実施状況調査

平成22年度 > 学校給食実施状況調査

ミルク給食も実施されていないということなんだ…と驚きました。

都道府県名 総数 完全給食 補食給食 ミルク給食
学校数 百分比 学校数 百分比 学校数 百分比 学校数 百分比
40 福岡県      346      245   70.8        –     –      101   29.2      346  100.0

この実施状況しか意識していなかったのです。つまり、ミルク給食はあっているだろう…ってね。

だけど、大阪府はミルク給食も実施されていないのですね。

ただ、この7割も低い方なんだ…と思わされました。

いろんな意見があるんだなぁ…と思わされたサイト

 

中学、給食か弁当か 弁当派「卒業する時に、弁当を3年間作ってくれた親への感謝の気持ちが生まれる」

神戸市教委は、市立中学校(82校)での学校給食実施の是非を探る学識者ら の検討会を設置した。市教委はこれまで「家族の絆を深める」などと弁当を推奨してきたが、 共働き世帯の増加などで保護者の間では給食の導入を求める声が増えている。全国的にも 学校給食導入の流れが加速する中、検討会は来春までに意見書をまとめる。 
市教委によると、県内では41市町のうち、7割以上の20市10町が中学校で給食を実施している。 
市教委が昨年7月、市立中学校を対象に行った昼食に関するアンケートでは、 生徒の93%が弁当を持参、53%が今後も弁当を望んでいたが、その一方で、保護者の75%は給食の導入を求めていた。 
背景には、共働き世帯の増加で、早朝の弁当作りに負担を感じる親が増えたことがあるとみられ、 市議会では近年、中学校でも給食の導入を求める陳情や請願が相次いでいた。 
これに対し、市教委はこれまで「中学校では弁当」という姿勢を崩してこなかった。 
財政状況が厳しい中、調理施設の整備に最大100億円以上が必要な上、 「弁当は生徒一人一人の成長に合わせられるし、家族の愛情も深める」という考えを持っていたからだ。 しかし、全国的には、中学校で給食を実施する自治体が増えている。 
そこで市教委も、学識者や保護者らが参加する検討会で、中学校での給食の実施の是非を話し合ってもらうことにした。 
2月21日に行われた検討会の初会合には、委員9人が出席。給食のメリットとして 「親の身体的負担は軽くなる」「保護者の食の知識や技術に差があり、弁当では量や栄養バランスに 配慮できない人もいる」といった声が、弁当のメリットとしては「卒業する時に、弁当を3年間作ってくれた親への感謝の気持ちが生まれるのでは」といった声が出された。 

読売新聞で書かれていたようです。

中学校給食が必要な理由

個人的な意見では、私は給食嫌いだったので、実は中学校の時お昼に食べる量は少なかった。だから、栄養失調だったかも。今思えばね。そして、デザートがついているのがまた嫌で、甘いものを今は食べることができるけど、全く食べることがなかった。全部友達にあげてましたね。

自分が学校給食の栄養士をして、知ったことは、地域によっておいしいということ。まずかった…体験で育ち、提供側になっておいしいところもあると知って何が違うのだろう~?と思わされました。どちらも給食センターからのものには変わりないのに…ってね。

 

中学校給食だった私とお弁当だった弟。

学校によって違いはあるかな。

 

雑誌を見て、本当に~?と驚くのです。

「先生、イチゴ味とうどん出しは合いません!」「アメリカンドッグと白玉はどっちを先に食べればいいの?」

フーズ&ヘルス研究所を主宰する幕内秀夫氏が著した『変な給食』には、文字通りどこかおかしな学校給食の写真が紹介されている。

 きつねうどんにイチゴ蒸しパンと牛乳。カレーうどんに小倉白玉とアメリカンドッグ。再現写真を突き付けられると、確かに珍妙な献立だ。

とその続きに書いてある文章も、ホント…。

何とすごいなぁ…。本当にビックリの献立を出しているんだ…と『変な給食』の方をチラッと見た時には確かに思いましたね。そして、自治体名まで記されていたことで反発が起きていたって、反発よりも広く知られた方がいいこれは劣悪すぎでしょ…という献立たちは、栄養士の実力を疑うわ…。

『もっと変な給食」という本が今年になって出ているんだそうです。

正直、こうやって子ども達が育っている…と思えば、これの方がマシなくらいのお弁当体験しかできないの?とは思いますね。

 

東京都足立区の給食レシピ本が売れているとも紹介されてました。


足立区 おいしい給食

サイトでも紹介されているそうで、また、区役所のレストランで1日限定30食学校給食をランチメニューとして提供されているんだそうです。

 

はぁ…。

 

栄養素摂取という点から見れば、冷凍食品を押し詰められたお弁当よりはいいと思います。ちゃんと考えられた献立なら。

 

ただ、私が見ても、きつねうどんにイチゴ蒸しパンと牛乳だけ?これは本気?と栄養士の人を知りたくなります。調理現場の調理器具等を考えて想像するだけですが、調理をする人の数もあると思うのですが、炭水化物ばっかりじゃん…。どんなに凝って、油揚げを煮ても、野菜はなさすぎるでしょ…。イチゴ蒸しパンを自家製にしているのかなぁ~なんて全て自前で作って出しているのなら、作業的に大変ですねといえるけど、市販パンなら何やっている調理場なのだろう…と思いますね。

 

かれーうどんに小倉白玉とアメリカンドッグも。野菜は~?

 

野菜嫌いな子どもたちなので、確かにこう言ったレシピに野菜をつけて…とすると、残食率高いかもしれませんね。だけど、こんなん食べて成長して、大人になってどうするの~?と思わされます。

だけど、言われたのです、昔。完全な和の献立にすると残食率が高くなると。そうすると、作る側の気がめいる。そして、それを食べさせる指導も学校側で大変と。

正直、それも一理とは思います。食べないと意味がない。そして、食べさせるのが大変な学校現場も想像できます。だから…といって、学校給食の内容は考えないといけないと思いますね…。

 

正直に思うことは、学校給食で初めて煮物を食べる、和え物を食べるなど、食体験を広めている子ども達が増えている。だから、学校給食で初めてが多かったりすると、食べないんだよ!と保護者の身勝手な発言には思います。

白ご飯を家で食べたことがなくて、ふりかけがないと食べることができない子たちがどのくらいいるか。野菜を食べることができない子たちがどのくらいいるか…。家で食べる機会が失われすぎてます。親がデザートしか食べさせていない子なんて、給食ではデザートしか食べないことも。

 

ただ、親の偏食や調理技術の無さで家では食べることができていないものを食べる機会を得ている実態。本当はそれを給食のメリットといっていいのか?と思うところはありますが、食べた経験なく成長するよりはましかなぁ…。

今、学校給食も大変と思います。

たかがキュウリを出すのだって、熱湯消毒しないと出せない。

サラダ、和え物を出す大変さを思うと、足立区の学校給食と紹介されていた雑誌の写真にトマトが切ってサラダになっている…って、消毒とかはどうしているのかな?とそんな感じ。

 

調理を自校方式の給食と給食センター方式の給食と、どちらがいいか?そんな議論もありますよね。

選挙でも「中学校の給食」が争点になるというところで、私が思うのは、いずれにしても食べない子は食べない。ちゃんと調べることができるのなら、残食率など調べて見た方がいいと思いますね。個人差大きい。

学校の教員たちの意識も「給食は太る」と思って、女の先生方とか敬遠する声がありますが、正直食べすぎだよ!と思います。先生たちが山盛り取って…という、教員が自分の給食が少ないと不満を漏らし生徒たちから取り上げる先生体験をした私から言わせてもらえば、太るのではなく適量食べることをしないから。あとは、確かに中学生用を同量食べる年配者は無謀。食パン3枚とかつくときあったりしたもの。パンも素材そのものの味を味わう…ってできない人が多くなっていて、菓子パンとかも増えているでしょうし…。「給食は太る」と平気に口にする先生たちの言葉を聞いて食べたがらない思春期に突入する小学高学年や中学生女子たち。本当は、この時期にちゃんと食べる必要は本当にあるのに…心ない大人や男子の言葉で食べなくなる人達も出てくるお年頃。

 

脱脂粉乳にコッペパンといった給食イメージだったら、確かにお弁当がいいと思うでしょうけど、コンビニ弁当と給食と比べるような世代になっているとしたら…。

 

再現写真を真に受けるわけではないけど、こんな献立を出されて栄養バランスを算出していないのかなぁ~?

 

 

カレーうどんにタコ焼きとソラマメに「ビアガーデンか!」というタイトルがついているそうですが、そんな献立をたてている栄養士その方がそういった食生活で育っているのでは?と思いますね。

 

器にうるさく言う保護者がいたり、食材の質にうるさく言う保護者がいたり…と、数百円で作る世界の給食。それでも、どの地域の給食もなるべく子ども達にいいように…と食材吟味等されていると思うのです。その財源である給食費を払わない家庭がある。それで給食はどうやって出していけるのか?そう思うと、家庭の責任で弁当にしたら?とは思いますね。食材だって何だって自分で厳選して出せば~なんてね。

 

私が体験した給食食材を選ぶ…という体験をもとに言うと、同じ食材をスーパーでは買いもとめられない。もし、同じレベルの野菜とかを買いたいと思ったら、取り寄せか高級百貨店等で買うしかないかもねぇ…くらいに頑張っても、捨てる子どもたち。食べ残すことを何とも思わない子どもたち。

正直、男子と女子で摂取量の基準等違って当然だし、その辺の考慮がなかったりすると必要以上取り過ぎ…もあるかもしれないとか、厳密な管理なんて無理でしょ…と思います。食物アレルギーの子ども達も増えていて、実際にはそんな人たちへの対応も求められると…現場は大変ですよねぇ…ってね。

給食受注制にして、いろんな種類増やして弁当形式でもいいから業者を入れるとかなら支払いの滞りも減るんじゃない?

タダ食いをさせていける自治体がどれほどあるか?

野菜は高いんだよ~って思いで「きつねうどんにイチゴ蒸しパンと牛乳」という献立を見た時、栄養バランス…という観点ももちろんあるけど、この献立が出されている学校は給食費の回収はちゃんとできているのかな?と疑問も。それは「カレーうどんに小倉白玉、アメリカンドッグ」も同様。これなら安そう…なんてアメリカンドッグは市販品としても、全て作ると原価計算するなら安そう。規模の小さいところで野菜を使うってホント高いだろうなぁ…と思うのです。常に安いときばかりではないし、冷凍野菜使わないよね…基本と思っているのもバイアスかもね。

 

食物アレルギーなんて、解明されていない原因といわれるけど、私は親の食生活などが大きく影響しているとは思いますね。

ホント、生きる基盤にあるはずの食をちょっと疎かにして治療費を払いたい人が増えているとしか思えないのでした。

 

 

 

 

言うとおりより、するとおり

コメントをいただいて嬉しいけど、読み終わるのを待っていたら書けない…と先に100投稿目。

消えたとはいえ、ようやく100です。

 

いろいろと資料だけはたまっていきます。

 

だけど、100回目で見つけた順番より、今、この本に出会えてよかった…と今日出会えた本を。

 

感謝です。

 

その本のタイトルは、『置かれた場所で咲きなさい』。

以前発見したときは、手に取りませんでした。

でも、今日発見したとき、手に取ってみました。今日手に取った本は、売れているという棚から2冊。

そのうちの1冊。

 

この本との出会いに感謝です。

 

こんな事例いっぱい…と他人事のように…書きながら、本当にこの本に出会えてよかった…と思えることと仕事のために書くことは違うかなぁ…。

 

子どもは親や教師の

「いう通り」にならないが、

「する通り」になる。

子どもに何かを伝えるのに言葉は要らない。

ただ、誠実に努力して生きていくだけでいい。

 

価値観は言葉以上に、

実行している人の

姿によって伝えられる。

同じ事柄でも価値観によって受け取り方が変わる。

子どもには、愛と思いやりのある価値観を伝えたい。

 

1,2ページの出来事を交えたお話を、こんな感じでまとめてある。

いろんな同じことを書いている本を見ます。そして、本当にそうだよねぇ…と思うことなのですが、こんなにわかりやすく端的にまとめてある。そう思わされる優しい語り口。

いろんな同じことを言う文章よりも、伝わる気がします。

 

親の価値観が子どもの価値観を作る

 3歳ぐらいの子どもを連れた母親が、水道工事をしている人たちのそばを通りながら語って聞かせています。「おじさんたちが、こうして働いていてくださるおかげで、坊やはおいしいお水が飲めるのよ。ありがとうといって通りましょうね」

 同じところを、これまた幼い子を連れた別の母親が通りかかります。子どもに向かっていいました。「坊やも勉強しないと、こういうお仕事をしないといけなくなるのよ」

 価値観はこのようにして、親から子どもに伝えられることがあるのです。最初の母親は、人間はお互い同士、支え合って生きていること、労働への感謝の念を子どもの心に植えつけたのに対し、2番目の母親は、職業に対する偏見と、人間を学歴などで差別する価値観を植え付けたのではないでしょうか。…

 

なんて書いてある最後に

価値観は言葉以上に、

実行している人の

姿によって伝えられる。

同じ事柄でも価値観によって受け取り方が変わる。

子どもには、愛と思いやりのある価値観を伝えたい。

といった感じでまとめてあるのです。

 

53万部突破と書いてありました。

最初に見た時は、手を伸ばしませんでした。

だけど、知らずに語るなかれ。ちゃんと勝手に判断ではなく、読んで…と手に取りました。

 

いたるところ、本当に心洗われる思いがします。そして、年を重ねる凄さを思わされます。

 

日本で、いじめがなくならない理由。

その一番大きな原因は…?と尋ねられたら、私は大人の弱さだと思います。

ここにあげた母親。前者と後者のどちらが多いか?

学校の教員で後者に出会える確率は低いです。聞いていて気持ちが悪くなるくらいに後者の言葉を使う人が多いです。

あ~日本がよくならないなぁ…ではなく、しみじみと、伝えていることが違って、何を伝えたいのかという意識しているところがないから発言している言葉たちかもしれない。子どもを思って…の後者の発言と言いたいお母様方が多いんだろうなぁ…と思っても、この著者と同じように私も思います。というより、この文章を読んで安堵しました。母より年上のこの著者だから、時代が違うと価値観も違うの典型的な話でしょうか?

 

昨日、大雨、落雷。

櫓から下りるように…など、注意し避難。そんな中、まだ上がっている…。誰?と見たら、教員でした。

保護者や生徒にしめしがつかないね…。注意している立場はどっち…?

保護者だと危険を伝えに行こうって、動いたら言っている側。管理職に報告しても、わかっているでしょうから…と放置判断。

これじゃあ伝えているのは、何?

 

そう思っている矢先に読んだ文章。

 

いろんなことがありますが、言うことよりしていることの方が強いんですよね。

「これは禁止です」と言いながら、実際にそのことをしている人が何も言われずに過ごすことを見ていると、恐らく多くの人達は禁止を咎めることのできない組織と見るでしょうね。そして、一部の人たちは、咎められないのならしていい…そう判断するでしょうね。

 

雪山で遭難など、いろんなニュースが流れます。母が山登りを昔していて、見ていて言うのです。こんなこと絶対したらいけないのでは?と。時代が変わって、昔より便利になり、昔よりもしかしたら雪山でも何でも危険が減っているのかもしれないなど思いながら母の言っていることを聞きます。だけど、同じだよね…。禁止だったり、しなければいけないことには理由があったりする。その理由をわかっている人には、何をやっているんだ…と、実行している人たちを注意したり警告したり…しない人達に対して何をしているんだ…と思います。だけど、咎められない=していいという雰囲気が万延している感じがします。注意している矢先から、注意している組織から違うことをしている人の姿を見せる…。警察の飲酒運転みたいなものでしょうか?

 

そうしたい気持ちを理解するという側面もあると思うのですが、その行為によって他者へ与える言っていることに対する重みのなさを伝える行為としての側面を見るということはないのかなぁ…?

「こうやりたい」が規範よりも先立ち動く…何年も教員をしている人間の行為としてどうか?なんて思いながら、管理職が言いというのなら…と不快に思うけど、気づかれた方偉い!くらいでちっとも気づかなかった私としては、第3者へ与える影響って考慮するのは普通ではないということを学びました。

 

 

 

平成24年度全国学力・学習状況調査 理科

平成24年度全国学力・学習状況調査の結果が昨日新聞に出ていました。

見ていて、疑問。

調べてみました。

平成24年度全国学力・学習状況調査の解説資料 http://www.nier.go.jp/12chousa/12kaisetu.htm

平成24年度全国学力・学習状況調査の調査問題 http://www.nier.go.jp/12chousa/12mondai.htm

平成24年度全国学力・学習状況調査の正答例 http://www.nier.go.jp/12chousa/12seitourei.htm

平成24年度 全国学力・学習状況調査 調査結果 http://www.nier.go.jp/12chousakekkahoukoku/index.htm

H24全国学力・学習状況調査の結果をまず読みました。そして、気になったところは…。

新聞にも載っていたのですが、理科。

私の気になったところに→を入れました。

7.8%って何?

2(2)の問題は

1つの回路で,2つの実験と同じ結果を得るための測定方法を説明する

という問題でした。

抵抗の直列つなぎ,並列つなぎなどに関する知識を活用して,他者の実験方法を検討し改善して,正しい実験方法を説明することができる

そんな力を見るらしいのですが、ホントに7.8%正答率。

だけど、私はそれよりもこちらに注目してしまいました。

道がそれる…という注目かもしれませんが、無回答率39.7%、正答率11.5%

これって、前までの流れの問題がわかっていなくても解けるのでは?なんて思うのです。

どちらの問題かというと、(6)です。無回答率39.7%、正答率11.5%というような問題???

単に時間が足りなかっただけ?単位を変えることができなかった?後は…習っていない?

 

ちなみに、7.8%正答率の2(2)の問題は無回答率18.5%。

 

家庭科として、気になったのは、この回答率と正答率。

それは、上記問題の(5)。

どの白熱電球を変えると一番節約できるか?なんて訳してしまいます…。

これは、白熱電球と蛍光灯の話でも言われていて当然のことでしょう…と思います。そして、あからさまに使用時間の違いが出ている。

入浴回数とトイレへ行く回数、階段昇降回数を思い浮かべたら、それだけで解けるでしょう…。と、意地悪に思うのは、これがトイレに行く回数と時間が示してあって使用時間がわかっているなど、夜通しつけているモノとの比較ではなく、そう使用時間数は同じでも、ON・OFFの回数の違い…なんかだったら、家庭科?

生活の中での電気をつけている時間を考えることができれば、単独で正解できるのでは…?と正答率100%でしょう…と思いきや、60%。無回答率は、3.2%と低い方ですが、4割間違えていることに驚き。まぁ…6割のうち、実生活のこととして思い浮かべて解けたかは別問題ですけどね。

 

それで思うのでした。

どこで、白熱電球などを習っただろう…?

直列・並列等の話は確かに習っているから、その時?

 

今、白熱電球の代わりに蛍光灯がついている家庭も多い時代だしなぁ…と思えば、身近な生活の話ではないのかなぁ…?

 

白熱電球と蛍光灯の違いで、白熱電球を使用するといいのは…という話

○ スイッチを入れてから点灯まで時間がややかかる(白熱電球は即時)
○ 頻繁に電源ON・OFFが行われる場面では寿命が短くなる(白熱電球の場合無関係)

という蛍光灯の短所を知っている…って言うのは学校で習うもの…?

中学校で習うのかなぁ…? と、これは中国地方総合研究センターのサイトからです。

http://www.crrc.or.jp/eee/PDF/chu_5.pdf#search=’%E7%99%BD%E7%86%B1%E7%81%AF %E8%9B%8D%E5%85%89%E7%81%AF %E7%BF%92%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%AF %E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1′

 

まぁ、白熱電灯ではなく、蛍光灯で全てが話されていたら…問題複雑だったかも…と思えばいいですかしら…。

 

あと、無回答率38.4%と高い問題があります。正答率38.6%も低いかなぁ…でも、一ケタ正答率があるから、高い方?わかりません。

これは浮力の問題だねぇ…と見て、何でこれが解けないの?とふと思って、私の答え違うかなぁ…と見てみる。

でも、正解してた…って、これはもう、見ただけでパスしたとしか思えませんね。

習っていない中学校があるというのかなぁ?学ぶ時期が違うのかなぁ…?

 

卵が食塩水に浮くという話は、卵の鮮度を知る一つの方法で、家庭科だけど小学校の教科書か中学校の教科書で見たよ…確か…って思います。

 

あと、計算できるかどうかは別問題としてありますが。

 

ふ~ん…

そう思ったのは、国立中学校だけが、正答率が低い問題も高かったりしている?

母数が違うので、一概にこのデータだけでは言えないけど、そう思わされました。

2(6)、4(3)の問題に対して、無回答は公立4割。これを意識してみないといけないのでしょうね。

 

よく他のデータを見ていないけど、この4割は、恐らく理科は将来役に立たないと思っているのでは?って思います。

他の問題は、学校で問題集などでやったりしたモノの続き…って思って見ることができるのでしょう。そして、2(6)、4(3)は、その前の問題が簡単?だけど身近なことで…と、その次に出た問題は恐らく学校で学んだことでは解けないなんて、始めっから解くのを辞めている?なんて思わされました。

 

国語や数学の問題を私はちゃんと見ていませんが、理科が一番正答率が低いのか…?わかりません。

 

過去、この調査ではありませんが、自分がいた学校でこのような調査を受けた時に、その学校の特別に進学のために編成したクラスに受けさせてました。正直、それって意味があるの~?と冷ややかに見ていましたが、この調査がどのように行われているのかをよく知りません。

ただ、さらっと問題を見ていて思ったことは、何でこれを無回答なのか…という疑問が残りました。

 

 

 

 

 

奇跡の子 内村航平の原点

ちょうど、片付けていたら、出てきた…開かれてもいない新聞。

ドタバタとしている日は、全く手つかず…と、片付けようとしたら「内村航平」という文字。気になったので読んでみました。

 

「魔法の言葉」で急成長

 人間離れしたG難度の技を決め、着地に狂いもない。体操界のエース内村航平は強く、美しい演技で人々を魅了する。「プレッシャーって何なのか分からない。どんどん期待してもらっていい」。この夏の主役候補は言いきった。

 

 少年時代に指導した父の和久は、17年前の”事件”を振り返る。「航平をたたいてしまった」。小学1年で初めて出場した長崎県内の大会。緊張で顔を真っ青にした内村は演技構成を忘れてしまう。「40人ぐらいいて再会でした。それで…」

 和久は、福岡・柳川商高(現柳川高)時代に全国総体で床運動と跳馬を制した。息子であり、教え子のふがいなさに思わず手をあげた。「(たたいた箇所は)お尻でしたが、主人がたたかなかったら、私が『何でできなかったの』と責めていたかもしれません」。体操選手として、学生時代に九州で名をはせた母の周子が明かす。その後、内村は試合になると全く力を出せなくなった。

 

 和久は福岡県大川市で生まれた。街を流れるクリークにわらを敷き詰め、宙返りで着地を決めるのが得意だった。高校1年だった1976年、体操男子はモントリオール五輪で団体5連覇を達成。体操ニッポンの黄金時代に胸をときめかせた。日体大を卒業後、福岡県内の体操教室で指導者の道を歩み始めた和久は、五輪に出られるような教え子を育てるという夢を抱いていた。その頃、九州で指導していた周子と出会い、結婚。当時住んでいた北九州市で第1子が誕生した。昭和から平成に元号が変わる5日前の1989年1月3日のことだ。

 2702グラムで生を受けた子どもは「世界を目指し、大海原に飛び出して欲しい」との願いから「航平」と名付けられた。3年後、31歳の和久は、周子の実家があった長崎県諫早市で念願の独立を果たす。海上コンテナ2基をつなげた自宅で体操教室を開いた。

 

 夫婦は航平を授かったときから「子ども達に重圧をかけるような言葉は掛けまい」と決めていた。だから、教え子となった小学1年の息子に対して禁を犯したことを悔やむ。練習ではできるのに試合になると委縮する姿に、感情に任せた行動は過ちだったと気付いた。「よかよか、次頑張れば」。小学4年の時、試合で失敗した内村の頭をなでながら、和久は語り掛けた。この言葉は、次第に内村の「お守り」になっていく。第一人者となってから、内村は周子に打ち明けた。「お父さんの『よかよか』でここまで頑張れたよ」

 両親の”魔法の言葉”で成長し、北京五輪に出場。大会前は腰痛に苦しんだ。自分達の夢をかなえた息子の雄姿を見たい気持ちは当然ある。それでも周子は「出られなくてもいいじゃない。私はベンチの航平を応援するから」と励ました。

 

 「体操と出会えたのも両親のおかげ。どんなレベルになっても同じように応援してくれる」。最下位にべそを書いた少年は、23歳の今、世界から「天才」と呼ばれるまでになった。「自分の子ではないみたい。『奇跡の子』です」。周子は目を細めた。

西日本新聞20120年7月17日

 

読んで、そんなことがあったんだ…と北京オリンピックの話もよく知らずにいました。

新聞記事には写真が2枚。一枚は3歳のころ、鉄棒にぶら下がっている内村選手の写真。その写真は体操教室のチラシに使われていた?使われている?そうです。

 

「よかよか」

この言葉を言えるのか?というよりも、重圧をかけまいと誓う背景にある思いがあるからこそ、自分を制するのだと思います。

読んでいて思ったのは、この内村選手の両親は重圧をかけられて選手生活を送ってきていたのでしょうね。

それで結果を出していったと信じている人は、次に指導者になっても同様に圧力をかけていくのかもしれません。だけど、本当は圧力をかけていることがどのような影響を与えているのか、そのことをしっかりと認識し、自分が体験して嫌だったことへの思いを忘れなければ同様のことをしないために、他の方法を学ぶ努力をすると思います。

だけど、されて嫌だったかもしれないけれど、その嫌だったという思いを覚えていても、それ以外に方法がないと、嫌でもそれ以外には勝つ方法がないと思うと同様のことを…それは自分が嫌だったはずのことを後進者に対して行って、自分に言い訳をしている人がいますよね。それ以外勝つ方法はないから…。

本当は、圧する方が相手を委縮させ、本来の力を出せない方向に持って行きかねない…って、ちゃんと科学的に学習していれば知っているはずなのに…思わず叩く、責める…そして自分に言い訳をする。そうするから強くなるんだ…。一番簡単な負のサイクルのできあがり。これは虐待の連鎖と一緒。

他の方法を学び、様々な他の方法を探る…そして、身につけるべく取り組む。一朝一夕で身に付かない指導スタンスだと思うのです。それでも、「よかよか」と言い続け、「出られなくてもいい」と言うことの凄さを思います。

 

自分が受けたことに対して、間違いはないはずだ…と虐待を受けた子どもは思いたくなりそう思いこむために、おかしい!とか嫌だったという思いを無意識の世界に追いやり、その方法しかないんだと同じ方法を繰り返している人に出会って思うのです。私も声を荒げることあります。そして、本当に伝わらない…と思わされることもあります。特に、長いこと、虐げるような圧する指導を受けた子どもには、恐らくこの内村選手のお父さんのように接されると何をしてもいいと勘違いして行動する可能性が高いと思わされます。指導が理解がうまくできない子にしていっているのが理解できないのは、自分は耐えて頑張ってきたというスポーツマン精神?で指導している人だと私は思います。そんな人にはよく出会えるなぁ…と思いますが、本当にすごいなぁ…と内村選手のご両親の指導を思うのです。

自分はそうやって虐げられる指導で耐えてきたのだから…耐えなければ強くなれないと勘違いしている人達は頭を使わない兵隊的に扱われたスパルタ指導で育ったのだろうと思います。そして、同じ体験をしても、それを伝えていく人と、そうではない方法をするために自分を律する人。一番大きな違いは強さだと思います。本当に強くないと、変えることができない。強いのは心なんですよね。

いろんな思いがよぎりながらも、「よかよか」と言い続ける試合後の対応かもしれません。だけど、普段は違うのかもしれません。「よかよか」はきっと、自分への言葉だと思うのです。「次はどう接していくと、どう組み立てさせると間にあうか?また、結果を出せるように本人にコンディションをはじめ全ての取組みをどのように用意したらいいか気づかせることができるか?」なんて思いなのでは…?って思います。結果を出せないのはコーチのやり方のまずさ…と、自分の指導のまずさを反省し、どうしたらいいか考える。「よかよか」は恐らく、決して結果が出なかった責任は選手ではない…自分の指導をどうしたらいいか…仕切り直しを思っていらしたのではと思います。

 

スパルタ方式だと、こんなに言ったのになぜ結果を出せない!といかにも選手のせいみたいですが、

実は、結果をいかなる状況でもだせる選手にできなかった…と考えたらコーチの責任みたい…これが問題解決力をつけさせるってこと。

自分で考え、自分で知識や技術を身につけ結果を出せるようになっていけたように思うときがあるかもしれない…これがコーチングかな…って思うのです。蛇のしっぽコーチングって教えてもらったのを思うのです。

 

難しい指導だけど、それをするって、決めることが早いのは、マイナスの大きさを客観的に捉えて、背面教師にお世話になったかもしれないけど自分の指導者をすることができたからだと思います。それができないと、いつまでも…自分も同じことをしていく…。虐待がなくならないのと一緒ですね。悪いとかいいとか、自分の感情を評価せず全てを受け入れる力が必要なんですよね。

 

そんなことを思わされました。

 

 

競争やめたら学力世界一

 この10年で、ヨーロッパを中心にして先進国の学力観は、知識中心から思考力中心へ、社会に出て実際に使える能力へと転換してきている。現代では知識や技術は速いスピードで変化しており、知識や技能は学校を卒業してからでも、一生を通じて学ぶものになっている。そこで一生涯かけて学ぶための力、いわゆる学習力を社会に出る前につけさせることが学校教育の目的となる。

 

これは、本の冒頭の文章。2006年に読んだ本。『競争やめたら学力世界一』の冒頭の文章。

 

詰め込んで教えても絶対無駄!と言っても、それしかない…みたいに言われて、家庭科の授業時間減らされて…2単位で教えるには無理がある!とどうしたら…と考えているときに、出会ったことのひとつ。それが、PISAでした。

 

それに対して、日本人がフィンランド教育の成功ということで、書いた本。

 

いっぱい線を引きながら読んでいたことだけがわかる本…。

 

「学習力」をつける以外にない…これが2単位で教える家庭科のできることだなぁ…って取り組んできたのですよね。

 

フィンランドは1985年、国を挙げて習熟度別編成授業を中止した。

フィンランドの教育学でいう「異質性と集団」方式に取り変えた。

 

それはいってみれば、平等を推進し、競争を排除する教育方法をとることにしたのである。だが、これは厳しい選択だ。学習動機を形成するために、テストの点数や競争という手段を使用できないからだ。

フィンランドでは「強制すれば、本来の学習がぶち壊しになってしまい、教育にならず、かえってマイナスだ」という判断を多くの大人がもっているんだとか。本当に…?という疑問と同時に、正直、今はどうなっているの?という思いです。

 

自分が個人として生きていくために勉強して道を決める、

そういう生き方への考え方が

ちゃんと親から子へと受け継がれているのだと実感しました。

学校での教育だけではなくて、

親から子へ伝えていく『生き方』の手引がある

 

PISAの結果が出て、右往左往…結局全国統一試験とか始めた日本。

改めて読んでいるとき、この本に書いてあることを本当だと考えたとして、今はどうなっていってるのだろう?と疑問を持ちました。

 

p35

OECD教育局のシュライヒャー指標分析課長によれば

「この読解力とは、単なる読み書きではありません。社会的な道具を使って、社会とつながりを持つ能力を指します」

ということを

受け身的かそれとも批判的に参加するかという態度が、読解力に反映するというわけだ。

とまとめてあって、マスコミで広まったりした言葉だけ独り歩き、聞いて記憶に残りやすい「ゆとり教育」などの用語と同様な感じで、「読解力」などが独り歩きして言ってる…と思わされるとは思うのですが、そんなマスコミに書かれたことしか読んでいない…話が強いのが本当は問題だと思いますね。

p42

日本の教育では必要な知識の定着度が低い。この事実は、日本人が、必要もない知識をたくさん詰め込んでいるのか、本当に必要な知識を知らないのか、あるいは学び方が悪くてすぐ忘れてしまったり、自分の生活や生き方に影響を与えていない、役立っていないということなのか。

 

p48

「PISAの重要な成果の一つは、生徒個人の成功にとって自らのやる気と動機がきわめて重要であるということです。」

 

フィンランドがやっていったことは

子どもたちが「自分自身のために学ぶ」という「普通の教育」に徹底していったところがすごい。その当たり前の生活、当たり前の教育が、日本から見ると異質なのである。

 

と、注目していたのは「学ぶことは自分のためだ」という意識。

 

p52

2006年2月のこと、フィンランド大学教育学部教師養成学科長マッティ・メリ教授は、こんな説明をしたそうだ。

「フィンランドの生きる力が育まれた背景には、この寒い自然環境の影響が大である。『寒くなる』という現象一つとっても、『気温が低くなる→湖が凍る→水が得られなくなる・魚が取れなくなる→食するものがなくなる→生命の危機』というように一つの事柄を見た時にも、それから派生するさまざまな事柄をつねに結び付けて考えなければならない。すなわちフィンランド人の思考体系は、一を見て多くを知るのではなく、一を見て、それにつながっている多様な側面的部分も常に同時に考えているのだ」

これを読んだ時に、今でも、「風が吹けばおけ屋がもうかる」という言葉を生み出した日本人なんだから、違いがないだろうに…って思っていましたね。

 

p64

PISA2003の成果について、なぜPISA2003でうまくいったかということを、フィンランド国家教育委員会が公式に英語で説明している項目は11。

①家庭、性、経済状態、母語に関係なく、教育への機会が平等であること。

②どの地域でも教育へのアクセスが可能であること。

③性による分離を否定していること。

④すべての教育を無償にしていること。

⑤総合制で、選別をしない基礎教育。

⑥全体は中央で調整されるが実行は地域でなされるというように、教育行政が支援の立場に立ち、柔軟であること。

⑦すべての教育段階で互いに影響し合い協同する活動を行うこと。仲間意識という考え。

⑧生徒の学習と福祉に対し、個人にあった支援をすること。

⑨テストと序列づけをなくし、発達の視点に立った生徒評価をすること。

⑩高い専門性を持ち、自分の考えで行動する教師。

⑪社会構成主義的な学習概念(socio-constructvist learning conception)。

学習には生徒の積極性が重要で、それを保証するのは教えるのではなくて学ぶという行為にゆだねるということ。

 

p84

フィンランドはどこに行ってもいつでも学べるようになっており、どう学ぶかは本人次第という大前提がまずある。そして、本人の将来は本人が決めていく。自分の興味や関心、自分の得意とする能力などを考慮して、また将来に向けて勉強して職業を選びとっていく。

 

そのあとにずっとフィンランドの話、ヨーロッパの話、日本の話が載っている。

 

改めて読んで思うことは、

日本と異なることは何?日本は何を求めている?

ということです。

 

私は、「自分自身のために学ぶ」って当たり前だと思うし、それがなぜ、当たり前と受け入れられないのか?という疑問を持っていました。

でも、答えは簡単なんですよね。

 

 

強制されているから

 

 

 

強制ばかりを体験している人たちに対して、そうではないやり方で学ばせようとすることは最初大変です。ずっと…1年間大変な人と出会うこともありますね。

だけど、「ゆとり教育」と言われるものが、本当に実施されてきているんだろうなぁ…と思わされる中学校からきていると感じられる生徒たちは、こちらの予測している「この程度かなぁ~」と到達基準予測をはるかに上回っていく…ちゃんと身についているねぇ~って思います。

大人がついていけていない部分が実は一番問題だと思うのでした。

 

この本を改めてだしてきて読む。

 

そして思うことは

中学の時の担任の言った言葉「これからの教育界はおかしくなっていく」

なっていったのか、それともおかしかったのか、イマイチわからないけど、

今の日本で一番大事なのは、親の教育力だと思う。

 

どんなに有名な学校へ行ったとしても、

どんなに素晴らしい教育に出会えたとしても、

どんなにいい環境だったとしても、

生かすかどうかを判断して行くのは、

親なんだよねぇ~。

 

スイスの寄宿舎に子どもを送る人が増えているとか。

 

今の日本は、『蜘蛛の糸』の地獄に似ている部分があるなぁ…と芥川龍之介を想うのでした。

 

そして、

何をどうしたらいいのだろう?と考えた時に、インディアンの生活やアイヌの生活…昔の日本の生活などを思ってみたりする。

 

そして、

ヨーロッパの考え方は?

アメリカの考え方は?

 

大切にしようと思っていなかった…というより、大切と思っていたけど無くなると思っていなかったものたちを失っていって気づかされている日本って感じがしますね。

だからと言って、昔がいいわけではなく、ドンドンよくなっているはずなんだから、

よいものに注目していくといいのにねぇ…というのは大震災後の教訓ではないかと私は思います。

 

 

オリンピックの報道を見て、

今朝の朝刊を読んで、

日本をよくしたくない人たちの集まりはマスコミかも…。

公共電波などを通して、日本中にマイナスな言霊を響かせて満足させているなぁ…と思うのです。

 

現状分析は正確にしないといけないと思うのです。そして、課題を認識することも。

だけど、それを疎かにして楽観視して発言も、言われる側への影響としてはマイナスだと思うのです。

現状分析している…というマスコミ自体の情報をとる能力の低下を思わされるなぁ…って、昔が高かったのか?と言われたら、ん…わかりません。ただ、昔よりも穴が大きくなっていってる気がします…抜けていっている視点の甘さを感じるのでした。

 

こと、教育という視点でオリンピックの報道等を拝見して思うのは、日本がどんな教育をしていこうとしているか…おさえて発言する公共電波などを使ったものにしていかないと、変わらないなぁ…なんて思わされます。

 

フィンランドなど…他の国の報道はどうなっているのだろう?と思いますね。

 

多分、国の大人が共通理解することが大切なのでは…って思う意味では、学歴は高い人が増えている割には…という感じになっていってる…これが経済に出ているだけでしょう…。なんてね。