パフォーマンス評価

昨年夏に受講した研修会記録。

2016年12月21日に出た答申「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について」より。

「資質・能力のバランスの取れた学習評価を行っていくためには、指導と評価の一体化を図る中で、論述やレポートの作成、発表、グループでの話し合い、作品の制作等と言った多様な活動に取組ませるパフォーマンス評価などを取入れ、ペーパーテストの結果にとどまらない、多面的・多角的な評価を行っていくことが必要である」

新しい学習指導要領の考え方-中央教育審議会における議論から改訂そして実施へ-

各教科等において習得する知識や技能であるが、個別の事実的な知識のみを指すものではなく、それらが相互に関連付けられ、さらに社会の中で生きて働く知識となるものを含むものである。

基礎的・基本的な知識を着実に習得しながら、既存の知識と関連付けたり組み合わせたりしていくことにより、学習内容(特に主要な概念に関するもの)の深い理解と、個別の知識の定着を図るとともに、社会における様々な場面で活用できる知識として身に付けていくことが重要となる 。

キーワード

「逆向き設計」論

パフォーマンス評価

主体的な学び、対話的な学び、深い学び

 

 

できるだけシンプルに

シンプルのレベルが難しい話だった。

 

画像貼り付けがやっぱりうまくいかないなぁ…と思わされるので、やっぱりちゃんと見てもらわなきゃいけないなぁ…

 

食材と向き合う

実は、長い間、探していた情報の一端を発見できました。

 

どこに書いておこうかなぁ…

 

改めて、本文をPDFにしてリンクするつもりで、必要事項だけ…というか、記録まで。

 

「ご飯粒を残すと、目が潰れる」

実は初耳でした。

だけど、書いてある文献には、「この言葉は、ほとんどの方がどこかで耳にしたことがあるのではないだろうか。実際、食事に関するしつけの際に語られることの多いフレーズである。」と書いてあったのです。

最初の三行がこれで、なんて決めつけで始めた文章なんだろう…と思いました。しかし、とりあえず、読んでみるとしたところ、結構、知りたかったことに近いことでは?と思われることを書かれていました。

 

私の母はキレイに食べることができていないときに言っていた言葉で覚えているのは、「仏教の家なんだから」でした。ちゃんと残さず食べなさいと。ご飯粒一粒までも…でした。

 

ん…

 

わかりませんでした。

正直、仏教の家は残してはいけないんだ…という疑問だけが残っていました。

ただ、読んだ文章には、なぜご飯粒を残すと「目」が潰れるかが書いてありました。

そして、「日本人の米食文化を支える米農家さんに対して感謝」や「あらゆるものに命が宿っているとする伝統的なアニミズムの観点」から、「ひとつひとつのお米の命を無駄にしてはもったいない」といった感覚が存在するとしながらも、目が潰れるのかという疑問に対して直接答えていないとして、ちゃんと直接答えているあたりが有難かったのです。

 

『典座教訓』の中で、道元禅師が北宋時代に活躍した保寧山仁勇禅師の「眼晴なる常住物を護惜せよ」という言葉を引用しながら、「米や野菜などの材料を人間の目のように大切にしなさい」と述べられているのだそうです。

そして、存じ上げない方ですが、長野県で青少年の教育に携わってきた奥村秀雄さんというかたが、ある公園の中で次のように語っているそうです。「ご飯を粗末にするような子には、そのものがどんな命を持っているかという本質を見抜く心の窓が曇るということを教えた」と。「つぶれる目」とは、食にまつわる構造や背景を見渡すことのできる「心の目」であると位置づけられていたのだそうです。

あるがままの視野を持つ「心の目」を養うというところだと書かれていました。

 

書き進めるには時間がないので、とりあえず…これでスッキリ!と思ったのでした。

 

母の実家の…ご先祖様?何代前かの方か、江戸時代?僧侶に儒学なのかなぁ…何かを教えていたようなことを聞いていて、取りあえず「〇〇先生」なるお墓があるのですが、母に至ってはダメということは覚えていても、なぜ…ということはよく覚えていないこと多々。まぁ…今となっては歳ですし…。最悪、知りたかったら、その町の郷土史の本を開いたらどうにかなるかもなぁ…と思えるのは祖母が「この本に載っていた」と教えてくれていたから。

母方は曹洞宗であるということは覚えていたので、私が読んだ文章を書いていた人も曹洞宗だから多分大元は一緒なんじゃないかなぁ…ってね。

 

伯父などに伺うともしかしたら、理屈持って知っているかもしれないなぁ…とは思いましたが、なんで仏教だったら米粒を残してはいけないのか?茶道の食べるルーツも仏教だから、食べ方で米粒を残すことは言われることだよなぁ…と思いながら、何に出てくることやら…知ることができたらいいなぁ~くらいでしたが、少しスッキリしました。

典座の心構えとしての「三心」

喜心

老心

大心

これは覚えておきたいなぁ…と目にして読むことができて感謝です。

 

 

 

相良刺繍

相良刺繍を体験させていただきました。といっても、柄をつくるなんて…そんなレベルではありませんが、やってみて判ったことがありました。

大きさを揃えた刺繍は難しい。

この単純な作業…といいたいところですが、キレイに大きさをそろえ、向きも変えて刺すことによって表情が変わるということを知りました。

蘇州、スワトウ、相良刺繍は、三大刺繍と言われている一つだそうです。

 

ちゃんとやり方も動画であるのですね。

美の壺 刺繍

奢侈禁止令(しゃしきんしれい)という江戸時代の法令。金糸を用いた刺繍がほどこしてある品物や、鹿の子絞りなどを用いたキモノなどは、町人には贅沢すぎるということで禁止令が出たのでした。

江戸時代、段階を経て禁止令が続々出ているようですが、着用され支払われる工賃があるからこそ現代に残った技術ですね。

 

日本 相良刺繍(縫いつぶし)の紙入れ(江戸後期)

スゴイ…と思わずビックリしました。江戸時代のものが残っているのですね。

 

刺繍には見えない…

こちらは刺繍とわかりますね。

 

日本では刺繍される方が減っている…と言われていますが、素晴らしい技術。

江戸時代にあった贅沢品たちは、現在は後継者がいないものも多々あるかもしれませんね。

どの時代にしても日用品とは言えない技術ですね。途絶えて復活させるのは大変と伺います。いろんな技術が途絶えてしまわないことを願いますが、伊勢神宮は途絶えてしまわないようにとそれぞれの職人さんたちが雇われているのです。どの時代も途絶えたりする可能性が見えていたのでしょうね…伝えることが組み込まれている祭事。

 

 

大島紬

昨日、着物で着物屋へ出かけていきました。
洗い張りに出していた着物は出来上がっていないかなぁ…?という思いなどをもって。
出来上がっていたのですが、量が多くて…持ち帰るには難しかった。

ただ、その日にきていた着物。実は、働き始めて最初の頃に購入したもの。
帯はどこの産地なんだろう…?など、まったくの無知のまま購入していたものでした。
洗い張りに出していたものも、そんな感じ。
教えてもらおう~って、産地等を教えていただきながら、やはりその道のプロに伺うのが一番だわ…と思わされました。

そうやって、自分の持っているものについて教えていただきながら、言われたのは「これは今となっては作れない」など…。
技術を持っている人がいなくなった(他界した)とか、後継者がいない話を多々伺いました。

大島紬についても、白大島は、健康上の配慮から作業時間に制約がある…知りませんでした。


よくわかる!大島紬
というサイトに大島紬の分類が書いてありました。
大島紬村
本場奄美大島紬協同組合
本場大島紬

本場大島紬認定伝統工芸士

インターネット上では検索しても見つからないと言うことだけはわかったのですが、2点。気になって後から調べたいことを書きます。

その1 白大島を織る?作業は、目に悪いと言うことで、作業時間制限がかかっていると言うこと。
その2 作業時間制限により織ることを身に付けても生活費として収入が得にくいので後継者が生まれにくいということ。

伺ってわからない…って、どうやったら調べることができるかの方がわかりにくい話ではあります。
だけど、世界遺産に登録されている数が日本は少ない…という話を伺うのですが、富山製糸工場など遺産…確かに遺産だけど、使われていない建造物の世界遺産登録より、様々な伝統工芸品として登録して残す努力をしている…かもしれませんが、世界遺産として登録されて残されていく方法を検討する人たちを増やす…そんな努力をする必要があるのでは?と考えさせられました。
日本の世界遺産に登録されているものはイタリアなど他国に比べると少ないとか。
今は増えたかしら?

染色する技術もできる人がいなくなっている…など、どの分野も確かに「伝統工芸品」ということで日本として残す努力をしているかもしれません。だけど、世界単位で見ても素晴しいものは…国を超えて残るために取組めるようになるといいなぁ…と思わされたのでした。

1964年日本のオリンピック公式服装

アイビールックの本来の意味とは、日本では違う??? 

アメリカ東海岸の有名私立大学8校に、全米から良家のエリートが集まっていました。(います?)

1960年代に、その人たちが伝統的な装いをアレンジしたファッション。

この人たちは、その後、経済界など様々なところで、そのファッションで立ち振る舞う…という感じで、アメリカの社会ではステイタスに。

日本に、アイビールックを石津謙介さんが伝えたと言うのは本当なのかな?

 

この石津さんは、ファッションデザイナーで、東京オリンピック日本選手団の赤いブレザーをデザインした人って紹介されているサイトをよく見かけていましたが、実は違った…という記事を拝読しました。

実は違ったのか、単に勝手にそう思って広まっていったのかはわかりませんが、次のような文章を拝読しました。

真紅のブレザーに白のスラックス。1964年の東京オリンピック開会式で日本選手団が着用した「日の丸カラー」の公式服装(開会式用ユニフォーム)は、服飾デザイナーの石津謙介がデザインしたとされてきた。「石津デザイン」の記述は、現在もJOC(日本オリンピック委員会)や公的機関のホームページに掲載されている。ところがその通説とは異なり、実際にデザインしたのは東京・神田で店を構えていた望月靖之という洋服商だという資料や証言が数多くある。望月とは誰か。なぜ石津デザイン説が広まったのか。

デザイン  望月靖之

製作     ジャパンスポーツウェアクラブ

生地    大同毛織

これらがちゃんと当時は明記されて紹介されていたと。

 

望月氏とは?

デザイナーでも仕立て職人でもなく、営業を得意とし、戦後間もないヘルシンキ五輪のときは素材の調達から縫製まで、テーラーの仲間を募って製作に当たらせた方だとも書かれていました。しかし、山梨県鰍沢出身の服飾デザイナーであったという記事もありました。本当のところはどちらでしょう?わかりません。

彼は1952年に日本体育協会からヘルシンキオリンピックのブレザーを依頼され、以降メルボルン、ローマ、東京など、日本選手団の公式ブレザーを約30年に渡って担当されていたそうです。

 

石津さんは、大会関係者用の各種ユニフォームのデザインを手がける仕事しかなかったそうで、デザイナーとしてやりたかった仕事だろうって感じですね。そのような話が、書いてあるサイトがありました。

1964五輪ブレザー巡る「暗闘」を知っているか 国の威信をかけた「日章旗ブレザー」誕生秘話

望月氏は、ヘルシンキ五輪で着用されたブレザーを、スポーツの宮と国民に親しまれていた秩父宮殿下にお見せしたところ、「これはブレザーではない、単なるユニフォームだよ」と言われてしまったことがあったのだそうです。

 

次のような文章が紹介されていました。大元の本『ペダルを踏んだタイヤの跡』(望月靖之著)なのかな?こちらを読んで理解努力すれば、次の言葉を誰が言ったのかということがわかると思うのですが…上記サイトを確認しただけでは、秩父宮殿下の言葉なのか、他の誰かの言葉なのか…ページが変わっているのに主語がない文章だったのでわかりかねます。ただ、内容的には秩父宮殿下の言葉として解釈できるように思えます。

「選手が一度しか着ないのはもったいないかもしれないが、言葉の通じない国際大会で国をアピールするのは服装だ。開会式に着るブレザーはスポーティでありながらフォーマルでなくてはならない。色は日の丸をヒントにしたらどうだろう。それを調整するきみの責任は重い」

 

TOKYOオリンピック物語 (小学館文庫)はまだ売っている本ですが、あとは図書館で探すしかないかもしれません。

 

望月を叱咤激励された秩父宮様は1953年に惜しくも薨去(こうきょ)されたが、国立競技場には秩父宮勢津子妃殿下がご臨席され、東京ブレザーの晴れ姿を見届けたのである。

こちらの文章は、「6年後の東京オリンピックを控えて1964年の東京ブレザーをおさらいする」という記事より。

 

既製服が台頭してきた時代だったとはいえ、国の威信をかけてという面が強く、さらに、復興アピールと共に日本のすばらしさを強くアピールしたい思いというのは明治維新以降の感覚と大きく変わっていなかった人達が生きていた時代だろうって思います。新しい感覚では、機能性を重視して表現することを受け入れられても、おそらく当時は紺・グレースーツ絶対の服装規定時代のハズ。公私分けて考えるということと、日本を国際社会の一員として恥じないという姿を伝えるには、適切にフォーマルスタンダードに沿った服装を色が違っても行うことをしたのは理解できると思いました。

アイビールックの開会式ユニフォームだったら恐らく…本当に使用されたモノよりも動きやすいでしょうけど、実際はイギリス式のテーラードということを知りました。