私の中でシャネルイメージって、実はとっても悪かったのです。
多分、バブルはじける前、シャネラーを見て、シャネルを知ったのかも…くらいに、あんまり興味ない世界でした。
そして、働きはじめて、見たシャネル。カッコイーも見たりしたけど、私にインパクト与えたシャネルは、学校の卒業式で白のシャネル、それもミニスカート…ウエストのベルトにシャネルマーク…それは国語の先生の姿でした…。はぁ~?バッカジャナイ…が第一印象。と、そんな私にはシャネル=馬鹿…言葉悪いけど、そんなイメージが植えつけられたのでした。
でもね、そんなんでシャネルを判断してはいけないだろう…って、デパートのシャネルのコーナーをチラ見。そのときに、これ素敵…というか、私の中では白シャネルミニスカートスーツが頭にあって、ピンクシャネルとかテレビで見たりしていたので、ちっともシャネルを知らない私が気にしたのは黒のスーツでした。これならいいなぁ~と値札を見てビックリしたのでした。めっちゃ高い…?今はちゃんと覚えていないから、ただ当時の私にはビックリ高かったイメージだけ残ってました。
今なら、ブラックスーツってシャネルでは結構王道かも?ってわかるのですが、ホント、百貨店でビックリしたときの私はシャネルって本当に何も知らない…。ただ、テレビでシャネルのマークがついたバッグやスーツや…って着ているシャネラーって言われる人たちを目にしたことがあるくらいでした。
シャネルの映画『ココ・シャネル』だったかなぁ…それを見て、改めてシャネルってどんな人?
本を読んだり…って、し始めたのはシャネルのどこがいいんだろう…?
いろんなブランドのことを知らないで判断するのもよくない…って、知る努力。そんなことをし始めたのは、ネクタイ・ワイシャツをはじめ…販売経験をさせていただいたことから。とにかく知らないブランドいっぱい…だけど、説明するために知る努力した。それから…。つくっている人を知ると、ブランドに対する見方も変わる…ってね。
どこがいいんだろう…?って読んだ本は、シャネルの言葉を集めて書かれた本が最初。でも、その本に出ている言葉たちはかなりインパクト大でした。
さらに…って、読んでビックリ。
シャネル 最強ブランドの秘密 (朝日新書)
ビックリの本でした。
この本のタイトル。
興味を持つようになったのも、他のブランドのこともいろいろと知るようになってきたからかなぁ…。
でも、この本を読んでよかった…。とっても面白かったです。
この本のはじめは、「シャネルの服を着たことは一度もない。…」そんな始まり。
だけど、この人シャネルの研究…って、この人の研究の内容はとっても面白くて、わかりやすかったです。
「モードは芸術ではない。商売だ」
あ…なるほどね…って、スタンスを思わされたのです。
そして、いっぱい発見をありがとう!って本でした。
本当にシャネルに詳しくない私が読んで、感動…というか、シャネルを理解するのに、偏っていないのか?という疑問は持ちながらも、この本から学んだシャネル像…それは商売人!
そう、シャネルは商売人として凄い人だったと学んだのでした。そう思って見ると、理解できることがいっぱい。そして、納得したのです。
私の疑問たちをいろいろと解決してくれた本。
その1 なんで、あんなブランドって言うだけで、合皮のバックなどが高くなるのか?
その2 なんで、シャネルが売れているのか?
…って、本当はいっぱいあるのです。でも、いろんな疑問を解決してくれた…
ブランドシャネルは、今となっては、ルイヴィトンなどと同じ…?そんな面もあると思いますが、何が違うかなども知りえて本当に面白かった。
20世紀、シャネルが作り出した?はじめて広めたことの影響力の大きさを知りました。
そして、私が思ったこと。
21世紀は…?
シャネルが壊したモノ達のそして、生み出したモノ達の浮世草的な印象を受けた感じを理解できた気がします。
きっと、シャネル本人がまだ生きていたら…?保守的になっていた?恐らく先導を切ってアグリッシブだったかもしれませんが、私は今の時代に生き返ったとしたら…って考えたら、恐らく、やっぱり黒シャネルだろうなぁ…って思います。
他の本で、なんであれだけミニスカートを毛嫌いしていたシャネルのブランドなのに…私の中でのイメージはミニスカートだったのはなぜ?って、創立者の意向と違って、ブランドとしての生き残りのために…という発想で動いている部分?商売だからね…。
シャネルって、やっぱり、自分が作り出した者たちが壊していくのは…シャネルが好きだったものかもって思うのでした。そして、シャネルが好きだったものを、いまだにある状態にさせているのは伝統でありある意味貴族など言われている人たち…。
読んで私の中で作り変えられたシャネル像。それは、シャネルの土台の文化はクラッシック…ということ。
この気づきは大きい。本を読んだ後すぐの感想は残しておいたほうがいい…って思わされるのでした。
この本に共感!は、ここ。
時代のマインドは「成熟」と「本物」をめざして思考を深めているようにもみえる。
というとこ。
高度成長期に青春を送り、ハングリーから「過剰富裕化」まで、ひととおりを経験してきた世代は、もはやハングリーな消費欲望に目を奪われてない。
時をさかのぼることおよそ100年、19世紀が終焉をむかえ、20世紀の幕があがろうとする境で、やはり贅沢の意味が問われた。
問いを放ったのはほかでもない、ココ・シャネルである。
このシャネルの問い。そして、その答え。面白い~
理解したことは、これ。
その贅沢は、金がかかっていることを人に見せるためのものだ。むろnその金を出すのは男、つまり夫か愛人であって、女の衣装は男たちが富をひけらかす「口実」にほかならない。ここでシャネルが指弾の的にしているのは、ヴェブレンの『有閑階級の理論』のいう、あの「顕示的消費」、見せびらかしのための消費そのものである。
あ~納得ってね。
そして、そのさらに先。
シャネルのモード革命を「皆殺しの天使の」という冠付き。
シャネルの嫌悪感、凄いなぁ…と思うのです。でも、そんなシャネルを「皆殺しの天使」笑えるくらいに…
ジャージー素材のスーツをシャネルが高価に販売したことも知らなかった~
また
ニットは女性のものとして存在していなかったということも凄い…。
正直、そんなシャネルも今はいない。そういう意味では、今のシャネルは…?なんて思いも抱きながら、痛快なシャネルの言葉たち…。
大げさなのは個性を殺すのよ。表面的なものはみな値打ちを下げてしまう。アメリカ人はこういって私をほめたけれと、とても嬉しかったわ。
これほどの金を使いながら、それをみせないようにするなんて!
この言葉納得の私がみた黒スーツ…って思い出されたのでした。
わたしにとっての贅沢は、よく仕立てられた服で、一つのコスチュームが五年ぐらいはちゃんともって、着られるものだ。古くて、使い古したものというのが、私の夢だ。アメリカでは何でも捨てる。だからしっかりしたものは何もない。洗いもしないし、洗いに出しもしない。一度ドレスを洗いに出したことがあるけれど、ボタンが一つしか残っていなかった。これがアメリカだ。贅沢の反対、チープだ。なんと嫌なのだろう。
ここで語っているシャネルは典型的なヨーロッパ人である。歴史を重んじるヨーロッパは古いものを愛し、とかく新品を軽蔑する。大量消費は大量廃棄、すぐに捨てられるようなものに価値などありはしない。ヨーロッパ人から見れば、まさにそれこそ「贅沢の反対」であり、チープに他ならない。
このシャネルの言葉は、マルセル・ヘードリッヒさんが聞き書き留めた…って、シャネル晩年の話。
成金たちの新品にもノン、貴族たちの華美豪奢にもノン-シャネルのこの美意識を、「アンチ・ゴージャス」と名づけてもいいかもしれない。どちらの二つも「見るからにゴージャス」だからだ。シャネルにとっては贅沢はまさにその反対だった。別のところでシャネルは作家ポール・モーランにむかって「贅沢」をこう語っている。
わたしにとっての贅沢といえば、昔から代わらず続いているものだ。「歳月に磨かれた」オーヴェルニュ地方の立派な家具、どっしりと重くて地味な田舎の木、紫がかった桜の木、艶出しで磨かれて黒光りしている梨の木(…)わたしは貧しい子ども時代をおくったと思い込んでいたのに、実はそれこそ贅沢なのだと気づいたのだ。オーヴェルニュでは、すべてが本物で、大きかった。
実はこの本。とっても軽快に現代のいろんなものを蹴散らかしているなぁ~と思わされるところはあり。
そんな感じだから、こんな風にシャネルを見るのかも…とは思いますね。
色彩のゴージャスへの拒絶…黒
表面的な色の贅沢は嫌悪すべき贅沢趣味だった…って
ダンディズムの詩人ボードレールの言葉
「エレガンスは絶対的なシンプリシティにある」
「金持ちのための宝石」を身につけるのは、「首のまわりに小切手をぶらさげるのも同じだ」ってシャネルの言い放った言葉点凄い…とかね。
シャネルの名前をしてイミテーションを高く売る。そのことで、既存の贅沢を愚弄…。
恐らく、いろんなブランドがこの20世紀にやってきたことかも…そして、21世紀が始まるって頃、本物を買い占め始めた…ルイヴィトンとかね。
さて、これからをどう見るのか…が大事って思うのですが、この本読んで私が得た感想。
読んで感じることは自由。
そう思って、読んで感じたこと。
ブランドマークでイミテーションの値段をつりあげてきた…そして、今、本物であることを求めようとしているブランドもあり。
その上で、シャネルは…?とか見たとき、ココ・シャネルのシャネルと同じなのかなぁ…?わかりません。
だけど、その名前を冠にすることで稼ぐことのできる…それがブランドかなぁ…と思わされる。品質の維持も大事だけど、そのブランドの力…影響力…きっと必要なんだろうなぁ…。
日本は戦後って、もう60年はたっているんだけど、その間、アメリカをお手本に…と取り組んできたことが多かったよねぇ…と思います。だけど、根底には日本はアメリカより長い歴史を有していたんだよねぇ…と思わされたのでした。どういう意味か、日本もヨーロッパの歴史あるものへの評価って顔を持っているよねぇ…。
ファーストファッションという言葉が登場して、とにかくデザインさえ…今の最先端を…
上質なんてどうでもいい…
その反対に位置しているもの。
オールドファッションだろうね、昔からの価値観としてどの国にもある一つのものを大切に着ていく…その価値観。
本を読みながら、その価値を大事に思いながら、商売のために壊しに行ったのがシャネルの一つの凄さだったのかも。
モードだけでなく、価値観を壊してしまった…。不本意かもしれませんが、自分が大切に思っていたものまで壊しちゃった面もあるのでは?と思います。そして、やっぱり…クラッシックに脈々と…一つのものを大切に…と生きている人たち。どの国にもいて、その人たちが選ぶものは…上質?使い続けることができることが価値基準として当然にある。
その感覚を失った人たちを増やしたことは、ファッションを女性にお金とは無縁に開放した光と影のことではないでしょうか?
マスを魅了し、ブランドネームで物の値段を引き上げていくこと、その一方で上質を作り続けている…そんなブランドたちの生き残るために必要なことは、ちょっと巨大化しちゃったから、お得意様…と極々一部の大金持ちにだけ販売していてもその人たちは1つ買ったら何年間も買ってくれるわけではないから…とか、きっと小さく商売をやっていくには向いていない体制になっていること。新規開拓、また昔から自分のブランドが大切にしているコアなものの維持…。ブランド企業からいうとそんな感じ?
女性にファッションを開放し、男性のお金をいっぱい持っているんだぞ~という誇示に使われない表現力としてある面は、とっても豊かな表現を生み出していると思います。だけど、シャネル自身は嫌悪感を表したミニスカートたちも生み出したり…した発端も、シャネル。そして、今、シャネルというブランドで売っているものも、マスを魅了するためにミニスカート。
捨てられていってる…廃棄処分対象の昔つくられたものたちを拾い集めて…価値を見出している世界観。安いから…ではなく、今となってはもうそのレベルの職人がいない…という世界もある。
お金を出して新しいものを有名ブランドが売っているものを…と求めていく価値だけを肯定していると、きっとプアなお金がないからそうしているのでしょう…って思う人もいるかもしれません。だけど、もともとの持ち主にとってはもういらないものかもしれない…って、そんな古臭い…って見るものも、シャネルが言う言葉の「贅沢」というところでは?
笑えるくらいな話、久留米絣なんかも、古いもので取引されているものは価格が信じられないくらいのものも…。それは、今の時代でその柄を出す技術がない…など、今に生きていって得られないものありってね。
着物だけでなく、漆器も、陶器も…今ではそのための材料が手に入ることも難しい…って家具も…。
シャネルと白洲次郎・白洲正子…なんか、通じるものがあるなぁ…。
ただ、シャネルが好きなものを好きと言える人たちを減らしたことはシャネルのやったことだろうし、シャネルの好きなものたちを作れる人たちを減らすのに貢献もしたと思う。それは気づかずに…かもしれないけど。
日本の経済成長はシャネルと一緒な感じもする。
だから、100年たって、今度はシャネルが大事と言っていたものを大事という人が増えてきている。壊し続けた世代たちがふと気づいた贅沢。そして、ドンドン大量消費していって気づいたロハス…などね。
ただ、そんなものに価値を見出せない人たちも増やしたから、どうするか?
伝統あるもの…大事にしましょうね…って教育でも言うようになっている…という感じ。そんなことを言っても、大事にするものをわからなくなってしまっている親世代。もしかしたら、祖父母世代もわからなくなっている世代かもよ…と今の日本はそんな感じかもしれないなぁ…とも思います。
100円ショップで安くものが買えて、100円でいいじゃない?と生きるのも一つだけど、それで失ったことは、ものを大切に扱っていこうという価値?もしかしたら、もともとなかったのかも?100円だろうが、10000円だろうが、大切に扱うことを知っていれば、どちらも長く使い続けることができるもの。
長く使い続けることができるものだと判断することに価値を見出していなければ、違いを見ようとしないと思うのです。モノを見る目が衰えている?
素敵なものたちをつくる人の後継者なく消えていく…そのゆえんは、自分では見極める力のない生活者たちがマスコミで紹介されて知る以外に自分では判断できないところにあるのかもしれない…って思います。消えないためには…商売である以上、知らせていくことが大切…それも一つ…。つくるだけではダメで、それを惚れてくれる人たちを増やさないと残れないこと。そして、閉鎖的に限られた人たちだけの世界のものに留まっていると、継いでいく人も見つからないし、生き残れない…。
私はシャネルなんてよく知らない。だけど、シャネルは自分の持っている価値観である「伝統」「贅沢」に本人が気づかないところだったかもしれないけど、それをマスに売ったことが生き残れた理由かもね…。宣伝力が強いものだけが残っていく…。ある意味質のよしあしではない面もあるのでしょうけど、何事も同じみたいだなぁ…と思わされた本でした。
大げさなのは個性を殺すのよ。表面的なものはみな値打ちを下げてしまう。アメリカ人はこういって私をほめたけれと、とても嬉しかったわ。
これほどの金を使いながら、それをみせないようにするなんて!
このシャネルへの賛辞を発しているアメリカ人は、恐らくアメリカで成功して富をもっている人たち…でも、ヨーロッパの伝統から切り離された地。ネイティブアメリカのもつよさもシャネルに通じているのでは?とは思わされましたね。
ふんだんにお金を使いながら、それを見せないおしゃれ。わかる人にしかわからないというおしゃれが確かに、ヨーロッパのブランドのイメージでした。過去形。だけど、ルイヴィトンもシャネルも…なんかそれとは違うなぁ…と思っていたら、バーバーリーもダックスも…って、それらもこれ見よがしのものになっていって…。ちゃんとそのブランドだとわからないといけないと言わんばかりのマーキングがされているのは日本だから?ヨーロッパでのそれぞれを見ていないからわからないけど、マークがついているから高いのよ!って感じ。
あまり詳しくないから、世界中でのことなのか、日本用にライセンスを取ってつくっているものだからなのか、わかりません。
ただ、日本のもの…伝統的?着物などもみんなが着ている柄がいい~大量生産の面もないと、広まらないとさらに…と好きになる人も出てこない?一緒なのかなぁ…と思わされました。
この本の著者世代、すでに着物を着ることができない人たちもいっぱいでは?
だけど、この世代の人たちは、まだ、花嫁道具の一つに着物が入っていた世代だと思います。だから、着ることができなくても、恐らく持つのが当然の話だった世代。
今は…?
レンタルで着てくれたら…くらいにもっている人たちがいなくなっている。
着物も贅を尽くした…そんなものでないと採算が合わないと言わんばかりに、手ごろなものは機械化。ますます魅力が欠けていってる面もあるのかも?つくり続けていく人たちが生活できないと残らない…。つくる人たちも必死に工夫しているのでしょうけど、裾野を広げていく努力をシャネルは当たり前にしていた…という学びでした。
偽モノしかもてなかった人が小さくても本物を持つ…次は数を増やす…そして、そんな本物の中でもその人だけのものをつくる…
消費意欲を掻き立てていき、本物のブランド物に権威をつけていく…と見れば、贋物がいっぱい登場するイコールニンキモノ。ただ、贋物を作り、贋物をもって幸せ気分…は同じ価格の本物を否定していることにもつながるのでは?って思わされます。
粗悪な贋作より、誰かがマイオリジナルで作った無名かもしれない世界観をもつモノ。
そう思って使っている人たちが、新たなブランドに無名かもしれない素敵なものを広める…。その際に、うまく大きくなることに対応できずつぶれていくモノたち…もあり。
流行曲線の始まりに位置するのは嫌な日本人が多いから、日本の素敵は世界に広まっていかないのかもしれないなぁ…とも思わされたりして…。
たまたまに図書館で手に取った本でしたが、なかなか面白く読みました。感謝。
圧倒的に世界に影響を与えたんだなぁ…と知った点もありがたかったです。
ハンドバッグ
女性のスーツ
手の入るポケット
短くなったスカート丈
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ジャージ
…
今では当たり前にあるものたちを生み出した凄さに感動しました。
身だしなみの三原則
清潔感 調和 機能性
これは書いている途中でテレビでやっていたもの。チラッと見てメモ代わり。