天下布武の印 3種

天下布武の印。

実は疑問がいろいろありました。

 

その1 なぜ?丸くないのかなぁ…。

なんと、「天下布武」の印は3種類あるそうです。そっか…とみたものが違うと、違う形は偽物?って思ってしまいましたが、そうではないのですね。

 

その2 ドラマ『江』の中では、死後受け継いだって言っても、割れているものをもらったのは江でした。実際は?

調べたら出てくるのかなぁ…?

 

その3 天下布武ってどんな意味…と初歩的ですね。

「天下布武」とは、「天下に武を布(し)く」と読むのはわかります。

「武力で日本全国を制覇する」という意味に思いがちですが、「武」は「武力」ではなくて、「七徳の武」のことです。

と、書いてありました。へぇ~。

 「武」という漢字の意味は、現代では「戦力、武力、武芸、軍事」として使われていますが、もとは「戈(ほこ)を止(と)める」という意味です。武器を持って戦うことをやめるということです。また「戈」はまたぐ、「止」は進むことで、一歩ふみ出すことであるともいわれます

とも書いてありました。

 

さらに調べてみると…

天下布武の語源、「堂下布武」

天道に叶うように節度を保って歩く」という意味だと書いてあるサイトがありました。

天下布武の誤解

http://heiseidanlin.blogspot.jp/2011/08/blog-post_23.html

 

私は歴史学者でもないので、どれが正解?なんてことに関心はないのですが、

「武」という文字のもつ意味がいく通りも、今と違ってあることを知りました。

 

宝箱をひっくり返してみよう » 天下布武

 

聖徳太子

私の聖徳太子にまつわり知っていることなんて…そんなにない?

 

十七条憲法

など

 

大坂に行った時に、聖徳太子が建立した?というお寺に行って、そんな昔のものがまだ残っていたのか…と思ったなぁ…。

ただ、そのお寺で、やはり十七条憲法の中身を改めて目にして、へぇ~と内容を考えたこと。

そして、そのお寺の井戸?に龍の置物。

 

あとは…

生まれてすぐ歩いた?これはブッタの話?

 

あと、たくさんの人の話を一度に聞きわけたって小学1年か2年のころに知ったなぁ…。

 

敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) 生まれて、推古天皇30年2月22日(622年4月8日)に亡くなったと見るのかしら?

ウィキペディアで見て思ったのは、有名人は昔の人でも誕生日がわかっているのですね。

 

聖徳太子という名称は生前に用いられた名称ではない!

知らなかった…。

 

法隆寺と四天王寺

 

豪族の支配する世の中から公の官僚が政治を行う国にしようとしたり…

多分、力での支配から穏やかに…と変えるときには何かものが要るのかなぁ…?と思わされますね。

 

冠位というものは、中国とのかかわりなどあったりしていると、魅力的に写るものだったのかなぁ~?

また、豪族の中から才能や功績によって個人に与えるってところがポイントだったのかもしれませんね。

 

実在する人なのか…というところからいろんな意見があると思うのですが、

十七条の憲法を改めてお寺で見た時にすごいなぁ…って思いました。

 

お寺にあった龍もすごかった…とそちらの方が気にはなったのですが…。

四天王寺

 

 

敬老の日って、聖徳太子が建立した四天王寺にある悲田院に関係があるんだそうです。悲田院は社会福祉施設の先駆け。児童福祉サービスの他に、様々な老人サービスを行っているそうです。この悲田院の設立にちなんで「敬老の日」が祝日に制定された…って本当?

「聖徳太子が四天王寺に悲田院を建立した日」や「欽明天皇が養老の滝に御幸した日」である等の俗説もあるってウィキペディアにはありました。へぇ~。

 

1964年(昭和39年)に「老人の日」と改称され、翌年に野間谷村からの政府への繰り返しの働きかけもあり、1966年に国民の祝日「敬老の日」に制定されたんだって。

ちなみに、悲田院というのは元々中国にあったものなんだそうです。中国文化をとりいれることに熱心だった聖徳太子が、「一流の国家は福祉も一流でなければならない」という理想に燃えて設立したもの…って書いてあるサイトを発見。いずれにしても、こんな以前から福祉という概念があったのですね。すごい。

今、ちょうどたまたま…って「あるがままにみとめる」と松下幸之助さんが聖徳太子の言葉をうけて書いている文章を改めて読んでいたのです。そこで、ふと思ったのです。聖徳太子ってどんな人だったのだろう…
昔のお札にのっているくらいではなく、また、学校で学んだ…ではなく知ろうとすると、いろんな側面が見えてきますね。