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■平成22年度児童生徒の食事状況等調査報告書【食生活実態調査編】

■平成22年度児童生徒の食事状況等調査報告書【食事状況調査編】

 

気になったこと

中学生と小学生の比較。男女ちがいがあり。

うなぎにくるっている大人を冷ややかに見ている子ども達?

メーカーなどの教室で学ぶ

本日(2012年8月4日)の日経新聞NIKKEI PLUS1で紹介されていました。

 

その中で、気になったのは、キッコーマンの料理教室。今もあっているんだぁ~。以前、この教室には行けないけど、毎月の冊子をいただいていました。読んで好きでしたが、その冊子がなくなったと思っていましたが、どうなんでしょう?と思いました。

 

ただ、それ以外にもいろんなところで学ぶ機会があっているのですね。

 

トヨタ自動車

ソニー

NTTドコモ

ユニリーバ・ジャパン・カスタマーマーケティング

メルシャン

ニッカウヰスキー

キリンビール

日清製粉グループ本社

キッコーマン

北海道ガス

西部ガス

 

と、紹介されていました。

西部ガスも昔、参加していた時期がありますね。

小学生のころに、九州電力の行っているパソコン教室に親に行かされたなぁ…。「これからはコンピュータの時代だから…」と母に吹き込んだ小学校の先生がいたのでした。私たち子どもたちは、せっせと…行って、プログラミングしないと動かないコンピュータを扱ってました。嫌になった私たちと興味を持った弟…同じことでも反応が違うのですよね。私はウインドウズが広まって、授業で教えないといけなくなって仕方ないのでせっせと使い始めました。大きなフロッピーディスクを入れないとプログラムが動かないころ。弟は、今はコンピュータを扱う?プログラムを扱うことを仕事にしてますねぇ…。

 

ウイスキーづくりを体験し、10年後にもらえるというのも面白いですね。原酒を樽に詰めるって面白そうです。

 

違うかもしれないけど…って、見てみたけど載っていなかった…工場見学ではなく、古墳見学。工場敷地内に古墳があって、見学させてくれた。中学校の先生が教えてくれて、友達と一緒に見に行ったなぁ…。中学校でちょうど歴史を勉強しているころ、夏休みに行ったなぁ…って思いだしました。小学校の時は、消防署見学…って自分で電話して友達と行ったりしてましたね。学校が今頃は企画して行うけど、自分で勝手にアポ取って行って…教えてもらっていたのは普通ではない?わからないけど、なんかそんなことよくやってました。

 

 

 

「キタジマのDNA」残す

今朝、日経新聞のこの記事を読んで、思ったのです。

この記事を書いた人はどんな人なんだろう…?

 

それで、インターネット上で検索して、この件に関する記事を他にも見つけて、読みました。

 

アスリートはみんな、いつ自分が妥協していつ自分にうそをついたかを知っている。結果がいい時は気にならないけれど、追い込まれたり、敗北した時、どうしてあの時自分は妥協してしまったんだと後悔する。妥協は人にはうまくごまかせるけど、自分にはごまかせない。妥協した過去は後々の人生に響いていく。

 4年に1度、人生に数度のオリンピックで結果をコントロールするのはとても難しい。でも確かにやりきったという思いは宝物として選手の内側に残るのだと思う。

 後悔は結果ではなく、過程に依存する。結果はコントロールできないけれど、今日どう生きるかは毎日自分の力で選ぶことができる。悔しい思いはあるだろうけど、北島君が吹っ切れたような顔をできるのは彼が全力で競技に取り組んできたからじゃないだろうか。悔いはないと語った北島君の表情に、戦いきった人だけが持つ充足感と、自分はやりきったんだという自信を、僕は感じた。

 

失礼ながら、この記事を書いた方を私は知りません。

 

ただ、この人の記事を読んで、安堵しました。

 

同じことでも、書く人が変わると印象が変わりますね。

 

「あいつが、世界の平泳ぎのレベルをここまで引き上げた張本人だと思いますよ」という平井伯昌日本代表ヘッドコーチの言葉、ジュルタ選手のコーチも納得とか。

 

北京オリンピックのためだったのか、テレビでたくさんの人たちに支えられて競技をしていることを見て知りました。一人の選手が戦うって本当に大変だなぁ…。

それが、数日前新聞で知ったのは、そんな環境下で水泳を続けてきて今回の挑戦となっているわけではないということ。

日経新聞を見て、インターネット上で見つけたのは日刊新聞?わかりませんが競技人生を続ける意思を示している文章を読みました。

 

さて、どんな人に同意を求めたい?新聞記者なのでしょう…。私は日経新聞のこの記事を読みながら、日本はよくなりにくいなぁ…と思わず、はぁ…。

 

 北島の泳ぎをプラットホームにしつつ、北島にはないパワーを搭載して、北島より速い”マシン”が次々とつくられていく。逆説めいてはいるが、ロンドンで敗れる要因は自分自身が作りだしていたと言えるかもしれない。高速化の種をまき、五輪で記録の花が開くのを見届けつつ、当人は第一線の競技から遠ざかろうとしている。

 

国税を使っての取組みとして、コーチとして思うところがあるのは置いておいて…。

国の代表として、その国は何を世の中にアピールできるのか?なんて、たいそうなことではないと思いますが…4度目の五輪。それだけたくさんのチャンスを持つことができたことの凄さってあると思うのです。だけど、それを支えてきたスタッフって、マシンとして北島選手を扱っていたのかなぁ…?

 

「新しい挑戦で、五輪でつらい思いもしたけれど、いい勉強になったし、改めて水泳が好きになった。世界観も変わったし、感謝の気持ちで五輪に臨めた」。

そう談話が書かれていましたが、コーチの悔しそうな…話がいっぱいのっていますね。

「水泳が楽しい、って言ったって、4番、5番では本人が一番がっかりするでしょう?」

どうなのでしょうね。

 

アテネオリンピック、北京オリンピック、正直、すごいなぁ~と思って見て…ってニュースで見たりするくらい。今回も。ただ、今回、泳ぎ終わった後のインタビューを画面を見ずに耳にして…声を聞いて画面を見ました。別人?それまでのコメントと確かにアグリッシブな感じがないので穏やかに聞こえるのでしょうか?だけど、声が違う…って本人なのかと思い見たのでした。

 

もう4年後、若い世代が頑張ってくれていても…出られるくらいに…そんな競技人とはいきにくい世界なのかなぁ…?ドンドン早い人達が出てくる。それでも、まだ終わっていないのだろうし…

今の日本で求められているのは、今回北島選手が取組んでみているスタンスでの挑戦なんじゃないかなぁ~?

それを前回のオリンピックではできなかった…背負っているモノ。だけど、今回の立場は、ある意味背水の陣だったのかな?そして、得たもので…再挑戦を…と4年後は長いのかなぁ~?そう思いながらも、なんか3連覇とか言われながらでもどこかに後進の成長などを感じつつ…まだまだ…と自分との闘いという取組みって、ある意味で本当の「キタジマのDNA」の真骨頂なのでは?なんて…。

 

コーチがいないから…とか、

コーチが…

もちろん、優秀なコーチのもとで戦える幸せとして、選手の勝ちもあると思います。

だけど、一度勝つのと勝ち続けるのとは違うスキル。なんて、スポーツの世界ではなく聞くのです。筋力など、最高潮の時にだけ出て1度の勝利もあると思います。それもすごいと思うのですが、戦い続けることができるか?の挑戦で必要なことを思うと凄いなぁ…って思うのです。

 

もし、マシンを製造して…成果が出なかったら、次のマシンで!そんな風に感じさせられる中で、それでも何かを求めるのならば…今までの優秀なコーチと共にいても廃棄されるしかない自分しか残らなかったのでは?と思わされることもあります。まぁ…それでも3連覇を求めるのか…?税金使っているから?選手強化費も競技によって違っていたと聞きます。それで結果が…というものもあるかもしれませんが、大切なことって目標があるのなら自分で自分にあきらめないことでは?って思うのです。

その意味で、ようやく競泳の世界が変わるってことではないのかなぁ~?

勝ちたい挑戦者から、続けて勝つそのためのタフマインド?後進者たちへのサポートを変えることもできるかもしれないのですよねぇ…。

 

そして、見ている人に伝わるものが変わるとも思うのです。

 

マシンにならなくても勝てる…という言い方は語弊があるかもしれません。

だけど、人を機械の一部品のように正確に動くことを求めてきた教育や社会が限界を迎え、完全破たんしてしまう前に新しい違う芽が必要なのでは~?なんて思います。

多くの競技で、そうやって取組んでいる選手が増えている気もさせられる中で、それって今の若い世代がある意味自分で打ち破らなければ得られないモノを取りに行っている最初の何匹化のサルの行動でしょ?

ある一定の数超えると…全く別の場所でも発生して…と、社会の閉塞感を打ち破るのに必要な大切な資源ですよね。

 

 

なんて、ちょっと記事の目線は、なぜ歯車に成りきろうとしないのか?なったら結果が出たかもしれないのに…と聞こえました。

 

でも、そうではない勝てる方法を模索できるのなら…「楽しむ」という覚悟の方がいいんじゃないかなぁ~

 

私には水泳のことは全くわからないけど、細胞全てが意思に従うような…そんなヒトとしての可能性が出ることで出る結果という存在はあると思います。それは、マシンが得る結果より凄いと思っています。

それが実現するかどうか…は、私自身も私に対しての挑戦ですが、マシンになるか、マシンではなくそれでも目的を達成しに行くか…と二択以外にあきらめるしかないのなら、アインシュタインを信じるかな。

昨日になっちゃった…

はちまきとてぬぐい

お~

 

手拭の話を何となく…って

手拭のお店の名刺を片手に、手拭って…と一度書いてた。

 

だけど、すごいなぁ~って思うのは、今日は手拭のことを書いている紙を片手に。

 

手拭のルーツって、ルーツは武将の鉢巻何だそうです。江戸時代になって、頭にかぶったり…体を拭く布として使われるようになって言って…ということなんだそうです。

 

鎌倉時代の武将の肖像画

烏帽子の上から白い鉢巻を締めている姿。

引立烏帽子
鉢巻

 

鎌倉時代に、武士が戦いのときに「烏帽子(えぼし)」が頭(鉢)から落ちないように頭に布を巻いていたんだそうです。

それが鉢巻の始まり…。

手拭と鉢巻ってルーツが同じなんですね。

 

そして、日本では古代より「白」は神聖な色。

魔よけに通じる白い布を頭に巻いて…って言うのは、戦いの勝利を願って巻いていた意味もあったんだとか。

素材も麻だったそうです。そうですねぇ~麻って今でも神聖な…って装束は、神道では確か麻だった気が…。

 

ちなみに、鉢巻の起源は神話上、アメノウズメ命が天岩戸から天照大神を誘い出す際に額にツタを巻いたことに求められるとウィキペディアには書いてありました。

 

そんな鉢巻きが、江戸時代に入って、麻から木綿へ。そして、布の幅も広くなって…。頭部を覆うために使われるものになったんだそうです。

それから、ほこりをよけるだけでなく…手を拭ったり、体を洗ったり…と使用されるようになって「手拭」なんだそうで、神聖な白では…と模様がついているんだそうです。確かに、神社やお寺に手拭きように…ってかかっている手拭の色は白ですね。

 

ちょっとヒントがあると、いろいろと知ることができますね。

 

すごいなぁ…

烏帽子って、平安時代からかぶって…とその烏帽子の上に兜をかぶっていたんだそうです。そりゃぁ…烏帽子固定しないといけないねぇ…と思わされました。うまく説明されているブログ?を拝見しながら、妙に納得。

 

病鉢巻といって、邪気を避けるには紫のような尊い色を巻くのがいいという…って。その昔、紫色に布を染める染料は紫根草(紫草)の根を使っていたそうです。紫根草の根には、染料以外に解熱、涼血解毒の生薬としての薬効があるとされていたんだそうです。テレビの時代劇などをよく見ていると、殿様が病気のシーンでは、紫の鉢巻を頭に巻いている…ってそんなものをじっと見たことがないなぁ…。

向かって右側に結び目を持ってくると「病鉢巻」、左側に持ってくると「喧嘩鉢巻」(歌舞伎の助六)って。 元気良い江戸の若者助六が締めている鉢巻きのほうは、殿様とは逆の右側締め。これらは、歌舞伎での約束ごとだとか。

病気の殿様は、左側(本人の左手側)、助六の場合は、右側(本人の右手側)。

病鉢巻と喧嘩鉢巻って、このイラストはどっちも病なかんじ…

 

ちなみに、歌舞伎の老人役では黒の鉢巻を用いて、頭の左側で結ぶんだそうです。

 

フラッと、手拭から始まったことが、鉢巻の色の話などに…。

 

手拭の染めている様子。鑑賞用手拭の復刻

 

 

手拭の使い方は…って紹介されているものも欠かせないかなって思います。