長谷川等伯さんって、誰だ…って2011年まで知りませんでした。
ちょうど、利休忌と、京都研修旅行に参加させていただき、知りました。
そのときに、智積院の国宝「楓図」「桜図」そして金毛閣の天井絵を拝見させていただきました。
それから、覚えた名前。本当にそのときいろいろとお世話になり、感謝。
一昨日、きっと知らなかったら、スーッと流していたような話になっていたと思います。
でも、頭にちゃんと「長谷川等伯」というお名前が残っていました。だから、「是非!」って拝見させていただきました。
妙蓮寺の襖絵。
秀吉よりいただいたものだそうで、伏見城に使われていたという臥牛石と一緒にいただいたものだとか。
「松桜図」
「鉾杉図」
この絵のことをエリザベス女王は図録か何かでご存知で、見たいとおっしゃっていたとか。警備上の問題で叶わなかったと説明していただきました。
「吉野櫻図」
これは、長谷川等伯の息子(二男)の作品だそうです。一男は狩野派に暗殺されたとか小説では扱われているようなものが多いそうで、絵の才能に富んだ方だったとか。二男さんは、繊細な絵を描いていると。
実は、この絵は等伯の絵。というか、切手になっているこんな感じのサルの絵があるよ…と覚えているのですが、作者誰だろう…。
牧谿を手本にしているのだとか。
だからかなぁ…
「狩野山楽・山雪」の展示が京都であっているのを拝見したのですが、そこにも猿の絵が。似ているなぁ…って思ってました。
お寺に長谷川等伯の系譜と観覧事項とうことでおいてあったものから。
1539年(天文8年)1歳 能登七尾に生まれる
1568年(永禄11年)30歳 長男 久蔵が生まれる
1571年(元亀2年)33歳 長谷川家の両親没す。妻 妙静と子 久蔵 3歳を連れ上京し、菩提寺 七尾の本延寺の本山である本法寺に止宿し活動す
1582年(天正10年)44歳 信長没す
1583年(天正11年)45歳 秀吉 大阪城築く 利休は茶頭に用いられ、
9月 等伯も近づき大徳寺総見院に襖絵を描く
…と書いてあった。
書き写すには面倒。