先日、藍染めのいろいろな作品?商品?を拝見させていただきました。そして、いろいろ説明をしていただきました。
それを元に、調べたこと…。
スキャナを使わずに写真を撮ったのが間違い…後日改めてスキャンしてみようと思います。
日本の藍染めということで紹介している展示会でもらってきました。
この左下の部分が下図。
番号を打ってみました。
多分、1と2は同じものを拝見。4は違う図柄のものを拝見できたと思います。
あと、こちらは本から…
絞った染色前のものを拝見させていただき、触らせていただきました。3種類の絞りがされているもの…と。
絞りの技法には4種類があるとのことだったと…記憶のかなたに行く前に記録。昔は一人1つの絞りの技法しかしなかった。今現在は、複数の絞りを一人が行ったりしている。それによって、ひとつの技法に修練された人というのがいなくなっていて、年齢が高い人たちのものと、現役でされている人たちのものにはその違いがあるとおっしゃっていた。
実際に、絞ったものを触って、反物がきゅっとこじんまりとまとまっていた。
様々な絞りの種類があることよりも、その緻密さを拝見して大変だろうなぁ…と驚いた。
教えていただいた阿波の藍について、話を伺うのは2度目だけど、記録をしていないと忘れる…。と、本を借りてきて文献から見つけた文章も書いて、まとめる。ごっちゃに書くと、どれが聞いた話かなどわからなくなるので、先に本から…
『日本の藍 染織の美と伝統』日本藍染文化協会編 平成6年3月20日発行 日本放送出版協会より文章はまとめたりしている。
藍生産の進展
古くから日本における代表的な染料だった藍と藍作りについては、職員令織部司の規定に「藍染卅三戸、倭国(大和)廿九戸、近江国四戸。三戸出女三人役、余戸毎丁令採薪」と『令集解』にあって、すでに奈良時代から朝廷の一機関として組織されていた。
など、歴史的なことから書いてあった。
阿波の藍
青藍色染料としての藍は、古代から使用されてきた。奈良時代は令制で位階相応の衣料の地質、色、文様が細かく定められた。下級官人や庶民はもっぱら紺色・浅黄色などを矯正された。庶民たちは楮、麻、木綿地や紺系統の地味っぽい色と料を使用させられた。山野に自生する山藍や青藍色を含有する植物・鉱物から染料を得たものと思われる。
天保8年(1837年)に『阿洲藍草貢々記』が刊行。そちらに、「元明天皇和銅7年(714年)染殿を造らせ給ひて、花田の色を染らる、是藍草を以って衣服の色を変たる始なり」「村上天皇の御時〔946~967年〕、諸国の藍を貢に、阿波の国の藍を以て最勝とす」とある。
本を借りてせっせとかいていたけど、本を返却しました。
また改めて…