枠わずか、育てやすい男子校

実は、この記事ともう一つの記事が欲しくてスクラップしていた日本経済新聞9月24日のある一面。

その中心にあった「問題解決力の育成」は、あんまり読んでいなかった。

というのも、大学の改革は、以前から言われて変わっているところと…変わらないところがいろいろあるなぁ…くらいに思っていたから。

 

そんな記事の隣に

枠わずか、競争率高く

「育てやすい」男子校

この見出しに、共学に今はなっているけど、男子校で働いていた友達の言葉を思い出させられた。

 

ここに書いてある男子校の良さ

…、小・中学校段階では圧倒的に女子の方が早熟であり、精神的に幼く母親への依存度の高い男の子は、男子だけの集団でじっくり育てていく方がいいと感じる。

というところ。これを書いた人は共学校育ちで、男子校への憧れを感じている人なんだそうです。

ただ、事実として男子校が減っているのは確か。競争率が高くなっているんだって。

そのことについて書いてある文章が面白いなぁ…って思いました。

 学校数が少なければ必然的に競争率は高くなり、希望通り男子校に進学するのは、母親のいうことをちゃんと聞き、しっかりお勉強ができる、真面目で行儀のよい優等生ばかりということになりかねない。

 難関大学に進学しても男子学生はいつまでも母親の庇護の下。海外留学や国際交流やボランティア活動などで活躍するのは女子ばかりという話も耳にする。「男の子を『男らしく』育てていく」などという時代錯誤のように受け取られるかもしれないが、今最も大きな教育の課題になっているように思えてならない。

まぁ…男子校に進んだ母親の言うことをそれまではちゃんと聞いていた人たちがその後も素直に聞いていたとしても、変化があるのでしょう。

もし、「難関大学に進学しても母親の庇護の下の男子学生」は、親の問題では?なんて思わされます。いつまでも、心配していたくて、心配している母親はあるもので…それを否定はしません。ただ、そんな母親の一番の問題は、息子以外に関心ごとはないのか?ってそっちが問題なのでは…?父親は…?ある意味、母親にとって父親への興味関心がないということが背景にありそうな感じもした文章。そして、父親の教育力の乏しさの表れに過ぎないと思うのです。だって、父親は思春期の男性心理を母親よりも知っているはず。そして、その時にはどのような援助や支援、そして関わり方をすることが成長に役立ちそうか…ということもわかるはずだと思うのです。それでも、母親の庇護を容認しているってことは、父親は同性でありながら自分の我が子の教育しない方が子どものため?と思っている…???母親の庇護を制することは、本人一人でやること?まぁ…そうであれば、母親の努力が足りない?

 

時代錯誤というか、多分、男の子を男らしく…じゃないと思うのです。

母親は自分の体験上、女の子に対してはどのようなことをして接するといいか?なんてわかっているのかも。だけど、男の子に対して同様のことをすると…問題かもって思っていないだけ。

 

草食系男子と言われたりしたけど、今はどう呼んでいるのかなぁ…?

 

この新聞記事と違うことを書くとしたら、そんな庇護を受けて育った男の子のいいところもあるはず…。それは、そうではなく育った人にはなかった良さだと思うのです。その一つとして、細やかに女性の心を察する能力が高くなっているのではなんて思います。火星と金星という違う惑星から来たなんて男女の違いを異惑星出身という表現をしている話もありますが、同じ惑星出身の男女が登場しているのかもね。

細やかに気付き気配りすることができる女性が減っている…というのも、本当は考える必要があるのかもね。

大きな教育課題かどうかはわかりません。

役割分担が逆転するのも時代の大きな流れの中ではあってもいいのでは?と思うから。それは、過去歴史を振り返っても、あってきたこと。そして、何がいいかはわからないなぁ…って思います。

少なくとも、性別だけで論じられてきたことが、一人の個として論じられるようになっている時代に、あえて書いている文章を読みながら、女子校にこだわる学校経営体制も一方であるよねぇ…。

 

いろんな人がいる方がいいのでは?という思いと、自分の好みとしてこんな男性にいてほしい…という著者の思いの違いかな。

 

ジェンダーバイアスと切り捨てることもできる文章と思いながら、読んでいてこの意識は男女共同参画社会を推進するには弊害だろうなぁ…なんて思わされました。

投稿者:

nova

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