問題解決力の育成を

日本経済新聞2010年9月24日に書いてあった見出しです。

国家戦略会議の民間議員が今春、大学予算の配分にメリハリをつけ大学の統廃合の促進を含む高等教育の抜本改革を求めた。日本私立学校振興・共済事業団の河田悌一理事長(前関西大学学長)は提言に不満を見せながらも、真剣に耳を傾け大学改革を勧める必要があると指摘する。

コレのことについてなのかなぁ…?

 平成24年 第3回 国家戦略会議 平成24年4月9日(月)17:50~18:50 官邸2階小ホール

大学の統廃合等の促進を含む高等教育の抜本改革

 

新聞に書いてあることのうち、そうそう…まだこの意識の人がいるかも…?そう思います。

 

 つい十余年前まで、大学は企業の人事・就職担当者から、こう言われてきた。「大学ではあまり勉強させなくても結構。(体育会系)クラブ活動に精を出し、元気で、やる気と協調性のある学生であれば、それで十分です。教育はわが社でしっかりやり社風に合った人材に育成しますから」

 それが、最近は風向きが変わった。「学生が勉強していない」「大学はグローバル社会に適応する人材のい養成ができていない」「大学の数が多すぎる」…。

 

少なくとも、高校も一緒かもねぇ…。

だいたい、勉強する機関で勉強しなくていいと言っていたら、そのあとに役立つものの基礎基本を持っていない人が入ってきて当然でしょう。以前言われていた人事・就職担当の人が言っている教育の中身は、言ったらその通りにやる人作りだったのでは?と思います。それが、YESマン増やしても、世界に通用しないことを痛感している…だけでしょうね。

今年の4月に大学の統廃合等の促進を含む高等教育の抜本改革を行うべきという話が出たそうです。今更…?と思いますが、国公立が民営化?したときにすでに言われていたこと。

これは、その時に出された資料の中から。

①すべての子どもに課題解決のために自ら考え判断・行動できる「社会を生き抜く力」を育成

というところあたり、今更…?

逆に考えると、今の子どもたちは課題解決のために自ら考え判断・行動できていないと思っているということですよね。

②新しい価値を生み出し社会を牽引する人材や世界に伍するグローバルな人材の育成

要するに、YESマンして、勉強してきていなかった他人にはそれができていないってことでしょうね。

③大学自身が変わり、日本社会全体の変革を実現

この3つ目について、特に新聞記事では論じているのだろうと思うのです。

そして、それを受けて、8月に出た中央教育審議会の答申。

「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて-生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ-」

この中で、熱いメッセージ「予測困難で先行き不確かな時代に、将来を切り開く学術研究を行い地域や企業に有為な人材を輩出するのは大学だ」が込められているんだって。

著者が書いてあるのだけれど、「当たり前のことばかりだが…」とかいてある授業について日本では徹底されてきていなかったことがあげられています。

 

人を樹えるに如くはなし

 

と、田中真紀子さんなんだろうか?

この新聞記事を書いた人と総理大臣は別ものだからねぇ…

 

読みながら思いだしたのは、父の言葉。

大学で経済学を専攻していたと言っても、理論を知らない人たちばかり…。

父がある新聞社の新人さん達を教育?することをしないといけなくて、接するたびに?家で当時大学生だった私に話した言葉達のひとつ。

当時聞いている時は、父がそのあと教授候補に残らないかと言われていたという話を母から聞いていたので、そんだけ取りあえず勉強していた父だからそう思うんじゃない?なんて思いながら、自分自身の分野に対して同様のことを言われたくはないなぁ…と勉強してましたね。

 

新聞読みながら今更ながら…という思いをしたのは、小泉内閣の時に、大学が統廃合が進むだろう…という話はあった気がしますね。

【課題】
○ これまでは、物質的豊かさを追求する大量生産・消費などのニーズに対応するため、与えられた情報を短期間に理解、再生反復する
力を求め、平均的な能力・知識の効率的伝達に主眼 (教師のみによる一方向・一斉型の授業が中心)
○ 一方、変化の激しい今後の社会においては、解法のない新しい問題に対しても自ら適切な対応を考え実行していく課題解決力の育成
が重要。
○ 我が国の学力は回復傾向にあるが、世界トップレベルにはなお改善が必要。学力上位層は国際的にひけをとらないが下位層が多い。
○ 諸外国と比べて、日本の子ども達は学習そのものに対する関心や意識が低く、十分なモチベーションをもてないまま勉強している状況。
○ 加えて、地域や家庭の教育力が低下しており、子ども達の基本的な生活習慣、規範意識、態度などにも課題が見られる。

 

これは、①にあげられていることに対しての課題とされていること。

大学だけのこと…?

 

まぁ、大学教授の文章ですから…。

新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)

平成24年8月28日 中央教育審議会

 

小さくて読みにくいなぁ…。

一部分拡大した。

要するに…、成熟社会に置いて求められていることは何?というところが大切かなぁ…と。

 

実は、それだけでなく、気になったこと…

④「貧困の世襲」を断ち切る教育の機会均等の保障

新聞からずれていくけど…。

多分、昔は貧困な家庭と言われる家が多くて、ただ、それでも「教育」に価値を見いだすかどうかは、個人に任されていたということかもしれない。だけど、今は国が考える時代?

「貧困の世襲」と言われている内容をよく知らないで書いています。確かに、学び続けたいという思いに対して経済的な困難性を言われることも理解できます。そして、そうやって学びたくても学び続けることを辞めざるを得ない…昔からですよねぇ…という思いもよぎります。

あえて、そんなことをわかった上で思うことは、本当に貧困の世襲になっている部分と、お金の使い方が違う部分も見ないといけないと思うのです。同じ収入であっても、使い方が違うことが影響している部分を抜きに、「貧困の世襲」というカテゴリーに入っていることってない?また、実は断ち切る教育をするためには、親世代に対して伝えることがあるかもしれないのでは?

インドや…と、新興国と言われている国々の人達で大学へ行ける人はかなりのエリート。だけど、インターネットが通り、いろんなところで世界中の情報を得ることができるようになって、中国の山奥であってもアメリカの最先端の授業を知る機会ができた…学ぶ機会ができた…。貪欲に勉強する背景は貧困からの脱却のため…なんて話も聞いたことがあります。

数学ができたら、貧困から脱却できる…から、数学をがんばるっていう記事を読んだことも…。

 

不思議な感じですが、日本は?

 

○運動部等と異なり、科学好きの学生・生徒が競い合う場が不足
(米国はサイエンス・オリンピアド等を実施)
○学年が高くなるにつれ、理科好きな子どもの割合が低下
(小学校5年74%→中学校2年59%)

正直、韓国・フィンランド・香港という対照群の選出理由が知りたいけど…

レベル1以下だけでのことではなく、レベル1・2以下と見たら10%くらいの差がありますね。

「大学ではあまり勉強させなくても結構。(体育会系)クラブ活動に精を出し、元気で、やる気と協調性のある学生であれば、それで十分です。教育はわが社でしっかりやり社風に合った人材に育成しますから」

この言葉って、大学だけでなく、高校に対しても言われていた…まことしやかに…というより、未だにこれを信じている先生だけでなく、保護者が多いのでは?なんて思わされることがありますね。

 

私が一番思うことは、自分も体育会系のクラブ活動に取り組んできたけど、大きく違いがあるなぁ…と自分との違いというか、私が高校時代のクラブ活動で周りの人たちが言っていたから自分も意識させられてきていたことの違いがある。

それは、部活をするからには、それをしてもいいという学業成績を出しておかなければいけない。あくまでも部活って余暇の時間の取組みで、本業は学生は勉強…そんな感じのことを当然という感じで…、勉強できないのなら部活をする資格はない…みたいな感じで接されている親を持つ人達がいっぱいいた。だけど、教員になってそんな感じがない学校…と、学校の教員の方にその意識がない学校…。部活で成果を出せばいい?それで一生過ごせると企業の人事の人たちの言葉で思っていたのかなぁ?

 

この記事を読む前から、企業では人材を育成するゆとりがなくなった…など聞いていたし、身に付けていることがあまりない…そんな人が雇われないのも無理はない…かな?と思わされることも見聞きするけど、今更…という感じ。そして、単に勘違いしていた人がいっぱい大企業とかに増えていただけって思うのです。

いつだって、学ばないといけない…って努力している人はいるし、体育会系のクラブ活動に取り組むかどうかより基底に必要なことがあるということを認識していた人たちは文武両立当然だったはず。文武両立させての体育会系クラブ出身者のよさだった話が、片方なくてもいい…みたいに勘違いした先輩方がいたのは、目先の後輩可愛さで、根本として自分が働いている企業のためではなかっただけ。

 

私が聞いた高校での指導の中で、ばっかじゃない…の一つに、「大学行ったら勉強しなくていいんだから」と進学校と言われる高校での生徒への講話とか。

 

本当は、余りにも浸透し過ぎたおかしな価値観とするのなら、企業の言葉として紹介されていることの撤回的なことは、もっと周知しないと世の中は変わらないと思いました。

 

問題解決力って、大学でいきなりできるようになることではないけど…ってね。

 

問題解決力と言われる力には、いくつかの要素としての力があって、初めてできること…なんて言われていることの方が多いよねぇ…

 

大学さえ行ったらどうにかなる?

正直、大学行かなくても問題解決力がついた方がどうにかなると私は思いますね。

大学進学って、問題解決の一つでしかないと思うのでした。

投稿者:

nova

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