以前…資料データを探し中。

ボタンつけばかりが家庭科ではない

これは、『暮らしの手帳68』1997年6・7月号の中にある記事のタイトルです。高校家庭科教師の座談会と題して、書かれています。
当時、コピーしてくれました。まぁ…これも著作権違反だよね…と、ネットにアップしたらもっとダメかなぁ~と思いつつ、残すには…スキャナを活用するのが一番かな?
せっかくの男女必修がたった三年で見直しに

小林 高校の家庭科が、男子も女子も必修になって、三年になりますが、ここにきて、見直そうという発言もでてきていますね。
小竹 PTA連合会が、いらないんじゃないかと、言いだしたんですね。家庭科男女共修をすすめる会も目的を果たして解散しようというところに、えっ、という状況がまたでてきてしまいました。
三年前に、男女共修がいよいよ四月から始まるというとき、朝の茶の間にテレビで、「四月から日本は高等学校で、家庭科を男女ともにやることになりました。家庭科をやらない学校は、日本では高等学校とは言えなくなるわけです」と言ったのですね。外務省の条約局に、文部省が押された経過で実現したともききますが、当事者として、やるぞーというところを見せたのです。
ところが、翌年になると、微妙に違うんです。ポストは変わっておられましたが、「次の指導要領改訂の時に、この延長線上につづくかどうかは、あなたがた現場の先生方の力量次第ですよ」と。それはそうですよね。やっても仕方がないような授業をしていてはいけないんですけれど、アレ、トーンが変わったな(笑)とおもいました。
最近は、「教育というのは、個を尊重しなくてはいけない、画一化というのは問題だ、自由選択を大きくしなければいけない」とおっしゃっています。出発当初の当事者であった方の言葉が、三年間の間にスライディングしていってるんですね。
小林 このごろは、個を尊重しなければいけないとよく言いますね。

全てを入力するのは面倒ですね…やっぱりスキャナだのみにしようかな。

とってもショッキング…というか、くれた人の意図は、ふと文字にしたところなんだよね。

そして、4単位から2単位へ…

そうなったのではなく、2単位を選んだ学校が増えている現在。つまりは、要らないって判断?

ボタンつけばかりが家庭科ではないってショッキングなタイトルだけど、肝に銘じていた言葉
次の指導要領改訂の時に、この延長線上につづくかどうかは、あなたがた現場の先生方の力量次第ですよ
続かなかったね…。
さらに、2単位になったときに「被服実習」要らないと言われ、途中で撤回ではないけど容認…でも、再度、次は…って今度の話で、やっぱり「被服実習」要らないを断固として言ってますね…。

私でも思うもの。小学校中学校高等学校…って、毎回エプロンはあんまりですよね…。フリースのジャンパーとか作らせていたりしていたときは、型紙が布にもう引いてあるのを使う???とも思っていたけど、その後体験した、型紙に線が引いてあるエプロンキット???さらには、部分縫いして完成させるエプロンキット???バカじゃない…
私が小学生の頃につくったエプロンですら、自分で型紙書いてつくったよ…男女共修の小学校だったし、男子もエプロン作っていた。でも、型紙自分で書いて…ってしたよと思うと、本当になんか至れりつくせりは衰えるための素だなぁ~って思います。

そして思うのは、そうやって男女共修になった趣旨等も考えず、料理縫物…って意識で家庭科を展開させ続けて…とご満悦の先生方がまだいるしね…。そう、自ら自分の首を絞めて、教科として要らないと判断を仰ぐ結果を招いて…バカじゃん!と思います。

そんな年配の先生方だけではないけど、重点を置くところが変わっていっても、縫物にこだわる…。こだわり方があるでしょうに…って思いますが、その末路。「縫物は要らない」なんて家庭基礎から…。

でもね、繕える力は養っていた方がいい…と思います。ということで、小中学校では縫物が必修になるんだよね。

高等学校で…
バランスよく食べるってことが失われている一因はもちろん家庭にあると思いますが、調理実習でも単品作りをして…って感じだと、家でも学べない。学校でも学べない…。
もっとひどいのはカフェプレートで全部載せを推奨…。お子様ランチ化させたい…?バイキング形式化?

ボタンをつけることができるって大事だとは思う。
でもね、小中学校でやってきていない…そんな子が今はいるから、最後の教育現場で学ぶ機会を作りたいって思いは私もあり。調理実習も、ちゃんと作れるようになって欲しい…とは思うだけど、まずはバランスよく食べてほしい。栄養のことを知って欲しいとは思うけど、それよりもバランスよく食べることを意識できる方が大事。

家庭科は、洋食料理を家庭に普及させることに貢献したと思う。次は…食器減らし?1品しか食卓にのらないなんてザラにしたよね…。

いろんな国の出している政策等で、学校教育で…と出てきたら、結構家庭科に回されていることは多いけど、家庭科の時間自体が少ないし、例え指導要領に書いてあることが変わっても、教える人がそれを理解していなかったら一緒のことをするんだよね…。

砂糖と塩を間違えて料理もいいじゃん!と言えない教員がいる。初めての調理実習で失敗を受け止めてあげないと、失敗が絶対許されない調理実習って、料理できない人には恐怖だろうなぁ~と思う。そして、マニュアルがしっかりしすぎて考える余地などが残っていなかったら…物事を組み立てて考える力もつかないだろうなぁ~

お茶ノ水女子大学付属高校では、5単位家庭科が必修だとか。それでも、東大とか通っているって。塾へその人たちは行っているから?そうかもしれないけど、家庭科って受験の教科科目の内容の応用編。また、生活に関係することが論文として出たり、英文として出ている…そう言う意味では生活力がある方が、受験も強いだろうなぁ~とは思いますね。

保護者の中には、2単位しか学べないとわかっていなくて、自分が習ったように学校でも学べるから、家で教えなくていいなんて思っている人もいるのは、保護者と会話して分かったこと。

今なんて、和室に授業で入ったら、家にないから…ってセリフを聞くことは本当に増えた。和室体験も学校で作らないとできない???なんて思わされることも…。

いろいろあるけど、元々は家庭である程度お手伝いとかして、できていることを科学的に学んでより効率的にとか、よりよい方法を模索する…そんな感じだったんだろうけど、科学的なお話は全逓の生活体験がないとしにくいんだよ~って、理科の先生が言っていた言葉をそのまま家庭科はさらに言いたいことありだよね。

お金さえあればどうにでもできる
この発想でバブルはじける前に子ども達に伝えたツケ

大学へ行って、いい就職をしていれば、お金があれば何でも手に入る…

未だに言っている人と出会えるけど
本当にそれで育てて大丈夫なのかなぁ~?

親が祖父母にお金を所望する姿を見て育った子どもは、次何をするのだろう…

散財家の子どもは、節約などがうまくなるとか。昔はそうやって交代に…という話も聞くし…
そう思うと、弁当男子とかいろいろと耳にすること納得も行くかもね。

二代目をうまく育てきれないと、一代で滅びる…それを続けている家に伝わる教訓の素晴らしさ…という話もあるし…。

 

ここまでの文章は、以前書いたモノを少し手を加えてます。

 

家庭科教育における被服領域の現状と動向-被服製作の実態と意識-

家庭科被服製作

 

実は、大元のファイルデータを探し中。

 

茶碗とは

福岡市美術館古美術室 田中丸コレクション 解説第2号 より

茶碗とはということで書いてあったものです。

 現在、茶碗と言えば天目茶碗も含む“茶を飲むための陶磁器の器”のことを意味しますが、室町時代から桃山時代にかけて「天目」と「茶碗」には明確な区別があったようです。

 例えば、室町時代に書かれた『君台観左右帳記』陶磁器の項目では、「茶垸物之事」と「土之物」という二項が設けられ、「茶垸物之事」では青磁や白磁などの磁器類、「土之物」では天目や茶壺、茶入れなどの陶器類を区別して書いています。

 「茶垸物之事」では、青磁を「あをきちゃわんの物名也」、白磁を「しろきちゃわんの物名也」と説明しています。

また桃山時代に書かれた『山上宗二記』でも青磁蕪無花入を「茶碗ノ手ナリ」と説明していますので、当時の「茶碗」とは中国製の青磁や白磁の「磁器」を意味していたと考えられています。

 現在では「天目茶碗」という言い方が一般的ですが、どうも明治から大正時代にかけて使われだした用語のようで、それまでは「天目茶碗」と言わず「天目」とのみ呼称していたようです。

 「茶碗=磁器」。“茶を飲むための碗”ではないのに「ご飯茶碗」というのも、この「茶碗=磁器」という言葉の名残でしょう。

 それまで御飯を食べる器は漆の椀か木椀を使用していましたが、江戸時代後半から波佐見焼の「くらわんか碗」などの磁器の碗で御飯が食べられるようになります。

 全国的に普及するのは、鉄道が開通した明治時代になってからだと言われていますので、このころから“御飯をよそう磁器の碗”という意味で「御飯茶碗」という言葉が定着していったようです。

 ■茶碗の三条件

 ここで「茶碗」には、もともと前提となる条件があったという説を紹介しましょう。

 前述したように室町時代から桃山時代の「茶碗」が意味するモノは、青磁や白磁の時期でした。そして中国製の青磁茶碗をも指しました。これは中国宋時代の喫茶の風習が鎌倉から室町時代にかけて流行していく中で、唐物(中国製の美術工芸品)が輸入され、“茶を飲むための碗”は「天目」、「茶碗(磁器)」では青磁茶碗が主流となっていたからでしょう。

 磁器にも当てはまりますが、この青磁茶碗の基本的な特徴を整理すると次の3つです。

一 「総釉掛け」内側(内面、見込み)、外側(側面、胴部)、底部(高台内も)の全面に釉薬が掛るもの。

二 「無地無文」絵付け(筆描きの文様)や掻き落としなどによる施文がないものであって、釉状の微妙な変化や貫入は無文の範疇に属する。

 また、茶碗の口縁部の切り込み(輪花碗など)や茶碗の内・外面への篦描き(櫛目・櫛描き・猫描きなど)や削りあるいは型押し(鎬文など)は、器体部そのものの成形結果と解釈して施文とはみなさない。

三 「左右対称」丸碗ないし平碗を祖形とした左右対称(シンメトリー)

 【茶碗】項目執筆者/竹内順一 『角川日本陶芸大辞典』角川書店刊 2002

 

 つまり「茶碗」とは“この三条件を備えるもの”という認識が当時の茶人にはあったという説です。

 侘茶が流行するにつれ、唐物茶碗以外に高麗茶碗も取り上げられるようになりますが、例えば侘茶の茶碗の最高位とされてきた「井戸」や「粉引」、「三島」など古いタイプの高麗茶碗も基本的にこの三条件を満たしています。

 また桃山時代に前半の天正年間(1573-92)に千利休(1522-91)の創意でつくられたとされる長次郎(?-1589)の茶碗が「総釉掛け」、「無地無文」、「左右対称」という三条件を守っているのも、当時の「茶碗」の定義だったからなのでは、と考えられています。

 ところが桃山時代後半の慶長年間(1596-1614)になると、それまでの「茶碗」の定義からすれば新しいタイプの茶碗が登場します。

 それが美濃焼の瀬戸黒、志野、織部です。いずれの茶碗も高台に釉薬を書けない土見せとし、「総釉掛け」という条件を否定します。また日本製の焼き物で初めて筆による文様が施された「志野」では「無地無文」を否定し、「織部」に至ってはさらに沓形に歪め「左右対称」をも否定していきます。こうした流れは、慶長年間に開窯した九州初窯にも波及していきます。

 天正年間に開窯し、慶長年間に生産が盛んになった唐津焼も高台を土見せにしています。また絵付けを施した絵唐津。織部の影響を受けた歪みのある茶碗をつくるなど、流行にあわせた新しいタイプの茶碗を生産していきました。

 これ以降、“茶を飲むための碗”の定義が広がっていき、さまざまなタイプの茶碗がつくられます。江戸時代になると、新たに中国製の赤絵や染付茶碗も取り上げられ、また京では仁清による色絵付けを施した多彩な茶碗がつくられるなど、前時代にはみられなかった華やぎのある茶碗も登場してきます。[財団法人田中丸コレクション 学芸員 久保山 炎】

 

茶碗の歴史をこのような形で知りえるとは思いもよりませんでした。ただ、展示されているものを説明しているリーフレットをもらっただけのつもりでした。だけど、本当に勉強になるなぁ…と持って帰って読んで思いました。

なぜ、茶碗という風に御飯を食べるために用いる器を言うのだろう?という疑問もあったので、そんな疑問も消えた!と消していってくれました。感謝。