茶碗とは

福岡市美術館古美術室 田中丸コレクション 解説第2号 より

茶碗とはということで書いてあったものです。

 現在、茶碗と言えば天目茶碗も含む“茶を飲むための陶磁器の器”のことを意味しますが、室町時代から桃山時代にかけて「天目」と「茶碗」には明確な区別があったようです。

 例えば、室町時代に書かれた『君台観左右帳記』陶磁器の項目では、「茶垸物之事」と「土之物」という二項が設けられ、「茶垸物之事」では青磁や白磁などの磁器類、「土之物」では天目や茶壺、茶入れなどの陶器類を区別して書いています。

 「茶垸物之事」では、青磁を「あをきちゃわんの物名也」、白磁を「しろきちゃわんの物名也」と説明しています。

また桃山時代に書かれた『山上宗二記』でも青磁蕪無花入を「茶碗ノ手ナリ」と説明していますので、当時の「茶碗」とは中国製の青磁や白磁の「磁器」を意味していたと考えられています。

 現在では「天目茶碗」という言い方が一般的ですが、どうも明治から大正時代にかけて使われだした用語のようで、それまでは「天目茶碗」と言わず「天目」とのみ呼称していたようです。

 「茶碗=磁器」。“茶を飲むための碗”ではないのに「ご飯茶碗」というのも、この「茶碗=磁器」という言葉の名残でしょう。

 それまで御飯を食べる器は漆の椀か木椀を使用していましたが、江戸時代後半から波佐見焼の「くらわんか碗」などの磁器の碗で御飯が食べられるようになります。

 全国的に普及するのは、鉄道が開通した明治時代になってからだと言われていますので、このころから“御飯をよそう磁器の碗”という意味で「御飯茶碗」という言葉が定着していったようです。

 ■茶碗の三条件

 ここで「茶碗」には、もともと前提となる条件があったという説を紹介しましょう。

 前述したように室町時代から桃山時代の「茶碗」が意味するモノは、青磁や白磁の時期でした。そして中国製の青磁茶碗をも指しました。これは中国宋時代の喫茶の風習が鎌倉から室町時代にかけて流行していく中で、唐物(中国製の美術工芸品)が輸入され、“茶を飲むための碗”は「天目」、「茶碗(磁器)」では青磁茶碗が主流となっていたからでしょう。

 磁器にも当てはまりますが、この青磁茶碗の基本的な特徴を整理すると次の3つです。

一 「総釉掛け」内側(内面、見込み)、外側(側面、胴部)、底部(高台内も)の全面に釉薬が掛るもの。

二 「無地無文」絵付け(筆描きの文様)や掻き落としなどによる施文がないものであって、釉状の微妙な変化や貫入は無文の範疇に属する。

 また、茶碗の口縁部の切り込み(輪花碗など)や茶碗の内・外面への篦描き(櫛目・櫛描き・猫描きなど)や削りあるいは型押し(鎬文など)は、器体部そのものの成形結果と解釈して施文とはみなさない。

三 「左右対称」丸碗ないし平碗を祖形とした左右対称(シンメトリー)

 【茶碗】項目執筆者/竹内順一 『角川日本陶芸大辞典』角川書店刊 2002

 

 つまり「茶碗」とは“この三条件を備えるもの”という認識が当時の茶人にはあったという説です。

 侘茶が流行するにつれ、唐物茶碗以外に高麗茶碗も取り上げられるようになりますが、例えば侘茶の茶碗の最高位とされてきた「井戸」や「粉引」、「三島」など古いタイプの高麗茶碗も基本的にこの三条件を満たしています。

 また桃山時代に前半の天正年間(1573-92)に千利休(1522-91)の創意でつくられたとされる長次郎(?-1589)の茶碗が「総釉掛け」、「無地無文」、「左右対称」という三条件を守っているのも、当時の「茶碗」の定義だったからなのでは、と考えられています。

 ところが桃山時代後半の慶長年間(1596-1614)になると、それまでの「茶碗」の定義からすれば新しいタイプの茶碗が登場します。

 それが美濃焼の瀬戸黒、志野、織部です。いずれの茶碗も高台に釉薬を書けない土見せとし、「総釉掛け」という条件を否定します。また日本製の焼き物で初めて筆による文様が施された「志野」では「無地無文」を否定し、「織部」に至ってはさらに沓形に歪め「左右対称」をも否定していきます。こうした流れは、慶長年間に開窯した九州初窯にも波及していきます。

 天正年間に開窯し、慶長年間に生産が盛んになった唐津焼も高台を土見せにしています。また絵付けを施した絵唐津。織部の影響を受けた歪みのある茶碗をつくるなど、流行にあわせた新しいタイプの茶碗を生産していきました。

 これ以降、“茶を飲むための碗”の定義が広がっていき、さまざまなタイプの茶碗がつくられます。江戸時代になると、新たに中国製の赤絵や染付茶碗も取り上げられ、また京では仁清による色絵付けを施した多彩な茶碗がつくられるなど、前時代にはみられなかった華やぎのある茶碗も登場してきます。[財団法人田中丸コレクション 学芸員 久保山 炎】

 

茶碗の歴史をこのような形で知りえるとは思いもよりませんでした。ただ、展示されているものを説明しているリーフレットをもらっただけのつもりでした。だけど、本当に勉強になるなぁ…と持って帰って読んで思いました。

なぜ、茶碗という風に御飯を食べるために用いる器を言うのだろう?という疑問もあったので、そんな疑問も消えた!と消していってくれました。感謝。