おとき

今、おにぎりのことを調べていました。おむすび…。

そして、いろんな動画を拝見しました。

 


「おむすびを作るときは、お米の一粒一粒が息ができるようにと思って握ります」
佐藤 初女さんの言葉だそうです。

 

心がこもる…そんなことをおむすびおにぎりと調べていました。

 

ふと、父の葬儀にあたり最期の食事…と、いただいたおにぎり?ご飯を思い出しました。

「おとき」と言ってましたが、調べてみていると、私の知っている「おとき」とは違う話もあったので、素朴に「おとき」ってなんだ?

 

基本的に食べもののことをこちらに書いていないけど…さすがに葬儀にまつわる話を食べものの話だから…って書くのも気が引けたし、調べてみたかったのでこちらにノート代わり。

 

おときとは、仏事の後に頂く食事のことだと書いてあるサイトを発見しました。そちらには、いろいろと詳しく書かれていました。ただ、そういえば法事の後にお食事を一緒に…ってお坊さんと食べるなぁ…って思い出しても、「おとき」と言った覚えがありませんでした。

日本が貧しかった時代、仏事の御斎(おとき)は御馳走でした。

そう書いてあったのを読んでなるほど…とは思うこといっぱいでした。

亡き人を偲び、杯を献じ、亡き人と共に頂く食事であり宴会でない

そう書いてある文章もありました。

 

私は、葬儀が始まる前に親しい方々と「おとき」をいただく…という、故人と共にいただく最期の食事のことを「おとき」というと思ってましたが、全て仏事法事に関わる食事のことをさす言葉なのですね。

○ 決められた時間内に食べる斎食(さいじき)が由来

○ 食事をする時刻「時」(とき)に語源を発している

なんて書いてあるものもありました。どちらが正しいとかわからないなぁ…。

 

斎食儀(食事作法)

このサイトは天台宗の食事作法について書いてありました。

 

今、ウィキペディアで「を発見。そこで、へぇ~

この漢字の読み方が変わる話が載ってました。

  • 斎(いつき) -神道で、ものいみ(潔斎)をして神に仕えること。また、その人 
  • 斎(とき) -仏教寺院における食事。また、仏事の際に寺院で出される料理、斎食
  • 斎(ものいみ) -正教会における断食と食物品目の制限。食事のみならず行動も律し、祈りを増やす事が求められる

 

設斎供養という言葉も初めて知りました。

年回の供養において、法要の読経などがつとまった後に、一同に会して食事をいただく席を設けます。これを設斎といい、また当佛のみならず導師はじめ参列者に対する供養と称し、その一連の行いを法事とも呼び習わしています。

と書いてありました。こちらは曹洞宗のお寺のサイト。

 

『日本書紀』に、推古天皇時代(606年)に「この年より初めて寺ごとに4月8日、7月15日に設斎(おがみ)す」という言葉が出てきているそうです。

四月・七月斎会の史的意義

神戸大学の文献みたいです。お盆の話で載ってます。

 

設斎は、法会に食を供すること、「中を過ぎて食せず」、午後の断食であり、午前中の食事の意味と注される。ここでは”をがみす”と訓じており、香華灯塗(こうげとうず、お香をたき、香を塗り、お花を供え、お灯明をつけ)、供物をそえてお祀りすることではないのか。四月八日は、花御堂(美しい花で飾った小さなお堂:ルンビニー園)に、甘茶(竜が降らした甘露の雨)の入った水盤を置き、誕生仏の頭に甘茶をそそいでお祀りする潅仏会(かんぶつえ)。七月十五日は、餓鬼道に落ちて苦しんでいるお母さんを、釈迦の教えにより、修行を終えた多くの僧侶に供養をして救ったという故事、あるいは長い間子孫により供養されず逆さ吊りにされている死者の霊に飲食を与えて救うといふインド古来の祖先崇拝による盂蘭盆(うらぼんえ:ウッランバナ「さかさづり」を意味する言葉)とされた。

これは、日本書紀について解説しているサイトにあった文章です。

 

お葬式・豆知識vol.2【お斎(とき)について】

という記事があるブログを発見。

【斎(とき)とは・・・ 小乗仏教の僧侶は正午以前に食事をとり、それ以後は摂らないが

食事をしない時間を非時(ひじ)といい、食すべき時の食事を時食、斎食という。

そのことから、僧侶の食事や法事での食事を斎という。】

こう書いてあった。この人は誰だろう?なんて調べようと探してもわからなかった。まぁ調べるきっかけにはなるかなぁ…って言葉たち。

 

お斎というのは、本来、不殺生という戒律を守った寺院での食事のこと

書いているサイトには、ビルマのことなども触れて書いてあります。

 

お斎(とき)とは、今では広く仏事の際にいただく食事をさしています。しかし、斎という言葉には「つつしむ」という字義があり、本来は身を慎んで清浄な生活をおくることを意味します。また「斎戒」(さいかい)ともいいます。

これはQ&Aと天台宗のサイト?に書いてあります。もっと詳しく書いてありました。

もともとインドの仏教では、出家者は正午を過ぎてから食事をしないという戒律があり、食事をつつしむのが斎の由来

なるほど…とインド由来の話なのですね。

 

ただ、私の覚えている「おとき」って、父が亡くなって葬儀の前にドタバタとそこにいたみんなで食べたお別れの食事だった…って調べてみたら地方によるもの?

別れの杯なるものが出てきました。

出立ちの膳(ワカレメシ、タチメシ、ナキワカレとも)」って言葉を発見。

飲食は人間の交わりを象徴するものですから、死者と食事を共にすることによって、死者と最後の交わりをし、別れを行ったものと考えられます。したがって、こうした飲食の席では、しばしば死者用にもお膳が用意されます。神と食事をすることで神の力をわが身に取り込む神人共食の観念が影響しているとの考えもあります。 

なるほど…

出立ちの膳 出棺の際に,参会者に供する一膳飯。でたちめし。

この言葉はあるのですね。

 

三重県では、涙汁というものがあるって書いてありました。

 福岡では、出棺の前に遺族や親近者が集まって故人との最後の別れの食事として、簡単な精進料理を食べます。これは「出立ちの膳」と呼ばれています。柳川市では、この出立ちの膳に、冷酒を出すこともあるそうです。

葬儀屋さんがいっぱいあるなぁ…と思わされる検索ですが、とりあえず紹介されているものをメモしておかないと忘れる…。

佐賀県では、「出立ちの膳(でたちのぜん)」と呼ばれる通夜振舞いを、身内だけで食べます。

鹿児島県の一部地域では、出棺前に「別れ飯」を食べ、北部の一部地域では、参列者にもこの「別れ飯」を振舞うことがあります。最近では火葬場で食事を取るため、別れ飯を省略する傾向が強いそうですが、古い家などではいまだに行われています。

ほんとうにいろいろあるのだなぁ…って思わされます。

 

日本の伝統的食慣習のタブーの両横綱は、肉食と一膳飯でした。ご飯を一杯しか食べないのが好ましくないとされたのは、肉食同様に仏教との関わり合いです。 死んだ人の「枕飯(まくらめし)」が一杯盛り切り、出棺の前に近親者が食べる「出立飯(でだちのめし)」も一杯限りですから、普段は一膳飯は禁忌でした。 さらに波及して、お嫁入りで実家をたつときも一膳飯だったのです。

こんなことが書いてあったサイトは、「握り寿司はなぜ2個で出されるのか? なぜ1貫、2貫と数えるのか?」ということで、書いてありました。

一膳飯を調べていて、よそい方のことに触れている文章を発見。2杯食するという話が書いてある中、一度にご飯をよそわない…って書いてあることを読んで、そういえば…一度でよそうなって言われた気がする…と遠い記憶。

ご飯を一回でよそう
ご飯に箸を刺す。
何を以てマナー違反何ですか?教えてください。

質問サイトの質問で読んで、はっとさせられました。それは回答の方。

当たり前にしていることに疑問を持つことってほんとうに大事。そして、伝えるときにも、意味を知らずに伝えていくことにより偏見やタブーなど根拠不明な「ねばならない」がたくさんできることになる…ってね。

 

それはしてはいけないといわれて育つと、違和感がある質問。でも、確かに…仏教での死者を弔う対応の話。箸をご飯に立てるのを止めましょうと同じなんだよねぇ…。素朴な疑問は理由を知ると、極力しない方がいいことと、別にやってもいいことに別れていく…

 

「おとき」について知りたかったのですが、広がりを持って知ることができてよかった。

 

後は…サイトで検索しても出てきにくい…と、おときの形態。宗派によって違うのかなぁ…?なんて思いながら、一膳飯ではなく丸くなったおむすびというのか、それを食べたんだよね…。

 

作ってくれたおばちゃんが言ってたなぁ…遠く離れて子どもが住んでいると、いろんな人が亡くなったときにそんなもろもろの対応の仕方を覚える機会がないと。祖父母の死の際に見て学ばず、父母の代…一方が亡くなる際にもいなければ、実際に自分が喪主でするようになったとき、全くわからないだろうなぁ…って。確かに…。いろんな流儀があるとは思いますが、その家の慣わしって途絶え、一般化されていくのですよね。

 

先日といっても、もう2週間以上経ったのかなぁ…お通夜におまいりに行きました。そのとき、お坊さんがえらくホント、説教された。まぁ…お通夜の枕教の後に説教されるって体験することは多いけど、よく言う「説教」と普段耳にしている言葉通りのモードでの説教だったので、面食らった。声を荒げて…と、お焼香の仕方について言われていた。そんな喪主が若いから、最初に覚えるためにだろうなぁ…なんて思ったりもしながら、斎場の方の説明とは違うお話。斎場の方の言うとおりに真に受けてはいけないと学んだのではありますが、そんな所作についての説教を遺族をはじめ多くの方のいるところで…なんてそんなに細かいものかな…と思わされた。帰宅して、母に尋ねたら、さもありなん…なんて、母方の実家の宗派と同じだから聞いたらそう言われた。どう焼香するかなど、所作大切とのことだった。祖父祖母をはじめ葬儀や法事に行って、確かにお経を読むように…って冊子を回される体験などするけど、焼香の仕方を言われたことがなかったなぁ…。同じ禅宗のはずでは…なんて思うと違いを意識させられることは多いよなぁ…確かに。

 

焼香の仕方ひとつ…って、そういえばちゃんと教えてもらって…なんてしたことがない気もした。

 

あんまり仏教だ…なんて意識して育っていない気もする。父が亡くなってからいろいろと覚えたり…。母の実家にはお坊さんがよく遊びに来ている…ってお盆に行ったりするからか出会っていた。弟たちが木魚叩いてお経を読んでいても私自身は興味なかったから?お墓参りに行くとかは行ってもちゃんといろんな習慣ってわかっていないのかもしれないなぁ…。

お仏壇にご飯をよそうのも、まるくしないといけないと言われるけど…なぜだろう?とか、疑問を持ち始めるときりがないなぁ…。

 

疑問を持たずにやっていることも、実は違う立場から見るとふつうではないはず…という意味では、おむすびを調べていて、おときが気になって調べてみたけど、お寺で教えてもらうしかわかる方法はないのかも…?おんなじ宗派でも、総本山の流れが違うだけでもなんか微妙に違ったりする…ということを体験したりもして思うのです。ちゃんと細かく伝えられて…って普通しているものなのかなぁ…?なんてね。

きっと、弟たちは私より知らないはず…なんて思うし私も知らないなぁ…。

 

 

 

投稿者:

nova

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