義経千本桜と

先日、歌舞伎を拝見しました。

そのときに、正直、あ~能も狂言も…歌舞伎も、いろんな日本の文化はつながっているから、どれかひとつだけを取り上げて知る努力をしても、ゆくゆくは全てを知ることに努めることになるんだなぁ…。そう思わされました。

 

義経千本桜」という演目の歌舞伎を拝見しながら、これどこかで見たことがある…。

 

見たことがあるということは、私の見た数少ない体験とつながるということ…って検索。

わかったのは、能だったのです。

船弁慶

多分、似ている…って、出てくる登場人物が重なるくらい?かも…

だけど、似ている…と感じた何か…って調べてみるとつながるものですね。

 

独立行政法人日本芸術文化振興会が運営する伝統芸能を調べる・見る・学ぶためのサイトに「義経千本桜」

これは歌舞伎の誰が演じたなどはなれて書いてありますね。

そちらに、影響を受けた作品ということで、3作品書かれていました。

人形浄瑠璃『天鼓』

能『船弁慶』

能『正尊』

 

能『船弁慶』の船の上で…という話が引っかかって思い出せたのですが、話は違う…印象はそんな感じでした。

私の母は、何度かこの『義経千本桜』を見ているそうで、何度か見ていると反応も違うのでしょうね…。そう思わされる感想を後日聞きました。しかし、私は初めてでしたので、感想は…とにかく見たことのある話があるぞ~って感じで少し気持ち悪いというか、ナンだろう?と探すきっかけになったのでした。

義経千本桜とは…

ウィキペディアの文章から…

源平合戦後の源義経の都落ちをきっかけに、じつは生き延びていた平家の武将たちとそれに巻き込まれた者たちの悲劇を描く。

 

なんて簡潔…という説明ですが、そうまとめている凄さを思わされました。

5幕にわたるお話。そりゃ…前後わからないと、理解難しい…ってところがあって当然かも知れません。ただ、前後のお話も見たことなくても、源義経という題材、きっと歌舞伎が起こった江戸時代の人々にとっては、なんとなくでも知りえている過去の歴史上の人物。そんな共通認識がある人だったのかなぁ…って推測させられました。こんなの5幕全てを…って見るのは大変だなぁ…って思ったのです。でも、ふとそういえば…銀座の歌舞伎座に昔フラッと行って一幕だけ見るってしたことを思い出して、ずっと朝からの続き…という流れの一幕を「歌舞伎」ってこんなものだ…って見たときのことを思い出させられました。

きっと、好きな人は朝からずっと…って江戸時代を思うと大掛かりな娯楽だなぁ…ということも思いました。

 

『船弁慶』では、平知盛って死んでいた…というのは記憶にあって、フィクションの世界はいかようにも…というのは思うのですが、歌舞伎と能狂言とのつながりや違いなどを意識させられるのでした。

 

ちょうど『平清盛』という大河ドラマがあった後、少しは平氏についても理解が広まっている?そんな時分なのかもしれないとも思わされました。

 

平家の落人たちがつくった村とか、八女の方では安徳天皇だったか、皇族が生き延びた話を地元の方に聞かせていただき、文書や手紙を見せていただいた気がするなぁ…。とにかく、史実というか、学校で学ぶことと違う話を聞く機会を持つのは、何事も本当のことは何か…?わからないなぁ…と、ものの見方考え方を操作するということは教育の仕方ひとつでも違うなぁ…としみじみ思うのでした。

 

『義経千本桜』を拝見させていただいて、こんな演目を見ながら江戸時代の人たちはどう義経のことを思っていたのだろう~?なんて考えました。歴史で習ったりするとき、私は「源頼朝は源義経が謀反を起こしたとし、殺した?」なんて感じで兄が弟を…という風に聞いた気がしてました。そんなときでも、モンゴルに逃げただの…そんな話を聞いたりして、実際は…?正直、こんな歌舞伎を見て育っていたとしたら、私自身も平泉まで逃げて…モンゴルまで行っちゃった?なんて信じて伝えていくかもなぁ…。こうあって欲しいという願望かもしれない話と、実際本当のところどうなったのか…わからないことはいっぱいだなぁと思わされる内容。

 

歌舞伎として、『義経千本桜』を拝見して、日本の文化がつながっている…ということを感じた要素を3つあげるとしたら…

一つ目は、幕が開くタイミング。能の囃子方をされている方のお話を伺ったとき、幕が開くタイミングはこのときと決まっているわけではなく、笛・太鼓の調子を聞いて幕を開けるタイミングをはかって開けると知りました。今回、歌舞伎もなのかなぁ…?幕の開き方は違うけど、疑問を持ちました。

 

二つ目は、衣装。山伏の衣装って出てきたかなぁ…テレビで団十郎さんの死去に伴ってやっていた追悼番組でかなぁ…それでも義経の平泉に逃げる話でした。武士の衣装というものを実際に着ている姿をその時代のものとして拝見するのは絵でしかない。能での衣装、狂言での衣装も違うとされて、江戸時代は歴史ある伝統のものとして、新興してきた歌舞伎との違いなどあるのだろうなぁ…。能と狂言と歌舞伎、違いを知りたいなって思わされました。

 

三つ目は、お茶道具の話や着物柄など、こんな舞台の話と全く違うところにちょこちょこと名称由来などなど…出てくるところ。静御前の話にしても…何事もか?昔の詩歌は歌うとき以前の詩歌をどれくらい知っているかで、教養等を見るという話で…と古典で古文を学ぶ…なんて学校レベルとは違う生きている昔の出来事たち?を踏まえてしか理解できない今のモノたち…。

 

自分の国の文化や歴史について誇りを持たせる…なんて国は言っているけど、本当に奥深いものだなぁ…と思わされます。

 

ただ、能楽も歌舞伎も拝見する機会をすすんで持つように努めるようになったなんて20歳過ぎてから…と振り返り思うのですが、この場面知っている気がする…とか、なんとなく似た話を見たことがある…と思い出されることは20歳前の記憶。宝塚歌劇団の公演を毎年のように見る機会持っていたからかなぁ…?なんて意味わからなくても見ていたりしたことも関係するのかもしれません。そんな中にドリフターズの番組を思うのです。テレビを見るのを制限されて育っていたけど、それでも『八時だよ全員集合』を馬鹿なことをしている…って大人たちが言う中でも見ていた…って小さい頃のこと。馬鹿なこと…って、バカ殿様のことやいろいろと…思い出されるのですが、バラエティ番組の内容ってある意味今とはかなり違っているのかもなぁ…なんて思わされました。狂言を拝見したときに、これってドリフターズのやっていたのにあった気がする…って思ったことをはじめ、いろいろそんな伝統芸能みたいなものが下敷きになっているお笑いってあった気がするのです。だけど、今は…?

ドリフターズのコントを踏まえて…って、それらを見て育った世代がバラエティ番組の中心に出ている今であっても、そんな古典を踏まえたようなバラエティ番組ってないなぁ…なんて思わされますね。なんちゃんの狂言を取り上げて取り組んだという番組があったそうですが…って感じでしょうか?

お笑いで下敷きにできるということは、その内容を知っている人が多いから、それを踏まえているって伝わるのですよねぇ…無知のものを下敷きに展開させて笑わせるって難しいだろうなぁ…なんて思うと、能楽狂言お茶お花…雅楽などなど…って、昔はそんなに広まっていたものだろうか?とも。

武士のたしなみとして…なんて内容が一般化されることはなかっただろうけど…雅楽→能楽と貴族文化から武家文化に移行していく中で文化の中心もいろいろと変わったことだろう…とは思いますが、今も昔も一部の人達しかちゃんとついていけていない…というのは一緒なのかも知れないとも思います。歌舞伎は庶民のもの…と広まっていったなんて思って、それでは今は?

 

ただただ、教養って言葉のもつ意味を考えさせられるなぁ…と思ったのでした。

 

 

菊人形で見たなぁ…とか、山笠で見たなぁ…なんてそんな感じも、全てつながっているのですよねぇ…

 

今で言うと、ウルトラマンや…なんてテレビの中のヒーローやアニメと一緒だろうなぁ…なんて思いも持たされました。

 

口上というものが元々はどんなところで、どんな風に言うものを大元として歌舞伎の口上が歴史的にどんなものか?そんなことも知らずに拝見しました。口上って何?って思っても関心がないときには、見たいとも思いませんでした。今回も、正直みたいと思っていたわけではありませんでしたが、拝見して口上ひとつもいろんなものがあるのかもしれないなぁ…って思わされました。

ちょうど、私が拝見した一年前に初めての襲名披露だったとか。それはお父様もいらした…みたいですね。ブロマイドが売ってありましたから。それを思うと、一年後の姿として…などいろいろとあるのだろうなぁ…。

 

芝翫奴というものを拝見して、ビックリしました。

なんであんな状態で、立ち上がったり…とリズムカルに…

 

ただただ、この世界で生きている歌舞伎俳優の方々の中にある日本文化が生きている在り様に、こんなに自分は日本文化を知っているのだろうか…?なんて、圧倒される体験になった観劇でした。

 

海外から日本へ…って日本の歌舞伎を見て、驚く姿と自分と違いがあるのだろうか?なんて思うこともあったりして、帰りがけに「今回の芝翫奴は…」なんて話し合っていらっしゃったご年配のご夫婦の会話が聞こえたとき、ホント…何度も見たりするから、精進されている姿も優劣を評せるのでしょうねぇ…って。オーケストラの演奏を聴いて…などとも一緒でしょうけど、その世界を楽しむって何事も奥が深いものだなぁ…。

 

何事もやってみたり…関心を持つから凄さも伝わる…

日本の文化などを次世代に…なんて言っているけど、私の好きな日本文化は…?なんて、それぞれが持つ背景は日本という単位でも違う。奥の深さを多方面へも理解しようとするというのは、自分が興味関心を持つ好きなものをマニアックに…ホント、オタクになるくらいの関心の示し方ができる人の方が、何でも無関心でスルーっと流しているより国際社会を知るにはいいのかもしれない?

 

周囲の大人が関心を示さないものを子どもが関心を示すわけがない…という意味では、日本文化を伝えないといけないから…って圧しつけようとしたら、きっとイヤになるかもなぁ…というのも同時に思いました。

 

 

 

投稿者:

nova

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