約300件、コメントありがとうございます。
今、久しぶりに開いたら、ありました。
本当に感謝です。
正直、「歳寒三友」という言葉を、これまでの人生で使ったことなんかありません。ただ、これって、松竹梅のこと。
松竹梅はよく耳にします。
この「歳寒三友」という言葉は、奈良時代に中国から伝わった言葉。
これは古い本みたい…と思うのですが、本のタイトルがわかりません。
そちらに書いてあることには…
中国で画題として登場したのがいつか…
松は、唐の時代の中ごろ
墨竹画は、唐の終わり~5代
梅は、北宋~南宋の時代
日本に伝わったのは、明の中期といわれているそうです。
と、こう書いてある文献を見つけながら、私の読んだ本は「歳寒三友」が日本に伝わったのは奈良時代と書いてありましたので、時代が違うなぁ…。
明時代は、1368年 – 1644年
奈良時代は、710 – 794年
言葉として、「歳寒三友」と松竹梅がつながるのは後ということでしょうね。
中国では、「岁寒三友」と書くのだそうです。
論語の 「子曰、歳寒然後知松柏之後凋也」 「益者三友」
から生まれた言葉だそうです。
歳寒三友とは、厳しい時の三人の友を指すとのことなんだとも。
三番目の友が「直なる友」=「物くれる友」
二番目の友が「諒なる友」=「義侠心の強い友」
困った時に自分のことのように親身になって相談に乗りかつ動いてくれる友のこと。
一番大切な友は「多聞の友」=「知識が豊かで冷静に判断をしてくれる友」、「原理原則を教えてくれる友」ということ。
なのだそうです。
歳寒三友という呼称は、風雪や厳寒に耐えながら、一年中みどりをたもつ松の持久力(マツは“持つ”に通じ、長寿命につながるとも言われている)、屈することなくすくすく伸びる竹の成長力、春、百花にさきがけて花を開き、ふくよかに香る梅の生命力に捧げる賛辞でもあります。そして、このことばをいかなる困難にも耐えしのぶ志操堅固な人をあらわしたりもするそうです。
「厳寒三友」とも。
松や竹は厳冬の霜雪に耐えて千年の常緑を保つことから、梅は霜雪を凌ぎ百貨に先駆けて馥郁と香るところから、高潔・節操・清純などの象徴と賞されて「厳寒三友図」が日本へ室町時代に中国から伝わってきたそうです。
ではなぜ、これが日本に取り入れられたか?
もともと日本では、
松は神霊が宿る木という信仰が古来からあり、神聖な気とされていて、平安時代には長寿につながる樹木としてめでたいもの。
竹も、古来より神聖なものとして扱われており、天に向かってまっすぐ伸びる「猛々しい」という意味が付け加えられて演技のよいもの。
そうやって、縁起のよいものとして、室町時代に松と竹を新年に門口に飾り延年を祝うようになったそうです。
江戸時代に、春に先駆けて花を咲かすというところから梅も門松に加わりました。
中国では
後期・高潔な植物とされていた松竹梅。
日本は
古来からの松や竹への信仰、
そして、吉祥・瑞祥の象徴としての性格が
強調されたのだそうです。
江戸時代になって、地歌、長唄などに松竹梅が取り入れられた祝儀曲が数多く作曲されて、唄われたことも広くもてはやされるようになった要因とも。
中国の絵画では、厳寒に耐えている中に梅。雪と梅の春の兆しとして扱われることが多いのだとか。
日本では、梅に鶯の方が今では多いかも…。だけど、着物柄に、氷梅もありますよね。
門松も、もともとは3メートルもある松に竹が添えられていたそうです。
日本の文化は、中国の文化の影響を受けているけれども、面白いことか、他国の文化をどのように取り入れているか…という点ではどの国も不思議なかんじですね。
紙本墨画 歳寒三友之図
特にめでたく縁起がよいという組み合わせ
「松に鶴」
「竹に雀」
「梅に鴬」
よくある組み合わせ…かな
もともとは「松竹梅」に優劣はないのですが、この順番に言うことが多いから、この順番に優劣の順位があるように商売で扱われているからイメージとし優劣ありそうに伝わってしまっているのは本当は残念なことかな。
なんと…
「梅ちゃん先生 第23週 名前の秘密 歳寒三友」
ということも。