2001年の日本の繊維業界にユニクロ景気

今ではユニクロって世界的な規模の大企業。

でも、2001年のAERA6.11の記事を片付けていたら発見!

中国山地のまちまちに工場群。備後絣の産地だったが、和装の激減で転換を迫られた。

今は日本有数のデニム産地。かすりもデニムも藍染でできるから。

カイハラはその中でのトップメーカーと2001年のこと。

絣のまちまちがデニム製造に転換したのは1960年代後半からの学園闘争の頃。闘争スタイルとしてジーンズにスニーカーが広まったから、デニムの需要が高まった。

ユニクロの大量発注が2001年時点デニムの町を支えていた。

 

カイハラが全部の工場でつくるデニムは、1日に10万メートル。ジーンズにすると約8万本分。

 

『アウトソーシングとは反対の流れだけれども、日本のメーカーは、ピラミッドの頂点の質を供給することでしか、生き残れない」と貝原さん。

 

『シルキーパウダー』スーツ用の素材。ウールの意図1本1本に化粧品にも使われている絹プロテインのパウダーをコーティング。

クマザサを漉き込んだわしを意図にし、布に織り上げた素材『ささ和紙』

 

クマザサは抗菌と召集に優れ、和紙は毛羽がないから、肌触りがよい。

 

ユニクロのことが中心ではなく、日本の繊維業界の技術力のこと。ピックアップして抜き出して書いたこと…今はどうなっているのだろう?さらに進化しているのでしょうね…。

 

 

和紙の状態だと切れやすいけれど、布にすると丈夫になる。

 

学びは違う?

 

ユニクロよりも、気になりました…って、10年軽く過ぎたものでした。

投稿者:

nova

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