調理実習

面白いものだなぁ…と思ってみるのです。

 

料理できない人の調理実習指導は、かなり楽しい気付きがいっぱいです。料理できないというのは語弊があります。一応、人並みに作ることができるかもしれない。だけど、指導の勉強不足の人。懇切丁寧に説明したらできると勘違いしている人の指導は一瞬でわかります。上達するか? 私の目指す到達ラインとは違う目標。

 

一番料理できない人達と組んだなぁ…は昨年、一昨年。酷いなぁ…とよくそれで教員しているなぁ…って思いました。

10年前くらいの初めて普通科で教えた時、目が点。でも、それよりはるかにひどい…それは食に関する知識の乏しさ。さすが、教育大学出ている人だけあって、技術は全くないなぁ…と思ったのでした。

 

昨年は驚きもしないくらい…でも、よくそれで調理を教えているなぁ…。教育大学出ている人を100人も知っているわけではありませんが、ちゃんと教える…人もいると思いますが、こうやって下手な料理をする人が生徒たちにも増えるんだぁ…って思います。

 

今年は、ストップウォッチ持っての指導を見ながら、もう「食事を楽しみましょう」は遠のくねぇ…。文部科学省の旧文部省の出した本たちも呼んでいないおばちゃん達…。

 

栄養系の料理はできる…でも、簡略化しない難しい料理のまま…も。

 

私は大学で学んだことで一番役立っているなぁ…は、調理行程のシンプル化スリム化ができるという発想かなぁ…。村上祥子先生に感謝は、本当はいくつもの行程があるっていっぱい本に書いてある料理の作業をどこまで減らすことができるか?という省力化発想の仕方。

なぜこの行程を行うのか?ということを省いてみて比較…。得られる効果はあるかもしれないけど、その料理を初めてする人の難しい~って思っているハードルを下げるというやり方。懇切丁寧に難しいやり方をできない先生ではないのです。それはそれで教えていただいたり…と料理を習っても、すごいなぁ~は省き方。

 

だけど、実際にお店でやっている人たちにとっては、そんなのは当たり前…っていうのか、無駄な作業というのか丁寧に行う部分とそこまでしなくていいと言う部分はそれぞれにあるというのを思わされました。家庭料理のための本って、そういったそこまでしなくても…というものを全て行う料理のやり方が載っている本もたくさん。そうした方がよりおいしい…確かにそうかもしれないけど、初めて料理する人にとっては、もう二度とこの料理は作らない…になりそう…。そんな感じも…。それはそれで、需要はあると思うのです。何回も作っている人にとっては、よりおいしく…。でも、初めての人にそこまで求めるか?何を省いていいのか、何をしたらいいのか?理解が伴っていないなぁ…と調理理論が欠落している先生の指導を知る機会は、それを思わされるのでした。

私が着物を教えるというのも、ポイントがどこか…イマイチわからず、プロの人に言われた大事!をおさえて指導…ってしたけど。ちゃんと引く服を教えてきている先生に5年くらい前に浴衣の縫い方で教えてイマイチうまくいかなかった…という点を尋ねて教えていただいたことは、目からウロコ。生徒のさせるのと、自分ができるのとは違うよねぇ~って料理の話同様に、思ったのでした。

 

大学生の頃にはすでに、どう師範を見せると伝わりやすいか…とポイントを習える機会を村上先生にいただいたのは本当にラッキー。その後も…。見せる技術って本当にすーっと普通に作っているようで違うんですよねぇ~と先生の料理教室ではどのポイントを伝えたらわかりやすいかなど学ぶのに本当に役立ちます。あと、時代の流れ、料理の移り変わりを知るのも。

 

さて、高校生に教えるときに調理実習のスタンスがここ10年で変わった…。しみじみ思います。

対象生徒も違うけど、10年前はまだ実は女子の中に料理できない子居ないでしょ…みたいな雰囲気があった。だけど、今は男女ともにできない子が大前提。

中学校で調理実習してきていない人達たくさんだし…。作っているものを聞いた時に、指導要領とか全く目を通していない先生から習っているんだねぇ…と思うのでした。仕方ないねぇ…。

 

先日、齋藤孝先生の講演を聞いて、ホントよかった~って思わされたのです。

それは、そうですよねぇ~って同感同感…って、これでいいんだ~と思えたこと。

感謝です。

 

教育ではないエコひいきをいかにもらうか…みたいなバカな話を通す人達に習った生徒達が、将来職場でごますりやイエスマンのふりだけで、会社をダメにしていく…とかわかっていなくても、目の前過ぎればいい…。自分の授業さえ持てばいい…他人へのまた、他への影響も考えないで勉強不足の指導?と誰が聞いても教育ではない話を平然と語る年寄り。どんな世界でも、そんな風に教えられてきた人達を受け入れるのは嫌だと思っているかもねぇ…がわかってない。とか、いろいろあるけど。

 

齋藤孝先生がきっぱり。自分の教えている大学1年生がそのまま社会で通用しないから…と鍛え直しされている話は、本当に面白いなぁ…と小学生から求められる基準を実際におっしゃるように変えてくれたら…。国全体の水準が上がるでしょうに…と思います。

 

まぁ…

調理実習で私が一番大事って思っていることは、生徒を信じる。

「これはできない」と言っている先生達の指導している授業ほど時間オーバーするんだよね。

「これはできる」と生徒にはできる能力があると信じていたら、できるという前提で、全て考える。もちろん、技術がないと言うのも承知、だけど、「できる」というのは、ポイントをきちんと踏まえて、こちらが逆算していて、状況把握とかきちんとしていって…その上で「できる」なんだけどね。

オーケストラだって、ここの実力が少しない人も混ざっていても、難しいかもしれない…という音楽に挑戦!なんてすると思うのです。できない人に合わせるのか?凄くできる人に合わせるのか?いろいろあっても、一番そのメンバーで奏でる音楽がいいように…って指揮者はするでしょうに…。難しいテクニック省いてでも、音楽を楽しんで聞いてもらえる状態はある。これは私の小学生のころの体験から学んでいることかな。

 

この人たちは、このくらいできる!の代わりに、これはできないって決めつけるから、できる子にならないと思うのです。本当はできないのは、教員の方が指導ができないだけなんじゃない?って思います。

ピザトーストを教えて、生徒達が料理できないから…と言っていたたくさんの先生達。高校生でそれ?って本気で思いますが、よくよくいろいろ聞いていると、わかったのは、自分が無理して指導しないため…ですよね。

私の場合、最初っから自分には無理から始まっていたから、どうしたらこの指導を無理と言わないために…。3品作らせるのはできそう…でも4品作らせないといけなかったし…、お陰様は、そうやって自分で減らしたい…とビビっているところを後ろ向き検討の余地を与えてもらえなかった環境で初任者したこと。感謝です。

 

村上先生から学んだ栄養指導の1つ。たとえ、御飯を110gしか食べてはいけないとか決まっている人に対してでも、普通そうによそってあげるくらいに技術をつける。

何度か量りながらつげば、重さの感覚、視覚的量…覚えることができれば、糖尿病で食事制限などある人にも、食べることを普通にかんじさせることができるでしょ?って。

計りながら、これだけしか食べてはいけない…ではなく、よそわれるときの感じがいつもと同じ…。

 

実技を教えるときに心がけていることの一つですね。

 

昔、教育実習に行った時、2ミリ幅に切ると書いてあったから…と、定規を持ちだされて面食らいました。でも、その後も実際そういう人がいる。また、何センチってイマイチうまくやってくれない話いっぱいだけど、初めての人に2ミリを求めるより、細く切って…とその人が5㎜に切ったとしてもそれでも食べることができる料理を献立に考えたらいいわけで…。白髪ねぎを初心者にさせなければいいでしょ?みたいな感じですね。

 

メイいっぱい気を張って40人実習をしている…よ。だけどね、それを拒否して、できないと決めて簡単にしたら…将来この人たちは他で習うためにお金を払う…?

高度な技術獲得のためにお金を払うのはいいけど、基礎基本から…日本の英語教育と同じことをしたらいけないかなぁ…と思うのでした。

本当は家で教えてよ…ラインはありますが、家で料理しない…のでしょうかねぇ…。子どもも塾で忙しいのかなぁ…。本末転倒の気がするところは多いのですが、ちゃんと料理できる子はいるから、そういう子と会えた時、他のことはどうかなぁ…?ってみたら、他のことも結構ちゃんとこなしている。勉強できるか?はわかりませんが、ちゃんと作業構築力というのかある人している…というのもペーパーテストでは計ることができないかもしれないけど、大事だよねぇ…って思います。

投稿者:

nova

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