威圧しながらIメッセージ

自分のことを、「お母さん」「お父さん」と言ったり…して権威づけをしてお話をする。
自分のことを「先生」といって話をする。

これって、自分の言っていることに自信を持っていない心理の隠れた現れ方としてとっても有名。

「お母さんはね…」と言って、子どもに自分がしてほしいことを言うとか。

『親業』という本の中でも、また、他の心理学の本の中でも書いてあること。

簡単に言うと、自分では「私は…」と話す自信がないことが多いのです。ですから、「私は、○○をあなたにしてほしい」という代わりに、「お母さんは、○○をあなたにしてほしい」とか言うのです。
私ではなく、お母さんが言ってるのってね。

「お母さん」という仮面をかぶって、自分はそうしなくてもいいと思っていたり、それはどうでもいいと思っていることでも、「お母さんはね…」とか、お母さんだから言っているのだと伝えます。

でも、確実に子ども達には刷り込まれていくのです。「お母さん」「お父さん」「先生」…言ったことを聞いて守らないといけない…上下関係をつくる言葉達を小さいころから刷り込まれて育ちます。
だから、大人になってくるに従って、権威権力への反抗。思春期に素直に聞くことができなくなる…という現れ方が出るのです。

「先生は…」と語っている人は、自分としてはそれをしないといけないとは思っていなかったり、それを「私は…」と説明するだけ理解できなかったりします。だから、「先生は…」という敬称を自分に使って話をします。私の話は聞いてもらえないかもしれないけど、これは「先生」の言うことなんだからちゃんと聞きなさい!ってね。

アイメッセージの例:
「お父さんは、おまえが約束を守らなかったから、とてもがっかりしたよ。」
ユーメッセージの例:
「おまえは約束を守れない、出来の悪い子だ。」

あるブログで、このように書いてありました。実は、これも権威からのメッセージで「愛メッセージではない」という話なのです。

「お父さん」とか、自分のことを言う時点で、「お父さんという役割の存在が言っている…のであって、私ではないんだよ」という心理的働きがあるのです。ですから、約束を守らなかった行為をした子どもにとっては、上下のニュアンスが入って伝わります。だから、受け手には、拒否になるのです。という立場がトマス・ゴードンが書いている『親業』のIメッセージ。
同じく、Iメッセージを言いながらも、違う表現。

ですから、もし上記のことを伝えるとして、Iメッセージを使うとしたら…

アイメッセージの例:
「私は、おまえが約束を守らなかったから、とてもがっかりしたよ。」
ユーメッセージの例:
「おまえは約束を守れない、出来の悪い子だ。」

なのです。
読んだら違いは伝わると思います。
「私」になったとたん、「あなたがそう思っても別にいいよ…」というニュアンスが入ります。
これが、Iメッセージで一番大切なところなのです。

相手の人格や能力には言及せず、相手の行動にのみ言及することが大切である。上の例では「お前が約束を守らなかった」という行動に言及している。これをアクショントーク(行動についてのみ話すので)という。

日本では、この程度伝わっている方が多いのかもしれません。

Iメッセージとは、自分の気持ちを素直に「私」を主語に伝えることです。

その「私」を「お母さん」にしたり「お父さん」にしたり「先生」にしたり…して、いいのか?
実は、本人にとっては、違いがないように思っているかもしれません。だけど、奥の奥の…深層心理では違いがあるのです。

よく考えて、よく感じて、あなたは本当にそうおもっているの?

自分の言っていることを権威づけして伝えることで聞いてもらいやすくなります。だけど、主語を「私」にしたとたんに聞いてもらえる確率を下げる場合があります。特に、若くて…自分の言っていることに自信がない状態のときには有無を言わさず従わせたい…そういう思いが入るのですね。
そんな思いはない…というのなら、一度「私」でいつも言っていることを伝えてみてください。恐らく違和感を感じると思います。それは、「私はそう思っていない…」など、本音が出てきます。「先生は…」と話しているような内容、「お父さんは…」で話している内容、その立場だから言っていることなのですね。

「社長は…」と自分のことを言う人はいないと思うのです。書いていたのに消えました。でも、「校長先生は…」と自分のことを言われているのを見ることはあるなぁ…。書いていたのに…。

この一番の違いは、対象の違い。

大人に対して、自分の意見を一人称で言えないというのは、自信のなさの表れにもつながります。もしかしたら、役職にあるその立場だから言っている…そう思っている人は使うかも?ただ、無意識に大人は判別するのです。
「先生がそういうなら…」と、保護者の方たちも思います。でも、それは「先生」と言う権威があるから聞いている…けど、本当に正しいのか?
実は、上下のある言葉を使うと判断を鈍らせます。だから、本当ならおかしいことも通用させてしまう…。

パワハラまがいも横行します。
生徒に対して「先生の肩をもめ」と肩をもませている先生。
完全に生徒に対して圧力をかけています。やってくれている…ではないのです。生徒の心理状態には、生徒という立場で判断を迫られていてやりたくなくても先生が言っているからしなくてはいけないという判断が多少なりとも入ります。

「お母さんはこうして欲しいのよ…」
と伝えている内容を一度、「私はこうして欲しいのよ…」と言ってみてください。
違和感を感じるかもしれません。
その違和感が、自分ではどうでもいい…だったり、自分が伝えるとうまく伝わらなさそう…なんて思いが湧くと思います。その湧いた思いをうち消すために「お母さんはね…」「お父さんはね…」「先生は…」という言葉を使って、子ども達に話をする。

日本語に訳して入ってくるときに、「私は…」と「お母さんは…」に違いはないはずと、訳する人が違和感を感じて、混同したのだと思います。
日本発のものではない限り、訳を間違えると…というか、ニュアンスを間違えると違うものになる。

権威からの発言のつもりはない。
だけど、聞く側には効果絶大。

もう一つ、これは教育心理学の本などによく書いてあったりすることですが、小学生や小さい子対象の本の方がちゃんと書いてあること多いかもしれませんが…と断って書きます。
児童生徒を呼ぶときに名字を呼ぶことの重要性を言われている本は多いです。
学校という公的場での呼び方として、名字に敬称をつけて呼ぶ。これによって、ここはパブリックな場であるということを認識させることができます。
仲良く親しく…そう思わせて伝えようとする行為として、名字ではなくその子の名前を呼ぶ。これは子ども達に対して安心感を伝える効果はあります。それは、子ども達に対して下の名前で呼ばれることは家でのこと。つまり、私的なことなのです。ですから、お母さんやお父さんなど親しい関係性での呼称を用いて接されることによって、心理的に緩む効果を無意識に用いる大人がいます。しかし、これは同時に、お母さんやお父さんと自分との関係性も無意識に用いられます。私的なところでの親子関係の延長線上…子どもたちは幼少期の子どもの自分を引きずった判断をしてもよいとして、自分のプライベートでの顔でパブリックなところで過ごすようになっていきます。そして、判断もプライベートの顔でするようになっていくのです。そして、下の名前で呼んでいる人との関係に対しても親と同様に上下関係を無意識に入れられることがあります。呼び捨てなど、親しそうですが上下関係を入れ込んだそして公的な訴えかけ方ではなく、私的な訴えかけ方になり、相手にとっては幼い自分でありプライベートの自分の顔で判断を強いられて学校というところでの自分の顔を育てることがうまくいかなく、学年が上がるに従って大人としての判断ではなく、プライベートでの判断する自分を出していきます。公的な顔を逸させるには一番簡単な方法。ですから、名字で呼び、公的なところであることを意識させる効果を理解している学校では、生徒を下の名前で呼ぶことを禁止します。ですが、先生たちは、親しみをこめて呼んでいるのに…と思っている人もいるかもしれません。しかし、そういう人に限って下の名前で呼ぶことによって相手に子ども意識で自分の言うことを効かせるように操作している…無意識かもしれませんが…。
潜在意識で行っている行為を見て、その人の深層心理を理解し、その人の行っていることが何を表しているか…それを理解することができるのですね。

主語を「私」にして話してみると、相手は聞いてくれないのではないか?という不安。
しかし、その圧して聞かせていることによって失っているものは…どうしようもなく救われたかった自分の気持ちを認める機会。

「お父さんは、おまえが約束を守らなかったから、とてもがっかりしたよ。」

これは、ちゃんと認めているように伝わるかもしれません。
だけど、私に直してみて考えてみてください。
本当にあなたの子どもさんが約束を守らなかったから、あなたはがっかりしたのですか?約束をあなたなら守ると信じていた自分が裏切られてしまったことに、あなたは怒りを感じたのではないのでしょうか?あなたが信じていたかもしれませんが、それであなたのお子さんはその約束をしなければいけない義務は法的にもないことかもしれません。その約束を守ることは、その子どもにとって意味がないと判断されたことに傷ついているあなたがいるのではありませんか?
本当は、あなたは自分が伝えたことに対して意味がないと判断されたということに怒りを感じて、がっかりしているのではありませんか?
よく状況を聞いたりしたら、その子は守ろうと努力していたかもしれません。本当に忘れていたかもしれません。だけど、この伝え方ではIメッセージにはなっていないのです。
正確に子どもに伝わるように話すとしたら、「私はあなたは約束を守ると信じていたことを裏切られて、がっかりしている。」です。
がっかりしているのは、約束を守る子だと信じている自分があったことを伝えて、あなたの愛の所在を見せることが大事なのです。

そして、子どもに選択権をゆだねるのです。愛されていないわけではなく、愛されている自分を権威の言葉達から自分を解放することで伝える。
主語を「I」にして、伝えようという話は2つの意味があるのです。1つは、自分の感情をしっかり把握して相手に伝えましょう。そして、もう1つは、相手に愛ある伝えかたをしましょう。

お母さん、お父さんは、主語を私にしたら愛が消えますか?
もしかしたら、私にすることで、自分を解放できるかもしれません。
「お母さん」という名称を使うことで、自分に対して「こうしなくてはいけない」という子どもに対してさせたい思いで判断していることがありませんか?
それができなかったら、あなたのお子さんには価値がありませんか?

権威をつけて伝えることは簡単です。
だけど、怖いのは、そのような権威がないところで、意味をなさないで判断基準がうまく形成されないことがあるのです。ドンドン…大きくなっていった時、いつもお母さんはこういっていたけど、実際にお母さんだって言っていることと違うことをしているじゃないか…なんて、矛盾やおかしさを感じた時など、子どもたちは全面的に相手の言っていることを否定したり、疑います。

それをそのまま大人になって引きずり…、仕事の上でも、上司が言っていることを聞き流す…。そう言っているけどそんなことは無理だと、聞いたふりで何も改善されないということが起きたりします。日本はこれを増やし過ぎている面があると思うのです。

それはきつい…とか、いやだ…とか。
本筋を否定して代わりに…とやっていることで代用してごまかそうとしている。
そのことで、本当に伝えたいことが伝わらずに曲がって伝わってしまう…。

よくよくあることなのです。

教育関係の本をちゃんと読んでいる人は児童・生徒を下の名前で呼ぶことの効果を知っています。いい面も悪い面も両方。だから、パブリックな立場で接している顔を育てたい…本来学校の目的ですから、子どもに対して公的な顔を求める為に名字で呼ぶことをします。実際に、子どもの精神年齢が上がっていると、下の名前で呼ばれることに対して嫌悪感や違和感などを感じさせます。ここはプライベートではないし、先生からプライベートネームで呼ばれたくない!とね。ちゃんと顔を使い分けることが身についているのです。
しかし、まだ精神的成長が伴っていない人に対して、下の名前で呼ぶと親しみを込められたような感覚を沸かせてつながりがもてたような錯覚を持つことができます。しかし、同時に相手は自分のプライベートでの顔を全面的に出してくるので組織として崩壊…。学校やクラスが荒れたりすることが酷いときにはあります。しかし、そんなちょこっとが関係している…なんて、勉強していない人にはわからないのですね。

ちゃんと原因があるから結果がある。

播いている種が何なのか?しっかり把握しているといいのにねぇ…。

相手の世界観を理解することも大切です。だけど、自分の行為の相手への影響を知ることも大事ですね。

無意識に上下を利用して圧して伝えよう…とする人は、相手のプライベートネームで公的なものを処理して、なぁなぁにして…自分の過ちなどを赦してもらおうってします。また、相手にもなぁなぁにしてあげて…経済成長がない会社のやり方ですね。

単なる言葉ですが、そうやって影響をどのように与えるかなど全て意図して使う。意識して用いる。大事なのですね。
それをうまくできないと、社会は発展が難しくなります。
だって、発展という基準は人それぞれ。その基準をそろえて見させようとすることをうまくコントロールしなかったら、支離滅裂…ではなく、多様性を認める社会。ありとあらゆることがOKになるのです。

経済発展を基準にしたい人にとっては、経済は発展していないと思うかもしれません。ただし、他の面は発展しているかもよ~ってね。

 

このブログなら、何文字でも大丈夫かなぁ…?

他のブログは1万字制限があり。

キャスターが見たベトナム by宮川俊二さん

これは、昨日のシンポジウムで伺ったお話。

キャスターが見たベトナム」というタイトルでお話がありました。

きっと、どこかで内容は披露されるのだろうって思います。

私は自分が気になったことだけ調べながら…って書きます。

1989年にベトナムに古い日本のミシンを贈ろう

という活動があったそうで…私は知りませんでしたが、母は何かで知っていたようです。

1988年12月3日  朝日新聞(夕刊)女性の連帯『ミシンを』中古品も不足のベトナムへ ~かつての愛機差し出す人続々~

1989年3月3日  朝日新聞(夕刊)愛のミシン、深まる交流 ~全国に広がったベトナム支援運動~市民レベル、実り多く

1989年5月号  タイムズ ベトナムにミシンを送ろう ~市民による平和のかけ橋~に下記のものが載っていました。

文章は、そちらのサイトで読んだ方がちゃんと読めます。

1989年3月1日 読売新聞 ベトナム・名古屋 「ミシン」持参の主婦外交 戦争未亡人や孤児のため

グエン トリ ユン(NGUYEN TRI DUNG)さんと高橋ますみさん。

 

ブンタウで、ミシンが5台あったら活動ができるというベトナムの女性たちの声を受けて、高橋ますみさんが古いミシンを集めている話を、宮川さんは名古屋で勤務していた時に知り、ご自身がされていたラジオ番組で呼びかける機会をつくったのだそうです。

そんな始まりからご縁を持って、ベトナムに届ける取材も、カメラマンと二人で行ったのだそうです。

1975年 ベトナム戦争終結。

1978年末にはじまるカンボジアへの侵攻によって国際的に孤立していたそうです。国際社会からの強力な外交圧力と経済圧力の下、ベトナム政府は一連の経済改革と外交政策の改革を行い、1989年9月にカンボジアから撤退することになったという時代背景もあるようですね。

 

ベトナム戦争と、カンボジアへの侵攻…いずれも、どんなことがそのような事態を招くに至らせたのかという本当のところを私は知りません。

ただ、その当時、日本でベトナムで取材できていたのは共産党系の1社のみだったんだそうです。そこに、市民ボランティアのことによる取材ということで、取材ができたのだそうです。

手で縫うしかできなかったところに、ミシンが使えるようになり、さまざまな製品ができるようになった。さらに得たお金で、工業用ミシンを購入したりして、電気ミシンも活用できるようになった人達は、進出してきた工場で働けるようになっていた。

ミシンがそんなに影響力があるとは…って、驚かされるお話でした。

 

足踏みミシンを修理できる人達がまだいたこと、バブル時で日本では古くなったミシンを捨てたい人達がいたことなど、日本の事情もベトナムの事情ともちょうどWINWINだったんだ…と伺いながら思いました。

 

いろんなものの見方ができるとは思いますが、一つのお話をうかがえてよかったです。

 

花嫁道具にミシンを持たせ…って時代背景。そのミシンをフル活用して子ども達の服などをつくって…バブル時代には捨てるように言われて…聞いていて母のことを思うのでした。それでも、捨てなかった母。思い入れの強いミシンを壊したのは私でした。

父方の祖母は、戦後なのかなぁ…?洋裁を教えていたとか。

母方の祖母も、母や叔父の制服なども縫っていたと聞いています。

昔の人達って何でも作っていたんだ…と感心するのですが、ベトナムの話を伺いながら日本もそうだったのかもなぁ…なんて、明治時代の話などを思ったのでした。

 

私の縫い始めは、フェルトでマスコットを縫うとかで小学1年生の頃かなぁ…縫うとか編むとかなんか身近にしているのを見ていたのです。ミシンが使えるようになって喜んでいたら、雑巾縫って学校に持って行く…というのも私の仕事になっちゃいました…とか思いだされます。

 

でも、高校の時の家庭科で、自分で課題のスカートを縫っていない人の多さとか、卒業して知りましたねぇ…。

教え初めの時に、持ち帰らせないとか、持ち帰って家族が縫う…驚いていたけど、気付いていないだけの私はもうすでに同級生達がそんな感じだったのですねぇ~。

 

今は、雑巾も買う時代だろうなぁ…。

そう思ってみると、縫えないのが当たり前?

ボタンつけもお金を払う時代ですよねぇ…。10年位前にお聞きしたお話。その方の奥様は洋裁を学ばれていたそうで、背広などちょっとした傷みも全て表面に目立たないように繕い使っていけて有難いという話をされていました。そんな話をお聞きしながら、そんなプロフェッショナルにつくろえるのはすごいなぁ~って自分ができるとは思えないので伺っていました。

だけど、4,5年前に高校生にアンケート。ボタンが外れたら…って、捨てるという声がいっぱい…そう、基準は私の感覚ですが、私にとってはいっぱい…と思えるデータでした。このデータはオープンにしていいのかなぁ…?数値くらいはいいのかなぁ…?でも、そのアンケート結果に一緒に驚いた当時の高校生達も多かった。

今、どうでしょう…?

 

有名私立のお受験では、手作りバッグが必需品なのだとか。

そうやって、手作りバッグが高値で売れているそうです。すごいですよねぇ~。でも、手作りってそうですよねぇ~。

 

そういえば、全く関係ない話かも…中国での縫製が値上がりしていく…という話、ベトナムへ…カンボジアへ…なんていう日本で市販される衣類の縫製がどこで行われているか?多様化していると思うこともこんな話と関連?

そして、お手製絨毯が値上がりしていってる…って、確かペルシャ絨毯の値段が上がっているそうですね。IT化など進んでいくと、そんな重労働は嫌がられるようになると伺いました。

 

ドンドン手作りの希少価値は上がっていく?

 

それでも手作りで作っていただける有難さを知っている人たちが、お金を払って作ってもらう…希少な世界に…というヨーロッパものブランドたちも同じでしょうね…。

 

 

 

 

Ipa-nima

最初、「Jipa-nima」と検索。出てこないで、「Ipa-nima」では?なんて出てきました。

だから、そうかも~なんて、開いたら…ホント。Ipa-nimaでした。

 

感動薄い私だったなぁ…ともらった時に全く知らなかった私。ごめんなさい…。

見ても、どこのブランドなんてわからないし…。

よくできているなぁ…くらいでした。

これを見て、どこか…と、わかるほどバッグなんて知りません…。

ただ、ベトナムで作られたもの…というのだけわかって、ほんとうによくできているなぁ~とは思ったのでした。

でも、調べてみてビックリ。かなり有名?

知らないというのは恐ろしいものですねぇ…。

Hanoi hand made

こんな表示も可愛らしいなぁ~とは思って見てはいましたが…。

友達が友達の作ったものって言っていた…くらいにしか、ごめんなさい。聞いて理解できていませんでした。

Ipa-Nima

ベトナムハノイの有名ブランドって、紹介してあるサイトがあった…。

オーナーデザイナーであるChristina Yuさんのデザインは素晴らしく、ファッション雑誌『VOGUE』や他、有名雑誌などに多数紹介されている程、世界的にも注目されています

だそうです。

 

Prominent fans of Ipa-Nima include US Senator and Presidential candidate Hilary Rodham Clinton, Prince Andrew of the UK, HRH Crown Princess Victoria of Sweden, Jamie Lee Curtis, Toni Braxton, Yasmin Le Bon, Rebecca Gayheart, Sherilyn Fenn, Sarah Michelle Gellar, Cate Blanchett, Jill Hennessy, Renee Flemming, Denish Rich, Kelly Osbourne, Bai Ling, Michelle Yeoh, Maggie Cheung and Faye Wong.

面白いですねぇ…。こうやって誰がファンかを書いている…。

ちょっと文章は古いかも…?

 

日本の小田急に入っているのですね…。

 

私が感動したのは、実は内側。

多分シルク…。

ブランドマークが織り込まれた裏地。

すごいなぁ…ってこの凝りよう。

 

正直、無知な私でもよくできているなぁ…くらいはわかりましたが、世界的に有名だとは…。

知りませんでした。

知るきっかけをいただいた…ということで感謝。

 

ほんもん

ふつう気にしないようなことを、気にするらしい。

 

確かに…商品など、暇なときはいろんなことをお聞きできるのは好きですね。商品だけでなく、博物館や美術館…いろんなことを面白く聞いていられるのはおかしい?

 

バッグ一つでも、聞いていることを覚えていく…って、何でもですが、話を聞いているときに役立つかも?とふと思うのでした。

その、ふと「役立つかも…」と思うのが普通ではないらしい。

なんで、「役立つかも…」と思うか?何が役立つかわからないという思いと、自分では調べてもわからなかったり知りえることができないこと…それって、その道の専門の人が言っていることを参考に調べる。調べなおし…と言ったら失礼かもしれないけど、聞いた話だけではかじっただけ。だから、へぇ~と疑問が出てきたりするのです。なんで?とか、どうして?などなど。それを頭に残っていたりするのかなぁ…?何かの拍子につながっていくのです。今は、つながっていくほうが増えていってますが、最初はとにかく、「何か役立つかも…?」と知りえたことを記憶にとどめていきました。

 

それも、消費生活とか教えるためには気にしていたりすることの一つかな?生活に関することは、どんなことでも役立つかも?そんな風に思える仕事だなぁ…。だから、こんなん役立つのかなぁ…?と思いながら知ったことはたくさんありますね。

 

バッグの革の種類を知っても、イマイチ役立つか?と聞かれたら、今もわかりません。でもね、なんとなく…気になったらやってみる。

 

素敵なバッグを購入していただいたご縁。その素敵なバッグ使い続けて15年以上たった…と、そのバッグを手に入れたとき、必死に「いい革だ」と勧められていた記憶はあるけど、あんまり気にしてなかった…というのは、革一ついろいろあるって知っていても、その使い続ける使い心地に差が出てくるなんて思っていませんでした。

だけど、違うんだなぁ…。なんて思ったら、もっと知りたいなぁ…とか、何が違うんだろう?と疑問を持つのは使ったから。使わないと違いに気づかないってこともあるし…。試してみるのは大切っていろいろ何が違うのかなぁ…?試せるものは試してみたり、話を聞いてみたり、調べてみたり…。

そんなことをしていて、そういわれると…気がついたときにはマニアック…。正直、学校の授業では役立たない知識のほうが増えているかも…。

 

で、忘れないように…。と、記録を書き始めた…ってブログに書いていて思ったことは、ノートに書くよりさらに探しやすくなるってこと。

 

「ほんもん」については、これまた知らなくて良いんじゃない?なんて思ったけど、福岡発の日本で有名なバッグ会社とのことなので、調べてみよう…と思ったのでした。

HONMONと、アルファベットでないと見つからなかった…。

なんか、アルファベットにするとかっこいいですねぇ…。

間違っていることに気づきました。

HOMMON

が正しい。そして、初めてサイトを見たけど、なんか凄そう…。

 

本物を「ほんもん」という。方言ですが、アルファベットにして見たことがなかった…。

 

トップ貿易という会社を知らなかったのですが、よくデパートでも見かける札だなぁ…と思って見ていた会社名かも?

 

でも、この「HOMMON」というブランド名は全く知りませんでした。また、この全く私は知らないブランドですが、バッグ界では有名?

 

第1回 高級アイテムEXPO というサイトに載ってました。へぇ~。

 

言われていたことを覚えていない…な。ということで、なにかの雑誌?とかで紹介されている…とか。何のことかわからなかったけど、手作りバッグで有名なのかなぁ~?

 

 

よくわかりませんが、福岡の企業とは知らなかった…。

 

 

いけばな

お花を生ける。

活けることができればいいかなぁ…くらいに私自身お花を習っていた…のですが、ふと、いろいろ何かないかなぁ…。

生け花について調べたいけど、本は買いたくない…。と、図書館へ行ってみました。

そこで、見つけた本。

この本を選んだのは、「○○流」など関係ないところで知りたいなぁ…。この人は何をしている人?著者略歴に書かれているのは、アジアセンター客員研究員だそうです。

 

「いけばな」の思想の根拠や歴史についての探求。なんとも、きれいにお花が生けられている…とめでる心とは違う発想の本。お茶の世界もそうですが、ある意味、流派とか関係ない話を知りたかったのでした。

 

序ですでに書かれていることで、面白い~と興味を持つ話。

 

たとえば、「立花」の作法が、実は奈良の石上神宮に伝わる七支刀の伝承とその形に由来するのではないかという仮説のお話。

「立花」とは七枝の形を示す。

石上新宮とは、布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)をご神体として祀る神社だそうです。

大和における最高の神社といってよく、そこにはいまふれたばかりの「七支刀」をはじめとして数々の武器にまつわる伝承が多いことで知られています。その石上神宮の七支刀と「いけばな」の起源を結びつけようというのですから、その着想には本当に驚かされました。

と書いてあるのです。そうです。序は、著者ではなく、山折哲雄氏が書いたもの。

山折哲雄氏とは?正直、有名な方でしょうけど、知りませんでした。ウィキペディアに載っていた人で確かなら…。

山折 哲雄 (やまおり てつお、1931年5月11日- )は日本の宗教学者、評論家。専攻は宗教史・日本思想史。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、 平城遷都1300年記念事業評議員。角川財団学芸賞、和辻哲郎文化賞、山本七平賞選考委員。

だそうです。

そして、石上神宮とは?

石上神宮は、いそのかみじんぐうと読むそうです。そこから…。

石上神宮は、第10代崇神天皇の御世に創祀された古社で、主祭神として、次の三柱の神様をお祀りしているんだそうです。

布都御魂大神ふつのみたまのおおかみ

布留御魂大神ふるのみたまのおおかみ

布都斯魂大神ふつしみたまのおおかみ

 

私はお茶については詳しく知りたいなぁ…と知る機会を持つようにしていって…としていましたが、お花について調べても興味深い話題があるものですね。

本当かどうかはわかりません。でも、そんな風に考えて見てみる…というのも面白いなぁ…。

もともと、神仏にお供えするお花から発展したもの。それは普通に調べても出てくるお話。

ただ、この本には序章の前にこんなことが書いてあるのです。

仏教説話の中に、インドで山火事や嵐の後、僧侶がわずかに残った小枝を拾っては埋め、再生させたという言い伝えがある。ではなぜ、神仏の供花として始まったとされる「いけばな」が、自然にある草木を切るのだろうか。

そうだなぁ…なるほどね。確かに。草木を切ることも、なんでわざわざ立派な木を切るのだろう?は確かに…。

 

さて、この本に書いてあることが全てが正しいのか?それは知りません。だけど、面白いなぁ~を記録。

 

まず、石上神宮の「七支刀」のこと。

この方は、『道教と古代日本』という福永光司著の本に出会って、その中に、国宝「七支刀」の写真が載っていたそうです。そして、この著者はその写真を見て、「立花(たてはな)の原型ではないか」と直感したそうです。

「七支刀」の形と、いけばなの原型である「立花」の型が、どちらも七枝の型をしていて、判で押したように似ている。

と書いてありました。今の私ではこれは本当か?わかりません。ただ、このことで仮説を立てていらっしゃるのでした。

 

書くには時間かかりますね…。

いっぱい書いてあるけど、実に…本当かを確かめることができてません。

メモにはなるけど…。

 

もともと、お茶もお花も…男の人がやっていたんだよねぇ…。

いつから?それもイマイチ覚えていないけど、女の人がするようになった…。

表千家では、お茶を女性が行う…、老人のお手前を変えて女性手前を作ったと聞きましたね。

とりあえず、花嫁修業で御茶御花…という頭でいた?いる?男性女性。めでたいなぁ…と思っていたのでした。

だって、それって、そんな始まりを知らなくて言っている…ときは、何のために?なんて疑問を持たないでしょうね…。

私は、正直、なんで男性がしていたことを花嫁修業とか言ってるのだろう?と疑問でした。

 

ただ、御花についてはわかりません。床の間に花を活けるため?

きっとそのためかもねぇ…。

だけど、元を知ると、考えるのはなぜ女性にさせるか?というのと、なぜ男性ができないでいいようになったか?

 

正直、お茶の世界では男性も(お花の世界もですが)やっている人はいる。

特に、ホント…?ってビックリするのは、企業の上の方たちの名前も並んでいたりして、お茶しているんだ…と驚きます。失礼かもしれませんが、名誉職かもしれないけど支部長とかに名前が並んでいらっしゃいます。

私が知らないだけ…でしょうけどね。

 

昔の家来?ん…とにかく、お客を招く男性のお手伝いに女性が昔は入っていたのかなぁ…?

いなかっただろうけど、手伝う人を雇えなくなったら…妻に頼むしかないよね。

だったら…と想像するのでした。

 

よくは知らないけど、昔は…お茶をわかっていない男性は出世しなかった。

今は…?

何を知っていたら良いのかなぁ…?

 

日本人なのにねぇ…剣道柔道は学校で義務がかかっていて知っている…と、華道茶道は後は本人のたしなみ。

海外でもやっている人はいる…。

 

剣道も柔道も…でも、武道ばっか…。書道も義務かな?

 

まぁ…もてなしの心は、日本の教育が…家庭教育力が低下している…なんていわれていても、ちゃんと存続・継続している…から、企業の皆様は採用楽ですよね。

お茶はペットボトルの進化。お花はフラワーアレンジメント。

 

多分ね、御茶や御花の世界から遠のいて理解できない男性だけでないけど、女性も増えているから、お茶をたしなむ原点、お花をたしなむ原点知らないで否定。

 

大人が日本文化をどれだけ知っているか…?

実は子どもたちより問われているのは、大人でしょう…なんて思います。