2013あけましておめでとうございます

ようやく、昨年いただいたコメントを読み終わりました。そこで、コメントを下さったみなさまへ。まずは、ありがとうございました。感謝申し上げます。本年分だ!とようやく今年いただいたコメントを拝見したので、書き始めします。

 

今年は、いつものように…よりがんばったのは、初日の出を見に行きました。


初日の出を見に行くのは久しぶりでした。

日本では一年に一度の最初の夜明けとしてめでたいとされ、初日の出参りを行う人は数多くいる。この習慣は明治以降に盛んになったと言われている。

これは、ウィキペディアにある一文です。

 

とりあえず…、本のタイトルは思い出せないけど、明治に入り政府主導でとにかく神社と寺と分けて、天皇を神として崇めることで国をまとめようとしたところに、ご来光って初日の出を見に行く習慣を奨励したようなことが書いてありました。

 

たぶん、山頂に上がったりして見たら日の出の時刻として発表されている時間に日の出を見ることができるのかもしれません。しかし、私が見た初日の出はそれから約10分過ぎてから。

 

「正月」という言葉は、中国から伝わった言葉。中国、周の時代に11月を正月と言っていたのだそうです。そして、王朝が交代すると暦も一変。時代が下って1月を正月というようになったのだとか。

調べてみないといけないと思っているのは、旧暦では必ず冬至を11月におくようにしていた理由。

冬至は日照時間が一番短い日。その翌日から日照時間が長くなりますので、万物を育む太陽が再生する日として、多くの文明で一年の終点(起点)として使用されています。それなのに、旧暦の一年の長さを単純に365.25日とするユリウス暦精度の暦と、歳差運動を考慮に入れた太陽太陰暦では、400年で約10日のズレが生じます。

ある年にユリウス暦精度の暦と太陰太陽暦が日付合わせをしたとします。常識的に考えて、ユリウス暦が冬至を大晦日とすることになるでしょう。1200年後にはユリウス暦の冬至は11月になります。太陽太陰暦は、太陽に合わせて月を決めるので、冬至がある月が12月でかわりありません。この冬至が11月になってしまったユリウス暦精度の暦が、ある年から精確な太陰太陽暦に移行すると、11月に冬至が来る太陰太陽暦ができあがります。東洋の暦、すなわち古代中国の暦が冬至を11月に置いていることは、千年以上の歴史があったユリウス暦精度の暦が、あるときから太陰太陽暦へ移行したことを物語っています。

  ここで気になるのは前漢の武帝が10月を翌年の1月にする改暦を行っていることです。前漢は秦暦を使っていました。秦暦は中原の暦と2ヶ月のズレがあり、秦暦の10月が中原の1月でした。前漢は武帝の時代に、秦暦を中原の暦に合わせたのです。中原の暦が太陰暦だったことは明らかなので、後ズレしていた秦暦がグレゴリウス暦精度太陽暦だった可能性が高いです。

 順番に言うと、おそらく商(殷)はどこかで千年以上の伝統がある太陰太陽暦を手に入れました。その時点で既に太陽暦と太陰暦の間には1ヶ月のズレがあり、商は11月を冬至とする太陰太陽暦を使うことになりました。西周と中原諸国はこれを継承しました。これに対し、西周を滅ぼした秦は、太陽の観測によって日付を補正しない固定太陽暦を使用しました。それは秦が文明的に後れていたためか、あるいは中原とは違う思想を持っていたためかどちらであるかは不明です。

と、書いてあるサイトから。

冬至を11月に置くように旧暦はできている。そんなルールと月の満ち欠け周期と太陽の周期。

新月から新月までの月の満ち欠けひとめぐりのサイクルは29.5日(正確には29.530589日)

冬至から冬至までのサイクルは365日(正確には365.24219日)

 

実はこの両者が重なることは非常に少なく、19年に一度。それが、今年起こる。これも貴重な年かも。

そんな日を「朔旦冬至」といい、今年はその年。めったに訪れることのない大変おめでたい日とされていたといいます。

冬至はかつて1年のはじまり。その後の紆余曲折をへて、いまでは旧暦の11月だけど…「朔旦冬至」は旧暦11月1日と冬至が重なる日って思うとびっくりでした。

 

天保暦では,冬至を含む月は11月,春分を含む月は2月,夏至を含む月は5月,秋分を含む月は8月となるように調整するというルールが加えられた

と、こちらは『新法暦書続録 巻四』にあるそうです。

 

旧暦2033年問題

なるものがあるそうで…こんなことを知るきっかけになりました。

 

 

正月の日本古来の呼び名は「ムツキ」。『日本書紀』にすでに一月は睦月と表記されているそうです。

「睦月」は「睦み月」仲良くする月の意。

「正月をむつきと申侍るは、しる人なrは、たかひに行かよひて、いよいよしたしみむつぶるわざを、しけるによりて、此月をむつびづきと名づけ、それを略してむつきと云也」と古書にあるそうです。

 

正月は、本来は歳神様を祭り、新たな年の豊作を祈るものだったところに、楽しみを求める人々の心が加わって現在の正月行事に発展したそうです。

 

小笠原惣領家の伝書に「正月朔日一日を元三ということは、年の初め、月の初め、日の初め、かくのごとき儀を持って三つの元というなり」とあるそうです。そこから、三が日と称したそうです。そして、正月の期間は「五カ日ということは、一日、二日、三日、七日、十五日なり」とあるそうです。

 

七日は、人日の節供あるいは七草の節供といって、一年の節供の始まりの日。男正月ともいう。

十五日は、小正月といい。また、地方名?女正月という。

 

 

古くは1月15日(小正月)までが松の内といい、この日まで門松を飾っていた。結構、成人式がずれるまではそうだった気がします。門松飾る期間を、江戸時代に徳川幕府の命により1月7日の大正月までとしたそうですが、関東地方以外には広まらなかった過去があるようですが…今は7日までみたいな雰囲気は広がっている気もしますね。

1月15日の朝には小豆粥を食べる習慣があったと過去では普通だったようです。古くは『土佐日記』や『枕草子』などにも、小正月に小豆粥を食べたことが記されているそうです。平安時代、宇多天皇のころから始められたそうです。「この粥は小豆粥といって、小豆、ささげ、きび、あわ、みのごめ、とろろいも、米を混ぜて粥とする」と7種のものを混ぜていたそうです。現在では、小豆と米と餅をいれたもの。ただ、現在でも東北地方の農村などに、左義長の前に小豆粥を食べる習慣が残っている地域があると東北だけのように書かれている文章を発見しました。ただ、「だんだら粥」ってものを食べていることを働き始めてすぐくらいに教えてもらったことがこのことにつながったときは感動しました。食べている子は意味わからないで食べているけど、この昔普通にあったらしい習慣って、方言と同じで伝わっていって残っているのですね。ちなみに、これらの地域では、元日から小正月の期間中に小豆(あるいは、獣肉を含む赤い色をした食品全般)を食することが禁忌とされている場合が多いのだそうです。こちらは本当なのかな?小豆粥を食べる習慣はなかった私ですが、確かに鏡開きをしてぜんざいは食べさせられていたのは覚えてます。

本を開くと載っている情報でも、サイトでは見つけることができませんでした。

 

歳神様は日の出とともにやってくると、明治時代山へ登り迎えに行くって広まったとのこと。

 

先日、鏡餅の説明をしていたら、「あのプラスチックの中に餅が入っているやつでしょ」という反応を受けて、「餅を丸めて重ねる」と話したら、「それは食べられないでしょ」ともったいないと言われてしまった。鏡開きというのがあって…と説明しても伝わらず…

 

 

ブロークンウィンドウ理論

このことを検索していたら、過去書いたブログの記事が上位に引っかかってきた。

はぁ…クローズしていると、検索が大変…と思わされた。

ブロークンウィンドウ理論 PWはJRの駅名。

 

一見なんでもないものでも、その放置が重大犯罪へ繋がりうる

これが、この理論のポイントだろうと思うのです。ただ、逆説的ですが、一見そこまで徹底しなくてもよいと思われることを徹底することでよくなることとも取れるはず…と思って、そのような視点から見たときは別の理論名があるのかと調べているところです。

 

調べている中で見つけたものはとりあえず、一緒に併記ということで書き上げます。

 

 

マザーグースのこの歌?もブロークンウィンドウ理論?

釘がないので 蹄鉄が打てない

蹄鉄が打てないので 馬が走れない

馬が走れないので 騎士が乗れない

騎士が乗れないので 戦いができない

戦いができないので 国が滅びた

すべては蹄鉄の 釘がなかったせい

For want of a nail ? Mother Goose Nursery Rhymes

For want of a nail the shoe was lost.
For want of a shoe the horse was lost.
For want of a horse the rider was lost.
For want of a rider the battle was lost.
For want of a battle the kingdom was lost.
And all for the want of a horseshoe nail.

 

 心理学系メディア「Psychology Today」の記事で、幸福に関しての権威、「The Happiness Project」のGretchen Rubin氏が、悪習はその習慣と直接関係のないことにでさえ影響をあたえるといっています。

この理論を検索していて、見つけた文章。

 

割れ窓理論

治安が悪化するまでには次のような経過をたどる。

  1. 建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰も当該地域に対し関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す。
  2. ゴミのポイ捨てなどの軽犯罪が起きるようになる。
  3. 住民のモラルが低下して、地域の振興、安全確保に協力しなくなる。それがさらに環境を悪化させる。
  4. 凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる。

したがって、治安を回復させるには、

  • 一見無害であったり、軽微な秩序違反行為でも取り締まる(ごみはきちんと分類して捨てるなど)。
  • 警察職員による徒歩パトロールや交通違反の取り締まりを強化する。
  • 地域社会は警察職員に協力し、秩序の維持に努力する。

などを行えばよい。

 

これは、ウィキペディアから。

心理学者フィリップ・ジンバルドは1969年、人が匿名状態にある時の行動特性を実験により検証した。その結論は、

「人は匿名性が保証されている・責任が分散されているといった状態におかれると、自己規制意識が低下し、『没個性化』が生じる。その結果、情緒的・衝動的・非合理的行動が現われ、また周囲の人の行動に感染しやすくなる。」

この部分に注目されての、ブロークンウィンドウ理論への進展なんだろうなぁ…と思うのですが、状況を回復させるための話ってどうよ…と思わされますね。

 

恐らく、すでに、没個性化が起きた状態。匿名性が保障され、責任が分散されている状態。

そうなっていたところを、どうにかしたい…って「ブロークンウインドウ理論」に繋がっていっていると思うのです。

 

汚さが目立つ…

今まではなかった…

誰かがしてくれるだろう…と自分では何もしてこなかった人の気づきの言葉。

昨年度まできれいで、今年汚い。

イコールどういうことか?

2つあり。1つは、昨年度まで匿名性が保障され、責任が分散されていて、「自分は関係ない」と思っていた人がいてもせっせと綺麗にするために努めていた人がいたのがいなくなったということ。もう1つは、意識低下。

 

大々的なパトロールで犯罪発生率を低下はさせていない。しかし、住民の体感治安を向上はさせている。

これが、ブロークンウィンドウ理論へ繋がっていく1つの大規模実験による成果。

 

要するに、見回りって回ることの役割は、その場にいる人の心理的効果。

割れている窓ガラスを無くす方がよっぽど犯罪を無くすって話。

 

埃たっぷりの状況で、綺麗にしているつもりになっている。

実は一番の問題点は、この「つもり」だと思う。

では、なぜ「つもり」になれるか。

 

要するに、感知能力が低いということ。

本当にきれいではないけれど、まぁ…よしとOKを出してきたことに対して、すでに目をつぶる意識体制があるってこと。

気にしないことにしている。もしくは、気にしないってこと。

 

トイレ掃除に取り組んで会社が変わったと、「掃除道」を書かれている鍵山秀三郎さんをはじめ、本当に改革できる人たちがやることは、一つだと思うのですが…それをキーワードとして表す言葉が見つからない。そこで検索していたのが「割れ窓理論」近いかなぁ…?

 

経営についての話を書いた文章には、次のようにあった。

「経営の問題はまず小さなところから現れます。その変化を見逃さないこと、そして、早く手を打つことが大切です。また、徹底した小さなこだわりを続けることで、お客様に伝わり、その勝ちがドンドン大きくなり付加価値になり、企業経営に多大な影響を及ぼします。

小さなこだわりとは、毎日愚直に本気で仕事に取り組むことでしか生まれません。誰でもできる当たり前なことを、誰よりも真剣にやるしかないのです。毎日、細部にこだわり、それを実践し続けると、ある瞬間に爆発的に広まって生きます。

些細なことや目の前の子とに、必死になることで、将来に相当な影響を与える可能性があります。経営力は本質追及の継続力なりと言われています。」

 

ある高校の先生とお話をしていて、「本当に、先生のところの学校は生徒がよく掃除されていますよね」ってお話させていただいた。そうしたら、それも危機的な状態に陥ったことが今までに何度かあったんだという話を聞かせていただいた。驚いてしまった。実は、同じ言葉を他のその学校の先生にしても、「そうでしょ」って言葉が返ってくることはあっても、それ以上の気付きを持っている人に出会わなかった。それなのに、その状態が悪化劣化していく事態を察知して対応してきた話を伺えた。

兆候は人が普段行かないところに現れ始める。埃の山が見えてきたら、その都度、「危機だ」と感じて警告を発しているという先生に出会った。お話を伺いながら、自分がいるところは、危機を超えているなぁ…とだけ。

 

今ようやく何ヶ月か経ったんだけど、視界に入る埃が普通の埃になってきた。ようやく、厚く重なっている埃を目にする機会が減った…なんて思いながら、数箇所埃だらけの場所がある。それが目に付くようになってきた。すべてが汚いと違いが見えてこないけれど、差が出てくると違いも見えてくる。だけど、汚いところを清掃している人にはその差が気づけていないのだろうと思ったら、なぜ気づけないのか?って思った。

 

何周も周回しているはずの管理職たちがいるのに、変わらないということは、気づけない管理職ということ。そのセンサーの低さは会社だとイエローハットに学びにいく会社の管理職より劣る。気づけていないことに気づいていない。

 

要するに、問題意識が低いということ。問題解決するためのセンサーが劣っている?問題の関連性が意識化されていないということ。普段人が行かないところの埃がたまったから、荒れてき始めている…というセンサーが働く人と、別に人が行かないから問題ないという意識の人の違い。

 

要するに、2つの問題があると思われる。

1つは、気づく能力に欠けているということ。それを問題という認識がないということは、つまり、そのようなことが関係しているとは思っていない。些細なことをおろそかにして、後手に回っている組織の後手に回る理由の最たるところ。

もう1つが、フィリップ・ジンバルドさんが言っている「没個性化」のところなのでは?って思うのでした。要するに全体に対して匿名性が保障され、責任が分散されている。管理職ですら、自己責任の範疇に置いていないこと。だから、そんなことをおろそかにしても誰からもマイナス評価を受ける心配はないから、汚くしていても問題がない?常に、口うるさく言われないと動けない。これを常道化してきて、口うるさく言われなくなると行動できない人が増えている状態。気づかれないだろう…という甘え?

 

「問題意識を高めようとする要因」

1)チーム全体が目的意識がクリアでなく方向性がバラバラ

2)自分のなすべき役割がハッキリせず、自分のなすべきことが見えていない

3)どういう状態にすべきかが、目的と対比してもハッキリさせられない

4)問題は見えていても、どうしたらよいのかアイデアが行き詰ってしまう

5)日々ついつい問題を意識せず、後から気づくことが多い

 

どのレベルでのどの要因なのか、複合的なのかもしれないけれど、問題意識を高めるという話に、おもしろい文章を発見。ただ、その文章は意味が取りにくいなぁ…と思ったので、自分なりにまとめてみると…

 

問題意識があるから、問題が見えるのではないということ。

それは、問題意識があっても、問題が見えていないことがあるということ。つまり、「問題を意識する」ということができないと、問題が見えるようにならない。だから、問題意識を持たないもしくは問題解決につながらないということ。

 

あ~それは問題だよね…よくなるように…誰かがしてくれたら…の姿勢。どうしたらいいのか?わからない状態。つまり、解決させたことがないということ。どうしたらかいけつできるんだろうね…という言葉には、解決策を思いつけないということ。それが生じる理由は簡単。因果関係が理解できていないということ。些細なレベルが意識できない。大きな問題に繋がる兆候を気づけないということ。些細なことを見逃してきているから、問題として事象が起きるまで気づけない。

 

ハサップ的視点を…なんて話を聞いた後なので余計に思うけど、チェック能力が低いということ。

 

そこで、「問題を意識する」ことを高める4つの重要なことが

1)チームの仕事についての知識・経験を持っていること

2)目的が何であるかを知っていること(目的意識)

3)そのために自分が何をなすべきかを考えていること(役割意識)

4)それをしなくてはならないのは自分であると感じていること(当事者意識)

と紹介されていた。

 

認知心理学で「今はこういう状態である」という初期状態を、それとは異なった別の「~したい状態(目標状態)」に転換したいとき、その初期状態が「解決を要する状態」つまり「問題」と呼ぶそうで、初期状態を目標状態に意識させなければ問題がないとも読める。

目標がなければ、初期状態に問題は存在しないということ。

 

つまり…

 

1)問題と感じる人にとってのみ存在している問題は「私的レベル」であり、共通な問題が元々あるわけではない。共通な問題に私的レベルの問題をするプロセスを経ることなくしては、共通問題はない。

2)目標状態の中身を厳密に見ていき、単に「目標」でとどめない。つまり、達成すべき課題水準、維持すべき水準、保持すべき正常状態、守るべき基準などに敷衍する。目標状態が、自分の目的意識と結びつき意識されている状態でないと、現状に対して問題を感じないということ。意識化されるためには、今の状態を分析できる能力つまり水準の分析が行われていることが大事。

3)目標と関わる心理状態をレベル化する。「~したい」でとどめるのではなく、「~しなくてはならない」(使命・役割)「~する必要がある」(役割)「~すべきである」(義務)「~したほうがよい」(希望)と分けてみると、どのレベルで意識しているか?初期状態を認知する人が、どういう立場、どういう視点で状況に向き合っているかが見えてくる。逆に言えば、その初期状態をどういう心理レベルで見たら目標状態をセットアップするか?

 

 

そして、問題を見ていくと3つのパターンに人を分類できると思う。

1)問題と意識化していない人

2)問題と認識していても、責任所在を自分ではなく他人に求めている人(誰かがしてくれること)

3)自分の周りだけ(個人空間)にその問題がないならば、問題と意識しない(それはできないことと思っているということ)

 

 

問題を意識するための「知識」というのがおもしろく思われたのは、知識とは、所有型知識(Knowing That)と遂行型知識(Knowing How)。前者が、「~ということを知っている」ということで、これだけでは所有されている知識に過ぎない。後者の「いかに~するかをしっている」ことによって初めて生きた知識になる。つまり、知識があるということは次のような思考の枠組みがあるということ。

1)自分はどういうときにどうするタイプの人間化という自己認知

2)ある状態ではこういうことがおき、こういう風になるであろうという、行動や出来事の蓋然性についての知識

3)このような状況・立場では、こういう役割や行動が期待されているという状況への認知

4)人間はこういう性格と傾向があるという経験値

5)こうなればこういう風になるだろう、あるいは、こういうことがあればこういう風な結果が起きるだろうという因果関係の図式の認知

これらを持っているということが、コツをつかんでいる、腕があるというレベルだが、これらのいずれかに欠如がある場合、問題といわれずに解決可能な状態へと展開させることができないということ。

 

ある意味で大きな問題として出てきていなければ、問題と認識がとれないことが本当は問題であるはずなのに、大きな問題として意識されることが出てくるまで些細なことをおろそかにして誰かのせいにしてきた結末とは意識できない人たちの集まりであるとき、問題は途方もなく、解決策が思いつかないということになる。

 

要するに、些細なことに対して「これは問題と思わなくてよい」とか「これは私がする仕事ではない」とか…見過ごしてきた人たちにとっては、経験値がない。いくら年をとっていても、経験年数ではなく、問題意識できる年数がないということ。同じ状態に問題意識を持てるようになれないのは、問題と認知するプロセスを理解してアプローチされてきていないから、問題意識にできないということ。

 

要するに、誰かがしてくれること…自分には関係ない…ブロークンウィンドウ理論に集約されていく途中課程を分解的に見て、「割れた窓をなくす」ということは何を意味しているのか、どの程度を目標として結果として出ている水準とするのかを決めないといけないのに、問題意識がないと「10」のレベルで求められていても、「9」でOKを出す。つまり、「10」と「9」の違いがわかっていないから、そのたった「1」の違いが生み出す結果を予測できないということ。

 

他律的に、言われるからしているだけ…という意識の人間が生み出す結果は、逆を返せば「言われなければしない」ということに過ぎない。

この状態の組織ではHACCP的思考で取り組むことはできない。

なぜなら、言われていることに対して判断は「0」or「10」つまり、言われていなかったら「0」での対応をするから。その途中のグラデーションが理解できていないから、自立的に取り組まない。

指示待ち人間がすることに期待できない…と多くのところが困っている問題が、この言われなければ、「0」になる行動ということ。つまり、問題意識が無いということ。問題を意識化する能力の欠如は、自立的に問題解決する能力の欠如である。

「言われたらする」という指示待ち指導者が行っている指導で育てられた存在が、指示待ちになる以外に可能性が低いのはそこに判断がない。

100を伝えたから、100をする人をつくって満足している。100を伝えることに取り組むことが指導であると勘違いした育てられ方をしていると、100を言わないと100をしない人しかつくらない。

60を伝えて、100を求めたら、120になることもあるのに…って、精選して60に絞込み、不足をその都度補う手間を省く。手間を省かれた分、自分で気づく能力が養われない。40の気づくチャンスを与えず、常に100を与えられて育つと、気付きで広めていく学び方を学ぶ機会を逸する。

 

到達目標に対して全ての行程を指示し、全ての行程をその通りすればいいとしてしまうことで、100を達成させることはできても、その途中課程で身につけることができていることは違うということを重要視していない。

結果さえ100あればいい。その発想でベルトコンベアに載せて、部品を供給し続けて流すことをした弊害。

 

自分で歩かせているつもりでも、全てを与えて判断チャンスを奪っていることを理解していない供給をして求められていることを100やっているつもりになっているやり方を認知できないチェック機能。

問題と意識できない理由。

 

ブロークンウィンドウ理論の根底にある発想って、おそらく徹底したいい状態を作り出すということだろうと思うのですが、悪い状態を「0」いい状態を「10」としてみたときに、徹底する側の人間が「8」も「9」も「10」と同じと判断していたら、「8」と「9」と「10」の違いを見抜ける人間から見ると、「10」をやっているといいながら違うじゃないかともろさの方を見抜くと思うのです。

下限を測りにスレスレ行動を行おうとしている人間にとって、この「8」も「10」と見なしてもらえることをずるずると引き下げていこうという思惑と重なり、許容範囲が下がっていって言い訳している状態。問題が見えなくなっている状態を正当化した発言で通そうとする徹底したい状態を作り出そうとしている人たち。

ブロークンウィンドウ理論の一番の課題は、問題を起こした人たちではなく、保ちたい状況が何かを意識していない求めている人たちの問題意識かなと思います。その場から問題をなくすためには、問題に繋がる要素を意識し排除しなければ、ますます問題に繋がっていく。問題を気づけないから、問題が連鎖しているというところで、「0」の状態を「10」にする。本当なら…「7」でもいいんじゃない?なんて思っている人もいっぱいいるかもしれないけど、「3」落とした分のデメリットに注目したら、「7」は問題状態であると判断するということ。

 

スケーリングできることと因果関係がわかっていること、そして、他律的に結果を出しにいくのではなく、「考える力」を持って、集団のすべての人が自律して結果を出しにいくことをする。うるさくアナウンスされているから、やっているというレベルの取組みの生み出す結果は低レベルで当然。うるさくアナウンスをすることが仕事をしていること、また、うるさくアナウンスしないと結果が出ないと意識して動いているレベルのやり方がいいとおもっているということは…逆を返せば、他律的にしか行動できない集団だということ。

 

問題を解決するための初歩は、問題と意識するところから。

問題と意識する理由を因果関係として紹介する。エビデンスを示すことをしないと認識できないことは、ある意味その集団にとってはそのことを重要視していないから取り組んでいないから伝わらないということ。

それをすることが大事と認識が取れている人たちが集まっていたら、エビデンスを示して話をしなくても、「あぁそうだった…」となれるけど、因果関係をわかっていない人は面倒とかイヤだという思いが先立ち、すること自体に抵抗感があるから解決しない。

 

類推するとか、推測するとか、おもんぱかる…などの能力が不足しているから、「考える力」の育成が求められているけれど、指導する側の人が100を言われないと100しない人たちで、問題を問題と意識化できない集団であったら…解決可能にならない。それを取りまとめているはずの管理職も問題と意識化していなければ…どこにも問題が無いけど、大きな問題が起きている!!なんて愚かな話になる。些細なことを問題視しない集団は、些細なことの積み重ねで滅びる。

 

埃が1cm溜まっている…壁がすすこけている…2,3年の仕業ではない。その程度にいたるまでの年月を測ることもできるけど、とりあえず…よい状態を意識化させることによって、他の全てもよい状態へ繋がっていく。意識化させるときに「10」を求めるなら「9」も駄目ということ。この徹底振りができないと、この理論を使って取り組んでも、いい結果は出ないかな。うまく活用できない例も出ているというのはそういうことかなぁ…なんてね。

 

とりあえず記録。

 

 

 

無意識の虐待

「無意識の虐待」という言葉があることを知りました。

事象自体は私も知っていることがあったのですが、すでにそのような言葉が存在しているんだ…と。

 

なぜ学ぶか?のひとつの理由に紹介してきていましたが、これはショッキングな言葉で内容はもっとショッキングかも…?

 

たとえば、タバコを親が吸っていて、その場で育つ子供たち。

子どもの歯はやられていく…

だけではないかもしれませんが、そのようなことを紹介されていました。

 

言葉としては、確立していないようですね。

「無意識の虐待」と検索して出てくるのは、高齢者の虐待については結構出てきました。

 

知識がないがゆえに虐待していると思っていない。

 

昨日、聞いた言葉がなるほど…と思わされたのでした。

「死ぬとは思わなかったと虐待した親が言っているニュースを見て、そんなことはないだろうと思っていたけど、本当に思っていなかったのかも知れないってこと?」

ニュースなどでの言葉を見聞きして、信じられない…と思ったとしても、実際にその人が言っている言葉から学べることは、知識がないと実は自分も予備軍かもしれないと思えない…ってことですね。

力加減や、程度など、自分を中心に考えて行う人たち。どれほどに相手を傷つけているかも、まったく理解できず、自分を正当化…。

 

体罰を平気でやっていたり、それを助長したりしている人たちがやっていることの延長線上の出来事。学校で教えていることのひとつの結果に起きていること…でもあると思いますね。

 

いろいろと話をしていて、反応している声を聞いて対応していて…進まないなぁ…と思いながら、正直、こんなにいろいろと聞いてくる…その奥深さ?とおり一辺倒に今までも習っているはずでは…?という思いがあったのですが、他の領域と違う顔つきに驚いてしまいました。

 

ただ、突っ込んで話が深化すればするほど、実は聞くのが耐えられない…そんな子も増えることがある。

怖さを感じながら…ただ、いろんなところで教えていてもっと学びたい…という反応をよくもらう分野が保育に関すること。

 

「無意識の虐待」という用語も知らずにお話していたことをもっといろいろあるんだ…と知り、探したのですが見つけるキーワードがちがうのかしら?

そう今は感じています。

 

無知がゆえに行っていること。

それがおかしいという感覚が麻痺してしまっていること。

 

センシティブに対応することができるか…って気づくセンサーを壊さないとやっていられない…って育ち方をしたら、難しい話になっていくのかも…。

 

 

 

歳寒三友

約300件、コメントありがとうございます。
今、久しぶりに開いたら、ありました。
本当に感謝です。

正直、「歳寒三友」という言葉を、これまでの人生で使ったことなんかありません。ただ、これって、松竹梅のこと。
松竹梅はよく耳にします。

この「歳寒三友」という言葉は、奈良時代に中国から伝わった言葉。

論語からの言葉だそうです。

これは古い本みたい…と思うのですが、本のタイトルがわかりません。
そちらに書いてあることには…

中国で画題として登場したのがいつか…
松は、唐の時代の中ごろ
墨竹画は、唐の終わり~5代
梅は、北宋~南宋の時代

日本に伝わったのは、明の中期といわれているそうです。

と、こう書いてある文献を見つけながら、私の読んだ本は「歳寒三友」が日本に伝わったのは奈良時代と書いてありましたので、時代が違うなぁ…。

明時代は、1368年 – 1644年

奈良時代は、710 – 794年

言葉として、「歳寒三友」と松竹梅がつながるのは後ということでしょうね。

中国では、「岁寒三友」と書くのだそうです。

論語の 「子曰、歳寒然後知松柏之後凋也」 「益者三友

から生まれた言葉だそうです。

歳寒三友とは、厳しい時の三人の友を指すとのことなんだとも。

三番目の友が「直なる友」=「物くれる友」

二番目の友が「諒なる友」=「義侠心の強い友」

困った時に自分のことのように親身になって相談に乗りかつ動いてくれる友のこと。

一番大切な友は「多聞の友」=「知識が豊かで冷静に判断をしてくれる友」、「原理原則を教えてくれる友」ということ。

なのだそうです。

歳寒三友という呼称は、風雪や厳寒に耐えながら、一年中みどりをたもつ松の持久力(マツは“持つ”に通じ、長寿命につながるとも言われている)、屈することなくすくすく伸びる竹の成長力、春、百花にさきがけて花を開き、ふくよかに香る梅の生命力に捧げる賛辞でもあります。そして、このことばをいかなる困難にも耐えしのぶ志操堅固な人をあらわしたりもするそうです。

 

「厳寒三友」とも。

松や竹は厳冬の霜雪に耐えて千年の常緑を保つことから、梅は霜雪を凌ぎ百貨に先駆けて馥郁と香るところから、高潔・節操・清純などの象徴と賞されて「厳寒三友図」が日本へ室町時代に中国から伝わってきたそうです。

 

ではなぜ、これが日本に取り入れられたか?

もともと日本では、

松は神霊が宿る木という信仰が古来からあり、神聖な気とされていて、平安時代には長寿につながる樹木としてめでたいもの。

竹も、古来より神聖なものとして扱われており、天に向かってまっすぐ伸びる「猛々しい」という意味が付け加えられて演技のよいもの。

そうやって、縁起のよいものとして、室町時代に松と竹を新年に門口に飾り延年を祝うようになったそうです。

江戸時代に、春に先駆けて花を咲かすというところから梅も門松に加わりました。

 

中国では

後期・高潔な植物とされていた松竹梅。

 

日本は

古来からの松や竹への信仰、

そして、吉祥・瑞祥の象徴としての性格が

強調されたのだそうです。

 

江戸時代になって、地歌、長唄などに松竹梅が取り入れられた祝儀曲が数多く作曲されて、唄われたことも広くもてはやされるようになった要因とも。

 

中国の絵画では、厳寒に耐えている中に梅。雪と梅の春の兆しとして扱われることが多いのだとか。

 

日本では、梅に鶯の方が今では多いかも…。だけど、着物柄に、氷梅もありますよね。

 

門松も、もともとは3メートルもある松に竹が添えられていたそうです。

 

日本の文化は、中国の文化の影響を受けているけれども、面白いことか、他国の文化をどのように取り入れているか…という点ではどの国も不思議なかんじですね。

紙本墨画 歳寒三友之図

 

特にめでたく縁起がよいという組み合わせ

「松に鶴」

「竹に雀」

「梅に鴬」

よくある組み合わせ…かな

 

もともとは「松竹梅」に優劣はないのですが、この順番に言うことが多いから、この順番に優劣の順位があるように商売で扱われているからイメージとし優劣ありそうに伝わってしまっているのは本当は残念なことかな。

 

なんと…

「梅ちゃん先生 第23週 名前の秘密 歳寒三友」

ということも。