永観堂 禅 林 寺 

永観堂 禅 林 寺に行きました。

何も知らないで行く私にとっては、何が名物なのか…?それすら知りません。ですから、こうやって書いていて知るものがいっぱいです。

ボケているなぁ…きれいに咲いていました。めちゃくちゃ大きかったです。

大賀連という立て看板がありました。

幼稚園?が付随していました。

わからないであるいたので、そちらの方から歩いて私はお寺へ入ったのでしょう。

実は、その前に拝見した南禅寺のお庭と雰囲気が違う…というのを強く感じました。

宗派によって考え方が違うのでしょうね。

 

そして、こちらは、「みかえり阿弥陀像」が安置されています。

初めて、こんな真正面を見ていらっしゃらない阿弥陀仏像を拝見しました。

正直、知らずに行ったので、このようなご縁をいただけて感謝。

いろんな意味でこの振り返っている様子を解釈したりしているそうですが、

「永観、おそし」
と声をかけられた。永観はその尊く、慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている

のだそうです。

平安後期~鎌倉初期の作品なんだそうですが、インターネットのサイトに紹介されている方が全体を見ることができますね。

その場に行って、囲まれている…という中で拝見したので、違う感じがしました。

その反対側に、開山堂?も拝見してみました。こちらは普通の人をよりつけたくない?そんな感じを受けてしまいました。

 

三鈷の松

これを持つと三つの福が自然と備わるといわれているそうです。

知りませんでした。

そして、これをわざわざ拾うために…降りて骨折した人もいたのだとか。

注意書きの最後に降りて拾ってはなりませんと書いてあります。

拾ったらダメと言われたら…拾いたい人が出る?

いただけないのなら…と写真に撮ったのでした。

だけど、この松、階段で登るのを嫌がったり、とにかく広い…って回るのを辞めると見ることができません。

ちなみに、3つの福とは「智慧」「慈悲」「まごころ」を授けると言われているそうです。

拾ったのではありません。帰りがけに、売店の方がくださいました。おひとり一つ差し上げていますとのこと。

知らなかったのですが、声を掛けられて行ったら説明もして下さいました。

こうやってぐるぐるっと巻いて、折れないようにしてお財布に入れておくのだそうです。折れたり切れたり、巻くのもひとコツ要ります。

そして、珍しい…と仏手柑を見せていただき、試食させていただきました。あまりお土産を買うことをしない私ですが、これは珍しい…と買ってみました。

実際になっているものを拝見できて感動しました。

私が、仏手柑を知っていると話したら、珍しがられました。確かに…私も実物を知っているわけではなく、中国ではお皿の文様に縁起物として用いられる…という話と、その文様の元になっている仏手柑を日本では見かける機会が少ないために、日本で中国のその文様の器を写した器たちの図案は違うものになっている…と博物館で拝見して気になっていたのでした。

 

忘れてしまう前に記録をしておかないと…。

認知的不協和

認知的不協和とは cognitive dissonance

人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。 人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。有名な例として、イソップ物語のキツネとすっぱい葡萄の逸話が知られる。  これは、ウィキペディアから。

 

この言葉を調べてみようと思ったのは、『新しい学習指導要領の理念と課題』という本に出てくるから。

 

現行の学習指導要領に置いて…?多分、私が思うのは、ちゃんとどんなものかを知らずに表面だけをさらった人達が行った指導の中で、「自ら学び自ら考える」という面ばかりを強調されすぎたということについて書いてあるのです。

…そのために、保護者や教師、自分と違う友達の意見や感じ方の違いなどを虚心坦懐に受け止めることがおろそかになりました。また

自分と異なる感じ方や考えを内面で自分のものと照らし合わせて吟味・検討するといった面が弱かったように思います。

と書いてあります。

正直、「自ら学び自ら考える」と言って野放図にした人達から非難されまくったのは、展開等に対して系統だってさせようと課題を与えることなど。はぁ~?ってバッカみたい…と無視してました。だって、「自ら学び自ら考える」ためにはいきなりは難しいから、ステップバイステップと指導準備が大切。それをしないで、いきなり言われる生徒の方が混乱して当たり前でしょ…それを「なんだそれは…」みたいな言葉かけをする先生気取りの人達と働きながら、「そんなに口出しするな」とか言われるけど、それはそういうふうに考えてやるという風土をつくりだして、そんな形が定着したところからしかできないのにね…と無視してたのでした。だから、拍手!ってくらいに思います。

まぁ、徹底的に与えて…という人達もいますが、この余地のなさも嫌い。そんな思いの私には読んでいて、スーッとした「でしょ、でしょ」と思うところ。

 例えば、これまでの授業では、自分で課題を見つけ、自分で取組むことが強調されてきました。しかし、それだけではなく、教師から与えられる課題も、時には必要です。その時には関心が薄くても、大事な課題を与えられて取り組む中でその大切さがわかってくる、あるいはそれができるようになって達成感、有能感を味わう、という学習経験も必要だからです。

と、ホント、スーッとしました。課題を見付けさせるって結構難しい。枠を設定してあげて、その中で…など段階を経ていくと、全体的な漠然としたものも多くの生徒達が取り組めるなぁ…と思わされることはあります。だけど、初回からそれをするのは違うでしょ…という思いと、後はできる子もいるけど、そうできない子にとっては伸びずに終わるんだよねぇ…と思うのです。どちらかというと、伸びずに終わるのが問題と思っています。今の学校でも、与え方まずいよねぇ…って思うことばかりあっていて、意見する機会がない!ともう形が大まかにできてからしか話を出してこないしくみが「例年通り」の一番問題と思いますね。そして、問題にやらないと気づかないの…?とビックリするようなことでも、スーッと通っていたりしてます。「形をつくる担当になった人がこんなに頑張ったんだから…」の一辺倒で済まされるので、これってまずいよ!と知っていて言っても通らない…理由は3つ思ってます。1つは、これではまずいと言ってすでに変える話をやった経験がない。もう1つは、年齢でしか人を見ない。ラストは、勉強不足・視野が狭い・知識不足…で言っていることを理解してもらえない。最低最悪パターンを体験して思うのは、だから日本はよくならない…。そんな失敗談なんてとうの昔に過ぎている学校とかを体験して、言っていても、「なんでそんなことを言うんだ、やってもいないのに」という言葉を吐く年配者たちに出くわす度に勉強していないから何でも年数で経験したことしか…と言っていたら腐るでしょ?と思います。ホント…まぁ古いやり方から重い腰を上げるのが遅い対応の学校で思うことは、後追いする学校は嫌い!何でも最先端で取り入れてみて検討を重ねよくしていくということをしないと、法規法令が改正されて不都合にも対処できないと最初の職場で学んでいる私には受け入れがたいスタンス。どっぷり昔流…その昔流が大っきらいな私には頭古い…が何十年前の指導要領を見た話をしていますか?って思う度に嫌悪感しか感じません…と違うことを書きたいのに…。

 

書いてある所には、

教師から与えられる課題も、ときには必要です。そのときには関心が薄くても、大事な課題を与えられて取り組む中でその大切さがわかってくる、あるいはそれができるようになって達成感、有能感を味わう、という学習経験も必要だからです。

 先生から注意される、友達から違う意見をぶつけられるというのは嫌なものです。心理学的には「認知的不協和」というのですが、先生や友達から思わぬことを言われたら、それ自体が不快ですから避けようとします。しかし、それでは、世の中を生きていくことはできません。安易な上滑りの人生になってしまいます。

ということ。

実は、このところの課題を不快に受け入れない…。違う意見を出しても耳にしない自分を通す…ってやり方をする自己流の人と話すときに、こんな風に書いてある本を片手にでも話さない限り耳を貸さない年配者たちって学校教員は多いなぁ…って思います。本当にやっていたりしている人と話すときは、違いを理解して取り組むときに役立つって思いますが、もう「こう!」と決めているそのものがおかしい!と言っている言葉が通じない…。無知無学で教えようとしている人たちと接して共有するって本当に難しいです。こんな指導要領とか頭に入っている人達と働けていたことを本当に過去のこと…ですが、あのころがよかったって思います。全く通じない人達と働いて思うのは、だから生徒が伸びない!理由は簡単ですね。自己流以外知らない人たち…。実は先生の方がこんな「認知的不協和」を避けるから、生徒にそんな体験をさせないのかも?させているつもりになっているかも。

 

…「自ら」や「自主性」は最後に目指すものであり、プロセスでは教師の指導をもっと大切にしよう、ということをきょうちょうしているわけです。

 

とあります。そうだよね…と納得です。

 

 

例えばおいしいと評判のラーメン屋に行って行列に並んで食べたがあまりおいしいと思えなかった経験はあるでしょうか?

このとき人は「おいしいと評判の店。行列に長時間並んだ。」なのに「ラーメンが美味しくなかった。」という事に矛盾を感じ認知的不協和に陥ります。そして以下のように考えます。

「このラーメンは美味しいけど自分には味が分からなかっただけ。なのでこのラーメンはやはり世間一般的には美味しい。」

このように人は認知的不協和を解消するためにこのように感情を理論的にコントロールしようとします。この現象が大きく影響するのはプライシングです。

こう書いてある「認知的不協和」の説明サイト。こんなのも「認知的不協和」なのですね。

 

自分の状態(気持ち、経験)にそぐわない状況に置かれた場合、居心地の悪さ:認知的不協和が生じる。

  その居心地の悪さ:認知的不協和を避けようとして、自分を納得させられるような、自分の状態(現状・過去・欲望…)を正当化(合理化)するような、理屈や態度をこしらえて
 ・安心が得られるように
 ・自分自身の内部に矛盾がないように
 ・自分をほめることができるように
人は自分の考え方を変えてしまう

 

自分自身にもあることかなぁ…とは思いますが、教育の場でこれを体験させながら学ぶ機会を得る意義について書いてある文章を読む機会を得てよかったです。

 

 

 

サルヴァトーレ・フェラガモ

忘れる前に書いておかないと…とフェラガモ。

 

もう忘れてきている…

9歳で靴を作りはじめて

11歳の時、自宅で靴屋を開業。

結構繁盛して、15歳でアメリカに靴の修業?

アメリカでは靴を手作りから工場生産になるところ。ボストンで、映画用のブーツをつくったのが流行るきっかけになったんだそうです。

足を痛めない靴をつくるために、南カリフォルニア大学で解剖学を学んで土ふまずの部分をケアしてあげるといいとか言っていた…テレビ番組で見ていたのです。

注文がたくさん舞い込んでも、一緒に手作りをするような靴職人がアメリカにはいなかったから、イタリアにもどって店を開いたって言ってました。イタリアでは職人がいて、分業制を取り入れたと。

サルヴァトーレ・フェラガモ

フィレンツェのミュージアムにて「マリリン・モンロー展」を開催している話が放映されて、その中で、衣装もだけど靴が展示されていた。

 

マリリンモンローの靴のレプリカ?も限定で販売されているってあった。

 

今どのように靴がつくられているか…等も放映されていて、そんなブランドなんだ…と学んだのでした。

 

8月15日(水)18:57~21:54  「笑コラ!遂にバルセロナ新支局も開設!ローマ支局と地中海はおまかせよ3時間SP」

 

「フェラガモの靴」と、バブル絶頂期などよく耳にしながらも、全く関心なくいたけど、そんな風に研究しながら作っているんだ…と思うと、知るって大事だなぁ…と思わされました。

忘れてしまう前に記録しておかないと、随分たったので記憶がボケますね。

 

 

 

 

 

 

 

痕跡残らぬ農作物の遺伝子組み換え

遺伝子組み換えの痕跡が全く残らない新しい遺伝子組み換え技術が登場しているんだそうです。

2012年8月28日日経新聞。

 

新技術で開発したリンゴは、植物ウイルスを利用。リンゴの開花時期を早める技術を確立したんだそうです。早めるって…?と思ったら、なんと開花まで通常5~10年かかっていたリンゴが1か月から2カ月で開花するんだそうです。

凄い!

 

だけど、そんな風に遺伝子組み換えの際の技術が発達していく…いいことだろうけど、イメージはいいように持てないなぁ…。

遺伝子組み換えをする際、遺伝子を切断するのに「人工ヌクレアーゼ」を利用すると、遺伝子の情報が一部無くなる突然変異が起きることを防げると突き止めたのだそうです。

 

そんな技術を使って、アレルギー原因になる遺伝子を壊したコメ開発にも乗り出しているんだそうです。

 

どう考えるか…?

2011年9月に欧州委員会はスペインで会合を開いたり、対応を検討しているのでしょうね。

 

日本では?

 

跡が残らないってある意味凄い。

これって、もう、遺伝子組み換えだからどんな食物ができるか…と、大豆みたいに調査してもわからないってことですよね。

 

遺伝子組み換えの跡が残っていないって、ある意味本来の原種みたいな存在を脅かしそうにもあります。普通のリンゴで販売されても、花の月具合が違う…とか、成長するまでに起こることのレベルが変わったなぁ…とも会わされました。

住環境の価値

コメントありがとうございます。

でも、対応していたら、書く暇も無くなって…。とにかく、あと20切った…と思ったら、また増えている…。

ゆっくり読ませていただきます。

 

捨てたい新聞たちの必要なところだけ…。

 

日本経済新聞2012年8月27日(月)

やさしい経済学 都市の構造と課題 8 住環境の価値

関西学院大学教授 山鹿 久木

 

住環境の価値を金銭化する方法4つが紹介されていました。

(1)代替法

別の市場財で代替するといくら費用がかかるのかを計算し、それを環境の価値とする。

例えば、田畑の大雨時の貯水能力の価値をダムの建設費で代替するなど。

(2)旅行費用法

評価したい住環境の施設(比較的規模の大きな公園など)までの旅費と訪問回数を調査し、需要曲線を導き価値を計測する。

(3)ヘドニック価格法

住環境の違いなどが立地選択行動を通して住宅市場に影響を及ぼしていると考え、土地や住宅の価値を分析し価値を計測する。

(4)直接人々にアンケートなどで尋ねる方法

代表的なものが仮想評価法(CVM)

住環境などの改善策に対して、どのくらいお金を支払う意思があるのか(支払意思額)を尋ねることで、直接的にその環境改善の価値を評価するモノである。

 

「幸福の経済学」

「あなたはどのくらい幸せですか?」と聞くことにより、幸せの要因を分析する研究。

 

自治体の中には住民の幸福度の指標を政策の立案などに取り入れていこうとする動きも出ている。直感的で訴えかけやすい半面、幸せを一つの指標で定義するという危険性もある。

 

 

 

住環境マネジメント―住宅地の価値をつくる

本を読んだ話がアップされていました。

 

 

住環境を金銭価値で評価するとき、国によっては大都市での生活は不幸せで、農村地帯などの田舎に住むことは幸福という考えもあり。