グローバル人材育成に向けた国際化戦略

新聞の広告欄ですが、読んで気になった文章だけアップします。

 

神戸大学・京都大学・大阪大学

中国蘇州シンポジウム 主催:池田泉州ホールディングス池田泉州銀行

日本経済新聞2012年10月22日

○主催者あいさつ 服部盛隆氏

グローバル時代に不可欠な人材とは、共通の言語で話し合え、双方の国の文化や習慣を理解でき、問題解決能力を備えた人です。本日は…

蘇州市は、池田泉州銀行の創業の地の一つである活けだしと1年前から友好都市関係にあります。また、およそ1700年前、後の国から機織りの技術が日本に伝わりました(日本書紀)。それが池田市であったといの言い伝えが残るなど、いにしえからの深いつながりがあります。その蘇州市から、中国と日本はもちろん、世界に向けて有意義な情報を発信し、相互理解を深めながら、不動の隣国である中国との懸け橋として、シンポジウムを通してお役に立つことができれば幸いです。

○近畿経済産業局 局長 小林利典氏

様々な難題が渦巻く世界情勢を打破するには、グローバルな視点が不可欠です。それを推し進めるグローバル人財とは、会話はもちろん、互いの共通点や相違点を正確に理解し、各々の文化や伝統を尊重し合うことが自然にできる人だと思います。言いかえれば、国の違いを障害ではなく、チャンスととらえる人です。…

○講演 神戸大学 学長 福田秀樹氏

いま21世紀のグローバル社会が抱える喫緊の課題を解決できる人材の育成が求められています。必要とされる人材像は深い教養と高度な専門性、グローバルな視野を供え、問題解決だけでなく、「問題発見型リーダーシップ」を発揮できる人です。異文化を理解し、日本人としてのアイデンティティーを供えていることも重要です。

京都大学 総長 松本紘氏

いま地球上には70億を超える人間が生存しています。人口は増加の一途をたどり、資源をどんどん食いつぶしている。この状況が続けば、現代文明が安泰でないことは明らかです。確かに豊かさを支えるのは学術研究であり、それに基づく科学研究です。しかしそれだけでは、いつかどこかで大きな問題に突き当たります。

そこで必要となるのが、人類の将来を見通せる力を持つリーダーです。確固たる世界観や哲学、志を持ち、視野が広く、外国語を駆使して十分なコミュニケーションができる。日本人としての自覚を持ったトランス・カルチャラルな人です。

中国の唐で学んだ空海は「国家の興亡の元は人にあり、人の育成は定めて教育にあり」と言っています。…

大阪大学 総長 平野俊夫氏

現代社会の抱える、複雑かつ地球規模の課題は、高度な専門性だけで解決することは難しい。従来の常識や枠組みを超え、異なる分野の知識や経験を終結することが不可欠です。そこで求められるのが高度な専門性を備え、総合的かつ的確な判断ができ、複雑で困難な課題に挑戦し、解決するためのネットワークを持つ人材です。

○復旦大学 副校長 馮暁源氏

これらの取組みを通じて再確認できたのは、グローバル人材を擁する世界トップクラスの大学とは開かれた学校だる事。そして絶えず教育・研究レベルの向上を図り、積極的に国際交流と国際協力を展開することが大事だということです。その結果、グローバルな視野を持つ人材が育ち、大学の発展に寄与する力になると考えます。

○上海交通大学 校長 張傑氏

いま大学では世界規模の課題を解決できる優れたリーダーを育成し、高度な研究を推し進め、国際化を通じて大学自身が変革と発展に取り組む必要があります。正に国際化は世界トップクラスの教育機関となるのに避けて通れない道です。

一方、中国は経済モデルの変革期にあります。持続的な経済成長を遂げるため、従来の労働集約型から知識集約型へと転換しなければいけません。教育手法もそれに合わせて変えていく必要があります。ポイントは知識の伝承だけでなく、知識の探求心、専門知識の向上、人格の養成と言う3つを、学生中心に三位一体で行うことです。

○浙江大学 校長 楊衛氏

…未来のリーダーとは、孫子兵法でいう「智、信、仁、勇、巌」の5つの資質を備え、国際的視野と異文化理解、多様なコミュニケーション能力を持つ人です。

そうした人材を育成する上で理解すべきトレンドは、これまで人は東から西へ、南から北へと移動し、知識はその逆に流れていましたが、国際交流が活発化したことで世界は互いに影響し合う段階に入り、ウィン・ウィンの関係を築くことが大切になったという点です。

ディスカッション

グローバル人材の具体像について

松本 グローバル人材の育成を考える上で、もう一つ重要なポイントがあります。それはリーダーとして活躍する人と、それを支える人の2種類の人材を育成する必要があることです。当たり前ですが、リーダーだけでは仕事は進みません。リーダーとは自ら進んでパラダイムシフトを起こせる人。そして強い意志と責任感を持った人です。

平野 …

そこで重要なのが、文化や宗教、言語などの違いを理解し尊重できる能力です。また多様かつ複合的な課題の解決は専門知識だけでは無理で、専門と専門をインタラクティブにつなぐ能力もいるでしょう。

「木を見て、森を見ず」ということわざがありますが、物事の一部や細部にとらわれ、全体を見失うことがないように、地球規模で俯瞰することが大切です。つまり正しい判断を下すには、目の前で起こっている事象の本質は何であるか、本質を見抜く、見極める力が必要です。また孔子の教えにある「怒」。相手の立場に立って物事を考え行動することも大切です。そして寛容の心。相手を受け入れて共生していくことも必要です。

張 予測が困難な現代、地球規模の課題を従来の常識や枠組みにとらわれていては解決することは難しい。そこで道の課題を解決できる力、イノベーション能力がとても大事です。

ではそうした能力を育成するのに、どうすればいいのか。科学技術の知識を掘り下げるだけではだめで、人文の知識を学ぶことが欠かせません。未来を見通すには文化・文明の発展の歴史など、過去を正しく理解することが必要です。多元的な文化はいけ煮の中で、異文化を尊重することの大事さも同時に教えなければいけません。つまり人文の知恵を活かしつつ、科学技術の進歩を図ることが、未知の問題に対する解決方法であり、イノベーションを起こす力となるでしょう。…

閉会の辞 京都大学 総長 松本紘氏

今日シンポジウムが開催されたこの蘇州の地で、1300年前、唐の詩人である張継氏が漢詩「楓橋夜泊」この歌は張氏が役人試験に落ち挫折した際に作った歌ですが、彼はその後猛勉強して役人となり、国際的なリーダーとして大いに活躍されたそうです。彼のように自ら考え、実践して初めてグローバル人材としての資格ができる。仏教の教えでいう「聞・思・修の三恵」が大切だと思います。

人を育てることは国を超えた人類共通の課題。日中両国が互いに学び、尊敬し合い、対話し、ともに成長していくことを願ってやみません。

 

この全面新聞広告。

有意義なでも、危険なイベントだっただろうとしみじみ思います。なぜなら、今の中国と日本との関係。イマイチ。

国交正常化40周年という記念行事のうち、開催が見送られたりしているケースもあると聞きます。そんな中で、あったこと自体に有意義さを感じます。

拝読していて思ったことは、このレベルで国全体が動くか?そこは疑問であるということ。

ただ、この意識を持って次世代を育成されなければ、確かに未来はないかもね。ただ遅いなぁ…スタートとは思います。だから、ヨーロッパも今大変~って状態になっているんだよね…多分。だから、きっと近い将来、大変~がやってくるだろうな…と思わされました。

 

正直、私立に我が子をやって、教育はこれで安心~って思っている親。これも一つと思います…って、自分でできる自信がないなら誰かに頼むって意味で。だけど、親世代の高学歴化が進む中で大切なことは、親がどう子どもを育てるか、主体的に親が行うことができるかどうか…これがこれからの時代を生き抜くことができる子どもになれるかどうかだと思うのです。

公立学校の限界というものもありますね。その中で、真のグローバル化に対応できる人材になれるか否かは、学校裁量ももちろんあると思いますが、それよりも親の教育力だと思います。それが欠落していれば、その子どもは大人になって自分で身につければいい…?出会いは大きいですね。公立学校での教育の求めるところが、文部科学省が何を言っても変わらない…っていうのを辞めること。つまり、本当に変えることが大切だと思います。ただ、それをするのは難しい…?難しい話ではなく、簡単な話。企業ではできて、官公庁公立でできない理由は一つ。姿勢が違う。JRやJTなどに学ぶことが大いにあると思いますね。そして、ある意味で断行しなければいけないと思います。

 

セレンディピティ

こんな科学者の文章の中で、「セレンディピティ」という言葉に遭遇するなんて…思ってもみませんでした。だけど、この言葉、何度か出会ったぞ…と調べて見ることに。

日本経済新聞の「私の履歴書」というところに、根岸英一さんが寄稿されているのですが、その中の「発見とは何か」という21回目の内容にあったのです。

 

発見の大前提には「何が欲しいか」という①願望と「何を必要とするか」という②ニーズがある。そしてそれを目指す③作戦あるいは計画を立てなければいけない。

 発見に向けて最も大切な項目は、ブラウン教授に学んだ④系統だった探索だ。ただしこれを進めるためには、知性的な側面から3つの項目が欠かせない。⑤豊富な知識と⑥豊富なアイデア、そして⑦正確な判断だ。

 アイデアは計画の実現のために特に重要だと考えている。大学の研究で学生や博士研究員がアイデアを持ってきた時、私は必ず「ほかにどういうアイデアを考えているのか」と聞いている。少なくとも5~10個、望ましくは20~30個のアイデアを持ち、裁量と思われるものを検討すれば、よい結果に結びつく確立は高くなるはずだ。

 知性面以外にも必要な条件が2つある。探索に向けた⑧意志力あるいは意欲と、探索をあきらめない⑨不屈の行動力だ。私自身「エターナル・オプチミズム」という姿勢を貫いてきた。日本語に訳すと「永遠の楽観主義」になっていしまうが、ここには絶対にへこたれないという意味合いが含まれている。

  実際に実験を始めると、うまくいくことはほとんどない。では何回、失敗を続けられるのか。私は思ったような結果が1ヶ月出なければ、いったん棚上げする方針を決めている。別のテーマに取り組んでいるうちに、失敗した実験がだんだん客観的に捉えられるようになる。違う視点から別のアイデアが浮かび、再挑戦する。それを繰り返してきた。

 発見の条件の10番目の項目は「セレンディピティ」だ。スリランカの3人の王子が思いがけない発見をする昔話に基づくこの才能は、最近とても重要視されている。しかし私は最後に置いた。多くの場合にセレンディピティがなくとも発見は可能と考えている。中心はあくまで、系統だった探索だと確信する。

と、このセレンディピティを含めて10項目を図で説明してあったりしたのです。

まぁ…私と見解が違うのは、セレンディピティってなくても本当にいいのか?という点で、私は多分気づけるって関係すると思うのでした。

で、この話を他のどこで読んだのだろう…?思い出せない。まぁそのうちおもいだせるかもなぁ…と調べてみたいと思ったのは、スリランカの王子の話。

 

でも、最初にセレンディピティと調べて、ウィキペディアに。ウィキペディアでは次のように説明されてました

セレンディピティ(英:serendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけにひらめきを得、幸運を掴み取る能力のことである。

 

そして、根岸さんがいう「serendipity」に関する昔話というのは『セレンディップの3人の王子(The Three Princes of Serendip)』という5世紀のペルシャの伝承らしい。(セレンディップとは現在のスリランカのことなんだって)。この話を子どものころに読んだホレス・ウォールポールさんが1754年に作り出した造語が「serendipity」だそうです。

 

The Meanings of “Serendip”

無謀な…日本語で探したいけど、セレンディップの三人の王子の話から飛んでいったのはこのサイトでした。

日本語で探して…と見つけたのはこれ

セレンディッポの三人の王子の旅

タイトルが違うから見つけることができなかった?でも、不思議、香川大学経済学部のサイトみたいです…。

さて、さらに探していて見つけたのです。同じく日本経済新聞のかつての「私の履歴書」で早石修さんが紹介されていた…とセレンディピティのことを触れているサイトを見つけました。

翻訳はバベル 「セレンディップの3人の王子」 セレンディピティという言葉を聴いたらこの本を読もう

有機化学者の根岸英一さんのことです。きっと、この生化学者の早石修さんの記事をご存知だったのかなぁ…?また、白川秀樹さんの功績をたたえる言葉への否定でしょうか?

そんなことはわかりませんが、かなり有名なお話なのですね。

 

「真によいアイデアは、ひらめきと汗と技法の組み合わせから生まれる」とフィリップ・コトラー(マーケティング研究の第一人者)の言葉が、このセレンディップと一緒に紹介されているサイトを見つけました。なるほど…。

 

セレンディピティについて 平成13年3月~8月ネット上にて公表

こちらの話は、ちょっと違う。きっと、いろんな
伝承のお話があるのでしょう。

こちらのサイトで知りました。日野さんが書いた本のタイトルにあるのですねぇ…


さて、広辞苑によると、セレンディピティとは、(お伽話「セレンディップ(セイロン)の三王子」の主人公が持っていたところから)思わぬものを偶然に発見するr能力。幸運を招きよせる力とあるのです。へぇ~。

はて、同じことに通じるのでしょうか?「セレンディピティ効果」という言葉もあるみたいですね。

 

さて、セレンディピティの反対語もあるって当たり前でしょうか…?

Japanity というのだそうです。「誰もがやっていることを追いかけて、必然のところで発見する能力」

綴りを見て、ん?

Japanと入っているではありませんか…ってね。

海外の人が日本人研究者を揶揄した言葉らしいと書いてありました。

 「日本人の独創性の乏しさと、ブームのテーマに飛びつく性向を指していると述べられているから、これは大いに反論したいところである。」
と書いていますが、Japanese insanityの意味で使われているのであればやはり良い意味では使われていないということになりますかね。

と、質問サイトへの返答に書いてある文章を読みながら、日本人だけではないけど、この意味に使われるjapanという綴り…あまりいい気分にはならないですね。

japanity… “serendipity”の反対語勝間和代さんの公式ブログに2005年書かれたものにも書いてあった…。

 

小惑星探査機「はやぶさ」の偉業達成は ジャパニティの賜物であり、これから「Japanity」の国際的価値は大いに上昇するに違いない。

こんなことが書いてある…とこれはこれで面白い発想だなぁ…って思いました。

 

「serendipity」の土台には「japanity」があるのではないでしょうか。

「偶然を必然に変える努力を積み重ねながら、千載一遇の偶然を待つ」

こんな風に書いてあるブログもありました。なるほどねぇ~。

 

セレンディピティで見つけた動画で、こんなのがあるんだ…ってビックリ。

こんな使い方もありなのですね。

 

でも、Japanityで見つけた動画はイマイチ…ん…ある意味こういう風に日本のものが伝わっていってるんだ…どの国もいろいろな伝えられ方があると思いますが、途中で「ん…」と思ってみるのを辞めちゃいました。

 

「セレンディピティ」(serendipity)という言葉の起原について 茂木健一郎「脳のなかの文學」第9回 (文芸春秋「文學界」 2004年12月号掲載)より抜粋

 

いろんな人の見解があるみたいですね。

 

ウィキペディアに関連項目として、シンクロニシティがあがっていた。これはこれで、へぇ~って驚きでした。

 

お~って、読み返し。

ん…

 

ある意味凄すぎる…。

セレンディピティと科学なんか違いそう…って思ったのが無知でした…。

ホント、山中教授のiPS細胞のお話も、セレンディピティと思える節ありですよね。

 

愚直に頑張ってみている…その結果と思えば、japanityの結果、serendipityがあるのかも。何となくだけど、『セレンディップの3人の王子』の話を読んで、最初英語バージョンを読んで、日本語に訳されたものを読んで思ったのは、微妙に話が違う気がする…でした。なんか違う…と思ったけど、いずれにしても、ラクダの話バージョンの部分で思わされたのはなぜラクダを見ていないのにラクダを言い表せるか?はそれまでに培ったもののお陰様ですよね…。英語バージョンの方だったか、王様が自分の息子たちの教育をさせて…うんぬんという話があったのですが、幸運にも…という言い方に努力してきていると抵抗感があるかもしれませんが、根岸さんもセレンディピティじゃない?なんて改めて思わされました。

何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉、「セレンディピティ」はわかる気がするなぁ…とも思いました。ねかして置いたり、ちょっと休ませて…他のことをしてみたり…探しているのは変わらないんだけど執着せずにいる状態の時にふと思いつく…。焦って結果を出してまとめる…ってことも即効性という意味では必要な時もありますが、7割方作ってみて、期限ギリギリまで放置…することがあります。これでいいかなぁ…とまとめる方向性は考えていても、偶発的にですがなんかこれがいいかも…って閃くことってあるのです。1回や2回ではないので、何事も大方作っておいて寝かします。ふっと降ってくるように神さまありがとう~と言うしかない感じで、うまく道筋が違うこと思いついて…一からやり直ししてもそちらの方がなんかいい…。思いつけないときはギリギリあたふたと…ってまとめて、でも、あたふたしている時に思いつくこともありますね。授業とかも、こうして進めようって思っていてその場に行って、急に全く違う方法で進める…思いついたままにやることがあります。用意していることをもちろん教えるためにどうするか?ではありますが、この進め方よりこっちの方がいいかも…思いついてやってみてうまくいった体験を結構持っていますね。ありきたりの進め方…以外に何かないかなぁ…「楽しくなければ!」って発想を最初に植え込まれているからかも…最初の学校のキャッチフレーズが「楽しくなければ学校ではない」だったっけ…無謀?なんか違う気もするけど、とにかく楽しい授業楽しい学校は創意工夫と生徒のやる気からなる…そんな感じで、教える側の努力で楽しさを生み出すこととやる気を生み出すことをどうしたらできるか…無理矢理させるところから生み出されるやる気ももちろん含まれるけど、その先の達成感や充実感あるもの…など、めっちゃくちゃな発想かもしれないけど何でも楽しむレベルまで持って行くためには…発想。結論は、自分が楽しくないといけない。自分で楽しめるものにまずはする!って感じで、取り組むの当たり前…ってなってたなぁ…。

 

結構、企業経営とか自己啓発の本をはじめ、ビジネスマン用の本の中に面白いことあったりするので、読んではそれを授業にどう利用しよう…って普通にしてましたね。ビジネスマンだって真面目に文章を読むのが好きな人ばかりではないはず…って感じで、いろいろな工夫があってそれを学校に持ち込んで話す…ネタはビジネス書にありって感じのこといっぱいですね。

 

「情報」の授業をやっている時に、テーマを覚えていないけど、意識にないことは見えないという話をするために…たまたま読んだ本が役立つとかあった。その役立った本のタイトルを今覚えていないけど、「セブンイレブンのマークを書きなさい」とか、「家庭基礎」でも使ったなぁ…。表紙が茶色かった…って感じにしか覚えていない。でも、その本の中だったと思うけど、その人は言いたいことのためにみそ汁の作り方の話を例に出していたような気がする。(違う本だったかも)

 

思いついた関連のありそうなことも…メモっていると役立つかも…くらいの蛇足でした。

 

 

 

虫の知らせ

シンクロニシティーを読み解くスキル

シンクロニシティ…ありですね

黒文字 爪楊枝

黒文字について知りたいなぁ…と調べてわかったこと。

黒文字は、爪楊枝の一つに扱うんだ…。

そして、爪楊枝のイメージが少し変わったのでした。

 

黒文字というのは、木の名前に由来する…って、写真を持っているはず…と探し出せたらこの文章と一緒にくっつけておきたいなぁ…と思うのです。クスノキ科の落葉低木。

若枝は毛があるのだそうですが次第になくなり、緑色のすべすべした肌になって、黒い斑点が出てくることが多いんだそうです。そして、古くなると次第にざらついた灰色の樹皮に覆われるんだとか。年間を通して見たことは私はなく、たまたま、これが黒文字よ…って、教えてもらって見たくらいしか知りません。

黒文字の名は、若枝の表面に出る斑紋を文字に見立てて着いたと言われているそうです。古くから、この木を削って楊枝を作っていて、特に根元に皮を残すことが上品とされていたんだとか。和菓子で使われている黒文字って、市販されていますが切りたてが最上とのこと。先日、宗匠さんが講習会で黒文字をどのように削るかと少し話題それてお話されていることを聞きました。

切りたてが最上…と言ってもできないけど、使う前に水に浸して、色と香りを引き立てることも大切。水でぬらすことは、お菓子などが黒文字にひっつかないようにするためでもありますが、濡らすことで香りも色もよくなる…。

さて、黒文字の歴史は…?なんて思って調べていたのですが、まだよく分かりません。古田織部が用いたのが始まりと書いているサイトもありました。ちゃんともっと調べてみないといけないなぁ…と思いながらここに記録代わりに書きます。

 

黒文字もいろんな長さがあり、どう使うのかなぁ…というのはバランスの問題みたいですね。

4寸がお菓子切れもいいと書いてある物を見かけました。多分これは茶菓子を食べるときに添えるのによくつかわれているものの長さかなぁ…?

ただ、銘々皿や縁高に添えるときは、5寸、6寸がいいみたい?要するにお皿やお菓子とのバランスなのでしょう。

また、食籠・盛込鉢の菓子器に添える黒文字としては8寸…なんて書いてあった。

目安に記録しておけばいいかな…?

 

【爪楊枝の歴史】多分、私がみたのはこのサイトではないと思います。だけど、写真がついているのでリンク。

私が知り得たお話を記録まで…あっているのか?わかりません。取りあえずのメモ。

爪楊枝の誕生は、およそ10万年前だとか。ネアンデルタール人が、楊枝を初めて使ったそうです。ネアンデルタール人の歯の化石に、縦の筋が見られて、堅い楊枝で歯をこすった跡だろうと推測されているんだそうです。

ちなみに、チンパンジーの中にも、木の枝で歯を磨くものがいるとか。並べて記載すると変かなぁ…?

 

爪楊枝って実は伝来モノで…という確かに何でも起源はあるでしょうけど、ネアンデルタール人まで遡られると絶句です。

ただ、日本にどうやって伝わってきたか?それは、奈良時代(西暦630年頃と書いてあるサイトもありました)に仏教と共に伝来したとか言われているそうです。

紀元前500年ごろに、お釈迦さまが木の枝で歯を磨くことを弟子たちに教えたんだそうです。それで、仏教では、僧侶たちが常に身につけておくべき第一に楊枝が出てくるんだとか。

一応…ホントか?わかりません。

面白い記事だなぁ…と歯科に関する新聞記事みたいなものをサイトで発見したのでした。

東洋医学における薬木の歯ブラシ「楊枝」

歯磨きに使用する木を、サンスクリット語でダンタカーシュタ(歯の木)といい、中国では、歯木・楊枝と訳するそうです。

ということで、日本に仏教と共に伝来も理解できる話になりました。

 

ちなみに、「ダンタ」は英語の「デンタル」の語源だそうです。現在、インド数字でダンタは「32」、歯の本数!

全く関係ない話かもしれないけど、雑学はくっつけて記録しておいた方が役立ちそう。

 

ようやく発見…、恐らくこの(株)広栄社の爪楊枝資料室のサイトを私は見たのだと思います。メモの状態になっていると、大元がわからなくなってしまいますね…。

 

僧侶→誰?

仏教とともに伝わってきたのなら、日本でどのように広まったのだろう…?

僧侶から貴族へと広まったみたいです。右大臣 藤原師輔(908~960)が、『九条殿遺誡』という書物の中で、作法として子孫に伝えているんだそうです。

「九条殿遺誡(くじょうどのゆいかい)」
先ず起きて属星(ぞくしょう)の名字を称すること七偏(まず起きたら、陰陽道の属星の名前を七回唱えなさい)

<微音(ちいさな声で)、その七星は、貪狼(どんろう・とんろう)は子の年、巨門(きょもん)は丑亥の年、禄存(ろくぞん・ろくそん)は寅戌の年、文曲(ぶんきょく・もんこく)は卯酉の年、廉貞(れんてい・れんじょう)は辰申の年、武曲(ぶきょく・むこく)は巳未の年、破軍(はぐん)は午の年なり>

次に鏡を取りて面(おもて)を見、暦を見て日の吉凶を知る。(鏡を取って顔の様子を確認して、暦を見て、その日の吉凶などを確認する)
次に楊枝を取りて西に向かひ手を洗へ。(次ぎに楊枝で歯を磨いて、西側を向いて手を洗え)
次に仏名を誦して尋常に尊重するするところの神社を念ずべし。
次に昨日のことを記せ<事多きときは日々の中に記すべし>。

ちなみに、『九条殿遺誡』は 国立歴史民俗博物館蔵だそうです。藤原の師輔は藤原道長の祖父と覚えた方が、記憶に残しやすいかなぁ…。

 

仏教伝来はもっと昔の話だから、記録として残っているモノがない…としても、もっと以前から楊枝は生活に入っていたのでしょうね。

 

楊枝が庶民に伝わったのは平安末期?

室町時代の田植え唄に「けふの田主はかねのようじをくわえた」や「楊枝木には南天竺のびわの木」などの言葉が出てくるそうです。

ある意味凄い…。こんな生活の些細なことも知りえることができるって、文字のお陰ですね。

 

日本では楊枝とは丸いものだ~と思っているのですが、世界では丸い楊枝よりも平楊枝が主流?世界中では平楊枝を使わないのは日本だけと書いてあるサイトを見つけました。

 

『小笠原流躾方百箇條』という中に、楊枝のことが取り上げられているのだそうです。

また、『都風俗化粧伝』の身嗜の部分にも記されているそうです。

『三礼口訣』の食礼の項に、房楊枝と楊枝の使い方が示されているとか。

『婚礼道具諸器形寸法書』にも楊枝についての記述があるそうです。

 

黒文字楊枝広める

『楊枝から世界が見える』(全4回シリ-ズ)の一部を紹介しますと株式会社・広栄社 社長 稲葉  修 氏の講演が紹介されていました。

 

語源由来辞典の爪楊枝のページサイトには、次のように書かれていました。

「楊枝」は、元は歯の垢を取り除き、清潔にするために用いられた仏家の具で、「総楊枝・房楊枝」と呼ばれた。

「楊枝」の名は主に「楊柳」が素材として用いられたためで、総楊枝は先を叩いて「ふさ」のようにしたためである。

爪楊枝の「爪」は「爪先の代わりに使うもの」の意味。

「爪先」、着物の「褄」、動詞「つまむ」などと同源で「物の先端」が原義である。

爪楊枝を「黒文字」と呼ぶのは、黒文字の木で作られた楊枝を指して言ったことから。

日本には、奈良時代に仏教が伝わった際に楊枝も伝来したと言われるほど、仏教と楊枝との関係は深く、お釈迦さまも木の枝で歯を磨くことを弟子たちに教えたという。鎮痛解熱薬として用いられる「アスピリン」という物質がヤナギ科の植物に含まれていることから、噛むことは虫歯の痛み止めに聞くと言われるが、現在は樺の木が使用されているため、その効果はないと思われる。

また、爪楊枝の先端の反対側にある溝は、製造過程で焦げて黒くなってしまうことから、こけしに似せてごまかすために入れられたものである。

と、書かれていました。

昔、千利休が庭のクロモジ(黒文字)をおもむろに小刀で切り削り、茶室にてお茶菓子のための楊枝に用いた!って本当?詳しい方教えてくださいませ。というツイッタ―でのつぶやきを発見。私も教えてほしい…。

少なくとも、黒文字を削ってお出しするという話は今でもされていることを先日お聞きしたのでした。

 

実は黒文字には、殺菌効果があるのだそうです。

最初に黒文字をそのような用途に使ったのは千利休だと言われているのですが、

千利休は、殺菌効果があることを知っていたのでしょうか。

そのようなことが、近頃話題になったそうです。

先生は、千利休は黒文字に殺菌効果があることを知っていたと思うとおっしゃられました。

これは、ブログで書かれていた文章です。

和菓子の「機能美」に注目する。黒文字を入れたときの固さ、口に運んだときのやわらかさ…。一方で、四季感漂う優美な容姿も、京菓子には欠かせない。「千利休は渡り六分に景気四分、古田織部は渡り四分に景気六分」。庭の飛び石について、機能と見栄えのどちらを重要視するか、バランスの大切さを説く言葉だが、和菓子も同じではないかという。

これは建築家の方の文書です。機能美と容姿、絶妙のバランス建築家・中村義明さんが書かれているサイトにあった文章。

 

黒文字は豊臣秀吉の時代に茶人である千利休が御茶事の菓子用にこの材料を用いたのが始まりとされる。木の皮を残したようじであり、香りのよさ、緑色の木の皮と削り口の白さの美しいコントラスト、また手作りによる歯あたりの良さで人気のものとなった。

このように書いてあるブログもありました。

 

今年の、夏号に載っていた記事です。「KUROMOJI」(黒文字)って知ってますか??これ、日本原産の木です。とても、しなやかで折れにくいことから、江戸時代から楊枝として、愛用されていたそうです。

千利休も、この黒文字の楊枝をお茶会で好んで使ったそう。今でも、和菓子屋さんでは使っているところもあるようですが、この楊枝職人がだいぶ少なくなっているみたいです。

これは、アロハセラピーというブログの2009年10月の記事です。こんな風に書いてあった。

 

検索している中で見つけた資料。これはもしかしたらここには関係ないけど、見つけたついでに…。

食文化ツーリズム論

 

外務省が茶の湯について紹介している文章を見つけました。日本語だけど、英語バージョンもあるはずでしょう…。

外務省茶の湯

 

黒文字のことで千利休がどうのこうの…って文献をさがす…ってインターネット上では難しそうですね。探せば見つかるだろうなぁ…とは思いますが、取りあえず知りたい情報は発信しておくとどこからともなく知る機会を得ることができるとか。

 

貴人のお茶という普通の人のお茶ではないお茶の話があるのですが、その貴人のお茶では茶碗も確か新しい初おろしの茶碗を出す。ということで、どんなに名物の茶碗をそのお茶席で使用したとしても、貴人に対しては初おろしの茶碗だったと(過去形でなく今でもそうだろうとは思いますが…)。その人だけのために用意する…一期一会の心で言うのなら、黒文字もその日その人のために用意する一つの道具としては、削って用意しその日だけ使用は想像の範囲ですが当然なのかも…。

そんなことを何かに記されているかなぁ…って探そうと思うと、苦労するのでした。

 

あるサイトに書いてありました。その日に使われた黒文字を持って帰り、黒文字に日付を記録して保管していたと。その人のしていたことか、昔されていたことか…イマイチよく読まずに閉じちゃった…ともう一度と探し見つけることができていません。だけど、一期一会のおもてなし…っていう意味では、そうなのかもねぇ…。

 

どこかできちんと書いてある文章をさがそう…としたら、書物で探すしかないのでしょうね…それも書物にあるのかなぁ…?

 

黒文字が日本原木の木ということを書いてあるサイトを見て、そりゃ…中国から伝わるわけないか…と思わされましたね。また、黒文字の香りの話などを思うに、千利休が用いたという話も想像の域でも納得…って感じです。

 

そのうち、ちゃんとどこかで書いてあるものを見つけて続きを書こうって記録でした。

 

 

 

 

グローバリゼーション

『日経プレミアプラス』Vol.1という新書をコンビニで見かけたので、買ってみました。

誕生!新・新書

そんな言葉が気になって、お初物って取りあえず買ってみる。そんな本の買い方をする時があります。(我が家にはアエラの創刊号があったくらい…)

 

その中に特集として書かれている「10年後困らない働き方研究」

実は、今日、この本を読んだのは一昨日…ですが、ここに書いてあることをまさに…と友達に聞いたのでした。

 

村上憲郎さん(元グーグル日本法人社長兼米本社副社長)の文章にあったのです。

 

「グローバルスタンダードな経営をしている企業しか残れない」 これが大前提なわけですが、そこで社員と会社の関係がどうなっているかを、次に考えてみましょう。

事の良し悪しは別にして、「グローバリゼーション」とは、現実的には「アメリカナイゼ―ション」と同義。米国の企業社会を見れば、今後の企業の人事政策が見えてきます。

人事政策の入り口は採用です。米国においては、採用に際して、性別・年齢・国籍・家族構成・思想信条・宗教を聞いてはいけないことになっています。年齢や性別を着てしまった上で不採用と言うことにでもすれば、たとえ不採用の理由が「女性だから」「高齢だから」ではなかったにせよ、聞いたというだけで完全にアウトです。会社側は倍鎗金として一億円ぐらいは払わされるでしょう。

 性別、年齢等々に関係なく本人が優秀であれば雇ってもらえるわけですが、その時、国籍も全く関係ない。これが、グローバル採用です。つまり、グローバル企業で働いているのは、国籍を問われない“グローバル人”だということです。そして、日本に本社を置く企業でも、日本人だから優先されることは全くないだろうということでもあります。

 

と、こんな文章を読んだ後、国際結婚…相手がアメリカ人の友達が、人事をする時にね…と聞いたらいけないから、採用とかを担当する仕事に就くための質問試験というのがあるのだと話を聞かせてくれました。こないだ読んだ…って、思いながら、そのことを聞こうとは思ってもいなかったのでした。

ただ、本当に、グローバル採用、グローバル企業…そんなグローバリゼーション。早々に対応していきたい…って思っている企業は多いだろうなぁ…って思います。

 

和気あいあい、社員は皆家族と言った人事政策で社員を引きつけ、社員の方もそれでモチベートされてきた…、そんな日本的経営を売り物にした企業はもう先はありません。

 …日本的雇用慣行を維持するのは社会的な尊厳を失いたくない経営者のタテマエ上ということもあります。ホンネではグローバルな人事政策に舵を切りたがっているかもしれません。…

正直、この人が言っていることが何年後にくるのか?はわかりません。

ただ、少なくとも、年金をイマイチうまく運用できていなかった…という事実が白昼に出た今年。

次は…?

 

毎年リストラが身近なアメリカ…って印象付けられる話を聞きながら、この本で読んだこのことを思い出していたのでした。

 

 

柿右衛門

私が、書けることなんてホント少ない…。正直にそう思うのです。それでも記録…って調べるきっかけにもなりますし、確認したいことも…。

「柿右衛門」を知ったのは小さい頃だとは思います。名前は知って、こんなものっていうのも知って…ってね。漠然とでもここら辺に住んでいたら見かける機会は多いはず…そんな感じ。私の母は山口の人なので、母の妹だる叔母が言っていた言葉が母にも当てはまると思います。「ずっと萩焼を見てきているから、絵柄があるものは目新しい。…」有田焼を叔母にあげると、喜んでくれてました。確かに…母の実家では萩焼は普通に使っているモノでしたから、私も目慣れしてますね…。そんな感じで福岡にいると…有田焼はよく目にします。陶器は違うけど、磁器は有田…って感じ。

それでも、へぇ~と魅せられた最初は、ハウステンボスだったかなぁ…?ショップ?ミュージアム?があります。また、大航海時代…とオランダ側から見た日本のもの?輸出されていった陶磁器たちの話を学んだのでした。

こんなヨーロッパの宮殿に日本の陶磁器がある…ビックリでした。ハウステンボスがオープンしたての頃。また、その前のオランダ村でのことだったのかな…?

1659(万治 2年) オランダ東インド会社、56,700個有田皿山に注文、この事により輸出量が飛躍的に伸びる

柿右衛門窯のサイトに書いてあった文章です。

ドイツ・ベルリンにあるシャルロッテンブルグ宮殿の磁器の部屋「ポルセレイン・キャビネット」を再現したというハウステンボスの一角。

知らなかった…世界遺産に登録されているんだ…。

シャルロッテンブルグ宮殿

Porzellan und Keramik このサイトがシャルロッテンブルグ宮殿が出している情報だから一番…かな?

でも、映像で見たいなぁ…。

日本語ではありませんが、説明まであり。でも、私の知りたい磁器の部屋には触れていない…感じがしました。

こちらは早いけど、磁器の部屋が写ってました。

今はやっていないのでしょうけど、窯元の映像としてはキレイに写っているからわかりやすい…。

 

柿右衛門窯 2012年秋の新作展の期間中、薪窯による本焼焼成の特別公開を行います。
通常は公開していない工房内での本焼焼成作業、細工場、絵書座を特別に一般公開いたします。

こちらは興味深いですね…。

調べてみよう!って思わない限り気付きませんでした。感謝。

 

私がマニアック?に知っていることは、戦後、一度柿右衛門窯を支える職人さん達が減って…(戦争のために)危機的な状況になったとお聞きしたことがあります。その時、地元を挙げて支えたとか。詳細は知りませんが、そんな話と共に手に入れたものがあります。

国内外に名前が広まっている窯元が潰れたら…と思うと、本当に復興させること大変だったことと思います。ウエッジウッドなども同じなのかなぁ…?なんて思わされます。

有田の色絵磁器は、1659年頃に本格化するヨーロッパ等への輸出によって生産が拡大され、それに伴いより白く傷や歪みのない素地を作る技術も急速に進歩していきます。そんな中、柔らかくて温かみのある乳白色の素地の上に、余白を十分に残した明るく繊細で絵画的な構図を特徴とする色絵磁器が作られるようになりました。それは1670年代頃には技術的にも完成され、いわゆる典型的な「柿右衛門様式」として確立していきます。
柿右衛門様式の色絵磁器は、国内はもとより国外でも高く評価され、オランダ東インド会社(VOC)の手によってヨーロッパ等の国々へ大量に運ばれていきました。当時のヨーロッパの王侯貴族たちは初めて目にするその華麗な色絵磁器に魅了され、自分たちの宮殿や邸宅を飾るため財を傾けてまでも競って手に入れたといわれています。
この「柿右衛門様式」は1690年代頃まで有田の色絵の流行様式となり、乳白色の素地だけでなく青味を帯びた白磁や染付を用いた素地にも、同じような雰囲気の色絵を施したものがたくさん作られるようになりました。現在では一般に、これらも含め「柿右衛門様式」と呼ばれています。

これは、柿右衛門様式について、柿右衛門窯のサイトで紹介されている文章そのままです。

よく「柿右衛門様式」と耳にしますが、どんな物のことを言うのだろう…?と思っていることに対して、柿右衛門窯が言っていることを知ることが一番かなぁ…?

柿右衛門窯のサイトに「贋作について」という項目がありました。

確かに…模倣品いっぱいありますよねぇ…。

 

これは、アンティークマイセンのDMから。広告写真ですが、本当にすごいなぁ…と美術館・博物館などでこの元になった器と並んでマイセンの器が展示されているモノなどを見ると、日本の図柄がどのように変化していくかを見ることもできることがあります。

海外への影響力…。

小さい頃は疑問だったのです。何となく、ヨーロッパのものとか言っているのに、日本のものみたい…。正直、日本がヨーロッパのものを真似てデザインしているということは多々知っていました。だけど、日本のものが海外へ…全く知らなかった小学生の頃。浮世絵がゴッホに影響を与えた…など知ったり、日本の江戸時代かなりの工芸品が海外へ出ていっていることを知って、いろいろ知っていくと、海外の物とすごいなぁ…って思っていたものにも日本の文化の影響がある。逆もしかしりですが…。

 

今、アニメ・マンガ・キャラクターが日本の文化として世界へ出ていってるけど、ある意味、日本って昔から文化を輸出していたんだ…。それほどに素晴らしいものって…実は日本も朝鮮から中国から学び、創り上げていってるんだよねぇ…。

 

世界中がつながっているなぁ…とシルクロードの話を学んだりして、唐草模様や正倉院…と言葉を学んだり図を見るだけの過去の出来事…ではなく、今にもつながっているということを思わされます。

 

伊万里焼と言って海外へ出ていっている…その全てが柿右衛門窯ではなく、他の窯もあり。それぞれに素晴らしいものを作り、海外へ…。

今も評価を受け、そしてそんな文化を維持している。途絶えてしまうものもあったりする中、存続し続ける難しさもあると思わされます。

 

襲名30周年十四代柿右衛門展を見に行って、思ったのです。こんなに集まっているのを見る機会もすごい…。

ただ、もう30年も経つのを知り、驚きました。襲名したって聞いたことをかすかに覚えている…ってどんだけ昔のことか…と思わされましたね。聞いて覚えていること自体マニアックだなぁ…とその頃の自分が知っていることを思います。まぁ…母の影響でしょうね…。

 

私が行った時にすでにかなり売れていて、不景気とか関係ない世界だなぁ…って見ていたのです。それで、「すごいですね…。こんなに売れているんですねぇ…。」と半分くらいのものにもうソールドアウト表示がある…って思ってビックリしたのでお話したら、「本当にそうですね。お買いになったお客様の中には、代々家宝として伝えることができるから購入したという方も…」なんてお話を聞かせていただきました。なるほど…。割れるものではかないものだけど、本人作の数は限られていて襲名30年を迎える方の作品…と思えば、高いものではないのかなぁ?ん…

 

あと聞いて本当か知りたいなぁ…って思っていることを調べるのは難しいかなぁ…と取りあえずメモ。

14代柿右衛門さんは柿を描きたがらなかったから、晩年の作にしかないって。ホントかなぁ…?確かに柿は少なかったかも?わかりません。