能 野守

昨日、ウィークエンド夜能というイベントで能を見に行きました。

 

正直、ちゃんと起きていられなかった…と、同じ姿勢を長時間していて体がきつかった…眠いというより、体が痛かった…。

でも、見ていたくて…と見る気は満々なのに…と、腰が痛くなったり肩が凝ったり…はちゃんと休憩中に体動かしておけば問題なかったはず…と次回はどうにかしたい…って思うのでした。

 

「野守」という能。ある意味なんか不思議で、なんとなくイメージはSFでした。

 

能・狂言ということで、狂言「柿山伏」と能「野守」の2つでした。

狂言「柿山伏」

修行を終えた山伏は、本国に帰る途中のどの渇きを癒そうと柿の木を見つけたたくさんの柿を食べる。そこへ、畑主が見回りにやって来て、山伏を見つける。

大事な柿を食べ散らかされて怒った畑主は、しばらくの間からかってやろうと、犬だサルだと山伏に動物の鳴きまねをさせ……

能「野守」

大和の国・春日野に来た山伏は、野守から「野守の鏡」についての故事を聞き、本当の「野守の鏡」とは昼には人となり、夜は鬼となってこの地を守っていた鬼神の持つ鏡のことだと知る。まことの「野守の鏡」を見たいものだと山伏が祈ると、鬼神が鏡を持って現れ、天界から地獄の底摩どぉ写して見せた後、大地を踏み破って地獄へ入っていく。

 

次のように書かれているブログがありました。

能「野守」は、大和国春日野に伝わる伝承をもとに、世阿弥が書いたものと思われている。鬼の能であるが、和歌をテーマにして上品な体裁になっている。

平安末期の歌論書「奥儀抄」(藤原清輔撰)によれば、雄略天皇が春日野に狩をした際、鷹が逃げたので、その行方を野守に追わせたところ、鷹の姿が池の水に映っているのを見て探し当てた。それ以来、この池は野守の鏡と呼ばれるようになった。新古今集に読み人知らずとある歌「箸鷹の野守の鏡得てしがな思ひ思はずよそながら見ん」は、この池を詠んだのであると。

世阿弥はこの野守を鬼に見立てた。古来日本人にとって鬼とは、死者の怨念が亡霊となった者をさしたが、世阿弥はそれを仏教的な荒ぶる鬼とした。ただその鬼は人間に危害を加える者としてではなく、池を守る精霊のような者として解釈し直されている。

 

「ウィークエンド夜能~yanoh~ 能 野守」自由席ペア1組

能面を博物館で見ていました。

ですから、今回、能面を結構必死に見ていました。不思議…。

本当に、角度によって表情が違うってわかったんです。また、色も違う…。ビックリでした。

老人の面。

そこから…着替えがあっている間の「では?」という情景音楽と説明された囃子。

つぎにでてきた鬼神はなんか凄く不思議な感じでした。

 

と、わからないなりにもちょっとだけ、能。

 

狂言でも山伏が出てきて、能にも山伏が出てきて、能楽の話を昔調べたことを思い出しました。

 

この世のものではないものの力などの力を信じている…そんな世界が、能。

この世のものではないものなどの力なんてない!という…そんな世界が、狂言。

覚え方正しいかはわかりませんが、そんな感じかなぁ?と。

 

「狂言」という言葉は、元々古代中国語で、日本では『万葉集』に見られる。
タワゴトと読まれていて、デタラメな言葉とか冗談という意味でつかわれていた。

キョウゲンと音読みされて普及するのは、白氏文集の中の「狂言綺語」の語が『和漢朗詠集』に引用されて以来と言われているそうです。

「狂言綺語」というのは、もっぱら仏教の立場から、物語などを偽りに飾ったものと否定的に言う場合に使われていた。しかし、次第に「狂言」という語も単独で、常軌を逸した言説や戯れの言葉を指すようになっていったそうです。
この「狂言」が滑稽な芸能を指すようになったのは南北朝時代のこと。

室町時代、「狂言」は能とともに演じられる舞台芸術として確立したが、江戸時代に入ると、それがあやしくなる。なぜなら、江戸幕府の式楽となった能楽四座(のち五座)体制の中に組み込まれなかった狂言師が、近世初期の歌舞伎の成立に参画。歌舞伎の出し物も「狂言」と呼ぶようになったから。
本来の狂言は、武士の専有物になったのに対し、歌舞伎は近年まで民衆演劇の王座を占めていた。「狂言」はむしろ歌舞伎の外題を指す呼称として一般化…。そのため、「歌舞伎の狂言」ではなく「能楽の狂言」という意味で、「能狂言」という名称も生じたとか。

1955年(昭和30年)ごろから狂言の評価の高まりにより、歌舞伎界でもなお狂言という言葉が使われているものの、ただ「狂言」というと能楽の狂言を指すようになった。

狂言という言葉の由来を知るきっかけとなり、「狂言綺語」なる言葉も知らなかったので、学ぶきっかけになりました。
確かに、同じ演目が歌舞伎でもあるな…となぜかわかってなかったけど、こうやって知ることで理解。
本を読んで出てきた情報だけど、インターネット上では見つけることができなかったなー。

現在は、能と狂言の総称を「能楽」と言っているけど、明治維新直後までは「猿楽」と呼ばれていた。
猿楽が能楽と改称されたのは、1881年(明治14年)に家族を中心に財閥や学者も加わって能楽社が設立されたとき、『能楽社設立之手続』に改称の理由として「猿楽の名称字面穏当ならざるをもって能楽と改称し…」とあるそうです。
明治新政府が外国からの使節に見せる日本を代表する舞台芸術として猿楽を指定した時、猿からモンキーを連想することが具合悪いと考えたのだろうと書いてあります。

能だけでも半人前、狂言だけでも半人前、両社でいわば一人格を形成している。

そんな表現を読みながら、不思議だな…全然違うようなのに…と思いました。

能も狂言も平安中期に成立した猿楽の流れを受けている。雑多な芸を包含したものでした。
室町時代初期、能が荘重な歌舞劇として姿を整えたとき、狂言は猿楽に見られた滑稽な寸劇からまだそれほど本質的な成長を遂げていなかったらしい。それが喜劇と呼ばれる舞台芸術にまで成長するにはそれから200年近い年月がかかっている。
その間、狂言ではほとんど舞台装置を飾らないガランドウの殺風景な能舞台で、能と交互に上演されて歴史を歩んできた。だから、純粋な写実的な対話劇として発展することはなく、能の劇形態の影響下で成長した?

元々は、今の漫才などのルーツと辿ると一緒なのでしょうけど、能の影響が色濃く変化してきたのでしょうね。

狂言は対話によって筋を進める曲が大多数。だけど、劇の発端は、登場人物が名のりをして、途中歩いて、相手の家に付くなど、能と同じようなパターン化されているとか。これは、今のコントとも似ているよね…と思います。
中には、次第の囃子で出て次第を謡い、名のりの後に道行を謡って目的地に到着する能をまねた曲もあるそうです。詳しくないから、何という曲かはわからない。

恋慕の狂乱などにカケリを、唐人の異国性の表現に楽を舞うのも能と類似する。

これは、ノートに写したけど、意味が全くわかりませんでしたね。多分、たくさん見ているとわかるんでしょうね。

全体の構成が能のパロディーである『通円』などの舞狂言のほか、能の一部をパロディーとして用いている曲となると数多いとか。その一つに、棒縛りもあると書いてあった。

どこがパロディーなのかも全くわかりませんが、能をそうやって笑いにしているものと能が一緒の道を歩んでいるって凄い。

能と同じ要素は、腰を入れたカマエ(重心を低くした姿勢)と擦り足のハコビ(歩き方)という演技の基本が一緒だそうです。

違うところは、
(道行)
能では、数歩前後するだけの動き
狂言では、本舞台内を名乗座から目付と脇座を通って再び名乗座へ三角形に動く
(泣く動作)
能 手のひらを目の前へ静かに上げるだけ
狂言は…? 写し間違えたかな?

演出・演技が、能は求心的・象徴的で重厚なのに対し、狂言は開放的・具象的で軽妙だとか。

能と狂言が別の演劇のように感じるのは、扱う世界や込められた感情・思想の違いによるところが大きいとか。

世阿弥は本説(出典・典拠)を重視したんだとか。
能は、『源氏物語』や『平家物語』他の古典文学や有名な伝説などを題材としたらしい。
多くは貴族的社会を描いているんだそうで…と1度しか見たことがない。

これに対して、狂言は当代社会の笑うべき断面を舞台化しているんだとか。
登場人物の中で、最高の階級である大名も、江戸時代の大名とは違い、たとえば「隠れもない大名です」と威張って名乗っても、「召し使うものはただ一人」という弱小の地侍にすぎないんだとか。鎌倉時代のことだからな…って思って見てみると、確かに平安時代の後、平家と源氏と…というところで、武家の社会になっていく。元々、自分で土地を耕し、自分の土地として認められて…といった武家が登場する過程を歴史で学ぶと納得!なんてこともあり。あまり歴史は得意じゃないけど、大名イメージも江戸時代のイメージではないというところを踏まえて理解していくと、少しわかる気がすることもある。
そんな大名の召使で下人階級である太郎冠者が最も活躍するところが、庶民的と本に書いてあった。下人階級は売買質入れされるような隷属民なんだとか。そっか…清水を見たときにはわからなかったけど、そうやって少し立場的なことなども知ってみると、かなりおもしろいだろうな…。昔の人達はそんなことも知っていたんだろうから、太郎冠者おもしろいことをしているな…だけではなかった楽しみ方があったんだろうな…。

能は悲劇的、狂言は喜劇的と言われるらしいけど、能は必ずしも悲劇ではないらしい。これもわからない。
途中まで悲劇であっても、ハッピーエンドになっている曲は多いんだとか、だけど、能は笑わないらしい。
それでも、約250曲ある能の現行曲のうち、笑いの表現は二曲『三笑』『景清』があるそうです。
それに対して、狂言は現行曲中、笑いの要素のない曲は、14,15曲なんだとか。

能と狂言において、現実認識や仏教感にも、甚だしい差異があるそうです。

能では、亡霊や怪異を登場させないと、なり立たなくなってしまうんだとか。
でも、狂言では例えば『武悪』では、幽霊になって主人の前に出よと言われた武悪が「身どもはついに幽霊になったことがない」と言って、太郎冠者から「いや、ここな奴が。誰あって幽霊になったものがあろう。きいたこともあろうによって、取り繕うておいでやれ」とたしなめられるんだとか。日本語は古典的だけど、要するに幽霊なんか見たことがないという人に、誰も幽霊になったことがある人もいないだろうし、幽霊の話は聞いたことはあるだろうから適当に幽霊になりきったらいいと言われているってことだよね…。ちっとも幽霊の存在は信じていない世界観。
狂言の『節分』や『博変十王』の鬼や閻魔大王も人間や亡者に手玉に取られて憂き目を見るんだとか。これは、絵本で見たことがある…なんて思うと、狂言そのものはあまり知らないけど、いろんな形で考えは日本では広まっているのかもって思いました。

能では、僧侶の祈祷は常に威力を発揮するのだとか。狂言では、『無布施経』『寝替』『宗論』など住持の物欲・色欲や権勢欲が風刺の対象として笑い飛ばされているんだとか。

そうやって見て行くと、なぜ、能と狂言が一緒にあっているのだろう…?と疑問。正反対に聞こえてびっくりしました。

そのことについて、室町時代という時代背景のことが書いてありました。
土一揆があったり物情騒然な中で、一方、東山には銀閣が造営される…なんて戦乱の中でも、雅もあり?
茶道や華道も成立している時代…と書かれるとほんとうに不思議。

カオス的な上下の観客に対応するために、能楽も能と狂言の役割分担を明確にしなければならなかったのだろう。

この一文は、なるほど…と理解。
そっか…、武士は命はって戦っている人達。幽霊とか信じていられる?そんなことを気にしていたら、人を斬るとかできないでしょうね。でも、その一方で、平安時代から?ずっと陰陽師や祈祷など目に見えない世界を信じてきた貴族たちもいる。いろんな価値観の中で、受け入れられていく必要ありとか言うのはわかるような気がする表現。
観阿弥・世阿弥の親子って凄い!なんて、能狂言そのものよりもそんな処世術に感動してみました。

源氏物語絵巻も、武家中心の社会になって、古典を知るとか、荒っぽくて野蛮なだけではないというところで、絵師に武士が描かせたものが海外に流出している…そんな話をテレビ番組で見たことを思い出しました。

狂言の歴史?
多分、本を変えて記録して行っているから、ノート途中から再度歴史とか書いてある…。
話すための記録だったからまとめてない…それをまとめずに書いて…と、自分のための記録としては大丈夫かな…。

奈良時代、中国から散楽といわれる芸能が渡ってきた。
この「散」という文字には「卑」という意味があるそうです。これは、宮廷で行われていた雅正な芸能であった雅楽に対し、曲芸・奇術・歌舞などを主体とする種種の卑俗な大衆芸能の総称だったんだとか。
後進国だった日本。この散楽も、国立養成組織といえる楽戸(がくこ)で教習。782年に楽戸は廃止されたそうです。

平安時代に入ると、散楽は滑稽さを強めると同時に、「散」の音から「猿」と呼ばれるようになった。
平安中期、『源氏物語』が完成してほどなく、宮廷学者だった藤原明衡によって書かれた『新猿楽記』には当時の猿楽の演目が記されている。

世阿弥は、狂言役者を「ヲカシ」と称しているとか。

室町時代
1349年2月10日春日若宮臨時祭の記録は、前代以降成長を続けてきた歌舞主体の劇のことを、「能」とよんで記された最古のもの。

田楽…もともと豊作を祈る農村の行事から発展した芸能。散楽系の曲芸を吸収していたが、この頃には能も演じていたと書いてある。これはよくわからないけど他の記述の本も読ませていただいた。何が正しいとかイマイチわからない。

1352年3月16日の『周防国仁平寺本堂供養日記』に芸能として「狂言」という語が初めて検出される。

観阿弥・世阿弥の父子は、足利三代将軍義満に認められ、その絶大な支援を得て、猿楽を帰属にも愛好される芸能に引き上げることに成功する。

観阿弥作の能は約10曲、世阿弥作の能に至っては、約50曲が、今日のレパートリーとして残っているとか。

狂言は、舞的な動きも含んでいたとしても、滑稽なしぐさや秀句(洒落)などの言葉遊びを主体とする笑劇のつねとしてアドリブで演じられており、能とともに芸術的に昇華されることは無かったと考えられる。
その上、死と背中合わせの日常だった武士が政権を掌握し、仏教思想が瀰漫していた社会では、軽妙な笑うべきものより深刻で荘重なものの方が高く評価されていただろうと書いてある。

世阿弥の『習道書』に出てくる「笑みのうちに楽しみを含む」
和楽の精神を一番よくあらわしているかもしれないと、狂言師の方が書いている本にありました。

ほのぼのとした楽しさみたいなものが雰囲気的に伝わっていくことが脇狂言の命だと思います。

だそうです。

太郎冠者の性格を大別していくと
愚直と才覚
なんだそうです。

狂言に付いて、調べてみて思ったことは、歴史について日本史を勉強して知ったことを違う角度から見ることができた。あと、お茶との関係やいろんな、今、別物と思って知っていたことたちがつながっていくことが凄い。

どれだけ、能や狂言が広く知られているのかということを学ばされました。

ルーズリーフに書いていったノート。もう一枚が行方不明…。

脇狂言という言葉がふつうにつかわれている文章を読みながら、脇狂言が何か?イマイチわからないまま読んでやっぱりわからないで…専門書はよく知らない人間には厳しい。

昔、「翁」「高砂」「末広かり」が番組のパターンになっていたと書いてある文章も意味がよくわからない。これは、能楽詳しい人にとっては当たり前なんだろうな…。そう思いながらも、この3つは人形などいろんなところで聞いたことがある名称で、こんなつながりがあるんだ…と感動しました。

 

 

狂言の山伏はとっても人間的でした。へんな言い方ですが、柿泥棒してごまかそうとして…呪術を使った…つもりだけど、ちっともかかっていない。完全に念仏を唱えることに意味を見出していない感じでした。

 

能では、山伏は不思議な力を持ってました。

 

衣装の違いやいろいろあるのかなぁ…?なんて疑問を持ちながらもわかりませんでした。

足袋の色が違うくらいはわかるけど…って感じ。

 

 

博多織

【博多織の誕生】

博多織の始まりについては諸説あるそうです。

だけど、博多織の組合では、満田彌三右衛門を始祖としている。この人は、博多の承認で、33歳のとき(1235年)、僧侶 圓爾辯圓(聖一国師)の随行者として博多綱主 謝国明の船で南宋に渡り、5つの製法を習得して6年後、辯圓とともに博多に帰ったそうです。

この5つの製法とは、織物・朱・箔・素麺・麝香丸だそうです。

そして、これらの技術の中で織物と朱を家業と定め、子孫に伝えたんだそうです。

広東織の高度な技術を修得していたから、家業としたんだとか。広東織というのは南方物資の集散地として広東に集まっていた織物全般のことかもしれないそうです。宋から直輸入の意匠や織り方も日本化していき、改良されていく中で、独創的な意匠を考えたいと辯圓に相談したところ、真言宗の仏具(独鈷)と華皿をデザインしてみることをヒントに組み合わせて図案化したのが、今に伝わる独鈷華皿の柄といわれているそうです。

 

天文年間(1532~1554年)、満田彦三郎がさらに入宋して広東の織物を研究して帰り、博多の竹若伊右衛門に秘技を与えてともに工夫し、地質は厚く、浮線紋も柳條もあるモダンでシックな文様を織り出し、覇家台織(博多織)と名づけたといわれているそうです。そして、さらに伊右衛門は改良して「織り耳」をつけ、天正年間(1573~1591年)に帯地として売り出したそうです。

ちなみに、 「覇家台」とは中国における博多の呼称の1つだそうです。

浮線紋って?浮線綾は、織り糸を浮かせて模様を織った綾織物のことだそうで、このことかしら…?

柳條は縞のことみたい…って調べるのが大変。

織耳とは、織物の左右の端のことで書いているのかなぁ…?

 

【献上博多と黒田藩】

関が原の戦い後、1600年に筑前に封ぜられた黒田長政は、博多の西に城を築き、那珂川を外郭の東の境とし、自らの出身地 備前福岡にちなんで、この地を福岡と名づけたそうです。その後、那珂川を境として西の福岡は武士の城下町、東の博多は町人の町になったんだとか。

黒田藩は毎年、独鈷華皿が一幅に二本以上入っている紫・紺・赤・黄・青の5色の男帯を幕府に献上したので、これを献上博多というようになった。毎年3月に帯地十筋と生絹三疋を献上していたそうです。この5色は、もとは隋の思想で、森羅万象のあらゆる現象の基となるものは「木・火・土・金・水」の五つとした五行説を、色と結び付けたものだそうです。

藩は献上博多帯の希少価値を維持するために、保護の名目で生産と販売の両面にわたって厳しい統制を行い、織屋株を持った12戸だけにしか博多帯を織らせなかった。江戸時代の初めは高級絹織物の原料である生糸はすべて中国からの輸入品。幕府は糸割符制度といって、一括購入して割り当てる政策を取っていたが、博多への割当を制限し、境や京に優先的に割り当てたことも博多織を停滞させた。そのため江戸後期まで江戸や京・大坂でも博多帯は貴重品扱いであった。そのことが西陣・桐生・米沢などの企業地から模造博多織を出回らせたんだそうです。

刈安染の青は「仁」を、茜染の赤は「礼」を、藍染の紺は「智」を、鬱金染ないし楊梅皮染の黄は「信」を、そして紫根染の紫は「徳」を表している。とウィキペディアにありました。

1655年には糸割符制度は廃止。国内での養蚕が奨励されるようになったそうです。各地で養蚕が盛んになり、享保から文化までの百年足らずの間に生糸の生産量は4倍。西陣では600戸の機屋が2000戸になったそうです。

博多では、織屋株を持つ織元の中にその権利を売り渡す人が出てきたり、隠織といって藩に内緒で博多織を織る人も出てきたそうです。

黒田藩の博多帯の統制は少しずつ緩んでいったが、黒田藩の施政方針が、企業地としての立ち遅れにつながったことは否めないと書いてありました。

また、模造博多織の普及は、博多織の価格を下落させたそうです。

 

【明治以降】12戸 → 49戸 → 107戸 → 240戸

江戸時代が終って…幕府がなくなって…。

制限が解かれたら、織元から独立して開業する人も増え、明治10年には織元が49戸になったそうです。

明治18年には博多にもフランスの新しい紋織装置やドビー機が入ってきたそうです。

博多織の織元も増え、明治20年には107戸、30年には240戸にも…。

博多では平地献上だけでなく、紋博多や紗の帯なども織られるようになっていった…。

江戸時代に博多織は主に男帯だったそうですが、明治の中ごろから女帯が増えて、女物が主力になって行ったそうです。

第二次世界大戦が始まると徐々に統制も強くなり、昭和17年には企業整理により博多織企業者は31名に。第二次大戦中、博多の布地は、特攻隊の軍服や落下傘ベルトなどにも使われた。

第二次大戦後の復興と経済成長とともに博多織の生産も徐々に増え、昭和47年に最盛期。しかし、昭和48年、昭和54年の石油ショックで業界全体に大打撃を受けた。

昭和51年には博多織は、通産大臣から伝統的工芸品の指定を受けた。

当初の指定は、博多帯のみだったが、博多での着物地の歴史も古いことが証明され、平成23年にはきもの地も指定された。

『日本のきもの+』第49号 等参考

伝統七品目|博多織工業組合

 

【博多織の特長】

博多織の帯をしめていると、キュッキュッと絹鳴りがする…って、ホント、ちょっと動くだけで音がしますよねぇ…。と読みながら思っちゃいました。

この地合は、経糸を細く密に、緯糸を太くし、経糸で緯糸の張りを強くし緯糸を力いっぱい打ち込む織法から生まれたもの。

○絵緯博多

紋の織り出し方。通常の紋織物の場合は、「絵緯」といって地を組織する緯糸とは別に文様表現だけに関わるいろいろな色の緯糸で織り出される。博多織は、紋経糸と呼ばれる地経とは別の経糸によって文様は浮織りにされる。これを「浮けたて」と言っている。

 

博多織の献上帯は、三原組織の平織が変化した「たてうね織」という組織で織られている。

 

実際に体験させていただきました。

足の筋肉を使ったなぁ…って終って足がブルブルしている…そんな感じになりました。体験できてよかったです。感謝。

 

2013.11.13追記

 

 

教科書の調理実習

いつも思うのです。

家庭一般から家庭基礎・家庭総合になったとき、全ての調理実習を書き出して、比較。そして、調理実習を何時間で考えて教科書には載せているのだろう?と考えました。

いろんな学校実態があるから、こんな献立ができる学校もあるんだねぇ~と思わされるといいのか?それとも、1時間で実施するためにこんな献立になっちゃったのかなぁ…?と見るのか?いろいろ考えさせられながら見ます。

教科書の新しいものを見るたびにチェックはしますが、昨日だったか、全国家庭科の組織が行った食に関する指導についてのアンケート結果を見ながら、教科書の献立をどう採用しているか?小中学校はそのまんま行っているところが多いようですね。でも、高等学校はあまり参考にされていない。

私は、見るけど、その通りの分量を…とか、正直献立を立てている人の意図がわからないなぁ…もあるので、何がいいか?でも、献立を立てている人の考えひとつだろうけど、コレを見て調理苦手…と思っている先生たちはどう?また、生徒は?

いいなぁ~と見るのはいいかもしれないけど、昔に比べてバリエーションあるけど、この食生活を高校生が好む?というものも…。教える側の年代がいろいろある…と思えば、面白いなぁ…と思って眺めます。

なんか定番?

この献立を作らせる…となると…って授業で実施を考えるときに思うのです。

何時間?2時間かなぁ…。

もし、コレを初回の調理実習にもってきたら…、恐らく「肉じゃが」しないかも…と思います。

これだったら、1回目でもできるかなぁ…?と思うのです。これでも結構ハードル高いかも…?できるとは思いますが…。

たしかに…これなら1時間でもできるかも?なんて思います。

似ているなぁ…と思うのですが、これならきっとできそう…とは思えますね。

弁当はいろいろ載っていたけど…

これは以前からよく見ていたけど…

写真写りでイメージが違うなぁ…。

これって…と栄養学の教科書的高齢者食写真…?

なんで魚とトマト…と思うのです。まぁいいけど…やわらかいからだろうし…でもね、本気で高齢者食なら、高齢者の食に関する意識とかを教える意味では違うだろうに…とは思います。

食べやすい料理を提供。もちろん…でも、高齢者は長年生きてきたから、今

までの食生活とは違うものって受け入れがたし…という感じ。トマトと魚の組み合わせをどう受けとめられるか?とか、考えていない結構高齢者施設でも、学校とかでも普通の献立にしたくない?栄養士の献立…おいしいかもしれないけど、ハンバーグの形がイメージと違うだけで食べることができなかったりもする高齢者もいたりする…という、長年の食習慣を配慮するとかを教えるにはイマイチなイメージでした。

 

これ、パーティ料理として載っているのです。

なんで炭水化物オンパレード…??献立ありきより、載せたいものを並べて名前をつけた?

これはつくらせようとしていないのでは?っておもいます。

この組み合わせで調理実習させてどのくらいの時間がかかるのか?

手際よい生徒なんだろうなぁ…考えた先生たちの生徒は…と思いますね。

1時間だったら無理じゃないの…?って手際よく…つくり方を変えたらできることもあるかなぁ…。たとえば、炊飯するだけですし飯にしていく。フードカッターで散らし寿司の具を切るなどね。

ただ、自然にある食材を使うなら…野菜の皮をむく、野菜を切るだけでも生徒たちができるのか?不安ですね。

中学校でこれからは習ってくるから大丈夫かなぁ…?中学校の教科書の調理実習は結構凄いなぁ~と変わっていたので、そちらに期待?

2時間なら…できるだろうけど…2品で2時間するくらいなら、私だったらせめて3品にするために茶碗蒸しをお吸い物にしてもう1品入れるかなぁ…。

これは結構できると思いますね。だけど、食中毒を防止するために…と考えたときには、かなり神経使う献立。

「家庭基礎」という単位数が少ないところにこれだけのものをもってくる…。対象生徒たちの調理実習レベルより衛生感覚がいいなら…

これも、知るにはいいけど、ビビンバって具の数を減らさないと手間がかかる。一品ずつは簡単店かもしれないけど、手際悪いと熱源がいっぱい必要な献立。

班毎に1種類ずつナムルを作らせるなら時間短縮かかるかなぁ…とか、調理技術を生徒が持っているのなら時間かけずにできるかもしれないけど、時間かかるよね…。フードデザインでは教えたりしていたので2時間でつくることは一応可能かなぁ…とは思いますけど。

インドカレーを思って…面白そうって思います。ナンが書いてある以上に時間かかると思います。カレーは辛い味が食べることができない人がいたりするので考える…って思います。麻婆豆腐もホント…辛味って難しいよね。イースト発酵のさせ方を変えたら、手短につくることができるかなぁ…。

 

中国料理としてチャーハンがいっぱい載っていました。

トマトと卵のスープ。おいしいなぁ~と私は思うのです。でも、トマトを加熱したものが…この写真とかきゅうりを加熱したものが…スープの具。チャレンジャーな食生活を広める意味では面白みはあるけど、学校教育で目指すものはそれ?

 

これ2時間で簡単にできそう~1時間でも作るだけなら簡単かも…って思ったのです。

だけど、この献立を教科書どおり作るか?と聞かれたら、しないかなぁ…ってつくり方を見ては思うのです。

それは、つくり方が悪いとかより、このつくり方しなくてもいいし…って思うのです。

本当に、科学的に教える教材?と思うのです。この著者は料理苦手か知らなさすぎ…?

ブラマンジェはフランス語で、フランスのブラマンジェあるけど、つくり方はイギリス流に近い。

もしフランス流ならゼラチンで固めるのでした。

生クリーム…イギリス流のつくり方で…

私は洋菓子が専門の人間でもないから、単純に思うのはこんな生クリームの加え方をしておいしいのかなぁ~?油が浮きそう…なんて思うところもあり。

イギリス流のブラマンジェをおいしく…ってよく煮るというより練る感じだよねぇ…なんて思います。調理科学的に文部科学省が参考にしているという本によると、「イギリスでは、コーンスターチ、砂糖、牛乳で作るが、フランスでは牛乳とゼラチン、砂糖、すりつぶしたアーモンド、生クリームを用いる」ってね。でんぷんによる糊化でつくるこのつくり方に生クリーム…できるらしいけど濃厚だろうけど…こんなに複雑にしなくていいものを複雑にしている傾向が教科書のつくり方にはあるよなぁ…ってね。これって、生クリームを抜いて作れるんだし、生クリームを入れて脂肪分を増やす…コレって洋菓子店の脂肪たっぷりおいしい~に迎合していて、家庭でも脂肪たっぷり?もし、これを子どものためにつくるとして学んだものを活用して欲しい…って思ったら、この生クリームを抜いてすぐできる簡単おやつにして、牛乳をおやつに…とできるのだろうと思うのです。でも、生クリームが入っているものを習って、これしかない?と思ったら、食物アレルギー増やすだろうなぁ…とか、小児肥満増やすには貢献できるだろうなぁ…とは思いえますね。

 

正直、中華料理の並べ方って気になるところです。

こんな感じで教科書にあるから、写真で乗せるときもご飯が向こう側スープが向こう側?

取り皿を並べる話と、料理を並べる話が一緒なのか?

疑問を持つ写真たち。素朴に疑問を持つのは、カラの器を並べるのはいいけど、料理を載せたら並べ方が違うのでは?っておもうのです。

中国料理のコースで出てくる順番に使用する器を変えていく…。そのときの並べ方で、一人前の料理を並べるって?これは疑問を持ちながら検証できていないところですね。日本の中国料理店で定食みたいにセットされているものはご飯は手前にあるよねぇ…とか。

教科書に載っていると、それが正解とか、正しい…授業で扱わなくてもそう伝わっていく…と思うのです。

 

実は、この3種。教科書が違う…。

②とか、凄い…杏仁豆腐って書いてあるのです。ハイハイ…。そして、分量も…1人分ではなく恐らく4人分くらいだと思います。

①と③は寒天の量が違う。どちらも固まると思います。③をもしつくったとしたら…80ミリリットルあるなぁ…と思いますが、コレ多分つくったら70くらいになると思います。そして、写真みたいに量はないと思うのです。蓮華の大きさから想像するのにこの量をこの分量ではできていないと思うのです。

 

教科書つくっているのは大学の教授?

正直、こんなん載せていて活用しろって酷くない…?なんて思うものもいろいろあったりすると思います。でも、文部科学省が通している教科書。

 

気づきはあって勉強になるのですが、料理が苦手でできない…そんな生徒に提供する資料として見ても本当に参考になるものがいいなぁ…と思うことはあります。まぁ…教科書の調理実習を無視する人が多いのを嘆くか?私は見るけど、参考にしてそのままで作らせてみるってすることもしますけど…その通りでおいしいという反応を得られる機会って少ない…と思うこともあり。好みがあるとは思いますけど…。

 

日本全体では、2時間連続で調理実習をしている学校が多いのか?わかりません。だけど、全国家庭科…が行ったアンケートでは40%超えて一番多かったのは2時間連続調理実習を行っている学校でした。だけど、1時間で行われている学校も多い。

1時間で…20分でつくって20分で食べて片付けくらいで考えるとき、作らせることができる料理…そりゃ…洗う必要のある皿を減らすとか工夫したいよねぇ…きっと。でも、それをすると一皿料理…今接している人たちとか食べるのが遅い。30分かけて食べる…って「食べるのを楽しみましょう」にはいいけど、授業としてはきつい。状況に応じて食べるスピード考えてよ…とできないし、話しながら…食べるのも休み時間じゃない!って思う。今までの授業を持っている中で一番時間という制約を意識できない人たちと接しているなぁ…と思う面々。

 

まぁ…「家庭基礎」とか、プリンだけ作って終り~とか、ピザトーストを作って終り~なんて実習も聞いたことがあるから、中学校でちゃんと全員が調理実習をしてきて何をするか?

エプロンを小学校中学校高校で作らせられる…同様の話にならないことを願いますよね。

料理教えるのが苦手な人は、高校でも味噌汁を…って小学校で習ったことの定着のためって言ってるけど、ご飯と味噌汁だけを作らせる…小学校と一緒でしょ?とは思わないらしいそんなことを平気でやっていることを通す教員も知っているけど、1人で作るならわかるけど、4,5人でそれだけでは上達も無理でしょ…。エプロン3枚つくりました~の次

プッチンプリンをポケットから出してごまかされる今は東京で教員をしている先生…少しは教えることができるようになったのかなぁ?研修も私語ばかり…ってマイペース自分勝手な人でしたが思い出したのでした。

 

 

 

調理と脳科学と

サーストンの多因子論というものがあります。

その理論は、知能の研究をそれまでのものと大きくかえました。

 

もし、それまでのものに固執しているのなら…不幸せかも…。

いろんな価値観があることを受け入れてみることで、可能性が広がるかもしれません。

 

 

それに基づく集団式知能テストが多く…。その例としては、「職業適性検査」があります。

この多因子論では、人の能力はIQのような1次元の総合的な指標ではなく、何本かの独立したものさしの上にプロフィールとして表されます。

IQの高低ではなく、どの能力にすぐれ、どの能力に劣るかが、きめ細かくわかるというのです。。

つまり、多次元的表現で知的能力が示されているということです。

 

基本的精神能力
S:空間因子 (図形や立体を知覚する能力)…………空間的関係の理解
N:数因子 (単純な数の演算能力)……………………計算などの能力
V:言語因子 (語の意味把握や文章理解力)………言葉を使う能力
P:知覚因子 (知覚の速さに関する能力)……………知覚するスピード
R:推理因子 (論理的能力や掲画力)…………………推理する能力
W:語の流暢因子 (語を速く柔軟に使う力)…………なめらかに話す能力
M:記憶因子 (機械的な暗記力)………………………記憶する能力

 

学校での評価って、M:記憶因子に著しく?まだまだ偏っているかなぁ…。特に、大学入試の多くは偏っているよなぁ…。ようやく「推理因子」が入ってきている?入っていたものも以前からあったけど、暗記力を問う入試問題が多いのは事実。それで考える力がない学生が多いというのは、集め方もまずいと思いますね。学生を選考する基準が暗記力でしかないのなら、暗記力がある人を取っている。そこには、推理力等考える力を測り、学生を集めようとする姿勢がない結果だと思います。大学の生徒募集の姿勢と大学で学んだ結果として、その大学の学生は企業等から考える力がないと評価されているとも取れますね。単純に生徒達が解きやすいように…また、生徒達が受けようとするように…なんて高校生が勉強しやすいように(=暗記して対応しやすいように)した問題を出題していることは自分たちが暗記力だけの学生を欲していると言っているにすぎないと思いますね。

ちなみに、「数因子」を求めている…入試ももちろんありと思いますし、「言語因子」を求めている入試もあると思います。なんて、他の因子も求めている入試もあるとは思いますが、記憶さえできればいいような入試…それで集まってきた学生を批判って、企業が採用するのに大学生の本質を見極めきらなかった…というのと同じで、求めるときに見抜く努力を少々怠ったことに通じるのでは?

脱線…

 

言いたいことは、そんな選抜の仕方ではなく、現実にその力をどうしたら身につけることができるか?ということ。

 

脳科学的に…というか、流行っているよね…。脳科学の領域なのか、認知心理学の領域なのか…?よく分かりません。

ただ、脳のしくみをよく理解し、どのような対応をするかを検討する。ただそれだけですよね。
前頭前野は記憶や学習などをコントロールしているところで、ものを考えたり判断したりするときに働くとドンドン詳しくわかってきているようですね。前頭前野は「脳というコンピューターの中のコンピューター」といわれるくらい大切なところ。「頭がよい人」と言われるは、この前頭前野が発達していると考えられています。

人間と動物の脳を比べたときに、多く違うのは、「前頭葉」の中の「前頭前野」と呼ばれる場所。人間の前頭前野は大脳の中の約30%もしめていますが、動物の中でもっとも大きいチンパンジーなどでも7~10%くらいしかないのです。
チンパンジーと比較しても仕方ないとは思いますが、テレビを見たり、コンピューターゲームをしたり…いろいろな情報が入ってくるので、脳が刺激されて活発に働いている…だから、子どもに教育番組などテレビを見せているといいのでは?など、思っている人が多いからでしょうか?また、近年ではiPADを子どもに持たせて遊ばせている方も増えていますね…。タッチパネルだといいのかなぁ~?なんてわからないから、どうなんだろう…?と考えはします。ただ、実際に、テレビを見るコンピューターゲームをするという際には、脳のごく一部だけしか使われていなくて、前頭前野はあまり使っていないことがわかったそうです。ん…前頭前野を鍛えるには至らない…。

 

調理による脳の活性化について研究成果を発表

子どもの生活習慣と脳

調理が前頭前野を活性化させるという研究をされたものがデータとして出てきていたのですが…

豊かな人間性を培う家庭教育の在り方- 家庭教育の方法とその内容についての一考察 –
    指導主事 高 崎 隆 一

にあるのですが、前頭前野を必ず活性化させるとは限らないという事実ももちろん見逃してはいけないと思いますね。

 

失敗させないためのマニュアルを見て動くだけで完璧!みたいな調理実習。火加減もありとあらゆることをすでに教え込む。

絶対に失敗させない…と、料理教室では失敗は許されない…。マンツーマンなど少人数では教え伝える…ここで失敗はなくても、本来は実際に自分でさせると理解できていないところで失敗するはず…と思うのです。それを失敗させないイコール全て教え込む。これでは脳は活性化しないと思います。なぜなら、単に単純作業として書かれている通りをするだけだから。

 

沸騰するまでにどのくらい時間がかかるのか、火加減は?など、本来は考えて作業するということをしています。だけど、すべての行程を言われたように動くだけ…そんな学び方をして考えずに調理している人たちの後を請け負うとき、なんでこんなに受け身で調理するんだ~?と思うのです。また、自分で考えて動く人との違いは何だろう~?ってね。上手でなくても、言葉を自分なりに理解して動いて失敗する…それを大人が恐れすぎた結果として、子ども達が失敗を大きな恐怖と捉える…そう育っているという指摘もありますね。調理だけの話ではありませんが、そんな調理恐怖症をつくるのは結構簡単。

 

料理教室で、教えられている時はできる気がするけど家に帰ったらやっぱりできない…だからずっと通い続ける…これはとっても営業的にはいいと思います。ただ、その循環を生み出している料理教室はどんなことが身につかないか?考える力が身につかないと思われます。つまり、前頭葉を使わずに…ただ作業しているだけ。ポイントもコツも言われた通り…。

 

力を込めて、火加減をきちんとすべて押さえて伝えた…など言われうと思うのです。「バッカじゃない…」

火加減は状態に応じて中火も強火に近くしないといけなかったり、弱火も強火で対応しないといけない…と判断したり…。指示待ち君にしないためには、状態を見て判断させないと、弱火でやっていたのに…と人のせいにして考えずにマニュアル通りやったという料理をつくる…そんな人たちとたくさん出会いました。

その結果への感想というか、私の考察。

とにかく、失敗した方がいいんじゃない?

水分が飛ばないように配慮しての弱火とか、焦がさないための弱火…など、なぜそうするのか?それがわかってからの作業。臨機応変に状態を見て対応すると思うのです。

尋ねられるのが面倒だから…人数多い対応は大変!確かに。でもね、それよりも問題なのは、失敗させないで成功させる怖さ。

失敗しないで成功体験…何事も何度も失敗してうまくいくようになる…という学びを無視して何でも1回でうまく行かなければならない…。大人の他者からの評価(指導できない)などを意識した強迫観念から生まれる失敗させないための指導には、生徒の成長は少ないと思うのです。

教員の自己満足はあっても、実際にそんな人たちの指導したあとの生徒たちを対応する…私だけではありませんが、そんな体験をした時に全く動けない…そんな生徒たちに唖然とする体験は多いのです。

 

ではなぜだろう…?をつきつめていった時に、失敗したことがないからかも…?なんて思ったのです。

強火で沸騰させ続けて水分がなくなったものを食べた…食べなくても水を足せばいいのでしょうけど、そんな現象に対する理解が乏しいから、火加減も気にしない。状態を見ない。そして、「書いてある通りに作った」という。ならば、書かない方がいい。

なんでも書いて伝えて…マニュアル通りに動く指導をするようにして…と指導する自分の力量に自信がないから…とされている話を聞きながら、確かに…私も試行錯誤…そうしていたこともあり。だけど、上達しないんだよね…その場さえこなしてくれたらいい…。それって、高校で大学さえ通ってくれたらいいという発想と似てない?

 

考える力とか言っているけど、一番の足かせは、教師の失敗を恐れる姿勢というか、どうしたらいいか?と生徒をベルトコンベアーに乗せる方法…つまり操り人形に仕上げる方法の研究は余念がないけど、実力つける為の研究はしない…といばって操り人形にする指導のためのテキストを発表した人を思いだしました。だいたい、これをいいという人は、調理を教える力がない人だけだよ…ってね。当人の話もほんとうにわかっていない…って、何がわかっていないかというと身につけされたいことは何かというポイント。一番最低な方法だと私は思っています。マニュアル君作り。

調理実習で学習した内容が充分に活かされないま. ま,大半が忘れ去られている…忘れさせるようにつくったテキスト。覚える必要性がない。自分で記録も何もしない…これは、学習ピラミッドのどこに位置するか…?行動をしていても、頭を使っていないに分類される…ってね。ただ、これは料理の本特に、苦手な人用として売られている本の体裁と似ている。つまり、うまくならずに本を買わせるためには有効な手段かもね。

 

時間内に実習さえすればいい…なら、一番簡単だけど、実力つかないよ…。

こんな指導をしていては、就職難直撃コースに行けそうですね。

 

 

前頭葉を使いながら、調理するためには…?

教師が指導楽イコール失敗をさせない。

 

失敗を1回くらいさせた方が次からの伸びは大きい…くらいに構えることができない…大人が増えているからかなぁ…なんて思わされる話はたくさん。多分、料理だけでなくいろいろがそんな感じになっているのでは…?もう布に線が引かれた被服実習。工作などもそうかもね…。

頭使わないででき上がりがいいように…と仕組んだ結果の考える力のない若者たち育成結果と考えない若者…って言われる話を聞くのでした。もちろん、学校が全てではない…一番大きいのは家庭での学びと思ってます。

 

 

 

72の法則

「72の法則」なんて、学校で習わなかったなぁ…。そう思うのですが、知ったときの感動…というか、知り方が数学ではないから感動するのでしょうか?

一番感動…というか、へぇ~はそのもののこと。

だけど、コレを発見したのはアインシュタイン?と、コレは違うみたいですね。

イタリアの数学者で、「会計の父」とも呼ばれるルカ・パチョーリが1494年に『スムマ』と呼ばれる数学書で述べたとされているそうですね。

資産運用において元本を2倍にするときのおおよその年数、金利が簡易に求められると言われる法則のこと。

 

金利(%)×年数(年)=72

 

と、これって必ず!というわけではなかったようですね。

まぁ、アバウトコレでいいだろうって思いますが。

72の法則では、

金利10%なら、7.2年

金利7%なら、約10年

金利5%なら、14.4年

金利2%なら、36年

金利1%なら、72年

金利0.5%なら、144年

金利0.1%なら、720年

金利0.02%なら、3600年

……………

 

 

72だろうが、69だろうが…と思うのですが、この法則の詳細が大切なのではなく、この計算の意味が大切。

 

ちょっと違うとは思うのですが、そうめん流しの話。

 

銀行の人たちがすくって…その後残って流れてきているそうめん…。

 

 

金利のこと、広告などで見ながら思うのです。

こんな状態でも、銀行に預けるか?という話と。

銀行に預けるって話。

そして、海外の銀行の金利の話が出て、そちらがいい?

 

よくわからないで情報に振り回されている人…

そして

かたくなに銀行のことを信じている人…

そして

 

本当のところ何がいいのか?

本当は、何がいいのか?より、ちゃんとどうしていくか?考えて判断して…自己責任

 

 

知っていてお金を銀行に預けている…はいいと思うのです。だけど、どうにかなるだろう…って、とりあえず考えずに預けている…。

昨日だったか、本屋さんでぱらぱら立ち読み。

どの本だったか…ベスト10に並んでいたんだけど…どれだったか…

ぱらぱら読んでいて、思ったのです。

自己責任と自分はどうして行きたいかを考えることがうまくできないで…その先にあるのはどんな未来なんだろう…?

 

私も必ずインフレは来ると思うのですが、いつなのかなんてわかりません。

ただ、どう対応していくか?

ユダヤ人の教え?

 

 

一番の投資は…?

 

こんな話とは無縁に幸せを感じる心を持つことかもしれない…となんとなく、大切なことはそんなことかもしれないなぁ…。

対処ではなく、ただ、お金と幸せはくっついていない。その事実をちゃんと自覚した上で、お金のことを考える…それが大切かなぁ…。

なんてね。