汕頭(スワトウ)刺繍

以前、気になって調べた時には出ていなかった?気付かなかった資料も改めて検索すると見つけることができるものですね。

もしかしたら、調べる人がいたら情報を提供してくれる人が出てくる?そんな気がしてくるくらいです。

 

中国の広東省東部にある汕頭地方で受け継がれる手刺繍。

汕頭刺繍の発祥は、広東州東部の町「汕頭」。
1858年の天津条約を機に、宣教師たちがヨーロッパの刺繍技法を伝えたのが始まり。

 

ヨーロッパの感性と中国古来の技法とが融合。

 

オープン・ワーク(切り抜き刺繍)の一種で、生地を切り抜いたり、糸をかがったり束ねたりして透かし模様を表現する、ドローンワークという技法を使っており、とても手が込んでいるもの。

 

ヨーロッパでは多くの女性たちがスワトー刺繍に魅了されたそうです。舞踏会やパーティで使うための最高に上品とされている白い刺繍と白いレースのハンカチ!というように広まり…。正式の場所でこのハンカチを持つことが、貴婦人の誇りとなり、これをきっかけにヨーロッパ全土にまた世界へと広まっていったのだそうです。

 

と、ここまでは以前調べていて知り得た情報でした。

 

スワトウ刺繍の伝承ができていない結果です。農家のおばちゃんが親から子へ、子から孫へと受け継いだ技法が工業化・都市化の波でみんな割のいい仕事につくのでこんな手間のかかる刺繍などやりたがらなくなっているのです。今のスワトウギャルはボタンも付けられないと思います(ちなみに中国の小中学校には家庭科がありません。料理洗濯 家事全般できません。オフクロの味は中国ではすでに絶滅品種です。ちなみに書道もありません)。

 このように書いてあるブログを発見しました。そちらのブログでは、元々スワトウ刺繍と売っていたものは、安価なものだったと書いてあります。そして、現在は機械で作られているものが主流となっており値段が下がっていると。絶滅危惧種とも書いてありました。
以前調べた時はこんな話も見つかりませんでした。実際はどうなのかは置いておいて、中国の小中学校には家庭科がないというところにへぇ~って思わされました。
中国汕頭(スワトウ)地方に息づく汕頭刺繍は母から娘に受け継がれる手仕事の妙技。
18世紀、イタリアの宣教師によってもたらされたヨーロッパの刺繍の粋は、中国の美意識と少女たちの細やかな手を得て究極の手仕事として大きな花を咲かせ、現在に至っています。
1858年の天津条約を機に、宣教師たちがヨーロッパの刺繍技法を伝えたのが始まりといわれています。
と、具体的に書いてあるサイトも見つけました。1858年となると、18世紀?
スワトウ刺繍の特徴は、吸水性の良い綿と麻の生地に刺繍をしたものです。上品さとデザインの美しさとを合わせて、飾りにも実用にも合わせる、これがスワトウです。
こちらに文章は、中国の販売サイトの紹介文から。
 汕頭刺繍には大きく分けて2種類有り1つは抽綉「ツオシュウ」で織り上がった生地の縦糸、横糸を数本引抜き空間をあけ飾り糸を通す方法です。もう一つは拉綉「ラシュウ」で生地に糸を通し引きながら広げて空間をあけてゆく2つの技法があります。
この詳しさと写真は嬉しいなぁ…って思わされました。
 
スワトウ(汕頭)といえば『刺繍』で我々には有名です。ところが町にはそのかけらもありません。中国人には、『汕頭』=『刺繍』のリンクはまったくありません。得た仮の結論は、外貨稼ぎの為に汕頭のごく一部の地域で刺繍が産業として存在しているのであろう、ということです。
と、書いてあるサイトを発見。日本で着物売り場で見るような扱いの刺繍ではないのですね。
検索し回って発見するのは着物の話とハンカチの話…と、日本のものばかり…。
あと、中国の工場?機械で作られているんだ…と、手作りではないのですね。
そう思わされました。

五美四悪

「どういうことが身についたら政治家となっていいか」と弟子から孔子が尋ねられて答えたのが、「五美を尊び、四悪を退けることだ」。

五美(5つのやるべきよいこと)とは、
恵して費やさず(人々に利益を与えるが浪費はしない)、
労して恨まれず(人々の望む仕事や働きをさせ、過酷だなどと恨まれることはない)、
欲して貪らず(このようにしたいと欲するが、むさぼるように求めない)、
泰にして驕らず(貫禄があるが、決して相手を侮らず、傲慢ではない)、
威あって猛からず(威厳があるが、たけだけしくない)

四悪(4つのやってはいけないこと)とは、
教えずして殺す、
戒めずして成るを視る、
令を慢にして期を致す、
出納の吝かなる

なのだそうです。
これは、人を使う経営者・管理者にも当てはまる言葉で、特に、四悪は常に戒めなければならない内容…って、テキストに書いてあるのです。

このテキストの筆者が読みとる四悪とは
①教えないでおいて「何だ、こんなこともわからないのか」と傲慢に威張り散らかし、部下の面子を丸つぶしにする。
②指導もろくにせず、放りっぱなしにしておいて「こんな程度しかできないのか」と意地悪く罵る。
③命令内容や起源を疎かにしておいて「まだできないのか、なにをしていたのか」と、いびり散らかす。
④どっちみち部下に与える報酬なのにけちけちしていつまでも出し渋る。

こんな上司を持った部下は最大の不幸なのだそうです。権力にしがみつき、「この組織は俺がいるから保っている」という思い上がりの小人だから、ポストにしがみつき、執着して話さない。辞めさせようとすると恨みごとを喚く。
部下にとっても会社にとっても多いなる損失。

こんな人しか見たことなかったら?って思うのです。少なくとも現職でね。

五美のような経営者・管理者は部下に愛を持って臨むから、部下は敬を持って慕う。事を処する実力を内に潜めて人の能力を引き出す。功は部下に譲り、責は自分にありとする。…

やっぱり見たことないな…ってね。

細川藤孝という武将のことを書いてある所に書いてある文章であるのです。ただ、最近日経新聞で連載が終わったけど、元総理大臣の祖先なのでは?なんてうる覚え。ただ、新聞で読んでいた文意にこの細川藤孝さんの話も似ているなーってね。

でも、孔子は経営者・管理者ではなく「政治家になっていいか」と尋ねられての返答なんだよね…って。

子張問政於孔子、曰、何如斯可以從政矣、子曰、尊五美屏四惡、斯可以從政矣、子張曰、何謂五美、子曰、君子惠而不費、勞而不怨、欲而不食、泰而不驕、威而 不猛、子張曰、何謂惠而不費、子曰、因民之所利而利之、斯不亦恵而不費乎、擇其可勞而勞之、又誰怨、欲仁而得仁、又焉貧、君子無衆寡、無小大、無敢慢、斯 不亦泰而不驕乎、君子正其衣冠、尊其瞻視儼然、人望而畏之、斯不亦威而不猛乎、子張曰、何謂四惡、子曰、不教而殺、謂之虐、不戒視成、謂之暴、慢令致期、 謂之賊、猶之與人也、出内之吝、謂之有司。

このことに触れたブログ発見。
KUSHIDAさんって誰?有名なのかな…?まさしく、政治家のことについて触れて書いてある。

難しい内容だけど、これができた政治家の例を誰かを教えてくれるサイトってないのかな…?

 

これは、以前書いたブログの記事です。久しぶりに何が他の人の関心を持たせているのだろう?と調べていて気付いたことをお話します。

 

このキーワード検索すると、私のブログ(他のもの)がトップで出てきました。ビックリです。

 

 

書いていても自分でうまく理解できていなかったのかもしれません。「五美四悪」のお話を改めて読みながら、政治の話だけではないと思わされました。

孔子の言葉と言われている…と、どんな方だったのでしょうね。本当にいろんな言葉を残されていてすごいと思います。改めて読み直すきっかけを持ち、データを残せるように…と思いました。

 

徳田八十吉さん 

九谷の磁器は、黄緑紺紫赤の5色を使った絢爛豪華な絵が特徴。

今は亡き三代目徳田八十吉さんのことを紹介したVTRを手に入れていました。見る機会を持てずにいたのでした。すでに亡くなられて拝見して、九谷焼きの伝統ってアグリッシブな感じがあるのかなぁ…?

 

五十吉さんの亡くなったときにも、どんな感じだったのだろう…?九谷について知りたく思っていました。だけど、亡くなられて…八十吉さんも亡くなられて…遅くなりましたが、このVTRを拝見して最初に目を引いた九谷が私にとっては八十吉さんの花瓶やお皿だったので、感慨深く思います。

 

 

三代八十吉さんは受け継いだ色を独自のものへされていった話。

成形した器の表面をやすりでこすり平らにきれいにして、塗っては焼き…を繰り返している。

 

思った通りの色、文様が出るように何度も計算して窯で焼く…って、描かれている様子で見える色はこんな色で?という色重ねされたものから違う色が出ますね。

 

三代目の色は電気窯でしか出ない色なんだそうです。薪では出ない色って今だからこその作品なんですね。現代だからこそ…新しい色なんだそうです。

 

昔使われていた色絵の窯。

今は使われていないんだって。

 

秘伝を息子ではなく孫に伝えていった初代だったそうです。

昭和31年に初代は亡くなって、当時22歳のお孫さんだった三代目。色の秘伝を12通り、伝えたんだって。半年ではそれだけだった…と三代目は途方にくれたんだそうです。

そんな中、お経を見て、初代の手帖にある文字が、そのお経の文字で1~10を暗号化していたことを発見。100以上あった色を教えてもらった12の色から解読して初代の色の調合を習得されたのだそうです。

三代八十吉さんは自分の色も無数に…。

色の調合は他にもらさないというのは、どこの窯もそれが一番その窯らしさにつながるということなのでしょうね。

 

創生?この字でいいのかな…その作品が気にいっている作品だそうです。

2回焼いて終わろうってしていたら、失敗していたそうです。そこで高温にして3回目を行ったら筋ができて新しい顔が出てきた…って。

本当に新しいものが出るということは偶然…なんだと思わされました。

 

線の集合体が面。数学の世界のような話をおっしゃっていたのですね。

 

二度目に失敗して三度目に…って計算されたものに三度目。

失敗したと思うものに手を加える面白さ。同じものをもう一度となると、偶然ではなくなる。

 

 

「恒河」

この花瓶にテッセン一輪さして、お花の展覧会に出品された方がいるんだそうですねぇ…すごい。

同じ作品かな?お店で飾ってあるのを拝見したことがあります。

 

「心円」

「石畳」

代表作を前に語る姿がVTRの中でありました。

 

同じものを作り続けることが伝承。

伝統とは形骸を伝えるのものではなく、精神を伝えるものである。

 

精神を受け継いで、作者らしさをその中で生み出す。

いろんな伝統を持つ中で生きている人たちの言葉を伺い学ぶ機会を持ちます。本当に、伝統とは?考えさせられるものです。

 

焼き物の表面に入る貫入は、生地と釉薬の収縮率の違いで現れるのだそうです。

「共生」

貫入は、窯から出てすぐ入ることもあるし、何年たっても入らないこともあるのだそうです。

 

徳田順子さん、現在の八十吉さん(4代目)ですね。

若い姿。

四代目襲名されて、今はどんな感じなのでしょう…?

三代目に似た作品を亡くなられた後拝見する機会が多いなぁ…って思いますね。

 

加賀料理の老舗での八十吉(三代)の器に料理がのっている映像は、やはり器は料理のためにあるものだなぁ…って思わされますね。すごい。

作っている人間には使ってもらえてどうか?

 

表面の装飾が中心の九谷。

 

自然体、率直、自分の仕事に意欲を失われていない。

 

作る人間はどういう風に使われるか?

美しい物良いものを作ろうが先立ち、どう使われるかを忘れがち。

 

 

自分の心にあう線は一本しかない。

 

 

『無限の彩を求めて』徳田八十吉

やきもの探訪

『三代徳田八十吉 陶の譜』

というVTRを見ながらのメモでした。

 

 

何度も窯で焼いて行くうちに光に近づいていく。

「旋律」

九谷の色を受け継ぎながら現代的な鮮烈さがあふれている

「恒河」

幻想的な色合い

「彩釉壺」

瞬間瞬間、全く別の表情を見せる海

24時間、365日の海

明」

日の出がモチーフ

50以上の色が塗り重ねあって、朝の陽光を表す

画像が欲しい…と思うとこういう形が一番載せやすいのでした。

 

本当に素敵だなぁ…。

ボーっと眺めていたのは何年前なのでしょう。

九谷焼って、一言で言うと「けばい」ってイメージしか持っていなかったのです。でも、当時の私には毒々しく色がいっぱいというイメージだったものを変えていってくれました。

いろいろと教えてくださった…九谷焼を販売されている社長さんに感謝。

 

昨年は同様にVTR今右衛門を拝見したんです。

あと…数本VTRまだ見ていないので、見よう!って思います。

新年あけましておめでとうございます

これを書きはじめた時、誰かが読むという意識が全く在りませんでした。読む人はいるかもしれない…だけど、自分のノート代わり…。

今も、ノート代わりに書いています。ただ、多くの方々がいろんなことを教えてくださる昨年一年間。感謝です。

 

世界中の方々とインターネットはつながっていることを改めて意識させられた昨年一年間でもありました。

また、もしかしたらこのブログからかしら…?懐かしい友達が見てくれたのかなぁ…?そんな年賀状を頂きました。

感謝。

 

ちょっとだけビックリしました。

 

 

今年の最初は恐らく来年のために…って今年作ったおせちのことについてちゃんと記録を取っておこう!と昨年末に思ったのでした。

今年の年賀状を作りはじめ…遅すぎって年末31日まで書いてました…。

その年賀状を作るために写真撮影!と写しまくって、結局どれが一番良かったのかなぁ…。選んだものはココには載ってません。というのも、データを加工して画素数あげているのでアップできるデータ量をオーバー…。

まだ出さないといけないかも…?ってデータを落とすのを辞めてます。

 

なんか、印刷されたこの蛇たちでも、ご利益がありそうなきらきらオーラを出している…。賀状を書きながら思ったのです。なので、撮った写真をできる限りアップ。実際どの写真がオーラ強かったのかなぁ…?

作った方のオーラを分けていただいた感じですね。

感謝。

毬杖 ぶりぶり香合

毬杖(ぎっちょう)について以前知りえたときに書いていました。でもって、一度ブログデータを全て消してからもういっか…って思っていました。

だけど、「ぶりぶり香合」のためというよりは「ぎっちょう」という言葉自体を知りたくて…と、何度も調べまくるのはやっぱり面倒。もう一度書いた文章データを引っ張ってくるよりは、いろいろ違うものを見つけることが今度はまたできるかもしれない~って調べます。

 

なぜ「ぎっちょう」が気になるかというと、私自身左利き。左利きのことを「ぎっちょ」と言われたりしてきました。でも、なんか差別用語らしいということで使ったらいけないらしい…くらいの認識でした。ただ、「毬杖」のことについてお話を伺い、これについて調べたとき、お茶道具として「ぶりぶり香合」の由来を知りたいと知る程度には出てこなかった。

 

ただ、こないだ母から「なんで左利きをぎっちょと言わないようになったのだろう?」と素朴に聞かれた。ん…母も軽く左利きというのか、成長する中できっと右利きの人は耳にする機会は少ない言葉かもしれないけど、左利きの場合結構耳にする言葉だよねぇ…。今度は言葉のほうで気になりました。

データ消した…ついでにもう一度以前のものをアップしなおすのもひとつだけど、素朴な疑問もついでに…新たに調べてみようかな…と思わされました。

 

まず、「ぎっちょ」って使ったらいけない言葉なのかなぁ…?

結構同様の質問をしているのを発見。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2575112.html

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1200185.html

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1122976736

など。

それから…

左毬杖と左義長にも書いてありました。

 

毬杖(ぎっちょう)は、木製の槌(つち)をつけた木製の杖を振るい、木製の毬を相手陣に打ち込む遊び、またはその杖。振々毬杖(ぶりぶりぎっちょう)、玉ぶりぶりとも。杖には色糸をまとう。

平安時代に童子の遊びとして始まり、後に庶民の間に広まった。その後は形骸化し、江戸時代頃まで正月儀式として残った。現在では、地域における文化体験の一環として時たま楽しまれる。左利きの人が毬杖を左手に持ったことから、ひだりぎっちょうの語源とする説もある。『本朝俚諺』には、「俗間に、左の手の利きたる人をぎっちょといへるは、左義長といふ意、左専(もっぱ)らききたるに準(なら)ふ」とある。

これは、ウィキペディアにある説明でした。

 出土した毬杖の先端部と毬」ということで、写真が紹介されているサイトもありました。

 

左義長・三毬杖(さぎちょう)

(もと、毬打(ぎっちょう)を三つ立てたからという)小正月の火祭りの行 事。宮中では正月15日と18日に吉書を焼く儀式。

清涼殿の東庭で、青竹を束ね立て、毬打3個を結び、これに扇子・短冊・吉 書などを添え、謡いはやしつつ焼いた。民間では正月14日または15日(九州では6~7日)長い竹数本を円錐形などに組み立て、正月の門松・七五三飾(しめかざり)・書ぞめなどを持ち寄って焼く。

その火で焼いた餅を食えば、年中の病を除くという。子供組などにより今も行われる。どんど焼。さいとやき。ほっけんぎょう。ほちょじ。おにび。三毬打。新年の季語。徒然草「三毬杖は、正月に打ちたる毬杖を真言院より神泉苑へ出して焼きあぐるなり」

 

 

さて、この毬杖は打毬に使われるラケットのようなものをいうそうです。この打毬は、中央アジアの一角で発生したそうです。西に流れたものがヨーロッパに伝えられて「ポロ」となったんだそうです。そして、東にながれたものが中国で打毬となり,やがて朝鮮半島を経て8~9世紀頃に日本へ伝わってきたみたいですね。

 

奈良・平安時代には、端午の節会の際に行われる宮中の年中行事だったそうです。

この打毬について、宮内庁のHPにも書いてありました。

 

朝鮮半島では、撃毬(きょっく)と呼ばれ、武官の登用試験の必修科目だったそうです。朝鮮王朝時代に入って、ますます盛んになり、第4代王世宗が「撃毬がうまい人は、乗馬と弓術も上手で、槍と剣術も上手になる」とその重要性を強調していたんだそうです。

日本に残る舞楽の中に、この撃毬の様子を舞いにした「打毬楽」があるそうです。

中国の伝説の皇帝と呼ばれる黄帝の作とされているそうで、日本へは仁明天皇の頃に伝えられたといわれているんだって。

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その昔、この舞を舞うときに毬杖を右手に持つところを左手に持って舞った貴族がいらしたそうです。その様子を周囲の人達が見て、

「左手で毬杖を持っている=左毬杖」

と呼んだことから、左利きを「ぎっちょ」と呼ぶようになったという説もあるのだそうです。

 

 

 

 

日本のポロ・打毬,ぶりぶり,打毬楽 ~イスラム文化と古代日本ということで、詳しく書かれているブログ?を見つけました。

 

さて、お茶の席で見る「ぶりぶり香合」のことはすっかり無視して調べていましたが、いろんな国のつながりもさらに知る機会になりました。

また、動画も見つけることができました。感謝。