おとき

今、おにぎりのことを調べていました。おむすび…。

そして、いろんな動画を拝見しました。

 


「おむすびを作るときは、お米の一粒一粒が息ができるようにと思って握ります」
佐藤 初女さんの言葉だそうです。

 

心がこもる…そんなことをおむすびおにぎりと調べていました。

 

ふと、父の葬儀にあたり最期の食事…と、いただいたおにぎり?ご飯を思い出しました。

「おとき」と言ってましたが、調べてみていると、私の知っている「おとき」とは違う話もあったので、素朴に「おとき」ってなんだ?

 

基本的に食べもののことをこちらに書いていないけど…さすがに葬儀にまつわる話を食べものの話だから…って書くのも気が引けたし、調べてみたかったのでこちらにノート代わり。

 

おときとは、仏事の後に頂く食事のことだと書いてあるサイトを発見しました。そちらには、いろいろと詳しく書かれていました。ただ、そういえば法事の後にお食事を一緒に…ってお坊さんと食べるなぁ…って思い出しても、「おとき」と言った覚えがありませんでした。

日本が貧しかった時代、仏事の御斎(おとき)は御馳走でした。

そう書いてあったのを読んでなるほど…とは思うこといっぱいでした。

亡き人を偲び、杯を献じ、亡き人と共に頂く食事であり宴会でない

そう書いてある文章もありました。

 

私は、葬儀が始まる前に親しい方々と「おとき」をいただく…という、故人と共にいただく最期の食事のことを「おとき」というと思ってましたが、全て仏事法事に関わる食事のことをさす言葉なのですね。

○ 決められた時間内に食べる斎食(さいじき)が由来

○ 食事をする時刻「時」(とき)に語源を発している

なんて書いてあるものもありました。どちらが正しいとかわからないなぁ…。

 

斎食儀(食事作法)

このサイトは天台宗の食事作法について書いてありました。

 

今、ウィキペディアで「を発見。そこで、へぇ~

この漢字の読み方が変わる話が載ってました。

  • 斎(いつき) -神道で、ものいみ(潔斎)をして神に仕えること。また、その人 
  • 斎(とき) -仏教寺院における食事。また、仏事の際に寺院で出される料理、斎食
  • 斎(ものいみ) -正教会における断食と食物品目の制限。食事のみならず行動も律し、祈りを増やす事が求められる

 

設斎供養という言葉も初めて知りました。

年回の供養において、法要の読経などがつとまった後に、一同に会して食事をいただく席を設けます。これを設斎といい、また当佛のみならず導師はじめ参列者に対する供養と称し、その一連の行いを法事とも呼び習わしています。

と書いてありました。こちらは曹洞宗のお寺のサイト。

 

『日本書紀』に、推古天皇時代(606年)に「この年より初めて寺ごとに4月8日、7月15日に設斎(おがみ)す」という言葉が出てきているそうです。

四月・七月斎会の史的意義

神戸大学の文献みたいです。お盆の話で載ってます。

 

設斎は、法会に食を供すること、「中を過ぎて食せず」、午後の断食であり、午前中の食事の意味と注される。ここでは”をがみす”と訓じており、香華灯塗(こうげとうず、お香をたき、香を塗り、お花を供え、お灯明をつけ)、供物をそえてお祀りすることではないのか。四月八日は、花御堂(美しい花で飾った小さなお堂:ルンビニー園)に、甘茶(竜が降らした甘露の雨)の入った水盤を置き、誕生仏の頭に甘茶をそそいでお祀りする潅仏会(かんぶつえ)。七月十五日は、餓鬼道に落ちて苦しんでいるお母さんを、釈迦の教えにより、修行を終えた多くの僧侶に供養をして救ったという故事、あるいは長い間子孫により供養されず逆さ吊りにされている死者の霊に飲食を与えて救うといふインド古来の祖先崇拝による盂蘭盆(うらぼんえ:ウッランバナ「さかさづり」を意味する言葉)とされた。

これは、日本書紀について解説しているサイトにあった文章です。

 

お葬式・豆知識vol.2【お斎(とき)について】

という記事があるブログを発見。

【斎(とき)とは・・・ 小乗仏教の僧侶は正午以前に食事をとり、それ以後は摂らないが

食事をしない時間を非時(ひじ)といい、食すべき時の食事を時食、斎食という。

そのことから、僧侶の食事や法事での食事を斎という。】

こう書いてあった。この人は誰だろう?なんて調べようと探してもわからなかった。まぁ調べるきっかけにはなるかなぁ…って言葉たち。

 

お斎というのは、本来、不殺生という戒律を守った寺院での食事のこと

書いているサイトには、ビルマのことなども触れて書いてあります。

 

お斎(とき)とは、今では広く仏事の際にいただく食事をさしています。しかし、斎という言葉には「つつしむ」という字義があり、本来は身を慎んで清浄な生活をおくることを意味します。また「斎戒」(さいかい)ともいいます。

これはQ&Aと天台宗のサイト?に書いてあります。もっと詳しく書いてありました。

もともとインドの仏教では、出家者は正午を過ぎてから食事をしないという戒律があり、食事をつつしむのが斎の由来

なるほど…とインド由来の話なのですね。

 

ただ、私の覚えている「おとき」って、父が亡くなって葬儀の前にドタバタとそこにいたみんなで食べたお別れの食事だった…って調べてみたら地方によるもの?

別れの杯なるものが出てきました。

出立ちの膳(ワカレメシ、タチメシ、ナキワカレとも)」って言葉を発見。

飲食は人間の交わりを象徴するものですから、死者と食事を共にすることによって、死者と最後の交わりをし、別れを行ったものと考えられます。したがって、こうした飲食の席では、しばしば死者用にもお膳が用意されます。神と食事をすることで神の力をわが身に取り込む神人共食の観念が影響しているとの考えもあります。 

なるほど…

出立ちの膳 出棺の際に,参会者に供する一膳飯。でたちめし。

この言葉はあるのですね。

 

三重県では、涙汁というものがあるって書いてありました。

 福岡では、出棺の前に遺族や親近者が集まって故人との最後の別れの食事として、簡単な精進料理を食べます。これは「出立ちの膳」と呼ばれています。柳川市では、この出立ちの膳に、冷酒を出すこともあるそうです。

葬儀屋さんがいっぱいあるなぁ…と思わされる検索ですが、とりあえず紹介されているものをメモしておかないと忘れる…。

佐賀県では、「出立ちの膳(でたちのぜん)」と呼ばれる通夜振舞いを、身内だけで食べます。

鹿児島県の一部地域では、出棺前に「別れ飯」を食べ、北部の一部地域では、参列者にもこの「別れ飯」を振舞うことがあります。最近では火葬場で食事を取るため、別れ飯を省略する傾向が強いそうですが、古い家などではいまだに行われています。

ほんとうにいろいろあるのだなぁ…って思わされます。

 

日本の伝統的食慣習のタブーの両横綱は、肉食と一膳飯でした。ご飯を一杯しか食べないのが好ましくないとされたのは、肉食同様に仏教との関わり合いです。 死んだ人の「枕飯(まくらめし)」が一杯盛り切り、出棺の前に近親者が食べる「出立飯(でだちのめし)」も一杯限りですから、普段は一膳飯は禁忌でした。 さらに波及して、お嫁入りで実家をたつときも一膳飯だったのです。

こんなことが書いてあったサイトは、「握り寿司はなぜ2個で出されるのか? なぜ1貫、2貫と数えるのか?」ということで、書いてありました。

一膳飯を調べていて、よそい方のことに触れている文章を発見。2杯食するという話が書いてある中、一度にご飯をよそわない…って書いてあることを読んで、そういえば…一度でよそうなって言われた気がする…と遠い記憶。

ご飯を一回でよそう
ご飯に箸を刺す。
何を以てマナー違反何ですか?教えてください。

質問サイトの質問で読んで、はっとさせられました。それは回答の方。

当たり前にしていることに疑問を持つことってほんとうに大事。そして、伝えるときにも、意味を知らずに伝えていくことにより偏見やタブーなど根拠不明な「ねばならない」がたくさんできることになる…ってね。

 

それはしてはいけないといわれて育つと、違和感がある質問。でも、確かに…仏教での死者を弔う対応の話。箸をご飯に立てるのを止めましょうと同じなんだよねぇ…。素朴な疑問は理由を知ると、極力しない方がいいことと、別にやってもいいことに別れていく…

 

「おとき」について知りたかったのですが、広がりを持って知ることができてよかった。

 

後は…サイトで検索しても出てきにくい…と、おときの形態。宗派によって違うのかなぁ…?なんて思いながら、一膳飯ではなく丸くなったおむすびというのか、それを食べたんだよね…。

 

作ってくれたおばちゃんが言ってたなぁ…遠く離れて子どもが住んでいると、いろんな人が亡くなったときにそんなもろもろの対応の仕方を覚える機会がないと。祖父母の死の際に見て学ばず、父母の代…一方が亡くなる際にもいなければ、実際に自分が喪主でするようになったとき、全くわからないだろうなぁ…って。確かに…。いろんな流儀があるとは思いますが、その家の慣わしって途絶え、一般化されていくのですよね。

 

先日といっても、もう2週間以上経ったのかなぁ…お通夜におまいりに行きました。そのとき、お坊さんがえらくホント、説教された。まぁ…お通夜の枕教の後に説教されるって体験することは多いけど、よく言う「説教」と普段耳にしている言葉通りのモードでの説教だったので、面食らった。声を荒げて…と、お焼香の仕方について言われていた。そんな喪主が若いから、最初に覚えるためにだろうなぁ…なんて思ったりもしながら、斎場の方の説明とは違うお話。斎場の方の言うとおりに真に受けてはいけないと学んだのではありますが、そんな所作についての説教を遺族をはじめ多くの方のいるところで…なんてそんなに細かいものかな…と思わされた。帰宅して、母に尋ねたら、さもありなん…なんて、母方の実家の宗派と同じだから聞いたらそう言われた。どう焼香するかなど、所作大切とのことだった。祖父祖母をはじめ葬儀や法事に行って、確かにお経を読むように…って冊子を回される体験などするけど、焼香の仕方を言われたことがなかったなぁ…。同じ禅宗のはずでは…なんて思うと違いを意識させられることは多いよなぁ…確かに。

 

焼香の仕方ひとつ…って、そういえばちゃんと教えてもらって…なんてしたことがない気もした。

 

あんまり仏教だ…なんて意識して育っていない気もする。父が亡くなってからいろいろと覚えたり…。母の実家にはお坊さんがよく遊びに来ている…ってお盆に行ったりするからか出会っていた。弟たちが木魚叩いてお経を読んでいても私自身は興味なかったから?お墓参りに行くとかは行ってもちゃんといろんな習慣ってわかっていないのかもしれないなぁ…。

お仏壇にご飯をよそうのも、まるくしないといけないと言われるけど…なぜだろう?とか、疑問を持ち始めるときりがないなぁ…。

 

疑問を持たずにやっていることも、実は違う立場から見るとふつうではないはず…という意味では、おむすびを調べていて、おときが気になって調べてみたけど、お寺で教えてもらうしかわかる方法はないのかも…?おんなじ宗派でも、総本山の流れが違うだけでもなんか微妙に違ったりする…ということを体験したりもして思うのです。ちゃんと細かく伝えられて…って普通しているものなのかなぁ…?なんてね。

きっと、弟たちは私より知らないはず…なんて思うし私も知らないなぁ…。

 

 

 

義経千本桜と

先日、歌舞伎を拝見しました。

そのときに、正直、あ~能も狂言も…歌舞伎も、いろんな日本の文化はつながっているから、どれかひとつだけを取り上げて知る努力をしても、ゆくゆくは全てを知ることに努めることになるんだなぁ…。そう思わされました。

 

義経千本桜」という演目の歌舞伎を拝見しながら、これどこかで見たことがある…。

 

見たことがあるということは、私の見た数少ない体験とつながるということ…って検索。

わかったのは、能だったのです。

船弁慶

多分、似ている…って、出てくる登場人物が重なるくらい?かも…

だけど、似ている…と感じた何か…って調べてみるとつながるものですね。

 

独立行政法人日本芸術文化振興会が運営する伝統芸能を調べる・見る・学ぶためのサイトに「義経千本桜」

これは歌舞伎の誰が演じたなどはなれて書いてありますね。

そちらに、影響を受けた作品ということで、3作品書かれていました。

人形浄瑠璃『天鼓』

能『船弁慶』

能『正尊』

 

能『船弁慶』の船の上で…という話が引っかかって思い出せたのですが、話は違う…印象はそんな感じでした。

私の母は、何度かこの『義経千本桜』を見ているそうで、何度か見ていると反応も違うのでしょうね…。そう思わされる感想を後日聞きました。しかし、私は初めてでしたので、感想は…とにかく見たことのある話があるぞ~って感じで少し気持ち悪いというか、ナンだろう?と探すきっかけになったのでした。

義経千本桜とは…

ウィキペディアの文章から…

源平合戦後の源義経の都落ちをきっかけに、じつは生き延びていた平家の武将たちとそれに巻き込まれた者たちの悲劇を描く。

 

なんて簡潔…という説明ですが、そうまとめている凄さを思わされました。

5幕にわたるお話。そりゃ…前後わからないと、理解難しい…ってところがあって当然かも知れません。ただ、前後のお話も見たことなくても、源義経という題材、きっと歌舞伎が起こった江戸時代の人々にとっては、なんとなくでも知りえている過去の歴史上の人物。そんな共通認識がある人だったのかなぁ…って推測させられました。こんなの5幕全てを…って見るのは大変だなぁ…って思ったのです。でも、ふとそういえば…銀座の歌舞伎座に昔フラッと行って一幕だけ見るってしたことを思い出して、ずっと朝からの続き…という流れの一幕を「歌舞伎」ってこんなものだ…って見たときのことを思い出させられました。

きっと、好きな人は朝からずっと…って江戸時代を思うと大掛かりな娯楽だなぁ…ということも思いました。

 

『船弁慶』では、平知盛って死んでいた…というのは記憶にあって、フィクションの世界はいかようにも…というのは思うのですが、歌舞伎と能狂言とのつながりや違いなどを意識させられるのでした。

 

ちょうど『平清盛』という大河ドラマがあった後、少しは平氏についても理解が広まっている?そんな時分なのかもしれないとも思わされました。

 

平家の落人たちがつくった村とか、八女の方では安徳天皇だったか、皇族が生き延びた話を地元の方に聞かせていただき、文書や手紙を見せていただいた気がするなぁ…。とにかく、史実というか、学校で学ぶことと違う話を聞く機会を持つのは、何事も本当のことは何か…?わからないなぁ…と、ものの見方考え方を操作するということは教育の仕方ひとつでも違うなぁ…としみじみ思うのでした。

 

『義経千本桜』を拝見させていただいて、こんな演目を見ながら江戸時代の人たちはどう義経のことを思っていたのだろう~?なんて考えました。歴史で習ったりするとき、私は「源頼朝は源義経が謀反を起こしたとし、殺した?」なんて感じで兄が弟を…という風に聞いた気がしてました。そんなときでも、モンゴルに逃げただの…そんな話を聞いたりして、実際は…?正直、こんな歌舞伎を見て育っていたとしたら、私自身も平泉まで逃げて…モンゴルまで行っちゃった?なんて信じて伝えていくかもなぁ…。こうあって欲しいという願望かもしれない話と、実際本当のところどうなったのか…わからないことはいっぱいだなぁと思わされる内容。

 

歌舞伎として、『義経千本桜』を拝見して、日本の文化がつながっている…ということを感じた要素を3つあげるとしたら…

一つ目は、幕が開くタイミング。能の囃子方をされている方のお話を伺ったとき、幕が開くタイミングはこのときと決まっているわけではなく、笛・太鼓の調子を聞いて幕を開けるタイミングをはかって開けると知りました。今回、歌舞伎もなのかなぁ…?幕の開き方は違うけど、疑問を持ちました。

 

二つ目は、衣装。山伏の衣装って出てきたかなぁ…テレビで団十郎さんの死去に伴ってやっていた追悼番組でかなぁ…それでも義経の平泉に逃げる話でした。武士の衣装というものを実際に着ている姿をその時代のものとして拝見するのは絵でしかない。能での衣装、狂言での衣装も違うとされて、江戸時代は歴史ある伝統のものとして、新興してきた歌舞伎との違いなどあるのだろうなぁ…。能と狂言と歌舞伎、違いを知りたいなって思わされました。

 

三つ目は、お茶道具の話や着物柄など、こんな舞台の話と全く違うところにちょこちょこと名称由来などなど…出てくるところ。静御前の話にしても…何事もか?昔の詩歌は歌うとき以前の詩歌をどれくらい知っているかで、教養等を見るという話で…と古典で古文を学ぶ…なんて学校レベルとは違う生きている昔の出来事たち?を踏まえてしか理解できない今のモノたち…。

 

自分の国の文化や歴史について誇りを持たせる…なんて国は言っているけど、本当に奥深いものだなぁ…と思わされます。

 

ただ、能楽も歌舞伎も拝見する機会をすすんで持つように努めるようになったなんて20歳過ぎてから…と振り返り思うのですが、この場面知っている気がする…とか、なんとなく似た話を見たことがある…と思い出されることは20歳前の記憶。宝塚歌劇団の公演を毎年のように見る機会持っていたからかなぁ…?なんて意味わからなくても見ていたりしたことも関係するのかもしれません。そんな中にドリフターズの番組を思うのです。テレビを見るのを制限されて育っていたけど、それでも『八時だよ全員集合』を馬鹿なことをしている…って大人たちが言う中でも見ていた…って小さい頃のこと。馬鹿なこと…って、バカ殿様のことやいろいろと…思い出されるのですが、バラエティ番組の内容ってある意味今とはかなり違っているのかもなぁ…なんて思わされました。狂言を拝見したときに、これってドリフターズのやっていたのにあった気がする…って思ったことをはじめ、いろいろそんな伝統芸能みたいなものが下敷きになっているお笑いってあった気がするのです。だけど、今は…?

ドリフターズのコントを踏まえて…って、それらを見て育った世代がバラエティ番組の中心に出ている今であっても、そんな古典を踏まえたようなバラエティ番組ってないなぁ…なんて思わされますね。なんちゃんの狂言を取り上げて取り組んだという番組があったそうですが…って感じでしょうか?

お笑いで下敷きにできるということは、その内容を知っている人が多いから、それを踏まえているって伝わるのですよねぇ…無知のものを下敷きに展開させて笑わせるって難しいだろうなぁ…なんて思うと、能楽狂言お茶お花…雅楽などなど…って、昔はそんなに広まっていたものだろうか?とも。

武士のたしなみとして…なんて内容が一般化されることはなかっただろうけど…雅楽→能楽と貴族文化から武家文化に移行していく中で文化の中心もいろいろと変わったことだろう…とは思いますが、今も昔も一部の人達しかちゃんとついていけていない…というのは一緒なのかも知れないとも思います。歌舞伎は庶民のもの…と広まっていったなんて思って、それでは今は?

 

ただただ、教養って言葉のもつ意味を考えさせられるなぁ…と思ったのでした。

 

 

菊人形で見たなぁ…とか、山笠で見たなぁ…なんてそんな感じも、全てつながっているのですよねぇ…

 

今で言うと、ウルトラマンや…なんてテレビの中のヒーローやアニメと一緒だろうなぁ…なんて思いも持たされました。

 

口上というものが元々はどんなところで、どんな風に言うものを大元として歌舞伎の口上が歴史的にどんなものか?そんなことも知らずに拝見しました。口上って何?って思っても関心がないときには、見たいとも思いませんでした。今回も、正直みたいと思っていたわけではありませんでしたが、拝見して口上ひとつもいろんなものがあるのかもしれないなぁ…って思わされました。

ちょうど、私が拝見した一年前に初めての襲名披露だったとか。それはお父様もいらした…みたいですね。ブロマイドが売ってありましたから。それを思うと、一年後の姿として…などいろいろとあるのだろうなぁ…。

 

芝翫奴というものを拝見して、ビックリしました。

なんであんな状態で、立ち上がったり…とリズムカルに…

 

ただただ、この世界で生きている歌舞伎俳優の方々の中にある日本文化が生きている在り様に、こんなに自分は日本文化を知っているのだろうか…?なんて、圧倒される体験になった観劇でした。

 

海外から日本へ…って日本の歌舞伎を見て、驚く姿と自分と違いがあるのだろうか?なんて思うこともあったりして、帰りがけに「今回の芝翫奴は…」なんて話し合っていらっしゃったご年配のご夫婦の会話が聞こえたとき、ホント…何度も見たりするから、精進されている姿も優劣を評せるのでしょうねぇ…って。オーケストラの演奏を聴いて…などとも一緒でしょうけど、その世界を楽しむって何事も奥が深いものだなぁ…。

 

何事もやってみたり…関心を持つから凄さも伝わる…

日本の文化などを次世代に…なんて言っているけど、私の好きな日本文化は…?なんて、それぞれが持つ背景は日本という単位でも違う。奥の深さを多方面へも理解しようとするというのは、自分が興味関心を持つ好きなものをマニアックに…ホント、オタクになるくらいの関心の示し方ができる人の方が、何でも無関心でスルーっと流しているより国際社会を知るにはいいのかもしれない?

 

周囲の大人が関心を示さないものを子どもが関心を示すわけがない…という意味では、日本文化を伝えないといけないから…って圧しつけようとしたら、きっとイヤになるかもなぁ…というのも同時に思いました。

 

 

 

平成24年度 生涯学習受講

ずっと始まって毎年受けているのですが、受講している内容等増えていくと、いつ受講したのか…って忘れてしまったり、どなたが講義してくださったのかもわからなくなったり…。

とりあえず貼り付けておけば、探せるかなぁ…。

 

今日も、チラッとむっとしました。たかが家庭科教員!栄養士の免許は持っているらしいけど、卒業後全く研修も何も受けていないし、管理栄養士の国家試験も受けたことがない。ただ、家庭科の教員をしていて教えているだけ…。あんたが習ったときから翌年から内容大幅に栄養学変わっていってるよ~と教えてあげたい…フードデザイン担当者。かつら剥きもできない。ねじ梅もできない。献立作成能力も…低い…ホント…それありえないでしょ…と組み合わせ聞きながら、それでは技術検定受からないよ…と思うけど、私のやっていることではない。とにかく、少しはできるようになってよ…って思うくらいですが、検定指導もしたことがないから…今回3級担当。3人だけだし…で、2級指導して…とりあえず検定委員として外部見てきたら~?って、ホント…できないけど生徒にはいい顔して言う…。やって見せることもできないのにねぇ…残念な人。

 

栄養学も残念…ってくらいに、2005年に変わったでしょ?2010年にも…って多分、根底の基礎栄養学も変わって行っていて代謝についての考え方も変わって行ってるけど、知らないみたいだし…。

「食物」から「フードデザイン」に変わったことで教える中身のポイントも代わっていることすら知らない人。

ホント…残念な…と、それでも栄養士持っているんだよねぇ…。そうやって50過ぎているおばちゃんも…嘘八百教えている…って私が栄養を教えていた後を教えた先生の教えている内容を聞いた瞬間にそれ嘘じゃん…と思ったけど、その学校に自分はいなくなったんだし…否定しても仕方ないのは、それ以上に勉強していないから時代が変わっても20年前の栄養学…を目の前で私より若いはず…でも教えているのを耳にして絶句。

 

そうそう…こうなりたくないから、管理栄養士の研修会にずっと参加しているし、ずっと栄養士会にも所属し続けている。学ぶ機会は、マスコミからではなく、ちゃんと専門性を保てるように…。

そして、調理も…主婦として頑張っている以上の努力していなくて、専門知識を身につけ続ける努力していない…でも、高校生には威張って話すことができる…。そうやって嘘を教えられた人が親になって、くってかかられたから教員に転職したんだよねぇ…私。

酷いなぁ…ってね。でも、教育大学で学んできた人の栄養知識はもっと酷い。栄養教諭の必要性…ホントは学び続けているのならいいんじゃない…って思うけど、学んでいる中身がまず持ってずれている話が教育大学出ている人たちは通そうとする…って絶句…だけど、栄養士持っているなら勉強しておけ!と絶句…とはいえないなぁ…。きっと変わって行ってるのを知らないなら、教育大学出てわけわからない栄養学を正しいと押し通す人と一緒…。

 

そうなりたくないなぁ…って学ぶのも、時間かかって大変。ただ、最先端を学ぶ機会を持ち続ける…卒業して翌年にはいろいろ変わった利した体験を持っている。また、栄養を教えているときに、根底から基準などの考え方も変わったりして…、それなのにそういうのも昔の知識ままで話している…のを目にするとイタイ。

家庭科の技術検定の問題集とか自体が、栄養学の変わっていっているのについていけてない…確かにそんな中身だったりするからなぁ…。

 

 

淡々と…受講して学んでいるんだけど、この研修会の方が専門性高いはずなのに、家庭科の先生たち対象で中途半端なかんじだけど研修会を私立の大学がやって説明した研修会を県は勉強していると評価するの。まぁ…生涯学習研修会は一般の人参加できないしねぇ…。

 

そんな知っていたら言ってはいけないでしょ…ってことが平然とまだまだ家庭科の世界では言われて、「おかしい」という話が通用しない。昔取った杵柄でそこから勉強していなくても、栄養関係の雑誌かじって読んだくらいでもシッタカブッタできるから…。

とにかく学ぶ機会…と受講していて思うことは、栄養の話が食から遠ざかっている…ようにも思えるほど、医療行為の一環だなぁ…という話がいっぱい。

そして、ドンドン変わっていっているなぁ…と毎年のように変わっている…って思う話と、大学のときに基礎的に学んだ…といえども当時では最先端的話のようなことだったものが今や当然のこと…というかんじ。本当に変化に富んでいるなぁ…と思わされますね。

 

シッタカブッタでお話されている基礎の栄養講義をチラッと耳にして、いつの時代から勉強をストップされていたのか、また大学でどの程度勉強していたのかはすぐわかる…くらいに、大学でも勉強していたけど、教えないといけなかったから『栄養』とつく教科書片っ端から買いあさって読んだ甲斐があるくらいに話している人がどのくらいにしか学んでいなくて話しているかはよくわかる。大学での講義で学んだだけで、それ以上に学ぶ努力していなかったら一緒だったなぁ…と、教えるために栄養学徹底的に勉強する機会を持てたことに感謝。

いろいろ受講したものを今思い出したなぁ…。

昔よりいただいた資料等に対して出してはいけない!など、規制ちゃんと言われるようになったりしているのでした。

でも、ホントは、ちゃんと探しやすいように…という意味ではそちらの資料を貼り付けたいくらい。

ただ、インターネット上では誰が読んでいるかわからない。医学や栄養学について知識が乏しい人が勘違いして読んだりしてしまうと、真面目にやっている人にとっては邪魔することになったりするんだよねぇ…。

理解していなくても、一緒に働いているシッタカブッタさんと同じようなことしてくれる人はいっぱいですから…。知る努力はしない。自分が知っている範疇で教えようとする…そうやって、それ違うやろ…と突っ込みたくなる話を耳にして…でも、言っても勉強していないから、その人には通じないんだよね…おかしいってことが。そうならないように…って勉強していても、多岐にわたる栄養学。

 

今日もチラッと耳にして、ん……………と思っても、昔そうだったよねぇ…という点では正しいけど、どんだけ勉強していないんだ…

 

わたしも受講したことをちゃんと覚えるために…って以前は書いていた。ただ、書くのは簡単だけど、読む人が適切に解釈してくれないとき、私が栄養士のときに体験したように…わけわからない「家庭科の先生が教えたというのに違うというのですか」という言いがかりを産む原因になるかもしれない…。今日は、それを思い出させられました。

 

 

見えない学力

H13.7.22と書いてある…って、購入日を記録してるもの。その後すぐに読んでいると思う本。


この本を読んで、どうしたらいいか…?と考えたことと正反対のことを金曜に言われた。教育大学出身の方から…。価値観いろいろだね…。

 

「見える学力」だけでは落ちこぼれる!

「見えない学力」なら、本物の思考力・応用力がつく!

 

「見えない学力」は、3つの要素から成り立つと書いてあって、3つ。言語能力と根気と先行体験

 

「見えない学力」が豊かになれば、想像的なアイデアや、人生を主体的に生きる知恵などを生み出す源泉ともなっていくと、全人格的な能力の基礎づくりだと書かれていたのでした。

 

「言語能力」を学力の基礎として上げてあります。子どもの言語能力は、親が子に語りかける言葉の質と、読書を通して築かれていくと。

読書の習慣の付いた子は、知的好奇心が強いので、学力の豊かな土壌を育てていく。逆の言葉の力の乏しいこの学力は決して伸びない。

 

この岸本さんがおっしゃるようなことが、「言語活動の充実」など言われる元なのかなぁ…。

 

「根気」というものは、家庭で仕事や役割を果たせる巳地上生活のしつけを通じて習慣づけられていくのです。親自身根気強いかどうかがカギだと書いてあります。

 

「先行体験」。体験がないと、いくら紙の上(教科書)で習っても、実のある学習にならないと書いてあります。先行体験が豊かだと、新しく学習することが容易に理解できるようになります。

 

この3つ、その中の「先行体験」には本当に納得させられました。

 

ドラえもんのイラストで、内容は家庭教育について書いてある…と言いながら、家庭でどう取り組むか?は結構難しいというものもあるなぁ…とは思わせれていましたね。

この中の「先行体験」というキーワードが頭に残り、何か新しい学習を始める際は、必ず体験から始めるように…というか、共通する先行体験を作りだし、学習内容を進めるというやり方をしてきました。共通の先行体験を新たに作りださない限り、個人差大。もっと言うのなら、同じ体験に対しても、家庭での価値観が刷り込まれている。そこで、適切か不適切か?という比べ方をうするのなら、先行体験が様々なところに共通地盤がないままに教えていくと生徒が想像できない事象も多い…。これはよ~く分かる話でした。

 

 

偽装質屋

特報フロンティア「“偽装”質屋~年金が狙われる~」

多分、これを見たのかなぁ…と思います。

2000円の腕時計を質草に、10万円もの金を貸し付ける“偽装”質屋が各地に広がっている。実質的な担保は高齢者の年金。年金支給日になると、高齢者の口座から超高金利の利息を引き落とすのだ。警察は違法な貸金業と見て捜査を進めている。さらに、被害にあった高齢者の多くが“偽装”質屋を憎むどころか、苦しい年金生活の頼みの綱と考えていることがわかってきた。高齢者の不安に巧みにつけこむ“偽装”質屋の実態に迫る。

 

明るい話ではない。

だけど、見ておかなきゃ…って思わされて、見ました。

 

なんで、偽装質屋なんかに行くのだろう…?素朴な疑問でした。

質屋って、担保に物を取るところなんだから、なぜそんな話のところで、「偽装」というのは何をするのだろう~?昨年度報道されている時も思っていました。だから、じーっと見ていて、その後に『終(つい)の住処(すみか)はどこに老人漂流社会』を見たら、はぁ…って何とも言い難い感じ。

 

偽装質屋を活用している…って、何を偽装質屋がしているのか?

単語で書くのなら「年金担保貸付」ということなんだ…。

 

見ていて思ったことは2つ。

 

その1 クレジットカードなどの貸付に対する規制が厳しくなったら、抜け道探し…って感じの一つ。ただ、規制が厳しくなったことで窮地に…という感じになっているのは貸す側もだろうけど、借りる側も…ってことだね。

借りる人への審査というか、確認も厳しくなったもんねぇ…。

 

その2 高齢者の年金をだまし取ろう…というのかなぁ…10万借りて12万返す。10万借りて、10万5千円だったらいいのかなぁ…?なんてバカなことを思いながら、借りる側の困っている状況…。中小企業などへの貸付が厳しくなって…と、借りることが困難になっている話もでしょうけど、借りたくても「信用」という担保を持ちにくい…高齢な方々の増加はどうにかならないのだろうか?って思わされました。

 

65歳以上が3000万人だっけ…。

65歳以上の高齢者、3000万人超す 「団塊」到達で 
総務省推計 2012/9/16 17:01

 

高齢者のお金を借りた理由が、親の葬儀のため…治療費…って、誰にでもありそうなお話でした。

年金担保貸付事業・労災年金担保貸付事業

平成22年12月の政府の決定に基づき、貸付限度額の引下げなどにより、年金担保融資を利用される方にとって必要な資金をご融資し、無理のないご返済となるようにするため、平成23年12月から下記のとおり年金担保融資制度の取扱いを変更いたします。

 

なんて書いてはあるのですが、その平成23年12月以前にお金を借りた人達。

借りた時に予定していた年金が減少→返せない→取りあえず調達しなければいけない…

公的な?年金担保貸付事業

生活保護制度上の取扱いとして、生活保護受給中の方の年金担保融資の利用を認めず、年金担保融資を利用している方(返済期間中)について、原則として生活保護を適用しないこととなっています。
今回、これに加え年金担保融資を利用中に生活保護を受給したことのある方で、生活保護廃止後5年を経過していない方についても年金担保融資をご利用いただけなくなります。 

 

はぁ…要するに借りている以上、生活保護を受けるようにもなれないのですね。

違法年金担保融資対策法

 

 

なぜ?という疑問はたくさんよぎることでしたが、2000円のもので10万円借りることができて、ラッキー…なんて思うこと。その物事への感覚が本当は本人の甘さだと思うのです。だけど、返却時に約12万になって…というのは、質屋では問題ないことだということも知りましたね。

物を担保にしている…ようで、そうではない。おかしいなぁ…?なんて思わない感覚…。

銀行引き落としでお金を返済というのもビックリでした。