老化

本を整理していたら、老化について書いてある本を結構読みあさっていたことに気付かされました。

家に転がっているだけでも数冊。

 

実は何を抑えると、ほんとうに老後のことを考えて…という学びができるのだろう?

素朴な疑問と共に読んだのでした。

 

そんな本の中に、図解老化のことを正しく知る本というのがあります。

ただ、今から12年前の本。改訂版を見つけて書く!ということが必要そうだなぁ…くらいに変わっている認識もあるはず…。

 

そんな中で老化のことを考えて…と若い世代が何を学べばいい?って難しいですよねぇ…。

 

わが国は世界最長寿国であるとともに少子化が同時に進行し、人口の急激な高齢化が進んでいる。今後 10 年先を見据えた時に、高齢者の健康づくりの目標として、健康余命のさらなる延伸、生活の質の向上、健康格差の縮小に加えて、プロダクティビティの増進を掲げる必要がある。

これは、厚生労働省の文章

 

 

新しい言葉?

ロコモティブシンドローム

これは、抑えておいた方がいいんじゃない~?と思わされています。

メモ代わりに…。

ロコモティブシンドロームの観点から見る超高齢社会の運動器障害と栄養

もっと知ろう!「ロコモティブシンドローム」

 

Ⅰ.老化について
1.老化の概念
老化とは成熟に達した後にくる加齢変化である。寿命(正確には余命)は死ぬまでの生存期間である。いつかは死が訪れるまでの余命は、社会の発展段階と密接に関わりながら次第に長くなってきており、人は身体的、精神的、社会的な老化を実感しながら(老性自覚 age identification)後半生を生きる。
2.老化の原因
老化には、外因に規定されない正常老化と疾病や外的環境要因により加速された病的老化がある。正常老化がなぜ起こるのか、これについては様々な仮説(=老化学説)が出されているが、現在最も有力視されているのがフリーラジカル説である(安藤ほか, 2000)。
これは、日光に含まれる紫外線や空気中の酸素によって、DNA を含む細胞の全構成員が障害を受けつづけ、それが蓄積すると神経系、内分泌系、循環器系、免疫系などの生体システムに変調が生じ、最終的に個体の老化につながるというものである。フリーラジカルの
発生を促進するものを酸化ストレスとよぶ。酸化ストレスを受けつづけた影響は、分子レベル→細胞レベル→臓器レベル→生理機能・身体機能レベル→生活機能レベル→生死、につながる。
3.疾病と老化
疾病と老化は区別される。疾病は老化過程を修飾し、老化は疾病過程を修飾する。疾病過程には遺伝的および生活環境要因が関わっているように、老化過程も遺伝的および生活環境要因により修飾される。老化は普遍的な現象であるがそれは内的、外的要因により修飾され、その影響が蓄積して現れる高齢期には老化の個人差は大きくなる。
4.老化のあらわれ
老化は、生体分子、細胞、臓器、生理・身体機能、生活機能レベルに現れる。ここでは高齢期における身体機能(うち歩行機能と認知機能)と生活機能(うち ADL と IADL)に絞って老化の姿を概観する。
31)身体機能
高齢期の身体機能に影響する 2 大要因は疾病と老化である。はっきりとした疾病あるいは潜在的疾病をもたない場合でも老化による影響は避けられないため、高齢期は多くのからだの機能(認知機能、感覚器機能、血液循環機能、運動機能、口腔機能、内分泌機能、感染防御機能、など)が落ちてくる。
高齢期の運動機能は筋力、歩行能、立位バランス能の 3 つに要約でき、それぞれ握力、歩行速度、開眼片足立ち時間で簡便に測定することができる。なかでも歩行速度は、筋力、立位バランス能さらには柔軟性や全身協調性を総合的に反映する最もよい指標である。歩行速度が速い高齢者ほど生活機能を維持しやすく余命も長い(Shinkai et al., 2000; Studenski et al., 2011))。今日、歩行速度は高齢者のバイタルサインの一つとみなされている。65 歳以降、歩行速度はゆっくりではあるが直線的に低下し、ある閾値に達する頃(女性 75 歳以降、男性 80 歳以降)日常生活に不自由が生じ始める。
認知機能は見当識、記憶、計算、判断、言語能力など大脳皮質の様々な機能を総称したものである。MMSE はこれら全般的脳機能を簡便に測定でき、認知症のスクリーニング検査として広く世界中で利用されている。MMSE の最高点は 30 点であるが、おおよその目安として 27~30 点が正常値、22~26 点が軽度認知障害の疑い、21 点以下が認知症などの認知障害がある可能性が高い。MMSE の平均点は 65 歳以降ゆっくりではあるが直線的に低下し、80 歳以降は 26 点を下回るようになる。
これら二つの加齢変化は正常老化をベースにしつつも病的老化が加味されている。歩行速度には脳血管疾患、心臓病あるいはロコモティブ症候群などが、認知機能にはアルツハイマー病、脳血管疾患、パーキンソン病などの、それぞれ疾病・症候群の有無が大きく影響する。社会人口学的要因では学歴、職歴、地域特性、ライフスタイル要因では身体活動、栄養状態や社会活動性なども影響する。同じ地域に住む高齢者について歩行速度を含む運動機能を 10 年間で 3 回測定した研究では、男女とも新しい世代の高齢者ほど運動機能が高いことが報告されている(鈴木・權, 2006)。筆者らも MMSE 得点において同様な傾向を観察している(Fujirawa et al., 2002)。概してわが国の高齢者の身体機能は、時代効果を受け加齢変化が抑制されつつある。
高齢期の身体機能の加齢変化の結果、転倒・骨折、物忘れ、視力・聴力障害、息切れ、低栄養、易感染性といった症状があらわれやすい。一方で、心理面では人格、健康度自己評価、抑うつ度は加齢変化が少ない。また、脳の結晶性知能のように必ずしも低下しないものもあり、すべての機能が一様に低下するわけではない。
2)生活機能
ロートン(Lawton, 1972)によると、人の活動能力は生命維持、機能的健康、知覚-認知、身体的自立、手段的自立、状況対応、社会的役割の 7 つからなり、それぞれの活動能力に階層性がある(次ページ図)。人はその発育・発達過程で左側のより低次な活動能力から右側のより高次な活動能力を獲得していく。身体機能はおおよそ「機能的健康度」や「知覚-4認知」に相当する部分である。これらはより上位の活動能力すなわち生活機能を支えている。生活機能のうち身体的自立は ADL、手段的自立は IADL と呼ばれ、これらは生活機能の基礎的な部分を成している。
某自治体における在宅高齢者全数(約 1,200 人)を対象に行われた調査(新開ほか, 2001)によると、ADL においては 75 歳以降の後期高齢期でもあまり落ちない。個々の ADL 項目で障害が最も多いのは歩行であり、最も少ないのは食事である。
ADL 低下の順序を検討した研究によると、歩行>入浴>身繕い>着替え>床の出入り>食事の順で障害が起こりやすい。歩行、入浴、トイレの動作は男性に比べ女性の自立度が低いが、その理由は女性の歩行移動力が男性より約 5 年早く低下するからである。IADL にお
いては 75 歳までは自立度が高いが、75 歳以降は加齢とともに急速に落ちてくる。調理項目以外では女性の自立度が低いが、その理由も歩行移動力の性差にある。IADL レベル以上の生活機能は、老研式活動能力指標で調べることができる。知的能動性、社会的役割のいずれも性差が顕著で、特に後期高齢期の女性の得点が低くなる。
都市部在住高齢者では社会的役割が低い一方、農村部在住高齢者では知的能動性が低いという地域差もみられる。
生活機能は高齢期ではより高次のものから低下しやすい。生活機能の低下の順序にも階層性がある。このことは高次の生活機能を維持している高齢者ではより低次の生活機能は維持されやすいことを示唆している。また、近年になるほど高齢者の生活機能は高くなる傾向がみられている。高齢期の生活機能は、教育水準、職業歴、体力や栄養状態、ライフスタイル、性役割などの社会人口学的、文化的さらには生活環境要因による影響をうけるため、その加齢変化も時代効果を受ける。

メンドクサイ文章…って思いますが、これは厚生労働省の資料として出ていたものから抜粋文章。

 

この資料は新しいと思います。

 

見極めよ 備えよ

服装なんてどうでもいい?

 

実は、わが県ではそう教育界では判断が下りました。

ですから、恐らく…これよりもさらに悪化…していくでしょう。

と思います。

 

 

本当に服装なんてどうでもいいの?

 

話をする前、言葉を発する前の全く何もないところでの、相手に対する礼儀の一つに服装があった…のは昔なのでしょうか?

そう思う出来事を体験して、やはり日本は沈没するなぁ…確信を持ちながら今日を過ごしています。

 

何を指導するか?服装は要らないか?

人権同和問題があるから…ねぇ…という話を受けて思うことは一つ。

私はそれでも、多分グローバル社会になって必要な最低ラインは服装だと思いますね。それは高級なブランドを着るという意味ではなく、どの場面で何を着るかというプロトコルからそれに派生しているマナーライン。それを教えることができない=理解できていないということで、行うことができないことは人に指導していてもわかっていないこと。

できないことを言っても、やっていることを学ぶ後進者たち。これが日本が衰退と言われている一要素だと思います。

 

では、服装は?

昔の日本人は、洋装でのプロトコルは詳しくなかった。だけど、今のようにファッションとして楽しむ…そんな豊かな文化もなかったから、プロトコルの範囲内でのファッションだったと思うのです。

でも、今はありとあらゆるタイプがあって、何でもありのファッション幅。そこに、このときにはどういう対応か?理解できていない対応をしている人という証明の一番最初は服装でしょ?それって、過去の評価産物?

 

ここが、社会ずれと言われているところなのかなぁ…?私のずれでしょうか?

服装はクールビズ対応だったならば、クールビズとしてやっていればOKの時代になっているらしい。それを企業の採用等の面接…昇進かかわる面接…で通用する企業があるのなら、見てみたい。でも、教育界では通用するということを学びましたね、今年。

そんな学びをした時点で思うことは、大学受験して点数取れて…でも社会で役立たない人をつくりだしているのは学校かもね…ってこと。判断基準がズルズル低下…。それが国力低下につながってますね。なめ猫文化、ちょっと外れている方がカッコいい…そんな集大成の最低最悪な結末を見ながら思うことは、ヤクザやチンピラがカッコいいと思われる社会を作っちゃったのでは?

 

どうでもいいことなのか?

 

昔は、企業に入って教育していた…って、今はそんなお金をかける余裕がない…だから、ちゃんと必要事項が身についていること…。最低ラインに服装が達しないのは、認識ずれた教員に習うからだなぁ…って思いますね。ずれている服装をしているずれている価値観で話をされている人達に、どうしたらずれているよ…って伝わるか?相手の頑張っているも認めてずれていると受け入れさせる…???ずれ過ぎていて気持ち悪すぎる…。ずらしていった「デモシカ」先生たちのつくりだした教育風土は、PISAでも評価を受けている顛末。

 

ファッショナブルと正しく着装するの違いがわからずに成長していく…ちょっと崩すのがカッコいいというけど、何をどう崩したかをわかっていない恰好を理解もなく着ているみっともなさ…。それを世界に通そうとすることができないから、海外に訪問もできないようになっている人もいますよね。知らないことによってやったこと…を受け入れて改めることをしないことを通すのも一つだけど、国際プロトコルで通用しない話としての歴史的背景からの判断による冷遇を受ける日本。それも一つだとは思いますが、そうとは知らずに真似て国内で広めていく…そのナンセンスさも…。理解して使い分けている人がまだまだいる…。そんな人達しか稼げない世の中になっているなぁ…とは思わされます。

 

もう、そんな違いを学んでいる…独力で…そうでなければ学ぶ機会を得て成長できる環境を求めた人達のみが稼げるようになっている。

 

グローバル社会に求められていること、いろんな文献等で論じられていることの以前に大前提で、述べている人たちが身につけていて当然と思っているところが崩れていることを知らずに、崩れていない前提で論じていると思いますね。

崩れている現実を知らないのは、崩れていない状況の人達との交流しかないグループに所属できているというのか、崩れていない人たちが大多数派のグループとの毎日が普通だから…という感じ。

崩れている現実が8割であっても、その8割をどうするか?という議論を持たないとき、目立たない意見。だけど、崩れている8割を含めて議論するとき、実はその8割の崩れている問題性をちゃんと把握できていないことから起こる悲劇…それを繰り返してきた政治。

根本問題を捉え損ねて、小手先でやってきた終焉が必要。

ちゃんと日本語通じているはず!の勘違いが産んでいる、言葉は同じようだけど違うものに化けていることたちを正確につかめていないことが日本の失態等の大きな原因だと思います。

 

中国のタテマエ社会をつくりだす背景に日本の影響があるかもよ…なんて思うと逆かもしれませんが、少なからず崩壊するのを待つか崩壊させるかしか選択肢がなくなっている日本の現状を一番よい変え方をするのは、積極的に壊しに行くことだと思いますね。壊れてからの対応は早いかもしれないけど、壊してからよりも痛手が大きい。

 

まだ勘違いして総理大臣に居座って…何が先にあるのか?

第三の勢力をつくりだしていき、確実なものにするにはいいかも。

 

1854年 安政の大地震

1858年 安政の大獄

 

1919年

1923年関東大震災

1927年金融恐慌

 

1991年ソビエト崩壊

1995年阪神淡路大震災

1998年ロシア危機

 

2006年イラク

2011年東北大震災

2015年…?

 

 

脈略はない引っ張り方です。

 

壊れた価値観壊された価値観…その後の対応の仕方で起こることは変わってくる。

どう対応するのか?

 

日本では地震など毎年のように…どこかで起こっているのでもっとピックアップ可能だし、もっと違う面白い引っ張り方ができるはず。

 

 

 

日本の国としてみた時は…?

今年はもう数年前から、年金がうまく運用されていないという事実がオープンになるよって言われていた年。要するにもう、こんな風にはなるだろう…って言われていたのに、対応してなくて来ちゃったよ…って感じのことがいっぱいでしょうね。私は対応しているよ~って人も多いと思いますが。

2015年も言われてますよね…。

 

 

日本の信頼信用を支えてきたもの…土台が無くなった時に、やっと見直されるのは見た目かもね。

もし、今の中国を1960年ごろの日本の状況とたとえる側面があるとしたら、生活への価値観の変化も似ている感じかなぁ…。

 

今の日本を1960年後のアメリカの状況とたとえる側面があるとしたら、建て直しはじめたことは食生活など生活基本…?

 

さて、後は、進行速度が変わっている。

スーツにダイバーズウォッチ?で笑われる…って、それが何を笑うところかわからない…という話くらいに

 

日本の食生活をみならって…

日本の学校制度をみならって…

そんな取り組みをした国と自分のやり方を捨てた日本…。

 

あらゆることが変わっていく今。

 

キーワードって

見極めよ

備えよ

 

 

既存の価値観が崩壊するときに同時に壊れるものは既存の組織。

それでも壊れないものがある。それを見極めていない人は、ここぞの服装をわからない。なぜなら、どこが違うかわからないから。ここぞを知っている人は、それに応じた鎧として服装を着るのにね。平和ボケしている体制で平和ボケしている人たちを集める組織のお粗末さ。平時にずれているのは、危機には対応無理ということになるでしょうね…。

グローバル人材育成に向けた国際化戦略

新聞の広告欄ですが、読んで気になった文章だけアップします。

 

神戸大学・京都大学・大阪大学

中国蘇州シンポジウム 主催:池田泉州ホールディングス池田泉州銀行

日本経済新聞2012年10月22日

○主催者あいさつ 服部盛隆氏

グローバル時代に不可欠な人材とは、共通の言語で話し合え、双方の国の文化や習慣を理解でき、問題解決能力を備えた人です。本日は…

蘇州市は、池田泉州銀行の創業の地の一つである活けだしと1年前から友好都市関係にあります。また、およそ1700年前、後の国から機織りの技術が日本に伝わりました(日本書紀)。それが池田市であったといの言い伝えが残るなど、いにしえからの深いつながりがあります。その蘇州市から、中国と日本はもちろん、世界に向けて有意義な情報を発信し、相互理解を深めながら、不動の隣国である中国との懸け橋として、シンポジウムを通してお役に立つことができれば幸いです。

○近畿経済産業局 局長 小林利典氏

様々な難題が渦巻く世界情勢を打破するには、グローバルな視点が不可欠です。それを推し進めるグローバル人財とは、会話はもちろん、互いの共通点や相違点を正確に理解し、各々の文化や伝統を尊重し合うことが自然にできる人だと思います。言いかえれば、国の違いを障害ではなく、チャンスととらえる人です。…

○講演 神戸大学 学長 福田秀樹氏

いま21世紀のグローバル社会が抱える喫緊の課題を解決できる人材の育成が求められています。必要とされる人材像は深い教養と高度な専門性、グローバルな視野を供え、問題解決だけでなく、「問題発見型リーダーシップ」を発揮できる人です。異文化を理解し、日本人としてのアイデンティティーを供えていることも重要です。

京都大学 総長 松本紘氏

いま地球上には70億を超える人間が生存しています。人口は増加の一途をたどり、資源をどんどん食いつぶしている。この状況が続けば、現代文明が安泰でないことは明らかです。確かに豊かさを支えるのは学術研究であり、それに基づく科学研究です。しかしそれだけでは、いつかどこかで大きな問題に突き当たります。

そこで必要となるのが、人類の将来を見通せる力を持つリーダーです。確固たる世界観や哲学、志を持ち、視野が広く、外国語を駆使して十分なコミュニケーションができる。日本人としての自覚を持ったトランス・カルチャラルな人です。

中国の唐で学んだ空海は「国家の興亡の元は人にあり、人の育成は定めて教育にあり」と言っています。…

大阪大学 総長 平野俊夫氏

現代社会の抱える、複雑かつ地球規模の課題は、高度な専門性だけで解決することは難しい。従来の常識や枠組みを超え、異なる分野の知識や経験を終結することが不可欠です。そこで求められるのが高度な専門性を備え、総合的かつ的確な判断ができ、複雑で困難な課題に挑戦し、解決するためのネットワークを持つ人材です。

○復旦大学 副校長 馮暁源氏

これらの取組みを通じて再確認できたのは、グローバル人材を擁する世界トップクラスの大学とは開かれた学校だる事。そして絶えず教育・研究レベルの向上を図り、積極的に国際交流と国際協力を展開することが大事だということです。その結果、グローバルな視野を持つ人材が育ち、大学の発展に寄与する力になると考えます。

○上海交通大学 校長 張傑氏

いま大学では世界規模の課題を解決できる優れたリーダーを育成し、高度な研究を推し進め、国際化を通じて大学自身が変革と発展に取り組む必要があります。正に国際化は世界トップクラスの教育機関となるのに避けて通れない道です。

一方、中国は経済モデルの変革期にあります。持続的な経済成長を遂げるため、従来の労働集約型から知識集約型へと転換しなければいけません。教育手法もそれに合わせて変えていく必要があります。ポイントは知識の伝承だけでなく、知識の探求心、専門知識の向上、人格の養成と言う3つを、学生中心に三位一体で行うことです。

○浙江大学 校長 楊衛氏

…未来のリーダーとは、孫子兵法でいう「智、信、仁、勇、巌」の5つの資質を備え、国際的視野と異文化理解、多様なコミュニケーション能力を持つ人です。

そうした人材を育成する上で理解すべきトレンドは、これまで人は東から西へ、南から北へと移動し、知識はその逆に流れていましたが、国際交流が活発化したことで世界は互いに影響し合う段階に入り、ウィン・ウィンの関係を築くことが大切になったという点です。

ディスカッション

グローバル人材の具体像について

松本 グローバル人材の育成を考える上で、もう一つ重要なポイントがあります。それはリーダーとして活躍する人と、それを支える人の2種類の人材を育成する必要があることです。当たり前ですが、リーダーだけでは仕事は進みません。リーダーとは自ら進んでパラダイムシフトを起こせる人。そして強い意志と責任感を持った人です。

平野 …

そこで重要なのが、文化や宗教、言語などの違いを理解し尊重できる能力です。また多様かつ複合的な課題の解決は専門知識だけでは無理で、専門と専門をインタラクティブにつなぐ能力もいるでしょう。

「木を見て、森を見ず」ということわざがありますが、物事の一部や細部にとらわれ、全体を見失うことがないように、地球規模で俯瞰することが大切です。つまり正しい判断を下すには、目の前で起こっている事象の本質は何であるか、本質を見抜く、見極める力が必要です。また孔子の教えにある「怒」。相手の立場に立って物事を考え行動することも大切です。そして寛容の心。相手を受け入れて共生していくことも必要です。

張 予測が困難な現代、地球規模の課題を従来の常識や枠組みにとらわれていては解決することは難しい。そこで道の課題を解決できる力、イノベーション能力がとても大事です。

ではそうした能力を育成するのに、どうすればいいのか。科学技術の知識を掘り下げるだけではだめで、人文の知識を学ぶことが欠かせません。未来を見通すには文化・文明の発展の歴史など、過去を正しく理解することが必要です。多元的な文化はいけ煮の中で、異文化を尊重することの大事さも同時に教えなければいけません。つまり人文の知恵を活かしつつ、科学技術の進歩を図ることが、未知の問題に対する解決方法であり、イノベーションを起こす力となるでしょう。…

閉会の辞 京都大学 総長 松本紘氏

今日シンポジウムが開催されたこの蘇州の地で、1300年前、唐の詩人である張継氏が漢詩「楓橋夜泊」この歌は張氏が役人試験に落ち挫折した際に作った歌ですが、彼はその後猛勉強して役人となり、国際的なリーダーとして大いに活躍されたそうです。彼のように自ら考え、実践して初めてグローバル人材としての資格ができる。仏教の教えでいう「聞・思・修の三恵」が大切だと思います。

人を育てることは国を超えた人類共通の課題。日中両国が互いに学び、尊敬し合い、対話し、ともに成長していくことを願ってやみません。

 

この全面新聞広告。

有意義なでも、危険なイベントだっただろうとしみじみ思います。なぜなら、今の中国と日本との関係。イマイチ。

国交正常化40周年という記念行事のうち、開催が見送られたりしているケースもあると聞きます。そんな中で、あったこと自体に有意義さを感じます。

拝読していて思ったことは、このレベルで国全体が動くか?そこは疑問であるということ。

ただ、この意識を持って次世代を育成されなければ、確かに未来はないかもね。ただ遅いなぁ…スタートとは思います。だから、ヨーロッパも今大変~って状態になっているんだよね…多分。だから、きっと近い将来、大変~がやってくるだろうな…と思わされました。

 

正直、私立に我が子をやって、教育はこれで安心~って思っている親。これも一つと思います…って、自分でできる自信がないなら誰かに頼むって意味で。だけど、親世代の高学歴化が進む中で大切なことは、親がどう子どもを育てるか、主体的に親が行うことができるかどうか…これがこれからの時代を生き抜くことができる子どもになれるかどうかだと思うのです。

公立学校の限界というものもありますね。その中で、真のグローバル化に対応できる人材になれるか否かは、学校裁量ももちろんあると思いますが、それよりも親の教育力だと思います。それが欠落していれば、その子どもは大人になって自分で身につければいい…?出会いは大きいですね。公立学校での教育の求めるところが、文部科学省が何を言っても変わらない…っていうのを辞めること。つまり、本当に変えることが大切だと思います。ただ、それをするのは難しい…?難しい話ではなく、簡単な話。企業ではできて、官公庁公立でできない理由は一つ。姿勢が違う。JRやJTなどに学ぶことが大いにあると思いますね。そして、ある意味で断行しなければいけないと思います。

 

セレンディピティ

こんな科学者の文章の中で、「セレンディピティ」という言葉に遭遇するなんて…思ってもみませんでした。だけど、この言葉、何度か出会ったぞ…と調べて見ることに。

日本経済新聞の「私の履歴書」というところに、根岸英一さんが寄稿されているのですが、その中の「発見とは何か」という21回目の内容にあったのです。

 

発見の大前提には「何が欲しいか」という①願望と「何を必要とするか」という②ニーズがある。そしてそれを目指す③作戦あるいは計画を立てなければいけない。

 発見に向けて最も大切な項目は、ブラウン教授に学んだ④系統だった探索だ。ただしこれを進めるためには、知性的な側面から3つの項目が欠かせない。⑤豊富な知識と⑥豊富なアイデア、そして⑦正確な判断だ。

 アイデアは計画の実現のために特に重要だと考えている。大学の研究で学生や博士研究員がアイデアを持ってきた時、私は必ず「ほかにどういうアイデアを考えているのか」と聞いている。少なくとも5~10個、望ましくは20~30個のアイデアを持ち、裁量と思われるものを検討すれば、よい結果に結びつく確立は高くなるはずだ。

 知性面以外にも必要な条件が2つある。探索に向けた⑧意志力あるいは意欲と、探索をあきらめない⑨不屈の行動力だ。私自身「エターナル・オプチミズム」という姿勢を貫いてきた。日本語に訳すと「永遠の楽観主義」になっていしまうが、ここには絶対にへこたれないという意味合いが含まれている。

  実際に実験を始めると、うまくいくことはほとんどない。では何回、失敗を続けられるのか。私は思ったような結果が1ヶ月出なければ、いったん棚上げする方針を決めている。別のテーマに取り組んでいるうちに、失敗した実験がだんだん客観的に捉えられるようになる。違う視点から別のアイデアが浮かび、再挑戦する。それを繰り返してきた。

 発見の条件の10番目の項目は「セレンディピティ」だ。スリランカの3人の王子が思いがけない発見をする昔話に基づくこの才能は、最近とても重要視されている。しかし私は最後に置いた。多くの場合にセレンディピティがなくとも発見は可能と考えている。中心はあくまで、系統だった探索だと確信する。

と、このセレンディピティを含めて10項目を図で説明してあったりしたのです。

まぁ…私と見解が違うのは、セレンディピティってなくても本当にいいのか?という点で、私は多分気づけるって関係すると思うのでした。

で、この話を他のどこで読んだのだろう…?思い出せない。まぁそのうちおもいだせるかもなぁ…と調べてみたいと思ったのは、スリランカの王子の話。

 

でも、最初にセレンディピティと調べて、ウィキペディアに。ウィキペディアでは次のように説明されてました

セレンディピティ(英:serendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけにひらめきを得、幸運を掴み取る能力のことである。

 

そして、根岸さんがいう「serendipity」に関する昔話というのは『セレンディップの3人の王子(The Three Princes of Serendip)』という5世紀のペルシャの伝承らしい。(セレンディップとは現在のスリランカのことなんだって)。この話を子どものころに読んだホレス・ウォールポールさんが1754年に作り出した造語が「serendipity」だそうです。

 

The Meanings of “Serendip”

無謀な…日本語で探したいけど、セレンディップの三人の王子の話から飛んでいったのはこのサイトでした。

日本語で探して…と見つけたのはこれ

セレンディッポの三人の王子の旅

タイトルが違うから見つけることができなかった?でも、不思議、香川大学経済学部のサイトみたいです…。

さて、さらに探していて見つけたのです。同じく日本経済新聞のかつての「私の履歴書」で早石修さんが紹介されていた…とセレンディピティのことを触れているサイトを見つけました。

翻訳はバベル 「セレンディップの3人の王子」 セレンディピティという言葉を聴いたらこの本を読もう

有機化学者の根岸英一さんのことです。きっと、この生化学者の早石修さんの記事をご存知だったのかなぁ…?また、白川秀樹さんの功績をたたえる言葉への否定でしょうか?

そんなことはわかりませんが、かなり有名なお話なのですね。

 

「真によいアイデアは、ひらめきと汗と技法の組み合わせから生まれる」とフィリップ・コトラー(マーケティング研究の第一人者)の言葉が、このセレンディップと一緒に紹介されているサイトを見つけました。なるほど…。

 

セレンディピティについて 平成13年3月~8月ネット上にて公表

こちらの話は、ちょっと違う。きっと、いろんな
伝承のお話があるのでしょう。

こちらのサイトで知りました。日野さんが書いた本のタイトルにあるのですねぇ…


さて、広辞苑によると、セレンディピティとは、(お伽話「セレンディップ(セイロン)の三王子」の主人公が持っていたところから)思わぬものを偶然に発見するr能力。幸運を招きよせる力とあるのです。へぇ~。

はて、同じことに通じるのでしょうか?「セレンディピティ効果」という言葉もあるみたいですね。

 

さて、セレンディピティの反対語もあるって当たり前でしょうか…?

Japanity というのだそうです。「誰もがやっていることを追いかけて、必然のところで発見する能力」

綴りを見て、ん?

Japanと入っているではありませんか…ってね。

海外の人が日本人研究者を揶揄した言葉らしいと書いてありました。

 「日本人の独創性の乏しさと、ブームのテーマに飛びつく性向を指していると述べられているから、これは大いに反論したいところである。」
と書いていますが、Japanese insanityの意味で使われているのであればやはり良い意味では使われていないということになりますかね。

と、質問サイトへの返答に書いてある文章を読みながら、日本人だけではないけど、この意味に使われるjapanという綴り…あまりいい気分にはならないですね。

japanity… “serendipity”の反対語勝間和代さんの公式ブログに2005年書かれたものにも書いてあった…。

 

小惑星探査機「はやぶさ」の偉業達成は ジャパニティの賜物であり、これから「Japanity」の国際的価値は大いに上昇するに違いない。

こんなことが書いてある…とこれはこれで面白い発想だなぁ…って思いました。

 

「serendipity」の土台には「japanity」があるのではないでしょうか。

「偶然を必然に変える努力を積み重ねながら、千載一遇の偶然を待つ」

こんな風に書いてあるブログもありました。なるほどねぇ~。

 

セレンディピティで見つけた動画で、こんなのがあるんだ…ってビックリ。

こんな使い方もありなのですね。

 

でも、Japanityで見つけた動画はイマイチ…ん…ある意味こういう風に日本のものが伝わっていってるんだ…どの国もいろいろな伝えられ方があると思いますが、途中で「ん…」と思ってみるのを辞めちゃいました。

 

「セレンディピティ」(serendipity)という言葉の起原について 茂木健一郎「脳のなかの文學」第9回 (文芸春秋「文學界」 2004年12月号掲載)より抜粋

 

いろんな人の見解があるみたいですね。

 

ウィキペディアに関連項目として、シンクロニシティがあがっていた。これはこれで、へぇ~って驚きでした。

 

お~って、読み返し。

ん…

 

ある意味凄すぎる…。

セレンディピティと科学なんか違いそう…って思ったのが無知でした…。

ホント、山中教授のiPS細胞のお話も、セレンディピティと思える節ありですよね。

 

愚直に頑張ってみている…その結果と思えば、japanityの結果、serendipityがあるのかも。何となくだけど、『セレンディップの3人の王子』の話を読んで、最初英語バージョンを読んで、日本語に訳されたものを読んで思ったのは、微妙に話が違う気がする…でした。なんか違う…と思ったけど、いずれにしても、ラクダの話バージョンの部分で思わされたのはなぜラクダを見ていないのにラクダを言い表せるか?はそれまでに培ったもののお陰様ですよね…。英語バージョンの方だったか、王様が自分の息子たちの教育をさせて…うんぬんという話があったのですが、幸運にも…という言い方に努力してきていると抵抗感があるかもしれませんが、根岸さんもセレンディピティじゃない?なんて改めて思わされました。

何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉、「セレンディピティ」はわかる気がするなぁ…とも思いました。ねかして置いたり、ちょっと休ませて…他のことをしてみたり…探しているのは変わらないんだけど執着せずにいる状態の時にふと思いつく…。焦って結果を出してまとめる…ってことも即効性という意味では必要な時もありますが、7割方作ってみて、期限ギリギリまで放置…することがあります。これでいいかなぁ…とまとめる方向性は考えていても、偶発的にですがなんかこれがいいかも…って閃くことってあるのです。1回や2回ではないので、何事も大方作っておいて寝かします。ふっと降ってくるように神さまありがとう~と言うしかない感じで、うまく道筋が違うこと思いついて…一からやり直ししてもそちらの方がなんかいい…。思いつけないときはギリギリあたふたと…ってまとめて、でも、あたふたしている時に思いつくこともありますね。授業とかも、こうして進めようって思っていてその場に行って、急に全く違う方法で進める…思いついたままにやることがあります。用意していることをもちろん教えるためにどうするか?ではありますが、この進め方よりこっちの方がいいかも…思いついてやってみてうまくいった体験を結構持っていますね。ありきたりの進め方…以外に何かないかなぁ…「楽しくなければ!」って発想を最初に植え込まれているからかも…最初の学校のキャッチフレーズが「楽しくなければ学校ではない」だったっけ…無謀?なんか違う気もするけど、とにかく楽しい授業楽しい学校は創意工夫と生徒のやる気からなる…そんな感じで、教える側の努力で楽しさを生み出すこととやる気を生み出すことをどうしたらできるか…無理矢理させるところから生み出されるやる気ももちろん含まれるけど、その先の達成感や充実感あるもの…など、めっちゃくちゃな発想かもしれないけど何でも楽しむレベルまで持って行くためには…発想。結論は、自分が楽しくないといけない。自分で楽しめるものにまずはする!って感じで、取り組むの当たり前…ってなってたなぁ…。

 

結構、企業経営とか自己啓発の本をはじめ、ビジネスマン用の本の中に面白いことあったりするので、読んではそれを授業にどう利用しよう…って普通にしてましたね。ビジネスマンだって真面目に文章を読むのが好きな人ばかりではないはず…って感じで、いろいろな工夫があってそれを学校に持ち込んで話す…ネタはビジネス書にありって感じのこといっぱいですね。

 

「情報」の授業をやっている時に、テーマを覚えていないけど、意識にないことは見えないという話をするために…たまたま読んだ本が役立つとかあった。その役立った本のタイトルを今覚えていないけど、「セブンイレブンのマークを書きなさい」とか、「家庭基礎」でも使ったなぁ…。表紙が茶色かった…って感じにしか覚えていない。でも、その本の中だったと思うけど、その人は言いたいことのためにみそ汁の作り方の話を例に出していたような気がする。(違う本だったかも)

 

思いついた関連のありそうなことも…メモっていると役立つかも…くらいの蛇足でした。

 

 

 

虫の知らせ

シンクロニシティーを読み解くスキル

シンクロニシティ…ありですね

グローバリゼーション

『日経プレミアプラス』Vol.1という新書をコンビニで見かけたので、買ってみました。

誕生!新・新書

そんな言葉が気になって、お初物って取りあえず買ってみる。そんな本の買い方をする時があります。(我が家にはアエラの創刊号があったくらい…)

 

その中に特集として書かれている「10年後困らない働き方研究」

実は、今日、この本を読んだのは一昨日…ですが、ここに書いてあることをまさに…と友達に聞いたのでした。

 

村上憲郎さん(元グーグル日本法人社長兼米本社副社長)の文章にあったのです。

 

「グローバルスタンダードな経営をしている企業しか残れない」 これが大前提なわけですが、そこで社員と会社の関係がどうなっているかを、次に考えてみましょう。

事の良し悪しは別にして、「グローバリゼーション」とは、現実的には「アメリカナイゼ―ション」と同義。米国の企業社会を見れば、今後の企業の人事政策が見えてきます。

人事政策の入り口は採用です。米国においては、採用に際して、性別・年齢・国籍・家族構成・思想信条・宗教を聞いてはいけないことになっています。年齢や性別を着てしまった上で不採用と言うことにでもすれば、たとえ不採用の理由が「女性だから」「高齢だから」ではなかったにせよ、聞いたというだけで完全にアウトです。会社側は倍鎗金として一億円ぐらいは払わされるでしょう。

 性別、年齢等々に関係なく本人が優秀であれば雇ってもらえるわけですが、その時、国籍も全く関係ない。これが、グローバル採用です。つまり、グローバル企業で働いているのは、国籍を問われない“グローバル人”だということです。そして、日本に本社を置く企業でも、日本人だから優先されることは全くないだろうということでもあります。

 

と、こんな文章を読んだ後、国際結婚…相手がアメリカ人の友達が、人事をする時にね…と聞いたらいけないから、採用とかを担当する仕事に就くための質問試験というのがあるのだと話を聞かせてくれました。こないだ読んだ…って、思いながら、そのことを聞こうとは思ってもいなかったのでした。

ただ、本当に、グローバル採用、グローバル企業…そんなグローバリゼーション。早々に対応していきたい…って思っている企業は多いだろうなぁ…って思います。

 

和気あいあい、社員は皆家族と言った人事政策で社員を引きつけ、社員の方もそれでモチベートされてきた…、そんな日本的経営を売り物にした企業はもう先はありません。

 …日本的雇用慣行を維持するのは社会的な尊厳を失いたくない経営者のタテマエ上ということもあります。ホンネではグローバルな人事政策に舵を切りたがっているかもしれません。…

正直、この人が言っていることが何年後にくるのか?はわかりません。

ただ、少なくとも、年金をイマイチうまく運用できていなかった…という事実が白昼に出た今年。

次は…?

 

毎年リストラが身近なアメリカ…って印象付けられる話を聞きながら、この本で読んだこのことを思い出していたのでした。