枠わずか、育てやすい男子校

実は、この記事ともう一つの記事が欲しくてスクラップしていた日本経済新聞9月24日のある一面。

その中心にあった「問題解決力の育成」は、あんまり読んでいなかった。

というのも、大学の改革は、以前から言われて変わっているところと…変わらないところがいろいろあるなぁ…くらいに思っていたから。

 

そんな記事の隣に

枠わずか、競争率高く

「育てやすい」男子校

この見出しに、共学に今はなっているけど、男子校で働いていた友達の言葉を思い出させられた。

 

ここに書いてある男子校の良さ

…、小・中学校段階では圧倒的に女子の方が早熟であり、精神的に幼く母親への依存度の高い男の子は、男子だけの集団でじっくり育てていく方がいいと感じる。

というところ。これを書いた人は共学校育ちで、男子校への憧れを感じている人なんだそうです。

ただ、事実として男子校が減っているのは確か。競争率が高くなっているんだって。

そのことについて書いてある文章が面白いなぁ…って思いました。

 学校数が少なければ必然的に競争率は高くなり、希望通り男子校に進学するのは、母親のいうことをちゃんと聞き、しっかりお勉強ができる、真面目で行儀のよい優等生ばかりということになりかねない。

 難関大学に進学しても男子学生はいつまでも母親の庇護の下。海外留学や国際交流やボランティア活動などで活躍するのは女子ばかりという話も耳にする。「男の子を『男らしく』育てていく」などという時代錯誤のように受け取られるかもしれないが、今最も大きな教育の課題になっているように思えてならない。

まぁ…男子校に進んだ母親の言うことをそれまではちゃんと聞いていた人たちがその後も素直に聞いていたとしても、変化があるのでしょう。

もし、「難関大学に進学しても母親の庇護の下の男子学生」は、親の問題では?なんて思わされます。いつまでも、心配していたくて、心配している母親はあるもので…それを否定はしません。ただ、そんな母親の一番の問題は、息子以外に関心ごとはないのか?ってそっちが問題なのでは…?父親は…?ある意味、母親にとって父親への興味関心がないということが背景にありそうな感じもした文章。そして、父親の教育力の乏しさの表れに過ぎないと思うのです。だって、父親は思春期の男性心理を母親よりも知っているはず。そして、その時にはどのような援助や支援、そして関わり方をすることが成長に役立ちそうか…ということもわかるはずだと思うのです。それでも、母親の庇護を容認しているってことは、父親は同性でありながら自分の我が子の教育しない方が子どものため?と思っている…???母親の庇護を制することは、本人一人でやること?まぁ…そうであれば、母親の努力が足りない?

 

時代錯誤というか、多分、男の子を男らしく…じゃないと思うのです。

母親は自分の体験上、女の子に対してはどのようなことをして接するといいか?なんてわかっているのかも。だけど、男の子に対して同様のことをすると…問題かもって思っていないだけ。

 

草食系男子と言われたりしたけど、今はどう呼んでいるのかなぁ…?

 

この新聞記事と違うことを書くとしたら、そんな庇護を受けて育った男の子のいいところもあるはず…。それは、そうではなく育った人にはなかった良さだと思うのです。その一つとして、細やかに女性の心を察する能力が高くなっているのではなんて思います。火星と金星という違う惑星から来たなんて男女の違いを異惑星出身という表現をしている話もありますが、同じ惑星出身の男女が登場しているのかもね。

細やかに気付き気配りすることができる女性が減っている…というのも、本当は考える必要があるのかもね。

大きな教育課題かどうかはわかりません。

役割分担が逆転するのも時代の大きな流れの中ではあってもいいのでは?と思うから。それは、過去歴史を振り返っても、あってきたこと。そして、何がいいかはわからないなぁ…って思います。

少なくとも、性別だけで論じられてきたことが、一人の個として論じられるようになっている時代に、あえて書いている文章を読みながら、女子校にこだわる学校経営体制も一方であるよねぇ…。

 

いろんな人がいる方がいいのでは?という思いと、自分の好みとしてこんな男性にいてほしい…という著者の思いの違いかな。

 

ジェンダーバイアスと切り捨てることもできる文章と思いながら、読んでいてこの意識は男女共同参画社会を推進するには弊害だろうなぁ…なんて思わされました。

問題解決力の育成を

日本経済新聞2010年9月24日に書いてあった見出しです。

国家戦略会議の民間議員が今春、大学予算の配分にメリハリをつけ大学の統廃合の促進を含む高等教育の抜本改革を求めた。日本私立学校振興・共済事業団の河田悌一理事長(前関西大学学長)は提言に不満を見せながらも、真剣に耳を傾け大学改革を勧める必要があると指摘する。

コレのことについてなのかなぁ…?

 平成24年 第3回 国家戦略会議 平成24年4月9日(月)17:50~18:50 官邸2階小ホール

大学の統廃合等の促進を含む高等教育の抜本改革

 

新聞に書いてあることのうち、そうそう…まだこの意識の人がいるかも…?そう思います。

 

 つい十余年前まで、大学は企業の人事・就職担当者から、こう言われてきた。「大学ではあまり勉強させなくても結構。(体育会系)クラブ活動に精を出し、元気で、やる気と協調性のある学生であれば、それで十分です。教育はわが社でしっかりやり社風に合った人材に育成しますから」

 それが、最近は風向きが変わった。「学生が勉強していない」「大学はグローバル社会に適応する人材のい養成ができていない」「大学の数が多すぎる」…。

 

少なくとも、高校も一緒かもねぇ…。

だいたい、勉強する機関で勉強しなくていいと言っていたら、そのあとに役立つものの基礎基本を持っていない人が入ってきて当然でしょう。以前言われていた人事・就職担当の人が言っている教育の中身は、言ったらその通りにやる人作りだったのでは?と思います。それが、YESマン増やしても、世界に通用しないことを痛感している…だけでしょうね。

今年の4月に大学の統廃合等の促進を含む高等教育の抜本改革を行うべきという話が出たそうです。今更…?と思いますが、国公立が民営化?したときにすでに言われていたこと。

これは、その時に出された資料の中から。

①すべての子どもに課題解決のために自ら考え判断・行動できる「社会を生き抜く力」を育成

というところあたり、今更…?

逆に考えると、今の子どもたちは課題解決のために自ら考え判断・行動できていないと思っているということですよね。

②新しい価値を生み出し社会を牽引する人材や世界に伍するグローバルな人材の育成

要するに、YESマンして、勉強してきていなかった他人にはそれができていないってことでしょうね。

③大学自身が変わり、日本社会全体の変革を実現

この3つ目について、特に新聞記事では論じているのだろうと思うのです。

そして、それを受けて、8月に出た中央教育審議会の答申。

「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて-生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ-」

この中で、熱いメッセージ「予測困難で先行き不確かな時代に、将来を切り開く学術研究を行い地域や企業に有為な人材を輩出するのは大学だ」が込められているんだって。

著者が書いてあるのだけれど、「当たり前のことばかりだが…」とかいてある授業について日本では徹底されてきていなかったことがあげられています。

 

人を樹えるに如くはなし

 

と、田中真紀子さんなんだろうか?

この新聞記事を書いた人と総理大臣は別ものだからねぇ…

 

読みながら思いだしたのは、父の言葉。

大学で経済学を専攻していたと言っても、理論を知らない人たちばかり…。

父がある新聞社の新人さん達を教育?することをしないといけなくて、接するたびに?家で当時大学生だった私に話した言葉達のひとつ。

当時聞いている時は、父がそのあと教授候補に残らないかと言われていたという話を母から聞いていたので、そんだけ取りあえず勉強していた父だからそう思うんじゃない?なんて思いながら、自分自身の分野に対して同様のことを言われたくはないなぁ…と勉強してましたね。

 

新聞読みながら今更ながら…という思いをしたのは、小泉内閣の時に、大学が統廃合が進むだろう…という話はあった気がしますね。

【課題】
○ これまでは、物質的豊かさを追求する大量生産・消費などのニーズに対応するため、与えられた情報を短期間に理解、再生反復する
力を求め、平均的な能力・知識の効率的伝達に主眼 (教師のみによる一方向・一斉型の授業が中心)
○ 一方、変化の激しい今後の社会においては、解法のない新しい問題に対しても自ら適切な対応を考え実行していく課題解決力の育成
が重要。
○ 我が国の学力は回復傾向にあるが、世界トップレベルにはなお改善が必要。学力上位層は国際的にひけをとらないが下位層が多い。
○ 諸外国と比べて、日本の子ども達は学習そのものに対する関心や意識が低く、十分なモチベーションをもてないまま勉強している状況。
○ 加えて、地域や家庭の教育力が低下しており、子ども達の基本的な生活習慣、規範意識、態度などにも課題が見られる。

 

これは、①にあげられていることに対しての課題とされていること。

大学だけのこと…?

 

まぁ、大学教授の文章ですから…。

新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)

平成24年8月28日 中央教育審議会

 

小さくて読みにくいなぁ…。

一部分拡大した。

要するに…、成熟社会に置いて求められていることは何?というところが大切かなぁ…と。

 

実は、それだけでなく、気になったこと…

④「貧困の世襲」を断ち切る教育の機会均等の保障

新聞からずれていくけど…。

多分、昔は貧困な家庭と言われる家が多くて、ただ、それでも「教育」に価値を見いだすかどうかは、個人に任されていたということかもしれない。だけど、今は国が考える時代?

「貧困の世襲」と言われている内容をよく知らないで書いています。確かに、学び続けたいという思いに対して経済的な困難性を言われることも理解できます。そして、そうやって学びたくても学び続けることを辞めざるを得ない…昔からですよねぇ…という思いもよぎります。

あえて、そんなことをわかった上で思うことは、本当に貧困の世襲になっている部分と、お金の使い方が違う部分も見ないといけないと思うのです。同じ収入であっても、使い方が違うことが影響している部分を抜きに、「貧困の世襲」というカテゴリーに入っていることってない?また、実は断ち切る教育をするためには、親世代に対して伝えることがあるかもしれないのでは?

インドや…と、新興国と言われている国々の人達で大学へ行ける人はかなりのエリート。だけど、インターネットが通り、いろんなところで世界中の情報を得ることができるようになって、中国の山奥であってもアメリカの最先端の授業を知る機会ができた…学ぶ機会ができた…。貪欲に勉強する背景は貧困からの脱却のため…なんて話も聞いたことがあります。

数学ができたら、貧困から脱却できる…から、数学をがんばるっていう記事を読んだことも…。

 

不思議な感じですが、日本は?

 

○運動部等と異なり、科学好きの学生・生徒が競い合う場が不足
(米国はサイエンス・オリンピアド等を実施)
○学年が高くなるにつれ、理科好きな子どもの割合が低下
(小学校5年74%→中学校2年59%)

正直、韓国・フィンランド・香港という対照群の選出理由が知りたいけど…

レベル1以下だけでのことではなく、レベル1・2以下と見たら10%くらいの差がありますね。

「大学ではあまり勉強させなくても結構。(体育会系)クラブ活動に精を出し、元気で、やる気と協調性のある学生であれば、それで十分です。教育はわが社でしっかりやり社風に合った人材に育成しますから」

この言葉って、大学だけでなく、高校に対しても言われていた…まことしやかに…というより、未だにこれを信じている先生だけでなく、保護者が多いのでは?なんて思わされることがありますね。

 

私が一番思うことは、自分も体育会系のクラブ活動に取り組んできたけど、大きく違いがあるなぁ…と自分との違いというか、私が高校時代のクラブ活動で周りの人たちが言っていたから自分も意識させられてきていたことの違いがある。

それは、部活をするからには、それをしてもいいという学業成績を出しておかなければいけない。あくまでも部活って余暇の時間の取組みで、本業は学生は勉強…そんな感じのことを当然という感じで…、勉強できないのなら部活をする資格はない…みたいな感じで接されている親を持つ人達がいっぱいいた。だけど、教員になってそんな感じがない学校…と、学校の教員の方にその意識がない学校…。部活で成果を出せばいい?それで一生過ごせると企業の人事の人たちの言葉で思っていたのかなぁ?

 

この記事を読む前から、企業では人材を育成するゆとりがなくなった…など聞いていたし、身に付けていることがあまりない…そんな人が雇われないのも無理はない…かな?と思わされることも見聞きするけど、今更…という感じ。そして、単に勘違いしていた人がいっぱい大企業とかに増えていただけって思うのです。

いつだって、学ばないといけない…って努力している人はいるし、体育会系のクラブ活動に取り組むかどうかより基底に必要なことがあるということを認識していた人たちは文武両立当然だったはず。文武両立させての体育会系クラブ出身者のよさだった話が、片方なくてもいい…みたいに勘違いした先輩方がいたのは、目先の後輩可愛さで、根本として自分が働いている企業のためではなかっただけ。

 

私が聞いた高校での指導の中で、ばっかじゃない…の一つに、「大学行ったら勉強しなくていいんだから」と進学校と言われる高校での生徒への講話とか。

 

本当は、余りにも浸透し過ぎたおかしな価値観とするのなら、企業の言葉として紹介されていることの撤回的なことは、もっと周知しないと世の中は変わらないと思いました。

 

問題解決力って、大学でいきなりできるようになることではないけど…ってね。

 

問題解決力と言われる力には、いくつかの要素としての力があって、初めてできること…なんて言われていることの方が多いよねぇ…

 

大学さえ行ったらどうにかなる?

正直、大学行かなくても問題解決力がついた方がどうにかなると私は思いますね。

大学進学って、問題解決の一つでしかないと思うのでした。

貧食の時代 東洋経済

 

新聞の下に掲載されていた広告。

気になったので、チラッと立ち見をしようかなぁ~と本屋さんへ行きました。

チラッと立ち見…と最初の本屋にはなかった。

だから、2件目に行ってあったのです。

チラッと見るだけのつもりでしたが、ビックリ。購入してしまいました。

今週の第1位は『週刊東洋経済』 … 貧食の時代という「貧食の時代 東洋」で検索した結果見つけたもの。ちょっと開いてみたら、書籍に対する批評?

-Fujisan 読み物

「生鮮が消えた国」と題し て米国の低所得地域にはろくな生鮮食品が手に入らない「貧食」も取りあげられている。高くて買えない店から消えるという悪循循環も起 こっているらしい。「過去40年、米国で最も値上がりしたのは野菜と果物」で、 (砂糖や油、牛肉など)不健康な食べ物の価格が補助金によって抑えられてきた歪んだ仕組みが遠因のようだ。これを日本の明日とはしたくな い。

と書かれていました。

そう、気になったのはいろんな食の話。本当かなぁ~って調べたくて購入してしまいました。

実体験者たちがいっぱいいるでしょうねぇ~

 『週刊東洋経済』貧食の時代

 

 

[Part3] あなたの子どもをどう守る?

変な給食から給食なしまで、「学校給食」の摩訶不思議

レシピ本がヒットした足立区の給食

今や乳児の10人に1人! 急増する食物アレルギー

ニーズあるのに対策進まぬ、子どもの夕食「塾弁」事情

と、タイトルだけの抽出。それも一部。

 

ただ、私が調べてみたくなったことは、給食実施状況。

大阪府と神奈川県は完全給食実施率が1割台!

公立中学校の完全給食実施率ワースト10

 

正直、ワーストという言い方されないといけないわけ~?

昔、確か、子どもの食事を給食に任せるなんて…なんて運動もあって、お弁当が母親の愛情を子どもに伝える手段と戦うように給食反対していた保護者がいっぱい…。そんなことを思えば、ワーストなのかぁ~?と思わされたのでした。

ただ、完全給食実施率と言われている「完全給食」とは?こんなに高い率で行われていたっけ…

平成20年 中学校10,850校 実施率 85.8%( 9,304校) 完全給食 75.6%補食給食 0.6%ミルク給食 9.5%

平成22年 中学校10,749校 実施率 85.4%( 9,182校) 完全給食 76.9%補食給食 0.6%ミルク給食 8.0%

 学校給食実施状況等調査  > 平成22年度  > 学校給食実施状況調査

平成22年度 > 学校給食実施状況調査

ミルク給食も実施されていないということなんだ…と驚きました。

都道府県名 総数 完全給食 補食給食 ミルク給食
学校数 百分比 学校数 百分比 学校数 百分比 学校数 百分比
40 福岡県      346      245   70.8        –     –      101   29.2      346  100.0

この実施状況しか意識していなかったのです。つまり、ミルク給食はあっているだろう…ってね。

だけど、大阪府はミルク給食も実施されていないのですね。

ただ、この7割も低い方なんだ…と思わされました。

いろんな意見があるんだなぁ…と思わされたサイト

 

中学、給食か弁当か 弁当派「卒業する時に、弁当を3年間作ってくれた親への感謝の気持ちが生まれる」

神戸市教委は、市立中学校(82校)での学校給食実施の是非を探る学識者ら の検討会を設置した。市教委はこれまで「家族の絆を深める」などと弁当を推奨してきたが、 共働き世帯の増加などで保護者の間では給食の導入を求める声が増えている。全国的にも 学校給食導入の流れが加速する中、検討会は来春までに意見書をまとめる。 
市教委によると、県内では41市町のうち、7割以上の20市10町が中学校で給食を実施している。 
市教委が昨年7月、市立中学校を対象に行った昼食に関するアンケートでは、 生徒の93%が弁当を持参、53%が今後も弁当を望んでいたが、その一方で、保護者の75%は給食の導入を求めていた。 
背景には、共働き世帯の増加で、早朝の弁当作りに負担を感じる親が増えたことがあるとみられ、 市議会では近年、中学校でも給食の導入を求める陳情や請願が相次いでいた。 
これに対し、市教委はこれまで「中学校では弁当」という姿勢を崩してこなかった。 
財政状況が厳しい中、調理施設の整備に最大100億円以上が必要な上、 「弁当は生徒一人一人の成長に合わせられるし、家族の愛情も深める」という考えを持っていたからだ。 しかし、全国的には、中学校で給食を実施する自治体が増えている。 
そこで市教委も、学識者や保護者らが参加する検討会で、中学校での給食の実施の是非を話し合ってもらうことにした。 
2月21日に行われた検討会の初会合には、委員9人が出席。給食のメリットとして 「親の身体的負担は軽くなる」「保護者の食の知識や技術に差があり、弁当では量や栄養バランスに 配慮できない人もいる」といった声が、弁当のメリットとしては「卒業する時に、弁当を3年間作ってくれた親への感謝の気持ちが生まれるのでは」といった声が出された。 

読売新聞で書かれていたようです。

中学校給食が必要な理由

個人的な意見では、私は給食嫌いだったので、実は中学校の時お昼に食べる量は少なかった。だから、栄養失調だったかも。今思えばね。そして、デザートがついているのがまた嫌で、甘いものを今は食べることができるけど、全く食べることがなかった。全部友達にあげてましたね。

自分が学校給食の栄養士をして、知ったことは、地域によっておいしいということ。まずかった…体験で育ち、提供側になっておいしいところもあると知って何が違うのだろう~?と思わされました。どちらも給食センターからのものには変わりないのに…ってね。

 

中学校給食だった私とお弁当だった弟。

学校によって違いはあるかな。

 

雑誌を見て、本当に~?と驚くのです。

「先生、イチゴ味とうどん出しは合いません!」「アメリカンドッグと白玉はどっちを先に食べればいいの?」

フーズ&ヘルス研究所を主宰する幕内秀夫氏が著した『変な給食』には、文字通りどこかおかしな学校給食の写真が紹介されている。

 きつねうどんにイチゴ蒸しパンと牛乳。カレーうどんに小倉白玉とアメリカンドッグ。再現写真を突き付けられると、確かに珍妙な献立だ。

とその続きに書いてある文章も、ホント…。

何とすごいなぁ…。本当にビックリの献立を出しているんだ…と『変な給食』の方をチラッと見た時には確かに思いましたね。そして、自治体名まで記されていたことで反発が起きていたって、反発よりも広く知られた方がいいこれは劣悪すぎでしょ…という献立たちは、栄養士の実力を疑うわ…。

『もっと変な給食」という本が今年になって出ているんだそうです。

正直、こうやって子ども達が育っている…と思えば、これの方がマシなくらいのお弁当体験しかできないの?とは思いますね。

 

東京都足立区の給食レシピ本が売れているとも紹介されてました。


足立区 おいしい給食

サイトでも紹介されているそうで、また、区役所のレストランで1日限定30食学校給食をランチメニューとして提供されているんだそうです。

 

はぁ…。

 

栄養素摂取という点から見れば、冷凍食品を押し詰められたお弁当よりはいいと思います。ちゃんと考えられた献立なら。

 

ただ、私が見ても、きつねうどんにイチゴ蒸しパンと牛乳だけ?これは本気?と栄養士の人を知りたくなります。調理現場の調理器具等を考えて想像するだけですが、調理をする人の数もあると思うのですが、炭水化物ばっかりじゃん…。どんなに凝って、油揚げを煮ても、野菜はなさすぎるでしょ…。イチゴ蒸しパンを自家製にしているのかなぁ~なんて全て自前で作って出しているのなら、作業的に大変ですねといえるけど、市販パンなら何やっている調理場なのだろう…と思いますね。

 

かれーうどんに小倉白玉とアメリカンドッグも。野菜は~?

 

野菜嫌いな子どもたちなので、確かにこう言ったレシピに野菜をつけて…とすると、残食率高いかもしれませんね。だけど、こんなん食べて成長して、大人になってどうするの~?と思わされます。

だけど、言われたのです、昔。完全な和の献立にすると残食率が高くなると。そうすると、作る側の気がめいる。そして、それを食べさせる指導も学校側で大変と。

正直、それも一理とは思います。食べないと意味がない。そして、食べさせるのが大変な学校現場も想像できます。だから…といって、学校給食の内容は考えないといけないと思いますね…。

 

正直に思うことは、学校給食で初めて煮物を食べる、和え物を食べるなど、食体験を広めている子ども達が増えている。だから、学校給食で初めてが多かったりすると、食べないんだよ!と保護者の身勝手な発言には思います。

白ご飯を家で食べたことがなくて、ふりかけがないと食べることができない子たちがどのくらいいるか。野菜を食べることができない子たちがどのくらいいるか…。家で食べる機会が失われすぎてます。親がデザートしか食べさせていない子なんて、給食ではデザートしか食べないことも。

 

ただ、親の偏食や調理技術の無さで家では食べることができていないものを食べる機会を得ている実態。本当はそれを給食のメリットといっていいのか?と思うところはありますが、食べた経験なく成長するよりはましかなぁ…。

今、学校給食も大変と思います。

たかがキュウリを出すのだって、熱湯消毒しないと出せない。

サラダ、和え物を出す大変さを思うと、足立区の学校給食と紹介されていた雑誌の写真にトマトが切ってサラダになっている…って、消毒とかはどうしているのかな?とそんな感じ。

 

調理を自校方式の給食と給食センター方式の給食と、どちらがいいか?そんな議論もありますよね。

選挙でも「中学校の給食」が争点になるというところで、私が思うのは、いずれにしても食べない子は食べない。ちゃんと調べることができるのなら、残食率など調べて見た方がいいと思いますね。個人差大きい。

学校の教員たちの意識も「給食は太る」と思って、女の先生方とか敬遠する声がありますが、正直食べすぎだよ!と思います。先生たちが山盛り取って…という、教員が自分の給食が少ないと不満を漏らし生徒たちから取り上げる先生体験をした私から言わせてもらえば、太るのではなく適量食べることをしないから。あとは、確かに中学生用を同量食べる年配者は無謀。食パン3枚とかつくときあったりしたもの。パンも素材そのものの味を味わう…ってできない人が多くなっていて、菓子パンとかも増えているでしょうし…。「給食は太る」と平気に口にする先生たちの言葉を聞いて食べたがらない思春期に突入する小学高学年や中学生女子たち。本当は、この時期にちゃんと食べる必要は本当にあるのに…心ない大人や男子の言葉で食べなくなる人達も出てくるお年頃。

 

脱脂粉乳にコッペパンといった給食イメージだったら、確かにお弁当がいいと思うでしょうけど、コンビニ弁当と給食と比べるような世代になっているとしたら…。

 

再現写真を真に受けるわけではないけど、こんな献立を出されて栄養バランスを算出していないのかなぁ~?

 

 

カレーうどんにタコ焼きとソラマメに「ビアガーデンか!」というタイトルがついているそうですが、そんな献立をたてている栄養士その方がそういった食生活で育っているのでは?と思いますね。

 

器にうるさく言う保護者がいたり、食材の質にうるさく言う保護者がいたり…と、数百円で作る世界の給食。それでも、どの地域の給食もなるべく子ども達にいいように…と食材吟味等されていると思うのです。その財源である給食費を払わない家庭がある。それで給食はどうやって出していけるのか?そう思うと、家庭の責任で弁当にしたら?とは思いますね。食材だって何だって自分で厳選して出せば~なんてね。

 

私が体験した給食食材を選ぶ…という体験をもとに言うと、同じ食材をスーパーでは買いもとめられない。もし、同じレベルの野菜とかを買いたいと思ったら、取り寄せか高級百貨店等で買うしかないかもねぇ…くらいに頑張っても、捨てる子どもたち。食べ残すことを何とも思わない子どもたち。

正直、男子と女子で摂取量の基準等違って当然だし、その辺の考慮がなかったりすると必要以上取り過ぎ…もあるかもしれないとか、厳密な管理なんて無理でしょ…と思います。食物アレルギーの子ども達も増えていて、実際にはそんな人たちへの対応も求められると…現場は大変ですよねぇ…ってね。

給食受注制にして、いろんな種類増やして弁当形式でもいいから業者を入れるとかなら支払いの滞りも減るんじゃない?

タダ食いをさせていける自治体がどれほどあるか?

野菜は高いんだよ~って思いで「きつねうどんにイチゴ蒸しパンと牛乳」という献立を見た時、栄養バランス…という観点ももちろんあるけど、この献立が出されている学校は給食費の回収はちゃんとできているのかな?と疑問も。それは「カレーうどんに小倉白玉、アメリカンドッグ」も同様。これなら安そう…なんてアメリカンドッグは市販品としても、全て作ると原価計算するなら安そう。規模の小さいところで野菜を使うってホント高いだろうなぁ…と思うのです。常に安いときばかりではないし、冷凍野菜使わないよね…基本と思っているのもバイアスかもね。

 

食物アレルギーなんて、解明されていない原因といわれるけど、私は親の食生活などが大きく影響しているとは思いますね。

ホント、生きる基盤にあるはずの食をちょっと疎かにして治療費を払いたい人が増えているとしか思えないのでした。

 

 

 

 

言うとおりより、するとおり

コメントをいただいて嬉しいけど、読み終わるのを待っていたら書けない…と先に100投稿目。

消えたとはいえ、ようやく100です。

 

いろいろと資料だけはたまっていきます。

 

だけど、100回目で見つけた順番より、今、この本に出会えてよかった…と今日出会えた本を。

 

感謝です。

 

その本のタイトルは、『置かれた場所で咲きなさい』。

以前発見したときは、手に取りませんでした。

でも、今日発見したとき、手に取ってみました。今日手に取った本は、売れているという棚から2冊。

そのうちの1冊。

 

この本との出会いに感謝です。

 

こんな事例いっぱい…と他人事のように…書きながら、本当にこの本に出会えてよかった…と思えることと仕事のために書くことは違うかなぁ…。

 

子どもは親や教師の

「いう通り」にならないが、

「する通り」になる。

子どもに何かを伝えるのに言葉は要らない。

ただ、誠実に努力して生きていくだけでいい。

 

価値観は言葉以上に、

実行している人の

姿によって伝えられる。

同じ事柄でも価値観によって受け取り方が変わる。

子どもには、愛と思いやりのある価値観を伝えたい。

 

1,2ページの出来事を交えたお話を、こんな感じでまとめてある。

いろんな同じことを書いている本を見ます。そして、本当にそうだよねぇ…と思うことなのですが、こんなにわかりやすく端的にまとめてある。そう思わされる優しい語り口。

いろんな同じことを言う文章よりも、伝わる気がします。

 

親の価値観が子どもの価値観を作る

 3歳ぐらいの子どもを連れた母親が、水道工事をしている人たちのそばを通りながら語って聞かせています。「おじさんたちが、こうして働いていてくださるおかげで、坊やはおいしいお水が飲めるのよ。ありがとうといって通りましょうね」

 同じところを、これまた幼い子を連れた別の母親が通りかかります。子どもに向かっていいました。「坊やも勉強しないと、こういうお仕事をしないといけなくなるのよ」

 価値観はこのようにして、親から子どもに伝えられることがあるのです。最初の母親は、人間はお互い同士、支え合って生きていること、労働への感謝の念を子どもの心に植えつけたのに対し、2番目の母親は、職業に対する偏見と、人間を学歴などで差別する価値観を植え付けたのではないでしょうか。…

 

なんて書いてある最後に

価値観は言葉以上に、

実行している人の

姿によって伝えられる。

同じ事柄でも価値観によって受け取り方が変わる。

子どもには、愛と思いやりのある価値観を伝えたい。

といった感じでまとめてあるのです。

 

53万部突破と書いてありました。

最初に見た時は、手を伸ばしませんでした。

だけど、知らずに語るなかれ。ちゃんと勝手に判断ではなく、読んで…と手に取りました。

 

いたるところ、本当に心洗われる思いがします。そして、年を重ねる凄さを思わされます。

 

日本で、いじめがなくならない理由。

その一番大きな原因は…?と尋ねられたら、私は大人の弱さだと思います。

ここにあげた母親。前者と後者のどちらが多いか?

学校の教員で後者に出会える確率は低いです。聞いていて気持ちが悪くなるくらいに後者の言葉を使う人が多いです。

あ~日本がよくならないなぁ…ではなく、しみじみと、伝えていることが違って、何を伝えたいのかという意識しているところがないから発言している言葉たちかもしれない。子どもを思って…の後者の発言と言いたいお母様方が多いんだろうなぁ…と思っても、この著者と同じように私も思います。というより、この文章を読んで安堵しました。母より年上のこの著者だから、時代が違うと価値観も違うの典型的な話でしょうか?

 

昨日、大雨、落雷。

櫓から下りるように…など、注意し避難。そんな中、まだ上がっている…。誰?と見たら、教員でした。

保護者や生徒にしめしがつかないね…。注意している立場はどっち…?

保護者だと危険を伝えに行こうって、動いたら言っている側。管理職に報告しても、わかっているでしょうから…と放置判断。

これじゃあ伝えているのは、何?

 

そう思っている矢先に読んだ文章。

 

いろんなことがありますが、言うことよりしていることの方が強いんですよね。

「これは禁止です」と言いながら、実際にそのことをしている人が何も言われずに過ごすことを見ていると、恐らく多くの人達は禁止を咎めることのできない組織と見るでしょうね。そして、一部の人たちは、咎められないのならしていい…そう判断するでしょうね。

 

雪山で遭難など、いろんなニュースが流れます。母が山登りを昔していて、見ていて言うのです。こんなこと絶対したらいけないのでは?と。時代が変わって、昔より便利になり、昔よりもしかしたら雪山でも何でも危険が減っているのかもしれないなど思いながら母の言っていることを聞きます。だけど、同じだよね…。禁止だったり、しなければいけないことには理由があったりする。その理由をわかっている人には、何をやっているんだ…と、実行している人たちを注意したり警告したり…しない人達に対して何をしているんだ…と思います。だけど、咎められない=していいという雰囲気が万延している感じがします。注意している矢先から、注意している組織から違うことをしている人の姿を見せる…。警察の飲酒運転みたいなものでしょうか?

 

そうしたい気持ちを理解するという側面もあると思うのですが、その行為によって他者へ与える言っていることに対する重みのなさを伝える行為としての側面を見るということはないのかなぁ…?

「こうやりたい」が規範よりも先立ち動く…何年も教員をしている人間の行為としてどうか?なんて思いながら、管理職が言いというのなら…と不快に思うけど、気づかれた方偉い!くらいでちっとも気づかなかった私としては、第3者へ与える影響って考慮するのは普通ではないということを学びました。

 

 

 

認知的不協和

認知的不協和とは cognitive dissonance

人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。 人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。有名な例として、イソップ物語のキツネとすっぱい葡萄の逸話が知られる。  これは、ウィキペディアから。

 

この言葉を調べてみようと思ったのは、『新しい学習指導要領の理念と課題』という本に出てくるから。

 

現行の学習指導要領に置いて…?多分、私が思うのは、ちゃんとどんなものかを知らずに表面だけをさらった人達が行った指導の中で、「自ら学び自ら考える」という面ばかりを強調されすぎたということについて書いてあるのです。

…そのために、保護者や教師、自分と違う友達の意見や感じ方の違いなどを虚心坦懐に受け止めることがおろそかになりました。また

自分と異なる感じ方や考えを内面で自分のものと照らし合わせて吟味・検討するといった面が弱かったように思います。

と書いてあります。

正直、「自ら学び自ら考える」と言って野放図にした人達から非難されまくったのは、展開等に対して系統だってさせようと課題を与えることなど。はぁ~?ってバッカみたい…と無視してました。だって、「自ら学び自ら考える」ためにはいきなりは難しいから、ステップバイステップと指導準備が大切。それをしないで、いきなり言われる生徒の方が混乱して当たり前でしょ…それを「なんだそれは…」みたいな言葉かけをする先生気取りの人達と働きながら、「そんなに口出しするな」とか言われるけど、それはそういうふうに考えてやるという風土をつくりだして、そんな形が定着したところからしかできないのにね…と無視してたのでした。だから、拍手!ってくらいに思います。

まぁ、徹底的に与えて…という人達もいますが、この余地のなさも嫌い。そんな思いの私には読んでいて、スーッとした「でしょ、でしょ」と思うところ。

 例えば、これまでの授業では、自分で課題を見つけ、自分で取組むことが強調されてきました。しかし、それだけではなく、教師から与えられる課題も、時には必要です。その時には関心が薄くても、大事な課題を与えられて取り組む中でその大切さがわかってくる、あるいはそれができるようになって達成感、有能感を味わう、という学習経験も必要だからです。

と、ホント、スーッとしました。課題を見付けさせるって結構難しい。枠を設定してあげて、その中で…など段階を経ていくと、全体的な漠然としたものも多くの生徒達が取り組めるなぁ…と思わされることはあります。だけど、初回からそれをするのは違うでしょ…という思いと、後はできる子もいるけど、そうできない子にとっては伸びずに終わるんだよねぇ…と思うのです。どちらかというと、伸びずに終わるのが問題と思っています。今の学校でも、与え方まずいよねぇ…って思うことばかりあっていて、意見する機会がない!ともう形が大まかにできてからしか話を出してこないしくみが「例年通り」の一番問題と思いますね。そして、問題にやらないと気づかないの…?とビックリするようなことでも、スーッと通っていたりしてます。「形をつくる担当になった人がこんなに頑張ったんだから…」の一辺倒で済まされるので、これってまずいよ!と知っていて言っても通らない…理由は3つ思ってます。1つは、これではまずいと言ってすでに変える話をやった経験がない。もう1つは、年齢でしか人を見ない。ラストは、勉強不足・視野が狭い・知識不足…で言っていることを理解してもらえない。最低最悪パターンを体験して思うのは、だから日本はよくならない…。そんな失敗談なんてとうの昔に過ぎている学校とかを体験して、言っていても、「なんでそんなことを言うんだ、やってもいないのに」という言葉を吐く年配者たちに出くわす度に勉強していないから何でも年数で経験したことしか…と言っていたら腐るでしょ?と思います。ホント…まぁ古いやり方から重い腰を上げるのが遅い対応の学校で思うことは、後追いする学校は嫌い!何でも最先端で取り入れてみて検討を重ねよくしていくということをしないと、法規法令が改正されて不都合にも対処できないと最初の職場で学んでいる私には受け入れがたいスタンス。どっぷり昔流…その昔流が大っきらいな私には頭古い…が何十年前の指導要領を見た話をしていますか?って思う度に嫌悪感しか感じません…と違うことを書きたいのに…。

 

書いてある所には、

教師から与えられる課題も、ときには必要です。そのときには関心が薄くても、大事な課題を与えられて取り組む中でその大切さがわかってくる、あるいはそれができるようになって達成感、有能感を味わう、という学習経験も必要だからです。

 先生から注意される、友達から違う意見をぶつけられるというのは嫌なものです。心理学的には「認知的不協和」というのですが、先生や友達から思わぬことを言われたら、それ自体が不快ですから避けようとします。しかし、それでは、世の中を生きていくことはできません。安易な上滑りの人生になってしまいます。

ということ。

実は、このところの課題を不快に受け入れない…。違う意見を出しても耳にしない自分を通す…ってやり方をする自己流の人と話すときに、こんな風に書いてある本を片手にでも話さない限り耳を貸さない年配者たちって学校教員は多いなぁ…って思います。本当にやっていたりしている人と話すときは、違いを理解して取り組むときに役立つって思いますが、もう「こう!」と決めているそのものがおかしい!と言っている言葉が通じない…。無知無学で教えようとしている人たちと接して共有するって本当に難しいです。こんな指導要領とか頭に入っている人達と働けていたことを本当に過去のこと…ですが、あのころがよかったって思います。全く通じない人達と働いて思うのは、だから生徒が伸びない!理由は簡単ですね。自己流以外知らない人たち…。実は先生の方がこんな「認知的不協和」を避けるから、生徒にそんな体験をさせないのかも?させているつもりになっているかも。

 

…「自ら」や「自主性」は最後に目指すものであり、プロセスでは教師の指導をもっと大切にしよう、ということをきょうちょうしているわけです。

 

とあります。そうだよね…と納得です。

 

 

例えばおいしいと評判のラーメン屋に行って行列に並んで食べたがあまりおいしいと思えなかった経験はあるでしょうか?

このとき人は「おいしいと評判の店。行列に長時間並んだ。」なのに「ラーメンが美味しくなかった。」という事に矛盾を感じ認知的不協和に陥ります。そして以下のように考えます。

「このラーメンは美味しいけど自分には味が分からなかっただけ。なのでこのラーメンはやはり世間一般的には美味しい。」

このように人は認知的不協和を解消するためにこのように感情を理論的にコントロールしようとします。この現象が大きく影響するのはプライシングです。

こう書いてある「認知的不協和」の説明サイト。こんなのも「認知的不協和」なのですね。

 

自分の状態(気持ち、経験)にそぐわない状況に置かれた場合、居心地の悪さ:認知的不協和が生じる。

  その居心地の悪さ:認知的不協和を避けようとして、自分を納得させられるような、自分の状態(現状・過去・欲望…)を正当化(合理化)するような、理屈や態度をこしらえて
 ・安心が得られるように
 ・自分自身の内部に矛盾がないように
 ・自分をほめることができるように
人は自分の考え方を変えてしまう

 

自分自身にもあることかなぁ…とは思いますが、教育の場でこれを体験させながら学ぶ機会を得る意義について書いてある文章を読む機会を得てよかったです。