能楽

「能楽」パフォーマンスに偶然遭遇しました。

なんと…ビックリ。

能のかたち NIPPON 美の玉手箱」という特別企画展を見に行ったのです。

そうしたら、入ろうとした器楽の音色…って何かあってる…。

そちらを拝見させていただき、展示を見に行きました。

 

the 能.com

詳しく知りたいなら、このサイトを見るが一番でしょう…きっと。

 

能楽体験…って数少ないのですが、拝見する機会を持つようになった近年。少しずつでも、理解を深めることができたら…って思って、展示を見に行こうと思ったのでした。だけど、思いがけず能自体も拝見できて…感謝です。

展示されているものは、能面・装束。出典資料262点だそうです。うち、能面172点とのこと。規模としては過去に例のない規模で紹介されているそうです。

確かに…こんなにいろんな種類の能面があるんだ…とある意味驚きました。

説明いただいたのですが、能楽に使用されている面は200種くらいなんだそうです。

 

襟の色が赤→赤+白→白+白

そんな襟で身分立場の上下を表すそうです。

また、そんな違いを器楽をされている方々は声の高さを変えて表すのだそうです。

すごいなぁ…とそんなお話までうかがえて本当に感謝です。

 

こんな風に説明をいただけて、本当にうれしい…とアイフォンで撮影。ん…ダメだったかしら?でも、こうやって動画が一番わかりやすい…。

衣装装束についての説明も…。

 

ホント感謝!は、なんとこの衣装を着せていただいたのです。

こんなチャンス絶対ない!と、手を挙げたのでした。

本当に感謝です。

 

下着などの説明、そしてこの素敵な衣装を着せていただいたのです。本当にすごい…。

普通に着る着物よりも厚手でしっかりしていました。そして、着方が普通の着物と違うんだ…と着せていただいているのを見るとダメ…とのこと。

頭が下を向いてはいけないのだそうです。

身につけさせていただいて、着物は着なれている方かも…って思いましたが、重い。ビックリしました。手を上げることだけでも本当に大変でした。

そしてさらに、面をつけさせていただいたのです。

面をつけるとほとんど見えなくなって、柱を頼りに歩くということを以前伺っていました。実際につけさせていただいて、視力も悪いのですが、本当に足元も見えない…。前後の距離感覚がない…。これで舞うって凄いなぁ…と思いました。

すり足で歩く…それによって足の裏で板の境目などを感じ、どれほど歩いているかなど判断していくということが本当によく分かりました。また、柱がないと本当に立ち位置わかるの無理…。

あと、普段の立ち方をしていると、面の顔は上むきになるんだそうで、これは自分が身につけているとわかりませんでしたが姿勢を指示されながら歩いたときこの姿勢辛い…そう思いました。

思いだしたのですが、腰の高さなども変えずに歩いて行くことが求められるのですよね…確か。よくこれでいろんなことができるものだ…と感心させられたのです。

 

貴重な体験をさせていただき感謝です。

 

展示の方は、いろいろと説明していただいた上で拝見させていただいたので、とってもわかりやすかったです。

遅く行ったので閉館近くまでいましたが、貴重な体験と学びをありがとうございました。

 

展示されていた能面たちには、入ってすぐ思ったのは、こんなに種類があるんだ…と今まで見たことがあるもの自体数少ないこと、そして、重苦しい感じより生きているような感じのする面達に驚きでした。

 

豊臣秀吉と能との関係も紹介されていましたが、黒田家と能のお話も…。以前伺ったことがあったのですが、改めて展示を見ながら思ったことは能楽が現在に至るまで本当にいろいろとあったのでしょうけど、すごいことだなぁ…と思わされました。

 

以前いろいろと調べたりしたことも含めて、今回の展示を拝見することでさらに詳しくなることができて嬉しく思います。

今度はちゃんと楽しんで能を拝見できるような気がするぞ~と能楽堂へ足を運ぶことを決めました。

 

以前調べたことも含めて、まとめておきたいなぁ…って思わされました。

 

 

黒文字 爪楊枝

黒文字について知りたいなぁ…と調べてわかったこと。

黒文字は、爪楊枝の一つに扱うんだ…。

そして、爪楊枝のイメージが少し変わったのでした。

 

黒文字というのは、木の名前に由来する…って、写真を持っているはず…と探し出せたらこの文章と一緒にくっつけておきたいなぁ…と思うのです。クスノキ科の落葉低木。

若枝は毛があるのだそうですが次第になくなり、緑色のすべすべした肌になって、黒い斑点が出てくることが多いんだそうです。そして、古くなると次第にざらついた灰色の樹皮に覆われるんだとか。年間を通して見たことは私はなく、たまたま、これが黒文字よ…って、教えてもらって見たくらいしか知りません。

黒文字の名は、若枝の表面に出る斑紋を文字に見立てて着いたと言われているそうです。古くから、この木を削って楊枝を作っていて、特に根元に皮を残すことが上品とされていたんだとか。和菓子で使われている黒文字って、市販されていますが切りたてが最上とのこと。先日、宗匠さんが講習会で黒文字をどのように削るかと少し話題それてお話されていることを聞きました。

切りたてが最上…と言ってもできないけど、使う前に水に浸して、色と香りを引き立てることも大切。水でぬらすことは、お菓子などが黒文字にひっつかないようにするためでもありますが、濡らすことで香りも色もよくなる…。

さて、黒文字の歴史は…?なんて思って調べていたのですが、まだよく分かりません。古田織部が用いたのが始まりと書いているサイトもありました。ちゃんともっと調べてみないといけないなぁ…と思いながらここに記録代わりに書きます。

 

黒文字もいろんな長さがあり、どう使うのかなぁ…というのはバランスの問題みたいですね。

4寸がお菓子切れもいいと書いてある物を見かけました。多分これは茶菓子を食べるときに添えるのによくつかわれているものの長さかなぁ…?

ただ、銘々皿や縁高に添えるときは、5寸、6寸がいいみたい?要するにお皿やお菓子とのバランスなのでしょう。

また、食籠・盛込鉢の菓子器に添える黒文字としては8寸…なんて書いてあった。

目安に記録しておけばいいかな…?

 

【爪楊枝の歴史】多分、私がみたのはこのサイトではないと思います。だけど、写真がついているのでリンク。

私が知り得たお話を記録まで…あっているのか?わかりません。取りあえずのメモ。

爪楊枝の誕生は、およそ10万年前だとか。ネアンデルタール人が、楊枝を初めて使ったそうです。ネアンデルタール人の歯の化石に、縦の筋が見られて、堅い楊枝で歯をこすった跡だろうと推測されているんだそうです。

ちなみに、チンパンジーの中にも、木の枝で歯を磨くものがいるとか。並べて記載すると変かなぁ…?

 

爪楊枝って実は伝来モノで…という確かに何でも起源はあるでしょうけど、ネアンデルタール人まで遡られると絶句です。

ただ、日本にどうやって伝わってきたか?それは、奈良時代(西暦630年頃と書いてあるサイトもありました)に仏教と共に伝来したとか言われているそうです。

紀元前500年ごろに、お釈迦さまが木の枝で歯を磨くことを弟子たちに教えたんだそうです。それで、仏教では、僧侶たちが常に身につけておくべき第一に楊枝が出てくるんだとか。

一応…ホントか?わかりません。

面白い記事だなぁ…と歯科に関する新聞記事みたいなものをサイトで発見したのでした。

東洋医学における薬木の歯ブラシ「楊枝」

歯磨きに使用する木を、サンスクリット語でダンタカーシュタ(歯の木)といい、中国では、歯木・楊枝と訳するそうです。

ということで、日本に仏教と共に伝来も理解できる話になりました。

 

ちなみに、「ダンタ」は英語の「デンタル」の語源だそうです。現在、インド数字でダンタは「32」、歯の本数!

全く関係ない話かもしれないけど、雑学はくっつけて記録しておいた方が役立ちそう。

 

ようやく発見…、恐らくこの(株)広栄社の爪楊枝資料室のサイトを私は見たのだと思います。メモの状態になっていると、大元がわからなくなってしまいますね…。

 

僧侶→誰?

仏教とともに伝わってきたのなら、日本でどのように広まったのだろう…?

僧侶から貴族へと広まったみたいです。右大臣 藤原師輔(908~960)が、『九条殿遺誡』という書物の中で、作法として子孫に伝えているんだそうです。

「九条殿遺誡(くじょうどのゆいかい)」
先ず起きて属星(ぞくしょう)の名字を称すること七偏(まず起きたら、陰陽道の属星の名前を七回唱えなさい)

<微音(ちいさな声で)、その七星は、貪狼(どんろう・とんろう)は子の年、巨門(きょもん)は丑亥の年、禄存(ろくぞん・ろくそん)は寅戌の年、文曲(ぶんきょく・もんこく)は卯酉の年、廉貞(れんてい・れんじょう)は辰申の年、武曲(ぶきょく・むこく)は巳未の年、破軍(はぐん)は午の年なり>

次に鏡を取りて面(おもて)を見、暦を見て日の吉凶を知る。(鏡を取って顔の様子を確認して、暦を見て、その日の吉凶などを確認する)
次に楊枝を取りて西に向かひ手を洗へ。(次ぎに楊枝で歯を磨いて、西側を向いて手を洗え)
次に仏名を誦して尋常に尊重するするところの神社を念ずべし。
次に昨日のことを記せ<事多きときは日々の中に記すべし>。

ちなみに、『九条殿遺誡』は 国立歴史民俗博物館蔵だそうです。藤原の師輔は藤原道長の祖父と覚えた方が、記憶に残しやすいかなぁ…。

 

仏教伝来はもっと昔の話だから、記録として残っているモノがない…としても、もっと以前から楊枝は生活に入っていたのでしょうね。

 

楊枝が庶民に伝わったのは平安末期?

室町時代の田植え唄に「けふの田主はかねのようじをくわえた」や「楊枝木には南天竺のびわの木」などの言葉が出てくるそうです。

ある意味凄い…。こんな生活の些細なことも知りえることができるって、文字のお陰ですね。

 

日本では楊枝とは丸いものだ~と思っているのですが、世界では丸い楊枝よりも平楊枝が主流?世界中では平楊枝を使わないのは日本だけと書いてあるサイトを見つけました。

 

『小笠原流躾方百箇條』という中に、楊枝のことが取り上げられているのだそうです。

また、『都風俗化粧伝』の身嗜の部分にも記されているそうです。

『三礼口訣』の食礼の項に、房楊枝と楊枝の使い方が示されているとか。

『婚礼道具諸器形寸法書』にも楊枝についての記述があるそうです。

 

黒文字楊枝広める

『楊枝から世界が見える』(全4回シリ-ズ)の一部を紹介しますと株式会社・広栄社 社長 稲葉  修 氏の講演が紹介されていました。

 

語源由来辞典の爪楊枝のページサイトには、次のように書かれていました。

「楊枝」は、元は歯の垢を取り除き、清潔にするために用いられた仏家の具で、「総楊枝・房楊枝」と呼ばれた。

「楊枝」の名は主に「楊柳」が素材として用いられたためで、総楊枝は先を叩いて「ふさ」のようにしたためである。

爪楊枝の「爪」は「爪先の代わりに使うもの」の意味。

「爪先」、着物の「褄」、動詞「つまむ」などと同源で「物の先端」が原義である。

爪楊枝を「黒文字」と呼ぶのは、黒文字の木で作られた楊枝を指して言ったことから。

日本には、奈良時代に仏教が伝わった際に楊枝も伝来したと言われるほど、仏教と楊枝との関係は深く、お釈迦さまも木の枝で歯を磨くことを弟子たちに教えたという。鎮痛解熱薬として用いられる「アスピリン」という物質がヤナギ科の植物に含まれていることから、噛むことは虫歯の痛み止めに聞くと言われるが、現在は樺の木が使用されているため、その効果はないと思われる。

また、爪楊枝の先端の反対側にある溝は、製造過程で焦げて黒くなってしまうことから、こけしに似せてごまかすために入れられたものである。

と、書かれていました。

昔、千利休が庭のクロモジ(黒文字)をおもむろに小刀で切り削り、茶室にてお茶菓子のための楊枝に用いた!って本当?詳しい方教えてくださいませ。というツイッタ―でのつぶやきを発見。私も教えてほしい…。

少なくとも、黒文字を削ってお出しするという話は今でもされていることを先日お聞きしたのでした。

 

実は黒文字には、殺菌効果があるのだそうです。

最初に黒文字をそのような用途に使ったのは千利休だと言われているのですが、

千利休は、殺菌効果があることを知っていたのでしょうか。

そのようなことが、近頃話題になったそうです。

先生は、千利休は黒文字に殺菌効果があることを知っていたと思うとおっしゃられました。

これは、ブログで書かれていた文章です。

和菓子の「機能美」に注目する。黒文字を入れたときの固さ、口に運んだときのやわらかさ…。一方で、四季感漂う優美な容姿も、京菓子には欠かせない。「千利休は渡り六分に景気四分、古田織部は渡り四分に景気六分」。庭の飛び石について、機能と見栄えのどちらを重要視するか、バランスの大切さを説く言葉だが、和菓子も同じではないかという。

これは建築家の方の文書です。機能美と容姿、絶妙のバランス建築家・中村義明さんが書かれているサイトにあった文章。

 

黒文字は豊臣秀吉の時代に茶人である千利休が御茶事の菓子用にこの材料を用いたのが始まりとされる。木の皮を残したようじであり、香りのよさ、緑色の木の皮と削り口の白さの美しいコントラスト、また手作りによる歯あたりの良さで人気のものとなった。

このように書いてあるブログもありました。

 

今年の、夏号に載っていた記事です。「KUROMOJI」(黒文字)って知ってますか??これ、日本原産の木です。とても、しなやかで折れにくいことから、江戸時代から楊枝として、愛用されていたそうです。

千利休も、この黒文字の楊枝をお茶会で好んで使ったそう。今でも、和菓子屋さんでは使っているところもあるようですが、この楊枝職人がだいぶ少なくなっているみたいです。

これは、アロハセラピーというブログの2009年10月の記事です。こんな風に書いてあった。

 

検索している中で見つけた資料。これはもしかしたらここには関係ないけど、見つけたついでに…。

食文化ツーリズム論

 

外務省が茶の湯について紹介している文章を見つけました。日本語だけど、英語バージョンもあるはずでしょう…。

外務省茶の湯

 

黒文字のことで千利休がどうのこうの…って文献をさがす…ってインターネット上では難しそうですね。探せば見つかるだろうなぁ…とは思いますが、取りあえず知りたい情報は発信しておくとどこからともなく知る機会を得ることができるとか。

 

貴人のお茶という普通の人のお茶ではないお茶の話があるのですが、その貴人のお茶では茶碗も確か新しい初おろしの茶碗を出す。ということで、どんなに名物の茶碗をそのお茶席で使用したとしても、貴人に対しては初おろしの茶碗だったと(過去形でなく今でもそうだろうとは思いますが…)。その人だけのために用意する…一期一会の心で言うのなら、黒文字もその日その人のために用意する一つの道具としては、削って用意しその日だけ使用は想像の範囲ですが当然なのかも…。

そんなことを何かに記されているかなぁ…って探そうと思うと、苦労するのでした。

 

あるサイトに書いてありました。その日に使われた黒文字を持って帰り、黒文字に日付を記録して保管していたと。その人のしていたことか、昔されていたことか…イマイチよく読まずに閉じちゃった…ともう一度と探し見つけることができていません。だけど、一期一会のおもてなし…っていう意味では、そうなのかもねぇ…。

 

どこかできちんと書いてある文章をさがそう…としたら、書物で探すしかないのでしょうね…それも書物にあるのかなぁ…?

 

黒文字が日本原木の木ということを書いてあるサイトを見て、そりゃ…中国から伝わるわけないか…と思わされましたね。また、黒文字の香りの話などを思うに、千利休が用いたという話も想像の域でも納得…って感じです。

 

そのうち、ちゃんとどこかで書いてあるものを見つけて続きを書こうって記録でした。

 

 

 

 

柿右衛門

私が、書けることなんてホント少ない…。正直にそう思うのです。それでも記録…って調べるきっかけにもなりますし、確認したいことも…。

「柿右衛門」を知ったのは小さい頃だとは思います。名前は知って、こんなものっていうのも知って…ってね。漠然とでもここら辺に住んでいたら見かける機会は多いはず…そんな感じ。私の母は山口の人なので、母の妹だる叔母が言っていた言葉が母にも当てはまると思います。「ずっと萩焼を見てきているから、絵柄があるものは目新しい。…」有田焼を叔母にあげると、喜んでくれてました。確かに…母の実家では萩焼は普通に使っているモノでしたから、私も目慣れしてますね…。そんな感じで福岡にいると…有田焼はよく目にします。陶器は違うけど、磁器は有田…って感じ。

それでも、へぇ~と魅せられた最初は、ハウステンボスだったかなぁ…?ショップ?ミュージアム?があります。また、大航海時代…とオランダ側から見た日本のもの?輸出されていった陶磁器たちの話を学んだのでした。

こんなヨーロッパの宮殿に日本の陶磁器がある…ビックリでした。ハウステンボスがオープンしたての頃。また、その前のオランダ村でのことだったのかな…?

1659(万治 2年) オランダ東インド会社、56,700個有田皿山に注文、この事により輸出量が飛躍的に伸びる

柿右衛門窯のサイトに書いてあった文章です。

ドイツ・ベルリンにあるシャルロッテンブルグ宮殿の磁器の部屋「ポルセレイン・キャビネット」を再現したというハウステンボスの一角。

知らなかった…世界遺産に登録されているんだ…。

シャルロッテンブルグ宮殿

Porzellan und Keramik このサイトがシャルロッテンブルグ宮殿が出している情報だから一番…かな?

でも、映像で見たいなぁ…。

日本語ではありませんが、説明まであり。でも、私の知りたい磁器の部屋には触れていない…感じがしました。

こちらは早いけど、磁器の部屋が写ってました。

今はやっていないのでしょうけど、窯元の映像としてはキレイに写っているからわかりやすい…。

 

柿右衛門窯 2012年秋の新作展の期間中、薪窯による本焼焼成の特別公開を行います。
通常は公開していない工房内での本焼焼成作業、細工場、絵書座を特別に一般公開いたします。

こちらは興味深いですね…。

調べてみよう!って思わない限り気付きませんでした。感謝。

 

私がマニアック?に知っていることは、戦後、一度柿右衛門窯を支える職人さん達が減って…(戦争のために)危機的な状況になったとお聞きしたことがあります。その時、地元を挙げて支えたとか。詳細は知りませんが、そんな話と共に手に入れたものがあります。

国内外に名前が広まっている窯元が潰れたら…と思うと、本当に復興させること大変だったことと思います。ウエッジウッドなども同じなのかなぁ…?なんて思わされます。

有田の色絵磁器は、1659年頃に本格化するヨーロッパ等への輸出によって生産が拡大され、それに伴いより白く傷や歪みのない素地を作る技術も急速に進歩していきます。そんな中、柔らかくて温かみのある乳白色の素地の上に、余白を十分に残した明るく繊細で絵画的な構図を特徴とする色絵磁器が作られるようになりました。それは1670年代頃には技術的にも完成され、いわゆる典型的な「柿右衛門様式」として確立していきます。
柿右衛門様式の色絵磁器は、国内はもとより国外でも高く評価され、オランダ東インド会社(VOC)の手によってヨーロッパ等の国々へ大量に運ばれていきました。当時のヨーロッパの王侯貴族たちは初めて目にするその華麗な色絵磁器に魅了され、自分たちの宮殿や邸宅を飾るため財を傾けてまでも競って手に入れたといわれています。
この「柿右衛門様式」は1690年代頃まで有田の色絵の流行様式となり、乳白色の素地だけでなく青味を帯びた白磁や染付を用いた素地にも、同じような雰囲気の色絵を施したものがたくさん作られるようになりました。現在では一般に、これらも含め「柿右衛門様式」と呼ばれています。

これは、柿右衛門様式について、柿右衛門窯のサイトで紹介されている文章そのままです。

よく「柿右衛門様式」と耳にしますが、どんな物のことを言うのだろう…?と思っていることに対して、柿右衛門窯が言っていることを知ることが一番かなぁ…?

柿右衛門窯のサイトに「贋作について」という項目がありました。

確かに…模倣品いっぱいありますよねぇ…。

 

これは、アンティークマイセンのDMから。広告写真ですが、本当にすごいなぁ…と美術館・博物館などでこの元になった器と並んでマイセンの器が展示されているモノなどを見ると、日本の図柄がどのように変化していくかを見ることもできることがあります。

海外への影響力…。

小さい頃は疑問だったのです。何となく、ヨーロッパのものとか言っているのに、日本のものみたい…。正直、日本がヨーロッパのものを真似てデザインしているということは多々知っていました。だけど、日本のものが海外へ…全く知らなかった小学生の頃。浮世絵がゴッホに影響を与えた…など知ったり、日本の江戸時代かなりの工芸品が海外へ出ていっていることを知って、いろいろ知っていくと、海外の物とすごいなぁ…って思っていたものにも日本の文化の影響がある。逆もしかしりですが…。

 

今、アニメ・マンガ・キャラクターが日本の文化として世界へ出ていってるけど、ある意味、日本って昔から文化を輸出していたんだ…。それほどに素晴らしいものって…実は日本も朝鮮から中国から学び、創り上げていってるんだよねぇ…。

 

世界中がつながっているなぁ…とシルクロードの話を学んだりして、唐草模様や正倉院…と言葉を学んだり図を見るだけの過去の出来事…ではなく、今にもつながっているということを思わされます。

 

伊万里焼と言って海外へ出ていっている…その全てが柿右衛門窯ではなく、他の窯もあり。それぞれに素晴らしいものを作り、海外へ…。

今も評価を受け、そしてそんな文化を維持している。途絶えてしまうものもあったりする中、存続し続ける難しさもあると思わされます。

 

襲名30周年十四代柿右衛門展を見に行って、思ったのです。こんなに集まっているのを見る機会もすごい…。

ただ、もう30年も経つのを知り、驚きました。襲名したって聞いたことをかすかに覚えている…ってどんだけ昔のことか…と思わされましたね。聞いて覚えていること自体マニアックだなぁ…とその頃の自分が知っていることを思います。まぁ…母の影響でしょうね…。

 

私が行った時にすでにかなり売れていて、不景気とか関係ない世界だなぁ…って見ていたのです。それで、「すごいですね…。こんなに売れているんですねぇ…。」と半分くらいのものにもうソールドアウト表示がある…って思ってビックリしたのでお話したら、「本当にそうですね。お買いになったお客様の中には、代々家宝として伝えることができるから購入したという方も…」なんてお話を聞かせていただきました。なるほど…。割れるものではかないものだけど、本人作の数は限られていて襲名30年を迎える方の作品…と思えば、高いものではないのかなぁ?ん…

 

あと聞いて本当か知りたいなぁ…って思っていることを調べるのは難しいかなぁ…と取りあえずメモ。

14代柿右衛門さんは柿を描きたがらなかったから、晩年の作にしかないって。ホントかなぁ…?確かに柿は少なかったかも?わかりません。

 

 

 

 

加治武

書きながら調べてみよう…と書きはじめてみます。

 

実は、ずっと気になっていたもの。

 

来年のお正月には飾ろうかなぁ…と双鶴の漆塗りの絵。

お正月を待たずに部屋にかけてみました。

やっぱり何とも愛らしい顔がいいなぁ…。

だけど、作者をよく分からない…そんな感じで、裏面にいろいろ書いてあってビックリ。

 

せっかくのご縁です。これを機に調べてみよう…って思いました。

 

どこかに書いておけば、ネット検索で引っ掛かっていくのがホント感謝です。

 

お名前は加治武さんと言うんだ…。作者も知らずに手にしました。

 

ちょっとビックリです。この人の作品で紹介されているモノは私が気にいったのと違う感じです…

愛嬌がある感じが気に行ったのに対し、サイトで見ることができるものはスマート。

日展作家 加治 武

と書いてありました…

だから?

 

日展作家って何?

 

日展に出展している人ってこと?

入選している人ってこと?

 

古坂保に師事し漆芸を学び、過去日展や日本現代工芸展入選など数々の受賞歴を持つ作家と書いてあるサイトがありました。

輪島の沈金

 

ネット上で探しても出てこない…。

 

輪島沈金の始まり

 享保年間(1716~1735)に大工五郎兵衛は能登国門前の曹洞宗本山総持寺で見た袈裟箱の鎗金にヒントを得、大工のみの刃先で塗り物に彫刻する方を案出。これが輪島沈金の始まりとされている。

 明和年間(1764~1771)城順助が七代目笠屋佐次右衛門の世話にて京都に上り絵画を習い沈金技術を習得して帰国。今日の輪島沈金の基盤を作った。-輪島市史より-

これは、作品の裏に貼ってあった物から写した文章。

 

昭和27年前大峰氏無形文化財漆芸(沈金)技術保持者に指定される。昭和52年没。

これも書いてあるけど、どう言う意味なのかなぁ…。

 

加治武の略歴として書いてあるのは…

昭和14年 輪島市生

昭和30年 輪島市立中学校卒業古坂保氏に師事沈金技術修得

昭和44年 改組第一回日展「残暑の候」初入選

昭和45年 日展「群生」入選

日本現代工芸美術十周年記念展「蒼い渚」初入選

昭和48年 日展「礁」入選

昭和50年 日本現代工芸展「海の詩」入選

昭和51年 日本現代工芸展「澄む」入選

昭和52年 日展「汐だまり」入選

昭和53年 日本現代工芸展“幻影”「捧ぐ」入選

沈金新作展という展覧会?では数々受賞されていますね。

伝統工芸輪島塗 沈金 加治武 輪島市河井町

 

さて、なぜ調べたいかというと、沈金のパネル?を手に入れたんですよ…って知っている輪島塗している人にお話したら、いろんな人がやっていて価値あるかどうかはわからないって言われたのです。作家の人の名前も知らずにお話していたから、調べてみてもわからない…って誰が有名なのかも知らないから価値があるかとかわかりません。ただ、構図が気に入り表情が楽しくて…って感じでした。

 

ネット上に作品紹介されているかなぁ…?


伝統工芸 輪島塗漆芸額 加治武作品【しだれ桜】八六パネル額縁入

もっと素敵な感じのと言ったらダメかなぁ…きれいな桜も見たことあるなぁ…って思います。

 

 

輪島沈金で誰が有名なのか?なんて知らないなぁ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

料理SNS

日々の料理をテーマにした交流サイトがあるんだそうですね。

miil

チラッと今開いたら、画面が可愛らしかった。これは女性が乗りそう。

 

スナップディッシュ

こちらは、板目な感じのデザインは食事と言うより、机イメージ…

 

どちらの方が会員多いんだろう…?なんて疑問を持って島しましたね。

miilはダウンロード数が8万件。スナップディッシュはダウンロード数が40万件近くだそうで、会員登録約13万人だそうです。

 

多分、レシピもつけなくてよくて食べたものを写真で撮るだけなら、料理できなくてもできるよねぇ…って思いますね。

 

新聞の記事で見て思ったことは、毎日食事をつくって反応があると嬉しい…という家族に料理をつくっているお母様たちに「おいしそう~」とか「冷蔵庫の残り物に見えない~」なんてコメントはうれしいという事実をつくってもらう側は知るべし!って感じかな。

 

こんなのを見ていると、私が作ってよ…と弟に言っていたものを思いだします。こんなのがあるといい!って言ったときは、イマイチ反応悪。そして、そんなん流行るの~?と言われたけど、今や結構、私が言っていたものがうまく働きそうな感じの世の中では???

そう思うのです。

 

そして、携帯電話で…と言っていた話が、なるほどスマートフォンを使えばもっと情報量が使えるんだ…など、気付きがいっぱい。

 

私にはできないことだけど、こんなのあったらいいなぁ~を勝手によさそう!と弟に話したのでした。