汕頭(スワトウ)刺繍

以前、気になって調べた時には出ていなかった?気付かなかった資料も改めて検索すると見つけることができるものですね。

もしかしたら、調べる人がいたら情報を提供してくれる人が出てくる?そんな気がしてくるくらいです。

 

中国の広東省東部にある汕頭地方で受け継がれる手刺繍。

汕頭刺繍の発祥は、広東州東部の町「汕頭」。
1858年の天津条約を機に、宣教師たちがヨーロッパの刺繍技法を伝えたのが始まり。

 

ヨーロッパの感性と中国古来の技法とが融合。

 

オープン・ワーク(切り抜き刺繍)の一種で、生地を切り抜いたり、糸をかがったり束ねたりして透かし模様を表現する、ドローンワークという技法を使っており、とても手が込んでいるもの。

 

ヨーロッパでは多くの女性たちがスワトー刺繍に魅了されたそうです。舞踏会やパーティで使うための最高に上品とされている白い刺繍と白いレースのハンカチ!というように広まり…。正式の場所でこのハンカチを持つことが、貴婦人の誇りとなり、これをきっかけにヨーロッパ全土にまた世界へと広まっていったのだそうです。

 

と、ここまでは以前調べていて知り得た情報でした。

 

スワトウ刺繍の伝承ができていない結果です。農家のおばちゃんが親から子へ、子から孫へと受け継いだ技法が工業化・都市化の波でみんな割のいい仕事につくのでこんな手間のかかる刺繍などやりたがらなくなっているのです。今のスワトウギャルはボタンも付けられないと思います(ちなみに中国の小中学校には家庭科がありません。料理洗濯 家事全般できません。オフクロの味は中国ではすでに絶滅品種です。ちなみに書道もありません)。

 このように書いてあるブログを発見しました。そちらのブログでは、元々スワトウ刺繍と売っていたものは、安価なものだったと書いてあります。そして、現在は機械で作られているものが主流となっており値段が下がっていると。絶滅危惧種とも書いてありました。
以前調べた時はこんな話も見つかりませんでした。実際はどうなのかは置いておいて、中国の小中学校には家庭科がないというところにへぇ~って思わされました。
中国汕頭(スワトウ)地方に息づく汕頭刺繍は母から娘に受け継がれる手仕事の妙技。
18世紀、イタリアの宣教師によってもたらされたヨーロッパの刺繍の粋は、中国の美意識と少女たちの細やかな手を得て究極の手仕事として大きな花を咲かせ、現在に至っています。
1858年の天津条約を機に、宣教師たちがヨーロッパの刺繍技法を伝えたのが始まりといわれています。
と、具体的に書いてあるサイトも見つけました。1858年となると、18世紀?
スワトウ刺繍の特徴は、吸水性の良い綿と麻の生地に刺繍をしたものです。上品さとデザインの美しさとを合わせて、飾りにも実用にも合わせる、これがスワトウです。
こちらに文章は、中国の販売サイトの紹介文から。
 汕頭刺繍には大きく分けて2種類有り1つは抽綉「ツオシュウ」で織り上がった生地の縦糸、横糸を数本引抜き空間をあけ飾り糸を通す方法です。もう一つは拉綉「ラシュウ」で生地に糸を通し引きながら広げて空間をあけてゆく2つの技法があります。
この詳しさと写真は嬉しいなぁ…って思わされました。
 
スワトウ(汕頭)といえば『刺繍』で我々には有名です。ところが町にはそのかけらもありません。中国人には、『汕頭』=『刺繍』のリンクはまったくありません。得た仮の結論は、外貨稼ぎの為に汕頭のごく一部の地域で刺繍が産業として存在しているのであろう、ということです。
と、書いてあるサイトを発見。日本で着物売り場で見るような扱いの刺繍ではないのですね。
検索し回って発見するのは着物の話とハンカチの話…と、日本のものばかり…。
あと、中国の工場?機械で作られているんだ…と、手作りではないのですね。
そう思わされました。

福久清一 輪島塗 

ん…

 

不景気って、本当にどこもかしこも…と大変なんだろうって思います。

ただ、もしかしたら、今度…って写真を持って歩くことはしないだろうから、偶然にも見てこんな風に使わせていただいていますよ~とお礼代わりに。

屠蘇器と重箱の絵を描かれている方が廃業すると伺いました。

ん…。

私にとっては、驚きというよりも、本当にどこも大変だよねぇ…という意味では生活をしていくことが優先…仕方ないと思います。ただ、数年前から金が高騰しているから…と金彩ってドンドン材料費があがっているとおっしゃっていたり、漆器を使う人自体も減っていたり、本当にたいへんでしょうね…と生き残るための努力…どの世界の日本の工芸を作っている方も大変だろうって思います。

正直、写真にある磁器を作っている方々も、もしかしたら本当に大変なのかもしれません。

 

今、景気の悪さ…などなど、いろんな理由から安さを求められて…。

見た目にはわからない…かもしれないけど、漆器だって漆の割合が変わっていっていたり、下地が樹脂になっていったり…、中国など他国で作られていたり…いろいろ。

 

陶器だって、品質のよい原料を求めると高く…海外から集めたり…など、どの世界の人も同じだろうけど、どうしたら生き残ることができるか?苦心されていますね。

 

私は、そんな作品作り…ってある意味ではバカなことかもしれないけど、妥協せず愚直に?作られているものたちを…そんな高くとは購入できないけど、日本の伝統技術がなくなってほしくないなぁ…という思いで、作っている人売っている人達のお陰さまで手に入れて使っています。

少しでも多くの人が使うといいのに…と言いたいけど、重箱も使われるような食文化自体が衰退しているし…など考えると、何軒も漆器・陶器・ガラス細工・着物…などなど廃業されていく話を聞くこと本当に多い。

だから、それでもがんばり続けている…そんな方々のものが売れていくといいなぁ…って思いますが、100円ショップでも重箱あったり…など、価格の方が先行して同じものでなくても、手に入れることができる価格帯のもの…という選択。そして、きっと手に入れることができる人達の生活からは不必要なものになっていってるのかもなぁ…って思うところのものたち。

 

私にとって、初めて輪島塗のもの…多分、骨董品って自分の家のものを販売されていた専門学校でご一緒した方のお吸いもの碗を購入した時だろうって思います。輪島塗だとか、何塗りだとか、何が違うのかもイマイチわかっていないような…でも、そんな感じだけど、何が違うのか知りたくて…って感じで手にしました。

それを機に、陶器フェアみたいなところで塗り物を売っている…と何が違うのか?など、いろいろ教えていただいたりしていたのでした。

 

他のブログに書いていた文章です。

漆器の技法そのものは、縄文時代にまでさかのぼるんだとか…凄い。

輪島塗の最も古いものは、河井町にある「重蔵権現本殿の朱塗扉」だそうです。室町時代の大永4(1524)年の作といわれているのだそうで…約600年前のものですね。

輪島塗って…はてなマークなんて、よく聞くし、見たことがあるのに…そして作り方も聞いたりしたけど改めて何だろう?と調べてみました。

石川県輪島市で作られる漆器を輪島塗という?

輪島塗の発祥は諸説あるそうです。
天平年間に真言宗の行基により鳳至郡門前町に総持寺が創建された際に畿内より伝来したとか
た室町時代中期頃、紀州の根来寺の寺僧が輪島・重蓮寺に来て同寺の什器類を製造し伝来したとか
福蔵という者が根来に行き技術を伝習したとか…

輪島塗の特徴は、木地に生漆を塗付した後、縁など破損しやすいところに「着せもの漆」を塗った麻布や寒冷紗(綿布)などの布を張って補強する「布着せ」をし、生漆に米のり及び「地の粉」を混ぜ合わせたものを塗付しては研ぎをすることを繰り返し、上塗りは精製漆を用いて「花塗」または「ろいろ塗」、加飾は沈金または蒔絵によることにあるとこちらには書いてありました。

調べていて、へぇ~…
女の子が自分の髪の毛で刷毛を作り、お父さんがそれで仕事をする…?
そんなことで輪島塗を調べてみようと夏休みの課題研究みたいに調べてまとめたものがアップされていました。

近年の考古学的調査によって漆の歴史も約6800年前にさかのぼることが、明らかとなったんだそうです。その最古の漆塗り製品は、能登半島・田鶴浜町三引遺跡から出土した竪櫛なんだって。
凄いですよね~くさっていないって…

輪島塗について、輪島漆器商工業協同組合がサイトを出している…って読んでいて、輪島塗だけでなく漆器そのものについて知ることができる感じでよかったです。

この表は、作る工程がわかりやすい~って思いました。

$食べる喜び 食べる楽しさを 健康とともに!(change!change!change!を改めました)

輪島塗工房ということで、自分で選んで行きながら工程を学べるように作っているサイトがありました。

子ども向けに輪島塗のサイトも…凄いですね。

石川県って、こんなにいろんな伝統工芸などがあるんだ…って思わされるサイト。上手ですね~わかりやすい。どの県もこんな風に紹介されているのかしら?

漆器は英語でjaponというのは有名ですよね~。

インターネットオークションを以前見ていて、「柿右衛門」「九谷焼」「輪島塗」とにかくたくさん出てきますね。
輪島塗って書いてあって本物なのか…?とか、見分ける技術があるのなら塗りなおしてお手入れしてもらえると教えてもらいました。木地がいいとなおよいらしい。

私が初めて輪島塗って購入したのはお椀。これは古物。自分の家に伝わっていたものを…とお店を出された知人から何か一つ…と思って購入しました。それは、塗りなおしてもらいました音譜

ご縁ってつながるもんだなぁ~と思うのです。
手に入れて、少し色が日焼けしているなぁ~と思っていたのです。どうしたらいいかなぁ~と思っていたら、輪島塗の塗師の方とお会いでき、見てもらうことができました。デパートを通すとメチャクチャ高い…ってね。また、ギャラリーの方にも塗り直しを頼んであげますよ~とは言ってもらうなど、気になるとご縁ができていきますね。
直接に塗師の方にお願いしてキレイにしてもらったときに、塗る価値があるかないか…なんて判断もしてもらったり…。

 

そう、私が最初に手に入れたお吸いもの椀も見ていただいてホンモノ…と、疑っている申し訳ないのですが、伝来由緒正しくても確認って大事よねぇ~って、色が褪せていたのを塗っていただいたりしました。違いを見分ける…のも素人だと難しかったり…ってしますよね。

いろんな漆器の産地があって、どこのものを買おうか?とかも…?

でも、実際使用される頻度が減っているものでもあるから家にないというところも増えているでしょうね…。

 

そんな中でも、使わないとわからない…くらいに何でも試してみるって、それまで家にあったお重箱はもちろんあるのですが…使うことに意義ありのおせち作りでもあるし、無地でもいいから安いものないかなぁ…くらいに無理言いながら、作られているものを売っていただいたり…としているもの。

 

ホント、素敵なものたち…なのに、なんせ高い…のは仕方ない部分もあるよねぇ…とは思いますが売れないと仕方ないんですよね…。

 

今、ボストン美術館の日本美術の至宝展があっています。

東京まで見に行きたかったんだけど…って、地元まで回ってくるのを待って見に行きました。

東京 → 名古屋 → 福岡 → 大阪

 

もう一度行きたいなぁ…と思うくらいに素敵な作品たち。

 

漆器の展示を見に行く…って、『パリに咲いた古伊万里の華
また、マリーアントワネットを魅了した漆器、蒔絵って展示も見ました。

ホント、素敵な作品…と海外にいっぱい行っているねぇ…と思わされるのは、今回も一緒。

なぜ、こんなに素晴らしい作品たちが海外にあるのか?

 

 

今回のボストン美術館の件に至っては、江戸時代から明治時代に変わる中で、お金に困ったそれまで幕府の下に安泰に暮らしてきた人達が二束三文のように売ったものを、当時日本のものに価値を見いだされていなかったから国内で買い手がつかず、国外へ…。ボストン美術館に集められたお陰さまでたくさん残っている価値高い作品たち。本当に見に行って、こんなに素敵な作品たちを堪能できる機会に感謝と思うばかり…って、ゆったり展示を拝見できたのも幸いでしたが…。

 

同じだなぁ…って思いました。

 

水源地近くの土地を相続税を支払うために売りに出しても国内で売れないから、海外へ流出しているという話を聞いたこともやはり同じだなぁ…。

 

 

全部一緒。

 

 

何を大事だと思うか?

それって、個人の事情として現金が必要な…相続税を払うために日本の水源地帯の土地が無くなっていく以外にない。

 

日本の工芸品たちも…生活するために海外へ…。

 

いろんな日本の伝統文化たち…廃れていくばかり?

 

 

正直、ダンス必修化より、日本の文化を学べる機会を必修化したら?なんて思いますよね。

 

着物着ることのできない

お茶飲めない

お花無理…

いろんな分野があるけど、修得するまでしなくても、学ぶことができたらいいのに…。

 

ライオンキングもいいと思うけど、芸術鑑賞するなら日本の伝統芸能にしたら?とかね。

 

無くなっていくものは要らないもの?

 

 

海外へ出た日本文化が日本以外で根強く手許危うい~…って、他の国はそんなことはないのかなぁ?

 

元々輪島塗は、日用品。お手入れのために…と船にのって各地を回って塗り直しなどをしていた…と、各地を回って売ること塗り直し…ってされてました。作って売って…ホント大変だなぁ…って。

使い続けることができるように…って、古い物も使えるように対応して下さったり…って本当に使う人の立場に立って考えてくださっていた方でした。

 

プライドがない方かもしれない…っておっしゃってましたが、そんなことないと思います。二代目…って初代のものを大切にされていて、二代目ってご自身の作品も、細部までこだわり作られて…って凄いなぁ…と思ってみていました。というのも、高いからね。

 

同じような図案で、他の人の作品を百貨店で拝見することもありますが、松なども綿毛なども愛らしい感じで好きでしたのに…。まぁ、技術あること、始めることもできるだろう…って信じたいですよね。

 

サイトを作られていたんだ…って、ちょっと違う…と生活のためにいろいろ…とおっしゃっていた分みたいですねぇ…。また修繕の様子も紹介されていたのですね。オークションとかに出てるじゃん…海外向けを発見してしまいました。というか、ビックリ塗り物海外へたくさん出ていってる?

 

母に話したら、生活していくために仕方ないことだろうしね…と、自営業の浮き沈みをよくよく知っているところのこと。私も…少しだけわかるので、やむえないというのもわかるけど、技術ある…って本当に素敵な絵を描かれていることとこだわりを感じていたところ。続けていけるとか、技術を後世に伝える機会を持てるといいのになぁ…って思いますね。

 

人の面倒見がいい…

 

他人がやらないこだわりなど持って取り組まれていたのにね…。

この方が作られたもので、ほうずきの香合を持ってます。小さいほうずきの香合。だから…本当は大きい方が高い?なんてくらいの特価!と出されていたところをいただきました。

でも、小さい方が作るのは難しいんだとか。もう作らない~と手ばなすところにたまたま巡りあわせました。枝まで残っているところがいいんだとか、本物のほうずきに漆をかけていく話を教えていただきました。

 

他の作家さんの紹介したり…自分の商売の紹介をおしすすめる…という代わりに、先代からのお客様でもう整理していかないといけない…という方の古物を売ってみたり…ホント他人のことばっかりでしたねぇ…。

 

絵の細かくてきれいなことも好きでしたが、使う人の身に立って案じてくれたり、古物に対してもそれを作った人のことを考えてそのまま使った方がいいのか直した方がいいのか…って、そのまま使った方がいいとか結論出すとお金にならないでしょ…ってね。

作家さんとしてどうなんだろう~?って調べていたら、この方のことを書いている方が他にもいらっしゃいました。

 

調べてもお父様しか出てこない…というのは、美術展などに出していないと出てこない?

 

 

古典を題材にして作品を作る方はいっぱい。

そんな方々との違いって、ここをこだわっている…とか、いろいろ面白いお話聞かせていただいたりしていたのですが…。

購入された方が、自分が買ったものがどれくらいの価値があるかとかわかるために美術展等に出展してみている…とおっしゃっていた方もいらっしゃいますが、本当は見る人の目がよく気にいればそれでいい話…だと思うのですが、金額が金額だからやはりそういうものが必要となる世界なのでしょうね…。

 

金欄豪華じゃなくていいし、日常使いできるかもしれないけど長く使えるものが欲しい…とお重を探していました。そんなお重を重ね損ねて絵がずれるのも嫌だ…とかシンプルな方が好き…なんて金彩細工する方に無地がいいと言ったりして素敵なお重を手に入れさせてもらったのに…。いろんな人の作っているものを見る機会はあるけど、作品が出している気が優しいので好きでした。値段は他のところも考えてくれたりするけど、入っている心持が違う感じ…ってね。

 

ものは残る…確かにね。

 

技術を伝える…っていろんな方に対しても親切にされている…といえども、人の大変さをかぶって自分が辞める話になるのはなんとも聞いても仕方ないかなぁ…というのと母も私もそんな人の家族の気持ちは少しはわかるところあるかも…という感じと…。正直、父が覚悟決めて引き受ける…ってしていったりした気持ちを理解できる機会いただいた気分でした。

 

ネット上で履歴等見つけ出すことができなくて、ホントいろんな人の作品を拝見する機会持って見ることはします。うまい下手…よりものが発している温かさが好き。そんな基準で選ぶ私からすると、ホント残念…。どの工芸をされている方もご自身の生活をどうにかするのでやっと…という状況だと思うのです。特に、輪島は地震2度あったりして…本当に大変だろうなぁ…ってね。

材料にも妥協せず…という姿勢のところは、ホント大変ですね。だからこそ、その方々がうまくやっていけるといいなぁ…って思いますが、商売としてはちょっとずつでも妥協して一般に流通しやすい価格に…としているところのものの方が売れますね。

ご本人の絵より確かにお父様初代のものの方がきれいなのかもしれないけど、ご本人の絵もキレイだし絵から受ける感じが優しく温かい感じが好きなのになぁ…。

 

いずれにしても、まずは生きていくことが大事なのは確かでしょうし…。

もっと多くの方に見ていただく機会があるといいのにねぇ…とは思いますね。

どの分野も本当に作っている方々の作り続ける環境維持が大変でしょうね。

 

自分が大変でも、周りの業者さんのことなど心配して…ホント…いろいろときっとお客様には力ある方々いらっしゃるだろうに…って思いますが、それも頼りに行かず…プライドない?十分あるじゃんというか…お客さんに迷惑かけるのも…とかいろいろあるのでしょうね。

 

言えることって、ホントまた作り始められるように…って願うくらい。

 

あと、今度お見せしようって写真撮っていた器を使ったって写真。見ていただける機会あるかなぁ~?

 

いろんな漆器の技法を説明いただいたりして、本当に多芸…っていうのもですが、各地を回って…って作る暇あるのかなぁ~?なんて思ってました。

 

感謝。

 

徳田八十吉さん 

九谷の磁器は、黄緑紺紫赤の5色を使った絢爛豪華な絵が特徴。

今は亡き三代目徳田八十吉さんのことを紹介したVTRを手に入れていました。見る機会を持てずにいたのでした。すでに亡くなられて拝見して、九谷焼きの伝統ってアグリッシブな感じがあるのかなぁ…?

 

五十吉さんの亡くなったときにも、どんな感じだったのだろう…?九谷について知りたく思っていました。だけど、亡くなられて…八十吉さんも亡くなられて…遅くなりましたが、このVTRを拝見して最初に目を引いた九谷が私にとっては八十吉さんの花瓶やお皿だったので、感慨深く思います。

 

 

三代八十吉さんは受け継いだ色を独自のものへされていった話。

成形した器の表面をやすりでこすり平らにきれいにして、塗っては焼き…を繰り返している。

 

思った通りの色、文様が出るように何度も計算して窯で焼く…って、描かれている様子で見える色はこんな色で?という色重ねされたものから違う色が出ますね。

 

三代目の色は電気窯でしか出ない色なんだそうです。薪では出ない色って今だからこその作品なんですね。現代だからこそ…新しい色なんだそうです。

 

昔使われていた色絵の窯。

今は使われていないんだって。

 

秘伝を息子ではなく孫に伝えていった初代だったそうです。

昭和31年に初代は亡くなって、当時22歳のお孫さんだった三代目。色の秘伝を12通り、伝えたんだって。半年ではそれだけだった…と三代目は途方にくれたんだそうです。

そんな中、お経を見て、初代の手帖にある文字が、そのお経の文字で1~10を暗号化していたことを発見。100以上あった色を教えてもらった12の色から解読して初代の色の調合を習得されたのだそうです。

三代八十吉さんは自分の色も無数に…。

色の調合は他にもらさないというのは、どこの窯もそれが一番その窯らしさにつながるということなのでしょうね。

 

創生?この字でいいのかな…その作品が気にいっている作品だそうです。

2回焼いて終わろうってしていたら、失敗していたそうです。そこで高温にして3回目を行ったら筋ができて新しい顔が出てきた…って。

本当に新しいものが出るということは偶然…なんだと思わされました。

 

線の集合体が面。数学の世界のような話をおっしゃっていたのですね。

 

二度目に失敗して三度目に…って計算されたものに三度目。

失敗したと思うものに手を加える面白さ。同じものをもう一度となると、偶然ではなくなる。

 

 

「恒河」

この花瓶にテッセン一輪さして、お花の展覧会に出品された方がいるんだそうですねぇ…すごい。

同じ作品かな?お店で飾ってあるのを拝見したことがあります。

 

「心円」

「石畳」

代表作を前に語る姿がVTRの中でありました。

 

同じものを作り続けることが伝承。

伝統とは形骸を伝えるのものではなく、精神を伝えるものである。

 

精神を受け継いで、作者らしさをその中で生み出す。

いろんな伝統を持つ中で生きている人たちの言葉を伺い学ぶ機会を持ちます。本当に、伝統とは?考えさせられるものです。

 

焼き物の表面に入る貫入は、生地と釉薬の収縮率の違いで現れるのだそうです。

「共生」

貫入は、窯から出てすぐ入ることもあるし、何年たっても入らないこともあるのだそうです。

 

徳田順子さん、現在の八十吉さん(4代目)ですね。

若い姿。

四代目襲名されて、今はどんな感じなのでしょう…?

三代目に似た作品を亡くなられた後拝見する機会が多いなぁ…って思いますね。

 

加賀料理の老舗での八十吉(三代)の器に料理がのっている映像は、やはり器は料理のためにあるものだなぁ…って思わされますね。すごい。

作っている人間には使ってもらえてどうか?

 

表面の装飾が中心の九谷。

 

自然体、率直、自分の仕事に意欲を失われていない。

 

作る人間はどういう風に使われるか?

美しい物良いものを作ろうが先立ち、どう使われるかを忘れがち。

 

 

自分の心にあう線は一本しかない。

 

 

『無限の彩を求めて』徳田八十吉

やきもの探訪

『三代徳田八十吉 陶の譜』

というVTRを見ながらのメモでした。

 

 

何度も窯で焼いて行くうちに光に近づいていく。

「旋律」

九谷の色を受け継ぎながら現代的な鮮烈さがあふれている

「恒河」

幻想的な色合い

「彩釉壺」

瞬間瞬間、全く別の表情を見せる海

24時間、365日の海

明」

日の出がモチーフ

50以上の色が塗り重ねあって、朝の陽光を表す

画像が欲しい…と思うとこういう形が一番載せやすいのでした。

 

本当に素敵だなぁ…。

ボーっと眺めていたのは何年前なのでしょう。

九谷焼って、一言で言うと「けばい」ってイメージしか持っていなかったのです。でも、当時の私には毒々しく色がいっぱいというイメージだったものを変えていってくれました。

いろいろと教えてくださった…九谷焼を販売されている社長さんに感謝。

 

昨年は同様にVTR今右衛門を拝見したんです。

あと…数本VTRまだ見ていないので、見よう!って思います。

新年あけましておめでとうございます

これを書きはじめた時、誰かが読むという意識が全く在りませんでした。読む人はいるかもしれない…だけど、自分のノート代わり…。

今も、ノート代わりに書いています。ただ、多くの方々がいろんなことを教えてくださる昨年一年間。感謝です。

 

世界中の方々とインターネットはつながっていることを改めて意識させられた昨年一年間でもありました。

また、もしかしたらこのブログからかしら…?懐かしい友達が見てくれたのかなぁ…?そんな年賀状を頂きました。

感謝。

 

ちょっとだけビックリしました。

 

 

今年の最初は恐らく来年のために…って今年作ったおせちのことについてちゃんと記録を取っておこう!と昨年末に思ったのでした。

今年の年賀状を作りはじめ…遅すぎって年末31日まで書いてました…。

その年賀状を作るために写真撮影!と写しまくって、結局どれが一番良かったのかなぁ…。選んだものはココには載ってません。というのも、データを加工して画素数あげているのでアップできるデータ量をオーバー…。

まだ出さないといけないかも…?ってデータを落とすのを辞めてます。

 

なんか、印刷されたこの蛇たちでも、ご利益がありそうなきらきらオーラを出している…。賀状を書きながら思ったのです。なので、撮った写真をできる限りアップ。実際どの写真がオーラ強かったのかなぁ…?

作った方のオーラを分けていただいた感じですね。

感謝。

毬杖 ぶりぶり香合

毬杖(ぎっちょう)について以前知りえたときに書いていました。でもって、一度ブログデータを全て消してからもういっか…って思っていました。

だけど、「ぶりぶり香合」のためというよりは「ぎっちょう」という言葉自体を知りたくて…と、何度も調べまくるのはやっぱり面倒。もう一度書いた文章データを引っ張ってくるよりは、いろいろ違うものを見つけることが今度はまたできるかもしれない~って調べます。

 

なぜ「ぎっちょう」が気になるかというと、私自身左利き。左利きのことを「ぎっちょ」と言われたりしてきました。でも、なんか差別用語らしいということで使ったらいけないらしい…くらいの認識でした。ただ、「毬杖」のことについてお話を伺い、これについて調べたとき、お茶道具として「ぶりぶり香合」の由来を知りたいと知る程度には出てこなかった。

 

ただ、こないだ母から「なんで左利きをぎっちょと言わないようになったのだろう?」と素朴に聞かれた。ん…母も軽く左利きというのか、成長する中できっと右利きの人は耳にする機会は少ない言葉かもしれないけど、左利きの場合結構耳にする言葉だよねぇ…。今度は言葉のほうで気になりました。

データ消した…ついでにもう一度以前のものをアップしなおすのもひとつだけど、素朴な疑問もついでに…新たに調べてみようかな…と思わされました。

 

まず、「ぎっちょ」って使ったらいけない言葉なのかなぁ…?

結構同様の質問をしているのを発見。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2575112.html

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1200185.html

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1122976736

など。

それから…

左毬杖と左義長にも書いてありました。

 

毬杖(ぎっちょう)は、木製の槌(つち)をつけた木製の杖を振るい、木製の毬を相手陣に打ち込む遊び、またはその杖。振々毬杖(ぶりぶりぎっちょう)、玉ぶりぶりとも。杖には色糸をまとう。

平安時代に童子の遊びとして始まり、後に庶民の間に広まった。その後は形骸化し、江戸時代頃まで正月儀式として残った。現在では、地域における文化体験の一環として時たま楽しまれる。左利きの人が毬杖を左手に持ったことから、ひだりぎっちょうの語源とする説もある。『本朝俚諺』には、「俗間に、左の手の利きたる人をぎっちょといへるは、左義長といふ意、左専(もっぱ)らききたるに準(なら)ふ」とある。

これは、ウィキペディアにある説明でした。

 出土した毬杖の先端部と毬」ということで、写真が紹介されているサイトもありました。

 

左義長・三毬杖(さぎちょう)

(もと、毬打(ぎっちょう)を三つ立てたからという)小正月の火祭りの行 事。宮中では正月15日と18日に吉書を焼く儀式。

清涼殿の東庭で、青竹を束ね立て、毬打3個を結び、これに扇子・短冊・吉 書などを添え、謡いはやしつつ焼いた。民間では正月14日または15日(九州では6~7日)長い竹数本を円錐形などに組み立て、正月の門松・七五三飾(しめかざり)・書ぞめなどを持ち寄って焼く。

その火で焼いた餅を食えば、年中の病を除くという。子供組などにより今も行われる。どんど焼。さいとやき。ほっけんぎょう。ほちょじ。おにび。三毬打。新年の季語。徒然草「三毬杖は、正月に打ちたる毬杖を真言院より神泉苑へ出して焼きあぐるなり」

 

 

さて、この毬杖は打毬に使われるラケットのようなものをいうそうです。この打毬は、中央アジアの一角で発生したそうです。西に流れたものがヨーロッパに伝えられて「ポロ」となったんだそうです。そして、東にながれたものが中国で打毬となり,やがて朝鮮半島を経て8~9世紀頃に日本へ伝わってきたみたいですね。

 

奈良・平安時代には、端午の節会の際に行われる宮中の年中行事だったそうです。

この打毬について、宮内庁のHPにも書いてありました。

 

朝鮮半島では、撃毬(きょっく)と呼ばれ、武官の登用試験の必修科目だったそうです。朝鮮王朝時代に入って、ますます盛んになり、第4代王世宗が「撃毬がうまい人は、乗馬と弓術も上手で、槍と剣術も上手になる」とその重要性を強調していたんだそうです。

日本に残る舞楽の中に、この撃毬の様子を舞いにした「打毬楽」があるそうです。

中国の伝説の皇帝と呼ばれる黄帝の作とされているそうで、日本へは仁明天皇の頃に伝えられたといわれているんだって。

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その昔、この舞を舞うときに毬杖を右手に持つところを左手に持って舞った貴族がいらしたそうです。その様子を周囲の人達が見て、

「左手で毬杖を持っている=左毬杖」

と呼んだことから、左利きを「ぎっちょ」と呼ぶようになったという説もあるのだそうです。

 

 

 

 

日本のポロ・打毬,ぶりぶり,打毬楽 ~イスラム文化と古代日本ということで、詳しく書かれているブログ?を見つけました。

 

さて、お茶の席で見る「ぶりぶり香合」のことはすっかり無視して調べていましたが、いろんな国のつながりもさらに知る機会になりました。

また、動画も見つけることができました。感謝。