平成25年度「フードデザイン」発展

90分授業用。

これも来年度は使用できないだろうから…。

H25フードデザイン発展9回目調理実習

H25フードデザイン発展8回目調理実習

H25フードデザイン発展3回目調理実習

H25フードデザイン発展4回目調理実習

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H25フードデザイン発展67回目調理実習

H25フードデザイン発展11回目調理実習

H25フードデザイン発展10回目調理実習

平成25年度「フードデザイン」標準

90分授業。

これは来年度そのままは使えない。

どの程度まで簡単にしないといけないか検討しないといけない(泣)

H25フードデザイン前期 調理実習3回目

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H25フードデザイン前期 調理実習2回目

キリスト教徒だった?千利休

2014年2月3日朝日新聞朝刊だと思います。お墓参りに行くために購入したお花を包んでくれた新聞。いつも家ではとっていない新聞なので、思わず持ち帰り読みました。

記録しておかないとビリビリと裂けた新聞紙なので、記録。

 

キリスト教徒だった?千利休

「侘び茶」の大成者と言われる伝説の茶聖・千利休。彼が創始した茶の湯の作法に、キリスト教の影響が色濃く投影されているとの説があるのをご存じだろうか。その可能性は?

千利休は1522年、現在の大阪府堺で魚問屋や倉庫業などを営む田中与兵衛の子として生まれた。

幼名は与四郎。武野紹鴎に茶の湯を学び、のちに戦国武将・織田信長や豊臣秀吉の茶頭として、数々の茶会を主宰。1585年には秀吉が開いた禁裏茶会で正親町天皇に献茶し、「利休」の号を勅賜された。

しかし、大徳寺山門に掲げた自らの木像が不敬とされて秀吉から追放処分を受け、70歳で切腹する。

竹製の茶杓や黒楽茶碗を好み、2畳という限られた空間の茶室をつくるなど、日本文化の粋ともいえる「侘び茶」の大成者としてその名が残っている。

だが、その利休の茶が、実は当時の最先端文化だったキリスト教の影響を受けていたとする説がある。

利休の孫・宗旦の次男だった一翁宗守を祖とする武者小路千家の14代家元である千宗守さんは約20年前から、「一つの茶碗の同じ飲み口から同じ茶を飲む『濃茶』の作法は、カトリックの聖体拝領の儀式からヒントを得たのではないか」と主張してきた。

宗守さんによると、飲み回しの作法が文献に初めて登場するのは1586年〈天正14)年。翌年には大阪城で開かれた茶会で、秀吉が「一服ヲ三人ツツニテノメヤ」と言うほどまで普及した。「それ以前には行われた記録がない。どこかからヒントを得て、利休が創案したと考えるのが自然」

当時、日本でも有数の貿易都市だった堺では、キリスト教が盛んで、のちに七哲と言われた利休の高弟の中にも、高山右近や蒲生氏郷など、多くの信者がいた。

「ミサの際、イエスの血の象徴であるワインを杯に入れて回し飲みする様子を見た利休が、場の一体感を高める目的から、日本人にはなじみが薄かった飲み回しを茶の湯に取り込んだのではないか。茶入れを拭く際の袱紗捌きや茶巾の扱い方なども、聖杯を拭くしぐさと酷似している。偶然とは考えにくい」

宗守さんは1994年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世にバチカンで謁見した際、この説を披露した。するとバチカンの関係者から「法王庁の未公開史料の中に、茶の湯とキリスト教のミサの関連を記した文書がある。いずれ公になると思うので、待ってほしい」と言われたという。

とはいえ、今のところ、国内には茶の湯とキリスト教の関係を証明する史料は存在しない。

文教大学教授の中村修也さん(日本茶道史}は「日本を訪れたイエズス会の宣教師ルイス・フロスは、千利休はキリスト教徒ではない旨、はっきりと記している。回し飲みも、心を一つにする際に行われる一味同心の時の盃の回し飲みと共通しているし、その他の作法の類似も、一般的な動作における普遍的な一致と言えるのではないか」と話す。

中村さんによれば、利休のもっとも大きな功績は、一般の人にも親しめる形で茶の湯をプロデュースしたことにあるという。

「新たに登場したいわゆる国焼の楽茶碗や竹製の茶杓は、貴族たちが使っていた中国の茶碗や象牙などの茶杓に比べれば、安価で入手しやすい。それがあって初めて茶の湯に親しむ人が増えた。もし、利休がいなければ、他の湯の現在のような隆盛はなかったと思います」

利休は「恬淡とした茶人」ではなく、茶杓の工房を運営し、良質な茶の葉を手に入れて販売するなど、茶の湯にかかわる産業を総合的に運営した「承認」でもあったと中村さんは指摘する。晩年「売僧」(商売をする僧)と悪口を言われたのは、それゆえだったのではないか。

 利休の周りにはキリスト教徒が多い

いわゆる「利休七哲」(7人の高弟)、蒲生氏郷、細川忠興(三斎)、古田織部、芝山監物、瀬田掃部、高山右近、牧村兵部のうち、蒲生、高山、牧村はキリスト教徒。細川と古田もそうだったとの説がある

 

捨てようと思ったのです。お墓にお花を生けて、お花を包んでくれていた紙をふと見ると「千利休」という文字と「キリスト教徒」という文字が見えるというビックリ。

「濃茶」ミサ儀式に酷似など、ビックリの表記に捨てるごみを包むのに使いかけていたけど、切り取って持ち帰った。

 

茶の湯にキリスト教の影響がなかったか全くなかったとは言えないかもしれないと時代を思うと考えるのもアリだと思うのです。

ただ、袱紗捌き、濃茶の作法、茶室の躙り口について図でも書かれている記事を読みながら、本当のところはどうなんだろうなぁ~って思いました。

武者小路千家と言えば、三千家の一つなので、そんな家元さんが言うことを全く否定するほど私は詳しくない。だから、そんな意見に実際どうだったのだろう?とは関心あり。

ただ、読んでいた場所がお墓で、読みながら、大徳寺にはキリスト教徒だった方のお墓がいっぱいあるのかもなぁ…なんて思いました。利休七哲のうちそんなにキリスト教徒がいたんだ…と驚きながら、黒田官兵衛もキリスト教徒と思えば、ある意味時代の流れがそんな感じであったのかなぁ…?とも思わされます。

 

『利休にたずねよ』という映画の中で、そんなこともあったのかなぁ…と、正直事実がどこにあるのかなんて知らない話がいっぱいありました。この新聞を見ても…知らないことがいっぱいだなぁ…と思わされます。

 

織田信長の家来として、寺を焼く…などしていた人たちと思えば、仏教以外を信仰していたのかもしれないと考えるのも一つかもなぁ…とも思いますね。

竹製の茶杓など、確かに多くの人がお茶を楽しみやすい状況を作っていったかも…って思ってみると、違う側面が見えてくるかもしれませんね。

 

本当のところは今となっては正しく理解するのは難しいこと。そう思えば、また違ったところから本当のところは?って情報が入るかもしれないと思える意味で、新聞の日付と新聞記事の記録を残して…本当のところどうって思いながら記録まで。

知的ノートの作り方

出典はわかりません。このことを書いたプリントを頂き、ずっと持っていました。

 

ノートと成績のあいだに何故迂回関係が生じてくるのか。人工の脳ともいわれるコンピュータの使い方と比較してみるとわかりやすい。コンピュータはすばらしく頭の良い機械だが、それに命令を与えるプログラムが良くないと、本来の機能を果たしてくれない。一方、私たちの頭脳は天然の優秀なコンピュータ、それに入れるプログラムがいい加減だと、やはり能率よく働くことは無理だ。

このプログラムに当たるものが、学習の場合ノートである。学習内容をいかに能率よく正しく頭に入れる過渡いう命令がうまくセットされていることが必要である。

ノート作りの最大のメリットは、「ノートをとる」「ノートに整理する」という作業そのものが、学習にもっとも大切な記憶力・理解力を高めてくれる点である。つまり、ノートを作るという手の動きと思考回路は、常に同時進行しているのである。

 

1)暗記に強い人より、整理上手の人の方が成績が伸びる。

「10で神童、15で才子、20過ぎればただの人」

成績の二分局化現象が、なぜ高校時代に起きるのか、その原因は

①小学校時代は、誰でも機械的な暗記力が強いが、中高校と成長するにしたがって少しずつ低下する。

②学習量が、中学から高校へ入ると、飛躍的に増えること。

③勉強の内容が高度になる。自分から積極的に働きかけていかなければならない。

これまでの暗記中心式の勉強法を整理中心式、つまり、毎日の授業で習う程度の高い膨大な情報を、テキパキと整理していくやり方に切り替えていく。

☆ 整理中心式の勉強法の主役、それがノートである。

☆ノートを見れば、その人の成績がわかる。

2)バラバラの知識は、それだけでは役に立たない。

ノートの内容と頭の構造とは、密接な関係がある。

ノートは単なる知識の寄せ集めではなく、学習上価値のある情報の記憶装置でなければならない。そのためには、あまりひつようでない情報は最初からボツにして、利用度の高いものだけを選出し、それらを必要なときにいつでも再生できるように、順序良く配列しておくことが大切である。

(情報収集からノート整理までのプロセス)

①情報を集める

②選択する

③考える

④理解する

⑤書く 自分で説明するように書く

 

 

あと、3)として時間の経過と忘却度について書かれているプリント。

 

これを読み返して、思うことは対象は誰だったのだろう?ということ。

ノートについての考えとしていただいたプリント内容。

正直、ここに書かれているノートイメージを共有しないままプリントでこの考えを知った程度なので、どんな状態を想像しながら書いているのかはdふぁ