九州国立博物館にて撮影
いろんな種類を写すことができました。
9時ごろにはあまり咲いていなかったけど、12時ごろには結構さいていた。
朝咲く花ではないのですねぇ…。
7月の写真です。
蓮はロータス。
ロータスクーポン券など、耳にしているときに「蓮」というイメージがなかったです。
蓮の花の絵を印象派の画家の絵で拝見した初めてのとき、日本人の絵だと思ってましたねぇ…。
浅はかですが、そんな感じのイメージでした。
でも、インドなど仏教画にも蓮が出たり、飾りにも出てきたり…。
きれいに写した写真たち。
部分的に撮影可能でした。
という、このイベント?だから写真撮影可能みたいでした。
日本神話においてスサノオが詠んだ
という和歌。日本最初の和歌らしい。
そんな古文の知識?日本史の知識?も全くなく、行きました。
私は知らなくても、小泉八雲は知っていて、凄いなぁ…。
パトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn) さん。
この方、出雲にいたことがあったらしい。そして、その出雲で神事を最初に見た外国人だとか。
さて、このスサノオの詠んだ和歌から、小泉八雲という名前をつけたんだそうです。
ネット上でたくさんの写真と共に紹介して下さってました。
私にとっては、小泉八雲 といえば… 耳なし法一。
小学校にあがるまえに、読み聞かされたお話。そう思えば、こんな話を聞かせることもすごいなぁ…。
耳なし法一と紀伊国屋のブックカバーと小泉八雲はセットの思い出です。
この本を部分的にみることができるようになっている…ってこの本も、こうやって博物館で拝見した後なら、書いてあることも理解…。
相撲が神事なのは昔からなんだ…って、埴輪として相撲取りが…ウソでしょ?っておもったけど、確かに力士姿。
神事もよく知りませんでしたが、海から蛇がやってきて…という話だったり、博物館でお聞きしながら、へぇ…って不思議に、そんな神事が根付いている様子を拝見させていただいて、小泉八雲の感じた出雲体験は、確かに海外ではなくても、日本国内でもその地域以外から行くと神聖な感じなのかも…って思わされました。
『古事記』『日本書紀』なんて、名称だけは日本史で聞いて覚えているかなぁ…くらいのものでしたが、本居宣長と『古事記』との関係も習ったのかもしれないけど…ちっとも記憶になかったです。
ただ、この本居宣長が『古事記』に注目して調べる…ってことをするまでは、長らく無視されていた書物?みたいですね。
それを機に、再注目されて…それまでは、『日本書紀』優位の神話が一変して、『古事記』優位の神話が主体となり、現在にいたっているのだとか。
「古事記伝(こじきでん)」 これは国会図書館のサイトをリンクしています。
京都博物館で、直筆というものを拝見しました。きれいな字。読みやすい字でした。付箋は当時なかったものですが、紙を貼って、それにいろいろと書きこんで…という作業は、簡便化されて今はポストイットなどいろいろありますが、なくてもやっていたんだなぁ…と違う学びも。
生きている間には全て発刊されていないことなども知りました。
古事記は、その序によると、712年(和銅5年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)によって献上された、現在、確認できる日本最古の歴史書なんだそうです。歴史書という認識ではなく、神話などが載っているモノと思ってましたね。
上・中・下の全3巻に分かれており、原本は存在していない。
後世の写本として残っている古事記の序文に書かれた和同年及び月日などによって年代が確認されているのだそうです。
あまてらすおおみかみ
おおくにぬしのかみ
などなど…
神社で見かけるお名前がずらっと出てきます。
本居宣長が『古事記』を注目させたから、それ以降に、そんな『古事記』に出てきているお話の絵が描かれたり…してきて今に至っているそうです。ですから、あるときから…江戸時代の本居宣長が『古事記伝』を発刊するまで、その中に出てくる物語の絵などは描かれていないとか。
古事記 上 太安万侶 著 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772088/1
こんな書き方すると、今時の本みたいですが、近代デジタルライブラリーで見ることができるんですよね。
まぁ…江戸時代の出版物。
本当に昔書かれていたのかなぁ…?という疑問の声もあるのも確か。
出雲大社だったかの柱図が展示されていましたが、それも遺跡が出るまではまがい者扱いされていたそうです。でも、実際にそのように柱をつくっていた…って遺跡が出てから、信憑性が出て…と、昔のことはホントわからないですよね。
力士姿の埴輪が出てきてから、古墳に一緒に人を埋めるのではなく、埴輪を埋めませんか?と言ったというそんな記述に出てきている人の名前なども、神話じゃなくて事実かも?とか、注目されたのだそうです。
いろんな神様が…って、日本だけでなく世界中の神様に通じるものがある神様たちの話。
遠く離れていそうな…そんな感じでも、ギリシャ神話とかにも共通するような感じ…って、小さいころにギリシャ神話の分厚い本を読まされてから思ったのも、あながち間違いではなさそう?
京都国立博物館に初めて行ったのですが、建物自体古い?
外で雷がゴロゴロと鳴っている…って室内でも聞こえる。雨も感じる。
東京の国立博物館も古い…でも、そちらの方が手が加えられていて、近代的になっている感じも。
日本の政治の流れ…って、奈良時代平安時代…と、見えないものにも存在を認め意識していた時代の話があるのも、それよりも前にそんな話が当然のようにあったから?と思わされる日本の歴史でした。
屋久島で教えてもらったんだよね。
出雲なのか、伊勢なのか、私はよく覚えていないけど、建て替えるって伊勢かな?その時には、屋根材に屋久杉が使われていたんだそうです。そうやって切りだしていた跡などが、屋久島では見ることができる。
%0
私は、この本のこの部分は、初めて家庭教師をするときに、父にきつく言われて…って、そんなこと知ってるよ…って思いながら言われた言葉で、改めて読みながら、他の人も同様のことを言う…と嬉しくおもった部分です。
教えるということは、「できない人を、できる人に変えること」です。
この文章の言葉を忘れていると、いっちゃうことば…
「いまの生徒は…」
「最近の新人は…」
私は、この言葉を言うようになったら、上司なり、先生なりのピークは過ぎたと考えています。
なぜなら、こうした言葉が頭に浮かんでしまうということは、自分の知識を部下や生徒のレベルに合わせることができなくなったことを意味しているからです。
ということで、父に私が教わった言葉は
「相手のレベルにまでおりて話す」を忘れてはいけない
正直、難しいです。特に家庭科でそれをするのは。
他の教科だと…って、たとえば数学だと、足し算ができないのなら足し算からフォローすればいいと思います。
たとえ、因数分解を教えなくてはいけなくても…、英語ならたとえ仮定法をおしえなければいけなくても…、なんて難しい話であろうとも、家庭教師をしているとき、最初にどの程度できるんだろう…?探りました。高校2年生の英語の家庭教師をしたとき、じゃあ…と英検3級問題をさせたら、馬鹿にしてるだろう?と言われましたが、3級が高校入学程度なら…そこで確認してみたら…解けて当たり前と思っているか、それを難しいと思う生徒かわかります。
中学3年生に教えたとき、「He am」など…高校に入学できるようにして欲しい…という親の願いに理解しながらも、どうしたら勉強するようになるか?必死に考えたことは、今でも忘れられません。
それでいて、改めて読んでこの本のこの文章に反応しているのは、そのところにこう書いてあるのです。
「説明を省いてしまえ」と思ったときは、疲れた証拠と心得よ
教える側は日々勉強し、知識が増えていく一方で、それを受ける側はどんどん入れ替わっていくので、レベルは一定です。つまり、教える側がキャリアを積むにしたがい、受けてとの知識量の差はどんどん乖離していってしまうのです。
たとえば、同じ内容を何度も何度もくり返し教えていると、次第に説明不足になっていきます。「AがBを経てCになる」という説明を何度もしていると、その流れは当たり前のことであり、「B」の説明を省いても聞き手には通じるだろうと思ってしまいます。
しかし、それをはじめて聞く聞き手にとっては、「AがBを経てCになる」ことは当然のことではなく、「B」の説明を省かれてしまえば、チンプンカンプンになってしまうのです。
自分のレベルが上がっていても、つねに教えを受ける側のレベルまでおりていくことができるか。じつは、これは非常に難しいことなのです。
本当に、この文章を読んだとき、この文章は何度でも読んで思い出さないといけない…って思わされました。「ここの説明を省こうかな…」と言う邪念は、疲れている。その発想は、忘れてはいけないなぁ…。
そんな本の章の最後に書かれている文章。私は本当に…って納得です。
その「いまの若い人」を育てたのは、その言葉を口にする大人たちでもあるのです。いまの若い人を責めるのは「いまの社会をつくっている大人たちはダメだ」と言っているのと同じだと言うことを肝に銘じたいものです。
私は、今の若い人、信じられない…という思いが湧くとき、いつもホント…有り得ない!親祖父母…世代のやってきたことの結果と見てました。もうすぐしたら、早いところでは私が教えた生徒たちの子どもたちが高校へ来るのか…と思うと、他人事ではないところ。私はそこを見て、何ができるか?って思ってきていたのですが、その結果が見えてき始める…と思うと、生徒が就職したところの上司と会話させていただくよりは気が楽ですが、少しでもいいから私が大事にしてきたことを伝わってくれているといいなぁ…そう思います。私も未熟でしたし…といっぱい生徒から学ぶこと多い…って、やり方をいろいろ試行錯誤したので、時代と生徒で変わっていってる自分の接し方もありますが、根底に絶対変えない…と最初から貫いていることもあります。それは、私が中学生の頃から貫いていることだから、この先も…変えないとは思いますが、それだけでも伝わっていると嬉しいな。
何を書いているやら…って感じになってますが、この本に書かれていることは、やってきたことを言葉にしてくれている…って心強く思える部分と、そのスタンスで慢心してしまったら…という警告的にも取れる言葉たち。そして、同じようなことを悩んでいる人がいるんだ…って、学ばせていただけて感謝です。私は言葉にうまくできなかったことも、言葉になっていたりして、凄いなぁ…って思います。
これが絶対ではないし、私も書いてあることを盲目的に全てとは思いませんが、こんなスタンスもOKなんだ…って心強く思わせてくださった本でした。