シャネル

私の中でシャネルイメージって、実はとっても悪かったのです。

多分、バブルはじける前、シャネラーを見て、シャネルを知ったのかも…くらいに、あんまり興味ない世界でした。

そして、働きはじめて、見たシャネル。カッコイーも見たりしたけど、私にインパクト与えたシャネルは、学校の卒業式で白のシャネル、それもミニスカート…ウエストのベルトにシャネルマーク…それは国語の先生の姿でした…。はぁ~?バッカジャナイ…が第一印象。と、そんな私にはシャネル=馬鹿…言葉悪いけど、そんなイメージが植えつけられたのでした。

でもね、そんなんでシャネルを判断してはいけないだろう…って、デパートのシャネルのコーナーをチラ見。そのときに、これ素敵…というか、私の中では白シャネルミニスカートスーツが頭にあって、ピンクシャネルとかテレビで見たりしていたので、ちっともシャネルを知らない私が気にしたのは黒のスーツでした。これならいいなぁ~と値札を見てビックリしたのでした。めっちゃ高い…?今はちゃんと覚えていないから、ただ当時の私にはビックリ高かったイメージだけ残ってました。

今なら、ブラックスーツってシャネルでは結構王道かも?ってわかるのですが、ホント、百貨店でビックリしたときの私はシャネルって本当に何も知らない…。ただ、テレビでシャネルのマークがついたバッグやスーツや…って着ているシャネラーって言われる人たちを目にしたことがあるくらいでした。

シャネルの映画『ココ・シャネル』だったかなぁ…それを見て、改めてシャネルってどんな人?

本を読んだり…って、し始めたのはシャネルのどこがいいんだろう…?

 

いろんなブランドのことを知らないで判断するのもよくない…って、知る努力。そんなことをし始めたのは、ネクタイ・ワイシャツをはじめ…販売経験をさせていただいたことから。とにかく知らないブランドいっぱい…だけど、説明するために知る努力した。それから…。つくっている人を知ると、ブランドに対する見方も変わる…ってね。

 

どこがいいんだろう…?って読んだ本は、シャネルの言葉を集めて書かれた本が最初。でも、その本に出ている言葉たちはかなりインパクト大でした。


さらに…って、読んでビックリ。

 

 

シャネル 最強ブランドの秘密 (朝日新書)
ビックリの本でした。

 

この本のタイトル。

興味を持つようになったのも、他のブランドのこともいろいろと知るようになってきたからかなぁ…。

でも、この本を読んでよかった…。とっても面白かったです。

 

この本のはじめは、「シャネルの服を着たことは一度もない。…」そんな始まり。

だけど、この人シャネルの研究…って、この人の研究の内容はとっても面白くて、わかりやすかったです。

 

「モードは芸術ではない。商売だ」

あ…なるほどね…って、スタンスを思わされたのです。

そして、いっぱい発見をありがとう!って本でした。

 

本当にシャネルに詳しくない私が読んで、感動…というか、シャネルを理解するのに、偏っていないのか?という疑問は持ちながらも、この本から学んだシャネル像…それは商売人!

 

そう、シャネルは商売人として凄い人だったと学んだのでした。そう思って見ると、理解できることがいっぱい。そして、納得したのです。

 

私の疑問たちをいろいろと解決してくれた本。

 

その1 なんで、あんなブランドって言うだけで、合皮のバックなどが高くなるのか?

その2 なんで、シャネルが売れているのか?

…って、本当はいっぱいあるのです。でも、いろんな疑問を解決してくれた…

 

ブランドシャネルは、今となっては、ルイヴィトンなどと同じ…?そんな面もあると思いますが、何が違うかなども知りえて本当に面白かった。

 

20世紀、シャネルが作り出した?はじめて広めたことの影響力の大きさを知りました。

 

そして、私が思ったこと。

21世紀は…?

シャネルが壊したモノ達のそして、生み出したモノ達の浮世草的な印象を受けた感じを理解できた気がします。

きっと、シャネル本人がまだ生きていたら…?保守的になっていた?恐らく先導を切ってアグリッシブだったかもしれませんが、私は今の時代に生き返ったとしたら…って考えたら、恐らく、やっぱり黒シャネルだろうなぁ…って思います。

他の本で、なんであれだけミニスカートを毛嫌いしていたシャネルのブランドなのに…私の中でのイメージはミニスカートだったのはなぜ?って、創立者の意向と違って、ブランドとしての生き残りのために…という発想で動いている部分?商売だからね…。

 

シャネルって、やっぱり、自分が作り出した者たちが壊していくのは…シャネルが好きだったものかもって思うのでした。そして、シャネルが好きだったものを、いまだにある状態にさせているのは伝統でありある意味貴族など言われている人たち…。

読んで私の中で作り変えられたシャネル像。それは、シャネルの土台の文化はクラッシック…ということ。

この気づきは大きい。本を読んだ後すぐの感想は残しておいたほうがいい…って思わされるのでした。

 

この本に共感!は、ここ。

時代のマインドは「成熟」と「本物」をめざして思考を深めているようにもみえる。

というとこ。

 

高度成長期に青春を送り、ハングリーから「過剰富裕化」まで、ひととおりを経験してきた世代は、もはやハングリーな消費欲望に目を奪われてない。

 

時をさかのぼることおよそ100年、19世紀が終焉をむかえ、20世紀の幕があがろうとする境で、やはり贅沢の意味が問われた。

問いを放ったのはほかでもない、ココ・シャネルである。

このシャネルの問い。そして、その答え。面白い~

 

理解したことは、これ。

その贅沢は、金がかかっていることを人に見せるためのものだ。むろnその金を出すのは男、つまり夫か愛人であって、女の衣装は男たちが富をひけらかす「口実」にほかならない。ここでシャネルが指弾の的にしているのは、ヴェブレンの『有閑階級の理論』のいう、あの「顕示的消費」、見せびらかしのための消費そのものである。

 

あ~納得ってね。

そして、そのさらに先。

シャネルのモード革命を「皆殺しの天使の」という冠付き。

 

シャネルの嫌悪感、凄いなぁ…と思うのです。でも、そんなシャネルを「皆殺しの天使」笑えるくらいに…

ジャージー素材のスーツをシャネルが高価に販売したことも知らなかった~

また

ニットは女性のものとして存在していなかったということも凄い…。

 

正直、そんなシャネルも今はいない。そういう意味では、今のシャネルは…?なんて思いも抱きながら、痛快なシャネルの言葉たち…。

大げさなのは個性を殺すのよ。表面的なものはみな値打ちを下げてしまう。アメリカ人はこういって私をほめたけれと、とても嬉しかったわ。

これほどの金を使いながら、それをみせないようにするなんて!

この言葉納得の私がみた黒スーツ…って思い出されたのでした。

 

 わたしにとっての贅沢は、よく仕立てられた服で、一つのコスチュームが五年ぐらいはちゃんともって、着られるものだ。古くて、使い古したものというのが、私の夢だ。アメリカでは何でも捨てる。だからしっかりしたものは何もない。洗いもしないし、洗いに出しもしない。一度ドレスを洗いに出したことがあるけれど、ボタンが一つしか残っていなかった。これがアメリカだ。贅沢の反対、チープだ。なんと嫌なのだろう。

 ここで語っているシャネルは典型的なヨーロッパ人である。歴史を重んじるヨーロッパは古いものを愛し、とかく新品を軽蔑する。大量消費は大量廃棄、すぐに捨てられるようなものに価値などありはしない。ヨーロッパ人から見れば、まさにそれこそ「贅沢の反対」であり、チープに他ならない。

このシャネルの言葉は、マルセル・ヘードリッヒさんが聞き書き留めた…って、シャネル晩年の話。

 

 成金たちの新品にもノン、貴族たちの華美豪奢にもノン-シャネルのこの美意識を、「アンチ・ゴージャス」と名づけてもいいかもしれない。どちらの二つも「見るからにゴージャス」だからだ。シャネルにとっては贅沢はまさにその反対だった。別のところでシャネルは作家ポール・モーランにむかって「贅沢」をこう語っている。

わたしにとっての贅沢といえば、昔から代わらず続いているものだ。「歳月に磨かれた」オーヴェルニュ地方の立派な家具、どっしりと重くて地味な田舎の木、紫がかった桜の木、艶出しで磨かれて黒光りしている梨の木(…)わたしは貧しい子ども時代をおくったと思い込んでいたのに、実はそれこそ贅沢なのだと気づいたのだ。オーヴェルニュでは、すべてが本物で、大きかった。

 

実はこの本。とっても軽快に現代のいろんなものを蹴散らかしているなぁ~と思わされるところはあり。

そんな感じだから、こんな風にシャネルを見るのかも…とは思いますね。

 

色彩のゴージャスへの拒絶…黒

表面的な色の贅沢は嫌悪すべき贅沢趣味だった…って

 

ダンディズムの詩人ボードレールの言葉

「エレガンスは絶対的なシンプリシティにある」

 

「金持ちのための宝石」を身につけるのは、「首のまわりに小切手をぶらさげるのも同じだ」ってシャネルの言い放った言葉点凄い…とかね。

 

 

シャネルの名前をしてイミテーションを高く売る。そのことで、既存の贅沢を愚弄…。

恐らく、いろんなブランドがこの20世紀にやってきたことかも…そして、21世紀が始まるって頃、本物を買い占め始めた…ルイヴィトンとかね。

 

さて、これからをどう見るのか…が大事って思うのですが、この本読んで私が得た感想。

 

読んで感じることは自由。

 

そう思って、読んで感じたこと。

 

 

ブランドマークでイミテーションの値段をつりあげてきた…そして、今、本物であることを求めようとしているブランドもあり。

その上で、シャネルは…?とか見たとき、ココ・シャネルのシャネルと同じなのかなぁ…?わかりません。

だけど、その名前を冠にすることで稼ぐことのできる…それがブランドかなぁ…と思わされる。品質の維持も大事だけど、そのブランドの力…影響力…きっと必要なんだろうなぁ…。

 

日本は戦後って、もう60年はたっているんだけど、その間、アメリカをお手本に…と取り組んできたことが多かったよねぇ…と思います。だけど、根底には日本はアメリカより長い歴史を有していたんだよねぇ…と思わされたのでした。どういう意味か、日本もヨーロッパの歴史あるものへの評価って顔を持っているよねぇ…。

 

ファーストファッションという言葉が登場して、とにかくデザインさえ…今の最先端を…

上質なんてどうでもいい…

 

その反対に位置しているもの。

オールドファッションだろうね、昔からの価値観としてどの国にもある一つのものを大切に着ていく…その価値観。

本を読みながら、その価値を大事に思いながら、商売のために壊しに行ったのがシャネルの一つの凄さだったのかも。

モードだけでなく、価値観を壊してしまった…。不本意かもしれませんが、自分が大切に思っていたものまで壊しちゃった面もあるのでは?と思います。そして、やっぱり…クラッシックに脈々と…一つのものを大切に…と生きている人たち。どの国にもいて、その人たちが選ぶものは…上質?使い続けることができることが価値基準として当然にある。

その感覚を失った人たちを増やしたことは、ファッションを女性にお金とは無縁に開放した光と影のことではないでしょうか?

マスを魅了し、ブランドネームで物の値段を引き上げていくこと、その一方で上質を作り続けている…そんなブランドたちの生き残るために必要なことは、ちょっと巨大化しちゃったから、お得意様…と極々一部の大金持ちにだけ販売していてもその人たちは1つ買ったら何年間も買ってくれるわけではないから…とか、きっと小さく商売をやっていくには向いていない体制になっていること。新規開拓、また昔から自分のブランドが大切にしているコアなものの維持…。ブランド企業からいうとそんな感じ?

 

女性にファッションを開放し、男性のお金をいっぱい持っているんだぞ~という誇示に使われない表現力としてある面は、とっても豊かな表現を生み出していると思います。だけど、シャネル自身は嫌悪感を表したミニスカートたちも生み出したり…した発端も、シャネル。そして、今、シャネルというブランドで売っているものも、マスを魅了するためにミニスカート。

 

捨てられていってる…廃棄処分対象の昔つくられたものたちを拾い集めて…価値を見出している世界観。安いから…ではなく、今となってはもうそのレベルの職人がいない…という世界もある。

お金を出して新しいものを有名ブランドが売っているものを…と求めていく価値だけを肯定していると、きっとプアなお金がないからそうしているのでしょう…って思う人もいるかもしれません。だけど、もともとの持ち主にとってはもういらないものかもしれない…って、そんな古臭い…って見るものも、シャネルが言う言葉の「贅沢」というところでは?

笑えるくらいな話、久留米絣なんかも、古いもので取引されているものは価格が信じられないくらいのものも…。それは、今の時代でその柄を出す技術がない…など、今に生きていって得られないものありってね。

着物だけでなく、漆器も、陶器も…今ではそのための材料が手に入ることも難しい…って家具も…。

シャネルと白洲次郎・白洲正子…なんか、通じるものがあるなぁ…。

 

ただ、シャネルが好きなものを好きと言える人たちを減らしたことはシャネルのやったことだろうし、シャネルの好きなものたちを作れる人たちを減らすのに貢献もしたと思う。それは気づかずに…かもしれないけど。

 

日本の経済成長はシャネルと一緒な感じもする。

だから、100年たって、今度はシャネルが大事と言っていたものを大事という人が増えてきている。壊し続けた世代たちがふと気づいた贅沢。そして、ドンドン大量消費していって気づいたロハス…などね。

 

ただ、そんなものに価値を見出せない人たちも増やしたから、どうするか?

伝統あるもの…大事にしましょうね…って教育でも言うようになっている…という感じ。そんなことを言っても、大事にするものをわからなくなってしまっている親世代。もしかしたら、祖父母世代もわからなくなっている世代かもよ…と今の日本はそんな感じかもしれないなぁ…とも思います。

 

100円ショップで安くものが買えて、100円でいいじゃない?と生きるのも一つだけど、それで失ったことは、ものを大切に扱っていこうという価値?もしかしたら、もともとなかったのかも?100円だろうが、10000円だろうが、大切に扱うことを知っていれば、どちらも長く使い続けることができるもの。

長く使い続けることができるものだと判断することに価値を見出していなければ、違いを見ようとしないと思うのです。モノを見る目が衰えている?

素敵なものたちをつくる人の後継者なく消えていく…そのゆえんは、自分では見極める力のない生活者たちがマスコミで紹介されて知る以外に自分では判断できないところにあるのかもしれない…って思います。消えないためには…商売である以上、知らせていくことが大切…それも一つ…。つくるだけではダメで、それを惚れてくれる人たちを増やさないと残れないこと。そして、閉鎖的に限られた人たちだけの世界のものに留まっていると、継いでいく人も見つからないし、生き残れない…。

 

私はシャネルなんてよく知らない。だけど、シャネルは自分の持っている価値観である「伝統」「贅沢」に本人が気づかないところだったかもしれないけど、それをマスに売ったことが生き残れた理由かもね…。宣伝力が強いものだけが残っていく…。ある意味質のよしあしではない面もあるのでしょうけど、何事も同じみたいだなぁ…と思わされた本でした。

 

大げさなのは個性を殺すのよ。表面的なものはみな値打ちを下げてしまう。アメリカ人はこういって私をほめたけれと、とても嬉しかったわ。

これほどの金を使いながら、それをみせないようにするなんて!

このシャネルへの賛辞を発しているアメリカ人は、恐らくアメリカで成功して富をもっている人たち…でも、ヨーロッパの伝統から切り離された地。ネイティブアメリカのもつよさもシャネルに通じているのでは?とは思わされましたね。

ふんだんにお金を使いながら、それを見せないおしゃれ。わかる人にしかわからないというおしゃれが確かに、ヨーロッパのブランドのイメージでした。過去形。だけど、ルイヴィトンもシャネルも…なんかそれとは違うなぁ…と思っていたら、バーバーリーもダックスも…って、それらもこれ見よがしのものになっていって…。ちゃんとそのブランドだとわからないといけないと言わんばかりのマーキングがされているのは日本だから?ヨーロッパでのそれぞれを見ていないからわからないけど、マークがついているから高いのよ!って感じ。

あまり詳しくないから、世界中でのことなのか、日本用にライセンスを取ってつくっているものだからなのか、わかりません。

 

ただ、日本のもの…伝統的?着物などもみんなが着ている柄がいい~大量生産の面もないと、広まらないとさらに…と好きになる人も出てこない?一緒なのかなぁ…と思わされました。

 

この本の著者世代、すでに着物を着ることができない人たちもいっぱいでは?

だけど、この世代の人たちは、まだ、花嫁道具の一つに着物が入っていた世代だと思います。だから、着ることができなくても、恐らく持つのが当然の話だった世代。

今は…?

レンタルで着てくれたら…くらいにもっている人たちがいなくなっている。

着物も贅を尽くした…そんなものでないと採算が合わないと言わんばかりに、手ごろなものは機械化。ますます魅力が欠けていってる面もあるのかも?つくり続けていく人たちが生活できないと残らない…。つくる人たちも必死に工夫しているのでしょうけど、裾野を広げていく努力をシャネルは当たり前にしていた…という学びでした。

 

偽モノしかもてなかった人が小さくても本物を持つ…次は数を増やす…そして、そんな本物の中でもその人だけのものをつくる…

消費意欲を掻き立てていき、本物のブランド物に権威をつけていく…と見れば、贋物がいっぱい登場するイコールニンキモノ。ただ、贋物を作り、贋物をもって幸せ気分…は同じ価格の本物を否定していることにもつながるのでは?って思わされます。

粗悪な贋作より、誰かがマイオリジナルで作った無名かもしれない世界観をもつモノ。

そう思って使っている人たちが、新たなブランドに無名かもしれない素敵なものを広める…。その際に、うまく大きくなることに対応できずつぶれていくモノたち…もあり。

流行曲線の始まりに位置するのは嫌な日本人が多いから、日本の素敵は世界に広まっていかないのかもしれないなぁ…とも思わされたりして…。

 

たまたまに図書館で手に取った本でしたが、なかなか面白く読みました。感謝。

 

圧倒的に世界に影響を与えたんだなぁ…と知った点もありがたかったです。

 

ハンドバッグ

女性のスーツ

手の入るポケット

短くなったスカート丈

ニット

ジャージ

今では当たり前にあるものたちを生み出した凄さに感動しました。

 

 

 

 

身だしなみの三原則

清潔感 調和 機能性

これは書いている途中でテレビでやっていたもの。チラッと見てメモ代わり。

 

 

 

 

 

 

ラーニングピラミッド 学習定着率

久々に先日見ました。

これを押さえた学び方…って、セミナーで体験。と、そのときに、このピラミッドも一緒に紹介いただきました。

 

アメリカ国立訓練研究所(National Training Laboratories)

って、はじめて知って…セミナーでやった学び方。それは教えあうこと。そして、劇をする…。

 

エドガー・デール Edgar Dale が、その著書“Audio-Visual method in teaching (学習指導における聴視覚的方法, 1946) ”で提唱した学習経験の分類図、「経験の円錐:Dale’s Cone of Experience」が元なんだそうです。
抽象なものから具体的な次元に沿って「経験」を11の段階に分類。

「学習」は「経験」の一般化にあると定義して、そのためにはもっとも直接的で具体的な経験から、さまざまな抽象化の段階を経て、最後にもっとも抽象的な言語象徴つまり概念化に至ることを説いたものだったそうです。
エドガー・デールは、米国、オハイオ州立大学教育学教授 (1946, ナショナル・トレーニング・ラバラトリ National Training Laboratories: NTL) 。

「学習のピラミッド」は、当初、デールの「経験の円錐」 (Dale’s Cone of Experience) として報告されていた。

円錐に付随、提示されている数字 (%) は、示された活動方法や教え方の後に情報を「記憶している割合」の平均を示している。

 

NTL(National Training Laboratory)

集団と集団の相互作用や集団に属する個人と個人のコミュニケーションによる相互作用を研究調査し、個人と集団の相互的な行動やコミュニケーションを統御する一般法則を発見しようとする社会心理学の学問領域を『グループ・ダイナミクス(group dynamics:集団力学)』という。集団に所属する個人の行動・態度・発言・意見がどのような影響を受けるのかを考察するグループ・ダイナミクスの研究分野は、『場の理論』を提唱したゲシュタルト心理学者として知られるクルト・レヴィン(Kurt Lewin, 1890-1947)によって意欲的に発展させられてきた。

学習定着率と学習のピラミッド (出典: NTL)。
平均学習定着率 (Average Learning Retention Rates) から見ると、講義は5%の影響しかない、さまざまな教授方略、教授方術を工夫することが学習定着率を上げる、としている。特に学生同士が教え合う:Teaching Others は、非常に有効な教授方略と言える。授業内で学生同士が教え合ったり、話し合ったりする仕組みを取り入れると、学習へのモチベーションが上がったり、学習定着率が上がったりする、などと述べている。

このピラミッド図は、1960年代初期に NTL によって開発され使用された。しかし、NTL はこの数値の根拠となるオリジナルの研究結果を提示せず、また見つけることもできなかった、と報告している。*つまり、これら数字は、「経験の円錐」がいつのまにか「学習のピラミッド」へと独り歩きし、変化したようである。

 

まぁ…これにはじめて遭遇ってしたときに、思ったこと。それは、そうだろうなぁ…と理論がついてきた…って感じでした。

 

不思議な体験?

生徒として、「生活」という教科?総合的な学習の時間…実は、小学生の頃に体験して育ったんだよね…。今ならわかるのは、いっぱい先生たちが見に来ていたなぁ…は実は研究授業だったんだろうね。

 

また、教えあうことが学習定着につながるってこと。

これは中学のとき、社会の授業基本的に全部教えあいでしたね…当時は面倒って思っていたのですが…。

自分が教える立場になったとき、これがうまくできると、授業で単に教わるよりもたくさん学ぶ機会を持てるよね…って体験からくる記憶。

だから、いろいろやってみた。

どうやったら、お互い教えるってことをうまくできるか?実は、うまくいかないと、調べて教えようとするのは一部の子だけ…これが私の中学で学んだこと。

 

多くの人がいろんな先生方から学んでいるんだろうけど、そんな中で、私もたまたま…で、こんな風な学び方をさせていただきました。

感謝ですね。

 

そんな体験が新たなものにつながっていくのですね…。

老化

本を整理していたら、老化について書いてある本を結構読みあさっていたことに気付かされました。

家に転がっているだけでも数冊。

 

実は何を抑えると、ほんとうに老後のことを考えて…という学びができるのだろう?

素朴な疑問と共に読んだのでした。

 

そんな本の中に、図解老化のことを正しく知る本というのがあります。

ただ、今から12年前の本。改訂版を見つけて書く!ということが必要そうだなぁ…くらいに変わっている認識もあるはず…。

 

そんな中で老化のことを考えて…と若い世代が何を学べばいい?って難しいですよねぇ…。

 

わが国は世界最長寿国であるとともに少子化が同時に進行し、人口の急激な高齢化が進んでいる。今後 10 年先を見据えた時に、高齢者の健康づくりの目標として、健康余命のさらなる延伸、生活の質の向上、健康格差の縮小に加えて、プロダクティビティの増進を掲げる必要がある。

これは、厚生労働省の文章

 

 

新しい言葉?

ロコモティブシンドローム

これは、抑えておいた方がいいんじゃない~?と思わされています。

メモ代わりに…。

ロコモティブシンドロームの観点から見る超高齢社会の運動器障害と栄養

もっと知ろう!「ロコモティブシンドローム」

 

Ⅰ.老化について
1.老化の概念
老化とは成熟に達した後にくる加齢変化である。寿命(正確には余命)は死ぬまでの生存期間である。いつかは死が訪れるまでの余命は、社会の発展段階と密接に関わりながら次第に長くなってきており、人は身体的、精神的、社会的な老化を実感しながら(老性自覚 age identification)後半生を生きる。
2.老化の原因
老化には、外因に規定されない正常老化と疾病や外的環境要因により加速された病的老化がある。正常老化がなぜ起こるのか、これについては様々な仮説(=老化学説)が出されているが、現在最も有力視されているのがフリーラジカル説である(安藤ほか, 2000)。
これは、日光に含まれる紫外線や空気中の酸素によって、DNA を含む細胞の全構成員が障害を受けつづけ、それが蓄積すると神経系、内分泌系、循環器系、免疫系などの生体システムに変調が生じ、最終的に個体の老化につながるというものである。フリーラジカルの
発生を促進するものを酸化ストレスとよぶ。酸化ストレスを受けつづけた影響は、分子レベル→細胞レベル→臓器レベル→生理機能・身体機能レベル→生活機能レベル→生死、につながる。
3.疾病と老化
疾病と老化は区別される。疾病は老化過程を修飾し、老化は疾病過程を修飾する。疾病過程には遺伝的および生活環境要因が関わっているように、老化過程も遺伝的および生活環境要因により修飾される。老化は普遍的な現象であるがそれは内的、外的要因により修飾され、その影響が蓄積して現れる高齢期には老化の個人差は大きくなる。
4.老化のあらわれ
老化は、生体分子、細胞、臓器、生理・身体機能、生活機能レベルに現れる。ここでは高齢期における身体機能(うち歩行機能と認知機能)と生活機能(うち ADL と IADL)に絞って老化の姿を概観する。
31)身体機能
高齢期の身体機能に影響する 2 大要因は疾病と老化である。はっきりとした疾病あるいは潜在的疾病をもたない場合でも老化による影響は避けられないため、高齢期は多くのからだの機能(認知機能、感覚器機能、血液循環機能、運動機能、口腔機能、内分泌機能、感染防御機能、など)が落ちてくる。
高齢期の運動機能は筋力、歩行能、立位バランス能の 3 つに要約でき、それぞれ握力、歩行速度、開眼片足立ち時間で簡便に測定することができる。なかでも歩行速度は、筋力、立位バランス能さらには柔軟性や全身協調性を総合的に反映する最もよい指標である。歩行速度が速い高齢者ほど生活機能を維持しやすく余命も長い(Shinkai et al., 2000; Studenski et al., 2011))。今日、歩行速度は高齢者のバイタルサインの一つとみなされている。65 歳以降、歩行速度はゆっくりではあるが直線的に低下し、ある閾値に達する頃(女性 75 歳以降、男性 80 歳以降)日常生活に不自由が生じ始める。
認知機能は見当識、記憶、計算、判断、言語能力など大脳皮質の様々な機能を総称したものである。MMSE はこれら全般的脳機能を簡便に測定でき、認知症のスクリーニング検査として広く世界中で利用されている。MMSE の最高点は 30 点であるが、おおよその目安として 27~30 点が正常値、22~26 点が軽度認知障害の疑い、21 点以下が認知症などの認知障害がある可能性が高い。MMSE の平均点は 65 歳以降ゆっくりではあるが直線的に低下し、80 歳以降は 26 点を下回るようになる。
これら二つの加齢変化は正常老化をベースにしつつも病的老化が加味されている。歩行速度には脳血管疾患、心臓病あるいはロコモティブ症候群などが、認知機能にはアルツハイマー病、脳血管疾患、パーキンソン病などの、それぞれ疾病・症候群の有無が大きく影響する。社会人口学的要因では学歴、職歴、地域特性、ライフスタイル要因では身体活動、栄養状態や社会活動性なども影響する。同じ地域に住む高齢者について歩行速度を含む運動機能を 10 年間で 3 回測定した研究では、男女とも新しい世代の高齢者ほど運動機能が高いことが報告されている(鈴木・權, 2006)。筆者らも MMSE 得点において同様な傾向を観察している(Fujirawa et al., 2002)。概してわが国の高齢者の身体機能は、時代効果を受け加齢変化が抑制されつつある。
高齢期の身体機能の加齢変化の結果、転倒・骨折、物忘れ、視力・聴力障害、息切れ、低栄養、易感染性といった症状があらわれやすい。一方で、心理面では人格、健康度自己評価、抑うつ度は加齢変化が少ない。また、脳の結晶性知能のように必ずしも低下しないものもあり、すべての機能が一様に低下するわけではない。
2)生活機能
ロートン(Lawton, 1972)によると、人の活動能力は生命維持、機能的健康、知覚-認知、身体的自立、手段的自立、状況対応、社会的役割の 7 つからなり、それぞれの活動能力に階層性がある(次ページ図)。人はその発育・発達過程で左側のより低次な活動能力から右側のより高次な活動能力を獲得していく。身体機能はおおよそ「機能的健康度」や「知覚-4認知」に相当する部分である。これらはより上位の活動能力すなわち生活機能を支えている。生活機能のうち身体的自立は ADL、手段的自立は IADL と呼ばれ、これらは生活機能の基礎的な部分を成している。
某自治体における在宅高齢者全数(約 1,200 人)を対象に行われた調査(新開ほか, 2001)によると、ADL においては 75 歳以降の後期高齢期でもあまり落ちない。個々の ADL 項目で障害が最も多いのは歩行であり、最も少ないのは食事である。
ADL 低下の順序を検討した研究によると、歩行>入浴>身繕い>着替え>床の出入り>食事の順で障害が起こりやすい。歩行、入浴、トイレの動作は男性に比べ女性の自立度が低いが、その理由は女性の歩行移動力が男性より約 5 年早く低下するからである。IADL にお
いては 75 歳までは自立度が高いが、75 歳以降は加齢とともに急速に落ちてくる。調理項目以外では女性の自立度が低いが、その理由も歩行移動力の性差にある。IADL レベル以上の生活機能は、老研式活動能力指標で調べることができる。知的能動性、社会的役割のいずれも性差が顕著で、特に後期高齢期の女性の得点が低くなる。
都市部在住高齢者では社会的役割が低い一方、農村部在住高齢者では知的能動性が低いという地域差もみられる。
生活機能は高齢期ではより高次のものから低下しやすい。生活機能の低下の順序にも階層性がある。このことは高次の生活機能を維持している高齢者ではより低次の生活機能は維持されやすいことを示唆している。また、近年になるほど高齢者の生活機能は高くなる傾向がみられている。高齢期の生活機能は、教育水準、職業歴、体力や栄養状態、ライフスタイル、性役割などの社会人口学的、文化的さらには生活環境要因による影響をうけるため、その加齢変化も時代効果を受ける。

メンドクサイ文章…って思いますが、これは厚生労働省の資料として出ていたものから抜粋文章。

 

この資料は新しいと思います。

 

能楽

「能楽」パフォーマンスに偶然遭遇しました。

なんと…ビックリ。

能のかたち NIPPON 美の玉手箱」という特別企画展を見に行ったのです。

そうしたら、入ろうとした器楽の音色…って何かあってる…。

そちらを拝見させていただき、展示を見に行きました。

 

the 能.com

詳しく知りたいなら、このサイトを見るが一番でしょう…きっと。

 

能楽体験…って数少ないのですが、拝見する機会を持つようになった近年。少しずつでも、理解を深めることができたら…って思って、展示を見に行こうと思ったのでした。だけど、思いがけず能自体も拝見できて…感謝です。

展示されているものは、能面・装束。出典資料262点だそうです。うち、能面172点とのこと。規模としては過去に例のない規模で紹介されているそうです。

確かに…こんなにいろんな種類の能面があるんだ…とある意味驚きました。

説明いただいたのですが、能楽に使用されている面は200種くらいなんだそうです。

 

襟の色が赤→赤+白→白+白

そんな襟で身分立場の上下を表すそうです。

また、そんな違いを器楽をされている方々は声の高さを変えて表すのだそうです。

すごいなぁ…とそんなお話までうかがえて本当に感謝です。

 

こんな風に説明をいただけて、本当にうれしい…とアイフォンで撮影。ん…ダメだったかしら?でも、こうやって動画が一番わかりやすい…。

衣装装束についての説明も…。

 

ホント感謝!は、なんとこの衣装を着せていただいたのです。

こんなチャンス絶対ない!と、手を挙げたのでした。

本当に感謝です。

 

下着などの説明、そしてこの素敵な衣装を着せていただいたのです。本当にすごい…。

普通に着る着物よりも厚手でしっかりしていました。そして、着方が普通の着物と違うんだ…と着せていただいているのを見るとダメ…とのこと。

頭が下を向いてはいけないのだそうです。

身につけさせていただいて、着物は着なれている方かも…って思いましたが、重い。ビックリしました。手を上げることだけでも本当に大変でした。

そしてさらに、面をつけさせていただいたのです。

面をつけるとほとんど見えなくなって、柱を頼りに歩くということを以前伺っていました。実際につけさせていただいて、視力も悪いのですが、本当に足元も見えない…。前後の距離感覚がない…。これで舞うって凄いなぁ…と思いました。

すり足で歩く…それによって足の裏で板の境目などを感じ、どれほど歩いているかなど判断していくということが本当によく分かりました。また、柱がないと本当に立ち位置わかるの無理…。

あと、普段の立ち方をしていると、面の顔は上むきになるんだそうで、これは自分が身につけているとわかりませんでしたが姿勢を指示されながら歩いたときこの姿勢辛い…そう思いました。

思いだしたのですが、腰の高さなども変えずに歩いて行くことが求められるのですよね…確か。よくこれでいろんなことができるものだ…と感心させられたのです。

 

貴重な体験をさせていただき感謝です。

 

展示の方は、いろいろと説明していただいた上で拝見させていただいたので、とってもわかりやすかったです。

遅く行ったので閉館近くまでいましたが、貴重な体験と学びをありがとうございました。

 

展示されていた能面たちには、入ってすぐ思ったのは、こんなに種類があるんだ…と今まで見たことがあるもの自体数少ないこと、そして、重苦しい感じより生きているような感じのする面達に驚きでした。

 

豊臣秀吉と能との関係も紹介されていましたが、黒田家と能のお話も…。以前伺ったことがあったのですが、改めて展示を見ながら思ったことは能楽が現在に至るまで本当にいろいろとあったのでしょうけど、すごいことだなぁ…と思わされました。

 

以前いろいろと調べたりしたことも含めて、今回の展示を拝見することでさらに詳しくなることができて嬉しく思います。

今度はちゃんと楽しんで能を拝見できるような気がするぞ~と能楽堂へ足を運ぶことを決めました。

 

以前調べたことも含めて、まとめておきたいなぁ…って思わされました。

 

 

見極めよ 備えよ

服装なんてどうでもいい?

 

実は、わが県ではそう教育界では判断が下りました。

ですから、恐らく…これよりもさらに悪化…していくでしょう。

と思います。

 

 

本当に服装なんてどうでもいいの?

 

話をする前、言葉を発する前の全く何もないところでの、相手に対する礼儀の一つに服装があった…のは昔なのでしょうか?

そう思う出来事を体験して、やはり日本は沈没するなぁ…確信を持ちながら今日を過ごしています。

 

何を指導するか?服装は要らないか?

人権同和問題があるから…ねぇ…という話を受けて思うことは一つ。

私はそれでも、多分グローバル社会になって必要な最低ラインは服装だと思いますね。それは高級なブランドを着るという意味ではなく、どの場面で何を着るかというプロトコルからそれに派生しているマナーライン。それを教えることができない=理解できていないということで、行うことができないことは人に指導していてもわかっていないこと。

できないことを言っても、やっていることを学ぶ後進者たち。これが日本が衰退と言われている一要素だと思います。

 

では、服装は?

昔の日本人は、洋装でのプロトコルは詳しくなかった。だけど、今のようにファッションとして楽しむ…そんな豊かな文化もなかったから、プロトコルの範囲内でのファッションだったと思うのです。

でも、今はありとあらゆるタイプがあって、何でもありのファッション幅。そこに、このときにはどういう対応か?理解できていない対応をしている人という証明の一番最初は服装でしょ?それって、過去の評価産物?

 

ここが、社会ずれと言われているところなのかなぁ…?私のずれでしょうか?

服装はクールビズ対応だったならば、クールビズとしてやっていればOKの時代になっているらしい。それを企業の採用等の面接…昇進かかわる面接…で通用する企業があるのなら、見てみたい。でも、教育界では通用するということを学びましたね、今年。

そんな学びをした時点で思うことは、大学受験して点数取れて…でも社会で役立たない人をつくりだしているのは学校かもね…ってこと。判断基準がズルズル低下…。それが国力低下につながってますね。なめ猫文化、ちょっと外れている方がカッコいい…そんな集大成の最低最悪な結末を見ながら思うことは、ヤクザやチンピラがカッコいいと思われる社会を作っちゃったのでは?

 

どうでもいいことなのか?

 

昔は、企業に入って教育していた…って、今はそんなお金をかける余裕がない…だから、ちゃんと必要事項が身についていること…。最低ラインに服装が達しないのは、認識ずれた教員に習うからだなぁ…って思いますね。ずれている服装をしているずれている価値観で話をされている人達に、どうしたらずれているよ…って伝わるか?相手の頑張っているも認めてずれていると受け入れさせる…???ずれ過ぎていて気持ち悪すぎる…。ずらしていった「デモシカ」先生たちのつくりだした教育風土は、PISAでも評価を受けている顛末。

 

ファッショナブルと正しく着装するの違いがわからずに成長していく…ちょっと崩すのがカッコいいというけど、何をどう崩したかをわかっていない恰好を理解もなく着ているみっともなさ…。それを世界に通そうとすることができないから、海外に訪問もできないようになっている人もいますよね。知らないことによってやったこと…を受け入れて改めることをしないことを通すのも一つだけど、国際プロトコルで通用しない話としての歴史的背景からの判断による冷遇を受ける日本。それも一つだとは思いますが、そうとは知らずに真似て国内で広めていく…そのナンセンスさも…。理解して使い分けている人がまだまだいる…。そんな人達しか稼げない世の中になっているなぁ…とは思わされます。

 

もう、そんな違いを学んでいる…独力で…そうでなければ学ぶ機会を得て成長できる環境を求めた人達のみが稼げるようになっている。

 

グローバル社会に求められていること、いろんな文献等で論じられていることの以前に大前提で、述べている人たちが身につけていて当然と思っているところが崩れていることを知らずに、崩れていない前提で論じていると思いますね。

崩れている現実を知らないのは、崩れていない状況の人達との交流しかないグループに所属できているというのか、崩れていない人たちが大多数派のグループとの毎日が普通だから…という感じ。

崩れている現実が8割であっても、その8割をどうするか?という議論を持たないとき、目立たない意見。だけど、崩れている8割を含めて議論するとき、実はその8割の崩れている問題性をちゃんと把握できていないことから起こる悲劇…それを繰り返してきた政治。

根本問題を捉え損ねて、小手先でやってきた終焉が必要。

ちゃんと日本語通じているはず!の勘違いが産んでいる、言葉は同じようだけど違うものに化けていることたちを正確につかめていないことが日本の失態等の大きな原因だと思います。

 

中国のタテマエ社会をつくりだす背景に日本の影響があるかもよ…なんて思うと逆かもしれませんが、少なからず崩壊するのを待つか崩壊させるかしか選択肢がなくなっている日本の現状を一番よい変え方をするのは、積極的に壊しに行くことだと思いますね。壊れてからの対応は早いかもしれないけど、壊してからよりも痛手が大きい。

 

まだ勘違いして総理大臣に居座って…何が先にあるのか?

第三の勢力をつくりだしていき、確実なものにするにはいいかも。

 

1854年 安政の大地震

1858年 安政の大獄

 

1919年

1923年関東大震災

1927年金融恐慌

 

1991年ソビエト崩壊

1995年阪神淡路大震災

1998年ロシア危機

 

2006年イラク

2011年東北大震災

2015年…?

 

 

脈略はない引っ張り方です。

 

壊れた価値観壊された価値観…その後の対応の仕方で起こることは変わってくる。

どう対応するのか?

 

日本では地震など毎年のように…どこかで起こっているのでもっとピックアップ可能だし、もっと違う面白い引っ張り方ができるはず。

 

 

 

日本の国としてみた時は…?

今年はもう数年前から、年金がうまく運用されていないという事実がオープンになるよって言われていた年。要するにもう、こんな風にはなるだろう…って言われていたのに、対応してなくて来ちゃったよ…って感じのことがいっぱいでしょうね。私は対応しているよ~って人も多いと思いますが。

2015年も言われてますよね…。

 

 

日本の信頼信用を支えてきたもの…土台が無くなった時に、やっと見直されるのは見た目かもね。

もし、今の中国を1960年ごろの日本の状況とたとえる側面があるとしたら、生活への価値観の変化も似ている感じかなぁ…。

 

今の日本を1960年後のアメリカの状況とたとえる側面があるとしたら、建て直しはじめたことは食生活など生活基本…?

 

さて、後は、進行速度が変わっている。

スーツにダイバーズウォッチ?で笑われる…って、それが何を笑うところかわからない…という話くらいに

 

日本の食生活をみならって…

日本の学校制度をみならって…

そんな取り組みをした国と自分のやり方を捨てた日本…。

 

あらゆることが変わっていく今。

 

キーワードって

見極めよ

備えよ

 

 

既存の価値観が崩壊するときに同時に壊れるものは既存の組織。

それでも壊れないものがある。それを見極めていない人は、ここぞの服装をわからない。なぜなら、どこが違うかわからないから。ここぞを知っている人は、それに応じた鎧として服装を着るのにね。平和ボケしている体制で平和ボケしている人たちを集める組織のお粗末さ。平時にずれているのは、危機には対応無理ということになるでしょうね…。