貧食の時代 東洋経済

 

新聞の下に掲載されていた広告。

気になったので、チラッと立ち見をしようかなぁ~と本屋さんへ行きました。

チラッと立ち見…と最初の本屋にはなかった。

だから、2件目に行ってあったのです。

チラッと見るだけのつもりでしたが、ビックリ。購入してしまいました。

今週の第1位は『週刊東洋経済』 … 貧食の時代という「貧食の時代 東洋」で検索した結果見つけたもの。ちょっと開いてみたら、書籍に対する批評?

-Fujisan 読み物

「生鮮が消えた国」と題し て米国の低所得地域にはろくな生鮮食品が手に入らない「貧食」も取りあげられている。高くて買えない店から消えるという悪循循環も起 こっているらしい。「過去40年、米国で最も値上がりしたのは野菜と果物」で、 (砂糖や油、牛肉など)不健康な食べ物の価格が補助金によって抑えられてきた歪んだ仕組みが遠因のようだ。これを日本の明日とはしたくな い。

と書かれていました。

そう、気になったのはいろんな食の話。本当かなぁ~って調べたくて購入してしまいました。

実体験者たちがいっぱいいるでしょうねぇ~

 『週刊東洋経済』貧食の時代

 

 

[Part3] あなたの子どもをどう守る?

変な給食から給食なしまで、「学校給食」の摩訶不思議

レシピ本がヒットした足立区の給食

今や乳児の10人に1人! 急増する食物アレルギー

ニーズあるのに対策進まぬ、子どもの夕食「塾弁」事情

と、タイトルだけの抽出。それも一部。

 

ただ、私が調べてみたくなったことは、給食実施状況。

大阪府と神奈川県は完全給食実施率が1割台!

公立中学校の完全給食実施率ワースト10

 

正直、ワーストという言い方されないといけないわけ~?

昔、確か、子どもの食事を給食に任せるなんて…なんて運動もあって、お弁当が母親の愛情を子どもに伝える手段と戦うように給食反対していた保護者がいっぱい…。そんなことを思えば、ワーストなのかぁ~?と思わされたのでした。

ただ、完全給食実施率と言われている「完全給食」とは?こんなに高い率で行われていたっけ…

平成20年 中学校10,850校 実施率 85.8%( 9,304校) 完全給食 75.6%補食給食 0.6%ミルク給食 9.5%

平成22年 中学校10,749校 実施率 85.4%( 9,182校) 完全給食 76.9%補食給食 0.6%ミルク給食 8.0%

 学校給食実施状況等調査  > 平成22年度  > 学校給食実施状況調査

平成22年度 > 学校給食実施状況調査

ミルク給食も実施されていないということなんだ…と驚きました。

都道府県名 総数 完全給食 補食給食 ミルク給食
学校数 百分比 学校数 百分比 学校数 百分比 学校数 百分比
40 福岡県      346      245   70.8        –     –      101   29.2      346  100.0

この実施状況しか意識していなかったのです。つまり、ミルク給食はあっているだろう…ってね。

だけど、大阪府はミルク給食も実施されていないのですね。

ただ、この7割も低い方なんだ…と思わされました。

いろんな意見があるんだなぁ…と思わされたサイト

 

中学、給食か弁当か 弁当派「卒業する時に、弁当を3年間作ってくれた親への感謝の気持ちが生まれる」

神戸市教委は、市立中学校(82校)での学校給食実施の是非を探る学識者ら の検討会を設置した。市教委はこれまで「家族の絆を深める」などと弁当を推奨してきたが、 共働き世帯の増加などで保護者の間では給食の導入を求める声が増えている。全国的にも 学校給食導入の流れが加速する中、検討会は来春までに意見書をまとめる。 
市教委によると、県内では41市町のうち、7割以上の20市10町が中学校で給食を実施している。 
市教委が昨年7月、市立中学校を対象に行った昼食に関するアンケートでは、 生徒の93%が弁当を持参、53%が今後も弁当を望んでいたが、その一方で、保護者の75%は給食の導入を求めていた。 
背景には、共働き世帯の増加で、早朝の弁当作りに負担を感じる親が増えたことがあるとみられ、 市議会では近年、中学校でも給食の導入を求める陳情や請願が相次いでいた。 
これに対し、市教委はこれまで「中学校では弁当」という姿勢を崩してこなかった。 
財政状況が厳しい中、調理施設の整備に最大100億円以上が必要な上、 「弁当は生徒一人一人の成長に合わせられるし、家族の愛情も深める」という考えを持っていたからだ。 しかし、全国的には、中学校で給食を実施する自治体が増えている。 
そこで市教委も、学識者や保護者らが参加する検討会で、中学校での給食の実施の是非を話し合ってもらうことにした。 
2月21日に行われた検討会の初会合には、委員9人が出席。給食のメリットとして 「親の身体的負担は軽くなる」「保護者の食の知識や技術に差があり、弁当では量や栄養バランスに 配慮できない人もいる」といった声が、弁当のメリットとしては「卒業する時に、弁当を3年間作ってくれた親への感謝の気持ちが生まれるのでは」といった声が出された。 

読売新聞で書かれていたようです。

中学校給食が必要な理由

個人的な意見では、私は給食嫌いだったので、実は中学校の時お昼に食べる量は少なかった。だから、栄養失調だったかも。今思えばね。そして、デザートがついているのがまた嫌で、甘いものを今は食べることができるけど、全く食べることがなかった。全部友達にあげてましたね。

自分が学校給食の栄養士をして、知ったことは、地域によっておいしいということ。まずかった…体験で育ち、提供側になっておいしいところもあると知って何が違うのだろう~?と思わされました。どちらも給食センターからのものには変わりないのに…ってね。

 

中学校給食だった私とお弁当だった弟。

学校によって違いはあるかな。

 

雑誌を見て、本当に~?と驚くのです。

「先生、イチゴ味とうどん出しは合いません!」「アメリカンドッグと白玉はどっちを先に食べればいいの?」

フーズ&ヘルス研究所を主宰する幕内秀夫氏が著した『変な給食』には、文字通りどこかおかしな学校給食の写真が紹介されている。

 きつねうどんにイチゴ蒸しパンと牛乳。カレーうどんに小倉白玉とアメリカンドッグ。再現写真を突き付けられると、確かに珍妙な献立だ。

とその続きに書いてある文章も、ホント…。

何とすごいなぁ…。本当にビックリの献立を出しているんだ…と『変な給食』の方をチラッと見た時には確かに思いましたね。そして、自治体名まで記されていたことで反発が起きていたって、反発よりも広く知られた方がいいこれは劣悪すぎでしょ…という献立たちは、栄養士の実力を疑うわ…。

『もっと変な給食」という本が今年になって出ているんだそうです。

正直、こうやって子ども達が育っている…と思えば、これの方がマシなくらいのお弁当体験しかできないの?とは思いますね。

 

東京都足立区の給食レシピ本が売れているとも紹介されてました。


足立区 おいしい給食

サイトでも紹介されているそうで、また、区役所のレストランで1日限定30食学校給食をランチメニューとして提供されているんだそうです。

 

はぁ…。

 

栄養素摂取という点から見れば、冷凍食品を押し詰められたお弁当よりはいいと思います。ちゃんと考えられた献立なら。

 

ただ、私が見ても、きつねうどんにイチゴ蒸しパンと牛乳だけ?これは本気?と栄養士の人を知りたくなります。調理現場の調理器具等を考えて想像するだけですが、調理をする人の数もあると思うのですが、炭水化物ばっかりじゃん…。どんなに凝って、油揚げを煮ても、野菜はなさすぎるでしょ…。イチゴ蒸しパンを自家製にしているのかなぁ~なんて全て自前で作って出しているのなら、作業的に大変ですねといえるけど、市販パンなら何やっている調理場なのだろう…と思いますね。

 

かれーうどんに小倉白玉とアメリカンドッグも。野菜は~?

 

野菜嫌いな子どもたちなので、確かにこう言ったレシピに野菜をつけて…とすると、残食率高いかもしれませんね。だけど、こんなん食べて成長して、大人になってどうするの~?と思わされます。

だけど、言われたのです、昔。完全な和の献立にすると残食率が高くなると。そうすると、作る側の気がめいる。そして、それを食べさせる指導も学校側で大変と。

正直、それも一理とは思います。食べないと意味がない。そして、食べさせるのが大変な学校現場も想像できます。だから…といって、学校給食の内容は考えないといけないと思いますね…。

 

正直に思うことは、学校給食で初めて煮物を食べる、和え物を食べるなど、食体験を広めている子ども達が増えている。だから、学校給食で初めてが多かったりすると、食べないんだよ!と保護者の身勝手な発言には思います。

白ご飯を家で食べたことがなくて、ふりかけがないと食べることができない子たちがどのくらいいるか。野菜を食べることができない子たちがどのくらいいるか…。家で食べる機会が失われすぎてます。親がデザートしか食べさせていない子なんて、給食ではデザートしか食べないことも。

 

ただ、親の偏食や調理技術の無さで家では食べることができていないものを食べる機会を得ている実態。本当はそれを給食のメリットといっていいのか?と思うところはありますが、食べた経験なく成長するよりはましかなぁ…。

今、学校給食も大変と思います。

たかがキュウリを出すのだって、熱湯消毒しないと出せない。

サラダ、和え物を出す大変さを思うと、足立区の学校給食と紹介されていた雑誌の写真にトマトが切ってサラダになっている…って、消毒とかはどうしているのかな?とそんな感じ。

 

調理を自校方式の給食と給食センター方式の給食と、どちらがいいか?そんな議論もありますよね。

選挙でも「中学校の給食」が争点になるというところで、私が思うのは、いずれにしても食べない子は食べない。ちゃんと調べることができるのなら、残食率など調べて見た方がいいと思いますね。個人差大きい。

学校の教員たちの意識も「給食は太る」と思って、女の先生方とか敬遠する声がありますが、正直食べすぎだよ!と思います。先生たちが山盛り取って…という、教員が自分の給食が少ないと不満を漏らし生徒たちから取り上げる先生体験をした私から言わせてもらえば、太るのではなく適量食べることをしないから。あとは、確かに中学生用を同量食べる年配者は無謀。食パン3枚とかつくときあったりしたもの。パンも素材そのものの味を味わう…ってできない人が多くなっていて、菓子パンとかも増えているでしょうし…。「給食は太る」と平気に口にする先生たちの言葉を聞いて食べたがらない思春期に突入する小学高学年や中学生女子たち。本当は、この時期にちゃんと食べる必要は本当にあるのに…心ない大人や男子の言葉で食べなくなる人達も出てくるお年頃。

 

脱脂粉乳にコッペパンといった給食イメージだったら、確かにお弁当がいいと思うでしょうけど、コンビニ弁当と給食と比べるような世代になっているとしたら…。

 

再現写真を真に受けるわけではないけど、こんな献立を出されて栄養バランスを算出していないのかなぁ~?

 

 

カレーうどんにタコ焼きとソラマメに「ビアガーデンか!」というタイトルがついているそうですが、そんな献立をたてている栄養士その方がそういった食生活で育っているのでは?と思いますね。

 

器にうるさく言う保護者がいたり、食材の質にうるさく言う保護者がいたり…と、数百円で作る世界の給食。それでも、どの地域の給食もなるべく子ども達にいいように…と食材吟味等されていると思うのです。その財源である給食費を払わない家庭がある。それで給食はどうやって出していけるのか?そう思うと、家庭の責任で弁当にしたら?とは思いますね。食材だって何だって自分で厳選して出せば~なんてね。

 

私が体験した給食食材を選ぶ…という体験をもとに言うと、同じ食材をスーパーでは買いもとめられない。もし、同じレベルの野菜とかを買いたいと思ったら、取り寄せか高級百貨店等で買うしかないかもねぇ…くらいに頑張っても、捨てる子どもたち。食べ残すことを何とも思わない子どもたち。

正直、男子と女子で摂取量の基準等違って当然だし、その辺の考慮がなかったりすると必要以上取り過ぎ…もあるかもしれないとか、厳密な管理なんて無理でしょ…と思います。食物アレルギーの子ども達も増えていて、実際にはそんな人たちへの対応も求められると…現場は大変ですよねぇ…ってね。

給食受注制にして、いろんな種類増やして弁当形式でもいいから業者を入れるとかなら支払いの滞りも減るんじゃない?

タダ食いをさせていける自治体がどれほどあるか?

野菜は高いんだよ~って思いで「きつねうどんにイチゴ蒸しパンと牛乳」という献立を見た時、栄養バランス…という観点ももちろんあるけど、この献立が出されている学校は給食費の回収はちゃんとできているのかな?と疑問も。それは「カレーうどんに小倉白玉、アメリカンドッグ」も同様。これなら安そう…なんてアメリカンドッグは市販品としても、全て作ると原価計算するなら安そう。規模の小さいところで野菜を使うってホント高いだろうなぁ…と思うのです。常に安いときばかりではないし、冷凍野菜使わないよね…基本と思っているのもバイアスかもね。

 

食物アレルギーなんて、解明されていない原因といわれるけど、私は親の食生活などが大きく影響しているとは思いますね。

ホント、生きる基盤にあるはずの食をちょっと疎かにして治療費を払いたい人が増えているとしか思えないのでした。

 

 

 

 

言うとおりより、するとおり

コメントをいただいて嬉しいけど、読み終わるのを待っていたら書けない…と先に100投稿目。

消えたとはいえ、ようやく100です。

 

いろいろと資料だけはたまっていきます。

 

だけど、100回目で見つけた順番より、今、この本に出会えてよかった…と今日出会えた本を。

 

感謝です。

 

その本のタイトルは、『置かれた場所で咲きなさい』。

以前発見したときは、手に取りませんでした。

でも、今日発見したとき、手に取ってみました。今日手に取った本は、売れているという棚から2冊。

そのうちの1冊。

 

この本との出会いに感謝です。

 

こんな事例いっぱい…と他人事のように…書きながら、本当にこの本に出会えてよかった…と思えることと仕事のために書くことは違うかなぁ…。

 

子どもは親や教師の

「いう通り」にならないが、

「する通り」になる。

子どもに何かを伝えるのに言葉は要らない。

ただ、誠実に努力して生きていくだけでいい。

 

価値観は言葉以上に、

実行している人の

姿によって伝えられる。

同じ事柄でも価値観によって受け取り方が変わる。

子どもには、愛と思いやりのある価値観を伝えたい。

 

1,2ページの出来事を交えたお話を、こんな感じでまとめてある。

いろんな同じことを書いている本を見ます。そして、本当にそうだよねぇ…と思うことなのですが、こんなにわかりやすく端的にまとめてある。そう思わされる優しい語り口。

いろんな同じことを言う文章よりも、伝わる気がします。

 

親の価値観が子どもの価値観を作る

 3歳ぐらいの子どもを連れた母親が、水道工事をしている人たちのそばを通りながら語って聞かせています。「おじさんたちが、こうして働いていてくださるおかげで、坊やはおいしいお水が飲めるのよ。ありがとうといって通りましょうね」

 同じところを、これまた幼い子を連れた別の母親が通りかかります。子どもに向かっていいました。「坊やも勉強しないと、こういうお仕事をしないといけなくなるのよ」

 価値観はこのようにして、親から子どもに伝えられることがあるのです。最初の母親は、人間はお互い同士、支え合って生きていること、労働への感謝の念を子どもの心に植えつけたのに対し、2番目の母親は、職業に対する偏見と、人間を学歴などで差別する価値観を植え付けたのではないでしょうか。…

 

なんて書いてある最後に

価値観は言葉以上に、

実行している人の

姿によって伝えられる。

同じ事柄でも価値観によって受け取り方が変わる。

子どもには、愛と思いやりのある価値観を伝えたい。

といった感じでまとめてあるのです。

 

53万部突破と書いてありました。

最初に見た時は、手を伸ばしませんでした。

だけど、知らずに語るなかれ。ちゃんと勝手に判断ではなく、読んで…と手に取りました。

 

いたるところ、本当に心洗われる思いがします。そして、年を重ねる凄さを思わされます。

 

日本で、いじめがなくならない理由。

その一番大きな原因は…?と尋ねられたら、私は大人の弱さだと思います。

ここにあげた母親。前者と後者のどちらが多いか?

学校の教員で後者に出会える確率は低いです。聞いていて気持ちが悪くなるくらいに後者の言葉を使う人が多いです。

あ~日本がよくならないなぁ…ではなく、しみじみと、伝えていることが違って、何を伝えたいのかという意識しているところがないから発言している言葉たちかもしれない。子どもを思って…の後者の発言と言いたいお母様方が多いんだろうなぁ…と思っても、この著者と同じように私も思います。というより、この文章を読んで安堵しました。母より年上のこの著者だから、時代が違うと価値観も違うの典型的な話でしょうか?

 

昨日、大雨、落雷。

櫓から下りるように…など、注意し避難。そんな中、まだ上がっている…。誰?と見たら、教員でした。

保護者や生徒にしめしがつかないね…。注意している立場はどっち…?

保護者だと危険を伝えに行こうって、動いたら言っている側。管理職に報告しても、わかっているでしょうから…と放置判断。

これじゃあ伝えているのは、何?

 

そう思っている矢先に読んだ文章。

 

いろんなことがありますが、言うことよりしていることの方が強いんですよね。

「これは禁止です」と言いながら、実際にそのことをしている人が何も言われずに過ごすことを見ていると、恐らく多くの人達は禁止を咎めることのできない組織と見るでしょうね。そして、一部の人たちは、咎められないのならしていい…そう判断するでしょうね。

 

雪山で遭難など、いろんなニュースが流れます。母が山登りを昔していて、見ていて言うのです。こんなこと絶対したらいけないのでは?と。時代が変わって、昔より便利になり、昔よりもしかしたら雪山でも何でも危険が減っているのかもしれないなど思いながら母の言っていることを聞きます。だけど、同じだよね…。禁止だったり、しなければいけないことには理由があったりする。その理由をわかっている人には、何をやっているんだ…と、実行している人たちを注意したり警告したり…しない人達に対して何をしているんだ…と思います。だけど、咎められない=していいという雰囲気が万延している感じがします。注意している矢先から、注意している組織から違うことをしている人の姿を見せる…。警察の飲酒運転みたいなものでしょうか?

 

そうしたい気持ちを理解するという側面もあると思うのですが、その行為によって他者へ与える言っていることに対する重みのなさを伝える行為としての側面を見るということはないのかなぁ…?

「こうやりたい」が規範よりも先立ち動く…何年も教員をしている人間の行為としてどうか?なんて思いながら、管理職が言いというのなら…と不快に思うけど、気づかれた方偉い!くらいでちっとも気づかなかった私としては、第3者へ与える影響って考慮するのは普通ではないということを学びました。

 

 

 

茶碗とは

福岡市美術館古美術室 田中丸コレクション 解説第2号 より

茶碗とはということで書いてあったものです。

 現在、茶碗と言えば天目茶碗も含む“茶を飲むための陶磁器の器”のことを意味しますが、室町時代から桃山時代にかけて「天目」と「茶碗」には明確な区別があったようです。

 例えば、室町時代に書かれた『君台観左右帳記』陶磁器の項目では、「茶垸物之事」と「土之物」という二項が設けられ、「茶垸物之事」では青磁や白磁などの磁器類、「土之物」では天目や茶壺、茶入れなどの陶器類を区別して書いています。

 「茶垸物之事」では、青磁を「あをきちゃわんの物名也」、白磁を「しろきちゃわんの物名也」と説明しています。

また桃山時代に書かれた『山上宗二記』でも青磁蕪無花入を「茶碗ノ手ナリ」と説明していますので、当時の「茶碗」とは中国製の青磁や白磁の「磁器」を意味していたと考えられています。

 現在では「天目茶碗」という言い方が一般的ですが、どうも明治から大正時代にかけて使われだした用語のようで、それまでは「天目茶碗」と言わず「天目」とのみ呼称していたようです。

 「茶碗=磁器」。“茶を飲むための碗”ではないのに「ご飯茶碗」というのも、この「茶碗=磁器」という言葉の名残でしょう。

 それまで御飯を食べる器は漆の椀か木椀を使用していましたが、江戸時代後半から波佐見焼の「くらわんか碗」などの磁器の碗で御飯が食べられるようになります。

 全国的に普及するのは、鉄道が開通した明治時代になってからだと言われていますので、このころから“御飯をよそう磁器の碗”という意味で「御飯茶碗」という言葉が定着していったようです。

 ■茶碗の三条件

 ここで「茶碗」には、もともと前提となる条件があったという説を紹介しましょう。

 前述したように室町時代から桃山時代の「茶碗」が意味するモノは、青磁や白磁の時期でした。そして中国製の青磁茶碗をも指しました。これは中国宋時代の喫茶の風習が鎌倉から室町時代にかけて流行していく中で、唐物(中国製の美術工芸品)が輸入され、“茶を飲むための碗”は「天目」、「茶碗(磁器)」では青磁茶碗が主流となっていたからでしょう。

 磁器にも当てはまりますが、この青磁茶碗の基本的な特徴を整理すると次の3つです。

一 「総釉掛け」内側(内面、見込み)、外側(側面、胴部)、底部(高台内も)の全面に釉薬が掛るもの。

二 「無地無文」絵付け(筆描きの文様)や掻き落としなどによる施文がないものであって、釉状の微妙な変化や貫入は無文の範疇に属する。

 また、茶碗の口縁部の切り込み(輪花碗など)や茶碗の内・外面への篦描き(櫛目・櫛描き・猫描きなど)や削りあるいは型押し(鎬文など)は、器体部そのものの成形結果と解釈して施文とはみなさない。

三 「左右対称」丸碗ないし平碗を祖形とした左右対称(シンメトリー)

 【茶碗】項目執筆者/竹内順一 『角川日本陶芸大辞典』角川書店刊 2002

 

 つまり「茶碗」とは“この三条件を備えるもの”という認識が当時の茶人にはあったという説です。

 侘茶が流行するにつれ、唐物茶碗以外に高麗茶碗も取り上げられるようになりますが、例えば侘茶の茶碗の最高位とされてきた「井戸」や「粉引」、「三島」など古いタイプの高麗茶碗も基本的にこの三条件を満たしています。

 また桃山時代に前半の天正年間(1573-92)に千利休(1522-91)の創意でつくられたとされる長次郎(?-1589)の茶碗が「総釉掛け」、「無地無文」、「左右対称」という三条件を守っているのも、当時の「茶碗」の定義だったからなのでは、と考えられています。

 ところが桃山時代後半の慶長年間(1596-1614)になると、それまでの「茶碗」の定義からすれば新しいタイプの茶碗が登場します。

 それが美濃焼の瀬戸黒、志野、織部です。いずれの茶碗も高台に釉薬を書けない土見せとし、「総釉掛け」という条件を否定します。また日本製の焼き物で初めて筆による文様が施された「志野」では「無地無文」を否定し、「織部」に至ってはさらに沓形に歪め「左右対称」をも否定していきます。こうした流れは、慶長年間に開窯した九州初窯にも波及していきます。

 天正年間に開窯し、慶長年間に生産が盛んになった唐津焼も高台を土見せにしています。また絵付けを施した絵唐津。織部の影響を受けた歪みのある茶碗をつくるなど、流行にあわせた新しいタイプの茶碗を生産していきました。

 これ以降、“茶を飲むための碗”の定義が広がっていき、さまざまなタイプの茶碗がつくられます。江戸時代になると、新たに中国製の赤絵や染付茶碗も取り上げられ、また京では仁清による色絵付けを施した多彩な茶碗がつくられるなど、前時代にはみられなかった華やぎのある茶碗も登場してきます。[財団法人田中丸コレクション 学芸員 久保山 炎】

 

茶碗の歴史をこのような形で知りえるとは思いもよりませんでした。ただ、展示されているものを説明しているリーフレットをもらっただけのつもりでした。だけど、本当に勉強になるなぁ…と持って帰って読んで思いました。

なぜ、茶碗という風に御飯を食べるために用いる器を言うのだろう?という疑問もあったので、そんな疑問も消えた!と消していってくれました。感謝。

ミッシェル・ガントナー

ミッシェル・ガントナーって誰?というくらい知らなかったのです。

でも、有名らしい。だから、検索。

そうしたら、広告写真家って書いてあったぞ…って、私が知ってたのは版画のはず。

写真だったのかなぁ?

わからなくても、インターネットで検索したら出てきました。ご本人のサイトらしい。

http://www.michelgantner.com/

面白いものですね。

 

フラワーアートギャラリーというものを知りませんでした。踊っているみたい。

 

もっと調べる方法があるのでしょうけど、わかんなかった。

ウィキペディアもなかった。

永観堂 禅 林 寺 

永観堂 禅 林 寺に行きました。

何も知らないで行く私にとっては、何が名物なのか…?それすら知りません。ですから、こうやって書いていて知るものがいっぱいです。

ボケているなぁ…きれいに咲いていました。めちゃくちゃ大きかったです。

大賀連という立て看板がありました。

幼稚園?が付随していました。

わからないであるいたので、そちらの方から歩いて私はお寺へ入ったのでしょう。

実は、その前に拝見した南禅寺のお庭と雰囲気が違う…というのを強く感じました。

宗派によって考え方が違うのでしょうね。

 

そして、こちらは、「みかえり阿弥陀像」が安置されています。

初めて、こんな真正面を見ていらっしゃらない阿弥陀仏像を拝見しました。

正直、知らずに行ったので、このようなご縁をいただけて感謝。

いろんな意味でこの振り返っている様子を解釈したりしているそうですが、

「永観、おそし」
と声をかけられた。永観はその尊く、慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている

のだそうです。

平安後期~鎌倉初期の作品なんだそうですが、インターネットのサイトに紹介されている方が全体を見ることができますね。

その場に行って、囲まれている…という中で拝見したので、違う感じがしました。

その反対側に、開山堂?も拝見してみました。こちらは普通の人をよりつけたくない?そんな感じを受けてしまいました。

 

三鈷の松

これを持つと三つの福が自然と備わるといわれているそうです。

知りませんでした。

そして、これをわざわざ拾うために…降りて骨折した人もいたのだとか。

注意書きの最後に降りて拾ってはなりませんと書いてあります。

拾ったらダメと言われたら…拾いたい人が出る?

いただけないのなら…と写真に撮ったのでした。

だけど、この松、階段で登るのを嫌がったり、とにかく広い…って回るのを辞めると見ることができません。

ちなみに、3つの福とは「智慧」「慈悲」「まごころ」を授けると言われているそうです。

拾ったのではありません。帰りがけに、売店の方がくださいました。おひとり一つ差し上げていますとのこと。

知らなかったのですが、声を掛けられて行ったら説明もして下さいました。

こうやってぐるぐるっと巻いて、折れないようにしてお財布に入れておくのだそうです。折れたり切れたり、巻くのもひとコツ要ります。

そして、珍しい…と仏手柑を見せていただき、試食させていただきました。あまりお土産を買うことをしない私ですが、これは珍しい…と買ってみました。

実際になっているものを拝見できて感動しました。

私が、仏手柑を知っていると話したら、珍しがられました。確かに…私も実物を知っているわけではなく、中国ではお皿の文様に縁起物として用いられる…という話と、その文様の元になっている仏手柑を日本では見かける機会が少ないために、日本で中国のその文様の器を写した器たちの図案は違うものになっている…と博物館で拝見して気になっていたのでした。

 

忘れてしまう前に記録をしておかないと…。