消費者教育の推進に関する基本的な方針

セミナーで学んだことそのままでは足りない情報等いっぱい…と、勝手にいろいろつないで自分のための資料にまとめます。

金融教育セミナー2013の中身と思われないでくださいね。金融教育セミナーを伺って思ったことは一つ。食育のときと同じく、個々の立場で微妙に違う。あとは、それをどんなカジ取りするか…政府ということ。だから、政治の動向が一番大きく影響しそう…。と、そんな政治家を選ぶのは国民だから、国民が愚かな選択をすれば…愚かな結末しかないってことかな?

 

教えていただいたときの話からさかのぼり、一番新しい関連情報だったのは

消費者教育の推進に関する基本的な方針 平成25年6月28日閣議決定

消費者教育の推進に関する基本的な方針

平成24年12月に施行された「消費者教育の推進に関する法律

この方針は、平成25年度~平成29年度の5年間を対象

消費者教育の推進の意義および基本的な方向、推進の内容、関連するほかの消費者政策との廉価胃に関する事項を定めると共に、都道府県消費者教育推進計画および市町村消費者急お行く推進計画の基本となるものとして、消費者教育の推進に関する法律(推進法)9条に基づき定めるもの。

 

 

消費者教育の推進に関する法律

第九条  政府は、消費者教育の推進に関する基本的な方針(以下この章及び第四章において「基本方針」という。)を定めなければならない。

2  基本方針においては、次に掲げる事項を定めるものとする。

一  消費者教育の推進の意義及び基本的な方向に関する事項
二  消費者教育の推進の内容に関する事項
三  関連する他の消費者政策との連携に関する基本的な事項
四  その他消費者教育の推進に関する重要事項
3  基本方針は、消費者基本法 (昭和四十三年法律第七十八号)第九条第一項 に規定する消費者基本計画との調和が保たれたものでなければならない。
4  内閣総理大臣及び文部科学大臣は、基本方針の案を作成し、閣議の決定を求めなければならない。
5  内閣総理大臣及び文部科学大臣は、基本方針の案を作成しようとするときは、あらかじめ、関係行政機関の長に協議するとともに、消費者教育推進会議及び消費者委員会の意見を聴くほか、消費者その他の関係者の意見を反映させるために必要な措置を講じなければならない。
6  内閣総理大臣及び文部科学大臣は、第四項の規定による閣議の決定があったときは、遅滞なく、基本方針を公表しなければならない。
7  政府は、消費生活を取り巻く環境の変化を勘案し、並びに消費者教育の推進に関する施策の実施の状況についての調査、分析及び評価を踏まえ、おおむね五年ごとに基本方針に検討を加え、必要があると認めるときは、これを変更するものとする。
8  第四項から第六項までの規定は、基本方針の変更について準用する。
消費者が安心して、安全で豊かな消費生活を営むことのできる社会を実現するために、消費者政策において消費者事故等の速やかな情報提供、また、消費者被害の防止にかかる厳格な法執行や、被害救済等の適切な法制度の整備が重要であることはいうまでもない。しかしながら、それとともに、消費者自身が合理的な意思決定を行い、被害を認識し、危害を回避したり、被害に遭った場合に適切に対処することができる能力を身につけることが重要である。両者は車の両輪であり、「自ら考え自ら行動する」自立した消費者の育成が喫緊の課題である
自立した消費者の育成は、健全な経済社会の形成にとっても喫緊の課題である
ひたすらに「喫緊の課題」という言葉が使用されていた。
GDPの6割を個人消費が占めているということが根拠。
経済社会の発展を牽引する質の高い市場の形成には、
質の高い判断力・意思決定能力を備えた主体が不可欠であり、
事業者のみならず消費者としての国民もこうした能力の育成が求められる。
特に
持続可能な社会を形成する上では、
環境、資源エネルギー等に与える消費行動の影響を自覚する消費者が大きな役割を果たす。
多くの消費者問題、社会問題への対応やその問題解決において、
行政や事業者のみならず、消費者自身もその担い手としてかかわることが望まれる領域や過程もある。
こうした社会的役割を認識し、
公正かつ持続可能な社会の形成に積極的に参画する社会、
すなわち消費者市民社会を目指して、
行動する消費者が求められている。
このため、
消費者市民社会の形成に参画することの重要性について、
理解および関心を深めるための教育を推進しなければならない。
「市民社会」というキーワードが入ったことが新しいらしい。
「消費者市民社会」とは、自立した消費者が社会的役割を認識して、公正かつ持続可能な社会の形成に積極的に参画する社会のこと。
かな?
推進法の中では次のように定義されているらしい。
「個人が、消費者としての役割において、社会倫理問題、多様性、世界情勢、将来世代の状況等を考慮することによって、社会の発展と改善に積極的に参加する社会を意味しており、生活者や消費者が主役となる社会そのものと考えられる」
「持続可能な社会」とは、1987年のブルントラント委員会報告書で「将来の世代のニーズを満たしつつ、現在の世代のニーズも満足させる」とて意義付けられている。
書いてある中に、消費者を取り巻く現状と課題があがっている。
1)GDPの消費者のしめる割合が高い!ってこと…昔5割って教えてたけど、平成24年は6割。
2)サービス支出が4割…モノの消費からサービスの消費へ
3)個人金融資産、平成24年12月末時点で1500兆円超え。その6割以上を60歳以上の層が保有。
4)高齢者増→消費者トラブル増につながるかも…
5)インターネットの人工普及率は約8割
 ITリテラシー濃霧が得られる情報に格差を生じる、情報過多により情報の取捨選択に混乱する
6)グローバル化、ボーダレス化
大震災の経験から…とあるのが、得られる情報を批判的に吟味しつつ、行動することが望まれ、そして、それが被災者を支えることにつながることを認識すべきとのこと。
消費者市民社会の形成に寄与する消費者をはぐくむ消費者教育とは、
被害に遭わない消費者、合理的意思決定ができる自立した消費者にとどまらず、社会の一員として、よりよい市場とよりよい社会の発展のために積極的に関与する消費者を育成する教育を意味する。

消費者教育の体系イメージマップ ~消費者力ステップアップのために~

消費者教育の体系イメージマップ

イメージマップ活用ガイド第3章第4章

たったこれだけで時間を費やす…

 

他の消費生活に関する教育と消費者教育との連携推進

これが新しいと思いました。

これがないと、個々バラバラ…視点が違うことになって進みにくいだろうなぁ…ってね。

そういう意味では、ここにあがっていることそのものの視点転換が図られるのかも?

○環境教育

○食育

○国際理解教育

○法教育

○金融経済教育

 

消費者教育として、金融リテラシーは次のように表現されていた。

金融リテラシーは、自立した消費生活を営む上で、必要不可欠であり、消費者教育の重要な要素であることから、金融経済教育の内容を消費者教育の内容に盛り込むとともに、金融経済教育と連携した消費者教育を推進することが重要である。

 

金融リテラシー … 金融に関する知識・判断力の向上

 

読んでいて、本当は、「家庭」の項目の内容を高校生むけのところに一文加えておかないといけないんじゃない?って思いました。教える人が忘れないために…。将来金融リテラシーを子どもに対して教える立場としての視点。保育の領域になるし、そんなに深入りして指導はできないだろうけど…社会生活のための基本的生活習慣の獲得の一つに上がってくるってことだね。

本当は、インターネットの活用なども同じだろうけど、家庭科の教科書の保育の分野の社会生活の基本的生活習慣にはこのような新しいものは気づきにくい交通ルールなどが例示。携帯電話の取り扱い方やインターネットの使い方、金銭教育の基本は家庭でのルール作りから…というのなら、それらも書いておかないと従前と違うことじゃないかなぁ…

 

 

 

金融教育セミナーを受けて感想

金融教育という言葉が言われて…もう8年目だそうで…。
私が、まとめてビデオを見ることにしたきっかけでもある出来事。

学校における金融教育の一層の推進に係る文部科学省への要請平成14年11月14日金融庁

平成13年10月から、確定拠出年金制度が開始され、本年4月1日からは、ペイオフが解禁されたところであります。

このような金融環境の変化の中で、国民が自らの判断と責任で主体的に金融商品・サービス等を理解した上で、選択することが求められており、そのため、金融の仕組みや取引ルール等に対する国民の知識・理解を深めることが益々重要になりつつあります。

金融庁では、金融・証券・保険に関する知識の普及・啓発活動に積極的に取り組んできているところでありますが、本年5月に内閣府が実施した「証券投資に関する世論調査」において、66%の方が学校教育で金融・証券に関する基本的な知識を教えることが必要と回答していることからも伺えるように、我が国の将来を担う児童・生徒に対する金融・証券・保険に関する教育(以下、「金融教育」という。)が特に重要であると考えているところです。

このような状況を踏まえ、学校教育の中で、「総合的な学習の時間」や各教科等の時間を通じて、金融教育の一層の推進充実が図られるよう、格別のご理解ご協力を賜るようお願いいたします。また、早期に「学習指導要領」を改訂し、金融教育の位置付けをより一層具体的かつ明確に盛り込んでいただくよう、お願いいたします。

 

このような変化…確かに「確定拠出年金制度」の開始で、実に、ちゃんと知っておかなきゃ~という思いと、金融教育がますます推進されるらしい…。でも、このころは、ようやく「情報」という教科が入ってきて…という頃。

ただ「情報」という教科を教えているといろいろと新しい情報も入ってくる…という中で、確かに…「確定拠出年金制度」が始まって、運用イマイチだと、年金が減るだろうなぁ…。

学ばないといけないかなぁ…って、ファイナンシャルセミナーに参加して、DVDを10本まとめて借りて…と、いろいろと学んできたお陰様少し理解はできたかなぁ…と思うことはあるけれど、こんな風につながって形になっていくなんて思いも寄らなかった…。

 

「金融教育」が教科に思い切り入ってくる…といわれていたけど、そんな素振りなかった…と、研修に参加した他都道府県の方々と「ですよねぇ~」と驚きの声。

 

だけど、本当に教科書にはチラッと今回入ってきた…と、実際に教えてみて教科書の営業の方へ苦情。「これは簡単に書いてあるけど、この簡単に書いてあることの意味をわからせるのに大変だよ…」ってね。

働きはじめてまだ数年のお兄さん。家庭科習っているはず…なのに、全く家庭科をわかっていなくて営業に来て…いっぱい質問していた人でもありますが、「こんなんでわかるの???」と詰め寄ったら、毎回ながら…タジタジに…。

そりゃそうでしょ

簡単に「ハイリスクハイリターン」って書いてある。言葉の意味はなんとなく想像できても、どういう状況を表しているか…それだけで時間を取る…。

年金の話も…だけど…。

「次の世代が困らないように…って思いで、教科書あるんじゃないの?」って、おかしい!って思うところはいろいろと指摘しまくって…実際に使って…時代についていけてない…というか、制度が変わりすぎて教科書今年からなのに中身がついていけてない…。2011年に形作られて、2012年の5月くらいにはもう…営業に回っている話だから仕方ないだろうけど…、2012年後半から2013年にめちゃくちゃ制度が変わっている…。

 

「あなたの会社だと、年金の運用は言われないの?」とご安泰な会社の方が多いのなら、教えなくてもいいよねぇ~って話していたら、そんなことはないです…と、実際に働きはじめて、まさに「確定拠出年金制度」に遭遇した世代の営業マンだから…実態を私より知っていて、わかっていないと大変…ってことも私より切実にわかっている。

そうなんだ…と学ばせていただくかんじで、今の20代の平成13年から変わったから…とうまく対応している人たちなら、学び得てうまく対応しているのだろうなぁ…。

平成16年7月から平成17年2月にかけて、全国の中学校、高等学校の教員847人に対して訪問面接または自記方式により行われた『学校における経済・金融教育の実態調

など、無視していたわけではないけど…

『教員のための金融教育セミナー』に参加しての感想。

大変だなぁ… 何が? 私は学び始めて…この感覚的に受け入れがたい感じ…を払拭するのに時間がかかって、理解はできるけど…積極的に何を説明するの???と、何を教えるといいのか?今年からようやく義務がかかったというか、指導要領上に明記されて教科書にも書かれたから…今まではプレというか、余分なお話だったことを説明しながら…生徒の思考がどこでついてこなくなってる?などに配慮。ビックリです。

私よりお金のことを詳しくやっている人たちは何が難しいの?と思われそうですが、お金について学ぶ抵抗感というのか、教える抵抗感というのか…?学校でどの程度教えるかを捉えること事態難しいです。

 

自分のために株などをずっとやっているような先生なら、ポイントを教えるのも簡単なんだろうなぁ…と、初任校で「株をしたらいい」と勧めていた先生の言葉を冷ややかに聞いていた…ツケ?

 

戻ってきても「家庭で教えることでしょ」って反応を他教科の先生から頂いたりもしたけど…

 

研修の報告書を真面目に書こう…って書き始めて、こんな研修報告書を真面目に書くよりデータをつなげて書いておいた方が自分のためになる…。

そう思ったので書き始めた次第。

 

いろんな学びが全て繋がり、思ったこと

それは、ホント

家庭で教えることでしょ

 

そう言ってしまえば家庭科の教科内容は終る。

そんな中で、国を挙げて「金融教育」推進するのは、IT革命より大きな後手になっている事態への対応の一環でしょうけど…

 

なぜ、このブログをイギリスの人やアメリカの人が見つけたのだろう?

そんな疑問もあるけれど、実はリンク外して一応アップだけはしているコメントたちは金融関係の話ばかり…で、こんなにイギリスのお金を貸す話を知りえる機会になってラッキーくらいに思っていたりした意味が少し見えた。

 

今、消えているけど、前出していた「家計管理」についての文章に、たしかイギリスの方が賛同してくれていたなぁ…って思い出して、全てがつながりました。

 

正直、私のスタートは、栄養士をしているときに、ブランド物の服を着ているのに、子どもに食べ物を与えない親に何と言えばいいか?なんて、相談というか、一緒に「ホント、何て言えばいいんでしょうねぇ…」なんて話をしていたりしたのがスタート。なぜ、そんなお金の使い方をするのだろう?

実に「住宅ローンが大変で食費を削っている」話なんか、ザラで、住宅事情に関心を持ったり…

シミジミと、消費生活がうまく行かないと一番しわ寄せをしやすいところとして食があることも学び始めたきっかけです。

ただ、料理を作ることで生活費を抑えることができるという発想自体がなくなっている…ということや、料理ができない前提で探す選択肢ということなど、ただただ驚き…というか、そんなところに今次々に起きている制度変更。

 

私的なブログだったら書ける感想かと思いますが、公的な報告書には表現適切にしないといけないかも?でも、一番の表現は「これはIT革命よりタチが悪い」って感じかな。

 

IT革命!って、コンピュータが使えなかったら職を失うからって、コンピュータリテラシーをつけるべくコンピュータに向った50代のサラリーマンたちだと思います。正直、コンピュータを使えた方がいい。それはそれで、できなかったら?他のスキルを高めている人にとってはどうにかなるかなぁ…?

 

今起こっているといっても、橋本政権時からの動きの鈍さのツケのように急変しているように見える今の事態。もし、金融リテラシーがなければ…、私の思いつく選択肢は死ぬまで現役で働ける仕事に就く又はキャリアマネジメントをうまくやっていかないとつらいねぇ~って、おそらく今60代越えている人たちの思っている感想以上につらいねぇ~を体験するだろうってこと。

IT革命で置いてかれた気がする…ってのと、一番違うのは、人生に対してリスクを請負えるか?という今の時代それを避けて育った人の多い中での話ってところがミソかなぁと思います。

リスクを請負う。

リスクマネジメントがうまくできるように成長しないといけないというか、リスクマネジメントを積極的にしなければ、問題の起きる可能性を上げていく…。

そのリスクマネジメントは、勤勉にIT革命でコンピュータやネット社会について勉強するなどにはない概念。金融リテラシーに知識の側面だけならまだどうにかいきそう。だけど、ネット社会で問題なくやっていくのと似ているかも知れないけど、違うかなぁ…って思うのは、足元にシッカリした基盤を思い描けないことではないかって思います。

 

増えるかもしれないけど、減るかもしれない金融商品と元金保障されて絶対に減りはしない金融商品のうち、前者をうまく運用していく社会にすると国が決めたからそうなるんだろうけど…

うまく運用できない人は、ネット社会でトラブルに陥って…困る人たちの困り方より厳しい?

どれがいいかの選択かなぁ…と思って捉えたのは、

1)金融リテラシーをつけて、サラリーマンをする

2)自営業をして一生の仕事を持つ。

3)金融リテラシーをつけるのはあきらめてサラリーマンを続け、セカンドキャリアを探る。

こんな感じの選択肢になるだろうなぁなんて思わされますね。

江戸時代は、②が多い。そう、農業も②だよねぇ…。ほとんどの小売業も②だったはず…。

 

まさしく…キャリアマネジメントをどうしていくか?人生設計ありきの金融リテラシー

 

進路指導と勘違いしたことをやっていると…社会全体が倒壊しないように動くと、大学にさえ行けばどうにかなるなんて思って成長した人たちはジエンドかな…。

 

たくましさがみんなにあると譲歩して期待を持ったとして、後手後手になった日本のここからの選択肢…

 

1)社会主義国になり税金100%になる

2)高福祉国家を目指し、60%以上の税率になる

3)福祉は自己責任の民主主義になる

 

全て極端な表現だと聞いていて思いましたが、ホント…どれがいいか?って話より、どれを国民全体で選ぶか?

それとも…

 

4番目の道を行こうとやっている現在だろうとは思いますが、学ばざるものは仕方ない…?そんな感じすら受けるけど、人財という言葉の裏返し…経済的に価値ある人になりなさい(育てなさい)ってことだろうなぁ…。自分のことは自分で出来るようになる。その上での援助。

 

現、20代~51歳までの人たちの方が絶対大変だろうって思いますね。

ホント…ITリテラシーを学校で習って大人になった人たちよかったねぇ~の金融版?

ITリテラシー教えるより、金融リテラシーの方が難しいように思えるんですが…。

外部きょういく資産をうまく活用して…といっていて、丸投げして頼まないようにって話していますが、今までだって丸投げしているようなやり方を他のこともしている…そんな感覚の人たちには丸投げになって、指導要領とはずれた話になっていくのだろうなぁ…。

 

家庭教育力があるところの子どもとそうでないところの子どもの格差社会…これは学歴じゃないなぁ…って思わされるのと共に、今イギリスで金融に頼りすぎるやり方に偏ってしまった感のある人への警鈴を…そんな感じがあるような話やアメリカのリーマンショックの背景など踏まえとかないと大変そう…とは思います。

 

要するに、金融リテラシーをつけないのなら、生活水準を収入にあわせて行いなさい!ということにしかない。それはイコール縮小…かも?

 

親世代がどれほど頭柔軟に対応できるかで、子ども世代が変わるような気がしました。

 

 

大人の対応能力を超えたスピードで変われなかったら…

ギリシャ、スペインと同じような運命になりかねない状況なのは確かと思います。

 

潮流を見て、代替政策案を出せるような状況になった共産党が出してこれるなら…それもおもしろいけど、今進めていることがよりよいものになるように…足の引っ張り合いではない非常事態体制でいろんな視点で検討されて話が進んでいくといいなぁ…。

 

実はその後、アベノミクスの話と少子高齢化への対応の行方…みたいな話を伺って、研修終り!と2日間。

今目の前にある本のタイトルどおりかなぁ…『自分で考える人が成功する』

 

多分ね、親が賢くないといけないと思う。

子どもが大人になったときに生きて全てを面倒みてあげることなんて無理…という大前提で、だったら何がしてあげられるか?ってね。

10年後の予測すら難しい激動の時代に、親の言うとおり…とも言い難し…って、自分で考えて決めなさい!と放任。これって、究極の逃げ。親の言うとおりにしなさいもイマイチだろうけど、子どもに全て任せていますから…も基礎を築き上げて言うならいいけど、基礎もおろそかだと…大変だろうなぁ…。

 

戦争体験者から育てられてラッキー…と

私の家庭科の先生、戦争体験者でラッキー…

ある意味時代のうねりを知っている人の柔軟性を学べたラッキーさを思わされました。

 

 

 

 

 

ラーニングピラミッド 学習定着率

久々に先日見ました。

これを押さえた学び方…って、セミナーで体験。と、そのときに、このピラミッドも一緒に紹介いただきました。

 

アメリカ国立訓練研究所(National Training Laboratories)

って、はじめて知って…セミナーでやった学び方。それは教えあうこと。そして、劇をする…。

 

エドガー・デール Edgar Dale が、その著書“Audio-Visual method in teaching (学習指導における聴視覚的方法, 1946) ”で提唱した学習経験の分類図、「経験の円錐:Dale’s Cone of Experience」が元なんだそうです。
抽象なものから具体的な次元に沿って「経験」を11の段階に分類。

「学習」は「経験」の一般化にあると定義して、そのためにはもっとも直接的で具体的な経験から、さまざまな抽象化の段階を経て、最後にもっとも抽象的な言語象徴つまり概念化に至ることを説いたものだったそうです。
エドガー・デールは、米国、オハイオ州立大学教育学教授 (1946, ナショナル・トレーニング・ラバラトリ National Training Laboratories: NTL) 。

「学習のピラミッド」は、当初、デールの「経験の円錐」 (Dale’s Cone of Experience) として報告されていた。

円錐に付随、提示されている数字 (%) は、示された活動方法や教え方の後に情報を「記憶している割合」の平均を示している。

 

NTL(National Training Laboratory)

集団と集団の相互作用や集団に属する個人と個人のコミュニケーションによる相互作用を研究調査し、個人と集団の相互的な行動やコミュニケーションを統御する一般法則を発見しようとする社会心理学の学問領域を『グループ・ダイナミクス(group dynamics:集団力学)』という。集団に所属する個人の行動・態度・発言・意見がどのような影響を受けるのかを考察するグループ・ダイナミクスの研究分野は、『場の理論』を提唱したゲシュタルト心理学者として知られるクルト・レヴィン(Kurt Lewin, 1890-1947)によって意欲的に発展させられてきた。

学習定着率と学習のピラミッド (出典: NTL)。
平均学習定着率 (Average Learning Retention Rates) から見ると、講義は5%の影響しかない、さまざまな教授方略、教授方術を工夫することが学習定着率を上げる、としている。特に学生同士が教え合う:Teaching Others は、非常に有効な教授方略と言える。授業内で学生同士が教え合ったり、話し合ったりする仕組みを取り入れると、学習へのモチベーションが上がったり、学習定着率が上がったりする、などと述べている。

このピラミッド図は、1960年代初期に NTL によって開発され使用された。しかし、NTL はこの数値の根拠となるオリジナルの研究結果を提示せず、また見つけることもできなかった、と報告している。*つまり、これら数字は、「経験の円錐」がいつのまにか「学習のピラミッド」へと独り歩きし、変化したようである。

 

まぁ…これにはじめて遭遇ってしたときに、思ったこと。それは、そうだろうなぁ…と理論がついてきた…って感じでした。

 

不思議な体験?

生徒として、「生活」という教科?総合的な学習の時間…実は、小学生の頃に体験して育ったんだよね…。今ならわかるのは、いっぱい先生たちが見に来ていたなぁ…は実は研究授業だったんだろうね。

 

また、教えあうことが学習定着につながるってこと。

これは中学のとき、社会の授業基本的に全部教えあいでしたね…当時は面倒って思っていたのですが…。

自分が教える立場になったとき、これがうまくできると、授業で単に教わるよりもたくさん学ぶ機会を持てるよね…って体験からくる記憶。

だから、いろいろやってみた。

どうやったら、お互い教えるってことをうまくできるか?実は、うまくいかないと、調べて教えようとするのは一部の子だけ…これが私の中学で学んだこと。

 

多くの人がいろんな先生方から学んでいるんだろうけど、そんな中で、私もたまたま…で、こんな風な学び方をさせていただきました。

感謝ですね。

 

そんな体験が新たなものにつながっていくのですね…。

グローバル人材育成に向けた国際化戦略

新聞の広告欄ですが、読んで気になった文章だけアップします。

 

神戸大学・京都大学・大阪大学

中国蘇州シンポジウム 主催:池田泉州ホールディングス池田泉州銀行

日本経済新聞2012年10月22日

○主催者あいさつ 服部盛隆氏

グローバル時代に不可欠な人材とは、共通の言語で話し合え、双方の国の文化や習慣を理解でき、問題解決能力を備えた人です。本日は…

蘇州市は、池田泉州銀行の創業の地の一つである活けだしと1年前から友好都市関係にあります。また、およそ1700年前、後の国から機織りの技術が日本に伝わりました(日本書紀)。それが池田市であったといの言い伝えが残るなど、いにしえからの深いつながりがあります。その蘇州市から、中国と日本はもちろん、世界に向けて有意義な情報を発信し、相互理解を深めながら、不動の隣国である中国との懸け橋として、シンポジウムを通してお役に立つことができれば幸いです。

○近畿経済産業局 局長 小林利典氏

様々な難題が渦巻く世界情勢を打破するには、グローバルな視点が不可欠です。それを推し進めるグローバル人財とは、会話はもちろん、互いの共通点や相違点を正確に理解し、各々の文化や伝統を尊重し合うことが自然にできる人だと思います。言いかえれば、国の違いを障害ではなく、チャンスととらえる人です。…

○講演 神戸大学 学長 福田秀樹氏

いま21世紀のグローバル社会が抱える喫緊の課題を解決できる人材の育成が求められています。必要とされる人材像は深い教養と高度な専門性、グローバルな視野を供え、問題解決だけでなく、「問題発見型リーダーシップ」を発揮できる人です。異文化を理解し、日本人としてのアイデンティティーを供えていることも重要です。

京都大学 総長 松本紘氏

いま地球上には70億を超える人間が生存しています。人口は増加の一途をたどり、資源をどんどん食いつぶしている。この状況が続けば、現代文明が安泰でないことは明らかです。確かに豊かさを支えるのは学術研究であり、それに基づく科学研究です。しかしそれだけでは、いつかどこかで大きな問題に突き当たります。

そこで必要となるのが、人類の将来を見通せる力を持つリーダーです。確固たる世界観や哲学、志を持ち、視野が広く、外国語を駆使して十分なコミュニケーションができる。日本人としての自覚を持ったトランス・カルチャラルな人です。

中国の唐で学んだ空海は「国家の興亡の元は人にあり、人の育成は定めて教育にあり」と言っています。…

大阪大学 総長 平野俊夫氏

現代社会の抱える、複雑かつ地球規模の課題は、高度な専門性だけで解決することは難しい。従来の常識や枠組みを超え、異なる分野の知識や経験を終結することが不可欠です。そこで求められるのが高度な専門性を備え、総合的かつ的確な判断ができ、複雑で困難な課題に挑戦し、解決するためのネットワークを持つ人材です。

○復旦大学 副校長 馮暁源氏

これらの取組みを通じて再確認できたのは、グローバル人材を擁する世界トップクラスの大学とは開かれた学校だる事。そして絶えず教育・研究レベルの向上を図り、積極的に国際交流と国際協力を展開することが大事だということです。その結果、グローバルな視野を持つ人材が育ち、大学の発展に寄与する力になると考えます。

○上海交通大学 校長 張傑氏

いま大学では世界規模の課題を解決できる優れたリーダーを育成し、高度な研究を推し進め、国際化を通じて大学自身が変革と発展に取り組む必要があります。正に国際化は世界トップクラスの教育機関となるのに避けて通れない道です。

一方、中国は経済モデルの変革期にあります。持続的な経済成長を遂げるため、従来の労働集約型から知識集約型へと転換しなければいけません。教育手法もそれに合わせて変えていく必要があります。ポイントは知識の伝承だけでなく、知識の探求心、専門知識の向上、人格の養成と言う3つを、学生中心に三位一体で行うことです。

○浙江大学 校長 楊衛氏

…未来のリーダーとは、孫子兵法でいう「智、信、仁、勇、巌」の5つの資質を備え、国際的視野と異文化理解、多様なコミュニケーション能力を持つ人です。

そうした人材を育成する上で理解すべきトレンドは、これまで人は東から西へ、南から北へと移動し、知識はその逆に流れていましたが、国際交流が活発化したことで世界は互いに影響し合う段階に入り、ウィン・ウィンの関係を築くことが大切になったという点です。

ディスカッション

グローバル人材の具体像について

松本 グローバル人材の育成を考える上で、もう一つ重要なポイントがあります。それはリーダーとして活躍する人と、それを支える人の2種類の人材を育成する必要があることです。当たり前ですが、リーダーだけでは仕事は進みません。リーダーとは自ら進んでパラダイムシフトを起こせる人。そして強い意志と責任感を持った人です。

平野 …

そこで重要なのが、文化や宗教、言語などの違いを理解し尊重できる能力です。また多様かつ複合的な課題の解決は専門知識だけでは無理で、専門と専門をインタラクティブにつなぐ能力もいるでしょう。

「木を見て、森を見ず」ということわざがありますが、物事の一部や細部にとらわれ、全体を見失うことがないように、地球規模で俯瞰することが大切です。つまり正しい判断を下すには、目の前で起こっている事象の本質は何であるか、本質を見抜く、見極める力が必要です。また孔子の教えにある「怒」。相手の立場に立って物事を考え行動することも大切です。そして寛容の心。相手を受け入れて共生していくことも必要です。

張 予測が困難な現代、地球規模の課題を従来の常識や枠組みにとらわれていては解決することは難しい。そこで道の課題を解決できる力、イノベーション能力がとても大事です。

ではそうした能力を育成するのに、どうすればいいのか。科学技術の知識を掘り下げるだけではだめで、人文の知識を学ぶことが欠かせません。未来を見通すには文化・文明の発展の歴史など、過去を正しく理解することが必要です。多元的な文化はいけ煮の中で、異文化を尊重することの大事さも同時に教えなければいけません。つまり人文の知恵を活かしつつ、科学技術の進歩を図ることが、未知の問題に対する解決方法であり、イノベーションを起こす力となるでしょう。…

閉会の辞 京都大学 総長 松本紘氏

今日シンポジウムが開催されたこの蘇州の地で、1300年前、唐の詩人である張継氏が漢詩「楓橋夜泊」この歌は張氏が役人試験に落ち挫折した際に作った歌ですが、彼はその後猛勉強して役人となり、国際的なリーダーとして大いに活躍されたそうです。彼のように自ら考え、実践して初めてグローバル人材としての資格ができる。仏教の教えでいう「聞・思・修の三恵」が大切だと思います。

人を育てることは国を超えた人類共通の課題。日中両国が互いに学び、尊敬し合い、対話し、ともに成長していくことを願ってやみません。

 

この全面新聞広告。

有意義なでも、危険なイベントだっただろうとしみじみ思います。なぜなら、今の中国と日本との関係。イマイチ。

国交正常化40周年という記念行事のうち、開催が見送られたりしているケースもあると聞きます。そんな中で、あったこと自体に有意義さを感じます。

拝読していて思ったことは、このレベルで国全体が動くか?そこは疑問であるということ。

ただ、この意識を持って次世代を育成されなければ、確かに未来はないかもね。ただ遅いなぁ…スタートとは思います。だから、ヨーロッパも今大変~って状態になっているんだよね…多分。だから、きっと近い将来、大変~がやってくるだろうな…と思わされました。

 

正直、私立に我が子をやって、教育はこれで安心~って思っている親。これも一つと思います…って、自分でできる自信がないなら誰かに頼むって意味で。だけど、親世代の高学歴化が進む中で大切なことは、親がどう子どもを育てるか、主体的に親が行うことができるかどうか…これがこれからの時代を生き抜くことができる子どもになれるかどうかだと思うのです。

公立学校の限界というものもありますね。その中で、真のグローバル化に対応できる人材になれるか否かは、学校裁量ももちろんあると思いますが、それよりも親の教育力だと思います。それが欠落していれば、その子どもは大人になって自分で身につければいい…?出会いは大きいですね。公立学校での教育の求めるところが、文部科学省が何を言っても変わらない…っていうのを辞めること。つまり、本当に変えることが大切だと思います。ただ、それをするのは難しい…?難しい話ではなく、簡単な話。企業ではできて、官公庁公立でできない理由は一つ。姿勢が違う。JRやJTなどに学ぶことが大いにあると思いますね。そして、ある意味で断行しなければいけないと思います。

 

問題解決力の育成を

日本経済新聞2010年9月24日に書いてあった見出しです。

国家戦略会議の民間議員が今春、大学予算の配分にメリハリをつけ大学の統廃合の促進を含む高等教育の抜本改革を求めた。日本私立学校振興・共済事業団の河田悌一理事長(前関西大学学長)は提言に不満を見せながらも、真剣に耳を傾け大学改革を勧める必要があると指摘する。

コレのことについてなのかなぁ…?

 平成24年 第3回 国家戦略会議 平成24年4月9日(月)17:50~18:50 官邸2階小ホール

大学の統廃合等の促進を含む高等教育の抜本改革

 

新聞に書いてあることのうち、そうそう…まだこの意識の人がいるかも…?そう思います。

 

 つい十余年前まで、大学は企業の人事・就職担当者から、こう言われてきた。「大学ではあまり勉強させなくても結構。(体育会系)クラブ活動に精を出し、元気で、やる気と協調性のある学生であれば、それで十分です。教育はわが社でしっかりやり社風に合った人材に育成しますから」

 それが、最近は風向きが変わった。「学生が勉強していない」「大学はグローバル社会に適応する人材のい養成ができていない」「大学の数が多すぎる」…。

 

少なくとも、高校も一緒かもねぇ…。

だいたい、勉強する機関で勉強しなくていいと言っていたら、そのあとに役立つものの基礎基本を持っていない人が入ってきて当然でしょう。以前言われていた人事・就職担当の人が言っている教育の中身は、言ったらその通りにやる人作りだったのでは?と思います。それが、YESマン増やしても、世界に通用しないことを痛感している…だけでしょうね。

今年の4月に大学の統廃合等の促進を含む高等教育の抜本改革を行うべきという話が出たそうです。今更…?と思いますが、国公立が民営化?したときにすでに言われていたこと。

これは、その時に出された資料の中から。

①すべての子どもに課題解決のために自ら考え判断・行動できる「社会を生き抜く力」を育成

というところあたり、今更…?

逆に考えると、今の子どもたちは課題解決のために自ら考え判断・行動できていないと思っているということですよね。

②新しい価値を生み出し社会を牽引する人材や世界に伍するグローバルな人材の育成

要するに、YESマンして、勉強してきていなかった他人にはそれができていないってことでしょうね。

③大学自身が変わり、日本社会全体の変革を実現

この3つ目について、特に新聞記事では論じているのだろうと思うのです。

そして、それを受けて、8月に出た中央教育審議会の答申。

「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて-生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ-」

この中で、熱いメッセージ「予測困難で先行き不確かな時代に、将来を切り開く学術研究を行い地域や企業に有為な人材を輩出するのは大学だ」が込められているんだって。

著者が書いてあるのだけれど、「当たり前のことばかりだが…」とかいてある授業について日本では徹底されてきていなかったことがあげられています。

 

人を樹えるに如くはなし

 

と、田中真紀子さんなんだろうか?

この新聞記事を書いた人と総理大臣は別ものだからねぇ…

 

読みながら思いだしたのは、父の言葉。

大学で経済学を専攻していたと言っても、理論を知らない人たちばかり…。

父がある新聞社の新人さん達を教育?することをしないといけなくて、接するたびに?家で当時大学生だった私に話した言葉達のひとつ。

当時聞いている時は、父がそのあと教授候補に残らないかと言われていたという話を母から聞いていたので、そんだけ取りあえず勉強していた父だからそう思うんじゃない?なんて思いながら、自分自身の分野に対して同様のことを言われたくはないなぁ…と勉強してましたね。

 

新聞読みながら今更ながら…という思いをしたのは、小泉内閣の時に、大学が統廃合が進むだろう…という話はあった気がしますね。

【課題】
○ これまでは、物質的豊かさを追求する大量生産・消費などのニーズに対応するため、与えられた情報を短期間に理解、再生反復する
力を求め、平均的な能力・知識の効率的伝達に主眼 (教師のみによる一方向・一斉型の授業が中心)
○ 一方、変化の激しい今後の社会においては、解法のない新しい問題に対しても自ら適切な対応を考え実行していく課題解決力の育成
が重要。
○ 我が国の学力は回復傾向にあるが、世界トップレベルにはなお改善が必要。学力上位層は国際的にひけをとらないが下位層が多い。
○ 諸外国と比べて、日本の子ども達は学習そのものに対する関心や意識が低く、十分なモチベーションをもてないまま勉強している状況。
○ 加えて、地域や家庭の教育力が低下しており、子ども達の基本的な生活習慣、規範意識、態度などにも課題が見られる。

 

これは、①にあげられていることに対しての課題とされていること。

大学だけのこと…?

 

まぁ、大学教授の文章ですから…。

新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)

平成24年8月28日 中央教育審議会

 

小さくて読みにくいなぁ…。

一部分拡大した。

要するに…、成熟社会に置いて求められていることは何?というところが大切かなぁ…と。

 

実は、それだけでなく、気になったこと…

④「貧困の世襲」を断ち切る教育の機会均等の保障

新聞からずれていくけど…。

多分、昔は貧困な家庭と言われる家が多くて、ただ、それでも「教育」に価値を見いだすかどうかは、個人に任されていたということかもしれない。だけど、今は国が考える時代?

「貧困の世襲」と言われている内容をよく知らないで書いています。確かに、学び続けたいという思いに対して経済的な困難性を言われることも理解できます。そして、そうやって学びたくても学び続けることを辞めざるを得ない…昔からですよねぇ…という思いもよぎります。

あえて、そんなことをわかった上で思うことは、本当に貧困の世襲になっている部分と、お金の使い方が違う部分も見ないといけないと思うのです。同じ収入であっても、使い方が違うことが影響している部分を抜きに、「貧困の世襲」というカテゴリーに入っていることってない?また、実は断ち切る教育をするためには、親世代に対して伝えることがあるかもしれないのでは?

インドや…と、新興国と言われている国々の人達で大学へ行ける人はかなりのエリート。だけど、インターネットが通り、いろんなところで世界中の情報を得ることができるようになって、中国の山奥であってもアメリカの最先端の授業を知る機会ができた…学ぶ機会ができた…。貪欲に勉強する背景は貧困からの脱却のため…なんて話も聞いたことがあります。

数学ができたら、貧困から脱却できる…から、数学をがんばるっていう記事を読んだことも…。

 

不思議な感じですが、日本は?

 

○運動部等と異なり、科学好きの学生・生徒が競い合う場が不足
(米国はサイエンス・オリンピアド等を実施)
○学年が高くなるにつれ、理科好きな子どもの割合が低下
(小学校5年74%→中学校2年59%)

正直、韓国・フィンランド・香港という対照群の選出理由が知りたいけど…

レベル1以下だけでのことではなく、レベル1・2以下と見たら10%くらいの差がありますね。

「大学ではあまり勉強させなくても結構。(体育会系)クラブ活動に精を出し、元気で、やる気と協調性のある学生であれば、それで十分です。教育はわが社でしっかりやり社風に合った人材に育成しますから」

この言葉って、大学だけでなく、高校に対しても言われていた…まことしやかに…というより、未だにこれを信じている先生だけでなく、保護者が多いのでは?なんて思わされることがありますね。

 

私が一番思うことは、自分も体育会系のクラブ活動に取り組んできたけど、大きく違いがあるなぁ…と自分との違いというか、私が高校時代のクラブ活動で周りの人たちが言っていたから自分も意識させられてきていたことの違いがある。

それは、部活をするからには、それをしてもいいという学業成績を出しておかなければいけない。あくまでも部活って余暇の時間の取組みで、本業は学生は勉強…そんな感じのことを当然という感じで…、勉強できないのなら部活をする資格はない…みたいな感じで接されている親を持つ人達がいっぱいいた。だけど、教員になってそんな感じがない学校…と、学校の教員の方にその意識がない学校…。部活で成果を出せばいい?それで一生過ごせると企業の人事の人たちの言葉で思っていたのかなぁ?

 

この記事を読む前から、企業では人材を育成するゆとりがなくなった…など聞いていたし、身に付けていることがあまりない…そんな人が雇われないのも無理はない…かな?と思わされることも見聞きするけど、今更…という感じ。そして、単に勘違いしていた人がいっぱい大企業とかに増えていただけって思うのです。

いつだって、学ばないといけない…って努力している人はいるし、体育会系のクラブ活動に取り組むかどうかより基底に必要なことがあるということを認識していた人たちは文武両立当然だったはず。文武両立させての体育会系クラブ出身者のよさだった話が、片方なくてもいい…みたいに勘違いした先輩方がいたのは、目先の後輩可愛さで、根本として自分が働いている企業のためではなかっただけ。

 

私が聞いた高校での指導の中で、ばっかじゃない…の一つに、「大学行ったら勉強しなくていいんだから」と進学校と言われる高校での生徒への講話とか。

 

本当は、余りにも浸透し過ぎたおかしな価値観とするのなら、企業の言葉として紹介されていることの撤回的なことは、もっと周知しないと世の中は変わらないと思いました。

 

問題解決力って、大学でいきなりできるようになることではないけど…ってね。

 

問題解決力と言われる力には、いくつかの要素としての力があって、初めてできること…なんて言われていることの方が多いよねぇ…

 

大学さえ行ったらどうにかなる?

正直、大学行かなくても問題解決力がついた方がどうにかなると私は思いますね。

大学進学って、問題解決の一つでしかないと思うのでした。