情報工学

昨日、スゴイなぁ…って知りえたこと。

情報工学とは「情報」を工学的に利用するための学問分野

ウィキペディアに書いてありました。英語ではComputer Scienceと訳されるらしい。

情報はあらゆることを数字の羅列にすることと思ってます。

数字にするための努力を思うと…スゴイ。




まだまだいろいろとあるのでしょう。見つけたものを片っ端から貼り付けてみました。

 

機械、電気、情報に関する知識だけでは、作り出せない世界。

これらの話を聞いたときに、生活体験の豊かさと探究心がなければ広がりを生み出しにくいのでは?って思わされました。

 

人工心臓などいろいろと知り、映画や本などで見聞きした世界が現実になる日が近いことを感じさせられました。

 

このような社会が現実になることへの怖さも少し

人にとって有益である面を否定しませんが、作り出す人の心のあり方がいかようにも生み出すものへ影響するでしょうね。

 

介護や医療の現場で人を抱える補助などの軽減という気持ちや

戦争の最前線に人を送りたくないという気持ちなど

様々な思いが動機となっていることはわかりました。

ただ、ダイナマイトと同じ側面もあるなぁ…

映画『ラピュタ』をふと思い出したりもしました。

 

これだけ研究等行われているけれども、大震災でロボットが出動しなかったのは、多額なお金が投資されていて、行ったら戻って凝れないリスクの方が大きいという段階だからというのは、まだまだ…ということかしら?なんて思いながら、10年後を思うとき本当に人が救出に行く割合が下がっていたら…?アトムの世界ですねぇ…

 

役立ちたいという思いとうまくバランスをとって、本当にそれができることがいいのか?考えるって大事だろうなぁ…って思わされました。

体重移動で走る車?一人乗りの動車は一度乗ったことがありますが、便利すぎて普及したら…歩かなくますますなる?など

 

 

最先端の技術を知れば知るほど思うことは、人に与える影響かな

プラスもあれば、マイナスになる可能性もあるだろうなぁ…

 

 

 

 

 

威圧しながらIメッセージ

自分のことを、「お母さん」「お父さん」と言ったり…して権威づけをしてお話をする。
自分のことを「先生」といって話をする。

これって、自分の言っていることに自信を持っていない心理の隠れた現れ方としてとっても有名。

「お母さんはね…」と言って、子どもに自分がしてほしいことを言うとか。

『親業』という本の中でも、また、他の心理学の本の中でも書いてあること。

簡単に言うと、自分では「私は…」と話す自信がないことが多いのです。ですから、「私は、○○をあなたにしてほしい」という代わりに、「お母さんは、○○をあなたにしてほしい」とか言うのです。
私ではなく、お母さんが言ってるのってね。

「お母さん」という仮面をかぶって、自分はそうしなくてもいいと思っていたり、それはどうでもいいと思っていることでも、「お母さんはね…」とか、お母さんだから言っているのだと伝えます。

でも、確実に子ども達には刷り込まれていくのです。「お母さん」「お父さん」「先生」…言ったことを聞いて守らないといけない…上下関係をつくる言葉達を小さいころから刷り込まれて育ちます。
だから、大人になってくるに従って、権威権力への反抗。思春期に素直に聞くことができなくなる…という現れ方が出るのです。

「先生は…」と語っている人は、自分としてはそれをしないといけないとは思っていなかったり、それを「私は…」と説明するだけ理解できなかったりします。だから、「先生は…」という敬称を自分に使って話をします。私の話は聞いてもらえないかもしれないけど、これは「先生」の言うことなんだからちゃんと聞きなさい!ってね。

アイメッセージの例:
「お父さんは、おまえが約束を守らなかったから、とてもがっかりしたよ。」
ユーメッセージの例:
「おまえは約束を守れない、出来の悪い子だ。」

あるブログで、このように書いてありました。実は、これも権威からのメッセージで「愛メッセージではない」という話なのです。

「お父さん」とか、自分のことを言う時点で、「お父さんという役割の存在が言っている…のであって、私ではないんだよ」という心理的働きがあるのです。ですから、約束を守らなかった行為をした子どもにとっては、上下のニュアンスが入って伝わります。だから、受け手には、拒否になるのです。という立場がトマス・ゴードンが書いている『親業』のIメッセージ。
同じく、Iメッセージを言いながらも、違う表現。

ですから、もし上記のことを伝えるとして、Iメッセージを使うとしたら…

アイメッセージの例:
「私は、おまえが約束を守らなかったから、とてもがっかりしたよ。」
ユーメッセージの例:
「おまえは約束を守れない、出来の悪い子だ。」

なのです。
読んだら違いは伝わると思います。
「私」になったとたん、「あなたがそう思っても別にいいよ…」というニュアンスが入ります。
これが、Iメッセージで一番大切なところなのです。

相手の人格や能力には言及せず、相手の行動にのみ言及することが大切である。上の例では「お前が約束を守らなかった」という行動に言及している。これをアクショントーク(行動についてのみ話すので)という。

日本では、この程度伝わっている方が多いのかもしれません。

Iメッセージとは、自分の気持ちを素直に「私」を主語に伝えることです。

その「私」を「お母さん」にしたり「お父さん」にしたり「先生」にしたり…して、いいのか?
実は、本人にとっては、違いがないように思っているかもしれません。だけど、奥の奥の…深層心理では違いがあるのです。

よく考えて、よく感じて、あなたは本当にそうおもっているの?

自分の言っていることを権威づけして伝えることで聞いてもらいやすくなります。だけど、主語を「私」にしたとたんに聞いてもらえる確率を下げる場合があります。特に、若くて…自分の言っていることに自信がない状態のときには有無を言わさず従わせたい…そういう思いが入るのですね。
そんな思いはない…というのなら、一度「私」でいつも言っていることを伝えてみてください。恐らく違和感を感じると思います。それは、「私はそう思っていない…」など、本音が出てきます。「先生は…」と話しているような内容、「お父さんは…」で話している内容、その立場だから言っていることなのですね。

「社長は…」と自分のことを言う人はいないと思うのです。書いていたのに消えました。でも、「校長先生は…」と自分のことを言われているのを見ることはあるなぁ…。書いていたのに…。

この一番の違いは、対象の違い。

大人に対して、自分の意見を一人称で言えないというのは、自信のなさの表れにもつながります。もしかしたら、役職にあるその立場だから言っている…そう思っている人は使うかも?ただ、無意識に大人は判別するのです。
「先生がそういうなら…」と、保護者の方たちも思います。でも、それは「先生」と言う権威があるから聞いている…けど、本当に正しいのか?
実は、上下のある言葉を使うと判断を鈍らせます。だから、本当ならおかしいことも通用させてしまう…。

パワハラまがいも横行します。
生徒に対して「先生の肩をもめ」と肩をもませている先生。
完全に生徒に対して圧力をかけています。やってくれている…ではないのです。生徒の心理状態には、生徒という立場で判断を迫られていてやりたくなくても先生が言っているからしなくてはいけないという判断が多少なりとも入ります。

「お母さんはこうして欲しいのよ…」
と伝えている内容を一度、「私はこうして欲しいのよ…」と言ってみてください。
違和感を感じるかもしれません。
その違和感が、自分ではどうでもいい…だったり、自分が伝えるとうまく伝わらなさそう…なんて思いが湧くと思います。その湧いた思いをうち消すために「お母さんはね…」「お父さんはね…」「先生は…」という言葉を使って、子ども達に話をする。

日本語に訳して入ってくるときに、「私は…」と「お母さんは…」に違いはないはずと、訳する人が違和感を感じて、混同したのだと思います。
日本発のものではない限り、訳を間違えると…というか、ニュアンスを間違えると違うものになる。

権威からの発言のつもりはない。
だけど、聞く側には効果絶大。

もう一つ、これは教育心理学の本などによく書いてあったりすることですが、小学生や小さい子対象の本の方がちゃんと書いてあること多いかもしれませんが…と断って書きます。
児童生徒を呼ぶときに名字を呼ぶことの重要性を言われている本は多いです。
学校という公的場での呼び方として、名字に敬称をつけて呼ぶ。これによって、ここはパブリックな場であるということを認識させることができます。
仲良く親しく…そう思わせて伝えようとする行為として、名字ではなくその子の名前を呼ぶ。これは子ども達に対して安心感を伝える効果はあります。それは、子ども達に対して下の名前で呼ばれることは家でのこと。つまり、私的なことなのです。ですから、お母さんやお父さんなど親しい関係性での呼称を用いて接されることによって、心理的に緩む効果を無意識に用いる大人がいます。しかし、これは同時に、お母さんやお父さんと自分との関係性も無意識に用いられます。私的なところでの親子関係の延長線上…子どもたちは幼少期の子どもの自分を引きずった判断をしてもよいとして、自分のプライベートでの顔でパブリックなところで過ごすようになっていきます。そして、判断もプライベートの顔でするようになっていくのです。そして、下の名前で呼んでいる人との関係に対しても親と同様に上下関係を無意識に入れられることがあります。呼び捨てなど、親しそうですが上下関係を入れ込んだそして公的な訴えかけ方ではなく、私的な訴えかけ方になり、相手にとっては幼い自分でありプライベートの自分の顔で判断を強いられて学校というところでの自分の顔を育てることがうまくいかなく、学年が上がるに従って大人としての判断ではなく、プライベートでの判断する自分を出していきます。公的な顔を逸させるには一番簡単な方法。ですから、名字で呼び、公的なところであることを意識させる効果を理解している学校では、生徒を下の名前で呼ぶことを禁止します。ですが、先生たちは、親しみをこめて呼んでいるのに…と思っている人もいるかもしれません。しかし、そういう人に限って下の名前で呼ぶことによって相手に子ども意識で自分の言うことを効かせるように操作している…無意識かもしれませんが…。
潜在意識で行っている行為を見て、その人の深層心理を理解し、その人の行っていることが何を表しているか…それを理解することができるのですね。

主語を「私」にして話してみると、相手は聞いてくれないのではないか?という不安。
しかし、その圧して聞かせていることによって失っているものは…どうしようもなく救われたかった自分の気持ちを認める機会。

「お父さんは、おまえが約束を守らなかったから、とてもがっかりしたよ。」

これは、ちゃんと認めているように伝わるかもしれません。
だけど、私に直してみて考えてみてください。
本当にあなたの子どもさんが約束を守らなかったから、あなたはがっかりしたのですか?約束をあなたなら守ると信じていた自分が裏切られてしまったことに、あなたは怒りを感じたのではないのでしょうか?あなたが信じていたかもしれませんが、それであなたのお子さんはその約束をしなければいけない義務は法的にもないことかもしれません。その約束を守ることは、その子どもにとって意味がないと判断されたことに傷ついているあなたがいるのではありませんか?
本当は、あなたは自分が伝えたことに対して意味がないと判断されたということに怒りを感じて、がっかりしているのではありませんか?
よく状況を聞いたりしたら、その子は守ろうと努力していたかもしれません。本当に忘れていたかもしれません。だけど、この伝え方ではIメッセージにはなっていないのです。
正確に子どもに伝わるように話すとしたら、「私はあなたは約束を守ると信じていたことを裏切られて、がっかりしている。」です。
がっかりしているのは、約束を守る子だと信じている自分があったことを伝えて、あなたの愛の所在を見せることが大事なのです。

そして、子どもに選択権をゆだねるのです。愛されていないわけではなく、愛されている自分を権威の言葉達から自分を解放することで伝える。
主語を「I」にして、伝えようという話は2つの意味があるのです。1つは、自分の感情をしっかり把握して相手に伝えましょう。そして、もう1つは、相手に愛ある伝えかたをしましょう。

お母さん、お父さんは、主語を私にしたら愛が消えますか?
もしかしたら、私にすることで、自分を解放できるかもしれません。
「お母さん」という名称を使うことで、自分に対して「こうしなくてはいけない」という子どもに対してさせたい思いで判断していることがありませんか?
それができなかったら、あなたのお子さんには価値がありませんか?

権威をつけて伝えることは簡単です。
だけど、怖いのは、そのような権威がないところで、意味をなさないで判断基準がうまく形成されないことがあるのです。ドンドン…大きくなっていった時、いつもお母さんはこういっていたけど、実際にお母さんだって言っていることと違うことをしているじゃないか…なんて、矛盾やおかしさを感じた時など、子どもたちは全面的に相手の言っていることを否定したり、疑います。

それをそのまま大人になって引きずり…、仕事の上でも、上司が言っていることを聞き流す…。そう言っているけどそんなことは無理だと、聞いたふりで何も改善されないということが起きたりします。日本はこれを増やし過ぎている面があると思うのです。

それはきつい…とか、いやだ…とか。
本筋を否定して代わりに…とやっていることで代用してごまかそうとしている。
そのことで、本当に伝えたいことが伝わらずに曲がって伝わってしまう…。

よくよくあることなのです。

教育関係の本をちゃんと読んでいる人は児童・生徒を下の名前で呼ぶことの効果を知っています。いい面も悪い面も両方。だから、パブリックな立場で接している顔を育てたい…本来学校の目的ですから、子どもに対して公的な顔を求める為に名字で呼ぶことをします。実際に、子どもの精神年齢が上がっていると、下の名前で呼ばれることに対して嫌悪感や違和感などを感じさせます。ここはプライベートではないし、先生からプライベートネームで呼ばれたくない!とね。ちゃんと顔を使い分けることが身についているのです。
しかし、まだ精神的成長が伴っていない人に対して、下の名前で呼ぶと親しみを込められたような感覚を沸かせてつながりがもてたような錯覚を持つことができます。しかし、同時に相手は自分のプライベートでの顔を全面的に出してくるので組織として崩壊…。学校やクラスが荒れたりすることが酷いときにはあります。しかし、そんなちょこっとが関係している…なんて、勉強していない人にはわからないのですね。

ちゃんと原因があるから結果がある。

播いている種が何なのか?しっかり把握しているといいのにねぇ…。

相手の世界観を理解することも大切です。だけど、自分の行為の相手への影響を知ることも大事ですね。

無意識に上下を利用して圧して伝えよう…とする人は、相手のプライベートネームで公的なものを処理して、なぁなぁにして…自分の過ちなどを赦してもらおうってします。また、相手にもなぁなぁにしてあげて…経済成長がない会社のやり方ですね。

単なる言葉ですが、そうやって影響をどのように与えるかなど全て意図して使う。意識して用いる。大事なのですね。
それをうまくできないと、社会は発展が難しくなります。
だって、発展という基準は人それぞれ。その基準をそろえて見させようとすることをうまくコントロールしなかったら、支離滅裂…ではなく、多様性を認める社会。ありとあらゆることがOKになるのです。

経済発展を基準にしたい人にとっては、経済は発展していないと思うかもしれません。ただし、他の面は発展しているかもよ~ってね。

 

このブログなら、何文字でも大丈夫かなぁ…?

他のブログは1万字制限があり。

ほんもん

ふつう気にしないようなことを、気にするらしい。

 

確かに…商品など、暇なときはいろんなことをお聞きできるのは好きですね。商品だけでなく、博物館や美術館…いろんなことを面白く聞いていられるのはおかしい?

 

バッグ一つでも、聞いていることを覚えていく…って、何でもですが、話を聞いているときに役立つかも?とふと思うのでした。

その、ふと「役立つかも…」と思うのが普通ではないらしい。

なんで、「役立つかも…」と思うか?何が役立つかわからないという思いと、自分では調べてもわからなかったり知りえることができないこと…それって、その道の専門の人が言っていることを参考に調べる。調べなおし…と言ったら失礼かもしれないけど、聞いた話だけではかじっただけ。だから、へぇ~と疑問が出てきたりするのです。なんで?とか、どうして?などなど。それを頭に残っていたりするのかなぁ…?何かの拍子につながっていくのです。今は、つながっていくほうが増えていってますが、最初はとにかく、「何か役立つかも…?」と知りえたことを記憶にとどめていきました。

 

それも、消費生活とか教えるためには気にしていたりすることの一つかな?生活に関することは、どんなことでも役立つかも?そんな風に思える仕事だなぁ…。だから、こんなん役立つのかなぁ…?と思いながら知ったことはたくさんありますね。

 

バッグの革の種類を知っても、イマイチ役立つか?と聞かれたら、今もわかりません。でもね、なんとなく…気になったらやってみる。

 

素敵なバッグを購入していただいたご縁。その素敵なバッグ使い続けて15年以上たった…と、そのバッグを手に入れたとき、必死に「いい革だ」と勧められていた記憶はあるけど、あんまり気にしてなかった…というのは、革一ついろいろあるって知っていても、その使い続ける使い心地に差が出てくるなんて思っていませんでした。

だけど、違うんだなぁ…。なんて思ったら、もっと知りたいなぁ…とか、何が違うんだろう?と疑問を持つのは使ったから。使わないと違いに気づかないってこともあるし…。試してみるのは大切っていろいろ何が違うのかなぁ…?試せるものは試してみたり、話を聞いてみたり、調べてみたり…。

そんなことをしていて、そういわれると…気がついたときにはマニアック…。正直、学校の授業では役立たない知識のほうが増えているかも…。

 

で、忘れないように…。と、記録を書き始めた…ってブログに書いていて思ったことは、ノートに書くよりさらに探しやすくなるってこと。

 

「ほんもん」については、これまた知らなくて良いんじゃない?なんて思ったけど、福岡発の日本で有名なバッグ会社とのことなので、調べてみよう…と思ったのでした。

HONMONと、アルファベットでないと見つからなかった…。

なんか、アルファベットにするとかっこいいですねぇ…。

間違っていることに気づきました。

HOMMON

が正しい。そして、初めてサイトを見たけど、なんか凄そう…。

 

本物を「ほんもん」という。方言ですが、アルファベットにして見たことがなかった…。

 

トップ貿易という会社を知らなかったのですが、よくデパートでも見かける札だなぁ…と思って見ていた会社名かも?

 

でも、この「HOMMON」というブランド名は全く知りませんでした。また、この全く私は知らないブランドですが、バッグ界では有名?

 

第1回 高級アイテムEXPO というサイトに載ってました。へぇ~。

 

言われていたことを覚えていない…な。ということで、なにかの雑誌?とかで紹介されている…とか。何のことかわからなかったけど、手作りバッグで有名なのかなぁ~?

 

 

よくわかりませんが、福岡の企業とは知らなかった…。

 

 

飯事 ままごと

講義を受けたメモ。

といって、どこの大学…?中村の先生だったかなぁ…そこまで書いておかないとわからないメモになりますね。

 

ままごとが危ないって話でした。聞いてすぐに書いていると今更に思いだすよりいいですね…。

http://ameblo.jp/iki-iki-nova/entry-10628069137.html

メモに載っていること

 

ぐみキャンディー1個

こんにゃくゼリー1個

食べた

朝食を食べたと答えているという事実

 

ちゃんと聞くって大事ですね。

 

 

生活体験を共有することの必要性と題して話されたことをメモしたところに

家庭自体が機能していない場合も増えているとあり。

 

見る経験・体験が親世代もなくなっているのではないか?という話。

 

18~22歳ちょうど大学生に描かせたことを話されていたのだと思います。

○駐車場の絵が多い

○描けない → 遊んでいなかったかもしれない

○遊びこむ体験をしていないのではないか?

○生活環境・食環境が変わってきている

○戸外遊びの絵を描くけれど、体験少ない

 

子どもに鶏の絵を描かせると足を4本描くという話は、私自身描かせたことがある…って高校生。実際4本描かれたことありですね…。

魚の絵も子どもに描かせると切り身が泳いでいる絵を書くって笑い話ではなく聞いたのはこの先生からかなぁ…?

高校生に魚の絵を描かせるのも結構ビックリな絵になる人がいますね。

あまり見ないものは描けないね。

 

私が小学生の高学年のころ、家でカレーを作っていたら、弟の友達が「何作ってるの?」と聞いたから「カレー」と答えたら、「カレーの色してない」と言われた。作っている途中にカレー色しているわけない!と野菜を煮ている段階で言われて思ったのは男の子だから作っていないのかな?ってね。ボーイスカウトに入っていた弟たちからそんな言葉を聞いたことはないけど、体験って大きいね…。

さんぷらいず 2010,5,28

というメモを頼りに…検索したら出てきた。

さんぷらいず 3号

 

 

「飯事」がいままさに“絶滅危惧種”の遊びに指定されようとしています。個食や孤食といった言葉に代表されるように、いま子どもたちの食事環境にも大きな変化が訪れています。家族や仲間と「食卓を囲む」ことがなくなれば、この写真のような風景はいつしか子どもたちの遊びの中から消え去ることになるかもしれません。みなさんのご家庭はいかがでしょうか?

 

絶滅危惧種の遊びって増えているかもしれないなぁ…。

http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/dbps_data/_material_/localhost/sosiki/010/H21.1.29oosyousorezorenoshitenkaramieruoosyou.pdf

 

ままごと遊びの人気の役割 [2008年01月23日(Wed)]より

ままごと遊びの人気の役は、少し前までは「あかちゃん」でした。
自宅の横が公園なので、小さいこどもたちがままごと遊びを真剣にしているのを、ほほえましく見守ったものでした。
今では、一番人気は「ペット」だそうです。
ばぶばぶいって可愛がられた赤ちゃんは、兄弟のいない一人っ子の家庭では実感がなく、代わりにペットを無条件に可愛がる大人を見て育つ子供たちがそう思うのも当然といえば当然のこと。
叱られないし、家族みんなが気にする存在ですから・・・

 

教員エッセイ:雑感「おままごと」より

ある日の「天花」の放送で、最近保育園に通う子どもたちの「ままごと」のことが話題になっていた場面がありました。今のこどもたちの「ままごと」で人気のある役割は「赤ちゃん」だと言っていました。その理由は、「みんなにやってもらえて、自分では何もする必要がなく、楽だから」だそうです。逆に一番人気のないのは「お父さん」役だそうです。また、それに続くワースト2は、「お母さん」役です。その理由は「朝から晩まで働いて忙しくしており、疲れそうだから」だそうです。ドラマの天花先生や主任の珠江先生の時代は、「お母さん」役が人気だったそうです。私、矢野の時代もそうだったろうと思います。ちなみに、サザエさんのアニメのなかでのタラちゃんやリカちゃんたちが行う「ままごと」では夫婦(お父さんとお母さん)役の場面がほとんどであったような気がします。たまに、波平さんやマスオさんが子ども役をやっていましたね(笑)。皆さんの時代はいかがだったでしょうか?

 

 ペット願望

ままごと

 

いろんな方が書いている文章…。

 

世界ではどうなのでしょう?と疑問を持ってみました。

キッチンセットみたいなおもちゃがあるくらいだから、いろんなところでなされているのでしょうね。

 

 

オルセー美術館 ドビュッシー展

今日の新聞にも載ってる…と、先日せっせと切りぬいたんだけど…とおもったのでした。でも、今日はどちらかというと、オルセー美術館館長にスポットが当たった文章。

 

いつ私は新聞で見たんだ…と以前記事を書いた日はいつ?と見てみました。

8月1日。その時に、ドビュッシー展のサイトを確認していたのですが、コレなかったよ…。

そう、8月10日付けでドビュッシーの相関図がサイト上にありました。まだ未完成?今まだお待ちください…ってページがあります。

 

ギ・コジュヴァル館長は2008年からオルセー美術館の館長をされているんだそうです。

 

パリのオランジュリー美術館を会場に2~6月に開いた「ドビュッシー、音楽と美術」展は、コジュヴァル氏と若手学芸員が手掛けて企画なのだそうです。それが、東京にきているんだそうです。

 

9月にはファッションから印象派を考える「印象派とモード」展、来年には作曲家バルトークに関する企画展を予定しているんだそうです。

それはオルセーでかな?

 

絵画や彫刻をただ並べるのではなく、「芸術家たちが共有していた時代の雰囲気を感じさせる多義的な展示」を心掛けている。

というのは、今回東京で行われているものもかなぁ…

 

なんかよく覚えていないけど、印象派の絵画を展示している美術館がリニューアルして、違う感じに…とテレビで拝見したことがある…というのは、オルセー美術館のことかなぁ…?なんて新聞記事を見ながら思わされました。