骨董品 アンティーク

新聞で「アンティーク」という言葉と「ビンテージ」という言葉の違いについて書いてあって、ふと、「骨董」は?なんて思ったのでした。

 

骨董品というと、なんかちょっと東洋っぽいイメージがあるけど、それだけなのかなぁ…?

 

調べてみると、Wikipediaでは、日本国語大辞典によれば、「希少価値や美術的な価値などのある古美術品や古道具類」という現在一般的に使われる意味の一方、「古いだけで価値がなく役にたたなくなったもの」とも説明されており、正反対の意味をそれぞれ含有している。志賀直哉の『邦子』には、「貴女達の眼から見れば、ああいふのは骨董品かしら。さうなると主人公も同様骨董の部だろうが」という一文がある。と書いてある。

 

アンティークは、国際的認識としては GATT(関税と貿易に関する一般協定)に「現在から100年以上さかのぼるもの」と分類されていて、明確な定義があります。
一方、ビンテージとは、Vin=フランス語でワイン、Age=年齢,年の意味でワインの生産年を表す言葉ですが、これの中に、「時を経て成熟した芳醇な味わいのあるもの」の意味を含んでいて、これが古いけど良いものという意味で扱われているのだと思います。

と説明しているものも発見。質問サイトでそうこたえていたものがありました。新聞には、アメリカ合衆国の関税法と書いてあるけど、GATTというのはそのことかなぁ?

 

日本アンティーク時計協会が示している、「アンティーク」の定義

一般的には製造後100年以上と紹介しながらも、そう考えるとデジタル時計は当てはまらないから、50年一区切りで考えてもいいのでは?と本来の意味にはそぐわないかもしれないけど…って提案されていました。

そっか…出始めの頃のデジタル時計なんて、古めかしそうなイメージあるなぁ…。

 

珠玉のマイノリティアートというサイトでは、アンティークの定義について

アメリカが定めた通商関税法(1934年)の考えによるものに過ぎません。その後、世界貿易機関(WTO)がこの基準を採用したため、すべての加盟国が従うことになったわけです。つまり、「アンティークとは100年を経過したもの」といわれる背景には、実際にはそれと何の関係もない「関税法」があったわけです。

という風に書いてありました。

アンティーク(antique)

ジャンク(junk)

ラビッシュ(rubbish)

ヴィンテージ(vintage)

などという概念があるということも知ることができました。

この分類は関税を課すか、課さないかの税法上の都合で決められたものです。最近では定義もあいまいになって、「アールデコの終わりの1940年までのものまでをアンティーク、1940年~60年頃の物をモダンアンティーク」と呼んでいるようです。

と、書いてあるブログ?を発見。アンティークBlah Blah Blahは、アンティークショップの店主さんのサイトだそうです。

 

なるほどねぇ…。と、実は、なんでアメリカはアンティークの定義をしたのだろう?と疑問を持ったのでした。

1930年当時のアンティークと言うと、この適宜では1830年代より昔のもの。

コレクタブル(Collectable)という言葉もあると知りました。

 

1934年互恵通商協定法

と呼ばれているモノのことなのかなぁ…?

1930年通商関税法と書いてある文章が多くて、どちらが正しいのだろう?と調べて見つけたのは1934年の法律もあるんだよねぇ…。

 

互恵通商協定法とは、貿易自由化政策の推進を目的として、1934年アメリカで制定された互恵主義による通商協定の法律。

他国がアメリカに関税上有利な待遇を与えた場合に、その国からの輸入品に対する関税を50%の範囲で引下げる権限を大統領に与えることを定めたもの。

 

ということは、やはり1930年に出ている通商関税法の大元に書いてある所にアンティークの定義があるのかなぁ…?

ニューディール期アメリカ互恵通商政策構想(三瓶)

 

米国関税法の始まりは、1789 年に制定された関税法(Tariff Act of 1789)である。現行の関税法は、米国法典第 19 編(Customs Duties)に整理されており、1930 年関税法(Tariff Act of 1930)を基本として、累次の通商法等による修正が行われている。

この表記は日本の平成 18 年 6 月に出された関税法研究会とりまとめから。

経済通産省の白書から

米国

 

これらを見ても、アンティークの話なんて触れられてませんね。

 

このサイトを見て、なるほどねぇ…と思ったこと。

アンティークか中古品か?

アメリカで、なんでこの100年前という言葉が出たのだろう?と疑問に、ある意味納得というのか、そういう見方もあるんだなぁ…と思った表記。

それは、

100年以上前のものは、手工業の作品。それ以降は、イギリス産業革命後、大量生産できるようになっているからという見方。なるほどねぇ…。イギリスの産業革命前後で判断するということならば、100年前と言っていたものが110年前、120年前…と増えていくかもね。

イギリス産業革命(1840年~)以前に製作された美術品や手工芸品のことをアンティークと呼ぶ。 また、それ以後に作られたものはジャンク(がらくた)と呼ぶ。
合衆国通商関税法(1930年に制定)による。※産業革命以後の量産が可能なものと区別している。

ただ、産業革命以後量産されたものか否かで、関税率を変えて対応したという話の中での定義なのかなぁ…?

1930年の米・通商関税法では「100年以上の古い美術品、工芸品、手工芸品をいう」と書いてあっても、不思議ではないなぁ…というのは、ジャンク(ガラクタ)には関税をかけないってことでしょ?

要するに、古い貴重なものをアメリカに輸出(輸入)する際は、税金をとろう!という話に、基準をどこに置くかと決めたってことかなぁ…と思ったのでした。

 

アメリカで は1930年の通商関税法に基づき、100年以上前のものをいう
イギリスではビクトリア時代が終わる1901年までをさす
フランスではアールヌー ボーが翳りを見せ始める頃まで
日本では50年 経ったものを一般にさす

と、書いてあるサイトも発見。デコール・ゴミプチというサイト。

 

なんとなく…感覚的な言葉にすぎないって思わされましたね。

 

骨董品の輸入手続き

ということを紹介しているジェトロのサイトを拝読しながら、思ったのは、やはり購入する人の意識についての言葉定義と言うよりは手続き上の問題みたい。世界基準も100年と決めたのは、お互いに輸出入をする時に、古いからガラクタを輸入している…と言って、高く販売して…ということに対して税金をかける意味では、税金の基準になる年数を決めたものなんだ…。この定義が、逆に短いと、税金かかりまくり…となる品物も出るのでは?

まだ、法的にアンティークとは判定されないけどいいもの…だと、ガラクタ的扱いで輸入もできるという感じに読み受けました。

 

 

 

おかげさまの言葉

ようやく今のところいただいている待機中のコメントを全て読ませていただきました。

本当に人をほめることばを駆使できる方に学ぶことが多いと思います。

 

私は記録したいと思っていたことを書きます。

それは、新聞に出ていた商品の広告で知りえました。だけど、素敵な言葉達。それらの言葉に絵を添えて販売されているモノですが、言葉が素敵…と記録したかったのです。もちろん、絵も素敵です。

 

1月 夜空

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷やしかりけり」

無心に四季と向き合い、自然の美を素直に愛でる。ありのままこそ大切にしたい。曹洞宗の開祖、道元禅師が夜空を眺めながら詠ったと言われている言葉。

2月 花誰為開

「花は誰のために咲く いやいや 時がくるのを待っている」

花だけでなく、万物はすべて機が熟し、時が来れば開花します。天分を信じ、惑わされることなく、その時に備え精進したいと、禅の言葉「花誰為開」が教えてくれます。

このことば、焦る思いなどいろんな葛藤を静めてくれます。供えることの大切さ。手を抜かない努力を積み重ねることの大切さですね。

3月 花芽

「梅ひらき 桃ふくらみて 桜まつ」

春が近づくと、次第に膨らむ花芽があり、一方で散ってゆくものがあります。季節の移ろい、人生も移ろう。時には立ち止まり、じっとその流れを見守ってみるのもよいかもしれません。

今年の春は、全てが同時期に咲いた気がします。

4月 喫茶去

「まぁ、お茶でも」

 私たちは日頃、目の前の人を表面的なことで区別して対応しがちです。「喫茶去」とは、禅ではどんな人に対しても同等の態度で余計な分別をいれず、真心をもって接してゆきたいもの、という意をもつと言われています。とにもかくにも「まあ、お茶でも」。

先入観を持たない大切さを行っているのかなぁ…なんて思わされました。

5月 道

「一度きりの尊い道を 今、歩いている」

人生は一度きり。毎日の忙しさや楽しさに、私たちはつい忘れがちです。だからこそ、投げやりになったとき、決断を迫られた時、そして、平板な毎日にも思い起こしたい。人生は一度きり。

こう思うとむしょうに焦りを覚えます。悔しさや憤りも感じます。

6月泥中の華

「なに思う 泥中にあり 蓮の華」

お釈迦様は「高原陸地に蓮華生ぜず、卑湿汚泥にこの花を生ず」と話されました。泥なくして美しい花は咲きません。この泥を、如何にして肥料として昇華していくかが問われています。

清んだ水には蓮は咲かないと言うことでしょうか?

7月 おかえりなさい

「おかえりなさい」それは人を迎える言葉。待っていた願いがかなう喜び。戻ってきてくれたことへの感謝。この言葉をたくさん言える人は幸せです。お盆の季節。「おかえりなさい」の気持ちを、今は亡き大切な人へも。

おかえりなさいと伝える大切さを思わされます。

お盆を7月ではなく8月に行う…と言っても、季節問わず言霊の大切さを思わされたのでした。

8月 山鳥

「ほろほろと 鳴く山鳥の声聞かば 父かとぞ思う母かとぞ思う」

山鳥がほろほろと鳴く声を聞くと、あれは父かと思う、母かと思う。先に旅立つ存在である親への情愛は美しくも悲しいもの。奈良の大仏建立を支えた僧・行基の言葉です。

姿が見えるばかりが全てではないと思うのでした。そして、この歌を詠んだときの行基の両親は生きていたのかなぁ…?なんて思わされました。

9月 常緑

「松はいつも青々してるんだ 惑わず変らず」錦秋の中にあって色を変えない常緑の松。「松無古今色」(まつにここんのいろなし)とは禅の言葉。周囲に惑わされず、変わらざる心で生きたい。静かで強い意志を持った言葉です。

この言葉を冬のものとして昨年知りました。だけど、このように書かれると、色移ろう秋にも確かに…。いろんなとり方があるものだと思いました。

10月 喝采

「よい一日を 喝采」日一日を大切に、より良く生きたい。自分自身で願うだけでなく、全ての生きる人たちが、互いに親愛と存在への喜びを分かち合い、励まし合うことができたら、どれほど素晴らしいでしょうか。

11月 おかげさま

「好きなひと 嫌いなひと 愛するひと みんながいたから今がある」貴方の一年を彩った多くの「人」たち。人は人との関わりの中でしか生きていけません。それでこその今に感謝して、一年を締めくくりたいものです。

この10月11月本当に、頭で理解できていたとしても、本当にその通りだなぁ…そう思わされました。頭でわかっていても、心から思う難しさ。一番難しいこと「赦すこと」ということをしみじみと思うのです。

あきらめるのではなく、「赦すこと」…

12月 そのまんま

「そのまま そのまんま」お正月。この時ばかりは、「今年こそ」と誰しも新たな誓いを心ひそかに想うもの。でも気負うことなく、あえて今の自分を肯定することが、より良く生きることへ繋がってゆくのかも知れません。

こうやって12月分。新聞の1面を利用した広告。9月13日のものを書こう書こう…と持ってました。

 

凄い歌声

今日知りました。リン・ユーチュンさん。

それで、忘れないために貼りつけておきます。


そして、へぇ~ってもっとアクセスがある歌声もある?と見たのでした。

スーザン・ボイルさんも凄かった

ミッシェル・ガントナー

ミッシェル・ガントナーって誰?というくらい知らなかったのです。

でも、有名らしい。だから、検索。

そうしたら、広告写真家って書いてあったぞ…って、私が知ってたのは版画のはず。

写真だったのかなぁ?

わからなくても、インターネットで検索したら出てきました。ご本人のサイトらしい。

http://www.michelgantner.com/

面白いものですね。

 

フラワーアートギャラリーというものを知りませんでした。踊っているみたい。

 

もっと調べる方法があるのでしょうけど、わかんなかった。

ウィキペディアもなかった。

はす ロータス

九州国立博物館にて撮影

 

いろんな種類を写すことができました。

9時ごろにはあまり咲いていなかったけど、12時ごろには結構さいていた。

朝咲く花ではないのですねぇ…。

7月の写真です。

蓮はロータス。

 

ロータスクーポン券など、耳にしているときに「蓮」というイメージがなかったです。

 

蓮の花の絵を印象派の画家の絵で拝見した初めてのとき、日本人の絵だと思ってましたねぇ…。

浅はかですが、そんな感じのイメージでした。

でも、インドなど仏教画にも蓮が出たり、飾りにも出てきたり…。

 

きれいに写した写真たち。