藤右エ門

金銀富士02金銀富士03

藤右エ門表

藤右エ門裏

本日、ひさしぶりに…藤右エ門さんの器を購入しました。

感謝。

本当は、絵がきれい。

だけど、これは富士の金銀。

おめでたい~ということで、全く他とは違う作風かも。

 

小笠原藤右衛門さんという違う日ともいるのですね。

 

私の存じ上げている方は、昭和9年生まれだとか…1925+9=1934年生まれ。そっか…今年80歳になったということだったんだ~。

 

三右衛門と言われる柿右衛門,今右衛門などは別として…ともう一人は誰?

日本で初の赤絵付けの技法「柿右衛門様式」を開発し、一世風靡したことで有名な酒井田柿右衛門
今もなお、色鍋島の品格を守り続けている今泉今右衛門
そして、絵付けの柄をインテリアやアクセサリーなどにまでも展開させた源右衛門
この三つの窯元が「有田の三右衛門」です。

ただし「佐賀の三右衛門」といえば、有田の柿右衛門と今右衛門、そして唐津の中里太郎右衛門のことをいいます。

これは、このサイトから。

有田の三右衛門

 

 

有田陶磁器産業クラスター── 伝統技術の継承と革新の視点から ──

 

 

金銀富士01

自分の名前で作家として販売できるって…すごいことかもしれませんね。3代続くってこともすごいことかもなぁ…。

全く他と違う作風ですが、昨年拝見したときに、気になっていたもの。

 

藤の色がきれいな、絵を描かれる方でした…なんて、過去形にしてはいけないかな

あやめの絵を描いたお茶碗をお願いして作ってもらった…過去。本当に紫が綺麗~なんて、お元気で健在だったのでよかったです。

 

 

 

三纈 さんけち

さんけちだったかしら…

説明されても、覚えてない。

染め方に3種類あるというお話でした。

 

「しょうざん」って何?と知らないものに関心を示さない…という意味では、ある意味もったいないご縁をもったのでした。

しょうざん染色工芸館

 

浸染の基本 三纈

 

この字で、「さんけち」と読みます。

古くから日本で行われてきた染色技法だそうです。

蝋纈 ろうけち

夾纈 きょうけち

纐纈 こうけち

この中で、夾纈は珍しいとか。拝見させていただいたんだけど、「けち」という言葉は頭に残っていたけど、名称は覚えることできていませんでした。

きおくあるうちに書き留めないと、すっかり忘れそう…と広告がまだネット上にあるうちに検索しました。

 

染色方法の源をたどると、すべて、天平の三纈(さんけち)と呼ばれる「纐纈(こうけち)、夾纈(きょうけち)、蝋纈(ろうけち)」にいきつく。

この文章を発見して、3つは基本なんだ…と改めて思わされたのでした。

そのうちの「きょうけち」は珍しいらしい。

珍しいものばかりを見る機会があるなぁ…ってお話したら、普通のものはいっぱい売っているところで見るといい…とのこと。確かに…珍しいものを拝見させていただけることは学べる機会としては本当に感謝です。

正倉院にこの「さんけち」のルーツとなるものがあり?

 

正倉院伝来の染織品は、正倉院裂と称され、現存するものは件数にして約5千件、点数としては、用途不明の断片なども含めると十数万点に及ぶ。技法的には錦、綾、羅などの織物、上代三纈(さんけち)と呼ばれる臈纈(ろうけち)、纐纈(こうけち)、夾纈(きょうけち)などの染物など、当時の日本で行われていた染織技法を網羅している。日本製のものと中国からの将来品が混在しているが、おおむね8世紀の製品である。

纐纈

絞り染の一種で、糸で括り防染することで文様を白抜きに表す。そのもっとも単純なものは目結文と呼ばれるもので、布面を小さくつまんで糸で括り、染液に浸すと、括られた部分が防染され、鹿の子状の文様が現れる。正倉院宝物には纐纈で縞状の文様を表した袍がある。正倉院裂の纐纈には複雑な文様を表したものはなく、裏地などの目立たない部分に用いられた例が多い。上代の三纈のうちでは、平安時代以降も引き続き行われた唯一のものである。

臈纈

現代の「ろうけつ染」と同じ原理の蝋防染の染物である。各種の文様を表した版型に蝋を塗り、これを布面に押捺してから染液に浸すと、蝋の付着した部分のみが防染されて文様となる。型には木型のほか金属の型も用いられたとみられ、大きな文様の場合は筆で蝋を置くこともあった。正倉院の「象木臈纈屏風」「羊木臈纈屏風」などが典型的作例である。唐からの蜜蝋の輸入が止まったこともあって、平安時代にはこの技法は衰退し、やがて全く行われなくなった。近世の友禅染や型染では防染のために使われたのは蝋ではなく米糊であり、蝋による防染が再び行われるようになるのは明治以降である。

 

夾纈

「夾」は「挟む」という意味で、文様を彫った2枚の板の間に布を挟み込んで染液に漬ける、板締め染である。正倉院宝物の夾纈には、「紺地花樹双鳥文様夾纈絁」( – きょうけちあしぎぬ)のように、多色の複雑な文様を表したものがある。近世の友禅染のような引き染とは異なり、この時代の染色は、浸け染であった。したがって、複数の色を染めるためには、布を何度も染液に浸す必要があり、多色の複雑な文様をずれや滲みもなく染める技法は長年謎とされていたが、1970年代になって、インドのアーメダバードで板締め染に使用する板の実物が発見されたことで、夾纈の製法がほぼ解明された。アーメダバードの文様板では、異なった色に染める部分がそれぞれ輪郭線で区画されて、隣の区画と色が混じらないようになっている。各区画には染料が流れ込むための穴があいており、防染する場合にはこの穴を栓でふさいで、その区画には染料が流れ込まないようにした。正倉院の夾纈もこのような板を用いて染められたと推定されている。夾纈には左右対称形の文様を表すものが多く、布を2つ折にして板に挟み、染めたことが明らかである。

こちらは、ウィキペディアの「日本の染織工芸」という欄から。

東京国立博物館で展示されていたようです…正倉院の織物たち。

 

染色の文化

コレは、染色のことを科学的に書いてあり。
知らなかった言葉ですが、作品は本当にスゴイ。綺麗でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥襷

覚えた名前は記録しないと…忘れてばかりです。

 

これは、模様の名称。

初めて拝見したとき、ナスカの地上絵を思い出し、不思議な感じがしました。

おもしろい~。

 

名称を覚えるのに時間がかかりましたが、よく使われているモチーフということも知りました。

 

検索してみると、有職文様ということで、紹介されているサイトを発見。
有職文様の一つ。四羽の鳥を背中合わせに、円形に配したものを単位として、輪違い文のように連続させた模様。

と、これは三省堂の国語辞典の説明らしい。

綾織物などの模様の一。尾長鳥が二羽ずつ向かいあって輪違(わちがい)形に連結しているさまに織り出したもの。 多く指貫などに用いる。

と、これは広辞苑らしい。

七宝形の輪違いの部分に、二羽の尾長鳥を正逆に組み合わせておさめた文様で、中央には、変形の花菱を配置しています。屏風の裏表装などに用いられる文様で、すでに鎌倉時代の『石山寺縁起絵巻』にみられます。

天平鳥襷文(てんぴょうとりだすきもん)と書いてあるサイトは、図柄がなかった…龍村織物のサイト?

 

有職文様とは

平安時代以来、公家の服装や調度品などの装飾に用いられた、独自の優美な様式をもつ文様の総称。織り文様に由来するおのが多く、図案化されているので年間を通じて使える。

これは、着物着付け用語集から

有職とは元来有識であって、これは宮廷公家の人々が教養として心得ているべき宮廷の儀式・行事・服飾・調度などに関する知識を言います。

と、いろいろと詳しくかいてあるサイト

 

鳥襷文様は紫や二藍(ふたあい)の地色に、白色で浮織物に表して織られることが多く、若い高位の公達が用いる指貫にみられる。奈良時代に完成した唐花飛鳥文様の、鳥部分を強調して襷様に繋つないだ文様である。

と、風俗博物館のサイトに書いてありました。

ん…大胆不敵なことをしでかしたかなぁ…?

 

有職資料館というサイトを見つけました。

尾長鳥を唐花のまわりに配して、輪違(わちがえ)とした総文様の名。織文様や染文様があり、公卿の若年者の指貫などに用い、近世は屏風の裏貼りの紙の文様に多く用いられた。

このサイトはちょっと日本の古来ある文化を学ぶにはいいかもしれないけど…京都公家文化ってかんじが出ています。

今でも、こんな歴史の世界で出てくるような…なんて書くと語弊があるかもしれませんが、そんなものが販売されていることを知りました。

きものと文様

というサイトを見つけました。

 

 

知りえる機会に覚えていかないと、覚え切れないし…知ったら調べておかないと忘れるのは簡単ですね。

 

【尾長鳥文】
特定の種類の鳥を指すものではなく、尾の長い、姿の美しい鳥の意味としてこの名前がある。同名のオナガや尾長鶏ではない。鳳凰に代わるものとして、鳥一般を理想化、抽象化して できた文様。華やかなその装飾性で吉祥を意図している。

 

有職文様は「ゆうしき」文様ともとばれ、中国から伝来し日本に定着した模様とされています。有職とは、平安時代の宮中の儀式や行事に関する研究者や学者を有識者とよび、その有識者たちが着用していた衣服の模様が有職模様であったことから、こうよばれます。有職文様には、鳳凰(ほうおう)紋、雲鶴(うんかく)紋、立湧(たてわく)紋、菱(ひし)紋などがあり、格調高い文様として着物や帯などに用いられています。

こんな風に書かれていると、言葉がいろいろとつながりますね。

 

有職 有識

 

中国から伝来した模様なんだ…

 

 

 

夢黄櫨染 ゆめこうろぞめ

夢黄櫨染とは、七色に輝く染物。

正直、本当?ちゃんと見るまでは疑ってました。

もちろん、見本で少しばかし本当みたい…とは思っていましたけど。

実際に色が変わるのを拝見させていただいてビックリ。

こんな染があるのですね…。

 

太陽の光によって染色が変化する日本最高位の染「黄櫨染の御袍」にあります。平安時代初期、「黄櫨染」は、嵯峨天皇の詔により「天皇のみが第一礼装として着用する御袍」と定められ、それ以降、約1200年の長きにわたり、天皇側近の少数の人々以外の目に触れる機会がなく、正確な染色法も一般には知られていないことから、染の世界では「幻の染」と呼ばれていました。

とのことで、有名ではない染め?目に触れることがあまりない染だったのだそうです。

いろいろと映させていただいたのですが、これが一番色の変化がわかりやすい~。

嵯峨天皇の時代に入り、日本だけが『黄櫨染』を最高位の色(染)と定めることになったのだそうです。
日本紀略によれば、

弘仁11年(820年)2月、嵯峨天皇の詔により黄櫨染は、天皇だけが即位の大礼や大嘗祭など、重要な儀式の際にのみ着用できる第一礼装となり、

以来、歴代天皇陛下だけに許される最も厳格な絶対禁色と定められました。 

説明は、染めている公房さんのHPから

 

百聞は一見にしかず

 

まさに…その通り…

拝見できてよかったです。

日本の藍

先日、藍染めのいろいろな作品?商品?を拝見させていただきました。そして、いろいろ説明をしていただきました。

それを元に、調べたこと…。

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スキャナを使わずに写真を撮ったのが間違い…後日改めてスキャンしてみようと思います。

日本の藍染めということで紹介している展示会でもらってきました。

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この左下の部分が下図。

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番号を打ってみました。

多分、1と2は同じものを拝見。4は違う図柄のものを拝見できたと思います。

あと、こちらは本から…

絞り染め

 

絞った染色前のものを拝見させていただき、触らせていただきました。3種類の絞りがされているもの…と。

絞りの技法には4種類があるとのことだったと…記憶のかなたに行く前に記録。昔は一人1つの絞りの技法しかしなかった。今現在は、複数の絞りを一人が行ったりしている。それによって、ひとつの技法に修練された人というのがいなくなっていて、年齢が高い人たちのものと、現役でされている人たちのものにはその違いがあるとおっしゃっていた。

実際に、絞ったものを触って、反物がきゅっとこじんまりとまとまっていた。

様々な絞りの種類があることよりも、その緻密さを拝見して大変だろうなぁ…と驚いた。

 

 

教えていただいた阿波の藍について、話を伺うのは2度目だけど、記録をしていないと忘れる…。と、本を借りてきて文献から見つけた文章も書いて、まとめる。ごっちゃに書くと、どれが聞いた話かなどわからなくなるので、先に本から…

 

『日本の藍 染織の美と伝統』日本藍染文化協会編  平成6年3月20日発行  日本放送出版協会より文章はまとめたりしている。

藍生産の進展

古くから日本における代表的な染料だった藍と藍作りについては、職員令織部司の規定に「藍染卅三戸、倭国(大和)廿九戸、近江国四戸。三戸出女三人役、余戸毎丁令採薪」と『令集解』にあって、すでに奈良時代から朝廷の一機関として組織されていた。

など、歴史的なことから書いてあった。

 

阿波の藍

青藍色染料としての藍は、古代から使用されてきた。奈良時代は令制で位階相応の衣料の地質、色、文様が細かく定められた。下級官人や庶民はもっぱら紺色・浅黄色などを矯正された。庶民たちは楮、麻、木綿地や紺系統の地味っぽい色と料を使用させられた。山野に自生する山藍や青藍色を含有する植物・鉱物から染料を得たものと思われる。

天保8年(1837年)に『阿洲藍草貢々記』が刊行。そちらに、「元明天皇和銅7年(714年)染殿を造らせ給ひて、花田の色を染らる、是藍草を以って衣服の色を変たる始なり」「村上天皇の御時〔946~967年〕、諸国の藍を貢に、阿波の国の藍を以て最勝とす」とある。

 

本を借りてせっせとかいていたけど、本を返却しました。

また改めて…